2022年3月23日水曜日

2645「青空ひろば」2022.3.23

 今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最新の記事を紹介します。


「青空ひろば」


618 2022.03.20 ~~620 2022.03.22

昔は「思い通りの人生」にあこがれたものですが、今では「思い及ばぬ人生」の方が断然面白くなってきました。

「思い通り」ということは、ついに自分の「思い」の枠組みを突破できなかったということですね。

人の頭で思い描くことなんて、結局大したことではないのですから、それではつまりません。

もっと大きな、宇宙いっぱいの存在の頭(神の作戦)に身を委ねて、その偉大な存在がどんなプレゼントを差し出してきても、文句を言わずにそのまま受け取って、やるべきことをやってゆけばいいんだ、もうそれだけでいいんだと分かり、人生がとても楽に、楽しくなりました。

それが自分には困ったプレゼントのように思えても、それは目先しか見えない、ちっぽけな人間の頭の判断なのですから信用できません(「塞翁が馬」の故事がありましたね)。

取りあえず、神さまから差し出されたどんなプレゼントでも、『まあ、神さまが下さるというのだから、きっと悪いものであるはずがないよね』と信じて、嫌な顔一つしないで、素直に受け取ってゆけばいいだけのことなんです。

そうは言っても、私の人生、相変わらずのドタバタ、オロオロ、ウロウロの連続ですが、このように波立つ心の根底にはいつも、『何だか分からないけど、きっと面白いビックリするようなプレゼントが、これからドンドンやって来るはず』と、何となくワクワクして、明るい期待感を自然に持てるようになってきている自分がいます。(完)


617 2022.03.19 

最高の天使は、顔に宿る。と、スウェーデンボルグは言っている。

経典には仏様は「光顔(こうがん)」でいらっしゃったと、書かれている。


604 2022.02.28 ~616 2022.03.18

「どうして坐禅されているのですか?」と聞かれれば、「坐禅すれば『楽』になるからですよ」と答えます。

その「楽」は、「身の楽」と「心の楽」の両方です。

なぜ坐禅すれば「楽」になれるかといえば、坐禅すれば、身と心が「ほどける」からです。

お風呂に入ったり、体操をしたりしても、身心をほどくことができます。

それは、外側(体)から内側(心)に進んでゆく「ほどき」です。

坐禅の「ほどき」は、いのちの一番内奥部から始まって、心をほどき、さらに体をほどくという具合に、内側から外側へと浸透してゆきます。

体や心が苦しいのは、「固まり」があるからです。

その「固まり」が、「気」の順調な循環を妨げているのです。

坐禅すれば、身心が「ほどけ」て、全身心に「気」がくまなく行き渡るようになるので、「楽」になるのです。


ところで、「私」というものも、実は「気」の順調な流れを妨げる「固まり」のうちの一つです。

坐禅を長らく続けてゆけば、やがて「私」という「固まり」も、少しずつ「ほどけ」てゆきます。

「私」という「固まり」が「ほどけ」れば、何と「楽」に生きられるんだろうと、実感出来るようになります。

「私」という「固まり」が、いかに自分を不自由にし、苦しめてきたかが分かるようになります。

「私なし」の状態の安楽さに気が付けば、少しずつ「私」を手放して生きられるようになります。

「私なし」の生活が出来はじめると、なぜかシンクロニシティ(同時性現象、『こうしたいなあ』と思うことがすぐ実現する現象)が頻発するようになります。

また、セレンディピティ(思いがけぬハッピーハプニングが起こる現象)が次々起こるようになります。

なぜそうなるのかというと、「私」という「固まり」が「ほどけ」れば、あなたは世界と一体となるからです。

あなたの『こうしたいなあ』という思いは、世界に瞬時に伝わり、その思いの実現のために、世界中が協力してくれるようになるのです。

「私なし」になったあなたは、他の人や世界のしあわせのために、力まず自然に、無理無駄なく働けるようになるので、世界に対して『善意と愛を差し出す手』が、Uターンしてあなたに帰ってきて、世界からあなたに『善意と愛を差し出す手』が差し出され、セレンディピティ現象となるのです。


坐禅すれば、いのちの内奥からスタートして、心をほどき、体をほどき、私をほどき、ついに「世界をほどく」働きをするようになります。

「悟り」は「差取り」です。

「私」という「固まり」があると、内(私)と外(世界)の間に仕切り(境界)ができます。その仕切りがあなたを不自由にし、息苦しくし、暗闇に閉じ込めるのです。

その「私」の「固まり」が「ほどけ」ると、あなたは開放されて世界と一体となり、あなたと世界は「いきとおし」となります。


「いきとおし」とは、「生き通し」です。

世界と一体となり、「いのちがひとつ」となるのです。

過去・現在・未来の時間と一体となり、あなたのいのちは「永遠」となるのです。

また、「息通し(いきとおし)」です。

閉じ込められて淀んだ空気を吸って息苦しくなっていたのが、牢獄から解放されて、新鮮な空気を、好きなだけ、思う存分呼吸出来るようになったのです。

また、「行き通し(いきとおし)」です。

あなたの意識を自由に世界中に移動させることが出来るようになります。自分の思いが、どんなに離れている人にも伝わり、その人の思いを瞬時に思いやることが出来るようになります。

そのように「いきとおし」になったのが「悟り(自他の差取り)」です。

完成に近いほど「ほどけ」て「いきとおし」になった人が「ほとけ(仏)」様です。


しかし、仏様といえど、完成に近いというだけで、まだ「ほどけ」を完成されたんだとはいえません。

なぜなら、あなたもわたしも、まだ心や体にいっぱい「固まり」が残っています。「いのちはひとつ」なんですから、あなたやわたしの「固まり」は、実は仏様の「固まり」でもあるからです。

ですから、仏様やイエス様は、世界中のすべてのいのちたちが「ほどけ」過程を完成させるまで、「ほどけ」の業を続けてゆかれます。

あなたが坐禅すれば、そんな仏様の「ほどき事業」に協力することになり、また世界中の人の苦しみの「固まり」を、少しでも「ほどく」という徳を積むことになります。

ですから、坐禅は何もしないで、ただ坐っているだけですけれど、その功徳はとても大きいのです。


道元禅師が「坐禅の功徳」を説いておられる文章を意訳してみました。

坐禅を始める前に、この文章を音読してくだされば、坐禅がやれるありがたさを、しみじみ納得出来、功徳が大きな、いい坐禅が出来ると思います。


道元禅師『弁道話(べんどうわ)』意訳

「たとえ、あなたがわずかな時間であっても、《坐禅印》を組んで坐ると、世界中(すべての空間と過去・現在・未来の時間のすべて)が、その《坐禅印》のうちにスッポリおさまる。

そうすると、過去・現在・未来において、あらゆる場所で活動しておられるすべての仏や菩薩たちに霊的な力をお供えすることになり、その救済活動を助けるという功徳を、あなたは積むことが出来る。

また、苦悩する人たちに立ち直るための力を足し与えるという徳も積むことになる。

そうすると、『徳は孤ならず』というコトバがあるように、それらの功徳はUターンしてあなた自身に帰ってくる。

身と心のゴタゴタがなくなってスッキリし、生きるための活力が回復し、その時期が来ている人は、その人にふさわしいレベルの悟りを得ることが出来、最終的には自他一体(ひとついのち)の悟りをも獲得することが出来る。

そのように、あなたの身と心がクリアーになると、さらにその解放の喜びと悟りの自覚が世界中を覆いつくし、すべての存在を光明で包み込み、輝かせることになる。

しかし、この功徳は全時間と全空間に及ぶ無限の功徳であるがゆえに、あなたの頭脳は、その限りない功徳をすべて認識することは出来ない。

ただ、あなたの身と心がその功徳の一部を直感的に捉えて歓喜し、閉ざされた重苦しい境地から解放されたと実感するだけである。

すべてを認識できないからといって、それが存在しないなどと言ってはならない。

ただ、仏の教えに誤りがあるはずがないと信じ、ひたすら坐禅を実践してゆきなさい。

坐禅の功徳は、坐禅している間だけあるというものではない。

坐禅している時は、鐘をたたいて音が鳴っているようなもの。しかし、あなたが坐禅すれば、鐘が鳴る前の過去にもその妙音が鳴り響いており、鐘の音が止んだ後でも、その妙なる響きは綿々と続き、絶えることがないのだ。(完)



 

2022年3月22日火曜日

2644「ヒマワリのような人」2022.3.22

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年03月18日の記事を紹介します。


「ヒマワリのような人」


人の悩みごとのほとんどが、自分自身の悩みでなく、

他人が自分の思い通りに動いてくれないが、どうしたらよいのか?

そんな類の悩みがほとんどなのだそうです。

ブッダはそんな悩みごとを相談された時は、

お答えにはならず、静かに瞑想に入ってしまわれたそうです。

私たちは、他人を思い通り動かすことはできません。

他人の人生の宿題を代わって差し上げることはできません。

なのに、そのことで沢山の悩みを抱えている人が多いのです。 

憎しみを抱き、自分の心と体を傷つけている人が多いのです。

では、小林正観さんのお話を紹介します。

<引用開始> 引用元


相談される人に重要なことですが、

すべての相談者の悩みに同化して浸り込んでいったら、多分大変だと思います。 

私は、年間3万人ほどの人とお会いしますから、

どんなに大変な悩みを抱えている人が現れても、 

淡々と「で、何が問題なんですか?」と言えないと、ノイローゼになってしまうでしょう。 

皆さんも、人から相談を受けることがあると思いますが、

ひとつ覚えておいていただきたいことがあります。

仏教には、大乗仏教と小乗仏教(上座部仏教)があります。 

大乗仏教というのは、大きな乗り物を意味し、

困っている人、苦しんでいる人を救済して、

たくさんの人を乗せて彼岸へ行きましょう、という考え方です。 

一方、小乗仏教は、小さな乗り物ということですから、

自分が悟ればそれでよし、と考えます。 

タイ、ビルマ、インドは、小乗仏教の国で、

もともと釈迦は小乗仏教的な考えをしたと思われますが、

釈迦が死んで500~600年経つと、大乗仏教といううねりが起き、

それが中国に伝わり、のちに日本に伝わって、日本は大乗仏教国になりました。 

大乗仏教の広く救うという考えが浸透した結果、

私たちは目の前に問題を抱えた人がいたり、

辛そうな人が現れると「解決してあげなくっちゃ」と思い込むようになってしまったようです。

こうした傾向は、人生相談を受けるとき、

確かによく表れていて、相談者の98%が自分以外のことで悩んでいます。 

自分がこういう状態で困っている、というのは100人に2人ぐらいで、

あとは「夫がこうだ」「妻がこうだ」「子どもがこうだ」という、

自分の外側にいる人の悩みや苦しみや社会の矛盾を、

あっちこっちからクマ手でかき集めているように思います。

その人たちのことを心配する結果、ご本人はまったく笑顔ではありません。 

基本的なことを言いますと、私たちができるのは、

まず、自分が笑顔になること、自分が太陽になることです。 

その向こうにいる人の悩みは、自分のことではないのですから、解決できなくて当たり前です。 

「私たちにそんな力はない」と思い切ったところから、ものすごく楽な人生が始まります。 

しかし、自分が太陽ではないのに、「周りを明るくしてあげなくちゃ」という人が大半です。 

まず、自分が明るく幸せな人になりましょう。

それが、私の言う“実践”です。

この提案は、小乗仏教でとどまりなさい、ということではありません。 

小乗仏教的な考え方で、明るく素敵に生きている人は、

長い目で見ると、結果として周りにいい影響を与える可能性があるということです。 

私は、小乗仏教的に生きています。

だから、ものすごく楽に生きています。 

自分は何も背負っていないし、世の中を変えようとも思っていません。

ただ《実践的に生きる》ようになっただけです。

  

あなたが、笑顔の素敵な《太陽さん》になって、

ひたすら幸せな光を投げかけていけば、周りの氷は自然に溶けていくでしょう。 

そいう溶かし方を取り入れることにしませんか。

<引用終了>

 

話は変わりますが、 

「対向車のライトがまぶしくて、歩行者に気づかなかった」

小雨の降る夕暮れ時、

そんなヒヤリとした体験をしたことはありませんか?

そんな時は、ラッキーなことにご先祖のどなたかが

助けてくださったのかもしれません。 

生きている私たちと神さまの間に立って、

中継ぎをしてくださっているのがご先祖なのだそうです。

私も何度も身近で見てきました。 

こんな深刻なヒヤリの時はきっとご先祖様が守ってくださることでしょう。

ご先祖も生きて肉体が亡くなった後は、天界で神様への道を進むのだそうです。

時には少し道を踏み外してしまう方もいらっしゃるようです。 

また私たち生きている子孫が

先祖の方々を思うたび、ご先祖の足元が照らされ 

神様への道を誤ることなく進めるのだそうです。

亡くなったご先祖が幸せで、神様の光に満たされていれば 

それに呼応して、私たち子孫も幸せになれます。 

きっと私たちが いざと言う時に守ってくださる力も強いことでしょう。 

これは縄文からの日本人の心・考え方です。

  

ご先祖を普段から敬い 大切にしている人は 

ご先祖に神様のパワーが宿っているために

私たち生きている子孫のピンチの時に助けることができます。 

逆に、ご先祖が苦しみの中や、囚われ領域にいる場合

私たちを助けることなどできません。 

自分が精一杯で余裕がないからです。 

同じように私たちが周りの人を助けるには

私たちの心が感謝で満たされ、安定していなければできません。 

ブッダが行動で示されているように、 

他人の問題に手を突っ込み、口出しするよりも 

まずは自分の心を愛や感謝で満たすこと。 

自分が、自分のことに集中し、いつも笑顔で感謝の気持ちで過ごしていれば、

その明るく太陽のような神様の光が自然と周りを照らしてくれることでしょう。


他人を自分の価値観で、思いで、どうこうして差し上げたいというのは、

もしかしたら少し不遜なのかもしれません。

彼らには彼らの道があり、彼らの時があります。

そのために今の道を歩んでいるからです。




2022年3月21日月曜日

2643「神さまの作った仕組み」2022.3.21

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年03月17日の「神さまの作った仕組み」と2021年02月05日「宇宙の仕組み」の2つの記事を紹介します。


「神さまの作った仕組み」


私たち生きている人間にとって、

・美味しいもの食べたり

・高級な洋服着たり

・外車に乗ったり

・大きな家に住んだり 

・人の上に立って命令したり

・地位や名誉を得たり

・有り余るお金を得たり

それも楽しいことかもしれません。

ですが、その何万倍もの楽しいことがあります。 

それは、誰かと一緒に笑いあえること

それと比べたら、物質的な喜びなど、たかが知れています。

そして、さらに・・・

・自分が存在することで

・自分の行いで、

・自分の言葉で

誰かが  

・元気付けられ

・喜び

・共に笑ってくれたなら

それは、何ものにも変えることができない

宝石のような、至上の喜びとなります。

それが人間、生きとし生けるもの全ての生命体、 

神々が創造した者たち、全ての本性だからです。

自分の存在が、誰かの喜びとなる。

これ以上の喜びはありません。

人はだれでも、

・いじわるをする人も

・陰口をたたく人も

本当は、本当の心はみんな優しい・・・

そんな人でも、自分の心の中の良き部分、仏心を見つめられたら、

仏心が必ず顔を出します。 


きっかけは、感謝の「ありがとう」の言葉

本当は、みんな優しくしたいんです

それが人の本性だから。

これと同じことが宇宙空間や、人体中の小宇宙で起こっています。

・全ての臓器

・器官

・メッセージ物質

・リンパ

・神経伝達物質などは

自分が自分がと、自己主張することなく

全て、周囲のために調和して働き、人体全体を維持します。

私たち個人は、みんなの幸せのために存在しています。

みんなで調和して、協力して進化発展しています。

これが、神様が作った仕組みの根本です。

 

大宇宙のマクロの中にも、人体の中のミクロの中にも

同じ仕組みが、働いています。

私たち人間も、素直に、その流れに身を任せれば、

宇宙の一員として、宇宙の進化発展に貢献する者となります。



「宇宙の仕組み」


今日は足立育郎さんのお話をご紹介します。

小林正観さんは、62歳に亡くなったのですが、もう後年にはかなりの神的な能力を持っていました。もちろん、自慢したり、ひけらかしたりはしていません。

相手の方の寿命や、その後の人生なども見えていたようですが、一切お話しませんでした。

その正観さんが出会った人で、完全に悟りを開いていると感じた人が2名いたそうです。

お一人はあの魂の巨人 高橋信次さん。そう正観さんがまだ学生だった頃、かつてブッダの弟子であったこと、30代に入ってからブッダの教えを広めることを予見した人です。

そしてもう一人が、私も意外だったのですが、「波動の法則」の足立育郎さん。正観さんは足立育郎さんとは出身星がプレアデスと同じだったということまで分かっています。

足立育郎さんの妹の足立幸子さんも、プレアデス星団のタイゲタ星出身です。

正観さんは、足立育郎さんとも共著をいくつか出しておられます。 


さて足立さんのお話では、私たちの本質はエクサピーコと呼ばれます。

それは、原子核の集合体で電子を伴っていない状態の中性子と陽子で構成する原子核です。

その原子核が 回転運動をして集まって構成している状態が、宇宙語でエクサピーコと呼ばれ、物質化はしていません。

通常は頭骨にはみ出す位置関係で 人体と一体化しているそうです。大きさは通常で22cm くらい。これが私たちの存在の本質であると言われます。

また人体を構成する60兆個の細胞一つ一つにも、見えない本質(エクサピーコ)が入りこんでいるそうです。

さらには、植物 鉱物 生活用品。ありとあらゆるものに本質(エクサピーコ)があるといわれます。まさに、内なる神様、そのものですね。

全ての存在は、この地球において、自らのその本質(エクサピーコ)の成長の為、物質・ボディと同調しあって 経験して学ぶのだそうです。

その学びとは 宇宙の仕組みそのものを学ぶこと。つまり神さまと一体化することが最終目標とされています。

まさにヒマラヤの聖者や、チベットの高僧たちが仰る「キリストのヨーガ」そのものです。 

ヨガナンダの著書「あるヨギの自叙伝」は、スティーブ・ジョブズ氏のiPadに唯一ダウンロードされていた本として知られており、 

ジョブズ氏の追悼式では800冊分が参列に訪れた重要人物らに配布されました。  

ヨガナンダの生涯は、映画化もされたようです。

 

さて、私たちの本質であり、永遠の存在であり、まさに神さまから頂いた分霊であるエクサピーコが地球にやって来て、この物質存在である肉体をまとって生きている目的は宇宙の仕組みそのものを学ぶこと。

そのために、神さまは最適なシステムを、この地球に用意してくださっているのだそうです。

それが家族というシステムです。 

宇宙の無償の愛を学ぶために、用意されているのが家族、夫婦というシステムなのだそうです。生まれる前に、お父さんお母さんの本質(エクサピーコ)と情報交信して、子どもとして生まれることを了承を得てから生まれてきます。

大枠の共通のテーマを持って「今回の生で、共にこのようなことを学びましょう」ということでお互いの承認の元にプログラムされ親子となるのだそうです。

子となる本質(エクサピーコ=魂)は、親よりも上のレベルの本質であることが通常だそうです。また足立さんは、子どもは生まれる際は、「本質そのもの」であって顕在意識(自我、我欲)は全く無く、宇宙意識そのものであると仰っています。

生まれてから、魂の本質(エクサピーコ)が、顕在意識と同調していきます。

それが、現実社会で学ぶということで、その学びは約束された両親に委ねられています。

人間が生まれ、そして成長するということは、まさに、こういうことなんですと仰っています。

親子・家族というものから、実は宇宙(神さま)の本質である「無償の愛」を経験する。

そのために家族というシステムが、地球の仕組みの中に用意されているのだそうです。

ですので、どんな状況であれ親に感謝ですね。

無償の愛の体験をさせていただくために子として産んで頂いた。すべてに感謝です。

そして親も、ご自分の親に感謝しかないと。また一方では親は子どもによって、自分の本質を育ててもらう。そんなことも起こります。

子供たちのように本質そのもの、顕在意識(自我、我欲)の無い存在から学ぶものはあまりにも多いと思われます。何故なら、彼らはまだ宇宙(神さま)そのものであるからです。

そして今現在の親子の関係。自分が置かれている環境、喜びや悲しみも全ては自分が過去に投げかけた結果であり、それを学ぶのがこの世、この地球プログラムの目的でもあります。

この宇宙は、自分が投げかけたものが、受け取るものです。

投げかけない物は、自分に帰って来ません。ですから家族や夫婦の態度や言葉は、

まさに自分自身の鏡となっているはずです。

宇宙法則の最も身近な縮図ですから。全ての出来事が、神さま(宇宙の仕組み)を知るため。

無償の愛を知るための学びのために今起きています。家族が鏡となり、私たちの進むべき方向を示してくれています。

病気になったり、不登校になったり、夫婦喧嘩をしたり、我がままや甘えから来る暴言を吐いたりしながら、様々な現象を通じて親や子に、配偶者にメッセージを送っています。

それが無償の愛の体験になるからこそ、神さまはこの地球にそのシステムをお造りになりました。

それが理解できれば、一緒にその目的に向かって切磋琢磨してくれる家族には感謝ですね。有難いことですね。



2022年3月20日日曜日

2642「美しい人」2022.3.20

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年03月16日の記事を紹介します。


「美しい人」


大航海時代から始まった植民地主義 

その後に起こった行き過ぎた資本主義 

そしてコロナの喧騒 

それらすべてが終わった後、 

やっと私達一人一人の心が大切にされる社会が訪れそうです。 

今日はその心の美しさについてのお話です。 

思いやりや、助け合いの心

相手の個性を尊重し、お互い様の心で生きていく社会 

そんな美しい社会が、

この大混乱の後、出現しそうです。 

それでは、ノートルダム清心学園前理事長、渡辺和子さんの言葉を紹介します。 

心の美しさについてのお話です。


心の美しさとは、

意識しなければ、自然と手に入るものではありません。 

ですが、心こそ、亡くなった後も、生まれてくる前に居たところに戻っても、 

決して変わらず、持って帰ることのできる唯一のものです。 

お金や、大きな家や、大きな車

健康や、友達の数

高い地位、周りがうらやむ名誉 

そのような、目に見えるものよりも、目に見えない「心の美しさ」は、 

はるかに大切なものです。

私たちがこうして生きている時でさえ、心の反映が、人や物を引き寄せ、 

生きていく環境を形作ります。 

心が美しければ、それに呼応して、宇宙のサポートが協調して、ダイレクトに働きます。

私たちが何度も何度も、生き死にを繰り返し、輪廻を経験し、 

宇宙中の様々な星々や次元に生まれ変わっているのも、 

目的は美しき心を思い出すためです。

それでは、お話をご紹介します。

 

<引用開始>


お化粧に余念のない学生たちに言うことがあります。

「きれいになるのも結構。 

きれいになるためには、化粧品にしてもエステに通うにしてもお金が必要。 

皆さんは、きれいさとともに、美しさを育ててゆく人であって欲しい」

美しくなるためには、お金は不要。

それは、心の輝きであり、痛みを伴う自己管理、自己抑制が必要なのです。

 

かくて私は、学生たちに 

「面倒だからしよう」と教えています。

「しようか、どうしようか」と迷う時には、してごらんなさい。 

きっと、その積み重ねが、あたなたがたを 美しくしてくれるから と話しています。

「泥かぶら」という劇があります。

これは,真山美保さんという人が作られた,

古い時代を舞台とした「泥かぶら」というタイトルの劇用のお話です。

ある村に「泥かぶら」という顔の醜い少女がいました。 

「泥かぶら」は,顔が醜いために村の人から馬鹿にされ,

子どもからは石を投げられたり,唾を吐きかけられたりしました。

そして,それを悔しがって怒り狂う

「泥かぶら」の心はますます荒れ,顔は醜くなる一方でした。

ところがある日,村を一人の旅の老人が通りかかりました。 

竹の棒を振り回して暴れている「泥かぶら」に話しかけました。 

次にいう「三つのこと」を守れば

「あなたは村一番の美しい人になれる」と教えて立ち去っていきました。

旅の老人が「泥かぶら」に教えた三つのこととは,

一つ・・・いつもにっこり笑うこと

二つ・・・自分の醜さを、恥ずかしいことと思わないこと

三つ・・・他人の身になって、考えること、思うこと

「泥かぶら」の心は激しく揺れ動きましたが,

美しくなりたい一心で,

その日から血のにじむような努力を続けます。

決心は何度も中断され,たびたびあきらめようとしますが,

そのたびに気を取り直し、努力を続けました。

 

その甲斐あって,「泥かぶら」の顔からは,

いつしか憎しみが去り,心も穏やかになっていきました。 

やがて,明るく気持ちの良い子に生まれ変わった「泥かぶら」は, 

村の人気者になり、子守やお使いを頼まれるようになりました。

そんなある日のことです。

自分と同じ年頃の娘が人買いに買われていくのを知った「泥かぶら」は, 

自分から進んでその娘の身代わりとなり,連れられていきます。 

しかし,道々楽しそうに村の様子を話し, 

自分がかわいがって世話した村の赤ちゃんについて語る「泥かぶら」の話は, 

いつしか悪い人買いの心を動かし始めます。

そして,その人買いは今まで自分がやってきた過ちを恥ずかしいことと思い, 

置手紙をして立ち去っていきます。 

その置手紙には, 

「ありがとう。仏のように美しい子よ」と書かれていました。

その手紙を読んだ「泥かぶら」は, 

旅の老人が話してくれた「村一番の美しい人になれる」という言葉の 

本当の意味を理解することができました。

心の美しさは,内面の輝きを増し、人の容貌さえも変えてしまいます。

そして周りの人も幸せにします。

美しい心を持った本当の「美しい人」になることは、

どんなに時代が変わろうとも、大切なことかもしれません。

<引用終了>

 

相田みつをさんの、「現代版禅問答」にこんなくだりがあります。

「ほとけさまの教えとはなんですか?」

郵便屋さんが困らないようにね、

手紙の宛名を わかりやすく正確に書くことだよ

「なんだ、そんな当たり前のことですか」

そうだよ。その当たり前のことを、心を込めて実行してゆくことだよ。

「面倒だから、しよう」とは、

 相手の立場に立って、面倒がらずに、些細(ささい)な良きことを、心を込めてやること。

当たり前のことを心を込めてするには、そこに感謝の気持ちが必要です。

・笑顔、

・思いやり、

・そして今のままの自分を許し、認めること

私達一人一人がこの「泥かぶら」のように、 

このことをいつも心に留めておきたいものですね。

そして、心の美しい人になりたいものですね。

永遠の宝になるのですから。

  

自分だけでなく、ご家族はじめ、周りを幸せにするのですから。 

神々の恩寵は、感謝の人、心美しき人に降り注ぎます。

・目に見えるものだけに、大いなる価値を置き、人と比べ、見下し、優越感に浸る者と、・・・ 

・例え貧しく、弱く、何も持たなくとも、神の前にへりくだり、

与えられた環境の中で、精一杯、人生を生きて行こうという者 

神々は、どちらに微笑むでしょうか? 



2022年3月19日土曜日

2641「神々が望むもの」2022.3.19

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年03月15日の記事を紹介します。


「神々が望むもの」


一昨日、昨日の記事と、現在世界で起こっている

静かな形での最終的な戦いについて書いてきましたが 

その全てが終わった後、 

地球の希望の灯として残されているのが 私たちの大和心(やまとごころ)

古き良き日本の縄文の心です。 

・例え武力はなくとも

・経済力は弱くとも 

私達には胸に秘めた大和心が存在します。

諦めずに、その心を呼び覚ますことこそが、 

美しき新たな地球の姿に繋がります。


それでは今日も、

その大和心を思い出すために、心のことを書きたいと思います。

 

古事記によれば、宇宙で一番はじめに現れる神は、

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。

ですが、すぐにお隠れになりました。

その後まもなく高御産巣日神(たかみむすひのかみ)が現れ、

続けて、神産巣日神(かみむすひのかみ)が現れましたが、

やはり同じようにすぐに姿を隠してしまいました。

この3柱の神を造化三神(ぞうけさんしん)と呼びます。  

ちなみに斎藤一人さんについていらっしゃるのは

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)だそうです。 

天照大神や月読の尊、スサノオなどは、もう少し時代を下ってから生まれます。 

これら宇宙規模の大本の神々は何を望んでいるでしょうか?

 

神道では、願い事は、神々を喜ばすのが先。

喜んで頂けば、自然と願いをかなえてくださる。。 

そのような考え方をします。

今はやりのパワースポット巡りのように

・あれをしてくれ

・これをしてくれ

・お金を儲けさせてくれ

・病気を治してくれ

などの自分の欲が先・・

という考え方とは正反対です。

  

この喜んでいただくとは・・・ 

・お酒を奉納することなのか?

・卵を奉納することなのか?

・美味しい肴を奉納することなのか? 

もちろん、そういった形あるもので表現することも大切なことでしょう。 

ですが、神々の系譜の先頭の大本の神々(宇宙神)は、 

・龍神だから卵を持ってこい

・お酒を持ってこい、但し辛口が良いぞ

・不思議な現象を見せてやるぞ

・どんな願いもかなえてやるぞ 

そんなことは決して言わないし、望んでもいないと思うのです。 

神さまが望むことは、 

私たち人間たちが 

・素直な心で

・互いを思いやり、助けあい、

・お互いさま、お陰さまの気持ちで

仲良く笑顔で暮らしていく  そんなことではないかと思うのです。 

それこそが、神々が私たち人間に、一番望んでいらっしゃる心ではないかと思うのです。

だからこそ、宇宙神は、私たちの心の浄化を一番の喜びとされるのではないかと思います。 

私たちの心の霧が晴れ、神々しい光が差し込んだ時、

宇宙神は、小躍りして喜んでくださると思うのです。 

  

そして、その心こそが、神々のエネルギーの源泉であり、

神さまと人間たちが、共に幸せになる道だと思うのです。

・神さまから一方的に何かを頂いたり、

・不思議な現象を見せて頂き、好奇心を満たしたり、

・それを自慢し、人に羨ましがられたり、尊敬されたいと言う欲を満たしたり

・自分は神さまと繋がっている特別な人と、周りの人を支配しようとしたり

神さまは決して、そのようなことを良しとなさる方とは思えないのです。

神社に行くと必ず、神殿の中に鏡が置いてあります。 

鏡は、私たち自身の ありのままの姿を映し出すものです。

神道の本質は「鏡」にあるとも言われています。 

神社の社殿の鏡は、参拝する人自身の姿を映し出すとともに、 

その人の自分の中にある神さま 

つまり、自分の本質、本当の姿を思い出し、自覚する場所でもあるからです。

鏡に映るのは、自分の中に居らっしゃる神さまの姿です。 

この鏡の前に座り、敬虔な気持ちで手を合わせ、祈る時、神さまと私たちは繋がります。 

そして、神さまの前に素直になった心そのもので 

自分の周りに居てくれた人たち、家族、友人、同僚、そんな人たちに、

感謝と、祈りにも似た気持ちで接することができれば、 

神々は喜び、今度はそこで、その場において 

私たちと神々のエネルギー交換がなされることでしょう。

  

その時、私たちはきっと気付くはずです。 

・私が好きな人も

・私が嫌いな人も

・私を好きな人も

・私を嫌いな人も 

みんな、みんな大切な人だったと。

かけがえのない人だったと。

溢れる感謝の気持ちと共に。 

私たちは、人の 嫉妬、やっかみ、悪意には鈍感でも構いません 

ですが、

人の優しさ、温かさ、思いやり、愛情には敏感でありたいものです。 

なぜなら、そこには神さまがいらっしゃるからです。

  

心の浄化が始まった時、神々の喜びとともに、大いなる幸せも続々と現れることでしょう。 

何故なら、人の心の浄化こそが、神々のなさる最大の奇跡だからです。

 

 

 



2022年3月18日金曜日

2640「地球を救う大和心」2022.3.18

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年03月14日の記事を紹介します。


「地球を救う大和心」


今この時こそ、 

今まで私たちが、密かに胸の内で期待して、多少不安ながらも待ち焦がれていた 

その時そのものなのですが、なかなか日々の暮らしの中においては

・「何か、起きているな」と・・感じはしても

・「最近身の回りが、騒々しいな」と・・感じはしても

今この時が、その時まっただ中であるとは認識出来ないかもしれません。


 

世界的にも、そして、数百年規模の歴史の波の中においても 

大変化の時代に突入しています。 

今日の続きが、また同じ明日ではありません。 

今年の末までには、今起きているその大きな変化の意味を多くの人が気づくことでしょう。

もう後戻りはできません。

停滞もできません。 

大きな変化の時には、今まで持っていた価値観を、私たち自身が変える必要があります。 

「予行演習をさせられた日本」の記事でも書きましたが、 

既にこの時のために、そしてショックを和らげるために

前もって沢山の方々が強制的に価値観を変えました。 

・神戸、東北の大震災

・九州の地震 

強制的ではありますが、そして涙と大きな痛みを伴いましたが、 

その時を境に、ご自身の中の価値観が大きく変わられたことと思います。 

昨日 →日本の時代 でも書きましたが、

アインシュタインの感嘆の言葉や、ブッダの予言に在る通り、

世界的な大きな大きな変化、世界中が涙も涸れ果てるほどのいさかいの後 

世界の希望は、日本人の心にある「大和心(やまとごころ)」に託されています。 

私達平凡な一般人には、

・世界の果てまで行き、平和のために戦争に参加したり

・貧困にあえぐ多くの人々を救う 

そんな大きな力はないかもしれません。 

ですが、私たち自身の心を整えることはできます。

心を整えることで、身近な周りを幸せにすることができます。

ひいては地域や国、世界を幸せにすることができるかもしれません。 

全ては、私たちの心ひとつから始まります。 

では、言葉遊びではなく。綺麗な言葉を並び立てて終わるのではなく、 

実際に実践・行動できるように「私たちの心の何」が、大和心なのか?

書きたいと思います。 

今この時こそ、私たち日本人の心が試されているからです。 

どうしたらその心を取り戻せるのか?

  

大和心は、江戸時代の本居宣長の下記の短歌に端的に表されています。

敷島の やまと心を 人とはば

朝日に匂ふ 山さくら花

 

現代語訳は・・・ 

日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、

その麗しさに感動する、そのような心です。 

そして西洋の異人の人々でさえ、 日本の山に咲く、山桜を見たら、

大和心に目覚めるであろう・・・ 

そう言っています。

  

このような心をはぐくむために

神々は、4つのプレートが重なる地域に日本列島を作り 

そのプレートのせめぎあいで山や谷を作り、

その高低差で川が流れ、美しい自然をはぐくんできました。

そして日本は島国であるがゆえに、外敵にさらされることなく、 

・自然と共生する心

・自然を愛でる心

・自然や万物に感謝する心

・自然や万物、そして相手の中に神を見る心

を創られてきました。 

全部神々が計画したいわゆる 共生と順応の美しき心です。

  

これに対し、厳しい自然環境の中で生きていかねばならない諸外国では

自分の力で苦難を乗り越えねばならず、征服というキーワードで生きてきました 。

・自然を征服する

・病気の原因を細かく分類分けし、征服する。除去する。 

全てが対立という考え方からスタートします。

日本では環境に立ち向かうことなく、受け入れ、環境とともに生きてしまう。

そして順応し、自分を変えることで、

自分が進化することで、環境の変化を乗り越えてきました。 

日本人は、縄文の時代からずっとそれをやってきました。

ですから柳の木のように、しなやかで折れにくい強い心を持っています。 

この強さを恐れ破壊するために、根絶やしにするために戦後の統治政策が行われました。 

日本人の底力、神と共にある力を恐れたからです。 

アインシュタインが言った

科学の発達によって、外国はみんな武器を争って作って、お互いに戦争をやるだろう。

そして、最後に疲れ果てるだろう。

その時に本当の人生に目覚めるときが来るだろう。

それをするのが日本人である。

日本人の生き方というのは、人間の本当の生き方である。

そのような地球の未来が託された私たち日本人の大和心 

これを取り戻すには、日々の平凡な暮らしの中で、 

身近な周りの人々と 

・その違いを認め

・笑顔で助け合い

・おかげ様、お互い様の気持ちで 

・憎しみの心

・不平不満の心

・嫉妬の心を捨て

感謝の心で過ごしていくだけです。 

大それたこと、無理してくださいと言うことでは決してありません。

自分の心を整えるだけです。

その積み重ねが私たちの魂の中に眠っている大和心を揺り動かし

深い悲しみの後の世界に、平和と笑顔を広めてくれることでしょう。 

この日本人の優れた特質について今からちょうど100年前の1922年、芥川龍之介が

「神々の微笑み」で書いています。

あらすじをご紹介し、本日は終わりたいと思います。 

<引用開始> 引用元

 

十六世紀頃の戦国時代、キリシタン布教の全盛期。

ある春の夕暮れ、京都の南蛮寺の庭で、宣教師オルガンティーノは言い知れぬ不安に襲われていた。

風景は美しく、気候も温和で、人もまあ親しみやすく、布教も進んでいる。

しかしこの国のいたるところに、不安をあおる何かが満ちている。

オルガンティーノは夕の祈祷にて、日本の神霊と戦うための加護をデウスに祈る。

が、彼の目の前には日本神話の天岩戸の場面が幻想として現れる。

オルガンティーノはそのあまりの衝撃に気絶してしまう。

深夜、意識を回復したオルガンティーノは「この国の霊と戦うのは困難らしい」と呟く。

すると「負けですよ!」と姿なき声が聞こえる。

翌日の夕も南蛮寺の庭を歩いていたオルガンティーノは、

幾分か昨日の憂鬱を払しょくしているようだった。

数名の新たな入信者があったからだ。

しかし、そんな彼の前に、首に勾玉を下げた老人が現れる。

老人は日本太古の神の一人だと名乗り、オルガンティーノに語り始める。

この国にはデウスだけでなく、

孔子、孟子、荘子などいろいろな考え方、物や文字が渡来してきたが、

我々を征服することはできなかった。

たとえば、漢字はひらがなやカタカナに造り変えられ、

逆に我々が征服しているともいえる。

我々の力とは破壊するものではなく、まさにこの造り変える力。

デウスもまたこの国に取り込まれるかもしれない。

お気をつけなさい。

デウスが勝つか天照が勝つか、

いまは容易に断定できず、それは現在、そして未来の日本人の肩にかかっている。 

<引用終了>

 

※当時、産業革命をいち早く終えた西洋諸国による世界の植民地支配に先立ち、

宣教師たちが先遣隊として、世界に派遣されていました。



 

2022年3月17日木曜日

2639「日本の時代」2022.3.17

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年03月13日の記事を紹介します。


「日本の時代」


大正時代に日本を訪問したアインシュタインは、日本についてこう言っています。


科学の発達によって、外国はみんな武器を争って作って、お互いに戦争をやるだろう。

そして、最後に疲れ果てるだろう。

その時に本当の人生に目覚めるときが来るだろう。

それをするのが日本人である。

日本人の生き方というのは、人間の本当の生き方である。

そして、この日本列島にこういう日本人を造ってくださった神さまに、心から感謝する。


以上 引用終わり。

自然科学の研究も、究極までいくと、全ての真理に通じるところまで到達するのかもしれません。 

アインシュタインの言う「日本人の生き方」とは、大和心(やまとごころ)を持つ日本人の生き方のことです。

残念ながら敗戦後の愚民化政策により

表向き、日本人の大和心は抹殺されたかに見えますが、

神々が何万年もの年月をかけ、この日本列島と言う地政学的な有利な環境のもと 

はぐくんできたDNAは、そう簡単に無に帰すことはないでしょう。

ブッダの予言した 日本=ジャプトーバー 3千年王国のきっかけを作る国 

のお話と全く同じですね。

やまとごころに対する意識・心として、漢意(からごころ)と言うものがあります。 

西洋的な合理主義、善か悪かの完全なる二元論

しぜんは人間の便利のために征服すべきもの と言う思想です。 

クラリオン星人の小学生そうた君も、この単語こそ使っていませんが

日本・世界は、今まさにこの「からごころ」に席巻(せっけん)される瀬戸際とのこと。

私達平凡な一般人も、心のどこかで、

この2つのパワーのせめぎ合いを感じているのかもしれません。

日本人は、そのDNAに優れた特質を持っています。

例えば、日本人が働くというと、

「はた(周りの人)」を「らく(楽にする。楽しませる)」にするという意味を無意識のうちに持っています。

日本では本来、働くというのは、労働とかお金儲けという意味ではなく、

周りの人を楽にして、幸せにするという意味を持たせています。 

決してお金の対価として、いやいやながら労働しているのではありません。

これは日本人だけが持つ心の持ちようのようです。

西洋社会では、働くとは契約を交わし、 決められた範囲の中で労働力や、

自分の時間を使い、その代わりにお金をもらう。。 

という契約が重要な役割を持っています。 

そこに、相手を楽にしてあげよう。

楽しませてあげよう。。 などの気持ちは入りづらいようです。 

世界的なチェーンであるマクドナルドなども

「笑顔は0円」、笑顔での応対もマニュアル化されているようです。

こんなことがあったそうです。

海外の飛行機で旅行中の方がいらして、

CAによるコーヒーのドリンクサ-ビスがあったそうです。 

運悪く、コーヒーを注ごうとした途端、乱気流で

熱いコーヒーをお客様の洋服、ズボンにこぼし、散々なことがあったそうです。 

お客様も慌てますが、その当のCAは、

「これは、私の仕事ではありません」そう言うと、 

ズボンや洋服を拭くこともせず、奥に戻ってしまったのだそうです。 

確かに、乱気流によって起きたアクシデントの対処までは

契約条件になかったかもしれません。 

ですが、これがもし、古き良き日本の心を残しているCAであったなら、

きっと、親身になり、お客様の気持ちに共感し、

何らかの対処を一緒にしてくれたことでしょう。 

また別のお話になりますが、 

かつて、日本国内で、共産主義を代表とした階級闘争を行おうとした

有名な工作員のアルベール・トーマはこう言っています。 

「日本では家族制度が強固なため階級闘争、

つまり労働運動の激化を仕掛けることは非常に困難である。 

何故ならば、労働者は失業しても労働運動などする必要はない。

家族が暖かく迎え入れてくれるからである。 

この家族制度をなんとか破壊しない限り、日本へ階級闘争を持ち込むことは難しい」 

まさに、つつましくとも助け合って生きていた日本の家族の良さが分かるエピソードです。

江戸時代などでは、沢山の親無し子が巷に溢れていましたが、

おおらかな江戸の人々は、受け入れて、みんなで食べさせ、育てていました。 

もっとも日本人が、世界の中でも美徳にとみ、自然を敬い、家族を大事にし、

みんなで仲良く共存共栄し生活していた時代。 

それが縄文の時代でした。

以前、「ジャプトーバーの時代の始まり」 の記事でも書きましたが、

ブッダが生前、日本の時代の到来を予見していました。 

インドのはるか東方にジャプトーバーという国があって、

その国で自分の教えや考え方が正しく理解されなおす‥‥。

世界の歴史は、800年ごとの周期で、西洋文明、東洋文明の入れ替わりを行っています。

これは正確で、過去に一度も外れたことがないのだそうです。 

イギリスが覇権国であった時代、

東洋諸国は、西洋列強の前になすすべもなく植民地化が推し進められ

非常に貧困の状態に置かれました。 

その次の覇権国がアメリカ。

ドルが基軸通貨となりいくら借金をして、

未来の栄華を先取りしようと、平気な状態になりました。

西洋の栄華の時代は、ここへ来て、800年周期の変わり目の時期を迎えています。

次は、中国と誰もが考えていましたが、

今回の神々による建て替え(破壊)によって、様相が変わってきました。

今の日本は、戦後の占領政策によって古き良き日本の心、文化は破壊されました。

拝金主義に陥り、自由は過度に追求され、

自然を慈しみ、そして敬う畏敬の念は消えてしまいました。 

私たちの心を律していた道徳や、良心は軽視され、

人々は無気力になり、美しい利他の精神や、他人を敬う義理も消えてしまいました。 

ですが今、神々の起こした、大きな建て替え(破壊)が、

私たちの古き良きDNAを目覚めさせようとしています。

   

今の日本は世界から見れば、経済3流、政治4流と揶揄されています。 

従って建て替えが終わり、人々の手による建て直しが始まった時、

日本は、経済的に世界に覇権を誇示することはないでしょうが、 

眠っている縄文のDNAを思い出したとき、

きっと、世界を精神的にリードする国になっていることでしょう。 

それがまさにブッダが生前予言していた

ジャプトーバーの近未来の姿なのかもしれません。

夜明けは近いです。

もう少しの辛抱です。

それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。

愛を分けてあげてください。 

それが自分の身を助けることに繋がります。