2024年12月7日土曜日

3634「不幸は感謝のかくし味」2024.12.7

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月22日の記事を紹介します。


「不幸は感謝のかくし味」


今日は「置かれた場所で咲きなさい」の著書で有名な渡辺和子さんの言葉をご紹介します。

不幸は感謝のかくし味

そのような意味のお話です。 

転載するに当たって、解り易くするために、ところどころ意訳し補足してあります。 

<転載開始> 転載元

私どもの大学(ノートルダム清心学園)の正面玄関に、プロテスタントの牧師、河野進さんが書いてくださった、一つの小さな詩がかけられております。


天にまします父よ

どんな不幸を吸っても

吐く息は感謝でありますように

すべては恵みの呼吸ですから


学生でいるあいだは不幸の息をあまり吸わせないように、先生たちが配慮をいたします。 

しかしながら、卒業をして、その正面玄関を背にして出ていけば、

その先にある職場、結婚生活、社会には、

往々にして思いもかけないような不幸がたくさん漂っている空気が待ち構えています。

生きていくためには、その空気を吸わなければなりません。

思わぬ不幸を吸い込んでしまったとしても、

それをそのままで、吐き出す人になってほしくない。

さらに増幅して、大きな不幸にして

ほかの人に吐きかけるような人になってほしくない。

それを感謝に変えて吐き出す人、

それがある意味で本当に強い人であり、

本当に優しい人だと思います。

他の人が吸う空気を汚さない、その強さと、

他の人を思いやる優しさを学生たちに身につけて欲しいと願っています。

しかしながら、それは決して、簡単なことではありません。

私たちが生きていくうえで、この不幸の息をどうしても吸い込んでしまうとしたら、

人のせいにしないで、むしろその不幸を自分の中で感謝に変えていく。

そしてそれは、真珠がつくられていくのと同じプロセスだと私は思うのです。

真珠貝というものは、自分にとってあまり望ましくない異物が入ってきたときに、

それをいやがって吐き出してしまわないで、その異物の刺激により分泌される液で、

異物そのものを軟らかく、そして固く包んでいきます。

それを繰り返し大きくなったものが、真珠になるのです。

同じように、私も自分の生活の中に入り込んでくる異物、不幸を受けとめて、

私しかつくれない真珠を自分の一生涯をかけてつくっていきたいと思っています。

苦しいこと、いやなこと、私たちにとってマイナスの価値しか持たないもの、

それは必ずしも悪いものではありません。

それがなかったら、真珠がつくれないのです。

それがなかったら、感謝の息が吐き出せないのです。

そう思うときに、もしかすると、私たちの生活の中にいやなもの、苦しいこと、

そういうものがあっても、それを受けとめて自分なりに、

自分しかつくれない真珠に変えていける、

そのことを、ありがたいと思って生きなければいけないのかもしれないと思います。

毎日の忙しい生活の中で、私たちが木を切る手を休めて斧を見つめるということは、

ふだん気づかない、しかしながら身の回りにたくさん転がっている

ありがたいものを、ありがたいと気づくゆとりを持つ、

ということかもしれないと思います。

<転載終了>

幸運は不幸な顔をしてやってくる。

 

そう言われるように、往々にして、いえ、全ての不幸、苦難、病気、別離は、

私たちの心を強くしてくれます。 

たとえ一時、悲嘆の涙にくれようと。。 

そのような時こそ、神さまは、私たちをいつも以上に気にかけ、見守ってくださっています。

そして、私たちが、涙も枯れ果て、その苦難を受け入れて、前を向いた途端、

待っていましたとばかりに、幸せのシャワーを浴びせてくださいます。

それは、神さまの用意してくださった、試練を自分の力で、受け入れることができたからです。 

そうなれば、その結末が、どちらに進もうと、関係ありません。 

どちらであろうと行きつく先は魂の幸せです。

せっかく 神さまが、幸福をくださろうとして、先に、不幸に見える出来事を与えてくださっても、そこから目をそらし、何かモノや人に依存し、頼り、逃げてばかりいたら、 

せっかく用意してくださっていた、神さまの祝福を受け取ることができません。 

泣いても、叫んでも、そして例え運命を呪う言葉を吐こうとも、、

そんなことは神さまに取ったらどうでもよいことです。 

神さまが見ていらっしゃるのは、それをちゃんと自分のこことして受け止めたか?

受け入れたか・・・だけです。

そんな経験ができるのも、そこが、神さまが私たちを置いて下さった場所だからです。

神さまが私たちを置いて下さった場所では、いろんなことが起こります。 

笑いあり、涙あり、現実はドラマチックで、ダイナミックに過ぎて行きます。

そこで私たちは、希望に胸を躍らせたり、時には絶望の淵に沈むかもしれませんが、

幸も不幸もひっくるめてその醍醐味を味わいたくて、ここに生まれてきました。

そのような沢山の経験と、感情を味わい、私たちは、もと来た世界に戻ります。 

そこには形ある物を持って帰ることはできませんが、何物にも代えがたい経験は、 

持って帰ることができます。

そして神さまの用意してくださった、一見 苦しみに見える経験こそが、

私たちの魂を練り上げてくれます。

そしていつか、だれでも、きっと、どんな不幸を吸っても、吐く息は感謝でありますように、

そうなることができることでしょう。

全ての経験を、感謝に変えることができた時、私たちは、もう二度と肉体を持って

この地球に、生まれる必要はありません。 

「感謝」という行為こそ、私たち人間が神さまから与えて頂いた、最高の行為です。

皆様が感謝の内に、日々を過ごすことができますように。






2024年12月6日金曜日

3633「星の子供たち」2024.12.6

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月21日の記事を紹介します。


「星の子供たち」


今日は宇宙から地球に転生してきた子供たちのお話です。 

どなたも元々の魂の起源、ルーツを辿れば地球以外に由来しています。

例えば、歌手の谷村新司さんのルーツはプレアデス

1980年に発表された「昴-すばる」 

本人が著書の中で、この歌がプレアデスの同胞から受けたメッセージ

でできたことをカミングアウトしています。 

その歌詞の中には

 

目を閉じて 何も見えず 

哀しくて目を開ければ

荒野に向かう道より 

他に見えるものはなし

ああ 砕け散る 宿命の星たちよ

せめて密やかに この身を照せよ

我は行く 蒼白き頬のままで

我は行く さらば昴よ

 

銀河宇宙で起こったオリオン大戦のことが書かれています。 


ああ 砕け散る 宿命の星たち 

当時、プラズマや核爆弾を融合したような兵器が使われ

惑星ごと消滅させられたことなどもあったようです。

 

蒼白き頬のまま 

またプレアデス星人の肌の色は「青白」かったともいわれます。

オリオン大戦は、プレアデスだけでなく

リラ、ベガ、オリオン、シリウス、地球にも大きな影響を及ぼしたようです。

ベガは、こと座α星。こと座で最も明るい恒星で全天21の1等星の1つです。

七夕のおりひめ星(織女星(しょくじょせい))としてよく知られています。

ベガの文明は、ゼータ・レクティル文明、オリオン文明、シリウス文明と受け継がれていきます。

様々な情報では、地球に逃れてきた、はるかに進化した地球外知的生命体が

遺伝子操作などを行っていたともいわれています。 

東証一部に上場されている、船井総合研究所の創業者船井幸雄さんなども、地球に来た当時

この遺伝子操作を自ら行っていたことが著書で公開されています。 

地球に来た知的生命体が後のムーやアトランティス

その後のエジプト文明などに大きな影響を与えたと言われます。  

さて今日ご紹介する子供たちは、地球上の生命からの転生で、今世に生まれたのではなく、 

直接地球以外の惑星から地球に、今世に生まれたと言うことです。

それには深い理由、目的がありました。

それでは、産婦人科医の池川明さんのお話をご紹介します。

<転載開始> 転載元 

私は産科医として、母子の心身に健やかなお産を模索するうち、 

子どもたちに「胎内記憶」(子宮にいたときの記憶)があることに気づきました。

私の調査によると、小さな子の約2割に、胎内記憶があります。

さらにその前の記憶、つまりお母さんに宿る前のことを覚えている、というお子さんもいます。

子どもたちは、 

「雲の上のようなところでのんびり過ごし、どのお母さんのもとに生まれるか、

自分で決めて生まれてきた」と語ることが多いのです。

理生(りお)くんは、「にじ色の星から来た」と語っています。

不思議なのですが、

ここ数年、「他の星からやってきた」と語るお子さんが、とても増えています。

クラリオン星から来た 小学生の久松奏拓くんもそうですね。

ご両親は宇宙の話などしていないのに、お子さんから突然、

「ぼくは、太陽(土星、金星、他の星座)から、地球に来たよ」といいだしたりするのです。「星の子」の中には、第六感が優れていたり、芸術的な才能があったり、この世のルールに慣れるのに、ちょっぴり戸惑ったりするお子さんもいます。

かつて、私が聞き取り調査したときは、子どもたちは「生まれてきた理由」として、

・人の役に立つためにやってきた

・お母さんを助けるためにやってきた

と、語ることがほとんどでした。

ただ、星の子は、それに加えてこんなことをいいます。

・地球を助けるためにやってきた

理生君は、2011年3月4日に、「人間を自殺させるおばけ」の夢を見ています。

さらに、「世界の終わりは、もうそろそろだ」といった2日後に、東日本大震災と原発事故が起きました。

お母さんの紀子さんは、理生くんのファンタジーと思っていた世界が、現実世界と重なったことに、畏怖を覚えたそうです。

その後、理生くんは沖縄に移住しました。

現在は、琉球伝統の弦楽器、三線(さんしん)を愛する少年として、元気に暮らしています。

理生くんは、こんなふうにも語っています。

「戦争が好きな神様もいる。

でも、神さまは戦争できないので、人間にとりついて戦争させる。

ほんとうは、人間は、どの神さまとも心でつながって、おはなししなくてはならない」

「ウランの神さまは、悲しんでいる。涙ぐんでいる」

いま、地球は、さまざまな意味で、危機にあります。

それは、人が神さまとの、心の会話をなくして、我欲に、全てを費やすようになったことによって、生じているのではないでしょうか。

もしかしたら、現代という時代は、人が本来の生きかたを思い出すための、最後のチャンスかもしれません。

理生くんは、それを「すじみちを生きる」と、呼んでいます。

心の神さまは、外にいるのではなく、すべての人の心の中にいます。

どんな人の心も、神さまの心とつながっていて、その声を聞くことができます。

昔の人は、そのことを、

・お天道さまが見ているよ

・自分の心にはずかしくない生き方をしなさい

という言葉で、教えてきました。

私たちは再び、子どもたちに、「あなたの心の神さまは、なんて言っているの」と聞くことが、大切なのではないでしょうか。

星の子たちは、人が、神さまの心とつながることを忘れたために、危機にある地球を助けたくて、この世に生を受けたのかもしれません。

<転載終了>

ここでも、やっぱり私たちの内に居らっしゃる神さまのお話が出てきます。

やはり今の時代は、私たち全ての人の中に、神さまがいらっしゃる事・・・

その部分を突破口にして、先達たちの感化が行われているかもしれません。

私たち、みんなの心の中には「神さま」がいらっしゃる。

自分の中の神さまに気付くこと。

誰の中にも神さまがいらっしゃることを認めること。

人間のなす良きこと、その全ては、実は私たちの内に居らっしゃる神さまのみわざです。

私たちのものではありません。

私たち生きている人間は、その経験をさせていただいています。

そしてそれに伴う感情を味わあせていただいています。

これは生身の身体があるからできることです。

そのために地球に生まれ、肉体を頂きました。

「地球を助ける」とはどういうことでしょうか?

それは生きている私たち一人一人が力のある他の誰かに頼るのではなく、

自分の心の中の「神さま」と繋がることではないかと思います。

理生くんや、池川さんが仰るように、私たちは本当は「神さま」とお話しできます。

それは言葉だけではありません。

直感であったり、閃きであったり、自然の中に、神さまの働きを感じるかもしれません。

人々の優しい心に触れた時に、神さまを感じるかもしれません。

道端に咲く名もない草花の葉っぱの上に「朝露」の煌めきを見た時かもしれません。

意識さえしていれば、私たちの周りに、沢山の神さまの働きに気付きます。

神さまに触れることができます。

そんな時、自然と手が合わさり、感謝の気持ちが湧いてくるかもしれませんね。

私たち人間は、けして自分一人の力だけでは生きて行きません。 

誰かの迷惑にならずに生きて行くこともできません。

いろいろな個性の人がいます。

・健康な人も、

・病弱な人も。

・お金持ちの人も、

・貧しい人も。

・若い人も、

・年老いた人も

みんなみんな、お互いを認め、助け合い、お互いさま、お陰さまの気持ちを 

大切に生活したいものですね。

また地球は、私たち人間が征服すべきものではありません。

自然と闘い、人間の知恵でそれを克服し、人間の利益に供させるために地球があるわけではありません。

何十億年と言う時の流れの中で、地球も変化し、バランスを保ち、私たち生命が住める惑星になってきました。

そして私たちを懐に抱き、輝くような体験をさせてくれています。

人間のエゴや傲慢な心で地球を粗末にして良いわけがありません。

地球が、私たちを愛し、慈しんでくれているように、私たちも、地球を慈しみ大切にしたいものです。


2024年12月5日木曜日

3632「母と子の絆」2024.12.5

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月20日の記事を紹介します。


「母と子の絆」


子供の虐待、育児放棄など、子供にまつわる悲しい事件が多く起きています。 

家族は、人間関係を通じ、魂を磨くために神様が作ってくださった、基本となる最小の単位です。

そこの部分を大切にすることで、私たちの魂は磨かれ、輝きを増していきます。  

今日は小林多喜二のお話をご紹介します。

以前書いたこともあったのですが、別の切り口でご紹介します。 

<引用開始> 引用元

昭和の初め頃、小林多喜二という人がいました。

「蟹工船」という小説を書いた作家です。 

この小説は、蟹工船つまり蟹の缶詰を作る船の中で働いてる女性たちが、

もう本当に低賃金でお金をそんなにもらわないで、そして労働が激しい。

その様子を小林多喜二は、あまりにも可愛そうだからと小説に書きました。 

ところが何か国を批判したと何かで、とんでもないことになって

小林多喜二は警察に捕らえられてしまいました。

東京の築地署というところの監獄に入ってしまいました。 

ほかにも何かあったのでしょうけど、とにかくそれが理由で彼は監獄に入りました。 

頭は剃られ、いつも竹刀で打たれ、

大変毎日毎日苦しい生活を強いられました。

ところが小林多喜二を指導していた憲兵・警察の人が

「もうそろそろ命がこいつは無いだろう、もうすぐ死んでしまうのだから、

最後にお母さんだけ面会を許そうではないか」という事になりました。

お母さんは北海道の小樽です。

当時は2月で雪が寒む寒むと降りしきる小樽でお母さんは一人で生活をしていました。

お父さんはいないのです。 

多喜二のお母様

一人息子の小林多喜二は東京の築地署に連れて行かれ、お母さんは、一人で雪の中で生活していました。

そこへ築地署から一枚の手紙がやってきました。

「3日後11時から5分間面会を許す、5分でよかったら出頭しなさい」という手紙をもらいました。

多喜二のお母さんは、この手紙をもらったとたんに

まず「ああ多喜二に会える」五分間でも1分でもいい一目だけでも多喜二に逢いたい。 

ところがお金が全然無いんですね。

それから雪の中を駆けずり回って、その手紙を一枚持って多喜二に会えるんだから

どうか行きかえりの汽車賃だけ貸してくださいと。 

そしてやっとのことで東京に行って帰れるだけの汽車賃を借りることができました。 

その晩に雪の小樽を出発します。 

一人で今みたいに新幹線があるとか連絡船が便利だとかないんです、

全部各駅停車ですから雪が降ると止まってしまうんですから、 

そうするとですね雪の中をお母さんは、

ホームに飛び出して駅長さんに前の駅に汽車が止まっているか聞き、

駅長さんが電話で確認して「おばあちゃん前の駅に汽車が止まっているよ」というと、

雪の降る線路の中を真夜中に一人で歩き出したんです。 

みんなで「お母さんだめだよこんな真っ暗ななか一人で行けないよ」と言っても 

「多喜二に会えないから、11時1分過ぎてももうダメだから、

多喜二に会えないから」といって雪の中を一駅一駅つないだっていうんですから、 

そうしてやっとのことで10時半に東京の築地署に着きました。 

何も飲まず喰わずです。

さあその姿を見た警察官・憲兵は、あまりにの酷さに同情したんですね、

そうして練炭火鉢を持っていって「お母さん寒いでしょうあたりなさいよ」と、 

そうしたらお母さんが「いや多喜二はあたってないからいい」と言って

せっかくのその小さな練炭火鉢を面会所の脇へ置いてしまいます。 

それから今度は、その警官が朝食で食べ残したうどんを温めて

「お母さん何も食べてないんでしょ食べなさい」って言ったら

「多喜二は食べてないからいいです」と言って、

そのうどんも練炭火鉢の横に置いてしまいました。 

そうしてひたすら鉄格子にすがって多喜二が来るのを待っていました。 

11時ぴったりに多喜二が憲兵に連れられてきました。

お母さんの顔を見るなり多喜二は「お母さんごめんなさい」と言ったきり、

わぁ~と泣いてコンクリートに額をつけて上げない。

お母さんも着いたとたんにごめんなさいと頭をさげたから多喜二かどうかわからない。

頭は剃ってるし目はさけ口はさけてるしの状態でしたから、

そうしてたった5分の面会が1分たち2分たち3分たったときに憲兵が飛んできました

「お母さんあと2分ですよ、なんか言ってやって下さい」と、

そうして二人の警官と刑事が多喜二の耳をもって、「こらお母さんだ見ろ」と、顔をくっと上げました。

その多喜二の顔を見てお母さんがなんと言ったと思いますか?

「多喜二かぁ?」と言ったんです。「多喜二かぁ?」と2回言ったんです。

多喜二の文学碑(北海道小樽市)

自分の子供がどうかわからない、顔が変わってしまってる。

そしたら多喜二が「はい多喜二です」と言います。

そうしたら後残った1分30秒、多喜二のお母さんは何と言ったと思いますか?

鉄格子にすがりながら

「多喜二お前の書いたものは間違っておらんぞ」 

多喜二は間違っていたから逮捕されているのです。

多喜二のお母さんは文字が読めないんですよ。一行も多喜二の小説は読んだことがない。

しかも憲兵警察が悪者として捕らえられているんです。

しかし多喜二のお母さんは

「お前の書いたものは間違っとらん。お母さんはお前を信じとるよ」 

この言葉を残った時間1分数秒言い続けて、雪の小樽へ帰りました。

多喜二は、その三週間後に、この世を去ります。 

最後に憲兵が竹刀を振り上げて打とうとした時に、しきりに右手を上げて震えてる、

なんか言いたいだけども言葉にならない。 

そこで他の人が水を持って「一杯飲んで言いたいことがあったら言え」と言いました。 

そうしたら多喜二がその一杯のコップの水をぐーっと飲み干して

「待ってください待ってください。私はもうあなたの竹刀をうけなくても死にます。 

あなた方はこの3ヶ月私を地獄へ落とそう地獄へ落とそうと私をたたき、私をののしってきたけれども、わたしは決して地獄へは落ちません。 

なぜならば昔から母に信じられた男、

母に信じられた子供は必ず天国へいくという言い伝えがあります。

私のお母さんは、わざわざ5分間の面会のために、雪の中を小樽から東京までやってきて、

文字が読めない私の小説を一行も読んでいない母親が、おまえを信じてくれると私を信じてくれると、私はどんなことがあっても天国へいきます」

と言い残してぱたっと命を落とします。

多喜二が息を引き取った前田医院に入る母親のセキ

 

みなさんお母さんの愛は偉大です。

お母さんの愛は無条件です。子供が悪くてもお母さんだけは信じてる。

小林多喜二はその他のところで「僕の母は僕の太陽だった」と書いているんです。 

素晴らしいことですね。

わたしたちは今こうやって生きてますけどね、この命は36億年も前からずっと続いているんですよ。

私達の身体をそうやって何十億年産み続けてきたから僕達がいるんですよ。   

お母さんという役目はすごいんです。

君達の個人的なお母さんだけじゃなく、ずっーと命を続けてきたお母さん(女性)に

感謝の気持ちを常に持たないといけないと思うんです!! 

<引用終了> 

母性に満ちた、母の力は偉大ですね。 

もし皆さんに、夫や、妻がいられましたら、お互いを敬う言葉を掛けて差し上げて下さい。

夫婦が尊敬しあい、いたわりあえば、きっと子供たちも健全に育ちます。

そして多喜二のように、胸に輝く太陽を抱き、しっかりと自分自身を確立していくことが出来ますから。


2024年12月4日水曜日

3631「神さまと感謝の心」2024.12.4

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月19日の記事を紹介します。


「神さまと感謝の心」


ここでも、何度も書いていますが、神様の恩寵は感謝を媒体として現れます。

ですから、感謝し続けていれば、自分にとって悪い出来事は起こりようがありません。

逆に、憎しみの心がある限り、真の幸せは手に入りません。 

憎しみを手放さない限り、周りに毒をまき散らし、

ついには自分自身の精神と肉体を病ませてしまうことでしょう。

全ての出来事は、神々の許し、OKが出て初めて起こります。 

その目的は、その出来事を通じ、私たちの魂を磨き、

そして輝かせ、光を発しさせるためです。 

憎しみの心を手放し、まずは、身近な周りの人たちに

「ありがとう」、そう口にしてみてください。 

その瞬間から運命が変わりだしますから。

私たち人間は、誰もかれも、みな平等に、神さまの愛と、恩寵を受けています。 

ですが、それが実際に現れるか、現われないかの違いは

その本人に感謝の気持ちがあるかどうか・・

なのだそうです。

感謝がある所、それを媒介として、神さまの奇跡が現れることができます。  

今日はクリスチャンの立場から

・感謝

・ありがとう

について述べられている記事をご紹介します。

書いた方は、「置かれた場所で咲きなさい」で有名な、渡辺和子さんです。

ではご紹介します。

<転載開始> 転載元

「感謝なんて、とんでもない」としか思えない出来事があるものです。 

私が50歳でうつ病にかかり、

「神さま、なぜ、どうして」と詰め寄りたくなった時も、そうでした。

何も出来ない。死んだ方が良い」とさえ考えた私を、 

病院の一人部屋に置いておけないと考えたシスター達は、修道院に連れ戻してくれました。

「今まで人一倍働いたのだから、少しお休みなさい」と言ってくれました。 

大学の学長と修道会の管区長の両方を兼ねていた私への優しいいたわりの言葉でした。

修道院に見舞いに来てくれた1人の精神科の医師は、 

「この病気は信仰と関係ありません。きっと快くなります」と慰めてくれ、 

他の医師からも、「運命は冷たいけれども、摂理は温かいものです」と言われて、

うつ病になったのも、神の摂理だと考えるように、自分に言いきかせたものです。

※注 摂理とは・・ 

生まれてくる前に、私たちが神様と一緒に、これから生まれる自分の人生で、

起こる出来事、交わる人々、別れる時期など、細かく決めてきた内容のことです。

もとの自分に戻るのに、2年かかりました。 

今でもストレスが溜まると、うつ気味になることがあります。


マザーが来日した時に通訳を務めたのが渡辺さんです。

そんな私が、それでも感謝できるのは、病気をしたおかげで、他人に厳しかった私が、

少し優しくなれたことでした。

さらに「摂理」だったと思うのは、うつになり易い学生たちに、

「私も、うつ病になったのよ。きっと快くなるから、辛くても我慢しましょうね」と、

きれいごととしてでなく、言えるようになったことです。

「シスターもですか」と驚きながらも、安心した顔になる学生の顔を見て、

「やっぱり感謝」と言えるようになりました。

神さまに、「あの時は、お恨みしてごめんなさい」とお詫びする私になりました。

すべては恵みの呼吸なのです。

どんな不幸を吸っても、 

はく息は感謝であるよう心掛けたいと思います。

<転載終了>

渡辺さんは50歳を過ぎてから「うつ病」を発症しました。

それがあったからこそ、人々の苦しみ悲しみを理解することができ、

感謝の心を学んだのだそうです。

そう考えれば、渡辺さんのうつ病も「あらかじめ決められた出来事」

つまり摂理であったのでしょう。 

その苦難の最中は、苦しくて苦しくて、神をのろい、人をうらみ

死んでしまいたかったことでしょう。

ですが、その苦しみが、心の糧となり、

深い深い、愛の心の持ち主となったのかもしれません

私たちも、もし今、悩みのふちにあり、神や世間を呪っていたとしても、 

きっとそれが晴れる時が来ることでしょう。 

諸行無常、良きことも、悪きことも、

全ては、刻々と変化して、流れているのですから・・・ 

そして、その悩み苦しみも、神様とともに生まれる前、自分で決めてきた

摂理なのですから。

つい愚痴が出てしまう気持ちもよくわかります。

生身の人間ですから。

ですが、どのような苦しみ、悲しみの中にいようと、

私たちが、たった一人で、孤独に置かれることは一秒たりともありません。 

私たちが、気付こうと、気付くまいと、私たちの神さまは、必ず、傍らにいらっしゃいます。

今日の渡辺さんの記事、そのエッセンスは、私たちは温かな摂理のもとに生かされている、

そのような環境に置いてくださった、神様に感謝し、

私の人生に関わってくださった周りの人々に感謝して、

ありがとう・・  と

敵にも、味方にも・・

そう、言うことかもしれません。

自分の心が感謝で、溶けた時、神々の恩寵が、怒涛のごとく押し寄せることになります。 

現在、大和心(やまとごころ)、唐意(からごころ)の最終的な戦いの様相を呈しており、

非常に世界は混とんとしていますが、夜明けは近いです。

もう少しの辛抱です。 

それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。

愛を分けてあげてください。 

それが自分の身を助けることに繋がります。


2024年12月3日火曜日

3630「青空ひろば」2024.12.3

 今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。

1366 2024.11.28 ~1367 2024.11.29 

<許しの道>

「ゆるし(緩し、許し)」=「ゆるくすること」=「ほどくこと」=「(執着や憎しみを)手放すこと」

<「許し道」の実践ポイント>

① 自分といういのちの尊さと存在意義を知る。

・人はどこから来て、どこに向っているのか知る。

・今こういう人生を生きることが、大宇宙の要請であることを知る。

② 自己イメージの改善。

・「ほめ日記」。毎日5つ、自分のいいところ、いい行動を発見して書く。

③ 他者イメージの改善

・「感謝日記」。他の人が自分に示してくれた好意を5つ発見して書く。

④ 「今・ココ・自身」を生きる。


1365 2024.11.27 

Q.自分は自分に落ち着けないとどうなるのでしょう?

A.「頭」は過去・未来・他者・世界へとフラフラ漂う。

「過去」に漂うと、憎しみ、後悔、自己否定が身心を蝕む。

「未来」に漂うと、不安、恐れが身心を蝕む。

「他者・世界」に縛りつけられると、世界や他者にコントロールされ、身心を病む。

「坐禅」をすれば、「今・ココ・自身」に落ち着けるようになる。


1364 2024.11.26

Q.なぜ、自分がそのままの自分であればOKなのですか?」

A.自分が自分であるということが、大宇宙の要請(天命)だから。

自分が自分の人生を最後の日まで、精一杯歩みきることが「天命」なのだから(人にどう評価されようが…)。


1362 2024.11.24 ~1363 2024.11.25

<大敬の求道の旅>

(19歳から30歳代後半あたりまで)

影響を受けた師たち

(禅)内山興正老師,角倉蘿窓(らそう)老師,渡邊玄道師

(まみず会)和田重正先生,松居桃楼(とおる)先生,池辺素子先生

(神道)五井昌久先生,谷口雅春先生,金光教祖,黒住教祖

(30歳代後半から42歳まで)

師や教団や人との関わりを止めて、孤独の中で模索する。

(42歳から現在まで)

伊勢の内宮にお参りして、天命を授かり、その役割を果たすことに努める。次第に道の仲間も増え、楽しい、にぎやかな晩年をむかえることが出来た。

Q.大敬先生の求道の結論は?

A.結局、自分が自分であればいいのだと分かった。

人は誰でもアチラの世界で天命を授かって地上に降りてきている。

だから、外に、外にと求め、求めて、結局ダメだったと断念して、自分に戻ってきたところが、天命を自覚する瞬間。


1361 2024.11.23 

Q.許すとはどういうことでしょう?

A.「ゆるし(緩し、許し)」とは、「ゆるくすること」、「ほどくこと」です。

① 緊張や束縛を弱めて、自由に動けるようにすること→自身の許し

② しっかり捕らえていたものを手放す、逃がしてあげる→他者の許し

③ 他のものの権利・自由を認め、受け入れる

自分を許せるようになれば、他者を許せるようになります。


1360 2024.11.22

Q.身心がほどけるとどうなるのでしょう?

・大宇宙の意志の流れ(神流ら、フロー)に気づく。その「大意志」が、あなたを必要として、あなたを生み出したことが分かる。

・無理・無駄な努力が必要なくなり、自然に順調に事が運ぶ。

・否定的な自・他・世界イメージが消えて、あなたも世界も新生する。

・あなたが最高に力が発揮できる場に自ずから運ばれる

・想いがすぐ叶うようになる(シンクロニシティ)。

・ハッピーハプニング(セレンディピティ)が連続する。

・「今・ココ・自身」の絶え間ない「流れ」しかないことが分かる。


1359 2024.11.21 

Q.大敬先生は、どんな事に注意して坐禅されているのでしょう?

A.

・坐禅は全身で組む「坐禅印」(自分を許し、人を許し、世界を許し、抱擁する印)であることを信じて坐っている。

・「あたま」の作業を持ち込まないで、ただ「からだ」で坐っている。

・雑念・妄想がいっぱいでも、そんな状態を鎮圧しようと戦わないで、ただ坐っている。そんな自分も認め、受け入れ、許す坐禅。「そんな時もある」

・いい坐禅、悪い坐禅という「あたまの判断」を信用しないでただ坐っている。


1358 2024.11.20

Q1.大敬先生は、なぜ坐禅されるのですか?

A.坐禅すれば、「身心が楽」だから。

Q2.なぜ坐禅すれば、身心が楽になるのですか?

A.坐禅すれば、身心の「固まり」が自ずと「ほどける」から。「ほどける」と、身心の気の循環が正常になる。「存在の喜び」が自然に、いのちの内側から湧き出してくる→「身体からの自然発光」,「微笑みの坐禅」

「ほどけ」=「ほとけ(仏)」  身心のほどき→他者、世界のほどき


1537 2024.11.19

Q1.大敬先生の長年の求道の末の結論は?

A.結局、自分が、ありのままの自分であればいいと分かった。

(参考文献)ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』

Q2.なぜ、自分がそのままの自分であればOKなのですか?

A1.自分が自分であるということが、大宇宙の要請なのだから。

A2.自分が自分の人生を最後の日まで、精一杯歩みきることが、私に与えられた「天命」なのだから。

Q3.自分は自分に落ち着けないのは、どうしてでしょう?

A.「坐禅」をすれば、「今・ココ・自身」に落ち着けるようになる。

アタマを暴走させると、「今・ココ・自身」という本来の居り処から外れて、過去・未来・他者・世界へと、意識が片寄ってしまう。

「過去」に片寄ると、憎しみ、後悔、自己否定が身心を蝕む

「未来」に片寄ると、不安、恐れが身心を蝕む

「他者・世界」に執着すると、世界や他者にコントロールされ身心を病む


1536 2024.11.18 

<布施行とは?>

布施行(ふせぎょう)は、徳を積むために、一番効果がある実践。

財施(ざいせ):お金や物品を、つらい立場の人や動植物や環境のために差し出す実践。

身施(しんせ):足を運び、手を差し伸べて行うボランティア行。

和顔愛語施(わがん あいごせ):微笑みといたわりの言葉で相手に接する実践。

随喜施(ずいきせ):人の喜びを我が喜びとする実践。

法施(ほっせ):① 真理の話をする。② 真理の話が聞ける場を企画し運営する。

③ 真理の書を印刷、配布する「印施」④ お経(真理の書)を唱える。


1535 2024.11.17 

<雲谷禅師の徳積みポイントリスト>(3000ポイント集める)

※ 時代に合わせて改変しました。全体リストは『出雲記伝』に掲載しています。ここでは、1ポイントの徳積み行だけを紹介します。

◎ 1ポイントにあたる徳積み行

・職場に入る前に仲間がしあわせでありますようにとまず祈る。

・同僚が功績をあげたら心から祝福する(随喜)。

・人から好意の言葉や行為を受けたら必ず感謝の気持ちを伝える。

・同僚の悪口を言っている人がいたら、その場から立ち去るか、話題が変わるように誘導してあげる。

・同僚が仕事に手間取っていたら、さりげなくサポートする。

・同僚の仕事に欠陥があれば、ひそかに補ってあげる。

・同僚が仕事で不手際があっても、他の人の前で大声で叱らない。こっそりやさしい言葉で諭してあげる。

・職場の仲間の間にいさかいがあれば、和解に導いてあげる。

・鳥獣の死体(放置自転車など)があれば埋めてあげるか、役所に連絡する。

・食事の前に頂きますと祈る。

・物品を廃棄するときは、これまでの貢献を感謝してから処分する。

・道路や廊下やトイレにゴミが落ちていればサッと始末する。

・ご縁のある寺社に参拝する。


1534 2024.11.16

<雲谷禅師の開運術>

○[根本原理]

「心」の状態が、これからの「運勢」を決定するのだから、しあわせを生み出すような「心」の状態にすればいい。

○[運勢を改造する方法]

① 徳を積む(心のエネルギーを増やす)。

② 無心になるトレーニングをする(心の雑音を減らす)。

③ 心の中央にこうでありたいという想い(願い)を据える。


2024年12月2日月曜日

3629「小欲知足」2024.12.2

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月18日の記事を紹介します。


「小欲知足」


今日のお話は「小欲知足」ということで、

九州のお寺さんのお話をご紹介します。

これから始まる新しい世の中、 

そしてそこまで行くまでの間の、変化の波の中で、

一番大切な心かもしれません。 

「小欲知足」とは、欲が少なく、わずかなもので満足すること。 

そんな意味です。

一番大切なことは、 

幸せや満たされた日々の暮らしが

当たり前のことではないと言うことです。 

<転載開始> 転載元 

不平というのは不足の心から生まれます。

不足の心を持つと心が貧乏になっていきます。 

「あれもない、これもない」

「ああしてもらいたかった、こうしてもらいたかった」と。

「小欲知足」という言葉があります。 

小さな欲で足りていることを知ったら、

私たちは毎日楽しく生きられると思います。 

「あれもない、これもない」と思って生きるのと、

「これだけあれば充分。これだけあればいいじゃないか」と思って生きるのとは、

どちらが楽しい人生か、容易に想像がつくでしょう。

昨年、茨城県に住んでいるTさんという31歳の男性から、

「お寺で1日修行をさせてほしい」と電話が掛かってきました。

私の寺は九州ですから、いつもだったら「わざわざ九州まで来なくても、

お近くのお寺で修行をしたらどうですか」と言っていたと思います。

でもなぜかその時は、「いいですよ。いらっしゃい」と言ってしまったんですね。

よほど居心地が良かったのか、

Tさんは1カ月間も修行されていかれました。

そして朝から晩まで働く中でこんな話をしてくれました。 

Tさんは以前、100日かけてお遍路を回ったことがあったそうです。

その道中で、会った人たちから、

おまんじゅうや果物、おにぎりをよくもらうようになりました。

宿がなくて困っている時に、「よかったらうちに泊まってください」と言ってもらえたり、

お風呂を貸してもらえたり、本当にありがたいことをたくさんしてもらったそうです。

ある日、Tさんが寺を訪れるとすでに閉門していました。

これではお参りができません。仕方ないので明日の朝一番にお参りしようと思い、

Tさんはそのお寺の軒下に寝袋を広げました。

しばらくするとその寺のご住職が出てこられて、彼に向かってこう言いました。

「いい若者がこんなところで何をしているんだ!

おまえたちのような若者がいるから日本はちっともよくならないんだ。

人の情にすがらずに生きていけ!」

叱られてTさんはそこを立ち退きました。悔しくて涙が出てきました。

「何もあんなに言わなくても」と思ったそうです。 

でも彼はふと立ち止まって考え直しました。

「あれはお不動様が教えてくださったのではないか」と。

自分は人の親切がいつの間にか当たり前になっていた。

人から物をもらう時、初めは「ありがたい、ありがたい」と思っていた。

でもいつの間にか、もらえないと「どうしてくれないのか」と思うようになった。

宿に泊めさせてもらえる時も、最初はとても嬉しかった。

でもいつの間にか、寝袋で寝なくてはいけない日は、

「どうして今日は野宿なのだろう」と不足の気持ちが出るようになった。 

門が閉まっていると、「もうちょっと開けてくれてたらよかったのに」と思うようになった。

そんな私の不平の心を、お不動様がご住職の口を借りて教えてくれたのではないか。

Tさんは次の日の朝、そのお寺にお参りし、

ご住職に「ありがとうございました」とお礼を言って帰られたそうです。

何か自分に嫌な事を言う人がいたら、

「あぁ、言ってくれてありがとうございます」と思える自分でありたいものですね。

<転載終了> 

私たちは、日々の暮らしの中で 

・家族がいてくれること

・暮らしを支える仕事があること

・病気でないこと

・目が見えること、音が聞こえること、食べることができること、歩けること 

このようなことが当たり前のことと、思いがちです。 

ですが病気をしたり、失業したり、家族を失った時、 

その当たり前だった暮らしが、

どんなに奇跡の連続で保たれ、有難いことであったかを思い知らされます。 

日々の何気ない暮らしは、有難いこと・・その連続で保たれています。 

それをしてくださっているのは、私たちの内に居らっしゃる神さまです。

日々の暮らしの中で、小さな小さな「幸せ」探しをしてみませんか?

小さな幸せは、あちこちに沢山あります。 

そしてそれに気付けたら、感謝の気持ちが自然に起こってきます。 

その感謝の気持ちこそが、私たちが幸せになるための一番大きな秘訣です。


2024年12月1日日曜日

3628「つかの間の地球」2024.12.1

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月16日の記事を紹介します。


「つかの間の地球」


今日はレインボ-チルドレンのまりなちゃんのお話を書きたいと思います。 

まだ子供なので、難しい言葉遣いもせず、さらっと話すのですが、

その内容は、まさにブッダやイエスが仰っていたこと、そのままです。 

ですので尚更、ブッダ達の意識が宇宙神に根差していたことが分かります。

では、まず感情について 

感情とは、肉体に伴うもの・・

6種類の代表的な感情・・・

・喜

・怒

・哀

・楽

・愛 (いとしみ)

・憎 (にくしみ) 

肉体をまとって、初めて味わうことのできるもの。

宇宙(天)での生活では感情はない。 

ただ生命の躍動感を感じ、イキイキと命を輝かせていただけ・・

・心地良いか

・心地が悪いか

があるだけ。。 

つまり、

憎しみの心も、肉体を脱げば(天に帰れば)消えてなくなる

と言うことです。

生まれた時には、どの赤ちゃんも、

憎しみや恨みの心を持ってきていません。 

成長するにつれ、環境から、その心が芽生えてきます。 

誰一人生まれながらに悪人はいません。 

ただ生まれてくるときに、

そのようなシナリオ(脚本)を書いてくるだけです。

その感情を味わってみたいから。。 

あまりにもシリアスな人生の脚本を書いてくるとき 

例えば

・重い心や身体の病気

・夭逝(ようせい--子供の内に早くに亡くなる)

・親に深い悲しみを与える

・社会的に悪とされる行為を行う 

などでしょうか。。 そのような時 

このような厳しいシナリオを受け入れてくれる両親は、

一体どんな人たちなのだろう・・ 

と想像するのだそうです。 

まさにこれらの出来事は、本人にとっても、

受け入れる家族にとっても、難易度の高い課題です。 

神々に近い高貴な魂たちなのでしょう。

それゆえに、天に戻った時、

どんなに深い喜び、魂の共感、神々からの祝福に包まれることでしょう。 

成熟度がまだ低い場合には、

このような試練(厳しい環境を選んできた子供たち)は与えられないでしょう。

ですから、もし皆さんの目の前に、

何か問題が立ちはだかったり、悩みや苦しいことがある場合には、 

こう考えて欲しいのです。 

この、つかの間の地球で、

魂を揺さぶるような

・悩み

・苦しみ

・悲しみ

・悔しさ

・後悔 

の機会を与えてくれて「ありがとう」

そのような憎まれ役を、あえて引き受けてくださって「ありがとう」

私は、泣いたり笑ったりするけれど、

ここでしか味わえない、その感情をしっかりと味わって 

それでも、そのことを 

・心の糧として、

・心を磨く研ぎ石として、

感謝の息吹に変えて見せましょう。

つかの間の地球

そこで出会ってくれてありがとう! 

私たちを、この地球に送り出してくださった方々も

きっと、そう望んでいらっしゃることでしょう。