2026年1月8日木曜日

4131「させてくださって、ありがとう」2026.1.8

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年12月27日の記事を紹介します。


「させてくださって、ありがとう」


不動明王(ふどうみょうおう)は、仏教の信仰対象であり、

密教特有の尊格である明王の一尊。 

日本では一番親しまれている神様かもしれません。 

不動明王は大日如来の化身とも言われ、

また五大明王の中心となる明王でもあります。 

真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の

日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。とのこと。

またお不動様のお姿は、

奉仕をする心の大切さを私たちに教えるため、

奴僕の姿になっているそうです。

奴僕とは召使(めしつかい)を意味する言葉で、

献身的に他者に奉仕する者を指します。

お不動さまは、あらゆる人びとを苦しみから悟りの世界へ救い導くために、

青黒色の肌をした奴僕の御姿となって、

私たちを御加護くださっているのだそうです。

今日は、お不動様のお力の一つである、

この「奉仕の精神」について書きたいと思います。

何事にもよらず、人に何かをしてあげる・・ のではなく

何かをさせていただく、という精神は尊いものです。

・人のために汗水流し、時間を費やすことは、自分にとって損なことだ。

・何々してあげたのに、何の感謝もお礼もない。私を特別扱いしてくれない

そんな考え方の人が居る一方、

人さまに奉仕することは、天上に貯金を積むこと、徳を積むことに繋がる、

人が喜ぶだけでなく、巡り巡って多くの人を幸せにして戻ってくる、

そんな風に考える人もいます。

このことに関して、ブッダのお話をご紹介します。

「させてくださって、ありがとう」というお話です。

小林正観さんのお話より、ご紹介します。

<引用開始>

ブッダを取り巻く集団(サンガと呼びます)は、 

当時できるかぎり自分でできることは自分でやり、

どうしても自分ではできないことを

他人にやってもらうという形をとっていました。

ブッダを取り巻く集団では、何か人に頼むとき、

こういう呼びかけをしていたらしいのです。

「誰か、私に施しをし功徳(くどく)を積んで、

幸せになりたい人はいませんか」

誰かに「施し」をすることは、 

「他人のため」ではなく、

「自分のため」であったというのは驚くべきことです。

当時のブッダの集団は、

小さな布切れを拾ってきてはそれを縫い合わせ、

それぞれの人の衣にしていました。

あるとき目が見えなくなった弟子が、

布切れを縫い合わせて衣を作ろうとしました。

しかし、まず最初のことである、

「針に糸を通す」ことができません。

彼は、大きな声で、

「どなたか、私に施しをし功徳を積んで、幸せになりたい方はいませんか」と

周りの人に呼びかけました。

すると目の前を通りかかったらしいある人が、

「私にやらせてほしい」と言いました。

「えっ、その声はお師匠様ではありませんか」

ブッダが、ちょうどその弟子の前を通りかかったのでした。

「それはそれは、大変、失礼なことを申しました。

お師匠様にそんなお願いをするわけには参りません。

今の言葉はお聞き流しください」と、その弟子は言ったそうです。

まさか、ちょうどブッダが通りかかるとは思っていなかったでしょう。

慌てて驚き、恐縮した気持ちは理解できます。

弟子から「そんな大それた」と言われたブッダは、

その時こう言いました。

「なぜだ、なぜ私ではいけないのか。 

私だって幸せになりたいのだ。

私だって、もっと幸せになりたい」

ブッダは、ありとあらゆる執着を離れることができ、

すべての苦悩・煩悩から“解脱”した方です。

何も悩みはなく、十分に幸せになっていた人でした。

その人が、「私も幸せになりたい」と言ったというのです。

なんと素敵な一言でしょう。

「幸せになりたい方はいませんか」という呼びかけは、 

「私」だけでなく、周りの沢山の人を「幸せ」にしていくようです。

何かをしてもらって「ありがとう」と言うのは、 

「ありがとう」の言霊の凄さの

半分くらいしか使っていないのかもしれません。

「ありがとう」は、してもらった時だけでなく、 

こちらがしてあげた時、させていただいた時にも使えるのです。

させてくださって、ありがとう

人のためではなく、自分からしてあげることで 

沢山の「ありがとう」(させてくださって、ありがとう)を言うことができるというのは、何とも楽しいことではありませんか。

<引用終了>

今の今、悩み苦しみ、悲しみの最中にある方にとって、 

人のために、何かを「させていただく」ことは、非常に難しいことかもしれません。 

自分のことで精一杯ですから。 

ですが、そういう時こそ、

一旦、自分の悩み苦しみ、悲しみを、かたわらに置いておき、

周りの人々を見渡し、

誰かのために、自分に何かできることはないか、探してみてください。

神様は絶対に、その姿、心を見ています。

それこそが、悩み、苦しみ、悲しみからの脱却の早道だからです。 

もし、1年前の悩み、苦しみを正確に覚えていらっしゃる方がいらしたら・・ 

その悩みや苦しみは、365日、24時間、ずっと続くものでしたか?

・時には忘れることはなかったですか?

・時には笑顔になることはなかったですか?

・延々と続く、どん底の状態だけでしたか? 

そういった類の苦しみは、

まさに人生の中に組み込まれたエポック(引き金)です。 

それを起点として、ぐるっと人生を変化させるためのものです。

何のために、神様はその苦しみを人生に組み込んだのか? 

生きている間はわからないかもしれませんが、 

少なくとも、生まれる前に、神様と計画してきた出来事は、

生死を超えて意味を持ちます。

・生きる、死ぬ

・健康、病気

・富む時、貧困の時

・出会い、分かれ

・苦しみ、楽しみ

・悲しみ、喜び

人間側にとっては、どれも一大事ですが、

それらは神様の目や、生まれる前の魂としての自分自身から見たら、

単なる舞台装置でしかありません。

それらを利用して、人間に神仕組みのドラマを演じさせます。

そしてドラマを通じ、魂を磨き、輝かせようとします。 

そうであるならば、悩み、苦しみ、悲しみの中にあろうと、 

・流れる状況、環境に身を任せ、

・置かれた環境の中で 

そんな中でも、周りの人々を見渡し、 

誰かのために、自分でも、何かできることはないか、

やってみても良いかもしれません。 

今は目の前の、できることを精一杯するしかありません。 

諸行無常ではないですが、 

どんな状況も固定化して、永遠に変わらないことなど存在しないからです。

どんな状況も 目には見えなくとも、

・少しづつ変化しています。

・少しづつ状況は変わっています。 

地球は、そのような作りになっています。

神様が魂の進化のために、そうお創りになりました。 

それであれば、 

「させてくださって、ありがとう」と

感謝の気持ちで言える自分でありたいものですね。

その心の方向性こそが、 

明日からの状況の変化の方向を決め、運命を導くものだからです。

どなたかにした親切な行いは、

巡り巡って、いつか自分が親切にされるという現象として帰ってきます。  

誰かを幸せな気持ちにさせてあげれば、

いつか自分も誰かに幸せな気持ちを分けていただけます。 

この宇宙に存在するものは、全て繋がっています。人体と同じです。 

一つ一つの細胞は、一人一人の人間は、それぞれ独自の役割、個性を持っており、

それらが助け合い、連携することで、

調和して維持され、進化していくことが可能になります。  

一つとして、誰一人として、無駄なものはありません。 

神さまは決して無駄なものを創造しませんから。

みんな大切なものです。

「俺が俺が」、「私が私が」ではなく、周りの方、みんなを大切に思い、 

お互いの個性を否定せず認め、お互いさまの心、

随神の道(かんながらのみち)を歩んで行きたいものですね。

そのような心持こそが、

ご自分自身が、幸せに生きて行くための王道であり、秘訣なのですから。 


2026年1月7日水曜日

4130「日暗黒時代ではなく「滅亡」に突き進んでいる」2026.1.7

今回はIn Deepさんの2025年12月22日の記事を紹介します。


「暗黒時代ではなく「滅亡」に突き進んでいる」


暗黒時代ではなく「滅亡」に突き進んでいる - In Deep

中世ヨーロッパの暗黒時代の直前とほぼ同じ

アメリカの保守派の政治評論家で、カリフォルニア州立大学フレズノ校の名誉教授など多数の肩書きを持つビクター・デイヴィス・ハンソン氏という方が、「暗黒時代が再びやって来るのか?」というタイトルの記事を寄稿していました。

ハンソン氏は保守派である上に(今でもそうなのかどうかはわからないですが)『トランプの擁護論』という著作まで出しているトランプ派の人物ではあり、内容には、やや一方的な面はあるのですが、ひとつひとつの文章の断片は、「新しい暗黒時代に入る予兆を正確にとらえている」と思います。

それらのフレーズについては、後半で補足させていただくとして、それほど長い文章でもないですので、まずはご紹介させていただきます。

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暗黒時代が再びやって来るのか?

Can the Dark Ages Return?

Victor Davis Hanson 2025/12/18


西洋文明は紀元前8世紀のギリシャで勃興した。 400年にわたる暗黒時代、無学で曖昧な時代を経て、約 1,500の都市国家が誕生した。

この混沌は、ミケーネ文明の宮殿文化が完全に崩壊した後に起こった。

しかし、再び現れたのは立憲政治、合理主義、自由、表現の自由、自己批判、そして自由市場であり、現在私たちが独自の西洋文明の基盤として知っているものだ。

ローマ共和国はギリシャのモデルを継承し、強化した。

共和国とそれに続く帝国は千年にわたって西洋文化を広め、最終的にはキリスト教と切り離せないものとなった。

大西洋からペルシャ湾まで、ライン川とドナウ川からサハラ砂漠まで、西暦 5世紀に西ローマ帝国が崩壊するまで、100万平方マイルの地域に安全、繁栄、進歩、科学が広がっていた。

その後、およそ西暦 500年から 1000年にかけて、ヨーロッパで第二の暗黒時代が続いた。

人口は減少し、都市は浸食され、ローマの道路、水道、そして法律は崩壊した。

古代ローマの属州に代わって、部族の族長と領地が出現した。

かつてはローマ法によって辺鄙な地域の農村住民も保護されていたが、暗黒時代には壁と石だけが安全を保つ手段だった。

ついに 11世紀末に、ギリシャ・ローマ文明の複雑な世界の古い価値観とノウハウが徐々に復活した。

このゆっくりとした復興は、後にルネッサンス、宗教改革、そして最終的には 17世紀から 18世紀の 200年にわたるヨーロッパ啓蒙主義の時代における人文主義者や科学者によって活性化された。

現代のアメリカ人は、私たちの現在の文明が西洋で 3度目の自滅を起こし、貧困と残酷さに満ちた暗黒時代が続くなどとは誰も信じていないだろう。

しかし、部族主義への回帰、そして、かつての、科学、テクノロジー、法の支配の喪失の原因は何だったのだろうか?

歴史家たちは社会崩壊の原因をいくつか挙げているが、それらは今日では忘れがたいほどよく知られている。

人間と同じように、社会も老化する。そして、自己満足が生まれる。

西洋を築き上げた勤勉さと犠牲は、富と余暇も生み出した。しかし、後世の人々にとって、こうした豊かさは当然のものとなった。成功を生み出したものは、やがて無視され、あるいは嘲笑の対象にさえなった。

支出と消費は所得、生産、投資を上回っていた。

子育て、伝統的価値観、強固な防衛力、国への愛、宗教心、実力主義、経験主義の教育は消え去った。

自治権を持つ市民からなる中流階級は消滅し、社会は少数の領主と多数の農民に二分された。

部族主義、つまり人種、宗教、あるいは共通の容姿に基づく文明以前の絆が再び現れた。

国家政府は地域的および民族的な飛び地に分裂した。

国境は消え、大量移民は抑制されず、古くから蔓延する反ユダヤ主義という脅威が再び姿を現す。

通貨はインフレし、その価値と信頼を失う。行動、発言、服装、そして倫理観における粗野さが、以前の規範に取って代わった。

交通、通信、インフラはすべて衰退した。

必要な薬が病気よりも悪いとみなされるとき、終わりは近づいていた。

これが西暦 450年頃の西ヨーロッパの生活の様子だ。

現代の西洋も同様の危険信号を発しているかもしれない。

ほぼすべての西側諸国において出生率は 2.0を大きく下回っている。

公的債務は持続不可能な水準に近づいている。ドルとユーロの購買力は大きく低下している。

大学では、西洋の過去の知識人の功績を尊重するよりも、非難する方が一般的だ。

しかし、平均的な西洋人、特にアメリカ人の読解力と分析力は着実に低下している。

一般の人々は、エンジニアや科学者のエリート集団が作り上げる、かつてないほど洗練された機械やインフラを操作したり理解したりできているのだろうか?

国民は、国境を守ろうともせず、集団防衛に十分な資金を費やそうともしない、腐敗したエリート層への信頼を失っている。

治療法は軽蔑される。

私たちは、悪化の一途をたどる財政赤字、持続不可能な債務、腐敗した官僚機構や公的給付制度といった問題に取り組む勇気があるのだろうか?

改革について言及するだけでも、「貪欲」、「人種差別的」、「残酷」、さらには「ファシスト」や「ナチス」と中傷される。

現代では、絶対的な価値観に代わって相対主義が台頭し、ローマ帝国末期の不気味な再現となっている。

批判的法理論では、犯罪は実際には犯罪ではないと主張される。

批判的人種理論は、社会全体が陰湿な偏見の罪を犯しており、金銭による賠償や入学・雇用における優遇措置を要求していると主張される。

サラダボウルのような部族主義が、古い人種のるつぼの同化、異文化適応、統合に取って代わった。

現代のアメリカははるかに裕福で、はるかに暇で、はるかに科学的であるにもかかわらず、ニューヨークを歩いたり地下鉄に乗ったりすることは 1960年より現在のほうが安全だろうか?

今の高校生の数学の得意度は、70年前と比べてどうだろうか?

映画やテレビは 1940年代の方が面白くて高尚なものだっただろうか。それとも今の方が面白いだろうか。

1955年当時において一般的だった核家族、両親揃った家族は、現在は一般的だろうか?

私たちの周りの社会全体が不安定になっているように見える中でも、私たちはこれまで以上に長く健康な生活を送ることができて幸運ではあるかもしれない。

しかし、西洋は歴史的に見て、独特の自己内省と自己批判を持っている。

歴史的に見ると、暗黒時代への逆戻りよりも改革とルネサンスの方が一般的だ。

しかし、衰退を治す薬には団結、誠実さ、勇気、行動が必要だが、これらは現在ソーシャルメディアや大衆文化、そして政治家の間で不足している美徳となってしまっている。

________________________________________

 

ここまでです。

これはアメリカの話としていますが、西側世界全体の共通項目も多く、この中のいくつかの部分と参考資料などを提示させていただきます。


ネアンデルタール人の道をたどっている

まず文章に、

> およそ西暦 500年から 1000年にかけて、ヨーロッパで第二の暗黒時代が続いた。

という部分があります。

この暗黒時代に先駆けて何が起きたかというと、この時も実は「大幅な人口減少がヨーロッパで起きた」のです。

これは、以下の記事などで取りあげたことがあります。

・地球では「絶滅に先んじて人口減が起きる」 : ローマ帝国、古代ギリシャ、ネアンデルタール人…これらの滅亡に共通しているのは「出生率の減少」だった。なら今の地球は

In Deep 2019年6月5日

以下のような下りを抜粋しています。


ローマ帝国の衰退と崩壊

皇帝たちは、独立性と独創性において「逆優性」の立場を取り、子孫を作ることに熱心ではなかった。そのため、社会の中で子どもを作るのは、当時の奴隷の人たちが中心となっていった。

そして、ローマ帝国の総人口は、西暦 100年ころから急激に減少し始める。

最終的にローマ帝国が崩壊に向かう時には、出生率の低下を伴った。特に、上流階級の間で出生率が低下した。また、乱交や中絶、あるいは間引きが乱発した。

人口が減少する中で、ローマの兵士にローマ人以外が据えられ、皇帝にさえもローマ人ではない人物があらわれた。また、皇帝たちは性的な倒錯にとりつかれた。

古代ギリシャと古代ローマを研究する現代の歴史家たちは、これらの文明の衰退の始まりには、出生率の低下を伴っていたことを述べる。多くのギリシャ人やローマ人が、子どもを産み育てるということを望まなくなっていた。

先ほどのIn Deep の記事には、ネアンデルタール人も、「若い女性が子どもをつくらなくなった」ことにより、最終的に絶滅したという論文をご紹介していますが、これはあくまで学説的な推定です。

出生率の急激な低下の時代から暗黒時代にいたるまで、中世のヨーロッパで 400〜 500年くらいかかかり、ネアンデルタール人の滅亡では、4000年から 10,000年かかったと考えられていますが、今は物事が進むのが早いですからね。

おそらく、今起きている出生率の急速な低下は、人類史上で最速であり、また減少の規模も歴史的に非常に大きいはずです。

出生率の急激な低下の様子は、過去 50年くらいの記録を見ているだけでも十分にわかります。

世界全体だと、ちょっとグラフがゴチャゴチャしますので、以下は、アジアの代表的な国の出生率の推移です。

アジア諸国の出生率の推移(1970年〜2016年)

2016年までと、やや古いデータですが、それからそんなに変わっていないですので、特に問題はないと思われます。

タイや韓国では、1970年代のはじめには、合計特殊出生率が、5 に近いほどだったことがわかります。つまり、1人の女性が生涯で 5人の子どもを産むのが平均だったと。

なお、少子化や人口減の問題について語られる時には、必ず「経済」とか「格差」とかの言葉が出てきますが、それが根本的な問題ではないことは、グラフで示されているように、これらの国のこれらの時代は決して裕福ではありませんでした。それでも、「激しい少子化など起きなかった」ことからもわかります。

かつてのヨーロッパでは、特に上流階級に単に「子どもを産むのがイヤにになった」という人たちが増えたというところも、おおむね今と同じだと思われます。

現在のヨーロッパはほとんどが合計特殊出生率 2未満で、西側諸国には人口動態的な意味では先行きはあまりありません。

 

西側諸国の知的レベルの低下

先ほどの、ビクター・デイヴィス・ハンソン氏の文章に、

> 平均的な西洋人、特にアメリカ人の読解力と分析力は着実に低下している。

とありましたけれど、これも最近よくふれることですが、特に子どもや若者を中心に、読解力、数学力、認知能力、さらには「記憶能力」の低下が著しいです。

比較的最近の「何が子どもと若者から「知能と自我」を剥奪しているのか?」という記事では、アメリカのハイレベルの大学生たちの基本的な学力低下が著しいことが示されている記事をご紹介しました。

記事より

カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の驚くべき最新の報告書によると、新入生の授業準備がかつてないほど遅れていることが明らかになった。特に数学において、新入生の学習準備の急激な低下が顕著だ。

UCSD の報告書によると、2020年から 2025年の間に、高校レベル以下の数学力を持つ生徒の数は 30倍近く増加している。さらに、これらの生徒の 70%は中学レベルより低い(小学生レベルという意味)。

indeep.jp

さらには、最近のメルマガでも取りあげたのですが、アメリカ全国「成人識字率」統計という統計が発表されていて、

「アメリカ人のうちの 1億3000万人の成人が、小学5年生レベル、あるいはそれ以下の識字力しか持たない」

ことが判明しています。

正確にいうと、レベル 1〜 5に段階わけされる、この識字率調査は、

> レベル1は、ほとんど読むことも理解することもできない

となっているのですが、そういう成人が 4500万人いる。

そして、全体として「小学 5年生と同レベルかそれ以下の識字率を持つアメリカ成人の率」が成人人口の 54%に達していたということでした。

読解力や数学力はともかくとしても、これは「識字率」の調査です。

子どもにまで拡大すれば、全米教育進歩評価の調査結果によると、現在のアメリカの子どもたちの「 3分の 2が字が読めない」ことが判明しています(翻訳記事)。

アメリカの9歳の「読解力」の平均スコアの推移

BDW

ヨーロッパも同様となっている可能性があります。

スウェーデンでは、国立教育庁の統計により「学生の 25%が正常な読み書きができない」ことが調査で判明しています(翻訳記事)。

日本も、ここまでひどくはないとはいえ、「 2021年を起点とした深刻な学力低下」が継続しています(報道)。

日本の小学6年と中学3年の学力の推移

朝日新聞

ここでは、「なぜこんなことになったのか」ということにはふれません。それにはいくつかの要因(スマートフォン、AI 、あるいはパンデミック対策の余波)が考えられるとはいっても、どれが最も強力な要素かを結論付けられる材料は今のところないからです。

原因より、「現実としてこうなっている」ということです。

多くの若い人たちが、子どもどころか結婚も望まなくなり、かつてない認知力と読解力の低下に苦しんでいるという現状。

今は、暗黒時代に入る前のヨーロッパと、ほとんど同じ状況となっているのです。暗黒時代というより、ネアンデルタール人のように、人類(一部の人類)の滅亡レベルの話なのかもしれません。

そして、今のところ、この流れを食い止める力や方法はどこにも見当たりません。


2026年1月6日火曜日

4129「神道のこころ」2026.1.6

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年12月26日の記事を紹介します。


「神道のこころ」


日本神道の最上位「浄階」まで行かれた元春日大社宮司、そして形成外科の草分けだった

葉室頼昭さんが仰るには・・・

日本に古くから存在した神道は、宗教ではありません。 

葉室さんの著書では心や、徳、縄文から続く文明の観点から、キリスト教や仏教と言っても、神道は「神教」とは言わない・・と言う意味で書かれています。

確かに明治時代の神仏分離をきっかけに出来た数多くの教派神道は、

大きなくくりとしては神道。 

ですが組織・団体としては固有の名前が必要ですから〇〇教を使用しています。 

とのこと。その理由は

仏教やキリスト教、スラム教のように神道は「教」と言う字が付きません。 

茶道や柔道、華道、弓道などと同じように「道」という字が付けられています。 

これは、神道が宗教ではなく、道すなわち、

日常生活の中で、心や、徳と言うものを重んじ、

実践の中で身に着けていくものだからです。 

従って、教祖も教義もなく、

自然の中に、自分をはるかに超える神聖なものを見出そうとするものです。

神道の考え方に、「全てのものに神が宿る」という前提があります。

山だろうと川だろうと、食べ物だろうと、道具だろうと、

すべてに神が宿っているという考え方です。

そして、一番重要なことは、「自分の中に神さまがいる」ということです。 

日本における縄文時代は、1万5千年も続いた、

世界に例を見ない、ユートピアのような幸福な時代でした。 

縄文時代の遺跡には紛争の形跡がないそうです。

どうして縄文人は争いをしなかったのか、 

それは、縄文人は自分の  外に「神」を作らなかったからです。

「神さま」は人それぞれの「自分の中にある」と信じ、

お互いの「神さま」を尊重しあったからです。

自分の「神さま」が尊重されるには、相手の「神さま」を尊重しないといけません。

このように、すべての対象のうちにある「神」を尊重し、

さらに自分の内にある「神」に感謝するのが、神道の基本的な考え方です。

そしてこの世が、悪魔的な意識の手に、落ちようとしている、まさに今

縄文の心、日本人の祖先が受け継いできた大和の心を思い出すことが、

日本、ひいてはこの地球を、神々の作ったこの美しい星を救うことに繋がります。  

レインボーチルドレンのそうた君が言うには 

私たちの住んでいるこの宇宙では、日本と、もう1つ別の惑星が

「宇宙の天国」と言われているのだそうです。

日本は、宇宙中で、たった2つしかない「宇宙の天国」の1つなのだそうです。 

日本人だけをピックアップして別の星に連れて行き

日本人だけの星にしたら、目覚ましく成長する惑星になるのだそうです。 

逆に地球から、日本人をごっそり抜いてしまったら、

地球は「愛の星」ではなくなるのだそうです。 

それほど日本人と言うのは、「和をもって尊しとする」

神々に近い愛の国でもあります。 

「私は無神論です」と公言することが、

・かっこ良いこと

・私は何物にも頼らない自立した人間

だとと勘違いし、自分の中に神様を認めなければ、

決して相手の心の内の神様も認めず、尊重も、敬うこともせず、思いやりも持たず

殺伐とした人間関係が構築されることでしょう。 

これは、ブッダやイエスが生まれるはるか以前のお話です。 

ビッグバンによって今回の宇宙が誕生したのが150億年前。 

35億年前に地球に生命体が生まれ、

その情報は全ての生物に受け継がれていると言われています。 

それらは神様が作ってくださったDNAを介して行われます。

元春日大社の宮司、葉室さんは、こう仰っています。

<転載開始> 転載元

日本人の祖先とは、日本人の共生という、

自然と一つになるという生き方を始めた人たち。

そして日本語という言葉を通して、お互いこころが通じ合うようになった人たち。

我々と共通の生活習慣を始めた人を日本人の祖先というのではないでしょうか。

遺伝子学的では、そういう祖先の記憶が、我々の遺伝子にも入っているのです。

それをフルに活用していくということが、いのちを伝えるということであって、

これが民族が栄えていく本当の道ではないかと思います。

世界広といえども、日本人のように、

祖先の祀りを常に行う民族というのは、数少ないようです。

その一つの理由として、この日本列島というところに長年住んでいるうちに生まれた

自然と共生するという生き方からきたようです。

この共生というのは、一緒に生きようというのではなく、

一つになろうという生き方です。

これが原点になって、そこから神様や祖先に生かされていることに感謝する

という生活が育まれてきたと思うのです。

また、神社にはいろいろな神様がお祀りされています。

過去に実在していた方もおられるし、

また高天原におられた天の神様もいらっしゃる。

こういう神々も全て繋がっている。

医学的に見れば、祖先からの遺伝子というものが我々の体の中に入っています。

何もしなくても働く遺伝子もありますが、

中にはこちらから一生懸命働きかけなければ活動しない遺伝子もあります。

つまり、祖先に感謝するとか、

そういうことをしないと働かない遺伝子もあるわけです。

常に祖先の祀りをすれば、祖先から受け継いだ遺伝子が目覚め、

その働きによって我々も健康で幸せな生活を送ることができるのです。

遺伝子学的な観点から見れば、

祖先のお蔭で生かされているということは事実です。

この恩に感謝するということは当たり前のことなのです。 

<転載終了>

・自分や、他人の中に神様を見ること、

・神々や、祖先に感謝し、受け継がれたDNAを開花させて生きること 

ともに重要なことですね。 

病気を治したいなら、この身体を延々と受け継いでくださった

祖先に感謝することが大切と言われています。 

私たちの身体の、各部分は、

それぞれ個別に、ある特定の祖先の方に繋がっていると言われます。 

それがどなたか? 素人では知ることができないので、

やはり、母方、父方それぞれの祖先全体に感謝することが大切のようです。 

神さまは、どこにでもいらっしゃいます。

特に私たちのハートの中に居らっしゃいますので、

私たち人間の営みの中で、 

・愛、

・優しさ、

・いたわり

・共感

・真心 

それが発揮された時、そこに神さまの働きが必ずあります。 

人々の中に、その姿を見た時、その時こそ、私たちが、神さまの姿を見た時です。 

神さまは何も、キラビヤカな格好で現れるわけではありません。 

光り輝く姿で現れるわけではありません。 

羽の生えた天使の姿で現れるわけではありません。 

むしろ、平凡な人々の日常の営みの中にこそ現われてくださいます。 

・私は神さまと繋がっている

・私は神さまからパワーを頂いている

・私の前世は人のために尽くした偉い人だった 

そんな人の所には現われません。 

平凡な私たちの日々の暮らしの中にこそ、神さまは、姿を現してくださいます。 

・その感受性を磨くこと、

・人に依存したり、頼らないこと

・感謝の気持ち、

・お互い様、おかげ様の気持ちで生きること 

そんな生き方こそ、

神さまが望んでいらっしゃる、私たち人間の生き方ではないでしょうか。 

その道こそが、平凡な毎日の中で、平凡に暮らす、何も持たない私たちが 

神さまと繋がり、幸せになれる道かもしれません。 


2026年1月5日月曜日

4128「愚痴に気づく」2026.1.5

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年12月25日の記事を紹介します。


「愚痴に気づく」


今日は小林正観さんの、「愚痴に気づく」というお話をご紹介します。 

斎藤一人さんもそうですが、正観さんのお話は、人々の心に届けるために、 

敢えて

・分かりやすく平易な言葉

・お行儀のよくない言葉

・上品に聞こえない言葉

・粗野に聞こえる言葉

を使うことがありますが、どうぞ言葉尻にとらわれずに

その言わんとしている真意を汲んでくださるようにお願いいたします。

<引用開始> 引用元 

人間は、8時間労働を1として、16時間働く人で2人分、

24時間労働する人でも3人分しか働けません。

土日休みを返上して働いても5人分が限度でしょう。

人間対アリの関係を考えてみます。

人間の身長を150センチ、大き目のアリで1.5センチとすると、百倍の違いがあります。

すごく働き者だけれども、周りのアリにトゲトゲしながら、

「自分は3人前働いているのに、あなたたちは全然働かないじゃないか」と怒鳴っているアリがいます。

その百倍大きな力を持っている人間が、このアリは調和を乱しているよねと思い、

このアリをピンセットでつまんで、3メートル先に持っていったとします。

百倍大きな存在から3メートル先まで運ばれたことに、このアリは気がつきません。

このアリはとても興奮しながら巣に帰り、

「周りの景色が一瞬で変わったんだよ」と話すことでしょう。

百倍大きな存在が、全然認識できません。

私たち人間と神様の大きさの違いは、百倍どころではないようです。

人間が考えた数字は、10の68乗(無量大数)までです。

神は、10の68乗以上の力を持っているのでしょう。

この神様に気に入られたら、とても楽しい人生になります。

ただし、神様は、ある方程式に沿って生きている人を非常に応援します。

その方程式を使いこなす人には、味方についてくれます。

神は、気に入らない人に対して、嫌がらせや、復讐することはありません。

ただ、支援をしないだけ。 

自分の力ではなんとか5人分の力を出すことができますが、

10の68乗人分の力を出すことができません。

がんばって5人分働くよりは、神を味方につけたほうが「得」です。

神様に味方になっていただくには、目の前の現象について、

不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わないこと。

そして、目の前に起きる現象について、

・嬉しい、

・楽しい、

・幸せ、

・愛してる、

・大好き、

・ありがとう、

・ついてる

という言葉を言い続けると、

目の前の人も、神様も、宇宙、地球、すべてが味方になってくれます。

親が倒れて5、6年介護をしている人がいます。

その人は5、6年介護をしているあいだに功徳がたくさん溜まっていきます。

ところが、せっかくいままで労力を使って功徳を溜めてきたにもかかわらず、

「なんで私がこんなに苦労をしなくちゃいけないのか」と愚痴を言った瞬間、

溜まっていた功徳がチーンと音をたててゼロになってしまいます。

一般的にいうと、大変なことをやらされているときには、

神がその人を見込んで、その人にポイントをあげているときなのです。

愚痴などを言った瞬間にゼロになってしまうのは、

あまりにも辛いものなので、神様と約束をしました。

それは、愚痴を言ってしまった10秒以内に

「ナシ、ナシ」というと、大丈夫という取り決めです。

愚痴などを言わないようにするには時間が必要ですが、

愚痴を言ったことに気がついたら

99パーセント解決したことになります。

どうも、「気がつくこと」が重要なようです。

私たちは自分の力で生きていると思いがちですが、自分の力はないに等しく、

神様(目に見えない存在)に支えられて生きているのではないでしょうか。

<引用終了>

神様に味方になっていただければ、無敵ですね。 

どんな状況になろうと、安心して信じていられます。 

その秘訣が、目の前の現象について、

不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わないこと。 

そしてどんなことが起きようと、 

それは神様が私たちの魂を輝かせるために下さった現象であること。

つまり、その現象に対して 

嬉しい、楽しい、幸せ、

愛してる、大好き、ありがとう、

ついてる  

という感謝の言葉を投げかけること。 

これだけです。 

愚痴が口癖になってしまった方は、 

気づいたときに、反省し、意識して言わないようにするだけで、 

大分、神様に好かれ、運気が上がるようです。 

一度、試してみませんか?


2026年1月4日日曜日

4127「全ての母親に伝えたい」2026.1.4

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年12月24日の記事を紹介します。


「全ての母親に伝えたい」


今日は、生前の小林正観さんが高岡で講演した時のお話です。

分かりやすくするために内容を若干補完して掲載します。

<引用開始> 引用元 

正観さんが、生前の40年間の間に 24人の子どもさんに会い、

天国にいた時の記憶を聞いたそうです。

・3歳児が22人

・4歳児が2人

すべて生まれる前の記憶を持つ子供たちです。

生まれる前の状況はどうだったの?

・上から見下ろしていた。

・お母さんがとても楽しそうに色々喋っていたので話し相手になったら

  すごく楽しそうと思ったら生まれちゃった。

・上から見ていたら、いつもお母さんが悲しそうで 寂しそうな顔をしていた。

  話し相手になってあげようと思ったら生まれちゃった。

・お母さんがいつもいつも男の人に泣かされていた。いつも寂しそうで悲しそうだったから

 応援 支援してあげようと思ったらお母さんのところに生まれちゃった。

 いつも泣かしていた人は お父さんだった。

全部のお話に共通していたことは

・お母さんの味方をしよう。

・お母さんを励ましたくて。

・お母さんの話の相手に。

・お母さんの応援 味方に。

お父さんのお話は、一人も出て来ませんでした。

正観さんは仰いました。

感動的な結果です。

全ての母親に伝えたい。

究極の感謝の対象(生まれてきてくれた子供たち)がそこにある。

もし皆さんが、このことを受け入れることができたとしたら・・・

もう二度と、子供たちを怒ることは無くなると思います。

子供たちは、「お母さんの 味方をしてあげたい」

そう言って生まれてきました。

それなのに

・あれが気に入らない。

・これが気に入らない。

・もっと勉強ができれば。

・もっと健康であれば。

気に入らないところをあげ連ねて

「何であなたは そうなの?」

責め続けている自分(母親)であったなら

今日のこの瞬間に、胸に手を当てて考えてみたほうがいいと思います。

母親を 

・励ますために 

・力づけるために

・笑顔で 話し相手になってあげるために

こどもは全部そういうつもりで生まれてきました。

男の親は その母親の精神的な安定と、経済的な安定のための存在。

特に精神的な安定のために 

女性がこの男性なら

安心して子どもを産めて 育てることができる。

この人の子どもなら 産みたい。

そのような精神的な安定のために、存在するみたいです。

怒鳴ったり イラついたりしないための安定剤らしい。

<引用終了>

男の親は出番が、あまりありませんが、

愛する奥さんと、子供たちの幸せ、そして笑顔のためであれば

どんな辛い状況も、耐え忍び、乗り越えていけるかもしれません。

母と子、

魂と魂の濃密な結びつきです。

そしておい互いが、研ぎ石の役割を果たしています。

ギリギリと、私たち親の悪い所、自分勝手なところ

そんなところを、デフォルメして見せてくれます。

まるでヤスリ(研ぎ石)のように、容赦なく、

私たちの心を削り、魂を輝かせようとします。 

そのことに気づき、感謝の気持ちを持てた時、

子供たちの生まれて来た目的の大半が達成された時です。

お互いが、魂の底から喜びあえる瞬間です。

海老蔵さんも、生まれる前の記憶(天国)があるとNHKの番組「プロフェショナル」で告白しています。 

魂の目的が達成された時、

そのために設定してきた環境は解除され、 

生まれる前の仲の良かった、

愛に溢れた2つの魂の交わりに戻っていくことでしょう。 

もう 悩む必要も苦しむ必要もなくなります。 

全てのカギは「感謝の気持ち」を持てるかどうかにかかっています。


2026年1月3日土曜日

4126「希林さんのできた訳」2026.1.3

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年12月23日の記事を紹介します。


「希林さんのできた訳」


樹木希林さんは、若いころから内田裕也さんと共に、法華経の「希心会」と言う会に属していたそうです。

大変良心的な会で、一世帯の月会費が、たったの100円。 

希林さんは、旧芸名は悠木千帆でしたが、その名前をオークションに出品し、

新しい名前、希林の名は希心会の一字を受けたのだそうです。 

日本では、敗戦後、占領軍の指導のもと、日本人の精神的支柱を破壊するために、宗教的なものは、全て否定され、忌み嫌うものとされて来ましたが、そんなことは決してなく、

もし悪いところがあるとすれば、それは 

・お金儲け、

・全面依存させ、精神の自立をさせない(一生の金づるにするため)

・他の考えを認めず、攻撃する

などに陥れば、非難されてしかるべきですが、

古くから日本に根付いていた信仰の心は、決して悪いものではないと思います。 

世界の常識では、誰でも、信仰する教え・考えを持ち、

多くの日本人のように「私は無宗教です」などと言えば、人格を疑われるほどです。

さて、希林さんですが、

若いころからブッダの教え「法華経」を信じていたからだけでなく、 

その素晴らしい考え方、生きる覚悟は、どうも、ガンを患ってから身に付いたようです。

次にインタビューの記事をご紹介します。 

10代、20代の不登校・ひきこもり当事者とともに、樹木さんに3時間のインタビューをした『不登校新聞』の編集長・石井志昂さんが追悼の思いを込めてつづっています。 

<引用開始> 引用元

石井:私が取材したいと思ったのは、映画『神宮希林』のなかで、

夫・内田裕也さんについて 

「ああいう御しがたい存在は自分を映す鏡になる」と話していたからなんです。 

これは不登校にも通じる話だな、と。

樹木:あの話はお釈迦さんがそう言ってたんです。

お釈迦さんの弟子でダイバダッタという人がいます。 

でも、この人がお釈迦さんの邪魔ばっかりする、というか、お釈迦さんの命さえ狙ったりする。 

お釈迦さんもこれにはそうとう悩んだらしいですが、ある日、ブッダは「ダイバダッタは

自分が悟りを得るために難を与えてくれる存在なんだ」と悟るんです。

私は「なんで夫と別れないの」とよく聞かれますが、私にとってはありがたい存在です。

ありがたいというのは漢字で書くと 

「有難い」、 難が有る、と書きます。 

人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら

成熟していくためなんじゃないでしょうか。

今日、みなさんから話を聞きたいと思っていただけたのは、

私がたくさんのダイバダッタに出会ってきたからだと思います。 

もちろん私自身がダイバダッタだったときもあります。 

ダイバダッタに出会う、あるいは自分がそうなってしまう、

そういう難の多い人生を、卑屈になるのではなく、受けとめ方を変える。 

自分にとって具体的に、不本意なことをしてくる存在を、

師として先生として受けとめる。

受けとめ方を変えることで、すばらしいものに見えてくるんじゃないでしょうか。

石井:そう思うきっかけはなにかあったのでしょうか?

樹木:やっぱりがんになったのは大きかった気がします。 

ただ、この年になると、がんだけじゃなくていろんな病気にかかりますし、

不自由になります。 

腰が重くなって、目がかすんで針に糸も通らなくなっていく。 

でもね、それでいいの。

こうやって人間は自分の不自由さに仕えて成熟していくんです。

若くても不自由なことはたくさんあると思います。

(=自分の自由にならないことは沢山ある)

それは自分のことだけではなく、他人だったり、ときにはわが子だったりもします。

でも、その不自由さを何とかしようとするんじゃなくて、 

不自由なまま、おもしろがっていく。 

それが大事なんじゃないかと思うんです。 

<引用終了> 

全身、ガンに侵され、そうなったら誰でも、自分のいのちと向き合うしかありません。

そんなことでもない限り、私たちは、自分は何のために生まれて来たのか?

考えないかもしれません。 

希林さんは、内田裕也さんという、ダイバダッタに出会い苦労し、

ガンというダイバダッタに出会い、人生を深く味わい、

そうして、人生の奥深さ、醍醐味を身につけたのかもしれませんね。 

私たちの人生で出会う、一見不幸な出来事 

・事故

・病気

・別れ

・貧困

・死

それさえも、私たちの人生を輝かせてくれる、舞台装置に過ぎません。 

悩み苦しみ、呪いの言葉で、 相対するのではなく、

感謝の心で、望みたいものですね。 

そうしてこそ、このような不幸に見える出来事も、私たちの魂にとって、

意味のある出来事に変化します。 

ちなみに、提婆達多(ダイバダッタ)は、生きながらにして地獄に堕ちた、

悪人の代表とされていましたが、経典の提婆達多品において、

提婆達多こそ実はブッダの前世において師であったと明かされ、 

未来において、その成仏(仏・悟りを開くこと)を保証されています。 

樹木希林さんにとっての、内田裕也さん。

皆さんにも、そんな

・自分の思い通りにならない

・目に障る

・言うことを聞かない

・自分の理想とはかけ離れた言動をする

・自分の思う「普通」や「当たり前」とは違う

のようなご家族はいらっしゃいますか?

それとも、同僚や友人に、そのような方はいらっしゃいますか?

そのような人こそ、ブッダの弟子だったダイバダッタのような人かもしれません。

・とっても嫌な人、

・顔も見たくない人

・会えば文句を言いたくなる人

・憂鬱になる人

・苦しみの種

かもしれません。

ですが、その人が居てくれるからこそ、悩み苦しみ、悲しみを味わうことになりますが、

ご自分の魂を揺さぶり、深く熟考を促し、

魂の深みを味あわせてくださっているのでは、ありませんか?

その人が存在するからこそ、

・生まれて来た目的

・生きる目的

・神様のこと

を深く考えるようになったのではありませんか?

まさにダイバダッタです。

ブッダは、この時悟ります。

この人は実は有難い存在だったのだと。 

そう思えた時、魂の闇は明け、光が差し込み、悩みは悩みでなくなり、

苦しみも、苦しみではなくなり、

感謝の中に幸福な人生を歩めるのではないでしょうか。 

この時、確実に、神々の大きな恩寵が動き出すことでしょう。 


2026年1月2日金曜日

4125「青空ひろば」2026.1.2

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最新の記事を紹介します。


1619 2025.12.04  ~ 1620 2025.12.05

<「現成公案(げんじょう こうあん)」の意味>

① 君が現に体験(現成)している事柄は、すべて神(公)によって配慮された、君の魂の成長のために、もっともふさわしい出来事(案)なのだ。

(応用)イライラする時、うまく事が運ばない時、「現成公案、現成公案、…」と呪文のように称えるといい。

② 君が今おかれた時と場所(現)にイノチの重心をしっかり載せて行動(成)してゆけば(フラフラ過去や未来や他の人やモノに意識を漂わせることがなければ)、君の行動に、神の配慮(智慧)や神力が自然と加わり(公)、それによって、あなたの行動は宇宙全体にとって、君や周囲の人やモノや組織にとって、最善、最適な行動・考案(案)となるのだ。→トランスパーソナル(個人性を超える能力が発揮できるようになる)(


<「現成公案」の巻 超要点訳>

君が未知の分野の仕事を手掛けることになったとしよう。

その時、始めは仕事の要領がさっぱり分からず、「ウロウロ・オドオド・ギクシャク」の連続であろう。このような状態を「迷」と呼ぶことにしよう。

やがて、君は仕事の要領を覚え、その仕事に我を忘れて没頭出来、成果を上げることが出来るようになったとする。その時、「スラスラ・スイスイ・ピタピタ」と最高の仕事を決めてゆけるだろう。この状態を「悟」と呼ぶことにしよう。

ただし、この「迷」と「悟」には、価値判断は含まれておらず、単なる記号である、ということに注意して欲しい。

なぜならば、イノチが順当に成長進化している時は、今の状態に満足せず、絶えず新しい分野の仕事にチャレンジすることになるからだ。

そうなると、結局君は「ウロウロ・オドオド」の「迷の足」と「スラスラ・ピタピタ」の「悟の足」を交互に繰り出しながら、前進・成長してゆくことになる。だから、「迷」と「悟」は、イノチの前進・進化のためには同等の価値があり、大切なパートナーであり、いずれか一方が欠けても、イノチはこれ以上の進歩・前進が出来なくなってしまうのだ。

「迷」と「悟」は隔絶した状態なのであろうか?いや、そうではない。

「悟」の状態にあったとして、その状態を手放したくないと執着すれば、それは「迷」である。

また、「迷」の状態にあったとして、それを厭わずに、今の「迷」の状態にしっかり腰を据えて取り組んでゆけるようになれば、それが「悟」である。

つまり、「悟」のコインの裏面には「迷」と書かれており、「迷」のコインの裏面には「悟」と書かれているのだ。そして、それは同じ「イノチの本体」という名のコインの表裏なのである。

「イノチの本体」は、「迷」も「悟」も厭うことなく、それぞれの存在を認め、許し、抱擁し、有効に活用して転進してゆきつつある。

そんな「イノチの本体」の方針に素直に従えるようになった状態を「大悟」といい、あるいは「大迷」というのである。

そのように、「悟」も「迷」も、厭うことなく、執着することなく認め、抱擁することが出来る「大悟」・「大迷」の境地になることができれば、君がこれまで嫌って、我が魂から締め出し、追放してしまっていた、君が弱点や欠点だと思って否定していた部分でさえも、そのまま受容出来るようになり、受容でき、許し、愛せるようになると、弱点や欠点であったはずの君の魂の断片が、君の「イノチの本体」に復帰し、君のために有効な働きをしてくれるようになるのである。

何が君の人生の道行きを妨害するのであろうか。

それは、君の否定的な、誤った「自己イメージ」なのである。

「自己イメージ」が間違っていると、幻想の制約・制限が君を縛り、また誤った「他者イメージ」、「世界イメージ」を持つことになって、君の人生を重苦しくしてしまう。

であるから、君が開放され、自由闊達に自己実現を目指せる人生を生きたいのであれば、誤った、幻想の「自己イメージ」を解消しなければならない。

そのためには、どうすればいいのだろうか。

げんに現われている課題(現成)に、我を忘れて取り組む覚悟を決めればいい。そうすれば、「我を忘れて」いるのであるから、その時、君を束縛する「自己イメージ」は消えており、そうなれば、大宇宙(公・神仏・全体生命)の智慧やエネルギーが、即、流入してきて、君を通して働くようになってくる。

この人生は「表現の場」である。しかし、うまく表現しなければならない、成果が上がる表現を目指さなければならないというのではない。

うまい、へたではなく、君にしか出来ない表現を追求し、努力してゆかねばならない。

そして、もし、君独自の表現が出来るようになれば(現成)、その時、君の作品に大宇宙の影が、永遠と普遍の影が宿っているであろう(公)。

君が実現し成就した作品によって、多くの人やモノたちが、祝福され、福祉を与えられることになろう(案)。

それが、私が言わんとする「現成公案」なのである。


1616 2025.11.30 ~1618 2025.12.02 

法華経の前半は「授記物語」です。「授記」とは、お釈迦様が人々に「君たちは将来必ず仏に成れるよ」と保証のコトバを授けることをいいます。

これをさらに掘り下げて考察してみると、個々の魂が「人類の魂」から枝分かれして出発した時に、母体である「人類の魂」から、個々の存在すべてに分与された精神遺伝子に、<どこまでも高く伸び、可能性を広げていって、やがて、すべての個々のイノチと融合一体化して「人類の魂」に復帰する>と書き込まれたのです。これこそがどの存在にも最初から埋め込まれていた授記で、これを「根本授記」と呼んでおきましょう。

しかし、この「根本授記遺伝子」は潜在していて、「縁」に触れることによって、はじめて本格的に発動し、作用し始めることが出来るのです。それで、「仏種従縁起(ぶっしゅ じゅう えんぎ、仏種は縁より起こる)」と説かれています。

・因(根本授記)→縁(世尊の授記など)・修行も縁(坐禅や聴聞、読経など)→果(「ひとついのち」にゴールイン)

「根本授記」は、意識化されることによって、スイッチが入り、本格的に作動し始めるのです。


<道元禅師 正法眼蔵『授記』の巻の要約>

君の頭で認識できないからといって「私は授記されていない」などと思い込んではいけない。

また、「修行の功が満ちて悟ることが出来、その時に「授記」が得られるのだ。「授記」を得るのはそんなに容易いことではない。悟りも体験したことがない、修行も未熟な君のような人間が、簡単に「授記」を得られるはずがないのだ」などという誤った説、偏見をもつ者に惑わされてはならない。

自分に自覚できなくても、君はすでに「授記」を頂いているのだ。

いや、「授記」が、君をこの地上世界に生み出し、生かし、歩ませているのだ。

君が住む世界環境もすべて、「授記」が君の成長のために用意し、セッティングしてくださったものなのだ。

太郎君も花子さんも、山も川も、イヌ君もネコさんも、みんな「授記」の産物なんだということを忘れないようにしよう。

君が坐禅したり、お経を称えたりしているのも、遠い、遠い昔に、君が「授記」を得ていなければ現成するはずがないのだ。坐禅したり、お経を称えたりする行は、自分がやろうとしてやれることではないのだから。

師から教えを聞いて、喜ぶことが出来るのも「得授記者」だからこそのことなんだ。

君が生まれ、楽しいこと、悲しいこと、腹立たしいこと、涙をながすようなこと、それらをいっぱい体験して、そして死に、また次の生を得る。これらの「生死去来」のすべてを「授記」が導いてくれているのだ。

法華経にこうある。「釈迦牟尼仏が薬王菩薩に告げられた『また、私が地上世界を去った後に、若し妙法蓮華経を聞いて、あるいは法華経の一節、一文章、一単語だけでも聞いて、わずか一念でも随喜する者がいたとしたら、私は彼に授記することにしよう』」

このように、君はすでに「授記」を授かっている者だからこそ、法華経の教えに随喜できるのである。君たちの過去・現在・未来は、「授記」中にあり、「授記」に抱擁され、育まれつつある「過去・現在・未来」なのだ(「授記時間」の中に私たちは生きて、歩んでいる)。

維摩経にはこうある。「もし彌勒(みろく)がお釈迦様から授記を授かったとするならば、一切衆生もまた授記を得ているはずだ。なぜならば、彌勒と一切衆生は「ひとついのち」、つまり「一体のイノチ」なのだから、彌勒が授記を授かったならば、その時、一切衆生も同時に授記を得たはずなのだ」

一切衆生が同時に授記を得たのでなければ、彌勒の授記はまだ本物ではないということだ。しかし、彌勒の未来における成仏は世尊がしっかり保証されているのであるから、一切衆生の未来における成仏も同時に世尊によって保証、確定されているのだ。

さあ、これで納得できたであろう。授記こそがよく一切をあらしめているのだということを、「授記」の中で君たちは生活しているのだということを。(完)


1614 2025.11.28 ~1615 2025.11.29 (前日の続き)

Q.「成仏」とは?

A.イノチはひとつ、ヒトはひとりしかいないと悟るのが成仏です。

「ほとけ」とは「ほどける」ことで、自他を分け隔てている「囲い」を解いてしまって、「生き通し」になるのが「仏の成る」ことなのです。(続く)


般若心経の末尾の陀羅尼は「ギャーテー(着いた) ギャーテー(着いた) ハーラーギャーテー(仏というゴールに着いた) ハラソウギャーテー(仏というゴールに、残らずみんな一緒に到着した) ボージーソワカ(素晴らしい達成よ、めでたし)」と説かれています。

また、他のお経には「奇なるかな、奇なるかな。我と大地有情と同時成道、山川草木悉皆成仏(さんせん そうもく しっかい じょうぶつ)」とあります。

自分だけが成仏して、他の人はまだというのは、本当の成仏ではありません。なぜなら、イノチはひとつで生き通し。世界に一人でも苦しんでいる人がいれば、自分はまだ本当に安らげていないのだから、仏には成れていないのです。

そこで、「私は何度でも地上世界に戻ってきて、すべての人を救済しましょう、みんなで一緒に仏というゴールに到着しましょう」という誓願が自然と心の底から湧き上がるようになるのです。この境地になったのが「菩薩」です。