2026年3月7日土曜日

4189「最後に残る言葉」2026.3.7

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年02月24日の記事を紹介します。


「最後に残る言葉」


今日もご縁のある方々に「心を洗う」お話をご紹介します。 

ほぼ毎日、心について、いろんな角度から書いています。

もう何年も前から書いています。 

実際に素直に実践されて、幸せになられた方も沢山いらっしゃいます。 

ワクワク、ドキドキするような不思議話ではないので、

退屈になって、ご縁が切れてしまう方もいらっしゃいます。 

現在、地球自体が精神性復活の時代に入っていますから、 

魂の向かう方向性が異なれば、自然と離れ、逆に方向性が同じなら、

魂の共鳴現象が起こり必ず交わることになるでしょう。 

ますます、その傾向が強まりつつあります。 

自分の好み、嗜好、信じる、次元と空間、パラレルに進むだけです。 

今日も、大切なテーマです。 

ブッダの教えの神髄も 、日本人の心に古代から刻まれた神道も、

その根本は感謝の心です。

全く別の角度から、宇宙の真理にアプローチした結果、たどり着いたのが感謝の心です。

では、感謝の心の大切さについて、

春日大社の元宮司、そして日本の形成外科医の草分けであった

葉室頼昭さんの言葉から紹介します。

<引用開始> 神道 感謝のこころより

そこに、そうしたモノがあると、

思い念じることから現れてくることを「認める」といいます。 

それがどんなものであれ、認めたことが現実に現れるというのは

本当のことだと昔から信じられてきました。 

人はいろいろなことで悩みますが、

これも自分の中でそれを認めるからでてくるのであって、

認めなかったら出てくるはずがありません。

例えば、何でもない人ががん検診を受けて、「私はがんなんだ」と思っていると、 

本当にがんになってしまうようなものです。 

何かにすがりたい一心で、神社にお参りに来られる方があります。 

その方々に、私は、

神様とご先祖に感謝を捧げてお祀りすることをお勧めしています。 

すると、損得勘定なしに無我になってご先祖を認めて感謝する方は、

そのお力が直接、体の中に入って、みんな良くなっていきます。

「生かされる」ということです。 

医学的には、ぼちぼち治るということはありません。

病気は、治るものではなく、瞬間的に消えるものなのです。

病気が消えないのは、その人が少しでも病気を認めているからなのです。 

ですから、病気で悩んでいる方には

「健康にして頂いてありがとうと感謝してください」と言います。 

自分の病気を治してくださいと願ったり、それを言葉に出して言うのは、

自分が病気であることを認め、それを治して欲しいという我欲ですから、

言葉通りに病気が出てきてしまいます。 

自分が認めているのでは、どうすることも出来ません。

ですから、「病気」ではなく「神様、ご先祖様」を認めたらよいのです。

けれど、中には頑固な人がいます。 

「私はお医者さんにこう言われた。医学ではこうなんだ」と言い張って、

こちらが何を言っても譲らない人です。 

そういう風に自分中心の視点から判断し、

不平不満や悪いことばかりを口に出して認めていると、 

それが現実になって出てくるのです。 

「神様ありがとうございます」と口にすれば、

神様を認めることで、神様からのお恵みが授かります。  

ただし、それは毎日しなければなりません。 

今日は認めたけれど、あとは一ヶ月後に認めようなどということはありません。

われわれは毎日生きているのですから、毎日認めることが大切なのです。 

<引用終了> 

私も実際に体験し、自分自身で実証していることも沢山ありますが、 

あまり公の場で公開するのも差しさわりがありますので、

具体的な実例はお会いした方だけにお話しています。 

またそのエッセンスはこうしてブログで書き続けようと思っています。

何かにすがりたい一心・・・ 

私たちは、何か辛いこと、悲しいこと、苦しいことが起こると 

そこから抜け出したくて、

力のありそうな誰かに頼ったり、縋(すがったり)ったりします。

私達人間は心弱い者ですから、それも致し方ありません。

そうすることで、一時だけ、好転したかに見えることもあるかもしれません。

ですが、それは一瞬だけです。 

何故なら、私たちを取り巻く現実は、私たちの心が作り出しているものだからです。 

私たちの心が変わらなければ、周りの現実も変わりません。

たとえ神様仏様であろうと、私たち自身の心が変わらなければ助けることができません。

それに気づかず、いえ、気づこうとせずに、一生を終える方も居ることでしょう。

ですが、それも

「その方法、考え方では、上手くいかない」という学びを

一生かけて学んでいることなので、周りは口出しできません。 

例え、家族であっても・・ 

神々の恩寵は、私たちの感謝の心を媒体として現れます。

感謝の心は、良い時だけ感謝する、、と言うことではありません。 

逆境の中に置かれてさえ、私達を見守り、魂の成長を願ってくださる

内なる神さまに、感謝することこそ大切なことです。

最後に一つのエピソードをご紹介して終わります。 

あるおばあさんが認知症になり、言葉もだんだん忘れていったそうです。

そして最後に残ったのは三つの言葉だけ・・・ 

その内の1つが「ありがとう」だったということです。

皆さんは、もし、ご自分が同じ立場だったら、最後に残るのは、どんな言葉ですか?

きっと、普段一番 口にしている言葉なのでしょうね。

多くの方の最後を看取ってきた医師が、次のように語っています。 

私達の人生の終わりの時は、私達がどのように歩んで来たかにかかっている。 

普段から感謝の心で歩んでいる人は、最後の時になっても感謝の心がでてくる。 

しかし、いつも恨み・つらみを持っているなら、終わりもそのようになっていく。 

そして、その終わりは、

黄泉の国でも、続きの同じ世界を自分で作ってしまうことでしょう。 

つまり 死を境に人間の思考、住む環境は変わらないということです。 

ここでも、心の浄化の重要性が良くわかります。 


2026年3月6日金曜日

4188「死後直後の問い」2026.3.6

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年02月23日の記事を紹介します。


「死後直後の問い」


今日のテーマは、私たちが亡くなった直後に聞かれる問いについてです。

私たちはこの世界を楽しむために生まれて来たのだそうです。 

決して、苦しむためでも、悲しむためでもありません。

・貧困

・リストラ

・離婚

・事故、病気

・別れ、死別

それらは単に生まれる前に自分で決めてきた、この世の舞台装置でしかありません。

その舞台の中で、感情の波にもまれながらも、いかに楽しい人生を送れるか?

今私たちは、そのような中、地上で生活しています。 

今日は以前書いた記事(産婦人科医の池川明先生のお話)ですが、 

山幸彦(ニニギノミコトの子 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと))

の魂を持つ、小学生の神様トキ君の情報と

ピッタリと一致しているため、加筆修正して掲載します。 

全く出所が違うのに、神さまの意識を持つ小学生の男の子から、

全く同じ情報がもたらされるとは、驚きと言うか、

真実であると判断するしかありません。

この子のお話の中で、天国のレベル

6と7の間には、大きな隔たりがあるということですが、 

6までは、あまり空間的、次元的な移動の自由がない、

束縛されたコミュニティに属している。

7以降は、空間的にも次元的にも移動の自由があり、

ほとんど束縛が無い状態・・ と言うことだと思います。

まずは、池川先生のお話です。

<引用開始> 引用元 

臨死体験をされた方々の複数の体験によると、

死後に閻魔様(えんまさま)から聞かれるのは、次の2つのことだけなのだそうです。

・陰徳(いんとく)を積んだか?(人知れず、他人のために役に立ったか?)

・自分の人生を楽しんだか?

池川先生によると、この2つの質問の真意について、

「自分の人生を楽しんだか?」という質問については、

「身勝手に、自分ひとりで快楽を得たか」というものではなく、

「人に感謝され、認められて、自己肯定出来て楽しかったか?」ということではないかと。

そして、「陰徳を積んだか?」という質問においても、

「自分が一生懸命生きていることで、

結果的に知らぬ間に人が助かったか?」ということではないか、と語られています。

この陰徳を積む、という行為の例として、こんなお話が紹介されていました。

(「ぼくが生まれてきたわけ」より 一部抜粋)

ある小学生が、学校から帰るとき、

荷物をたくさんもった同級生とぶつかって、その荷物を落とさせてしまった、と。

その同級生は、同じクラスの子だけれど、ほとんど話したことがない子で、

その小学生は荷物を一緒に拾いながら、「君、どうしたの?」と声をかけた、と。

すると、「家にかえるところだ」と言うので、

ふと、「じゃあ、うちで遊んでいかない?」と誘ったそうなのです。

で、その同級生は家へ来て、テレビゲームをやって帰っていった。

それで、ずっと後になって、荷物を持っていたその子が、誘った子に、

「君はぼくの命を救ってくれたんだ」と言ったそうなのです。

何でかと言うと、あのとき、荷物をたくさん持っていたのは、

自殺しようと思っていたからだ、と。

自分が自殺して、学校の机に自分の荷物が残っていたら、

次に座る子が迷惑すると思って、それで全部片付けて、

荷物を全部持って帰っているときに、君とぶつかったんだ、と。

君とは話したことがなかったけれど、

君が声をかけてくれて、君とテレビゲームをしたら、楽しかった。

それで死ぬのを踏みとどまったんだ。

この場合、お礼を言われたほうは、助けたっていう意識はないんですよね。

ただ、ぶつかったから荷物を拾ってあげて、ふとゲームに誘った。

おそらく、こういうのが陰徳なんだと思う、と本の中では語られていました。

良かれと思って自分がした行為が、

必ずしもその人のためになっているとは限りません。

そのようなことは、世の中によくありますよね。

ここがなかなか難しいところです。

相手を尊重して、よくよく自問自答してから、

手を差し伸べるべきかを決めることが重要です。

つまり、人の役に立たなきゃ!と思って、誰かを助けてあげることを目的にするのではなく、結局は、自分が一生懸命に生きる!  

お天道様に恥じない生き方をする!

ということに尽きるのはないか、と池川先生はおっしゃっていました。

<引用終了>

私たちが、この肉体を脱いで、天に帰る時にされる質問は、たった2つ

・陰徳を積んだか?

・自分の人生を楽しんだか?

なのだそうです。

山幸彦の魂を持つトキ君が言うには、閻魔様に質問されるのは2つ 

・あなたは人に優しくしましたか?

 (=陰徳を積んだか? と同じ)

・いっぱいあそびましたか?

 (=自分の人生を楽しんだか? と同じ) 

驚くことに、池川先生と全く同じです。

そうであれば、今の今、生きている間から、そのことを意識して生きていれば、

閻魔さまにも、褒めてもらえるかもしれません。

閻魔さまは、よく怖い鬼のように描かれていますが、

実際は光そのものの神様だそうです。

また池上先生は、多くの生まれる前の記憶を持つ子供たちのお話から、

こうも仰っています。 

病気や障害を持った、多くの子どもたちから集めたお話から解釈するに、 

たぶん、「自分がつらい思いをして、それを乗りこえたときに、

魂はそれを“楽しい”と喜ぶ。 

そしてつらい思いをしたからこそ、

同じようにつらい思いをしている人の役に立つことができる」からだろう、と思います。

つまり、ずっと幸せかつ平穏に過ごしているだけの人は、他人の心に寄りそえないし、

魂も、実は「それで楽しい」とは思わないようなのです。

つらさのただ中にある人は、実は、同じようなつらさを経験したことのある人の助言しか、真剣には聞かないものです。

なので、そのためにもつらい経験をする必要がある、

苦労する必要があるのかな、とも思います。 

実は、子どもたちに聞いた、空の上で暮らす魂の日常は、

すごく穏やかで、平和で、幸せなのだそうです。 

着るものにも、食べるものにも困らない世界で、

食べようと思えば、いくらでも食べられて、

ダイエットの必要もない、すごく良いところなのだそうです。 

ですので、この世に生まれてくる魂たちは、

“非日常”を求めて…まさにアミューズメントパークに来るような感覚で、

この世に生まれてくるようなのです。

楽園から楽園に移動しても“非日常”は感じられないので… 

それでこの世は、制限が多く、つらいことも多い世界なのでしょう。

そういった意味では、この制約の星、地球での、病気や障害など、辛く、悲しい経験も、

・陰徳を積んだか?

・自分の人生を楽しんだか?

上記を達成するために、とても重要な環境なのかもしれません。

またもぅ一つ、トキ君の情報として、重要なことがあります。 

私たちが、「人のために・・」と我慢をして自分のワクワクを殺し、

自己犠牲ばかりしていることを、神さまは「善し」としない・・と言うことです。 

私たちは「人のために」、「良かれ」と、我慢して自己犠牲を行い、 

そんな自分を自己賛美をしがちですが、 

自己犠牲の精神は、地獄行の要素でもあるのだそうです。

私たちが生まれる時、地上で何をするか?

何を楽しんでくるか?

神さまと約束してきます。 

神さまも「楽しんでおいで」と送り出してくれました。 

そうであるのに・・・

自分の楽しみを我慢し、押し殺し、やりたいこともせずに、地上の人生を終わることを、

神さまは決して 正しいこと とか、良いこととは見てくれないということです。 

全く逆の評価を下されます。 

私たちは、周りの人たちと仲良く助け合い、

そして、楽しむためにこの地上に降りてきたからです。 

私たちが、ニコニコして生きていることが、神さまは一番嬉しいからです。 

皆さんの心が、どんな時でも、感謝の気持ちで満たされ、

神々の恩寵を受け取れますように。


2026年3月5日木曜日

4187「お陰さま」2026.3.5

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年02月22日の記事を紹介します。


「お陰さま」


今日も、ご縁のある皆さんに、生きている今の物質の世界、 

そして死後の見えない非物質の世界(黄泉の国)を、幸せに生きる秘訣、

心をテーマに書きたいと思います。 

私が神社に行って、いつも唱える言葉の1つに、 

生きとし生けるもの、みんなが、お陰さまの気持ちで、生きられますように・・ 

というのがあります。

これには沢山の願いが込められているのですが、

生きとし生けるものが 

・お陰さまの、謙虚な気持ちで生きて行けますように

・助け合って生きて行けますように

・他人の個性、尊厳を認め、尊重して行けますように

・心が尊大になりませぬように

・他人を見下すことがありませんように

・おごり高ぶることがありませんように 

など様々な意味を込めて、お祈りしています。 

私たちみんなが、この「お陰さまの気持ち」を持って謙虚に生きられたら、 

他人を思いやる優しい気持ちで生きられたら、

この世の中からギスギスした雰囲気が消え、

春の日差しのように、

心地よい、温かな光に包まれることでしょう。 

そこに住む、みんなの顔が、笑顔で溢れ、笑い合って暮らしていけることでしょう。 

そんな、願いを込めて、お祈りしています。 

さて、このお陰さまに関して、とっても良い詩があります。 

上所重助さんと言う方が書いた「おかげさま」という詩です。

以前も掲載したことがあったのですが、ご紹介します。 

<引用開始> 引用元

 

夏が来ると「冬がいい」と言う

冬が来ると「夏がいい」と言う

太ると「痩せたい」と言い

痩せると「太りたい」と言う

忙しいと「暇になりたい」と言い

暇になると「忙しい方がいい」と言う

自分に都合のいい人は「善い人だ」と言い

自分に都合が悪くなると「悪い人だ」と言う

借りた傘も 雨が上がれば邪魔になる

金を持てば 古びた女房が邪魔になる

所帯を持てば 親さえも邪魔になる 

衣食住は昔に比べりゃ天国だが

上を見て不平不満の明け暮れ

隣を見て愚痴ばかり

どうして自分を見つめないのか

静かに考えてみるがよい

一体自分とは何なのか

親のおかげ

先生のおかげ

世間様のおかげの固まりが自分ではないか

つまらぬ自我妄執を捨てて

得手勝手を慎んだら

世の中はきっと明るくなるだろう

「俺が」、「俺が」を捨てて

「おかげさまで」、「おかげさまで」と暮らしたい

<引用終了> 


本当にその通りですね。 

私たち人間は結構、我がままです。

その我がまま(我欲)が本来の魂の輝きを隠し、罪、穢れとして付着してしまい。

運命を暗く、苦しいものにしてしまいます。

人生が順調の時は、どうしても、「お陰さま」の気持ちを忘れがちで、

尊大な心になることもあります。

そんな時は、もしかしたら他人に対する、優しさを忘れてしまっているかもしれません。

自分の思い通りにならなければ、イライラしてしまうかもしれません。 

感受性が鈍り、すぐそばに居る人の、瞳の奥に隠れた 

・寂しさ

・悔しさ

・不安

・恐怖

・ひもじさ 

などを見過ごしてしまうかもしれません。 

もしかしたら、死別や病気やケガ、急なリストラ、貧困、離別などは、

神さまが、私たちに、大切な「お陰さま」の気持ちを思い出させるために、

起こしていることかもしれませんね。  

もし、私たちの心が、お陰さまの感受性を持つならば、 

自然と感謝の気持ちに溢れ、 

「ありがとう」の言葉が、口から出てくることでしょう。 

そして、既に、その時は、生きながら、天国を実現している状況です。 

まさに空海の仰った言葉の通りの状態です。 

空海は仰いました・・・

生きとし生けるもの、すべてに命があり、心がある。

そのことを忘れてはいけないよ。

すべては、一人一人の命の働きから始まるのだ。

難しく考えることはない。

素直に生きて、皆に感謝をしなさい。

そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。

さすれば、道は開くであろう。 

空海は、そう仰ったのでした。 

生きながら天国に住む、仏の心になる。 

これが、空海の説いた即身成仏の意味です。

皆で協力し、助け合い、お互いさま、お陰さまの謙虚な気持ち、

温かな気持ちで、仲良く暮らしていきたいものですね。 

この「お蔭様」の感受性を持つことで、きっと幸せに暮らしていけると思います。


2026年3月4日水曜日

4186「青空ひろば」2026.3.4

 今回は大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


1675 2026.02.12 

<大敬の自己制約突破法> 

① 自分の腕、能力を信じない。

② 大自然は善意で出来ていて、私を養おう、育てよう、導こうとしてくださっていると信じる。

③ 捨て身で跳び出す。きっと大自然が身を支えて運んでくださると信じて。


1674 2026.02.11 

<自己限定・自己制約の心の分類>

① 時間にこだわる限定 ② 空間・距離にこだわる限定 ③ 大小にこだわる限定 ④ 数量にこだわる限定 ⑤ 上下・尊卑にこだわる限定

⑥ 有無にこだわる限定 ⑦ 生死にこだわる限定 ⑧ 自他にこだわる限定

<自己限定・制約の心を突破するための禅の公案>

① 時間にこだわる限定を突破する公案

『三千年前の釈迦と今・ココで、握手してみよ』

② 空間・距離にこだわる限定を突破する公案

『<伊勢の海 千尋(ちひろ)の底の細石(さざれいし) 袖(そで)ぬらさずに 取るよしもがな>さて、その石を袖もぬらさないで取って来い』

③ 大小にこだわる限定を突破する公案

『ドアの鍵穴を通って来い』

④ 数量にこだわる限定を突破する公案

『空には星がいくつある』

⑤ 上下・尊卑にこだわる限定を突破する公案

『釈迦も達磨もアイツの召使い。アイツとは誰のことか』

⑥ 有無にこだわる限定を突破する公案

『どうして達磨には鬚がない』

⑦ 生死にこだわる限定を突破する公案

『お父さん・お母さんが生まれる以前の君はどんな顔だったのか。その顔をここで出してみよ』

⑧ 自他にこだわる限定を突破する公案 

『富士山を歩かせてみよ』


1673 2026.02.10 

黒住宗忠公「ひとくちに申せば、<常祓(じょうばらい)>という事をお忘れなく、これを生かしてお使いになるより外に道はないと思います。寝ても覚めても御心のはらい一筋です」

(註)心にくもり(自己限定の心)が生じたら、その瞬間に息をフッと強くふきだして、そのひと吹きで心のくもりを吹き払ってしまう方法。


1672 2026.02.09

<『運を味方にする達人』中谷彰宏(メディア・ファクトリー)より>

「その道一筋にやっている人より「はずみ」でやってるやつのエネルギーのほうが凄いことがある。何の計算も、意識もないのが「はずみ」だ。だから強いのだ。

「はずみ」は勢いを持っている。「はずみ」は、こつこつした地味な積み重ねを、一気に飛び越える。「はずみ」はジャンプ力だ。早く夢を実現するには、「はずみ」の力をいかに利用するかだ。うまくはずむには、体の余計な力を抜いて、思い切り人生のいたずらに身をゆだねてみることだ」


1671 2026.02.08 

<大敬がこれまで抱え込んでいた自己限定>

・45歳という年齢(この歳じゃどこも雇ってくれるはずがない)→イノチには年齢なんてないんだぞ!

・過去の重苦しいみじめな経歴(定職に就いていたのはわずかな期間のみ)→イノチはいつも真っ新、経歴なんてないんだぞ! 

・物理という科目を教えたことがない→イノチには積み重ねるものはナイ。必要な時に必要なモノや才能も必ずやってくるように出来ているんだぞ!

・アタマの善し悪し(なんせ九州一の進学校だから、僕の能力で教えられるだろうか)→能力の才富は二重底、三重底。切りがない、必要に応じて発動することになっているんだぞ!

日頃はウジウジ、クヨクヨしていても、いざという時に、アタマを外して、とっさに本来のイノチに戻って、即行動に移せるようになったのです。


1670 2026.02.07

シッダールタは、一生懸命、眼を吊り上げて、夜も横にならず、食事もろくに取らず、肋骨がハッキリ見えるほどガリガリになって猛修行していました。でもちっとも成果が上がらず、いつまでたっても悟りが現われなかったのです。そんな不甲斐ない自分を責める毎日でした。

そして、ついにもうダメだと絶望し、修行を断念して、バタンと大地に横たわってしまいました。自分の無力さを受け入れざるを得なかったのです。

数日間、このまま死んでしまいたいと、何もしないでジッと横になっていました。

そうすると、自分を支えてくれている「大地」のぬくもりに気付くようになりました。

『生きなさい』とささやく、励ましの声が、どこからか聞こえてきました。天から大地から、生かそう、生かそうとする霊的なエネルギーが注ぎ込まれてくるのを実感できました。そうすると、生きるために必要な食料や衣類などを提供してくれる人も現われ出しました。

そして、次のような声が聞こえてきました。

『君に、今現に起こっていること(悟れない、仏になれないでいるという現状)は、宇宙全体(神仏)が、世界や君の進化向上にとって、今・ココで、このような状態(悟れない、仏になれない)でいることが、最善最適なものなんだと配慮し、手配して下さった、愛のプレゼントなのだということを、素直に認め、受け入れなさい。

そのように、今の状態をそのまま受け入れることが出来た、そのそこからが本当の修行のスタートなんだよ。

これまでは、君は自分の努力で修行しているんだと思っていたんだろう。君が自力で悟ろうとしていたんだろう。それが間違いなんだよ。 

君が修行するんじゃないんだよ。天や大地や山や空や海や、みんなが寄ってたかって、君を前に前にと歩ませるのだよ。後押しし、手を引いて一緒に歩んでくださっているのだよ』

そうなのでした。自分が修行しているのではありませんでした。また、悟るために、仏となるために修行しているのでもありませんでした。

大宇宙の促しのまま、イノチの催しのまま、ただ感謝して、結果を求めず、ただ坐禅していったらいいのでした。

悟りが開けなくても、仏になれなくても、今・ココでこのように坐禅させて頂いている。その天地からの奇跡的な恩恵に感謝して、結果を求めず、ただ坐ることが出来るようになったのです。

このようにして、シッダールタは、再び歩みはじめました。その歩みの一歩、一歩から宇宙全体に光が放たれるようになり、その光を見て、宇宙中の天人たちが集まってきて、シッダールタの尊い修行を祝福し、讃美したのです。

シッダールタの歩みは、ただ一歩、一歩にイノチの重心を据えた歩みで、先を思わず、後を振り返らず、わき見をせず、一歩、一歩にしっかり体重を乗せて歩けるようになったのです。

ところが、もう悟りたいなんていう目標は、とうに忘れ去っていたのに、気付いてみればいつの間にかゴールインして釈迦牟尼仏になっていたということです。


1669 2026.02.06 

<舞い>

天上の光輝の中で/私の闇は消えてしまい/天上の慈しみの中で/私の悲しみは融けてしまい/天上の広がりのなかで/私のエゴはくだけてしまい/天上の調べの中で/私はただよう/ただよう、ただよう/流れのままに/まあるく、まあるく/円をえがく/とぎれることのない/決してとぎれることのない/天上の舞いを…


1668 2026.02.05 

<大地の春>

人間を相手にするな/経典を相手にするな/大地の上に直(じか)に坐せよ/大地のぬくもりに直に融けこめ/萌え出(い)ずる生命(いのち)の息吹(いぶき)を/さざめく大気の喜びを/体いっぱいに吸いこめ


1667 2026.02.04 

<「能力の才富(さいふ)」の多層構造>

→「自我の囲い」が、薄くなったり、拡大することによって、才富の底が破れて、下の層までアクセス出来るようになる。

第1層の才富:生まれつきの能力、現世の努力で獲得した能力

第2層の才富:過去世で獲得した能力

第3層の才富:類(グループ)魂や民族魂、人類魂が獲得してきた能力

第4層の才富:「アカシックレコード」(世界記憶)


2026年3月3日火曜日

4185「動物と人間」2026.3.3

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年02月18日の記事を紹介します。


「動物と人間」


今日は、犬や猫など動物と人間との関わりについてです。

家にも犬2匹、ネコ1匹います。(ネコは生後間もなく保護したねこです)

小学生の神様(山幸彦)トキ君のお話の中でこんなお話がありました。(一部補足含む)


神さまが犬や猫に与えた役割

犬の役割

・人を護るため

・人に愛を与えるため

・心配や不安を抱いて生活していると犬も共感力が強いため、心が苦しくなる・悲しくなる

ネコの役割

・人間の邪気(悪い氣)を吸い取ってしまう

・しっかりとこの仕事をさせてあげると、彼らにとってそれが一番の幸せ

・その結果、すぐに天国に行けたり、すぐに生まれ変われたりする 

犬や猫など人間のそば近くで生きる動物たちは

かなり進化の階段を上っているそうです。 

まだ進化の低い段階の動物たちは、決して人間とは交わることがないのだそうです。 

そして幸運にも人間のそば近くで、生きることのできた動物たちで、 

更に人間から深い愛を受けた生命体は、急激に進化の段階が進むことができるそうです。

最終的には人間として生まれてきます。 

またトキ君のお話にあった、ネコは飼っている人(家族)の邪気を吸い取る・・ 

この言い回しは非常に日本的で、日本古来の縄文の神様の意識です。

(やはり節々にトキ君が日本神界の行為の神様の生まれ変わりであることが伺えます)

つまり大祓祝詞(おおはらいのりと)の中に書いてありますように 

決して邪気・悪を消滅させてしまうのではなく、 

抱き参らせ、浄化し、清いエネルギーに変換・浄化してしまうという、 

美しくも優しい、縄文の精神です。 

家にも犬とネコがいます。

何だか愛おしくなってきますね。 

さて、以前「動物の進化の過程」について記事を書きました。 

以下掲載します。

死についてのお話です。

死と言うと、それは私達肉体がある者から見ると、 

・もの凄く違う世界への旅立ち、

・忌み嫌うべきもの・・ 

と思いがちですが、決してそうではありません。

今世の目的を終わらせ、神様から借りていた肉体をお返しし、

本来の魂の存在に戻り、次の進化の階段を進むだけです。

ですので身近な人の死に対し、 

残された人達が、何時までも何時までも

悲しんで引きずる事は良いことではないと言われます。

その残された者の強い思いは、強力なエネルギーを持ちますので、 

やっと予定通りの肉体での生活を終わらせ、

進化の道を進もうとする魂を引き留め縛り付け、

何時までもここ3次元の世界から離れることが出来ない状態にさせてしまいます。 

それ程人の想いは強いものです。

それがよくわかる例を1つご紹介します。

東洋の叡智であるヨガを西洋に初めて伝えた偉大な伝道師として 

広く世界に知られているヨガナンダのお話です。

ヨガナンダがインドに作った全寮制の学校での出来事です。 

(ヨガとは神との一致を意味する単語です。

一般的な体操のヨガは、神と一致するための技法のひとつです)

<引用開始>

ランチ(ヨガナンダが20代前半にインドに設立した学校)には、

われわれの自由に使用できる10ヘクタールほどの肥沃な土地があった。 

われわれはそこに、果物や野菜を栽培し、また、そこで戸外の作業を楽しんだ。 

動物もたくさん飼っていたが、

中でも一匹の子鹿は、生徒たちからたいそうかわいがられていた。 

私もこの子鹿が好きで、夜は自分の部屋に寝かせたくらいだった。 

明け方の光が射し込んで来ると、

この子鹿は、ちょこちょこと私のベットに歩み寄って来て、朝の愛撫を求めた。

ある日、私は用事で町へ出かけた。 

そのため、私はいつもよりも早めに子鹿に餌をやって、

子供たちには、私が帰るまでは子鹿に何もやってはいけないと言い付けておいた。

ところが、生徒の一人が私の言い付けを忘れて、ミルクをしこたま飲ませてしまった。

夕方私が帰ると、生徒たちが悲しい知らせを持って駆け寄って来た。

『子鹿が、ミルクを飲みすぎて死にそうなんです!』

死んだようにぐったりした子鹿をひざの上にのせて、私は涙とともに、 

神に子鹿の命を助けたまえと祈った。

2、3時間すると、子鹿は目を開いて立ち上がり、

力なく歩きはじめた。学校じゅうの者が歓声をあげた。

しかしその夜、私は忘れることのできない深い教訓を与えられた。 

私は夜中の2時ごろまで子鹿のそばに起きていたが、

そのうちにうとうとと眠ってしまった。

すると夢まくらに子鹿が現れて、私にこう言った。

『あなたが引き止めるので、私は行くに行けません。

お願いですから、どうか私を行かせてください』

『よし、よし』私は夢の中で答えた。

私はすぐに目をさまして叫んだ。

『おい、みんな、子鹿が死んでしまうよ!』

子供たちは私のそばに走って来た。

私は、部屋のすみの子鹿のところに駆け寄った。

子鹿は最後の力を振りしぼって、つまずきながら私の方に歩み寄ると、

ついに力尽きて、私の足もとに倒れて息が絶えた。

この子鹿は、動物たちを支配するカルマによって、今ちょうど鹿としての生涯を終えて、

より高等な動物に進化する時期に来ていたのである。

ところが、私の愛着(これは利己的なものであったと、

あとで気づいたのであるが)と、熱心な祈りのために、 

子鹿は今の状態から離れることができず、その魂が解放を求めてあがいていたのである。

子鹿の魂は、私の理解ある許しを得ずに私のもとを去ることができなかったので、

夢まくらに現れて嘆願した。 

そして、私の承諾を得るとすぐに旅立って行ったのである。

悲しみは消えた。神は、その子らであるわれわれが、

万物を、神ご自身の一部として愛することを欲しておられるが、

 また、死によってすべてが終わってしまうわけではないことを、

理解するように望んでおられる、ということを私はあらためて悟った。

無知な人は、死を、

自分と愛する人々を永久に隔ててしまう越えることのできない壁、とのみ思っている。 

しかし、万物を神の現われとして愛することを知っている執着のない人たちは、

死とは、その愛するものが再び喜びに満ちた最高のいこいの場所である、

神のふところに戻るだけだ、ということを理解しているのである。

<引用終了>

生まれて来た以上、どんな人も動物も、命あるものは死を迎えます。

それは遅かれ早かれ時間の問題です。

ですが、その死(別れ)は神様が許したこと、

本人の潜在意識が生まれる前に計画してきたことです。

愛する人の死は本当に辛いものです。

死と言う肉体との別れが来た時、その悲しみを味わったら、

最後はありがとうと感謝で送ってあげるのが良いですね。

その人は既に死と言う境界を通過して、

大きな進化の階段をのぼろうとしているのですから。

肉体をまとう期間は短く、そして有限ですが、魂は永遠で、そして不滅です。

私達、人間、動物、植物、全てのものは霊的な魂を持ち、

常に神様へ向かう進化の道程の中に居ます。

死は、その一瞬の通過点にしかすぎません。


2026年3月2日月曜日

4184「日常の中の幸せ」2026.3.2

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年02月16日の記事を紹介します。


「日常の中の幸せ」


地球の波動がどんどん上がり、

・思ったことが実現するのに、それほど時間がかからなくなったり、

・波長が異なる者同士は、いつの間にか疎遠になったり

・神様が自然に「人払い」するようなことが起きたり、

・隠されていた闇が白日の下にさらされたり、 

色んな現象が起こっているようです。 

ますます私たちの心の状態により、

引き寄せられる世界が明確に分離していくのでしょう。

今日のテーマは「日常の中の幸せ」ですが、それに入る前に

斎藤一人さんの、簡単な言葉を掲載します。

一人さんは、子供のころから、アメノミナカヌシ神と交流されていた方です。

アメノミナカヌシは、150億年前の、この宇宙創生の時の最初の神様です。

その直後に高皇産霊神(たかみむすひのかみ)、神皇産霊神(かみむすひのかみ) 

要するに結びの力(中間子、弱い力と言われるもの)が現れ、

原子、分子など物質世界が形成されます。

一人さんのお話では・・・ 

身近な人が苦しんでいても、過剰に心配する必要はないよ。 

ただ信じてあげるの。 

人って、それぞれ学ぶべきことを決めて生まれてくるんだよ。 

だから、上手くいかなくても、「うまくいかない」ってことを学んでいるだけ。

さて今日のテーマ、平凡な日々の中にある幸せについてのお話です。

鈴木秀子さんのお話です。

鈴木さんは、聖心女子大学教授で、 

「死にゆく者からの言葉」

「子どもを傷つける親癒す親」

「あなたは、あなたのままでいてください。」

「死にゆく者との対話」

「臨死体験生命の響き」 

などの多数の著作者として知られています。 

クリスチャンでシスターでもあります。

そして臨死体験者であり、神様との直接的な接触、光体験をされた方です。

<引用開始>

物やお金にしがみついて、その繁栄だけを求めると、ちょうど切り花を飾ったようで、

目に見える世界はきれいになるし、いかにも幸せそうだけれども、 

そういうものだけで満たされると、心の空しさが起こってくるんですね。

あるとき、講演でこういう話をしたら、講演が終わったあと、一人の紳士が 

「コーヒーを御一緒する時間はありますか」と言うので、ご一緒したことがあるんです。

その方は精神科のお医者さんだったのですが、おっしゃっるには、

人間のエネルギーには縦と横の線があって、

例えば

・横線を お金や物や地位のエネルギーだとすると、

・縦線は 見えない世界だというんです。

もし人が10のエネルギーを持っているとすると、 

物欲が広がれば広がるだけ、縦のエネルギーはなくなるわけです。

ところが、その人がある日、ガンの宣告を受ける。

あるいは会社が倒産したとか、

社長にしようと思っていた息子が死んだりしたというような場合、 

突然頼りにするものがなくなるわけですから、どんでん返しがきますね。

がんといわれて入院してしまったら、どんな大きな会社を持っていようと

何の役にも立たない。 

そこで初めて、自分の頼りになるものは、何だろうかと考えるんですが、 

そのときに、いかに縦の線を短く生きてきたことかということを、

しみじみと感じるというのです。

それまでは8ぐらいあった横のエネルギーが、1か2になってしまうわけですから、 

その分を2しかなかった縦の線に、振り替えていかなければならない。 

そういう人を何人も診てきたけれども、

その振り替えがいかに大変かというお話しでした。

私はほとんど寿命が尽きて、いつ亡くなるかわからないような人を病院に訪ねて、

「何かしたいことがありますか」と訊いているんですが、

だれかと諍いを起こしたような人がいれば、まず「仲直りをしたい」というんです。

やはり人間には愛が一番大切だから、それに背くような行為があったら、 

修正して愛でつながりたいという願いが一番強いんですね。

その次に言うのは、「家に帰りたい」ということ。

それから、皆チューブでつながっていますから、「自分の口で食べたい」と言う。

「自分の足で立って、歩いてお手洗いにいきたい」と言う。

ほとんどの人がこういうことをいうんです。

それを聞いて私がいつも思うことは、私がいま会っている人で、 

自分の家に帰れられないような人はいないし、食べ物も自分で自分の口で味わえる。

私たちにとっては、自分の足で歩いて家に帰るなどということは、当たり前のことで、

死んでいく人のように、切実に思う人なんて、いないということなんです。

ところが、それがどれほどの恵みであるか、そういうことには気が付かない。

だから、私は死んでいこうとしている人たちが、一様に望むことというのは、 

生きている人たちへの遺言だと思うんです。

「当たり前のことこそ恵みで、死を間近にして、そのことに気が付くのでなく、 

いま気付きなさい」

ということを伝えているんだと思うんですね。

何かをすれば幸せになるのではなくて、いまが、幸せなのだということに 

気付くことだと思います。

<引用終了>

横線である、見えるもの(お金、地位、名誉、財産、学歴)だけでなく、 

縦線である、見えないもの

(優しさ、愛、友情、いたわり、思いやり、信じる心)も本当に大切ですね。 

そして私たちは死が近づくほど、これら見えるものを、段々とそぎ落とし、

見えないものの、大切さがわかってきます。 

死に際しては、見えないものしか持っていけないのですから・・

・貴方には今、帰る家がありますか?

・待っててくれる人がいますか?

・話を聞いてくれる友達はいますか?

・目は見えますか?

・耳は聞こえますか?

・歩けますか?

・自分で食事はできますか?

これら、普段は当たり前だと思っていること全てが、

本当は、奇跡で、有難いことなのです。

私達も死の淵まで行かなくと、病気になったり入院したりした時、

同じように思うこともあります。 

そんな時は、周りの人の何気ない優しさが、どんなに嬉しく感じることか?

逆に、周りの人のちょっとしたトゲのある言葉に、どんなに傷つくことか?

私達が亡くなる時。 

それはもしかしたら、そう遠くない日かもしれません。

本当の幸せがわかっていなかった。

命が何万年もあるみたいに思い込んでいた。

そんな後悔をしないためにも、ちょっと立ちどまり、家族の顔を見るとか、 

友達のこと、親切にしてくれる人のことを、少しでも思ってみることができれば、

生きているうちに、幸せを噛みしめることが、できるかもしれませんね。


2026年3月1日日曜日

4183「心のシミを取る」2026.3.1

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年02月15日の記事を紹介します。


「心のシミを取る」


もう何年も前から「トイレ掃除」を心がけています。 

出ていくときは、入った時よりもキレイにして出る。

たったそれだけです。

それには、見えない大きな効果があるようです。

大きな幸福をもたらす効果があるようです。

トイレの神様が、それを見ていてご褒美を下さる・・

そんなこともあるようです。

ビートたけしさんが、トイレ掃除について語っています。

<引用開始> 引用元

自分は、くだらない番組をやっていても、

どういうわけか視聴率が上がる。

自分が書いた小説は、なぜか売れていく。

描いた絵が美術館に飾られたりもする。

映画も、自分の楽しみとして作ったら、グランプリに選ばれもした。

自分としては、好き勝手にやっているだけで、

人よりも才能があるとは思えない。

でも、何をやっても全部高く評価されてしまう。

おかしい。いくら考えてみても、

自分の才能で、それらがやれるわけがない。

ただ、心当たりは、たった一つだけある。

それは、若い頃に、師匠に

「トイレをキレイに掃除しろ」と言われてから、

30年以上ずっとトイレ掃除をやり続けてきたこと。

ロケに行ったときなどは、公園のトイレがグチャグチャでも、

自分が使ったあとは、必ずキレイにする。

時には、隣のトイレまでキレイにして出てくることもある。 

もちろん、掃除道具を持って歩いているわけではないので、

トイレットペーパーを使ってとか、ないときは、素手でもやる。

そういうことを30年以上もずっとやり続けてきた。

自分には才能があるとは思わないのに、なぜかもてはやされるのは、

もしかしてトイレ掃除の効果かもしれない。 

<引用終了>

私もたけしさんと同じく、良いことが起き続けているのですが、 

それは本人だけでなく、本人に係る人間関係においても起き続けています。 

それは、なぜだか考えたとき、気づいたことがあります。 

それは、トイレの汚れを一つきれいにするたびに

心の中の 

・見えない汚れ

・頑固な汚れ

・古い古い汚れが 

一つ一つ綺麗になっていくのではないかということ・・ 

心の中に

・うらみ

・つらみ

・不平

・不満

・愚痴

・呪い

・嫉妬

・ねたみ

・後悔

などがあると、それが種になり、いつか現実の世界で実を結んでしまいます。

なぜなら、この世界では、

心の中にあることが現実化することになっているからです。

これら見えない心の中のシミがあると、

それは様々な形で、私たちに災いをもたらします。

私たちはその真理がわかりませんから 

その出来事は単なる偶然とか、、運が悪かったとか・・

で片づけてしまい、また悶々とした生活を続けてしまいます。 

心を浄化させること・・

それは、ご自分の幸せに直結するだけでなく、ご家族も幸せにします。 

そしてご先祖や、未来の子孫たちにも功徳を及ぼします。

トイレ掃除は、習慣化してしまえば、

本当に簡単なことです。 

そしてその効果は、確実に現実化します。 

皆さんも試してみることをお勧めします。