2021年8月18日水曜日

2428「苦しい時ほど予祝」2021.8.18

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月15日の記事を紹介します。


「苦しい時ほど予祝」


今私たちが置かれている状況は、私たちの心の状態が生み出したものです。

ですので普段から、まわりやTVなどから接する情報も、できるだけ

・清らかなもの

・優しく温かなもの

・思いやりのあるもの

・人に勇気を出させるもの 

などにして、好奇心をくすぐる、面白おかしくデフォルメされた・・・

・ゴシップ

・人をだましたり

・嫉妬したり

・恨んだり

・貶めたり

・陰口を言ったり聞いたり

そのような物を見たり聞いたりして、心に入れないようにしたいものです。

無意識に心に入れたものが、現実化してしまう可能性が高いからです。

もし今の現実を変えたいならば、人や周りを変えようとするのではなく、

自分の心をきれいに洗濯をしてみることをお勧めします。

そのためには、感謝の気持ちが大切です。

思ったこと、心の中のことが現実化するとは、私たちが神さまと同じように作られたからです。神々と同じ、創造する力を私たちは与えられているからです。 

さて、ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』で有名な故渡辺和子さんは、36歳の若さでノートルダム清心女子大学の学長となりましたが、若さゆえに沢山の苦労をなさいました。

<引用開始> 引用元 


思いがけず学長という立場につけていただきまして、やはり苦労がございました。

私はいわゆる「くれない族」というものになりました。

・お辞儀をしてくれない。

・あいさつをしてくれない。

・こんなに苦労しているのに労ってくれない。

そういう「くれない族」。

私は「もっと人様に仕える仕事をさせていただくために入ったのに」と私を修道院に推薦してくださったアメリカ人の神父様のところにまいりまして、縷々(るる)不平不満を述べました。

すると神父様は、「あなたが変わらなければ、どこへ行っても何をしても同じだよ」

とおっしゃいました。目からうろこが落ちました。

他人が変わることばかり求め、幸せを他人まかせにしていた自分に気づかされました。

私が変わらなければと思い、私の方からあいさつをする人間に変わる決心をいたしました。

そうすると、周りの方が変わってくださったんですね。明るくなりました。

それまでは、環境さえ変われば、みんなさえ私を理解してくれれば、と思っていました。

神父様の一言で、大切なのは人に頼ることじゃないんだ、と気づきました。

「環境が悪い」「人が悪い」ではなくて、悪い環境ならよくしよう。

よくするためには、まず私が一番先に変わらなければいけない。

発想の転換と申しましょうか、そういう気持ちになりました。

私は傷つきやすいところがございますけれども、そのおかげで、

人様にこういうことをしたら、この言葉を申し上げたら傷つくんじゃないかということが

わかる人間になったと思います。

弱さ、傷つきやすさを逆手にとって、相手の気持ちがわかる人間になる。

だから傷つくことのありがたさを忘れてはいけないのです。

時間の使い方は命の使い方。この世の中に無駄なものは一つもございません。

嫌なことや傷つけられたことさえも私たちは、いいことに変えられるのです。

<引用終了>


渡辺さんは学長として、働き盛りだった五十歳の時、うつ病となり、死を考えた経験があるのだそうです。そして、周りの方々、取り巻く神々に助けられ、克服しました。

渡辺さんの醸し出す、静謐の中の深い優しさはそんなところから来ているのかもしれません。ご自分で苦しみを味わったからこそ、同じように苦しむ人々の心の内が分かり、そして、寄りそい、温かな言葉をかけられるのでしょう。

そう考えたら、ご本人の仰るように病気さえも無駄ではなかったことになります

返って神々の恩寵となったのです。

神様のやり方は、何時も同じです。

神様は私たちの「願ったもの」ではなく、幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。それは必ずしも私たちが欲しくないものかもしれません。

でも、全てが必要なものなのだと、感謝して謙虚に受け入れることができれば人の魂は、どんなに光り輝くことでしょう。周りの人たちの心を照らし出すことができるでしょう。

お腹が空いた時のひもじさが分かるから素朴な美味しさを感じることができます。

私たち生きている人間は物事の表面しか見ることができません

その、ほんの一面だけを見て

・良い、悪い

・幸、不幸。

を判断することはできません。

有頂天になったり、落ち込むことには意味がありません。

どんな人も、必ず、時が経って振り返れば、究極的には、肉体が亡くなって天に返る時には、

今の状況に至るためにはその出来事が必要なことであったそう気付くことでしょう。

神さまは、幸運を与える前に、必ずまず、不幸に見える出来事をくださいます。

そして、その出来事に不平や不満、愚痴を言わずやり過ごすことができた時、

幸運がやってきます。それは、必ずセットになっています。

更に、神さまのなさり方が理解できたのなら、きっと前半部分の不幸に見える出来事がやって来た時、感謝の気持ちで受け取ることができるでしょう。


また、もっと確実にする方法があります。

それは日本人が古来からやってきた方法予祝(よしゅく)です。

祝福をあらかじめ予定するのです。いわば前祝い。

先に喜び、先に祝うことで、次に来るであろう、喜びの現実を引き寄せる

これは、日本人が古来からやっていた夢の叶え方だそうです。

お酒を飲みながら、お米がたわわに実ることを想像し、仲間とワイワイ先に喜んでしまう、前祝い。それが夢の引き寄せであり、お花見の由来だったのだそうです。

どのような現実が、起ころうと私たちの運命は、全て結果オーライになるように組まれています。そうであれば、常に感謝の気持ち笑顔で生きて行きたいものですね。

2021年8月17日火曜日

2427「祓い清め」2021.8.17

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月12日の記事を紹介します。


「祓い清め」


感謝の心を持つことこそ、生きている今、幸せになる方法です。

今の状況を何とかしたいのに・・・

もし、それがどういうことか分からず、何をすれば分からないようでしたら、

日本と言う国だけに存在する「ありがとう」という言葉、言霊を、何度も何度も毎日毎日

朝から晩まで、寝ていても、心の中で結構ですので、唱えてみてください。


さて、今日の本題です。

私たちは神社に行くとよくお祓いやご祈祷をしていただきます。 

この祓い、清めることについて日本の形成外科の草分け的存在である医師であり、かつ元春日大社宮司、故人 葉室頼昭さんが以下のように説明してくださっています。  

<一部引用開始> 引用元

 

特に申し上げたいのが、日本人は、人間は自分で生きているのではなく、すべて神さまの恵みと、祖先の恩によって生かされているという感謝の生活を送ってきたということです。



これは、人間の生きる、素晴らしい真実の道です。

この世の中にはいろいろな、悩みや苦しみ、病気などがありますが、それらすべては、生かされているという感謝の気持ちを忘れ、自分の力だけで生きているという「我」の心が原因で現れてきます。

いろいろな悩みが現れるのは、神さまからいただいた、清浄で健康な素晴らしい姿を覆って包んでしまう、罪(包身 つみ)や、私たちを生かしてくださる神さまの尊い気を枯らしてしまうような穢(けが)れ(気枯れ)が身についたためだということを、昔の日本人は直感で知っていました。

ですから、これらの罪穢れを祓(はら)い除けば、もとの健康で幸せな姿が現れるとして、

古来より祓いということを行ってきたのです。

これは、世界に誇るべきことであると私は思います。

 

今の医学では、病気は存在するものであり、それを撲滅するのが治療だと思われています。

しかし私は、この日本人の罪穢れを祓えば、もとの健康が現れるという考え方のほうが、真実の医学ではないかと思うのです。

その他にも、素晴らしい特質を挙げていくと、きりがありません。

日本人は古来より素晴らしい真実の生活を続けてきた世界でも珍しい民族でありますから、

これらをひとりでも多くの人が自覚し、日本人の誇りをもって、胸を張って生きてほしいと願っているのです。 

<引用終了>

 

私たち人間は、生まれた時には神さまからいただいた、清浄で美しい心をしていました。

生まれる前に、誰もが、神さまから人生の目的や、人生で起こること全てこれらを承認していただいて、生まれることを許され、「行っておいで」と祝福されて、地球に生まれてきたからです。

ですが、この世に生まれてきた後、制約の多いこの地球で、いろいろな、しがらみ、悪意、陰謀の波にさらされ、何時しか、自我(自分の意志や考え方を言い張って、わがまままこと)に翻弄され、罪、氣枯れで、魂が覆われてしまいます。 

神社などでの、お祓いや、祝詞は、これらを祓い清め、魂の本来の輝きを取り戻すために行われます。

祓われるのは、悪しきことだけではありません。良きことも、祓い清められ、「無」つまり、

ニュートラルな状態にしてくれるのだそうです。

 一旦、無の状態になることで、内なる神聖が輝きだし、本来の道(生まれてきた目的)に立ち返り物事が、スムーズに運ぶようになるのだそうです。

 スムーズに運ぶ。。。とは、「安楽な道」だけではありません。 

例えば自分の生まれてきた目的があえて、困難、苦難な状況に身を置くことで、その中で、 

・投げ出さず

・希望を捨てず

・不平、不満、愚痴、悪口、呪いの言葉を言わず 

・感謝の心を忘れず

・笑顔を絶やさず

そのような魂を輝かせるための訓練の場を、自ら設定して、生まれてくる人もいるからです。

人それぞれ、

・生まれてきた目的も

・その達成するための道のりも

・必要な時間も 

全て違います。

自分のことは、おぼろげにわかるかもしれませんが、ましては、他人のことは、分かりません。 

分からないのに、他人の一面だけの姿を切り取って見て、勝手に解釈し自分のフィルター越しに見て批判、中傷していては、自分自身の心を曇らせ、闇に置き、一気に運気をどん底にまで引き落としてしまいます。 

であれば、人を批判・非難することなく、そして自分の身に降りかかる運命も、抵抗せず、感謝をもって素直に受け入れ、周りの人に対しては、 

・寛容な心

・優しい心

・あたたかな心 

で接して行きたいものですね。

そのような、暖かく、美しい心こそ、自分の人生を、暖かく、美しいものにしてくれるからです。


2021年8月16日月曜日

2426「青空ひろば」2021.8.16

今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最近の記事を紹介します。


411 2921,08,13

『大力量の人、風が吹けばコテンと倒れる(大力量底の人、風吹けば倒る)』という禅語がありますが、風に逆らって踏ん張り続けるのがいいのではなくて、風が吹いてきたら、素直にすっ転んで、風が止むまで、あったかい大地に身を委ねましょうという勇気も必要ですね。何年も吹き続ける風なんてありませんからね。


410 2021.08.12

(中学教頭であった時、1年の学年通信に書いた文章です。

タイトルは『儚(はかな)さと懐かしさ』です)

冬休みには夏休みや秋休みと違った、独特の雰囲気があります。

年末の大掃除、お正月準備の買い出し、鏡餅やしめ縄を飾り、そして大晦日の紅白歌合戦、年越しそば・・・、年が明けると、初日の出を拝みに出かけ、神社やお寺に初詣、楽しいお年玉など、民族の伝統行事の目白押しです。

 私は中学生の頃には、そんな伝統行事を毎年繰り返すことの意味がよく分かりませんでした。おそらくみなさんもそうなのではないでしょうか。

しかし、結婚して子供も生まれると、自分がはるかに遠い過去の祖先から始まって、先輩たちが必死の思いでバトンタッチして繋げてきた、いのちのチェーンの一つの環として、自分も加わったんだなあとハッキリ実感出来るようになりました。

そして、そのいのちのチェーンの最先端の位置にいる者として、先祖の方々や、民族の先輩たちが苦闘努力の末に、それでもやり残してしまったさまざまな課題を、その一部でもいいからなんとか解決して、次の世代にいのちのバトンタッチをしていかなければならない。そのためにこそ私たちはこの現代に生きているんだと理解できるようになりました。

年末、年始の伝統行事に参加することによって、民族の一員であることを再確認し、先輩たちが果たせなかった悲願の達成を誓うのです。     

お正月というと、家族全員が集まって、こたつのなかで、トランプで遊んだり、百人一首に興じたりした、そんな懐かしくも暖かい思い出がすぐ浮かんできます。

しかし私の場合、今や父母も地上を去り、兄弟姉妹も各地に散らばって、もう二度とこういう光景は帰ってきません。

あれはフラッシュライトに一瞬照らし出された、奇跡のような、貴重な体験だったんだなあと、今にしてしみじみ思うのです。

ですから、皆さんにも、二度とない人生のこの時の家族全員と過ごす貴重な一時を大切にして欲しいと思います。

お父さん、お母さんの手伝いをしたり、思いっきり甘えてみたり、兄弟姉妹たちと仲良く遊んだり、暖かい思い出をいっぱい作りましょう。


409 2021.08.11 

ふたつ目は、「ヒロビロ心さん」が、性能の良い心さんです。

心の広さは、ガソリンタンクの容量です。広い心さんは、いっぱいガソリンが入ります。狭い心さんには、ちょっとしか燃料が入りません。

いっぱいガソリンの入った心さんは、どんなに遠い夢のゴールにでも、楽々あなたを運んでくれます。しかし、心が狭いと現実を脱出して夢を実現するには、エネルギーが不足です。

このように、夢を次々実現して、楽しくて、達成感、充実感のある人生を送るために、サバサバ心、ヒロビロ心を保つトレーニングが必要です。 

般若心経は、サバサバ心さん養成のマニュアルで、法華経は、ヒロビロ心さん養成のマニュアルです。

般若心経については、『劇的に運が良くなるお経』(カドカワ)をお読みください。おかげさまで何度も重版するベストセラーになっています。

法華経については、しあわせ通信第八集『法華経講義-湧喜をもって踏み出すために-』(本心庵)や『くじけない力』(カドカワ)をお読みください。


408 2021.08.10 

心さんは、あなたの人生の夢と現実を結んでくれる存在です。

その中間者(媒介者)としての性質を、私は「ゴムひも」や「乗り物」やスクリーンに映像を映し出す、夢の原画が描かれた「フィルム」などでよく喩えて説明します。

ところが、夢を描いても、なかなか実現しない人もいれば、どんなデッカイ夢でもスイスイ現実化してゆく人もいます。これは、努力の多い、少ないによるのでなく、心さんの性能の良し悪しによるのです。

では、性能の良い心さんとは、どんな心さんなのでしょうか。

ここでは、二つだけポイントをあげておきましょう。

ひとつ目は、「サバサバ心さん」が、性能の良い心さんです。

心さんをタクシーで喩えてみましょう。

運転手さんに行き先を告げます。

その時、ズバリと、何のためらいもなく行き先を告げられますか。行き先を再三再四変更するようなことはしていませんか。これでは、運転手さんは、あなたが本当はどこに行きたいのは分からず、困ってしまいます。せっかくの高性能マシーンが、宝の持ち腐れです。

それから、いったん行き先を心さんに告げたら、あとはお任せです。居眠りしていてもいいのです。「果報は寝て待て」と言うではありませんか。

心さんは全知全能です。宇宙中の町並みや道路を、心さんはことごとく知り尽くしています。だから、あなたが夢のゴールを告げたら、心さんはあなたにとって最適の道筋を選んで、必ずあなたをゴールへと運んでくれます。

ですから、途中の道筋についてあなたが心配したり、注文をつけたりしてはいけません。いったん行き先を告げたら、あとはいっさい口出ししない、そんな男らしい「サバサバ心さん」が性能の良い心さんなのです。明日は二つ目のポイントを説明します。


407 2021.08.09 

(さらに前回の続きです)

様々な原因結果の連鎖をたどってここに現われている無数の事情を持つ人々の群れ、「おはよう!」と呼びかけても、必ずしも返事が返ってくるとは限りません。でも「おはよう!」と呼びかけ続けることは自分の意志と決断で出来ます。『僕は君という人間が存在する価値を認めていますよ』と宣言し続けることは出来るのです。

混沌として、また醜いこともある世界、そんな世界に対して、返事があってもなくても、ひたすら「おはよう!」と言い続けることが出来た人だけが、世界を大きく変革してきたのだ、という事を知っておいて下さい。

校長先生が入学説明会の時でしたか、「明るく、元気よく挨拶出来る少年になって下さい」とおっしゃいましたね。今回はその校長先生の言葉を敷衍(ふえん)して説明してみたのです。  


406 2021.08.07 

(前回の続きです)

世界は『因果(原因・結果)の博覧会だ』といった人がいました。挨拶しようとしても、どうしても出来ないという人だっているのです。

朝日新聞に養老孟司さんがエッセイを書いていました。養老さんは、「さよなら」という挨拶が出来なかったのです。だから、友達と別れるときは、何も言わずにそのまま行ってしまうのでした。自分でもそんな奇癖は分かっていて直そうとするのですが、どうしても「さよなら」が言えませんでした。

ある時、その原因が分かりました。養老さんは幼い時に、お父さんを亡くしたのですが、お父さんが亡くなった時、親戚の人にお父さんのところに連れて行かれて、「お父さんに最後の『さよなら』を言いなさい」と言われました。養老さんは、お父さんにもう二度と会えないという現実を認めたくなかった。だから、『さよなら』を言わず、泣きじゃくっていたのでした。そのことを思い出して、亡くなったお父さんに向かって、心の中で『お父さん、さようなら』と言えた時から、『さよなら』と挨拶出来るようになったのだそうです。


405 2021.08.06

(中学教頭であった時、1年の学年通信に書いた文章です)

元サッカー日本代表監督 岡田武史氏は母校早稲田大学での講演で、挨拶することの大切さを強調されて、その理由を『挨拶は、その挨拶する相手がこのチームに所属することを認めていますよ。決して存在を否定したり、所属を許していなかったりしていませんよ、という合図だから』と述べています。

つまり、「おはよう!」と呼びかけることは、『君という存在を認めています、尊敬しています』と、相手に宣言し、確認してもらう行為なのです。

もし「おはよう!」と挨拶しても「おはよう!」が返ってこなかった。だから腹を立ててもうその人には挨拶しないというなら、それは挨拶しない人の負けです。『僕は君という人間が僕の世界の中に存在する価値を認め、尊敬していますよ』という宣言が、ほんの些細なことで揺らいでしまうほど薄っぺらで、ウソのものであったことを暴露されてしまうからです。


404 2021.08.05 

(岡 潔 先生の言葉)

真我が自分であるとよく悟った人は、他が悲しんでいるのを見ると、自分の肉体が引き千切られるように感じるのである。これは観音菩薩の心である。そうなればどんなによいだろう。・・・

春が来る。桜の花が咲く。

このとき、桜の樹の所有権が自分になければ、花を見ても長閑(のどか)ではないという人がいたならば、その人の春はどんなにか淋しいものだろう。

一歩進めて、他がしあわせそうにしているのを見ると、自分の心に喜びを感じるのが人の本然の心であって、肉体という物質の親疎の別によって、感じる喜びの程度が違ったり、その喜びが弱かったりするのは、心に濁りがあるからだということは、そう聞けばなるほどそうだとわかる人は多いと思う。・・・

他がしあわせそうにしているのを見ると、必ず自分の心に強い喜びを感じる人には、世の中は広々として、心は常に喜びにみたされている。

(大敬解説)

岡先生がおっしゃることは、まことにそのとおりなのですが、人類の魂の進化段階はまだ自他一体となるところまでは行っていません。

「真我」を矮小化する「自我の囲い」も今の段階では、やはり必要なのです。

ですから、何事も一気には進めません。

今の現状を認め、許して、そこから一歩ずつ前進するのです。

観音さまの自他一体の境地、『そうなればどんなによいだろう』と、憧れと尊敬を持って、自分の到らぬところを認め、懺悔して、いつの日か、きっと観音さまのようになれるんだと信じて生きてゆきましょう。


403 2021.08.04 

(岡 潔 先生の言葉)

「真我は空間的にも限りなく拡がっている。

その拡がり方は、普通人が<自分>だと思っているものは、真我の自分である。

普通人が<他>と思っているものは、真我の非自非他である。

普通人が<自然>と思っているものも、真我の非自非他である」 

(大敬解説)

つまり、「ひとついのち」で生きとおし(時間的にも空間的にも)なのです。

そんな我(真我)が、『自分』と現われ、『他』と現われ、『自然』と現われているのです。全部、『私』なのです。


402 2021.08.03 

(岡 潔 先生の言葉)

「短く区切って見ると、日本民族は失敗に次ぐ失敗をしているように見える。

しかし、長い目で見れば、少しもムダをしていないのではないかと思う」

(大敬)

人類の意志は『無限向上』を目指して揺るぎがありません。照準はピタリ合っています。

向うところ、ゴールはすでに確定しているんだから、途中で一喜一憂する必要はないではありませんか。心配ないそのままでオーケー

善意(あい)につつまれて生きている うまくいかないはずがない

解けない問題なんてない 真理はシンプル ニセモノは複雑


401 2021.08.02 

大も小もあるもんか 俺が俺であるだけのこと

人に歩めぬ俺だけの道 人にゆずれぬ俺だけの道


400 2021.08.01

生かす人が 生かされる人になるのです

人を生かし モノを生かし 事を生かす

そんな人には 人もモノも事も みんな味方となります


399 2021.07.31

他者との 誠意をこめた関わりの中で小さく、局限されて生きることになっても

あなたは、ソコに喜びを見いだしてゆけますか

他者との 誠意をこめた関わりの中で評価されず、脚光をあびない人生を

送ることになってもあなたは、ソコに充足して居れますか

他者との 誠意をこめた関わりの中であなたが示したさりげない善意が

人類進化のジグソーパズルを完成させるために、どうしても必要で欠かすことが出来ない

貴重な『ワンピース』になるんだとあなたは信じることができますか


398 2021.07.30 

「いのち」に一番近いのは身体(からだ)です。

そして、一番遠いのは頭(アタマ)です。

アタマは日常生活でフル回転させていますね。

本当は必要でないところまで、むしろ、いのちの流れに逆らうところまで、アタマを働かせていますね。

ですから、せめて坐る時だけは、アタマ君に「ごくろうさん、しばらく休んでいいよ」と休ませてあげるのがいいのです。

アタマを解き放ってやりますと、「いのち」が前面に押し出してきます。

そして、日常生活で傷み、いびつになった身体をどんどん修繕してくれます。


397 2021.07.29 

何をあせっているの 君のいのちは 促成栽培できません

大木は ゆっくりゆっくり 育つのです


396 2021.07.28

どの道を選んでもいいのですよ。どの道を行っても必ず<幸せの国>に入れるんです。あなたには自らの進む道を自ら選ぶ自由があるのです。

しかし、どの道を選んだとしても、その道はあなたにとって、唯一絶対の、二つない、三つない道です。

その道の今・ココの、その一歩に、あなたの生命の全体重が、全身全霊がかかっていなければなりません。

真剣な学び、努力の姿勢が必要なんです。

その覚悟さえありましたら、次々、自動的に新しい道が行く手に伸びてゆくことになります。あなたのいのち全体が、次々「道」となって伸びてゆくのです。



2021年8月15日日曜日

2425「大祓祝詞の神髄」2021.8.15

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月11日の記事を紹介します。


「大祓祝詞の神髄」


春日大社の元宮司で、医学博士 葉室頼昭さん。

日本神道の 最高の階位 浄階まで進まれた方ですが、葉室さんが仰るには・・・

日本の神道は宗教ではありません。 

教祖もいませんし、経典もなく、よって何者にも「依存の心」を抱かせないからです。

今日は、葉室さんの言葉による大祓祝詞の解釈をご紹介します。 

何故なら、神道(日本の縄文時代からの心)では、神々からの恩寵を得るために、神々に喜んで頂くために、祭りをしたり、神楽を舞ったりしますが、同じように 神の言葉(音魂)で書かれた大祓祝詞を奏上することも、喜んで頂くための非常に有効なこととされているからです。

神道の中で、もう千年以上も受け継がれてきた祝詞があります。

それは、神々から伝えられ、大和言葉で表現された大祓祝詞です。

皆さんはこの大祓祝詞をご存知ですか?

大本は藤原氏の祖先である中臣氏のどなたかに神々から降ろされた言霊です。

この祝詞は春日大社が創建された当たり(西暦768年)に降ろされたものではないかと言われており、神さまの言葉を甘受した方が、大和言葉で受け取りました。

ずっと活字としては伝承されていませんでした。

大和言葉とは、母音をはっきりと発音する言語です。

1文字1文字に神々の息吹が込められた、私たち日本人の宝です。

中臣氏と言えば、小学生ぐらいに日本の歴史で習ったかもしれませんが

中臣鎌足

中大兄皇子(天智天皇)とともに乙巳の変から大化の改新に至る諸改革に携わった。 

その後功績を称えられ、死の直前に天智天皇から藤原朝臣姓を与えられたとされる。 

他方、この時に与えられた藤原の姓は鎌足一代のものであり、

後に改めて鎌足の遺族に藤原朝臣の姓が与えられた。


この方の祖先は、ニニギノミコトが天孫降臨した際に、

重臣として付き添って天上界から降臨した3名のうちの1人です。

重臣の名前は、天之児屋櫛眞智の命・・・・・アメノコヤネクシマチノミコト

八咫鏡を守って政策立案を担当した方です。後の中臣氏 ⇒ 藤原氏の祖先となります。

この大祓祝詞は、この言葉さえ唱えていれば、全ての罪、穢れが祓われると言われているもので、神々から降ろされてから千年以上たった現在でも、毎日全国の神社で唱えられている祝詞です。これだけ長く続くということは、本物である証でもあります。

この祝詞の中に四柱の祓戸大神(はらえどのおおかみ)が現れます。

①瀬織津比咩(せおりつひめ)  → 禍事・罪・穢れを川から海へ流す

②速開都比咩(はやあきつひめ) → 海に流した禍事・罪・穢れを飲み込む

③氣吹戸主(いぶきどぬし)   → 速開津比咩が飲み込んだ禍事・罪・穢れを根の国底の国に吹放つ

④速佐須良比咩(はやさすらひめ)→ 根の国・底の国の禍事・罪・穢れを神々の清らかなエネルギーに変換して地上へ戻す

です。

つまり宇宙の循環構造を神々の働きとして表しています。

循環の思想は世界中見渡しても、日本にしかありません。

日本は島国であり、古来から自然とともに生きる、和をもって尊しとする国だったからです。

他方、外国は大陸にあり、常に四方から敵が攻めてくる恐れがありました。

この結果、

・善か悪か?

・正しいか、誤りか?

・敵か味方か?

この2元論の考え方が思想の根本にあります。

そのため、地球に転生する魂たちの中でも、日本は群を抜いて人気があるそうです。

ですが、私たちが日本人だから偉いというわけではなく、

誰しも数多くの転生を繰り返しますから、日本で生まれたり外国で生まれたり色々です。

上下の区別はありません。

また大祓祝詞は、本来、大和言葉で口伝されてきたものであり、漢字の当て字がされたのは、今から880年ほど前にしかすぎません。漢字で意味を掴もうとすると、大きな誤解を生みます。(春日大社、元宮司で、藤原氏の子孫 葉室頼昭さん談)

この四柱の祓戸大神の名前も当て字にすぎません。

宇宙を支配している循環構造に対し、それぞれの役割ごとに神々の名前を当てたに過ぎません。この循環の構造は、同じく大祓祝詞の以下の部分で、詳しく示されています。

■原文

あめのますひとらが あやまちおかしけん くさぐさの つみごとは あまつつみ くにつつみ ここだくのつみいでん 

かくいでば あまつみやごともちて あまつかなぎを もとうちきり すえうちたちて 

ちくらのおきくらに おきたらわして あまつすがそを もとかりたち すえかりきりて 

やはりにとりさきて あまつのりとの ふとのりとごとを のれ


かくのらば あまつかみは あめのいわとを おしひらきて 

あめのやえぐもを いづのちわきにちわきて きこしめさん 

くにつかみは たかやまのすえ ひきやまのすえに のぼりまして 

たかやまのいぼり ひきやまのいぼりを かきわけて きこしめさん 

かくきこしめしてば つみというつみはあらじと しなどのかぜの あめのやえぐもを 

ふきはなつことのごとく あしたのみぎり ゆうべのみぎりを あさかぜ ゆうかぜの 

ふきはらうことのごとく おおつべにおる おおふねを へときはなち ともときはなちて 

おおうなばらに おしはなつことのごとく おちかたのしげきがもとを やきがまのとがまもちて 

うちはらうことのごとく のこるつみはあらじと はらえたまい きよめたもう  

■意訳

人間は、生きていくうちに、いろいろな罪を作ってしまうものです。

しかし、いろいろなことで罪を作ってしまったら、

それを充分に反省して、そしてそれが二度と行われないようにしなさい。

そして全て神さまの導きにしたがって、今を全力で生きなさい。

たとえどんな厳しいことが現れても、また自分にどんな被害を与える人が現れても、

それを恨んだり憎んだり、また仕返しをしてやろうなどと考えてはいけない。

また苦しみを悩んだり、逃げようと考えてもいけない。

そのようなことは粉々に砕いて、ただ無我になってこの大祓詞を唱えなさい。

そうすれば神さまはちゃんと見てくださっています。

神さまが私たちの心を聞いてくださったら、その時は全ての罪というものが祓われ、霧のように消えていきます。

 

私たちは神社でよく「お祓い」をしていただきます。 

このお祓いとは、罪や穢れを除去するという意味ではありません。 

そのような2元論の思想は、この美しい国、日本には無いからです。 

この世に存在するものは、決して消し去ることはできません。

消えたかに見えて、実際は、姿かたちを変えて存在しています。

紙を燃やせば、紙は無くなりますが、実際は姿を変えて、煙の分子と、灰の分子になっただけです。 

私たちの神さまの「祓い」とは、大和言葉で言うと 

・は--生まれるという意味 例 母、葉(人間の出す二酸化炭素を命の源、酸素に生まれ変わらせる)

・ら--君ら、僕らのらの意味。沢山と言う意味

・い--いのち、生命の意味 

この結果、祓いとは、命が沢山生まれる。。という意味になります。

お祓いは、ツミ、ケガレを水に流し、黄泉の国に送り、再び純粋な神々のエネルギーに変換してくれるものです。決して除去することではありません。   

人間は、どんな聖人君子であっても、生きている限り、罪、穢れが生じます。

ですが、この罪、穢れの本当の意味は

・罪--包身(ツミ)。神様が下さった本来純粋な人間の魂を、我欲が現れて、包み隠してしまうこと

・穢れ--氣枯れ(ケガレ)。日々我々を活かしてくださっている神様の純粋な氣を、我欲で枯らしてしまうこと

です。

これをお祓いによって、神様の氣で充実させ、本来神様からいただいたまんまの美しい心の輝きを取り戻します。

お祓いには、このような意味があります。 

そして大祓祝詞は、千年以上も伝承されてきた日本最古の祝詞でもあります。

真実のものであるから、千年もの間、滅びることはありませんでした。 

大祓祝詞で言われているように

・どんなに辛いことも

・どんなに悲しいことも

・人からどんな仕打ちを受けても

人や環境を恨んだり憎んだり、また仕返しをしてやろうなどと考えず、感謝の心でいさえすれば、四柱の祓戸大神としてシンボライズされた神々の仕組みが動き出し真の幸せが訪れることでしょう。


2021年8月14日土曜日

2424「たった一つの宝物」2021.8.14

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月10日の記事を紹介します。


「たった一つの宝物」


今日は

・病気のお子様を持つ親御さん

・早くに子供を亡くされた親御さん

に、書きたいと思います。

以前書いた記事ですが、最近読者の皆さんの数が増え、

中には早くにお子さんを亡くされた方々も多いため、加筆して再掲いたします。


子供が、どんな状態であろうと、生きて、そこに居てくれるだけで、どんなに幸せで、有難いことか?

私たち、親の人生を、どんなに豊かにしてくれることか。 

そして、例え、親より先に逝ってしまったとしても、彼らの生きた証は、私たちの心に永遠に刻まれ、私たちの魂を、どんなに豊かに輝かせてくれることか。 

いつかは、そのことに気付く時が来るはずです。

今日は、明治安田生命「たったひとつのたからもの」で有名になった

ダウン症と合併症で夭逝した加藤秋雪くんのお話をご紹介します。 

<転載開始> 転載元

 

笑ったり、ベソかいたり、そんな姿が 私たちの元気の源でした。

秋雪が生まれたのは、1992年の10月。

生まれた季節が秋だったのと、夫が大好きな「雪」から名前をとりました。

「ダウン症の疑いがあるので、一度検査を受けたほうがいい」

そう言われたのは、生後一週間目のこと。

病院で検査した結果、ダウン症であることが判明。

さらにダウン症の合併症として重い心臓障害をかかえていることもわかりました。

医師からは 

「生後半年のあいだに絶対に風邪をひかせてはいけない、ひいたらそれで終わりです。

生きられたとしても一歳の誕生日を迎えるのは難しいでしょう」 

そう宣告されました。

頭の中が真っ白になるほどの衝撃でした。

たったの一年。まだ生まれて一カ月だというのに、なぜ、命の長さを宣告されなければならないの。なぜ、そんな運命を背負って生まれてきたの……。

あまりのショックで、何も感じることができませんでした。

秋雪を守ろう、そう決意しても、残酷な現実に、何度も心が壊れそうになりました。

そんな私を、ぎりぎりのところで支えてくれたのは、秋雪の存在そのものでした。

暖かなぬくもりのある体。笑ったり、ベソかいたり、楽しそうに手足を動かしたり。

そんな秋雪の姿が、私の元気の源になりました。 

ともに過ごす一分一秒を愛おしみつつ撮り続けた6年2ヵ月。 

死を覚悟してからは、「生きていられるだけで、ごほうび」という気持ちに。

そんなふうに切り替えてからは、秋雪といられる一日、一分、一秒を愛おしく感じつつ、

一瞬も逃さずに大切にしたいと思いました。

思い出を少しでも多く残したくて、どんな所へもカメラを持っていき、6年2カ月の間、本当にたくさんの写真を撮りました。

朝、目覚めたとき、秋雪のおだやかな寝息に、上下する胸の動きにほっとする。

今日も秋雪に会えた…… 

・ごはんを食べる、

・トイレに行く、

・おこる、

・泣く、

・笑う、

・眠る

その、砂の数、星の数ほどの幸せのかけらを、秋雪がいつも握っていました。

この写真を撮ったのは、98年の8月。秋雪にとって生涯最後の海です。

帰る間際の駐車場で、今まであまり見せたことのない、おだやかな表情を浮かべていた秋雪を、お父さんが抱きしめた瞬間でした。

秋雪を亡くして1年後、偶然知ったコンテストに応募するとき 「たったひとつのたからもの」と題名をつけました。

秋雪は私たちに、抱えきれないくらいのたくさんの幸せを残してくれました。

それは、私たちのこれからの人生を支えてくれるほどの、大きな大きな幸せでした。

「ぼくは生きているよ」と、全身で表現していた秋雪。 

いつも全力疾走していた秋雪の命が、私たちに精一杯生きることを教えてくれました。

<転載終了>

  

私たちは、命の長さよりも、生きている瞬間、触れ合っている瞬間

どんな気持ちで、その瞬間瞬間を過ごしているのか?感じているのか?

そんなことが、大切なのかもしれません。

 

ここで、一つの物語をご紹介します。

あるご家族の娘さん(7歳)が亡くなりました。子どもを亡くしてから一年経ってもこのご夫婦は「娘にもう一度会いたい」と嘆いていました。

ある日のこと、水色の天使がその夫婦の前に突然に現れて言いました。

「今、あなたの持っているすべての財産と引き換えに、亡くなったお嬢さんと 一緒に過ごせる日を一日だけプレゼントできますが、 どうしますか?」 

その夫婦は迷うことなく OKしました。 そして水色の天使が続けて言いました。 

「しかし、ルールがあります。あなた方は、プレゼントされた1日が終わるまで、今ここで約束したことや、お嬢さんと死別したことなどの記憶は消されてしまいます。

それはまるで、過去に戻った一日を自然に過ごす感覚ですよ、それでもいいですか?」 

その夫婦はお互いに顔を見合わせてゆっくりとした口調で「分かりました。」 と返事をしました。 

その瞬間パッと光が・・・  あっ!まぶしい・・・ 

次の瞬間には、いつも通りの朝になっていました。

ですが、夫婦は、天使と約束したこと、娘が死んでしまう事など、一切の記憶を無くしていました。そうです、娘が生きていた頃の何気ない一日の始まりでした。 

朝から「早く起きなさーい!!」妻の大きな声。

パジャマ姿で機嫌悪そうに起きてきた髪の毛のボサボサな娘。

眠たい目をこすりながら新聞を読む夫。

貴重な貴重な一日が始まりました。 

私たちが生きている今日は、それは、いつか未来に水色の天使に全財産と引き換えに頂いた

 「今日」なのかもしれませんね。

皆さんはご家族と一緒に暮らしていますか?

ご家族が居らっしゃらない方は、お父さん、お母さん、同僚やご友人。そんな皆さんと、仲良くされていますか?

それとも、顔を見るだけでため息の出るような、家族もいらっしゃいますか?

言うことを聞かない子供、旦那さまなど・・

その方が、明日は、いなくなってしまうかもしれません。

もし、胸がきゅんとなったのなら、何気ない日々の暮らしの中で、どうぞ笑顔で、優しく接してください。

今日のこの日は、永遠に続く日々ではありません。

家族も いつかは離ればなれになってしまいます。

手のかかる、言うことを聞かない、心配の種の子供も・・

自分勝手な夫も 嫌味ばかりを言う親も 明日は いないかもしれません。

いつか、別れの時が来ます。

ともに、この地球の同じ時代に生まれ、そして縁によって結ばれた家族たち 

それは、私たちの魂を磨き合う仲間でもあります。

外見の態度や言葉で 切り捨ててしまうのではなく、その心の奥にある、魂を見つめたいですね。

 大切に大切に したいですね。 

私たちは、生まれる前に、お互いの魂同士で約束してきたのですから。 

「家族になろうね」って


2021年8月13日金曜日

2423「お陰さま」2021.8.13

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月09日の記事を紹介します。


「お陰さま」


今日も、ご縁のある皆さんに、生きている今の物質の世界、また見えない非物質の世界(黄泉の国)を、幸せに生きる秘訣、心をテーマに書きたいと思います。


私が神社に行って、いつも唱える言葉の1つに、生きとし生けるもの、みんなが、

お陰さまの気持ちで、生きられますように・・

というのがあります。 

これには沢山の願いが込められているのですが、

生きとし生けるものが

・お陰さまの、謙虚な気持ちで生きて行けますように

・助け合って生きて行けますように

・他人の個性、尊厳を認め、尊重して行けますように

・心が尊大になりませぬように

・他人を見下すことがありませんように

・おごり高ぶることがありませんように

など様々な意味を込めて、お祈りしています。 

私たち、みんなが、この「お陰さまの気持ち」を持って謙虚に生きられたら、 

他人を思いやる優しい気持ちで生きられたら 

この世の中からギスギスした雰囲気が消え、春の日差しのように、心地よい、温かな光に包まれることでしょう。


そこに住む、みんなの顔が、笑顔で溢れ、笑い合って暮らしていけることでしょう。 

そんな、願いを込めて、お祈りしています。

さて、このお陰さまに関して、とっても良い詩があります。 

上所重助さんと言う方が書いた「おかげさま」という詩です。

以前も掲載したことがあったのですが、ご紹介します。

<引用開始> 引用元

 

夏が来ると「冬がいい」と言う 冬が来ると「夏がいい」と言う

太ると「痩せたい」と言い 痩せると「太りたい」と言う

忙しいと「暇になりたい」と言い 暇になると「忙しい方がいい」と言う

自分に都合のいい人は「善い人だ」と言い 自分に都合が悪くなると「悪い人だ」と言う 

借りた傘も 雨が上がれば邪魔になる 金を持てば 古びた女房が邪魔になる

所帯を持てば 親さえも邪魔になる

衣食住は昔に比べりゃ天国だが 上を見て不平不満の明け暮れ 隣を見て愚痴ばかり 

どうして自分を見つめないのか 静かに考えてみるがよい

一体自分とは何なのか

親のおかげ 先生のおかげ 世間様のおかげの固まりが自分ではないか

つまらぬ自我妄執を捨てて 得手勝手を慎んだら 世の中はきっと明るくなるだろう 

「俺が」、「俺が」を捨てて 「おかげさまで」、「おかげさまで」と暮らしたい

 <引用終了>


本当にその通りですね。私たち人間は結構、我がままです。

その我がまま(我欲)が本来の魂の輝きを隠し罪、穢れとして付着してしまい。 

運命を暗く、苦しいものにしてしまいます。

人生が順調の時は、どうしても、「お陰さま」の気持ちを忘れがちで、尊大な心になることもあります。

そんな時は、もしかしたら他人に対する優しさを忘れてしまっているかもしれません。

自分の思い通りにならなければイライラしてしまうかもしれません。 

感受性が鈍り、すぐそばに居る人の、瞳の奥に隠れた 

・寂しさ

・悔しさ

・不安

・恐怖

・ひもじさ

などを見過ごしてしまうかもしれません。 

もしかしたら 病気やケガ 急なリストラ、貧困、離別などは、神さまが、私たちに大切な「お陰さま」の気持ちを思い出させるために起こしていることかもしれませんね。  

もし、私たちの心がお陰さまの感受性を持つならば、自然と感謝の気持ちに溢れ、

「ありがとう」の言葉が、口から出てくることでしょう。

そして、既に、その時は生きながら、天国を実現している状況です。 

まさに空海の仰った言葉の通りの状態です。  

空海は仰いました・・・

生きとし生けるもの、すべてに命があり、心がある。そのことを忘れてはいけないよ。

すべては、一人一人の命の働きから始まるのだ。

難しく考えることはない。素直に生きて、皆に感謝をしなさい。

そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。さすれば、道は開くであろう。

 

空海は、そう仰ったのでした。生きながら天国に住む、仏の心になる。

これが、空海の説いた即身成仏の意味です。 

皆で協力し、助け合い、お互いさま、お陰さまの 謙虚な気持ち、温かな気持ちで

仲良く暮らしていきたいものですね。

この「お蔭様」の感受性を持つことで、きっと幸せに暮らしていけると思います。




2021年8月12日木曜日

2422「厳しい環境と美しい心」2021.8.12

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月07日「厳しい環境と美しい心」

と2021年08月08日「美しい魂」の2つの記事を紹介します。


「厳しい環境と美しい心」


全ての悩み、苦しみの原因は心が作り出しています。 

幸せも、心が作り出しています。 

素直な感謝の心さえ持てれば、今すぐにでも幸せになれます。

心の中に憎しみがあっては、幸せに何時まで経っても手が届きません。

今日も、その心を清め、本来の光り輝く魂を表に出す、お話です。

このように書くと、何だかお祓いの効果に似ていますね。 

今日のお話は、耳が聞こえない聴覚障がいがあるご両親に育てられた女の子が、

心優しい娘に成長し、そしてお嫁に出て行こうとする時のお話です。

私たち人間は、裕福で、お金の心配もなく健康で、家族にも取り立てて問題もなければ 

普段は、自分の心の状態を振り返ることも、心の中にある、嫉妬やねたみ、悪魔的な要素に気づくこともないかもしれません。 

それゆえに、反省なく、心を清めようなどと自ら思うこともなく、何時までも魂の成長は望めないかもしれません。 

翻って、貧困や、事故、病気、死別、リストラなど人生の一大事な環境に置かれると、その環境から抜け出したくてあちこちに頭をぶつけたり、苦しみ、もがきます。

悔し涙を流すかもしれません。

ですが、その逆境こそが、私たちの魂にとって、研ぎ石の役割を果たし、私たちの魂をはるか高みにまで連れて行ってくれることもあります。

<引用開始> 

「NTT西日本」コミュニケーション大賞受賞作品より


加奈子ちゃんが近所に引っ越してきたのは、まだ小学校三年生のときでした。

ときどきわが家に電話を借りに来るのですが、いつも両親ではなく加奈子ちゃんが来るので、おかしいなと思っていたのですが、しばらくしてその訳がわかりました。

加奈子ちゃんのご両親は、耳が聞こえない聴覚障がいがある方で、お父さんは言葉を発することが出来ません。

親御さんが書いたメモを見ながら、一生懸命に用件を伝える加奈子ちゃんの姿を見ていると、なんだか胸が熱くなる思いでした。

今なら携帯電話のメールがありますが、その時代を生きた聴覚障がいを持つ皆さんは、さぞ大変だったろうと思います。

加奈子ちゃんの親孝行ぶりに感動して、我が家の電話にファックス機能をつけたのは、それから間もなくのことでした。

しかし、当初は明るい笑顔の、とてもかわいい少女だったのに、ご両親のことで、近所の子供達にいじめられ、次第に黙りっ子になっていきました。

そんな加奈子ちゃんも中学生になる頃、父親の仕事の都合で引っ越していきました。

それから十年余りの歳月が流れ、加奈子ちゃんが加奈子さんになり、めでたく結婚することになりました。

その加奈子さんが、「おじさんとの約束を果たすことができました。ありがとうございます」

と頭を下げながら、わざわざ、招待状を届けに来てくれました。

私は覚えていなかったのですが、

「加奈子ちゃんは、きっといいお嫁さんになれるよ。だから負けずに頑張ってネ」

と、小学生の加奈子ちゃんを励ましたことがあったらしいのです。

そのとき「ユビキリゲンマン」をしたのでどうしても結婚式に出て欲しいというのです。

「電話でもよかったのに」と私が言うと、「電話では迷惑ばかりかけましたから」と

加奈子さんが微笑みました。

その披露宴でのことです。

新郎の父親の謝辞を、花嫁の加奈子さんが手話で通訳するという、温かな趣向が凝らされました。

その挨拶と手話は、ゆっくりゆっくり、お互いの呼吸を合わせながら、心をひとつにして進みました。

「花嫁加奈子さんのご両親は耳が聞こえません。

お父さんは言葉も話せませんが、こんなにすばらしい花嫁さんを育てられました。

障がいをお持ちのご両親が、加奈子さんを産み育てられることは、並大抵の苦労ではなかったろうと深い感銘を覚えます。嫁にいただく親として深く感謝しています。

加奈子さんのご両親は

“私達がこんな身体であることが申し訳なくてすみません”と申されますが、私は若い二人の親として、今ここに同じ立場に立たせていただくことを、最高の誇りに思います」

新郎の父親の挨拶は、深く心に沁みる、感動と感激に満ちたものでした。

その挨拶を、涙も拭かずに手話を続けた加奈子さんの姿こそ、 

ご両親への最高の親孝行だったのではないでしょうか。

花嫁の両親に届けとばかりに鳴り響く、大きな大きな拍手の波が、いつまでも披露宴会場に打ち寄せました。

その翌日、新婚旅行先の加奈子さんから電話が入りました。

「他人様の前で絶対に涙を見せないことが、我が家の約束ごとでした。

ですから、両親の涙を見たのは初めてでした」

という加奈子さんの言葉を聞いて、再び胸がキュンと熱くなりました。

<引用終了>


私も同じような経験をしたことがあります。

まだ会社を立ち上げて間もなくの頃、会社に1本の電話がかかってきました。

小さな男の子の声でした。

「家のお父さんに、何か仕事は無いでしょうか?」と言うものでした。

びっくりして、詳しく聞けば、両親とも聴覚障がいがあるそうです。

子供は、その電話の男の子と、生まれたばかりの女の子。

そして、何故電話をかけて来たかと聞けば、工場で働いていたお父さんが、耳が聞こえないために、工場の機械に指を挟まれ切断してしまったのでした。

その為、結局は働き続けることが出来ず、無職となってしまったのです。

お母さんも赤ちゃんが生まれたばかりだし、聴覚障がいをもっていますので、働きに行けません。

唯一喋れる男の子は、そんな家族の窮状を救おうと、電話帳で片っ端から会社に電話をしていたのでした。

私にできることは何もありませんでした。ですが居てもたっても居られずに、住所を聞き、余っていたパソコンを持って家をたずねました。 

パソコンがあればお母さんの内職にでも繋がるかもしれないと思ったのです)

家を訪ねると、小さな1間のアパートに家族4人が息を殺すようにいらっしゃいました。

息を殺すと言うよりも、普段は口ではなく、手話などで会話しているからなのですね。

そして、この男の子以外 皆んな横になっています。

結局私には何もできませんでした。

ですが、それからです。

この子のご家族が幸せになれますように お祈りを始めました。

ご家族が幸せになりますように・・神様の御心が為されますように・・

毎日毎日、お昼休み。2年ぐらい続けました。 

マザーテレサが仰るように祈りは必ず聞き届けられることを、その時、もう知っていたからです。

この花嫁の女の子、幸せになって欲しいです。いえ、きっと幸せになった事でしょう。 

幸せとは、自分の心が感じるものだからです。周りの状況は、関係ありません。

子供の幸せを親ならだれしも望みますが、本当の躾とは、口うるさく子供を縛ることではなく、親の生き様、生きる姿勢を見せることかもしれません。

親の一挙一動、心の動きまでも、子供たちは見ていて 真似るものですから。

 


「美しい魂」


諸行無常という言葉があります。

時は刻々と変化し、この地上にあるものは、一時も同じ状態にあるものはなく、変化を続けています。変化の力こそが、この宇宙の進化の推進力となるからです。


唯一変化しないもの。それは神様の真理だけです。

人間である私たちも、同じ場所に立ち止まってばかりいるわけにはいきません。

取り巻く環境も変化をするし、家族、友人を含め、人とのつながりも変化していきます。

出会いがあり、別れが繰り返されます。

時には死によって強制的な別れがもたらされることもあります。

数年前まであんなに仲良く一緒にいた人たちが

今ではほとんど接触がなかったり疎遠になったり。

逆に、昨年まで見ず知らずの人たちが新しい友人として、存在したり。

毎週毎週、親しくお付き合いしているかもしれません。

永遠に続くと思われた家族との幸せ。

もしかしたら、それも突然の死によって、終わりを告げるかもしれません。

私たち人間は、深い悲しみやショックを受けると時が止まり、その状態から抜け出せなくなります。ひどいときには自分の魂が分割してしまい、その一部を、その時間と空間に置いてきてしまうことさえあります。

生霊と同じ原理です。魂を分裂させた場合、本来のエネルギー100%の状態から、グンと生命エネルギーが減少します。

そのままの状態では、私たちの魂の属するグループ全体は進化の道を行くことができませんから、必ずいつかどこかでどこかの時間で私たち自身が分断された魂を集めなおし統合するしかありません。

深い悲しい出来事は、私たちの魂にショックを与え、生まれて来た目的を一旦ストップさせ、

長く続く悲しみの中で、まるで明けることのない暗闇の中に放り込まれたような感情を味わうかもしれません。

そのショックが起きた時と、空間に魂の一部を置いてきてしまうかもしれません。

 

ですが、その「深い悲しい出来事」も、本当は、私たちが生まれてくる前に計画してきたことです。

「深い悲しい出来事」を与えてくださった方々も、私たちの今世の計画に協力するために、

その計画を手伝い、「深い悲しい出来事」を起こしてくださいました。

全ては、私たちに「悲しみ」という強い感情を味合わせ、それを契機として、魂の進む方向性を変えるためです。そのために、嫌な役回りを引き受けてくださいました。

もし私たちが、その「深い悲しい出来事」のために魂の進化の停滞を起こし、何時までもいつまでも明けることのない深い暗闇の中の住人でいたとしたら、その嫌な役を敢えて引き受けてくださった方々はどう思うでしょうか?

それは、

・早くに亡くなる子供かもしれません。

・とことん意地悪をしてくる同僚かもしれません。

本当は、そのような人たちも光り輝く魂の持ち主でした。

今世に置いて、約束した役割を果たすために、その輝く魂を一旦封印しているだけです。

もし、そのお相手の方が、まだ生きていらっしゃるなら、その約束してきた役割が全うされた暁には、本来の光り輝く、美しい魂の輝きを、思う存分に、生きてるうちに現してくださることでしょう。

もし今、嫌な方が周りに居られるのなら、

感謝の気持ちで、今世の役目が早くに全うされるのを祈ることが良いかもしれません。

役割さえ果たされれば、本来の美しい魂に、そして二人の間にあった本来の美しい友情関係に戻れるからです。