2024年6月17日月曜日

3461「マシュー君のメッセージ」2024.6.17

今回は玄のリモ農園ダイアリーさんの2024年6月7日マシュー君のメッセージ(210)の記事を紹介します。

 

「マシュー君のメッセージ(210) 」2024年6月4日

玄のリモ農園ダイアリー (moritagen.blogspot.com)

 


マシューです。この宇宙ステーションにいるすべての魂から心からのご挨拶をします。ドナルド・トランプに課されたすべての重罪に対する有罪判決が、その国の光の進展にどのような影響を与えるのでしょうという質問が来ています。この裁判は、政治や法律のアナリストたちに議論するスキャンダルな材料を与えましたが、宇宙の歴史の中では、ほんの脚注止まりの扱いになるでしょう。地上の活動を反映する地球の潜在的可能性のエネルギー場でさえ、判決が発表されたときにはしゃっくりをしただけだったのです。

だからといって、その国で重要なことがほとんど起こっていないわけではありません。そこでも他の場所でも、光対闇の戦いのこの最終局面では、強力な魂でさえも急上昇するエネルギーにさらされ続けています。闇はもう自分たちが終わりだと知っており、最後のあがきで作っている波は、惑星内外のたくさんの発信源から送られてくる強化された光によって打ち消されています。親愛なる兄弟姉妹たち、あなたたちもその中にいて、その光は確かに強いのですが、あなたたちの第3密度の肉体は、エネルギーの衝突によって引き起こされる疲労やバランスの崩れからの影響を受けやすいのです。

光は闇に打ち勝つ唯一の ”武器 ”というだけでなく、それをはるかに超えるものです。光はあなたたち自身であり、パワフルな不滅の魂です。光はこの宇宙に存在するすべてであり、この宇宙の生命であり、意識なのです。

僕は母に、これからその都度指定する文章をここにコピーしてくれるよう頼みました。その情報があなたたちにとって新しいものであれ、見慣れたものであれ、心に留めておくことで、地球の未来についてこれからの数カ月を自信と心の平安と気楽さをもって乗り切ることができるでしょう。[以下の抜粋は、マシューブック3『イルミネーション:新しい時代への輝き』と他のメッセージからのものです。]

      ::::::::::::::::::::::

スザンヌ:マシュー、神性なる光について教えてください。

マシュー:光に ”神性なる”をつけても ”最高の光”になるわけではない、お母さん。単に、光は神性なのだ。光とその不可分の愛の要素は、創造主の源(ソース)のエネルギーであり、宇宙で最も強力な力であり、生命そのものの本質である。愛と光は創造主であり、創造物なのだ!

それは、これまでに創造されたすべてのものの生命力であるだけでなく、魂の構成要素でもある。それぞれの魂は、スピリチュアルな進化を示す場所や 宇宙のどこに位置しているかとか、肉体やエーテル体、フリースピリットの状態に関係なく、それを識別する独自の光の流れ(ストリーマー)を持っている。あなたたちは永遠の愛と光の存在であり、あなたたちのエネルギーの高い波動は、そこにいたすべての年月の間、この惑星によりよいものを創りだしてきた。ただあるがままに存在しているだけで、あなたたちはとてもパワフルで、影響力がある。

話しやすくするために、僕たちは通常、光または愛と言う・・光と愛はまったく同じエネルギーであるため、この言葉は交換可能である。この2つは、見え方、感じ方、表現の仕方は違っても、コインの裏表のように分けることはできない。光は魂の構成部分であり、愛は魂の機能であると言えるかもしれないが、魂がこの宇宙の最高存在である神や、創造主・・無限、永遠、全能、全知全能の源、すべての一体性(ワンネス)・・との永遠のつながりから切り離されないのと同じように、これらを切り離すことはできない。

太陽からとされる光は、実際にはキリスト領域を通して神からのものであり、創造主の最初の自身の表現である。 ビッグバンは誤った呼称であり、創造主/源(ソース)/創造が光として自己表現したとき、”始まり”は完全に沈黙していた。創造主:究極の存在であり宇宙の最高の支配者。源(ソース):存在のすべてがそこから来る。創造:その作用と”産物”である不滅の魂。

創造による存在するものすべては、光と愛の絶え間ない流れによって産まれるエネルギーが方向付けされ、そして受けとめられることで具現化され結びつけられる。そこには始まりも終わりもなく、ただそこにあるだけだ・・それが、全ては一つ(ワンネス)と言われるものだ。そしてそれぞれの魂がその分身であり、それぞれ光か闇を生み出す能力と選択を持っている。

光は、あなたが神、アラー、エホバ、ヤハウェ、あるいは他のどんな名前でも呼ぶことのできる至高の存在を通して、この宇宙にもたらされる。そしてすべてのものは、このエネルギーによって、またこのエネルギーの中で普遍的につながっている。この宇宙全体が光なのだ。したがって、信仰とみなされる精神と、事実とみなされる科学は同じものである:さまざまな振動数で変動する光である。

宇宙の秩序を保つバランスは、組織的な膨張と収縮によってもたらされる。光の絶え間ない動きによって、マインドは自分自身や他の人々、環境など・・あなたたちの世界で一見目に見えるものすべて・・を確固としたものとして認識することができるが、宇宙的な現実は、あなたたちが目にするものすべてが、無限の振動数帯域に沿って変動する光であり、その範囲も無限である振動を生み出している。平和的な交渉に向かう原動力となっている高い波動エネルギーは、闇の意図に基づくすべてのものをも取り崩している。

言葉は波動エネルギーを発し、光、平和、愛の波動エネルギーは最も高い波動エネルギーである。宇宙の引き寄せの法則、つまり”類は友を呼ぶ”法則によって、言葉の波動エネルギーは”同じ類”と結合し、あなたたちの世界に向けて出て行く。高い波動エネルギー域の言葉は光と融合し、低い波動エネルギー域の言葉は闇の付着(アタッチメント)を持つエネルギー・ストリーマー(指向流)に引き寄せられ、言葉から発する波動エネルギーがそれが合流する源を強める。

単に神性的な生き方をすることが光を吸収することであり、ケムトレイルやその他のあらゆる形態の汚染に含まれる有毒物質に対する身体の最善の防御策である。光は免疫システムを強化し、健康な身体、心、精神を促進するバランスを達成し、維持するのに役立つ。

僕たちは、あなたたちの細胞基盤構造がクリスタル基盤構造であるかどうかを見分ける方法を教えることはできないが、炭素構造からの変換は光の吸収によってもたらされ、それは簡単にもたらされると言うことはできる。神が僕の母に言ったように、 「それは簡単なことだ、親切であればよい」。

炭素基盤構造の細胞がクリスタル基盤構造に変化することの重要性は、いくら強調してもしすぎることはない。クリスタル化された細胞には宇宙的知識が含まれており、地球が向かっているアストラル領域で肉体が生存能力を維持することを可能にする。

光の受容は魂の領域である。光の吸収は肉体の領域であり、肉体はDNAによって光を受け入れるようにプログラムされた細胞に光を導く。しかし、闇のエネルギー・・科学的に言えばネガティブなエネルギー・・が付着していると、光が遮断され、細胞への流入が妨げられるため、結果としてDNAに悪影響を及ぼす。

闇の勢力は、その妨害プロセスによって、意思や自由意志による選択が貪欲さ、冷酷さ、権力欲に支配された地球上の人物を操り人形にすることができる。そのような人たちは、自分の意志や行為を高めるための光を自分で作り出すことができない。だからこそ、他の源から光が送られなければならない。それが、ほとんど”愛の攻撃”と呼べるほど大量に送られると、エネルギーの高まりが非常に強力なため、無視することはできなくなる。

だからこそ、非良心的あるいは極悪非道とみなす行為を行っている人々に光を送るようあなたたちに強く勧めるのだ。これは彼らの行為を容認することでも、彼らが引き起こす苦しみに無関心であることでもなく、ましてや彼らの行為を支持することでもない!それは、闇は光の敵でも光の反対でもなく、光の不在であり、その空白を光で満たすことによってのみ、人々の闇を克服することができるということを理解することなのだ。

人々や地球そのものの痛ましい傷は、あらゆる形の悪と呼べるものによって引き起こされてきた。それをさらけ出すこと・・文字通り ”光で照らす”こと・・が、癒しをもたらすために必要なのだ。光・・愛・・は、一人の人間であれ、想像を絶するほどの巨大な闇を持つ宇宙の力の場であれ、痛みを癒すことができる宇宙で唯一のものだ。

だからこそ、嫌悪感を抱くような行動や言動をとる人々に光を送り、彼らの選択や行動に光を与えようとすることが極めて重要なのだ。 言葉や文章で訴えても、その人の良心に触れるか触れないかはわからない。なぜなら、魂の層は、意識へのメッセー ジが何度も何度も無視されると萎縮してしまうからだ。  光を送られた人がそれを拒否することがあるのは事実であり、光の癒しのエネルギーだけが憎しみ、暴力、抑圧、残忍さ、戦争をなくすことができるのも事実である。いかなる報復も、それを行うことはできない!

これがこの宇宙を支配する物理学であり、絶え間なく動いている宇宙の引き寄せの法則、つまり”類は友を呼ぶ”ことだ。地球人の集合意識にどんなエネルギーが注ぎ込まれようと、それは宇宙意識(マインド)へと打ち出され、”同類”のエネルギーを引き寄せて、あなたたちの世界へと持ち帰る。光と愛がマインドとハートの中にあるとき、それはより多くの”同類”をもたらし、そうすることで戦争と暴力は止まるだろう。

光と愛のパワーがすべての鍵だ!まだ闇の行いの背後に隠れている者たちが明らかになったとき、どうかこのことを一番に心に留めておいてほしい。彼らを罰することに考えを集中することで、あなたたちの光を弱めるのではなく、むしろ彼らの本来の姿、ワンネスの鎖の最も弱い輪であると考え、彼ら自身を高揚させ、すべての魂のための鎖を強化するために必要な癒しのエネルギーを送ってほしい。

スーザン:マシュー、恐ろしい苦しみを造っている人たちの行為とその人たちに対する私の考えを分けて考えるなんてとても難しいわ。だからその人たちに光を送るなんてとてもできそうもないし、ましてやそれを愛と思うなんて。

マシュー:お母さん、闇の中で行き止まり不安になっている人には、懐中電灯を照らしてその人が自信を持って安心して行ける道まで案内してあげるでしょう?それらの魂は道に逸(はぐ)れてしまって怖くなり立ち往生しているんだ。

その行為で彼らを見るのではなく、あなたが心からこうあって欲しいことを思うんだ。優しさ、助けようという心、そして公正さと分かち合いを思うんだ。世界中の人々が調和と平和と愛の中に暮らすことを思い、その思いを闇の中にいるそれらの魂に送るんだ。

スーザン:人を愛することで、私たちは自動的にその人に光を送るのだと思っていたけれど、今はそれ以上のことがあるのではないかと思っているわ。

マシュー:誰かを愛する気持ちがその人に光を運ぶのはその通りだけれど、それ以上のものがあるかもしれないと考えるのも正しいんだ。 だから、”送る”効果を発揮するために、そのプロセスを理解する必要はないけれど、その仕組みを説明しよう。

光とはあなたの精神(スピリット)の中にあるもので、何かに喜びを感じたり、自分にとって特別だったことを思い出したりするときに、気持ちが明るくなると表現する感覚だ。飼い犬が抱きついてきたり、好きなシンフォニーを聴いたり、美しい夕日を見たときにどんな気持ちになるか考えてみてごらん・・まるで自分全体が光に包まれるような感覚になる、それこそが起こっていることだ。その体験こそ、実際に光に満たされていることなのだ。

その光は、魂から発せられ、心(マインド)とつながり、身体を通して流れ、うっとりするような感情や感動的なハッとするような感覚を生み出しているんだ!その感覚を得るために何かをする必要はなく、その感覚を呼び起こすものが何であれ、その感情を生み出すために特別な努力をする必要はない・・ただ、魂が光を受容することによって、その感覚が得られる!

光・・ここではそれを愛と呼ぼう、なぜならそれがここで実際に話していることだから・・が、ある人から別の人へ伝わるのは、原因と結果に違いはないのだが、誰かに意識を集中することで、それを送りたいと思うかもしれない。そうすれば、瞬時にその思考と感情の波動エネルギーは相手に届く。

エネルギーは、その意図と強度を持つ思考形態に沿って流れ、送ったのと同じ量の愛は、望む”エネルギーの宛先”に直接届く。意図と感情が完全に明確であるため、”誤った宛先”はありえない。もちろん、受信者は意識してこのことを知ることはないが、受信者の魂は ”配達 ”に気づいている。

最も簡単に言えば、光を受容することで、第3密度の限界を超越したスピリチュアルな明晰さが得られるということだ。偏見や違いを憎むこと、貪欲に行動すること、他人の選択を批判すること、恨みを抱いたり復讐を願ったりすること、冷酷さや不正や嘘によって出世すること、他人の人生を支配して自由意志を否定すること、直観がそれが神性に基づくものではないと告げているにもかかわらず、盲目的に教義や命令に従うことなどだ。そして、第3密度の限界の中で最も大きなものは恐怖だ。実際、僕があげた他のネガティブな感情や行動はすべて、恐怖から生じている。

僕が述べたようなネガティブな部分を何か変化させることで、光を受け入れ、スピリチュアルに成長していると考えるのは理にかなっている。ポジティブな変化は確かに進歩だが、個人的な状況や世界的な状況に対してまだ恐れを感じているなら、それはあなたたちが思うほどではないかもしれない。スピリチュアルな成長とは、恐れずに生きることを学ぶことであり、比類のない愛のパワーを完全に信頼することを学ぶことだ。

光の”日常の”使い方として・・お母さん、ここでは愛と言おう。あなたたちの世界では、愛は無限のものだが、この言葉が一般的に使われているにもかかわらず、そのことは認識されていない。もっとも端的な言葉で言えば、愛とは神が創造したあらゆるものと神自身が分かち合うことだ。愛は宇宙の癒す力(ヒーリング・フォース)だ。愛は魂の内にあって、他人を愛したり、他人からの愛を受けとるときに自然に湧き出るそのような感覚をただ認めることを必要とするだけだ。愛の能力に限界も境界線もない。

愛の表現としては、親切さ、公平さ、正直さ、思いやり、助けになること、優しさをもって他人に接することだ。もし愛に”成分”があるとすれば、これらがその神性な成分が作用している表現だろう。

あなたたちと神と神の創造物すべてとが分け隔てできないことを知ることは愛だ。地球が感覚ある意識を持った生命体であること、そしてそこの生命体をすべて敬うことが愛だ。

魂のレベルで他人を知ることは誰もできないことに気づくこと、したがって、人を判断せず、その不正と見なされる行為だけを問題にすること、それも愛だ。

人の内なる神性さの声に耳を傾けることは愛だ。自己を愛するこころを育むような生き方を選ぶことは愛だ。それを他の人がしているのを見て喜ぶことは愛だ。

他の人に喜びをもたらすことをすることは愛だ。自己と他人を許すことは愛だ。心から惜しみなく持っているものを分かち合うことは愛だ。見返りを期待せずに良いことをすることは愛だ。

こころと気持ちに平和を感じることは愛だ。夕焼けを見たり、小鳥のさえずりを聴いて静かに感動することは愛だ。そして、微笑みはもっともシンプルでもっとも輝いている愛の表現の一つだ。

遭遇するこういった状況やほかの多くの状況のどれにあっても、直観的に愛が作用していると分かるときは、神に対する愛、そして神の愛を顕現しているのだ。

お母さん、とりわけ驚くようなことは何も言っていないと思うよ。でも、素晴らしいほど豊富に愛が存在しているあなたたちの世界だけれど、今の時期はそれに闇が影を投げかけているように見えるので、導く光としてなにか参考になるものがあるのもいいと思う。

            ::::::::::::

ありがとうございます、お母さん。愛する兄弟姉妹たち、あなたたちは創造主、創造、ソース(源)、宇宙の至高の存在、そしてこの宇宙の至高の存在の不可欠な分身であるからこそ、ただ存在しているだけでパワフルなのです。あなたたちが熱望して志願し、地球ファミリーが愛と光で第3密度の世界を第5密度の楽園に変えられることに気づく助けをするために選ばれたのは、それが理由です。確かに素晴らしい目標ですが、時空連続体においては、すでに壮大な成功を収めています!

この宇宙のすべての光の存在が、あなたたちを讃え、無条件の愛のパワーであなたたちを応援しています。

__________________________

愛と平和を

著者:スザンヌ・ワード 原文:Matthew's Messages 訳文責:森田玄

2024年6月16日日曜日

3460「願いを叶える言霊」2024.6.16

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月03日の記事を紹介します。


「願いを叶える言霊」


山幸彦の神様としての意識を保持して生まれて来た小学生の神様トキ君が、

願いを叶える言葉を神様から教えていただいて、それを実行し始めたそうです。

(トキ君の場合、1日1万回だそうです) 

1日1万回、その言葉を唱えることで願いが叶ってしまうそうです。 

その言葉とは・・・

ありがとう 

その詳しい理由を私も以前記事にしていましたので再掲します。

今日のテーマは「現象化する言葉」ということで、小林正観さんのお話を紹介します。

<引用開始> 引用元

空也上人
 

「言葉が現象化する」と言うと、多くの場合、誤解されている部分があるようです。

「こうなりたい。ああなりたいと口に出して言うと、それが実現する」という誤解です。

「言葉が現象化する」というのは、たとえば、神社仏閣に行って、

良縁祈願というものをお願いしたとします。

・いい人と出会わせてください。

・いい人と結婚したいのです。

・素敵な人と出会わせてください

と100回お願いをしたとします。

そうすると、その言葉をまた言いたくなるように現象化します。

つまり、いい人や素敵な人にはいつまでたってもなかなか出会わない、という現象が起きるのです。 

同じように「商売繁盛をお願いします」と千回行ったとします。

千回それを言ったことによって、また同じ言葉を千回言いたくなるように現象がセットされます。

言ったとおりの言葉をまた言いたくなるように、言った数と同じ数だけまた言いたくなるように、宇宙では現象化が始まる・・・というものです。

聖書の中にこんな言葉があります。

「はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。言葉は神なりき」

「言葉は現象化する」という宇宙の大法則を述べたもののような気がします。

これも、その言葉を言ったらその言葉が実現する、というものではないと思います。 

 

「言葉が現象化する」というのは、

「その言葉をまた言いたくなるように、現象がセットされる」

というふうに、私の認識の中ではとらえられました。

これは神社仏閣に行ってお願いごとをする、そういうことを要求するということが、

ほとんど意味をなしていないということにもつながっています。

では「言葉が現象化する」、

つまり「その言った言葉をまた言いたくなるように現象がセットされる」のであれば、 

最も効率の良い言葉は何でしょう。

たとえば「うれしい」という言葉を一年間に千回言ったとします。

そうすると、その「うれしい」という言葉をまた千回言いたくなるように、来年は現象がセットされます。

「楽しい」という言葉を二千回言ったとします。

その「楽しい」という言葉をまた二千回言いたくなるように現象がセットされます。 

「幸せ」という言葉を年間三千回言ったとします。

その「幸せ」という言葉を年間三千回言いたくなるように現象がセットされます。

一番効率の良い言葉は、

・ありがとう

・ありがとうございますです。

「ありがとう」「ありがとうございます」という言葉を年間一万回言ったとします。

そうすると来年

・ありがとう

・ありがとうございます

という言葉を、また一万回言いたくなるような現象がセットされ、次々に降ってくるのです。

・うれしい

・楽しい

・幸せ

・ありがとう

という言葉を、何千回何万回と宇宙に向かって言ったとすると、その言葉を同じ数だけ言いたくなるように宇宙の現象がセットされます。

そして、

・うれしい

・楽しい

・幸せ

・ありがとう

と言いたくなるような現象が降ってくるのですが、それがどんなことであるのかは、わかりません。

だから楽しいのです。

おもしろいのです。

そして、ワクワクします。

ドキドキします。

このワクワク感、ドキドキ感というのは、何にも代えがたいおもしろさであり、楽しさです。

<引用終了>

  

これはまさに「波動の法則」そのものです。

自分の今、全宇宙に発振している、周波数(波)が、どこかの誰かに必ず共振現象を起こし、

その波長にふさわしい現象や人を引き寄せる・・

そういうことです。

「何々してください」という祈り、願いは、飢餓感、欠乏状況の波動を発信していることになります。

飢餓感、欠乏感のある人に受信され、増幅され、ますます、その状況が拡大して、自分に戻ってくることでしょう。

ですから、「ありがとう」という感謝の心は、どんな時も、重要な役割を果たします。

「ありがとう」と感謝の心を持つ人には感謝の心を持つ人が呼応し、あたたかな人、現象

救援、救助の手が差し伸べられることでしょう。

それに対し、

・良い人と出会い、結婚さえできれば

・お金さえあれば、お金ができてから・・

・時間さえあれば

・病気さえ治れば

そのような、他人や、物に依存する心を持つ人、現状に不平不満を持つ人には、

同じ波長の人が、その波をキャッチして、周りに集まってくることでしょう。

ますます、同じ波長、現象が強化され、固定化してしまいます。

神々の恩寵は、人間の「感謝の心」を媒介にして現象化するといわれます。

どんな状況かであろうと「ありがとう」と感謝の心を持つ人は、同じ現実の中にあっても、

神さまの光に包まれ、幸せな人生を送っていることでしょう。 

 

それが、空海が教えてくだ会った「即身成仏」つまり、生きている間に

・天国に住む

・地獄に住む

ということです。

生きながら地獄に住む人とは常に心に

・不平不満

・愚痴

・悪口

・疑心暗鬼

の心を持つ人です。

生きている間に「地獄」に住んでいらっしゃる方は亡くなったからと言って、天国に行くわけではありません。

心の状態そのものが、肉体亡き後に、自分の周りに現象化するからです。

逆に、同じ環境に置かれていようと、「ありがとう」の感謝の心を持つ人は、亡くなった後、直接天国に直行しあたたかな心の人たちに囲まれ、幸せな境遇に暮らすことでしょう。

それほど、心の在り方、、というのは大切なことです。

どんな時も、どんな境遇に置かれても

・うれしい

・楽しい

・幸せ

・ありがとう

の心でいたいものですね。 

皆さんも是非、普段から「ありがとう」の言葉を連発して、幸せを掴んでください。 

きっと神様が願いを叶えてくださいます。



2024年6月15日土曜日

3459「愛された証」2024.6.15

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月01日の記事を紹介します。


「愛された証」


今日は鈴木秀子さんのお話をご紹介します。 

鈴木さんは、聖心女子大学の教授をやっていらっしゃった方です。 

<引用開始> 引用元 


もう随分前のことなので記憶が曖昧ですが、私がアメリカのアスタンフォード大学で教鞭を執っていたとき、同僚の友人から聞いたお話があります。

スラム街で育った少年とその担任の先生のお話です。

その女性の先生は、少年が4年生のときの担任でした。

クラスの中でその少年だけどうしても好きになれませんでした。

なぜならいつも汚い格好をしていて、授業中はいつも居眠りをしていたからです。

何を言っても反応がないし、疲れ果てたような顔をしていたのです。

ある日、「この子さえクラスからいなくなれば」と思いながら過去の学籍簿をめくってみました。

1年生のときの学籍簿には「優秀で素直ないい子。この学校の誇りです」と書いてありました。

先生は驚いて、今度は2年生のときの学籍簿を見てみました。

そしたら「お母さんが病気になり毎日が大変らしい。

それでもめげず、よく勉強しています」とありました。

しかし、3年生の学籍簿には「母親死亡。父親がアルコール中毒になった」と書いてあったんですね。

それを見て先生は、10歳の男の子がどんな毎日を過ごしているか、

その背景など想像もしなかった自分の感受性の足りなさを思い知らされました。

その日は、翌日から長期休暇に入るという日でした。

先生は少年に言いました。

「先生は休みの間、学校に来る日が多いから、もし家にいるのが大変だったらここに来て勉強する?」と。 

そしたら彼の目がぱっと輝いたというんです。

少年は休みの間中、学校に出てきて、先生の机の横で勉強をしました。

分からないところは先生から教えてもらいました。

あるとき、少年がふと「今日は僕のお誕生日なんだ」と言ったんです。

その子にとって心を開く最初の扉だったと思います。

病気になったお母さんの面倒を一生懸命みていたのに、

お母さんは死んでしまい、お父さんはアルコールに溺れている。

「いじめられるよりも、無視されるほうがつらい」といいますけど、

そんな中で先生が声を掛けてくれて、少年は自分が先生に受け入れられたと思ったので、

そんなことを言ったのでしょうね。

夕方、先生は小さい花束とケーキを持って少年の家を訪ねました。

汚れた暗い部屋に一人ぽつんと座っていた少年は、

先生の姿を見て子どもらしい笑顔を見せました。

しばらくして先生が帰ろうとしたら、少年は部屋の奥から小さいビンを持ってきました。

「これ、先生にあげる」と言って差し出したビンは、ふちが蝋(ろう)で閉めてありました。

 

先生はそれをもらって帰り、蓋を開けてみました。

中は香水でした。お母さんが使っていた香水だったのです。

きっと彼にとって唯一の宝物だったのだと思います。 

先生は香水が逃げないようにまた蝋を垂らし、きちんと蓋をしました。

学校が始まってからも、少年は勉強を続け、成績がどんどん伸びていきました。

そしてその子が6年生になるとき、先生の転勤が決まりました。

しばらくして、先生はその少年に手紙を書きました。

しかし、なかなか返事が来ませんでした。何となく気にはなりながら、

もうその少年とは縁が切れたような気持ちでいました。

そんなとき、一通の手紙が来ました。そこにはこう書かれてありました。

「先生のおかげで高校に入学できました。

奨学金をもらえたから、とてもいい高校に行くことができました」

3年後、今度はカードが届きました。

「父はまだ大変な状態ですが、

父から離れて寄宿舎に入って高校を無事に卒業することができました。

卒業後は○○大学の医学部に進みます」と書いてありました。

先生は「もうこの子は大丈夫だ」と思いました。

そして、10年近く月日が流れ、少年のことを忘れかけていた頃、

一通のきれいな封書が届きました。それは結婚式の招待状でした。

「先生のおかげで僕は医師になり、

すてきな人と結婚することになりました。ぜひ結婚式に来てください」 

先生は感動して、しばらく手紙を握りしめたまま、その場に立ち尽くしました。

結婚式の日、先生は大事にしまっていたあのビンを出してきて、

蝋を切って蓋を開け、底のほうに少しだけ残っていた香水をつけました。

式場へ行くと、立派な医師に成長したあの少年がハグをしてくれました。

かつての少年の姿が先生の脳裏によみがえり、 

「よくぞここまで頑張ったね」と心の底から祝福の言葉を贈りました。

彼は先生を抱きしめて、嬉しそうにこう言いました。

「あぁ、お母さんのにおいだ」

そして、「お母さんが生きてたら、お母さんに座ってもらう席でした」と言って、

自分の隣の席に先生を座らせたそうです。

 

私は、本当につらい人とは、 

「自分は愛情をもらえなかった」という思い込みのある人だと思っています。

「人生は5歳までで決まる」という言葉もあります。

どんなに家庭環境が貧しくても、生まれてから5年の間に十分に愛情をもらうと、

「生きるっていいことだな」という感覚を持てるのです。

でも、子どものときにつらい生活やつらい体験をしていると、

「生きることは苦しくてつらいんだな」と思い込んでしまうのです。

それを取り去ることは難しいです。

でも小さいときに愛情をもらわなかった人は

一生そうかと言うと、絶対そんなことはないんですね。

自分が小さいときに思い込んだことを引きずっているだけなのです。

あなたが大人になったという事実は、十分愛情をもらっていた証なのです。 

それがたとえ母親でなくても、どこかで誰かが愛情を与えてくれたから、

大人になることができたのです。 

<引用終了>

 

その人の今の見た目。

何故、そうなったのか背景を感じることのできない感受性の無さ。 

私たちは、みんながそうかもしれません。 

目の前の状況だけを見て、決してその背景にまで、考えをめぐらすことはありません。 

ですから、すぐさま、好き嫌いでジャッジし、レッテルを張ってしまいます。 

ですが、その態度は、もしかしたら、生まれて来た目的遂行のために無意識のうちに敢えて、

憎まれても、その役を演じているからかもしれません。 

また、その時、たまたま体調が悪く、そのようなぶっきらぼうな態度をとってしまったのかもしれません。 

鈴木さんは仰います。 

あなたが大人になったという事実は、十分愛情をもらっていた証なのです。

私たちは、とかく、「無いもの」ばかりに目が行き、「今あるもの」は目に入らないようです。

私たちは、九つまで満ち足りていて、 十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、 

まずその不満を真っ先に口からだし、 文句をいいつづけるものなのかもしれません。

人も、人と関わる動物も、植物も、愛情なしでは長く生きられません。 

今迄、一度も優しくしてもらったことなどなかった、そう思える人生でも、振り返ってみれば、どこかで、誰かに必ず、気にされ、優しくしてもらったことがあるはずです。 


覚えていないだけかもしれません。

もしかしたら、それは見えない存在かもしれません。

そして何より、どんなに絶望的に見える人生であっても

必ず、神様は常にともにいらっしゃり、見守ってくださっています。 

また神様は、どこかに必ず優しく見守る存在を準備してくださっています。 

どんな人にでも、神様は希望の灯を用意してくださっています。

感謝の心さえ失わなければ、必ず神々の恩寵が現れることでしょう。



2024年6月14日金曜日

3458「感謝と自我」2024.6.14

  今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年05月31日の記事を紹介します。


「感謝と自我」


感謝の言葉、「ありがとう」 、この言葉を繰り返し使うことで、 

・ご自分に沢山の幸運が訪れ

・物事がスムーズに運び

・悪意あるものから守られる 

のだそうです。 

この言葉の持つ霊的な波動は英語の「サンキュー」などと異なり、独自の高い波動を持ち、日本特有のものです。 

では今日は、幸せになる方法を書いてみたいと思います。 

ブッダの教えの真髄は、感謝の心、小林正観さんは、そう悟り、それを講演会で語ったのだそうです。 →参考元

それは、私たち日本人の心に根付いている日本神道でも同じです。 感謝の心です。 

ブッダの教えの根本は感謝すること。そう、お話した正観さんは

その日 ホテルに入って夜一人の時、何故か 止めどなく涙が溢れたのだそうです。

この涙はなんだろう?

正観さんらしく。 全ての行動を時間を巻き戻しながら点検したのだそうです。 

その結果、講演会でブッダの教えの基本は感謝することと、お話したことを思い出しました。

それからです。 

正観さんが、「ありがとう・感謝」の検証を始めたのは・・ 

正観さんは当時、年に数回、決まった日に宇宙から、人類にとって重要なメッセージを受け取っていたのですが、この講演会での波動・意識が宇宙に届いたんでしょう。

だから宇宙から、その通りですよと涙が流れたらしいのです。

  

正観さんは、学生時代、霊的な巨人、高橋信次さんから、ブッダの弟子であった過去を教えてもらっていました。

ですので、現代において、ブッダの教えの真髄を世に広めるご縁があったのでしょう。

また、小林正観さんから悟りを得た人と称された波動の法則で有名な、足立育朗さんが講演会で感謝することの波動的な意味を説明しておられました。

人間の自我と欲  

自分だけは・・・という思いの波動、振動波は波が高く、大きい。

つまり低い。波動が粗い。 

 

しかし、そこで感謝の心を起こすと自我と欲の、山の波に対し、感謝の波は、逆の相、

つまり、谷となって覆いかぶさるそうなのです。

つまり 山を谷で、相殺し、ゼロカウント、フラットな精妙な波に変えてしまう。

感謝の心は。干渉波となって働く、という事ですと仰いました。

感謝の波動は、自我や欲望の、荒々しい波動に干渉して、精妙な波動にしてしまうと言うことです。

神さまの波動は、精妙(波の高さが小さく)で、振動数が非常に高い、そう言われています。 

ですから、

・自分だけは、、

・俺が俺が、

・私は私は、

・どうして私だけ、、、

などの自我や欲望を持っていたとしても、例え波動の荒い心であったとしても、そこに感謝の気持ちが起きてくると、一瞬で神さまの波動に近づけると言うことです。 

  

これは、画期的なことです。 

「ありがとう」 という言葉、これは言霊として、宇宙一のパワーがあると言われています。

その理由がここにあったのです。 

心が伴わなくとも、言葉だけでも、威力を発揮すると言われていますが、

これに心まで伴ってくれば、どれほどのパワーを発揮するか、計り知れないものがあります。

感謝の思いが強ければ、自我だらけで、負の環境、苦しみの環境しか生み出さなかった心が、

波動の逆転現象を起こし、神々の波動に近付き、良きものを引き寄せ、天国のような美しい

環境を作り出すと言うことです。

感謝の心さえ持てれば、「ありがとう」の言葉を口にさえすれば、悪しき出来事に見えることさえ、一瞬で、その出来事を神さまからのプレゼントに変えてしまいます。 

もし 何に、どう感謝して良いのか、どうしてもわからない時は、ひとまず、ありがとうの言霊を繰り返してみてください。 

口に出しても、心の中ででも構いません。 

感謝の心は神さまの恩寵を、この世界に現実化する媒体です。  

感謝の心が神さまの恩寵を現実化します。

また過去にご縁のあった方々の お顔を思い出し、お一人、お一人に心の中で、ありがとうを投げかけてみてください。  

人の思いと言うのは時間と空間の制約を受けません。

必ず、相手に届きます。 

出会って下さった方は、良きも悪きも全て私たちの生まれてきた目的を、遂行するのに必要な方々でした。  

生まれてくる前に、お互いに約束してきた方でした。

その方々にお一人お一人、感謝の言葉をかけてみてください。 

そうすることで、今までの経験が、辛かった経験さえ、一瞬で、宝石の体験に変えてしまいます。 

過去を一瞬で感謝の体験に変容できたのなら、今現在の環境に対しても、同じことができるはずです。 

過去・現在に関して、受け取る体験を全て、感謝の体験、ありがとうと言えるなら、

もう未来には、幸せな出来事しか起きないことでしょう。

   

例え、同じ境遇に置かれても、そこを天国だと感じ、幸せを噛みしめ、神さまの心、感謝の心で満たされることでしょう。 

これが空海の説いた即身成仏の、本当の意味です。 

空海は、悩み苦しむ私たちに、こう教えてくださいました。 

生きとし生けるもの、すべてに命があり、心がある。

そのことを忘れてはいけないよ。

すべては、一人一人の命の働きから始まるのだ。

難しく考えることはない。

素直に生きて、皆に感謝をしなさい。

そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。

さすれば、道は開くであろう。 

是非、お試しください。



2024年6月13日木曜日

3457「神さまと繋がること」2024.6.13

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年05月30日の記事を紹介します。


「神さまと繋がること」


この夜明け前の一番暗い時、ヨハネの黙示録の中で示されている

第7のラッパの音が鳴り響く世の中で生きていて

一番心強いことは、やはり、神様とともに生きることではないでしょうか。 

神様と生きる 

そうは言っても、ピンとこない方も多いかもしれません。

ですが、もともと私たちは

神さまから魂の一部を頂いて生まれてきました。

元春日大社宮司で、高名な形成外科医であった葉室頼昭さんのご著書を基にして書きたいと思います。 

はじめのはじめ、至高の神の意志がありました。 

神さまは自分のご意思を実行に移すために

150億年前、ビッグバンを起こし、全てが始まりました。 


古事記によれば宇宙で一番はじめに現れた神は、

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。

ですが、すぐにお隠れになりました。

その後まもなく現れたのが 

・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)

・神産巣日神(かみむすひのかみ) 

やはり同じようにすぐに姿を隠してしまいました。

この3柱の神を造化三神(ぞうけさんしん)と呼びます。 

むすひのかみ達は、以前記事にも書きましたが 

量子力学で言われる「弱い力」、つまり中間子、素粒子を結びつける力です。 

日本の湯川博士が発見しました。 

この力が存在したために、原始ができ、分子になり、物質が生まれました。 

 

つまり、この宇宙に存在する物すべてに原子よりももっと小さなレベルで、

神々が宿っているということになります。 

もちろん私たちの中にも至高の神さまがいらっしゃいます。

私たちの考えていること 

過去、現在、未来、全て見渡して、私たちとともにいらしてくれます。

  

葉室元宮司が仰るには、神さまの意図、つまり至高の神が宇宙を創造した目的は 

外側から、神さま自身の 真・善・美を見て味わい、知ること。 

内側からでは、自分自身を見ること、知ること、感じることができないからです。 

そのため、宇宙神から頂いた、魂、生命を使い、枝分かれした生命体たちは、

様々なことを経験し、味わい、知ります。 

その経験、知識を集めて、再び私たちは、宇宙神の元に戻ります。 

ですから、私たちが経験すること、感じること、思うこと・・ 

それに善悪はありません。

全てが経験として蓄積されるからです。

 

ですから私たちは、人の行動、言葉の一面だけを切り取り、受け取って 

良い、悪い のジャッジをすることはできません。 

その経験も、宇宙・創造神にとっては必要な経験だからです。

色んな宇宙、星々、そして3次元、4次元、5次元・・ いろんな次元で

宇宙神から生み出された沢山の魂たちが、経験を積んでいます。 

ですが、その中でも、地球と言う私たちの惑星、それも3次元の世界は 

生まれ変わり、つまり魂たちが経験するために

肉体をまとい、生まれてくる場所として、大変人気が高く、倍率が高いようです。

何故なら私たちには 肉体をまとっている間、感情を持つことができるからです。 

この地球は、「宇宙一感情レベルが高い星」なのだそうです。

感情と言うのは、対象に対して抱く気持ちのこと。 

喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖など。

また周りの人々の心に 

・寄り添う力、

・感じ取る力

・同じ気持ちを味わう力 

つまり共感力も、この感情があるからです。

  

人生80年、生きていると様々な出来事が起こります。

(自分で生まれる前に計画してきたことです) 

それらを経験するたびに、私たちの感情が大きく揺さぶられます。 

私の人生、どちらかと言えば、辛いこと、悲しいこと、苦しいことが多かった。

そう思う方もいらっしゃるかもしれません。

ですが、その経験をしてきたうえでの今現在の私たちです。 

経験値から言えば、今日の私は、過去一番最高の私です。 

その経験も、生まれてこなければできませんでした。 

辛く苦しみの暗闇の中で、出会った、誰かのほんの小さな優しさ、温かさ、思いやり、

心に沁みませんでしたか? 

苦しんだ経験があるから、

同じ苦しみの中にいる人たちの心が分かるようになったのではないですか?

それって、魂にとったら、大飛躍です。

輝きがぐんと増しました。

※その経験を求めて、宇宙中から生命体が集まります。 

本当の優しさは、その何倍もの苦しみや悲しみを乗り越えてきたからこそ、

身に付いたものではなかったでしょうか? 

それとも今の苦しい環境を、人のせいにして、そこから逃れたいがゆえに、憎み、ののしり、恨み続けるのでしょうか? 

私たちの内にいらっしゃり、常に一緒に歩んでくださっている神さまが望むことは、 

私たち人間たちが、いろんな経験を通じ

・素直な心で

・互いを思いやり、助けいあい、

・お互いさま、お陰さまの気持ちで仲良く笑顔で暮らしていく  

そんな身近で平凡なことではないでしょうか。 

それこそが、神々が私たち人間に、一番望んでいらっしゃる心ではないかと思うのです。 

だからこそ、宇宙神は、私たちの心の浄化を、一番の喜びとされるのではないかと思います。

私たちの心の霧が晴れ、神々しい光が差し込んだ時、宇宙神は、小躍りして喜んでくださると思います。 

自分の周りに居てくれた人たち、家族、友人、同僚、

そんな人たちに、感謝と、祈りにも似た気持ちで接することができれば、 

神々は喜び、今度はそこで、その場において、

私たちと、神々の 美しいエネルギー交換がなされることでしょう。

  

その時、私たちはきっと気付くはずです。 

・私が好きな人も

・私が嫌いな人も 

・私を好きな人も

・私を嫌いな人も

みんな、みんな大切な人だったと。

かけがえのない人だったと。

溢れる感謝の気持ちと共に。 

私たちは、人の 嫉妬、やっかみ、悪意には鈍感でも構いません。 

ですが、人の優しさ、温かさ、思いやり、愛情には敏感でありたいものです。 

なぜなら、そこには 必ず神さまがいらっしゃるからです。 

心の浄化が始まった時、神々の喜びとともに、大いなる幸せも、続々と現れることでしょう。

何故なら、人の心の浄化こそが、神々のなさる最大の奇跡だからです。

  


2024年6月12日水曜日

3456「医療の「あいまいな定義」に殺され続ける」2024.6.12

  今回はIn Deepさんの2024年6月01日の記事を紹介します。


「医療の「あいまいな定義」に殺され続けるADHDの子どもたちと、他の子どもたち」

https://indeep.jp/children-killed-by-vague-definitions/


医学は果てしなく進む

何だか薬剤を取り巻く状況が、むしろどんどん悪くなっていることを日々知りますが、今日も、すい臓ガンについての記事を見ました。

著名人や芸能人などが、次々とすい臓ガンで亡くなったり、あるいは闘病したりしているという話から始まり、最新治療法へと話が移行するのですが、その「期待の最新治療法」は、

「すい臓ガンの mRNA ワクチン」なのでした。

正確には「個別化メッセンジャーRNAワクチン」というものらしいですが、それはそれとして、この記事で、このことを専門家として話していたのが、新潟大学名誉教授の岡田正彦であることには、多少苦笑しました。

この岡田正彦名誉教授は、3年前の 2021年の春に、コロナワクチンの危険性について述べた日本の専門家としては、ほぼ初期の頃に公にそれを述べていた方です。

2021年3月16日のこちらの記事に、談話の全体を文字にしています。

この中で、メッセンジャーRNA が「分解されにくくなっている」こと(シュードウリジン化されていること)にまでふれていて、そして以下のように述べています。

岡田正彦名誉教授の談話より

さらに一方、もしこの人工遺伝子が半永久的に残るのだとしたら…それは大変なことです。つまり先ほどの「免疫細胞による免疫反応」がいつまでも起るわけです。

このような病態は、すでにあり、自己免疫病などと呼ばれています。関節リウマチのような病気がそれにあたります。

「自己免疫性コロナ病」というような病名は存在しませんが、もしかすると、そんなようなことが起こってしまうかもしれません。

人工遺伝子による「自己免疫性疾患」の懸念について、当時すでに述べられていたわけですけれど、先ほどの芸能記事を見ますと、

「すい臓ガン mRNA ワクチンは問題はない」

と述べているようにも見えまして(真意はわからないですが)、何とも複雑です。実際には、mRNA テクノロジーである限り、どんな用途で使われようとも、同じリスクがあるわけです( DNA 混入が不可避であることなど)。

まあしかし、これまでブログでは、著名な大学の専門家や医学者の主張や文章をずいぶんとご紹介させていただきましたけれど、それぞれに、過去の経歴や発言を見ていますと、まあ同じような部分がよく見られます。

「〇〇はダメだが、△△は問題ない」というような。

これまで取り上げた、ほぼすべての医学者の方々の過去あるいは現在にそれは散見されます。

これまで取り上げた医学者の方の中には、パンデミックの初期に「マスクを大々的に推奨していた方」もいらっしゃいます。

 

そういうことなんですよ。 

どこまでいっても、医師であったり医学者である限り、医療という宗教あるいは根源的な医療的洗脳から解き放たれることは難しいのです。

ですので、主張や文章を引用させていただくときには、「その時点で、自分が知りたいと思っている科学的事実」だけを利用させていだいてきました。

自分の理解できる範囲で、ということですが、「この部分に関しては、科学的に間違っていない」と確信できたものを紹介してきました。

それぞれの人物が好きでご紹介してきたわけではないです。

単に「利用」させていただいてきました。

それと共に、こちらもいろいろなことを勉強させていただいたわけで、そういう意味では、とてもありがたいことだったと思います。

人柄とかはどうでもいいんです。

冷たい書き方に響くかもしれないですが、一種の戦争の中に生きている上では、冷たいも温かいもないです。サバイバルテクノロジーの教理のみが残ります。

それはともかく、薬剤の世界はもうどんどん一方方向で進んでいます。

 

最近、米ブラウンストーン研究所の代表であるジェフリー・A・タッカーさんの寄稿文を読みました。

「なぜ子どもたちに薬を投与するのか?」

というタイトルで、ここでは ADHD (注意欠陥・多動症)についてのことなのですけれど、タッカー氏が言いたいのは、

「もともと厳密な診断基準の存在しない ADHD という状態に病名をつけて投薬するシステムが出来上がっている」

ということへの問題提起でした。

ジェフリー・A・タッカーさんの寄稿文は、少し前に以下の記事でも取り上げていますが、「医療の誤謬(誤った推論)」について書かれたもので、「それはもう宗教に近い狂信的な思考と行動がパンデミック中に社会に拡大していった」ことを述べています。

(記事)医療宗教によるこの誤謬の歴史は、どこかでたださないと、人類が滅びるまでの何世代も何世紀も続いてしまう In Deep 2024年4月27日

 

なお、 ADHD の「子どもへの投薬」の問題は、おそらく主要国全体に広がっていることだと思います。

最近スウェーデンのメディアで(最近スウェーデンの話が多いですが)、ADHD の子どもの数が爆発的に増加しているという報道を取り上げたことがあります。

(記事)スウェーデンで、注意欠陥多動性障害(ADHD)の子どもの数が「爆発的に増加」

 BDW 2024年5月26日

このこと自体も、時期との兼ね合い(2021年以降などの問題)としていろいろと思うところもありますが、それは別として、報道の中に、

 

> 10歳から 17歳の男児に処方される ADHD 治療薬は過去 15年間で 800%増加しており… 

とあり、こんなことが世界的に広がっているのは、やや問題だなあと。

なぜなら、一般的に、ADHD として処方される薬は、「覚せい剤と同様の物質と作用機序を持つ成分」だからです。

もう 10年近く前の記事ですが、以下などいくつか記したことがあります。

(記事) 子どもたちの未来。メンタル治療とリタリンやコンサータ。そして、私がかつて見たリタリン常用者たち In Deep 2015年12月17日

このリタリンというのは、現在、ADHD の子どもたちに処方されることの多いコンサータという薬と同じメチルフェニデートという精神刺激薬の薬です。平たくいえば、覚せい剤とどんな差があるのか説明できないというようなものでもあります。

リタリンもコンサータも、「麻薬及び向精神薬取締法」の第一種向精神薬で、処方医薬品の「劇薬」に指定されているものです。麻薬ですね。

思い出せば、1971年の小説「エクソシスト」で、悪魔に取り憑かれた少女リーガンが、病院で最初に処方されたのがリタリンでしたので(多動症か何かと医師が思ったのかと)、アメリカでは、ずいぶんと歴史があるもののようです。

 

ADHD の診断基準は非常に怪しいものですが、薬を投与されている子どもの中には「それがまったく必要ない」人たちが多数いるはずです。

しかし、これらの薬(つまり覚せい剤)に蝕まれた脳機能などへの影響は長く残るのだとも思います。

そもそも、注意欠陥・多動症とか呼ばれますけれど、「注意欠陥じゃない子どもなどいるのか」とか、「多動じゃない子どもなどいるのか」という話もあります。もちろん程度の問題ではあるのでしょうけれど。

私自身、幼少時には注意欠陥でも多動でもなかったでしょうけれど、今の基準でいえば、「限りなく発達障害の診断基準に入る」人でしたので、生まれた時代によっては、そういうカテゴリーにいたかもしれません。

ファックな話です(こういうことを小学生の時から言っている子は)。

ええ、ええ、言ってましたとも。リーガンと同様です。

 

ここ何年かはコロナワクチンをめぐる医療の誤謬の話が多かったですが、いたるところに医療の問題は広がっています。あるいは、「ほとんどが問題」ともいえるかもしれません。このままのシステムでは、人類がみんなボロボロになってしまいます。

ここから、ジェフリー・A・タッカーさんの寄稿文です。最初、コロナワクチンの話がしばらく続くのですが、本題の部分から翻訳しています。

なぜ子どもたちに薬を投与するのか?

Why Are They Drugging the Students?

Jeffrey A. Tucker 2024/05/24

 

…この問題の根底にたどり着いたと思ったら、新たな情報が流れてくる。最近、私は、強制的な医療化に反対して子どもの権利を擁護する団体、エイブルチャイルドを設立したシーラ・マシューズ・ガロ氏の講演に参加する機会に恵まれた。

なぜこのようなことが必要だったのだろうか? 実は、今日の公立学校に通うほとんどの子どもが、毎日この脅威に直面しているからだ。

彼らの多くが ADHD、つまり注意欠陥・多動性障害であると特定される可能性がある。

結局、ADHD を構成する化学的に証明されたものは何もないことがわかっている。これは、チェックリストの質問票で特定された行動に基づいて適用される診断にすぎない。

チェックリストは、そわそわすること、物忘れ、退屈、課題を終わらせること、さまざまな形の行動、フラストレーションの表現などに関するものだ。

言い換えれば、ここにあるのは、特に男の子が何ヶ月も何年も机の前にじっと座り、権威ある人物から割り当てられた課題を完了するように言われたときに予想されるごく普通のすべての兆候が書かれてあるリストだといっていい。

この種の診断では、多くの子供たち、特に例外的な子供たちや、かつては「才能豊かで才能がある」と考えられていた子供たちを巻き込むことになっているだろう。

実は、今日では完全に正常な行動特性を病理化しようとする巨大な産業が存在する。これは特に男の子に非常に大きな打撃を与える。なぜなら、一般的に男の子は女の子よりもゆっくりと成長し、女の子に比べて環境適応に対する行動抵抗の傾向があるからだ。

この驚くべき現実について詳しくは、目を見張るような著作『 ADHD 詐欺:精神医学はいかにして正常な子供を「患者」にするのか』をお読みいただきたいと思う。

このような診断の目的は何なのだろうか? 皆さんもご想像のとおり、この想定される問題には薬がある。

薬の名前はさまざまだ。リタリン (メチルフェニデート)、アデロール (アンフェタミン)、デクスメチルフェニデート、リスデキサンフェタミン、クロニジン、アトモキセチンなどだ。

これらの薬のどれも、生物学的異常に対する化学的治療薬として証明されていない。これらはすべて行動調整薬、つまり向精神薬、つまり子供用の麻薬だ。

何百万人もの子供たちが、10代の 13%に及ぶほど、精神科の薬を服用している。大学生になると、その割合はさらに高くなる。成人の約 3人に 1人が精神科の薬を服用している。状況は悪化している。

そして、これらは「学校から」始まるのだ。

これらすべてを聞いて私は驚いた。しかし、ある意味では、これは私たちが知っている他のすべてのことと一致している。ここには、公立学校などの政府機関、規制当局、そして奇跡を約束して人々に薬を投与しながら、実際には人生を台無しにする医療当局と緊密な協力関係にある業界がある。

もしあなたが 7歳の頃から薬物中毒になり、向精神薬に頼って生活していたら、あなたの学生時代はどれほど違っていたか考えてみてほしい。

今日の何百万人もの子供たちは同じことに苦情を言えない。

これはまったく驚くべきことであり、大々的に暴露されるのを待っているスキャンダルだと私は思う。

ロバート・F・ケネディ・ジュニア氏が最近公の場で指摘しているように、関連する要因の中には、学校での銃乱射事件とこれらの薬物の広範な流通との奇妙な関係がある。(※ コメント / 銃乱射事件を起こした子供たちの多くが何らかの向精神薬を服用しているという調査があります。こちらの過去記事でもふれています)

多くの事件はすでに知られているが、本当の問題は銃ではなく薬物製品にあることを一般の人々がますます理解しつつあるにもかかわらず、その他の事件の医療記録は公表されていない。

しかし、活動家たちは、より深く(向精神薬と銃乱射の関係を)調べるよりも銃を取り上げることに完全に集中している。

私はアデロール中毒の若者たちと個人的に接したことがある。いろいろな意味で、大学生にとって、アデロールは奇跡の薬のようだ。

大学では、時間の使い方に関する規律は優先順位が低くなる。その代わりに、長いレポートを締め切りまでに提出すること、テストで書いた翌日には忘れてしまうような膨大な資料を暗記すること、そして、ときどき集中力を維持することが求められる。

多くの学生にとって、この薬はまさに医師が処方したものだ。集中力を高めて徹夜した後、1、2日ゾンビのような気分になるが、誰もそれに気づかない。

私は、身体的なものだけでなく心理的なものも含め、依存症に陥る人を何人も知っている。薬物のない生活は、それに比べれば退屈に思えるが、誰がそんなことを望むだろうか。

こうした学生は、これを職業生活に持ち込み、同じパターンを試みている。彼らは一日中働き、夜通し起きて、驚くべき成果を上げることができるが、それはあなたが求めていたものとは少し違う。

あなたが解決策を求めても、それは実現しない。実際、彼らは何日も連絡を取らず、仕事の記憶を失って再び現れる。このパターンが繰り返される。

本当の問題は薬物にあることが徐々にわかってきた。私は、少なくとも安定した労働パターンを持ち、時間をかけて構築できるスキルを多少は覚えている、そこそこの生産性のある従業員を雇うほうがよいと結論づけている。

問題は、誰かを雇うときに「どんな薬物を飲んでいますか」といった質問をするのはあまり適切ではないということだ。結局は推測することになり、時には間違った推測をすることになる。

長年の経験から、これらの薬物は職業生活にとって大惨事だということをお伝えしたい。誰も決して服用すべきではない。

いずれにせよ、これは私の熟慮した意見であり、私は大学生に頻繁にこれらの薬物を服用しないよう警告している。大学生に当てはまることは、高校生や小学生には何千倍にも当てはまる。これらの薬物がキャンディーのように学校の子供たちに配られるというのは、まったくのスキャンダル以外のなにものでもないのだ。

親にはこのことに抵抗する権利と義務がある。

最近知ったことだが、ADHD の診断には科学的な根拠がまったくなかったこと、(コロナの際の)社会的距離の背後に科学的な根拠がまったくなかったことを知ると、なおさら驚きだ。

すべては、さまざまな命令から利益を得ている国家とそれに隣接する民間セクターのプレーヤーに奉仕するためにでっち上げられたもので、どういうわけか、結局は国民に薬を投与することになる。このすべてに私は驚愕している。

もっと広い視野で考えてみよう。私たちは公立学校を創設し、子供たちに通学を強制し、報酬の得られる仕事から彼らを締め出し、男女を一緒にし、すべての生徒が同じペースで学ぶかのように画一的なカリキュラムを押し付け、教師から裁量を奪い、巨大な官僚機構を学校に押し付けた。

子供たちが環境にうまく適応できないと、私たちは彼らを精神病者と呼び、政府とつながりのある製薬会社が利益を得られるような方法で彼らに薬を与える。

このレベルの残酷さが、まさにシステムに組み込まれている。文明社会がこれを容認できるとは驚きだ。そして、起こっているスキャンダルの全容がわかれば、減量薬、他のワクチン、奇跡の治療法、そして対症療法の仕組みそのものについて、他の疑問を抱かざるを得なくなる。

この穴はとても深い。


2024年6月11日火曜日

3455「子供の人生は子供のもの」2024.6.11

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年05月29日の記事を紹介します。


「子供の人生は子供のもの」


もし自分が親であれば、子供たちは、 

・親が守ってあげるべき

・親が正しい方向に指導すべき

・何もわからない子供に代わって、将来を見据えた道を進ませるべき 

そうしなければ 

・壊れてしまうかもしれない

・悪い道に進んでしまうかもしれない

・遊んでばかりいて勉強しないかもしれない

・生涯、貧乏暮らしかもしれない

・ケガをするかもしれない 

などと思うかもしれません。 

 

ですが、 

・障害を持って生まれるのも、

・病気になるのも、ケガをするのも、

・第一志望を落ちて、第三志望に進むのも

・勉強嫌いだけれど、人懐っこい性格も 

みんな、自分たちで、その経験がしたくて

生まれる前に、神様と相談して、そのような人生を決めてきました。 

・病気になってかわいそう

・勉強ができなくてかわいそう

・早くに亡くなってかわいそう

それは、もしかしたら親の目から見た、親だけの

独りよがりの価値観の押し付けかもしれません。 

子供たちは、その経験がしたくて生まれてきました。

もしかしたら、たとえ体は小さくとも

親の私たちよりも、遥かに進化した魂かもしれません。

もし、そうであるなら、親の私たちの近視眼的な価値観の押し付けで 

子供たちは、生まれて来た目的から、はるか遠くに離され、息苦しく、生きづらく

魂は泣いているかもしれません。

手塚治虫さんの例をご紹介します。

小学校時代、マンガを授業中にノートに書いていた手塚さん。

母親は呼び出しを受け、先生に注意されます。

その後、母は息子のマンガを読んで、

「おもしろい第一号のファンになりました」と言って褒めてあげたそうです。

また手塚さんが医者を続けるか、漫画家になるか悩んだ時、 

母は、「あなたが選んだ方を応援します」と言って励ましてくれたそうです。

母親から、「いつも肯定されている子ども」は、自分の関心事を否定されないので、

自分の才能をスムーズに開花させることができます。

母親が「あなたは、そのままでいいのよ」と受け入れていくと、

子どもは個性的に、伸び伸びと育ちます。

次に生まれる前の記憶(中間世記憶)を持つ りお君のお話を紹介します。

<引用開始> 引用元 


りお君は心臓病と喘息があり、入退院を繰り返している5歳のお子さんです。

お母さんが

「どうして心臓病を持って生まれてきたの」と聞いたところ、

「そのほうが面白いと思ったから」という唖然とする返事。

「喘息になったのはどうして?」という問いかけには

「だって、治すのが面白いから」だったそうです。

すなわち病気は自分で選んで、それを治すのが面白いから、というのです。

<引用終了>

  

りお君のお母さんは、こう仰っています。 

「先天性の病気ということで、私は辛い気持ちを引きずっていました。

けれど、りおにそう言ってもらって、気が楽になりました。

それに、喘息も治せるはずだって、明るい気持ちになりました。

りおが病気で生まれたため、本当に大変でした。

けれど家族の支えがあったから乗り越えられましたし、

沢山の経験を積ませてもらいました。

りおのおかげで出会った、病気と共に生きる子どもたちのことを、

私は決して忘れないでしょう。

りおは、生きていること自体が奇跡なのだということ、

そして家族の大切さを、気づかせてくれました。 

私たち親は、自分が苦労した道を、子供たちには歩ませたくないと

・楽な道

・人よりも優秀であること

・人よりも稼げる道

・健康であること 

を良しとして、苦労させまいとします。 

ですが、何も苦労の無い人生を、親の都合で無理やり過ごさせて・・

果たして、天国に帰った時、子供たちは、幸せを感じることができるでしょうか? 

一見苦労に見えること、避けて通りたい経験から逃げてばかりいて、 

魂は幸せを感じられるでしょうか? 

苦労の末に気づいた 

・何気ない日常の大切さ

・人々の優しさ、思いやり

・一緒に苦労を共に乗り越えた人々との友情 

・別れの悲しさ、寂しさ

・恋した時の高揚感

・沢山の喜び悲しみを経験して培った家族の絆

・病気になったから理解できた、同じ立場の人々の心 

そんなことを経験したくて、子供たちは、自分の人生のドラマの中に 

沢山の、

・一見苦労に見えること、

・回り道に見えること 

そんなことを仕込んできているかもしれません。

可憐なタンポポであるお子さんに、 

「さぁ、バラに成りなさい」と言って、無理強いしても、

子供の心を傷つけ、萎縮させ、枯れさせてしまうだけです。

私達親にとって出来ることは唯一

成長は本人に任せ、

笑顔で、お水をあげたり、日に当ててあげることだけかもしれません。

子供の人生は、子供のもの。 

私たち親は、子供たちを信じてあげたら、

干渉せずに、もうご自分の趣味や、楽しみに没頭し、

その楽しそうな後ろ姿を、子供に見せてあげることが大切なのかもしれません。