2015年7月12日日曜日

462「津軽3」2015.7.11

 津軽あすなろラインを進み、五所川原市飯詰福泉にある高楯城跡(飯詰城跡)のある妙龍寺に向かいました。
 小さな集落の中にある城跡ですがここには以下のような歴史がありました。
「康永3年(1344)、後醍醐天皇の側近万里小路藤房の息子である藤原景房によって築城されましたが、天正16年(1588)大浦為信によって滅ぼされ、万里小路藤房より10代目の城主朝日行安は自害し、飯詰城は廃城。一族も徹底的に捜索された末に惨殺され朝日一族は滅亡。
 なお、大浦氏により包囲された際には城内に通じる水脈を絶たれましたが、白米で馬を洗って見せるなどの必死の抵抗を見せたという言い伝えがあります(白米伝説)。また、糠塚川に鎧を捨て逃亡を企てるも力尽きて主従は自害したという逸話が残り、鎧留の由来となっているようです。落城の際に城址周辺では鎧武者や女の亡霊が現れたり、日照りや長雨などの天候不順に見舞われ、これは朝日一族の祟りであると噂されたそう。」
「高楯山妙龍寺・高楯城跡」
 http://blogs.yahoo.co.jp/sadisticyuki10/13405115.html
 
 この高楯城は10年間に渡り大浦氏に抵抗したといい、この落城で津軽統一が完成します。
「天正6年(1578年)に大浦為信は浪岡城を攻撃し、北畠一族を追放しました。その後次々と津軽地方の拠点が為信の手によって落ちていく中、朝日氏最後の城主である朝日佐衛門尉行安は10年間にわたって大浦氏に抵抗するのです。
 しかし天正16年(1588年)、為信軍によって水脈を断たれた飯詰城は、とうとう包囲されました。朝日勢の抵抗も空しく、力尽きて城に火をかけあえなく落城し、朝日氏は滅亡しました。主従300余名は自刃したといいます。
 こうして大浦為信の17年間に渡る長い戦いは終わり、津軽統一を果たしたのです。」
「大浦為信、飯詰高楯城を攻略 ~津軽統一完成~」
http://rekisi-kaido.owl-aomori.com/?eid=17
 
 こじんまりした高台の城跡は城址を模した資料館らしきものがありますが閉鎖されていました。往時をしのぶにはあまりにも隔世の感があります。


 この津軽氏の登場により、それまでの津軽の多くの歴史は抹殺されたといいます。そのことが引き金になり、アラハバキ、安倍・安藤氏の歴史を正しく残すことを目的に、東日流外三郡誌の編纂が時の安東氏を祖にする三春藩主の秋田氏により、命じられたとされています。
「寛政~文政年間、三春藩主の家臣であった秋田孝季(たかすえ)なる人物が和田氏の祖先・和田長三郎吉次とともにまとめた物だという由来を主張している。」
「偽書「東日流外三郡誌」の正体2」
http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/9cec6f0f44929fb9f432fd40739ef21a
「偽書「東日流外三郡誌」の正体1」
http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/241ea70e252060fd7a26964596bfc3ab
「秋田氏」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E6%B0%8F
「安藤氏」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%9D%B1%E6%B0%8F

 つがる市の亀ヶ岡遺跡は遮光器土偶で有名な縄文後期の集落遺跡です。遺跡の後は国道沿いに小さな公園になっていて巨大な遮光器土偶のモニュメント、シャコちゃんが立っています。かつてのこの地の人間がこのような姿をしていたのか、架空のものなのか、いずれにしてもその宇宙人的な、遮光の目の形は興味をそそる世界です。

遮光器土偶については以下の記載があります。 「亀ヶ岡遺跡から明治19年に出土したとされる遮光器土偶は、デフォルメされた目が古代北方系民族の使用していた雪眼鏡(遮光器)に似ていることからこの名が付けられた。高さ約34.5センチ、土偶の胴体を占める文様は実に繊細で、中は空洞となっている。体の一部が破損した状態で出土したため、それをめぐって様々な説が出されている。昭和32年に国の重要文化財に指定され、現在は東京国立博物館に保管されている。」

「亀ヶ岡遺跡と遮光器土偶」
http://www.mystery-hunter.com/2014/04/01/%E4%BA%80%E3%83%B6%E5%B2%A1%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%81%A8%E9%81%AE%E5%85%89%E5%99%A8%E5%9C%9F%E5%81%B6/

 公園のシャコちゃんと記念写真ですが、初めての方は大喜びです。



 太陽もかなり西に傾いてきていますが今日最後の目的地は、程近いベンセ湿原です。湿原ではニッコウキスゲが終わりハナショウブの咲き出すちょうど間で、お花は見れませんでしたが、遊歩道を少し進むと突然正面に驚きの世界が開けました。


 それは津軽不二を湿原の沼の先に綺麗に見ることが出来たのです。何度も津軽に来ていますが、これほどに優雅に全容を現した岩木山は初めてです。東側からの山容と少し違い、富士山のような端正な美しさです。みなさんで驚嘆の声を発してその美しさに暫し見とれ、時間が止まってしまいました。




 私たちの幸運を誰一人疑うことがない喜びに満たされて、木内さんの居ない旅に敢えて参加した選択の素晴らしさ、ご褒美を頂いたことを素直に感じていました。美しき国、日本です。縄文のころからこの霊峰を拝し、日々の営みをなし、喜びに生かされていたであろうご先祖の方々に繋がる情報を頂いたように思いました。それがアラハバキの神々の世界だったのでしょう。
「ベンセ湿原」http://www.aptinet.jp/Detail_display_00000540.html

 アラハバキについては郷味深い世界で、いろいろなことが言われています。
 以下のサイトの内容はアラハバキについて、さらには出雲の国譲りと津軽の繋がり、ひいては龍信仰のありようを記してありますので興味のある方は読んでみてください。
「出雲の国譲りの真相、出雲から追われた人々・アラハバキとは1話、2話」
http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/351f7d1624b8ffc806284e3778015537

 ベンセ湿原から宿までは10数分で到着です。1日の長旅を温泉で癒し、美味しい食事と歓談のうちに夜も更けて眠りに就きました。



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