2016年1月13日水曜日

558「仕切り1」2015,1,13

 2016年元旦は穏やかに明けましたが、4日以降に開始した世の中は大混乱の幕開けです。日経平均は6日連続の下落で既にバブル崩壊しており、ニューヨーク始め世界中の株価、通貨、石油を始め資源価格の暴落が続いています。いよいよ金融大恐慌を始まりとして終末的様相が現象化して、世界中その渦中に突入し、羅針盤も舵取りも操作困難な様です。蒔いた種は刈り取らないとならないのでしょうが、拡大していく戦争を含めてその影響は如何程になるのでしょうか。
 2016年元旦で仕切りが成され、新たな始まりがスタートした、とどなたにもはっきりわかる状況に成って来ました。これまで多くの警告、警鐘がありましたが、個人的には如何に己の中で認識し準備して対応策を講じてきたのかで影響は変わってくると思います。
その仕切りを誰がしているのか、そのシナリオを誰が書いているのか、その結末は如何になるのか興味深々です。
 これまで人類はこの地球に誕生し多くの変化、大激変を経験して今日に至っています。先人の叡智、この次元を超えた次元とのアクセス能力を持つ方の情報などが羅針盤、磁石として是まで歩んで来ていますので、今回の大変化も更なる人類進化へのプロセスとして活かせていけるものと思います。

 私の師の一人に杉浦清始氏がいます。THDの1月の情報誌に氏の年頭メッセージ記事「心の時代は穏やかに終焉を迎えます」がありました。興味深い内容なので紹介します。

・「幻」に振り回される時代は終わり
 政治、経済、経営における戦略的思考も、心理的思考も、お客様の心を掴むことも、全て「心の時代」の産物です。そろそろ完全に終わる時が来ています。相手がどう思うとか、自分がどう思うとか、好きとか嫌いとか、正しいとか間違っているとか、そういう位置に頼るのでなく、ある直感・インスピレーションに従い、決める時が来ているのです。
 「心」は現実世界を映し出す存在でもあり、また、それに揺さぶられる存在でもあります。心は本来、真実を捉えることが出来ないのですが、それを私たちは如何にも間違いがないものとして、現実であり、真実だと思いがちです。しかしもう多くの方が気付き始めていらっしゃるように、それらは「幻」なのです。世界は過去に見たことや読んだ本、誰がしゃべったこと、マスコミの話など、知識経験の全てを総合して頭で編集した結果を「現実」として生きているわけです。
 「心」はこの「幻」を自分で生み出しては、それを見てもっと良くしようとか、こうした戦略を取ろうとか、快適に過ごす為にああしようこうしようと、右往左往し続けています。例えば「不治の病」という現象を受けて、多くの場合、自分の時は「なんとか治したい」、人の場合は「なんとかしてあげたい」。これが「心」の動きです。心は、この「生」を長らえることが最も大切という価値観のもと、それが途絶えることを「不幸なこと」「悪いこと」と判断します。しかし本来“亡くなる”ということは、いいことでも悪いことでもありません。
・「内なる光」の位置を知る
 忙しく判断し、動きまわっている私たちの「心」の奥には“内なる光”が存在しています。これが「魂」です。今生が終わろうとも、始まることも終わることもない存在です。魂が心を生み出し、心は現実を生み出し、心の中に「自分の姿」なるものも生み出しました。しかしそれら全てが幻想であることを見抜き、そこに主軸を置かず、ただぼんやりと淡く眺めながら、悠然とくつろいでいられる。この状態が「魂」の時代の姿です。何においても、ただその「魂」が本来の目的・流れに沿って動いて行く時代が来た、ということなのです。
 今の世の中は大荒れに荒れています。海に例えれば暴風で荒波に揉まれ、船が転覆し・・・ということが次々に起きているかのような有様で、私たちの心も大きく揺さぶられ、外側の大きな出来事に一喜一憂を繰り返しています。しかし「魂の位置」というのは、この海のずっと底の方にあります。静かで、海の表面で起きていることには一切影響を受けない。その「魂の位置」を知り、その位置で物事を選択していけること、それが「魂で生きる」ということです。目の前で何が起きようとも、心を大きく揺らす事無く、涼しい顔で、海の底の境地に浸る。本来の境地・ポジションで本来のすべきことを淡々と選んでいけるのです。
 心の時代は終焉を迎えつつあります。「魂の春」、内なる光の時代の始まりです。
http://genkiup.net/seminar/seminar272.pdf

 如何でしょうか。心の時代から魂の春、内なる光の時代に変わる変化が今の三次元的激変の最中に進められているようです。ある意味では何時の世もこのような繰り返しの中でいのちの学び、成長をする学び舎としてこの地球、日本があったように思います。
 その日本の象徴として親しまれる霊峰、富士山はかつて蓬莱山といわれ、徐福伝説にも、かぐや姫などでも登場する日本人なら萬人が知る存在です。
 私は富士山を臨む地は何度も訪れていて、日本の誇りとして愛でこそすれ、しっかりと1周して巡ったことがありませんでした。この成人の日の祝日を利用してかねてよりの不二・スサノウ・徐福の所縁の地を満喫して来ました。
 そのきっかけは「スサノウの数学」~古代出雲と富士山ラインに隠された刻印の謎を追う~大井道範著、という書物に触発されましたが、その視点は以下に集約されます。

「私が奉職している龍朱山「瑞雲寺」のそばにスサノウを祭神とする「須賀神社」がある。それ程大きな神社ではないが、この社の下には全国でも上位にランクされる活断層が南北に走っているのである。
 東日本大震災以来、活断層がいかなるものかについて一般の人々の関心も高くなり、メディアでも盛んに報じられるようになったが、いろいろ調べてみると、当寺および須賀神社の下を走る活断層を含め、日本各地の危険地帯や地点には、なぜかスサノウ系の神社が多いことがわかった。偶然なのか、それとも必然なのか。
それを知る手がかりがまったく無いわけではない。各地に散在する出雲系の神々、すなわち、スサノウ、オオクニヌシ、スクナヒコナ、コトシロヌシ、タケミナカタらを祀る神社や神奈備(霊山)などは、何よりの手がかりとなる。
 ここで大事なのは、スサノウにまつわる神社などの位置関係だけでなく、つぶさに見ていくと、国造りにおいて、一枚の巨大な地図の上に設計図を描くかのごとく、地上に点(基点)を定め、その基点からある一定の方向に線を描くと、共通の角度と線が描けるということである。その正確さは、まるで近代の測定機器を用いたかのようであり、驚くばかりである。
 中略
 古代は謎に満ちている。われわれは固定概念を捨てて、真摯に数字に向き合い、そこから聞こえてくる古代人の声なき声に耳を傾ける時代がやって来たと言えよう。」