しかし初夢を見るといわれる2日に吉兆を頂きました。実は正月の恒例行事の箱根大学駅伝の最中、そして仙台初売りで市内商店街が賑わう中、岩手県の平泉に行って来ました。平泉中尊寺にもかつては正月恒例で毎年参拝していました。今年は久しぶりに各所に参拝できていましたので平泉にも足を運んでみました。
仙台から宮城インターで東北自動車道に入ろうとすると、小雨の中、車の後方に一瞬、虹が目に入りました。そして高速道路を北上すると、何と直ぐ正面に綺麗な虹が出現するではありませんか。これは将に、正月早々縁起が良い徴、幸運の吉兆と思い写真を撮りました。
大衡インター辺りまでレインボーブリッジに向かって車を走らせました。二重の虹にも見えましたが、虹を見てラッキーと思える気持ちが幸運を引き寄せるのでしょう。今年は幸先が良いですし、平泉に向かう選択が善き事へのスタートのようです。やはり今年もみちのく、縄文、アラハバキの世界により深く遊ぶのかもしれません。
最初は平泉を過ぎて隣の奥州市衣川の磐神社に向かいました。田んぼの中の神社は雪も無く、凛として、綺麗に整えられていて清清しい感じです。お社の扉も開かれていて、初めて本殿内部を拝観しました。石塔も沢山あります。後ろのアラハバキ大神の巨石であわ歌を響かせましたが、心地良く声も通り、神社境内の場の雰囲気が参拝の回を重ねるほどに良くなって来ている印象です。
本殿前の狛犬さんは風化して時間を感じさせますが、犬ならぬ今年の干支の申のようにも見えます。
神社の案内は以下です。
「延喜式内奥州一百社の内で胆沢七社の一とされ、古代より崇敬された神である。この神社は男石大明神とも称し、 松山寺境内の女石神社と合せた陰陽の二神で日本武尊、稲葉姫命をまつるとされ、二社に分れるが当社が本社となっている。ご神体は東西一〇・二m 、南北八・八m、高さ四・二mの自然石で古来社殿は設けないならわしであったが、明治三〇年頃、近郷の氏子の強い要望による寄付金で拝殿が建築された。
なお、当社のすぐ右前方には安倍館があり、安倍氏は当社を守護神(荒覇吐神)として尊崇し、磐井以南に威を振う拠点をこの地に形成したと伝えられる。」
近くにある安倍館は小高い山の上にあったようですがいまだ訪れたことがありません。安倍氏に付いて以下の様な表記があります。
「安倍館は、俘囚長だった忠頼の代から、前九年の役で頼時・貞任の父子が滅ぼされるまでの八十余年間、奥州安倍氏の居館だったと伝わる。
奥州阿倍氏は平安後期における陸奥・出羽の豪族で、北上川流域で栄えていた。その出自については、朝廷に従うようになった土着の蝦夷であるとか、中央の名族、阿倍氏が奥州に下った際に残した子孫であるとか言われるが、彼らの間に伝えられた伝承では「神武東征の際、滅ぼされた長脛彦の兄、安日(あび)が放逐されて津軽に入りその始祖となった。(「あべ」は「あび」の転訛)」と伝わっていた(『平泉雑記』が伝える安倍氏自身の家伝などに、この伝承が見られる。)。
長脛彦は記紀に見える大和の土着勢力の首領で、東征する神武天皇に激しく抵抗して殺されている。しかし、記紀には彼の兄で安日などという人物の記事はなく、これはもちろん後世の創作である。しかし、そうだとしても、どうしてこんな突飛な伝承が生まれたのか、という疑問は残るだろう。
そもそも、朝廷に対し融和的であった彼らが前九年の役で中央政府に背くきっかけとなったのは、頼時の息子の貞任の妻に、陸奥守だった源頼義の武将の妹を迎えようとしたところ、その武将が安倍氏が蝦夷の子孫であることを理由に断ったため、と伝承されているのだ。そんな彼らが大和朝廷から異族として蔑視されていた長脛彦の兄というポジションの人物を始祖にするとはとても思えない。ここにはたんなる絵空事に終わらない深刻なものが感じられる。」http://blog.goo.ne.jp/familyplot1976/e/f3404b80c6845b5ce0b3ef3c4e078702
次は平泉中尊寺です。2011年世界遺産に登録された平泉は平安時代に、奥州藤原氏三代、100年の奥州黄金文化が花開いた浄土の世界でした。詳しくは以下等をご覧下さい。
http://morioka-kankou.com/morioka-kankou/index-iwate.html
その中心となる中尊寺は以下です。
「中尊寺は、850年(嘉祥3年)、円仁 (慈覚大師) によって開かれたと伝えられる天台宗の寺院。山号は関山(かんざん)1105年(長治2年)、奥州藤原氏の祖・藤原清衡は、前九年、後三年の役の犠牲者を敵味方なく供養する仏国土建設のため、境内に堂塔の造営を開始。最初に釈迦如来と多宝如来を安置する「多宝寺」を建立され、次いで高さ15メートルにも及んだという大長寿院(二階堂)が建立された。1124年(天治元年)には、清衡の廟堂としての金色堂が建立され、100年にわたる藤原氏の栄華の基礎が築かれた。
1189年(文治5年)、奥州を攻めた折に大長寿院を見た源頼朝は、それを模して鎌倉に永福寺を創建している。2011年(平成23年)、「平泉~仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群~」の構成資産として世界文化遺産に登録されている。仏国土とは、仏の教えによる平和な理想社会のこと。」
雪も無く穏やかな夕暮れ時ですが、いまだ中尊寺は沢山の参拝客です。本堂、白山神社等を参拝しました。ここは奥州33観音菩薩の特別霊場になっていますので4月にあわ歌の巡りで中山さんと訪れる予定です。ゆっくり参拝できました。
日も暮れて平泉駅前の芭蕉館でスペシャルな割子蕎麦を頂き、心身満たされた中、無事に帰路に着きました。
おまけですが、実はこの日は午前中に仙台市内で8888の車に遭遇し、直ぐに111のナンバーの車を前方で見かけました。中尊寺の駐車場に止めたら正面に止まっている車のナンバーが777です。そして仙台に帰り着いて市内を走っていると前に8888の車がいるではありませんか。私の車は999ですが、何とも稀有な出会いです。これも何か吉兆ではと勝手に思い込んでしまいました。
翌朝は太平洋から昇る日の出をありがたく拝ませていただきました。