当時は仙台市秋保にある慈眼寺に良く参拝していました。塩沼亮潤大阿闍梨のお寺です。お寺が創建されて間がないころで友人の紹介でお会いして、テンメイの発足、活動もお話させていただき、発足記念講演を塩沼大阿闍梨にお願いしたところ快諾頂き、19年9月9日に開催しました。当時は最初の本が出版されて注目され始めた頃で、時間の余裕があったのでしょう、現在は超有名になり超多忙になり考えられない、幸運なことでした。
お寺の紹介は以下のようにあります。
「慈眼寺は、塩沼亮潤大阿闍梨が修験道発祥の地、奈良県大峯山において一日四十八キロを歩く『大峯千日回峰行』と、九日間飲まず・食べず・寝ず・横にならずの『四無行』を満行し、 開山されたお寺であります。
修験道の本尊である蔵王大権現は、今からおよそ1300年前、役行者(えんのぎょうじゃ)によって感得されました。蔵王大権現の「権現」とは・仮のお姿で現れる・という意味で過去世をお救い下さる釈迦如来、 現世をお救い下さる千手観音菩薩、未来世をお救い下さる弥勒菩薩がひとつになり民衆を救うために現れたお姿なのです。」
http://www.jigenji.net/
「1999年9月2日に金峯山史上2人目となる千日回峰行を達成。翌2000年9月28日から四無行を満行、2006年には八千枚大護摩供を満行した。その後、帰郷して慈眼寺を建立、住職となる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E6%B2%BC%E4%BA%AE%E6%BD%A4
以前も元旦0時の護摩祈祷に何年か継続して参加していましたが、今年も10年目の区切りを迎えるに当たり、久しぶりに元旦0時からの護摩祈祷に参加しました。今年は雪も無く暖かくありがたいものです。11時半前に護摩木のお願いを済ませ、本堂で新年、午前零時を待ちます。本堂がほぼいっぱいの参列者ですから100名ほどでしょうか。
定時にほら貝が鳴り響き、修験道の蔵王大権現護摩供養が始まりました。しかし今年は大阿闍梨の美声、脇で太鼓を打ち鳴らすお坊様のお経の声も聞こえません。いつに無く女性の経の声がそこかしこから聞こえます。12時50分頃に護摩祈祷が終わり、塩沼大阿闍梨の新年講話がありました。どうやら風邪で喉をやられて最悪な状態のようでした。
お話の内容を簡単に紹介します。
「12月29日に39度5分の熱の中、東京往復しました。お付きのIさんが風邪を引き、二人とも声が出ない最悪な中今日を迎えました。昨年は思いがけないことに母が手術をし、今は元気に成っていますが、その他に本の執筆等で無理が重なりました。このように体調が悪い、追い込まれる程に精神力が高まります。修行の頃を思いだします。
私の宗派は檀家を持たず、葬式をしないので、わたしのお寺もそうです。縁あった人からこのお寺を建立する、2002年から多くの寄付を頂いてきました。そして慈眼寺が出来、生まれて一度も求めた事無く、ありがたくこれを頂いています。
原点は素直、正直にで、いろんな人の支えがあって今があります。昨日の人、今日の人と差別しないで助け合いをしてきました。ここまでは昨年までの話しです。これからは今年のお話です。
改めて、明けましておめでとうございます。これまで有言実行が出来てきました。下地を積み、努力をして来ましたが、今年は更に新しいことに挑戦したい。世界中にご縁のある国、人がここで交流する機会を作り、いろんなものを発信して行きたい。皆さんが驚くようなことをしたいと思っています。
今年は努力をして、一皮むけた大きい人間になるつもりです。心に思い、行動に移さないと夢は叶わないので、険しい、難しいことを失敗しても何度もやり続けることで、その実現が出来ます。大きな夢は、世界が仲良く、助け合うこと。慈眼寺の原点を大きな輪として伝播できればと信じています。
教えはシンプルです。感謝し、敬意を払い、一歩引いて反省する。それがマナーです。肩の力を抜いて、ゆったり、ふんわりとする。そして明るい気持ちで挑戦していると、縁も運もやって来ます。毎日、精いっぱい、頑張る気持ちで今年も進みたいと思います。」
暖かい正月とは言え、暖房の無い本堂では冷えてきます。ありがたい正月元旦を厳かに穏やかに明けることが出来ました。月も星も光輝いて新しい年を示していました。