新年のご挨拶に元日に初詣に行ってきました。
3月からあわ歌で中山さんと奥州33観音霊場を巡ることになっていますので、その下見も兼ねて名取市にある神社を参拝しました。
高館山の山頂近くにある熊野那智神社です。名取市の那智が丘団地を抜けて行くのですが、この神社もお参りするのは5年ぶりくらいでしょうか。神社は以前の少し荒れた、鬱蒼とした印象が消えて、すっきりと手入れが成され、清清しい感じです。参拝の方も多く、この神社を選んで良かったと思いました。
御神木の樹齢800年の杉の大木「山一」も立派で、正面の表参道の神門も新しくなって綺麗です。快晴でしたので神門からの見晴らしは素晴らしく、太平洋、名取の市街、仙台空港、平野が一望できます。我がテンメイ名取農場もあの辺りかと目星が付きます。
神仏習合の名残で鐘堂があります。気持ちよく鐘を突かせていただきました。その右脇の道の階段を下った先にある那智滝、飛龍神社も参拝しました。以前あった崩壊寸前の家屋は綺麗に取り壊されて整頓され草刈もされていてすっきりしていました。那智滝は紀州の那智の滝を模して名付けられていますが中々な雰囲気です。滝の前であわ歌を響かせましたが、途中、雲間から一瞬、太陽が光り、輝きを送って下さいました。心地よい新年の第1声です。
この那智熊野神社は名取熊野三社の1つです。熊野の神は出雲神で、スサノウ所縁の神社です。名取熊野三社には以下のように記載があります。
「全国に3000社以上ある熊野神社のうちおよそ700社が東北地方に存在するが、その東北の熊野信仰の中心的存在にあったのが名取熊野三社である。
仙台湾を熊野灘、名取川を熊野川、高舘丘陵を熊野連山に模し、本宮・新宮・那智の三社が他の地域とは異なりそれぞれ別に勧請されている。紀伊熊野の三社それぞれを地理的・方角的に同様にセット状態で勧請しているのは非常に珍しく、全国の熊野神社の中でもここだけであるとされる。」
那智熊野神社の主祭神は羽黒飛龍神・伊弉冉尊ですが、由緒などは以下のようです。
「伝説によると、養老3年(719年)閖上浜の漁師が海底から御神体を引き上げたところ、その光の輝きの止まる所が高舘山であったことから、そこに宮社を建て羽黒飛龍神として祀ったという。
一方「閖上」の地名の由来として、貞観13年(871年)に霊験あらたかな十一面観音像が波に揺り上げられているのを漁師が見つけ、それが現在高舘山の那智神社に那智観音像として安置されている、という話も伝わっている。その後、名取老女の熊野三神勧請にあたり、那智の分霊を当社に合祀し熊野那智神社と改称した。
かつては御神体が揺り上がった場所である閖上浜までの浜降り神事が行われ、正月には「カラスゴ(牛王宝印)」を氏子に配布していた。牛王宝印は平成24年(2012年)夏頃より社務所にて参拝客に配布されるようになっている。図柄は熊野速玉大社のものと同様。」
那智が丘団地の隣にみどり台団地があります。この団地の東端の山の斜面に平成16年に日月神事を学ぶ「松の会」様が大日月大神様を御奉体し、建立した大日月大神之宮があります。直ぐ近くですので、これまた5,6年ぶりですが参拝しました。
その建立式典には天命塾の仲間と参列させていただきましたので是までも何度か参拝していました。
社は団地の東の行き止まりの道の先にあります。かつては造成団地で開き地が方々にあり、空き地のその先にあったのですが今は直ぐ近くまで人家が建っています。東に飛び出した岬の崎の様で、木々がありますがその眺望は素晴らしいものです。
こんもり円錐形に盛り上がった小山の上にお社があります。社は高さ1m弱で四面から拝めるように屋根、扉とも4面にあり、上から見ると○に+に屋根が見えます。かつお木は前後左右に一、二、三(ひふみ)と三本づつ載っている珍しいものです。
よく手入れが成されていてありがたいことです。松の会の活動も継続しているようで何よりです。