2021年7月4日日曜日

2382「地獄の様子」2021.7.4

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年06月30日の記事を紹介します。


「地獄の様子」


今日は久しぶりに、不思議系のお話です。

眉に唾を付けて読むか、ご興味のない方は、スルーされてください。

皆さんは、この日本において、10世紀後半に、

地獄の様子を絵や文章で示した源信さんという僧侶をご存知でしょうか?

親鸞聖人はインド、中国、日本の七人の高僧のお名前を挙げて、

その広大なご恩に感謝していますが、その中の一人が、日本の源信僧侶です。

七高僧とは、

①龍樹菩薩(インド)

②天親菩薩(インド)

③曇鸞大使(中国)

④道綽禅師(中国)

⑤善導大師(中国)

⑥源信僧都(日本)

⑦法然上人(日本)

です。 


往生要集(おうじょうようしゅう)という書物は、比叡山、横川(よかわ)の恵心院に隠遁していた源信が、寛和元年(985年)に、浄土教の観点より、多くの仏教の経典や論書などから、極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書で、1部3巻からなります。

その中、

大文第一 厭離穢土にて、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天人の六道を説いています。

 

往生要集では、地獄と極楽の情景のあと、極楽往生を遂げるための心得と作法が書かれています。 

地獄は八つの階層に分かれています。罪が重いほど下の方に落とされるとされます。 

一番上は「等活(とうかつ)地獄」。殺生を犯した人が落ちます。

ここでは体が切り刻まれる苦しみを味わいます。

そのうえ体がバラバラにされても、鬼が呪文を唱えると元の体に生き返ります。

こうして苦しみが際限なく続くのです。 

最も重い罪を犯した人が送られるのが、一番下にある「阿鼻(あび)地獄」。

そこまで落ちるのに二千年。地獄では焼けた鉄を飲まされたり、舌にくいを打たれたりの責め苦を受けます。

これらが、 

・何故書かれたのか、

・そして世界的に高い評価を受けているのか?

・大聖である、親鸞聖人が師とまで仰いでいるのはなぜなのか? 

源信は、人々を恐怖のどん底に突き落とすためにこれを書いたのではありません。

全ての仏典から地獄に関する記載を集め、整理してまとめたものです。

源信が活躍された平安時代後期は、末法思想(まっぽうしそう)が広がり、

しばらく前にあった世紀末思想のように、天変地異など、

何か良からぬことが起きるのではないかと不安が蔓延した時代です。

これらの人々が、極楽往生できるようにと書いた本です。

 

この世に執着し、ついつい悪いことをしてしまったり、人を貶めたり、

本当の美しい生き方(仏の世界、極楽)を目指さなくなってしまう私たちのために書いてくださったようです。

また、この往生要集は、亡くなる直前の愛する母親のために、まとめ上げた物ともいわれています。 この地獄の描写の後には、極楽浄土に関する記述が続きます。 

それから千年後、今度は現代において、丹波哲郎さんが描いた地獄についてご紹介します。

<引用開始> 引用元 丹波さんの講演会の記録をもとに記載されています。

 

地獄とは?さて、この自由で、楽しくて、光り輝く所ばかりが霊界じゃありませんね。

地獄と言うところも残念ながら実存しているんです。

地獄と言うのはね、上から見ると底なしの黒い沼の様に黒い霧の中にある。 

下に行けば行くほど凶悪な霊人達のおぞましい世界が展開されています。

一口に地獄と言っても、これはもう千差万別で一つとして同じものはない。

只、共通しているのはその醜悪さと凶暴さ。

そして常に憎悪、軽蔑、妬み等の執念と、果てしない争いに満ち満ちて秩序の欠片もない。

じゃあ、どんな者が地獄に行くかと言うと、人間界にいたときに「自分さえよけりゃあ他人は何うでもよい」と言った思想を持ち続け且つ又その様な行為をしてきた人達、したがって、彼等の心がそのまんま出て来てしまっている。

それぞれ醜い怪物じみた様相を呈していますよ。

更に彼等の身体から発する悪臭というものは、もう正に地獄の大特徴。


素晴らしい良い香りというのは天国の大特徴だけれども、鼻持ちもならない悪臭というのは地獄の大特徴。

しかしこの地獄への招待というのは最初は極めて友好的に行われるんですね。

だから、閻魔さんみたいなのがいて、あんた地獄だ、ハイあんた天国だと言っているんじゃないんだ。 

自分で行く。

如何なる地獄向きの者でもこれは強制的にいかされるのじゃなくって、各自が各自の自由意志で目的地を選びます。  

モグラが地面の下が良いようにね、

ぼうふらはドブの中が良いじゃないですか、

ゴキブリって言うのは湿った冷蔵庫の下なんかが居心地が良いんでしょう……。

そういう様に、愛の欠片も持っていない者は光の当たらないところが良いんだ。 

天国というのは目も眩む程の光りの洪水だけれども、地獄と言うのは真っ暗。少なくとも薄ボンヤリとしている。

全ては、即ち地獄行き達の自由であり選択なんだ。 

彼等の選択なんだ。自分達で行くんだ。 

だから彼等は最初は友だちの所へ来た様な気分でいるんですよ。 

しかし、これは一時的な事で、その後彼等は仲間の地獄霊達に徹底的にいじめ抜かれる。

徹底的に扱かれる。その為に日を追って種々の策略を身に付け、極悪さや凶暴さを加えていきます。 

この様な闘争や拷問が地獄の姿。それが地獄の実質なんです。地獄等は絶対に行ってはならない。 

<引用終了>

亡くなった後、つまり肉体を脱いだ後は、まさに心の世界、 

・心が作り出した世界

・類は友を呼ぶ世界

そのような世界に引き寄せられ、自ら進んで行くようです。

美しき思いやりの心の人は、美しく、優しい人たちの世界に行き 

恨み、つらみ、憎しみ、嫉妬の心の人は同じような心を持つ仲間たちの所へと、死後自ら進んでいくことでしょう。

空海も仰っていた 

即身成仏、つまり生きながら、心が作り出す、心の状態が反映された世界に住む。

 

とは、このことです。

私たちの心が、天国も作り出し、逆に地獄のような世界も作り出すということです。

あなたの心の中は、今幸せですか?

感謝の心で満たされていますか? 

それとも、恨みや妬み(ねたみ)、憎しみでいっぱいいっぱいですか?