今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2020年11月12日「神の手のひらの地球劇場」と2021年07月12日「長編映画の主人公」の2つの記事を紹介します。
「長編映画の主人公」
宇宙の「理」の一つである、人生はシナリオどおりは、深刻な問題を抱えていらしたり、
思い悩んだり、苦しんでいらっしゃる方にとっては、本当に優しい神さまの計らいだと思います。
小林正観さんの分かりやすい説明を転載します。
「人生」=「自分が主人公の映画」と思えれば、どんな事件も楽しめる というお話です。
<転載開始> 転載元
テレビがなかった時代につくられた映画より、現代の映画は、よりスペクタクルに、よりスリリングに、よりドラマチックになっている気がします。
ところが、私たちの身近には、「もっと楽しく、ドラマチックで、スリリングで、ダイナミックな映画」が存在しています。
その映画は、ストーリーが波瀾万丈で、次から次に事件や出来事が起きて、ラストシーンの予測がつきません。
登場人物は、一人ひとりがじつに個性的で、おもしろく、楽しい人たちばかりです。
さらに、その映画は、フルカラーの「立体映画」です。
湯気の立ったおいしそうなコーヒーを飲むこともできるし、みずみずしいフルーツを手に取って食べることもできる。美しい山を登ることも、美しい海を泳ぐこともできます。
映画の主演も、監督も、シナリオ(脚本)も、すべて「自分」です。
映画のタイトルは『わが人生』。鑑賞料金は、「無料」です。
この映画は、長編映画で、「自分」の寿命が尽きるまで展開します。
もし、寿命が90歳だとするならば、30歳の人はあと60年、40歳の人はあと50年、50歳の人はあと40年続きます。眠るとき、「今日の分」の上映が終わります。
目を閉じると「続く」と出て、翌朝、目を覚ますと「続き」がはじまります。
(注:眠っている間は、覚えていませんが、人生舞台から離れ、神さまのもとを訪れたりしているようです)
この刺激的で楽しい映画を、さらに楽しくする方法があります。
その方法は、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言わないこと」です。
「偶然」の出来事も、じつは偶然ではないらしい。
自分が生まれる前に、「自分でシナリオを書いてきている」ようです。
目の前の出来事に納得できなくても、「自分の書いたシナリオ」である以上、誰かを恨んだり、呪ったり、感情的になるのは筋違いだとわかります。
「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の5つを、私は「5つの戒め」として「五戒(ごかい)」と呼んでいますが、「五戒」を口にしないで3ヵ月から6ヵ月すると(個人差があるようです)、宇宙から「これをしてください」という提示(人からの頼みごと)が届くようです。
この宇宙の提示を素直に受け入れるようにすると、映画『わが人生』は、これまで以上にダイナミックに、楽しく、急展開をはじめるらしいのです。
今までの自分の映画には登場していなかった、不思議で、魅力的で、ミステリアスな人たちが次々とあらわれるようです(急展開もじつはシナリオ通りなのですが……)。
この急展開を拒否しないで受け入れていくと、肉体的にはきつく、忙しくなるのですが、
悩んだり苦しんだり迷ったりすることがほとんどないため、毎日がワクワクの連続です。
そして、「今日はどんな人が現れるだろう」「今日はどんな事件が起きるだろう」と楽しんでいるうちに、いつの間にか、社会の中で、ある種の「役割」をこなしはじめている自分に気づくようになります。
優秀なシナリオライターであれば、後半の人生は、もっと劇的でもっとおもしろいストーリーを用意しているはずです。
物事を「好きだ」「嫌いだ」で判断しないで「宇宙の提示」に乗るようにすると、楽しくて素晴らしい「40年映画」「50年映画」「60年映画」が展開しはじめるようです。
<転載終了>
正観さんが仰るには、
未来は、 すべて自分のプログラムの中にあって、もともと決まっている。どうも私たちは、自分の頭のなかに 一生涯分のデータが入っていて、自分の日々の暮らし振りがインプットされている。日々の暮らしは、それを単に読み取っているのが”今” らしいのです。
と言われます。
そしてこんなことも仰います。
「達成目標や夢や希望も どうも 無くていいようです。
“持ってはいけない”と言ってるのではなくて、それに執着してしまうと、とても辛いものになるということです。
夢や希望というものは“どうしても叶えたい”というよりも、“叶わなくても それはそれでよし”と思う方が、楽に生きられますよ ということなんです。
人がどんな時に、達成目標を持つかというと、
・今の自分じゃいけない
・このままじゃダメだ
・さらにもっと
と感じているときではないでしょうか。
ですが、それは 今の自分を否定していることになりませんか?
人間は何のために生まれてきたのでしょう。
それは 幸せを感じるためなんです。
幸せを感じるために高い達成目標が必要なんでしょうか?」
確かにそうですね。
今の自分を否定すると言うことは、自分の書いたシナリオを否定すると言うこと。
相談に乗ってくださった神さまを否定すると言うこと。。
つまり宇宙の流れに逆行する生き方です。
夢や目標に執着してしまうと、とても辛い人生になってしまいます。
人生の流れに任せ・・つまり自分の書いたシナリオを信用し何が来ても、全てをおおらかな心で受け入れて、不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句など口にせず、感謝の心でいたら、
どんなに素晴らしい人生が開けて行くでしょうか?
自分で書いてきたシナリオのストーリーは何の滞りもなくスムーズに流れ、
宇宙と神さまの援護射撃の基に素晴らしい人生を送ることができるでしょう。
私たちは、様々な経験をするために自ら希望して地球に生まれてきました。
自らが希望する人生を送れるように、両親を決め、将来で会う方々と配役を打ち合わせ、
神さまの承諾のもと生まれてきました。
勝手に親が生んだわけでは決してありません。悩みや、苦しみ、心の中のトゲは誰にでもあることです。ブッダにさえ、強力な敵役がいていつも悩ませてきました。
悩みや苦しみを通じ、私たちは考え、いろんな行動を起こします。
時には、悲しみ、苦しみの涙を流し、人知れず布団の中でのたうち回るかもしれません。
ですが、そのような心を削るような経験があるからこそ、私たちは、魂を輝かすことができるようになっています。何の悩みの無い、平々凡々の生活からは魂の向上は望めません。
私たちに、悩みや苦しみをもたらす者、状態
それらは、確実に、私たち本人に対し、まっすぐに向かってきています。
どこかの他人のとばっちりを、たまたま受けているわけではありません。
歓喜の魂を持つ人たちです。
悩み苦しみをもたらす存在としての役を負って生まれてくださいました。
本来の神々しい性格に戻れることでしょう。
悪そのものである魂は神さまから転生を許されていないからです。
心にまとった鎧を脱ごう。どんどんどんそげ落とし、最後に残ったものが、本当の私達の心
もう身を守ろうとする必要もない
自分を高く見せつける必要もない
自分の弱みを見せても構わない
自分に足らない所は人に頼れば良い
寂しさを紛らわすために、無理して友達ごっこをする必要もない
会いたくない人とは会わなければ良い。
誰かの行為に文句を言う必要はない、そっと離れればよい
気分が悪いからと、嫌みを言う必要もない。
昔の恨み事など、もうすっかり忘れよう
楽しかったことだけを思えておこう、
笑顔だけを覚えておこう。要らない虚飾を全て落としてしまった私達の心は、ピュアで希望に満ち、
生まれたての赤ちゃんのように光り輝いているに違いない。
何故なら私たちは、そういった場所から地球にやって来たのだから。
ただ忘れているだけ。魂はしっかりと覚えている。
この不自由な「忍耐の星」と言われる地球に適合しようと、知らず知らずに身に付けた鎧たち。もう脱いでも良い頃かもしれない。
2万6千年も続いた このカリユガの時代は終わろうとしているのだから。
時代の大きなうねりが、心の鎧を脱ぐのを強力に後押ししてくれている。
ブラフマー、ビシュヌ、シヴァ、それぞれが象徴する、創造、維持、破壊
ブラフマーが活躍するにはシヴァの破壊が必要である、でもそれは夜明けが近い証拠。
私たちの心は巨大で宇宙さえも、その中に内包している。
だからこの世界でどのような破壊が起ころうと、それを乗り越えることはたやすいこと。
地球で宇宙劇を一所懸命演じている最中は解らないけれど、この劇の脚本を書き、演出し、出演しているのは私たち自身。
希望こそが、闇を照らす一筋の光、どんな闇夜であっても、希望だけはなくさないでいよう。
全ては 大丈夫。ラストOKなストーリを、自分で書いて生まれて来たのだから。
出口王仁三郎が予言をした通り、2010年からの30年、人間の精神性に関する立替え・立直しの時が始まっています。神々による「人間の精神性の復活」のための破壊(建て替え)は既に終わりました。今は、人々の「心の復活」 による立て直しの時期です。
神々の計画通り、私たち人間の心が持つ偉大な力に、気付く人たちが増えてきました。
私たちの幸せは、
・他の人によってもたらされるものではなく、
・不思議な力によって外からもたらされるものではなく、
・何かの物によってもたらされるものではなく、
私たち自身の心の在り方を変えること、自分の心によってのみ、得ることができるのだと、気付く人たちが増えてきました。
それには何か特別な力を必要としません。誰かに依存し、頼る必要もありません。
お金も必要ありません。ただ私たちの内側に居らっしゃる、神さまの声に耳をすませるだけです。心の中の真心を信じるだけです。
皆様が内なる神さまに気づき、お幸せになられますように。