2022年6月30日木曜日

2743「神さまと繋がる方法」2022.6.30

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月23日「一人じゃないよ 私のいのち」と2022年06月24日「神さまと繋がる方法」の2つの記事を紹介します。


一人じゃないよ 私のいのち


今日は「命の大切さ」についてのお話です。

私たちの周りには、一つとして、 

・いらない命

・無駄な命

・軽蔑してもよい命

・尊厳を踏みにじってもよい命 

などありません。 

私たちは、周りの全ての命と繋がり、生かされ、そして育まれて来ました。

沖縄の音楽の先生、下地なを美さんが、いじめによる苦しみから自殺する子供達を愁い、

子どもたちに歌を通して命の大切さを伝えようと、 

オリジナルソング「つながるいのち」¬を作詞作曲されました。

ご紹介します。 転載元


尊い子供達の命の灯が、一¬つでも消えませぬように・・

つながる いのち  下地なを美


なぜ生まれたの だれもが思うの

ひとり寂しい時 そっと涙ぐむ

あの星の光が 私に言うの

大丈夫 守ってる ひとりじゃないよ

ひとりじゃないよ 私のいのち 

今は寂しくても 泣かないで歩こう

つながってきた 私のいのち

大切に守って 明日へとつなごう


ポツンと座わってる 蛍のような

私のこの灯り だれも消さないで

生まれたその訳を 星は知ってる

この世で光りなさい  

授けられたの

授けられたの 私の光

今はちっぽけだけど 輝いているんだ

つながってきた 私のいのち

大切に守って 明日へとつなごう

私のこの腕が 私の足が

共に今生きている 支えてくれる

この胸の鼓動が 私に言うの

大丈夫 守ってる ひとりじゃないよ

ひとりじゃないよ つながるいのち  

億千万の星 巡って生まれた

つながってきた 私のいのち

大切に守って 明日へとつなごう

ひとりじゃないよ 私のいのち 

つながっているんだ 私の明日へ

 

<転載終了>


いじめが原因で自ら命を断つ子供たちがいます。

いじめは、本人だけでなく、様々な影響を周囲に及ぼします。 

そしてその影響力は、長期間にわたります。

大切に大切に育ててきた我が子が、苦しんでいる姿を見る親も、 

心に深い深い傷を負います。

いじめは、子供たちだけの問題ではなく、大人の間でも発生しています。

いじめや、心ない言葉、悪意、嫉妬、疑心暗鬼、誹謗中傷 

そのようなもので、傷つく人が沢山います。

そして何より、いじめた本人もいつか、同じ苦しみを味わう時が来るでしょう。 

与えたものが、受け取るもの 私たちの住む宇宙には、その法則があるからです。

つながる いのち・・・

目の前の命を、しっかりと見つめること

・家族、友人、同僚

・好きな人

・嫌いな人 

・目の前に立ちはだかる人

・邪魔をする人

・足を引っ張る人

・悪口、陰口を言う人

・意地悪をする人

・疑う人

・私たちを、無条件に信じ、愛してくれる動物たち 

・季節ごとに、美しい顔を見せてくれる植物 

・春夏秋冬、優しさ、厳しさを見せてくれる自然 

・私たちを慈しみ育んでくれる 地球

   

私たちは、沢山のかけがえのない命に囲まれています。 

どれ一つが欠けても、今の私たちには なれませんでした。 

みんな尊い、尊い存在です。

大切な命です。 

皆さんと、皆さんのご家族が、そして、お友達が、お幸せでありますように。

輝く笑顔でありますように。



神さまと繋がる方法


私たちの内にはどなたにも神様がいらっしゃいます。 

そしてどなたにもご先祖がおり、ある特定のご先祖が常に私たちと神さまの間でコミュニケーションをとってくださっています。 

ですので、 

・神様と密に繋がること

・ご先祖と密に繋がること 

は私たちの人生に、雲泥の差をもたらします。

  

私達がたとえこの地球で 

・物質的に恵まれ、この世の春を謳歌しようと

・欲望のまま、わがまま一杯にふるまうことができたとしても

・ご先祖の皆さんが不幸であれば、

・神様をないがしろにしているのであれば

何の幸せでしょうか? 

自分だけがこの地球にいる一時だけが、欲望を満たされて幸せであっても 

本当の心の内は幸せでしょうか? 

肉体を去った後、本来の場所に戻った時、後悔はないでしょうか? 

自分の欲望を満たすために、他人に悲しみの涙を流させてはいないでしょうか? 

幸せを奪ってはいないでしょうか?

命を奪ってはいないでしょうか? 

尊厳を踏みにじってはいないでしょうか? 

もし、そのような他人を踏み台にして得た自分の欲望を満たすだけの幸せであるならば 

自分の心の中にいらっしゃる神さまは血の涙を流されていることでしょう。

さて今日は、海幸彦の魂を持って生まれた

小学生のトキ君たちが、「神様と縁が深くする方法」と言うことで話していますが

この内容が、以前このブログでご紹介した方法と全く同じでしたので、要点をかいつまんでお話します。

神様とご縁を繋げるにはご祭神が祭られている神社に参拝しに行くのが一番早いですが、

なかなか遠くて行けない場合には心の中で思うだけで良いと思います。

いろいろと調べ、知っていた方が良いと思います。

知ること=好きになることに繋がります。 

そしてここからが大切なことですが、その神さまと心の中で対話することです。

  

最初は話しかけても、もちろん返事はありません。 

ですが、一人芝居よろしく、自分で会話をスタートさせ、

神さまのからの返事を自分で創作して、会話を続けます。 

内容はどんなことでも構いません。 

時間ができた時、眠りに就く前などどんどん進めてください。 

一人芝居ですから、途中、矛盾が生じたって構いません。 

会話がどうしても続かなくなったらいったん終了。 

また別の機会に別の話題で開始してください。 

これを続けていくと、ある時、ふっと気づきます。

今の会話・・・ 

私の脳の中に全然無かった発想だった・・・ 

こうなった時が、実際に神様との会話がスタートした瞬間です。 

途中

またまた、自分の脳で勝手に考えてしゃべっていることに気づくこともあるでしょう。 

ですが、気にせずに続けてください。

だんだんと神さまと会話するときの雰囲気(モード)が身についてきます。

神様からのインスピレーションが来た時、それと気づくことができます。 

往々にして神さからの会話、インスピレーションは

情報(意識)の一瞬の塊としてくることが多いようです。 

受けた時、受けた私たち自身は、その意味を把握することができるのですが、

直ぐに言語化することが難しいことも往々にしてあります。

 

そんな時は、じっくりとその時の感情を味わいキーとなるワードをいくつか書き出してください。

この感情を記憶することで、感情を思い出すことで、記憶を呼び覚ますことができます。

何故なら物質的な存在である私たちにとって感情こそが記憶の保存場所だからです。 

この一人芝居を通じ、神様とのつながりが強固になると様々な良きことが起こるようになります。

トキ君たちの映像の中でも紹介されていますが、 

・人に揚げ足を取られずらくなる

・邪悪な意識から守られるようになる

・自分の人生の目的に沿った直感が降りやすくなる

・ものごとのタイミングがピッタリ合ってくる 

など様々なサポートが受けられるようになります。

ご先祖も、私たちを守りやすくなります。 

神様との縁が深くなる、つまり対話が深くなると自分の魂が浄化されてきますから、 

自分だけでなく、家族や黄泉の国のご先祖にも良い影響を及ぼすようになります。 

進む道が神さまの光で照らされて、皆が魂の目的である「神様に近づく」ことができるようになります。 

神様との対話、一人芝居は、最初はばかばかしいかもしれませんが、

確実にご自身の中の神様との距離を縮めてくれますから是非試してみてください。

 


2022年6月29日水曜日

2742「七夕のお願い」2022.6.29

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月21日「負けるが勝ち」と

2022年06月22日「七夕のお願い」の2つの記事を紹介します。


負けるが勝ち


さて今日は、萩本欽一さんのお話をご紹介します。

「負けるが勝ち」というテーマです。 

欽ちゃんは、いつも易しい言葉で、大切なことを、分かりやすく伝えてくれます。 

私たちが幸せになるための方法です。

<引用開始> 引用元

 

「負けるが勝ち」よくこう言いますよね。僕もそう信じています。

でも、なんで負けるほうが勝ちなんだと思いますか?

僕なりの理由はこう。

負けたほうが運がたまるから

誰も必ず人と意見が衝突することがあるけれど、そういうとき「自分のほうが正しい」とか「議論に勝ちたい」って、つい思っちゃいますよね。

でも、そう思ったら負け。

勝とうとすると自分の運が減っていくんです。

カッとなって「てめえ、ばか野郎!」なんて相手に言うと、

それだけで運が10ポイントも減点されちゃう。


「てめえ」でマイナス2ポイント、「ばか野郎」で8ポイントの減点。

売り言葉に買い言葉で1時間も相手を罵っていると、

それだけで2000~3000ポイントも運が減ります。

このマイナス分は、なかなか取り戻せないですよ。

だから言い合いになったときは、自分が正しくないかということより、

運を減らさないことを大事に考えたほうがいいの。

相手が「てめえ、ばか野郎!」と言ってきたら、

「あ~あ、あの人、自分の運を減らしちゃったよ、

その分をこっちがもらっちゃおうかな」と心の中で考えるの。

具体的な方法はどうすればいいかというと、謝っちゃうんです。

「そうか、悪かったね」とか、「ごめん、君の言う通りだよ」って言えばいい。

えっ、そんなの悔しい?

そう、悔しいよね。

自分が謝る場面じゃないのに「悪かったね」なんて言うと、損したような気がする。

でも、そのときあなたには、相手が失った10ポイントの運がたまっています。

気持ちで損をするのと、運が10ポイントたまるのと、

どっちをとるかっていったら、運がたまるほうがいいでしょ?

こうやって少しずつ運のポイントをためていれば、宝くじだって当たるかもしれないしね。

もう一つ大事なのは、自分が一歩引くことによって、相手に嫌われるのを避けられるっていうこと。

人に嫌われないっていうことは、すごく運になるの。

それでまた10ポイントついてくる。

人生って結局、運をどれだけためられるかっていう勝負なんです。

だから、そのほかの勝負で勝とうなんて思わなくていいの。

だからバ~ンと言われても、ぐっとこらえて言い返さない。

負けるが勝ち。

いや、我慢していい言葉を返していくとポイントが

次々に加算されるから「負けるが勝ち、勝ち、勝ち」だね。

勝ち、勝ち、勝ちって、火打石がカチッ、カチッ、カチッと鳴って

火がポッポッポッとつくようで景気もいいでしょ。

今の日本では、運をなくしている人が多いですよね。

これもみんなが怒りっぽくなってることと関係あるんじゃないかな。

これからは相手に一歩譲る人になって、小さな運を少しずつためていきましょう。 

<引用終了>

 

さすが欽ちゃん、良いお話ですね。 

・イライラしたり

・モヤモヤしたり

・怒ったり

そうすることで確実に、自分の運気を減らしているのだそうです。

もちろん、私たちは、人の中で暮らしていますから、時には、

イライラしたりするかもしれません。

それは、当たり前のことです。 

ですが、そこにいつまでもしがみつかず、直ぐに、別の楽しいことに 頭を切り替えて、

その原因となったものにエネルギーを与えない事。

ずっと、考え続けなければ、その出来事、人に、エネルギーを与えることはありません。

その結果、いつの間にか、記憶のかなたに消え去っていくことでしょう。 

心を汚すことを避けることができるでしょう。 

また

・楽しいこと

・美しいこと

・優しいこと 

そんなもので心を満つことができるでしょう。 

心の状態こそが、全ての現実を作り出します。

負けるが勝ち、、、幸せな人生のための 王道かもしれませんね。

 


七夕のお願い」


毎年この季節に掲載している記事をご紹介します。 

もうすぐ七夕。

今日は子供たちの美しい心のお話です。

美しいものを見たり、聞いたり、触れたりした時に、私達の心のどこかで共鳴が起こります。

そして同じように、醜いものを見たり、聞いたり、考えたりと心に入れてしまうと、その逆もあります。

人間の心は 何処までも、高みに登る事も出来れば、何処までも、闇に沈むこともできます。

出来れば、私達の心の波長を真 善 美に合わせておきたいものですね。

   

それが、一番自然であり、苦しまなくて済みます。 

幸せになる一番の近道だからです。。

でも、落ち込んでも大丈夫です。 

それも結局は、予定調和に至る道ですから・・ 

私たちの内に居らっしゃる神様は、決して見捨てたりしません。 

何時も傍らにおられます。

さて、始めます、知的障害の兄を持つ小学1年生の男子児童のお話。

入学式の日、その児童の席のとなりに、

小児麻痺で左腕が不自由な同級生の男子児童が座りました。

最初の体育のときでした。 

手が不自由な小児麻痺の児童は、着替えるのに30分もかかってしまいました。

時間がかかっても、先生は、何も言わずこの子を放っておくことにしました。

でも、二度目の体育の時間には、この子も他の子といっしょにきちんと並んで待っていました。 

「どうしてだろう?」不思議に思った先生は、次の体育の前の休み時間に、そっと教室の外から見ていました。

すると、隣の児童が、一生懸命に手の不自由な子が着替えるのを手伝ってあげていたのです。

そして、その子が着替え終わると、二人で校庭に元気よく駆け出していったのです。

先生は、やはり何も言わずに見守ることにしました。 

七夕の日のことです。 

ちょうど授業参観日でした。

 

先生は子どもたちに願い事を書かせて、それを教室の笹に下げておきました。

お母さんたちが集まったところで、先生は、一枚一枚、短冊を読んできました。

一年生ですから、 

「あのおもちゃかってちょうだい」

「おこずかいちょうだい」

「まんが本がほしい」 

というようなことが書いてありました。 

その中に一枚だけ、こう書かれていました。

「かみさま、ぼくのとなりの子のうでをなおしてあげてください」

あの世話をしていた、児童が書いたものでした。 

先生は、この一途な祈りを読むともう我慢できなくなって、あの体育の時間のことを、

お母さんたちに話しました。

小児麻痺の子のお母さんは、

「子どもがどんなに教室で、不自由しているのだろう」

「迷惑をかけているのだろう」

「申し訳ないことをしてしまった」 

と悩みながらと教室に入れずに廊下からじっと様子を見ていました。 

が、先生の話を聞いたとき、突然、廊下から飛び込んできました。

教室に入るなり、ぺったりを床に座り、この児童の首にしがみついて絶叫しました。

「坊や、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう。ありがとう、ありがとう、ありがとう。・・・・」 

その声がいつまでも教室に響き渡ったそうです。

人を思いやる気持ちって、本当に美しいですね。

 


 

2022年6月28日火曜日

2741「青空ひろば」2022.6.28

今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最新の記事を紹介します。


704 2022.06.25 

たとえば、台風をイメージして下さい。 

反時計まわりに気流が渦巻いて、中心の「台風の目」と呼ばれるところがアリますね。 

今、アルといいましたが、よく見ると台風の中心はカラッポで何もナイですね。何もナイのだけれど、その中心のまわりを気流全体がまわっているというのも本当です。 

この「台風の目」にあたるところが「本当の自分(真我)」です。 

でも、その真我は本当はなくて(これが無我)、ナイけれども、全世界の必要が、この渦をつくり出し、台風の目であるあなたという存在を創り出しているわけで、全世界の要請によって、大宇宙全体にバックアップされ、後ろ盾されて、ここにこうして生きている「我」なのですから、宇宙いっぱいの「我」でもあるわけですね。 


703 2022.06.24

ありがたいと 気づいたとき 

ありがたい人生が 開けてきます 

うれしいと 気づいたとき 

うれしい人生が 開けてきます 


700 2022.06.21 ~702 2022.06.23 

秀才と天才の違いを考えてみましょう。 

秀才とは、その人が秀でた能力を持っていて、その持ち前の自分の力量で仕事が出来るという人のことです。 

それに対して天才とは、自分を無くす(無心・無我)ことによって天とつながり、天から必要な能力なり、パワーなりが降りてきて、それらの力を自らの肉体を通して現し出してゆける人のことです。 

秀才は自分の能力で仕事をする人ですから、いつの日か限界に達してそれ以上の仕事が出来なくなりますが、天才は自分の力で仕事をするわけではなく、自分はいつもカラッポで、カラッポだからこそ、必要な時に必要な能力やモノ、人などがいくらでも流れ込んでくるのだから、ガンジス川の河原の砂粒の数を数えつくして尽きるとも、その才能は尽きることがないのです。それで禅の方では『無一物中無尽蔵(むいちもつちゅう むじんぞう)』などという言葉があるわけです。

秀才の道というのは、持って生まれた自分の筋肉、頭脳、性格などの能力で仕事をするわけですから、万人に可能なことではありません。

しかし、天才の道は、自分がやってやろうというわけではなく、その自分というものに愛想が尽きて、自分をやめてしまった時に、天から流れ込んできて、その人の個性にあわせた形で発揮される才能ですから、誰でも使うことができる才能です。

それぞれの人にふさわしい独自の才能が天に用意されていて、自分に頼る生き方さえ止めれば、すぐ天才が降りてくるのです。


696 2022.06.16~699 2022.06.19 

迷いの中に悟りを持ち込もうとする人が、一番始末におえない人です。

いったんチラッと悟りの世界をのぞいたんですね。そして、今、迷いの世界にいるのです。ただそれだけのことなんですが、悟りの境地になれば、もう迷いはないと錯覚していたんですね。 

もともと、「いのち」は流れなんで、括り付けに出来るものはひとつもないのです。 

「悟り」だってそうですね。悟りは何の仕切りもないから「悟り(差取り)」なんで、悟りはカラッポで、どこにも取っ手はありませんから、括り付けには出来ません。 

悟った人でも、もちろん迷います。悟り、迷い、それらを一歩、一歩として、イノチは前進成長してゆくのですから。 

ところが、いったん悟りの世界をのぞいて、今、迷っている人は、『こんなはずじゃない』と思うのです。『ああ、あれが本来の私の姿なんだから、あんな状態に戻らなくちゃ』と足掻くのです。このように、迷いの中に悟りを持ち込もうとするからつらいのです。

『悟りを開いた人が、迷う時はどうですか?』という禅の質問があります。

その答えは、『鏡が砕け散って再び照らさない。花が散ったら、もう枝に戻ることはない』です。

悟りの時は、何だか世界を一目で見る鏡になったような気がしますが、迷いの時は、何事もちっとも見通せません。

鏡が砕け散って照らさなくなりましたが、迷いの時に悟りを持ち込もうとする態度は、またもとの鏡に戻そうと、みみっちく破片をくっつけようとするような態度です。

本当の悟り(大悟)の人は、鏡に未練を残さず、ものの見事に砕け散ってやろうというという心意気、気合いで迷いの時に立ち向かいます。

悟りの時は次々成果が上がって、我が人生に花が咲く時節です。でも、そんな時もやがて去り、花はしなびて落ちてゆきます。そんな時、またあの枝に戻りたいと醜い悪あがきをせずに、思い切って散るに任せる心意気です。それが出来る方が「大悟」の人です。


694 2022.06.14 ~695 2022.06.15

本当に悟った時は、『オレは悟っている』という意識を残しません。 

ちょっとでも悟ったという覚えが残っている間は、まだ本当の悟りではありません。 

こんな例で考えることもできるでしょう。 

目の前に餅があります。この餅は悟りのたとえです。 

目の前に餅がチラチラしている間は、その餅はまだ我がモノとはいえません。 

目の前の餅が見えなくなりました。部屋中すみずみまで捜しても餅は見つかりません。 

『はて、どこに行ってしまったのか』 

ふと気づいたことには、『あっ、そうか。僕が食べちゃったんだっけ』 

目の前に餅がチラチラしなくなって、はじめて餅は我がモノとなったのです。 

そうなったら、もう世界中捜してもどこにも餅はないのですが、餅は私の手や足や、頭の働きやらに姿を変えてはたらき出すことになるのです。 


693 2022.06.13 

私たちは『ウロウロ・オロオロ』、迷いに迷いを重ねてギクシャクとした人生を生きています。 

でも、そういう人生がダメだというわけではありません。それは今のあなたに必要だ、あなたが一層成長するためにはどうしても必要だからと、大宇宙が配慮して、あなたにそのような人生が提供されているのです。ですから、自分を否定したり、卑下したりしてはいけません。堂々と、今出会っている、大宇宙から与えられた課題に取り組んでゆきましょう。 

失敗しても、成功しても、それはどっちでもいいのです。大宇宙があなたに望んでいるのは、逃げ出さず、顔をそむけず、真摯に対応し、立ち向かってゆこうとする姿勢だけです。 

ものの見事にズデンとひっくり返っても、そのソコはあったかい仏様の手の平の上なのです。 


692 2022.06.12 

人間は自由でなければなりません。涙を流したり、笑ったり、腹を立てたり、病気になったり、失敗したり…、そんな自由がなければなりません。 

そうなってはじめて、自分の人生のあらゆる局面を受け入れ、認め、許し、自分が自分であることを、過去から未来まで含めて全面的に肯定できるようになるのです。 

自分を認め、許し、受容できるようになってはじめて他の人を、認め、許し、抱擁できるようになる。そうなってはじめて仏様です。 



悟っている人(悟りにしがみついている人)には迷う自由がありません。

あるところに、悟りを開いた聖者だと自他共に認めている人がいて、その人が病気になったのです。

ところが、悟った人は病気にならないということになっているそうで、それで困ってしまって、こっそり医者に来てもらって治療しているということを聞きました。なんとも窮屈なことですね。病気する自由もないなんてね。


690 2022.06.09

仏様とはどんな方でしょうか? 

仏様は、一度は悟ったのですが、世界中の人が迷いの世界で右往左往しているのに、自分一人超然と悟りの世界で安らいでいるという、そんな独善の態度の誤りに気づいて、そんな悟りを放棄して、悟りの山を下って、ドロンコの迷いの世界の真っ只中に飛び込んでゆく。そんな<あやまち>を再び犯そうと決心出来た人こそが仏様なのです。 



2022年6月27日月曜日

2740「たった一つの宝物」2022.6.27

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月19日の記事を紹介します。


「たった一つの宝物」


今日は 

・病気のお子様を持つ親御さん

・早くに子供を亡くされた親御さん

に、書きたいと思います。 

以前書いた記事ですが、最近読者の皆さんの数が増え、

中には早くにお子さんを亡くされた方々も多いため、加筆して再掲いたします。 

子供が、どんな状態であろうと、生きて、そこに居てくれるだけで、どんなに幸せで、有難いことか? 

私たち、親の人生を、どんなに豊かにしてくれることか。

そして、例え、親より先に逝ってしまったとしても、

彼らの生きた証は、私たちの心に永遠に刻まれ、私たちの魂を、

どんなに豊かに輝かせてくれることか。 

いつかは、そのことに気付く時が来るはずです。

今日は、明治安田生命「たったひとつのたからもの」で有名になったダウン症と合併症で夭逝した加藤秋雪くんのお話をご紹介します。 

<転載開始> 転載元

 

笑ったり、ベソかいたり、そんな姿が 私たちの元気の源でした。

秋雪が生まれたのは、1992年の10月。

生まれた季節が秋だったのと、夫が大好きな「雪」から名前をとりました。

「ダウン症の疑いがあるので、一度検査を受けたほうがいい」

そう言われたのは、生後一週間目のこと。

病院で検査した結果、ダウン症であることが判明。

さらにダウン症の合併症として、重い心臓障害をかかえていることもわかりました。

医師からは「生後半年のあいだに絶対に風邪をひかせてはいけない、ひいたらそれで終わりです。生きられたとしても一歳の誕生日を迎えるのは難しいでしょう」 

そう宣告されました。

頭の中が真っ白になるほどの衝撃でした。

たったの一年。まだ生まれて一カ月だというのに、なぜ、命の長さを宣告されなければならないの。

なぜ、そんな運命を背負って生まれてきたの……。 

あまりのショックで、何も感じることができませんでした。

秋雪を守ろう、

そう決意しても、残酷な現実に、何度も心が壊れそうになりました。

そんな私を、ぎりぎりのところで支えてくれたのは、秋雪の存在そのものでした。

暖かなぬくもりのある体。 

笑ったり、ベソかいたり、楽しそうに手足を動かしたり。

そんな秋雪の姿が、私の元気の源になりました。 

ともに過ごす一分一秒を愛おしみつつ撮り続けた6年2ヵ月。 

死を覚悟してからは、「生きていられるだけで、ごほうび」という気持ちに。

そんなふうに切り替えてからは、秋雪といられる一日、一分、一秒を愛おしく感じつつ、

一瞬も逃さずに大切にしたいと思いました。

思い出を少しでも多く残したくて、どんな所へもカメラを持っていき、6年2カ月の間、本当にたくさんの写真を撮りました。

朝、目覚めたとき、秋雪のおだやかな寝息に、上下する胸の動きにほっとする。

今日も秋雪に会えた…… 

・ごはんを食べる、

・トイレに行く、

・おこる、

・泣く、

・笑う、

・眠る

その、砂の数、星の数ほどの幸せのかけらを、秋雪がいつも握っていました。

この写真を撮ったのは、98年の8月。秋雪にとって生涯最後の海です。

帰る間際の駐車場で、今まであまり見せたことのない、おだやかな表情を浮かべていた秋雪を、お父さんが抱きしめた瞬間でした。

秋雪を亡くして1年後、偶然知ったコンテストに応募するとき「たったひとつのたからもの」と題名をつけました。

秋雪は私たちに、抱えきれないくらいのたくさんの幸せを残してくれました。

それは、私たちのこれからの人生を支えてくれるほどの、大きな大きな幸せでした。

「ぼくは生きているよ」と、全身で表現していた秋雪。 

いつも全力疾走していた秋雪の命が、私たちに精一杯生きることを教えてくれました。

<転載終了>

 

私たちは、命の長さよりも、生きている瞬間、触れ合っている瞬間

どんな気持ちで、その瞬間瞬間を過ごしているのか?感じているのか?

そんなことが、大切なのかもしれません。 

ここで、一つの物語をご紹介します。

あるご家族の娘さん(7歳)が亡くなりました。

子どもを亡くしてから一年経ってもこのご夫婦は「娘にもう一度会いたい」と嘆いていました。ある日のこと、水色の天使がその夫婦の前に突然に現れて言いました。

「今、あなたの持っているすべての財産と引き換えに、亡くなったお嬢さんと 一緒に過ごせる日を一日だけプレゼントできますが、 どうしますか?」 

その夫婦は迷うことなく OKしました。 

そして水色の天使が続けて言いました。

「しかし、ルールがあります。あなた方は、プレゼントされた1日が終わるまで、 

今ここで約束したことや、お嬢さんと死別したことなどの記憶は消されてしまいます。

それはまるで、過去に戻った一日を自然に過ごす感覚ですよ、それでもいいですか?」 

その夫婦はお互いに顔を見合わせてゆっくりとした口調で「分かりました。」 と返事をしました。 

その瞬間パッと光が・・・  あっ!まぶしい・・・ 

次の瞬間には、いつも通りの朝になっていました。

ですが、夫婦は、天使と約束したこと、娘が死んでしまう事など、一切の記憶を無くしていました。

そうです、娘が生きていた頃の何気ない一日の始まりでした。 

朝から「早く起きなさーい!!」妻の大きな声。

パジャマ姿で機嫌悪そうに起きてきた髪の毛のボサボサな娘。

眠たい目をこすりながら新聞を読む夫。

貴重な貴重な一日が始まりました。 

私たちが生きている今日は、それは、いつか未来に水色の天使に全財産と引き換えに頂いた「今日」なのかもしれませんね。

皆さんはご家族と一緒に暮らしていますか?

ご家族が居らっしゃらない方は、お父さん、お母さん、同僚やご友人。

そんな皆さんと、仲良くされていますか?

それとも、顔を見るだけでため息の出るような、家族もいらっしゃいますか?

言うことを聞かない子供、旦那さまなど・・

その方が、明日は、いなくなってしまうかもしれません。

もし、胸がきゅんとなったのなら、何気ない日々の暮らしの中で、どうぞ笑顔で、優しく接してください。

今日のこの日は、永遠に続く日々ではありません。

家族も いつかは離ればなれになってしまいます。

手のかかる、言うことを聞かない、心配の種の子供も・・

自分勝手な夫も、嫌味ばかりを言う親も、明日は いないかもしれません。

いつか、別れの時が来ます。

ともに、この地球の同じ時代に生まれ、そして縁によって結ばれた家族たち 

それは、私たちの魂を磨き合う仲間でもあります。

外見の態度や言葉で 切り捨ててしまうのではなく、その心の奥にある、魂を見つめたいですね。大切に大切に したいですね。私たちは、生まれる前に、お互いの魂同士で約束してきたのですから。 

「家族になろうね」って




 

2022年6月26日日曜日

2739「神々の恩寵」2022.6.26

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月17日「神々の恩寵」と2022年06月20日「否定の言葉」の2つの記事を紹介します。


「神々の恩寵」


お金や物質など、目に見える物のみを信じ、

それを手に入れるために人の心や命までも奪おうとする勢力と、

物の後ろに隠れている、目に見えない神様の心を大切にしようとする勢力が 、

今最後の大きな戦いの最中です。 

時代は確実に変わろうとしています。


新しい「心の時代」に入るためには、

私たち自身の心も、同じような波動にしておく必要があります。

神々を信じ、人の心を、自分と同じように大切に扱うこと。 

では、今日も新しい時代を明るい心で迎えられるように心のお話を掲載します。 

「ありがとう」 そう私たちが言う時、感謝の念と共に、この言葉を口にします。 

また小林正観さんが仰るように、全く感情(感謝の念)を込めなくとも、

ただ言葉を発するだけでも良いと言われています。

感情を込める、込めないに関わらず、いつの間にか、自然と、無意識に、

涙のこぼれる時が、訪れるそうです。 

春日大社の元宮司、葉室頼昭さんの仰るように 

神々の恩寵は、いたるところに、平等に注がれているのに、 

それを受け取れる人、受け取れない人がいる。

その違いは、「感謝の心」を持つかどうか? 

感謝の心を持つことで、その心を媒介として

神々の祝福が、現実化されると仰っています。

日本には、縄文の古くの時代から、日本人特有の生きざまがありました。 

フランシスコ・ザビエルなどの時代。 

世界の中で、日本が発見(再認識)された時、 

進んだ西洋文明の人々が、驚異と畏敬の念で、日本人の中に発見した生きざまです。

それは、

・自然を敬い、

・和をを尊び、

・足ることを知り、

・平和を愛し、

・助けあい、

・お互いさま、お陰さまの気持ちで生きる、

まさに 日本の 

古神道と言われる生き方です。

  

まさに日本人の生き方そのものが神道であると言われています。 

ですから、私たちの心を縛るものは一切ありません。 

支配し、コントロールしようとする者もありません。

私たちの心は、本来の無垢の姿を失わず、伸びやかに、躍動的で、

神々の創造の世界を生きることができます。

私たち日本人は、古くから自然や天候、山、川、動物、植物の中に神々を見出し、 

・生かされていることに、

・そして命の恵みを頂くことに

感謝の思いで日々を生きてきました。 

・これが無い、あれが無い

・人に認められたい、愛されたい

・あれも欲しい、これも欲しい

・人より上に立ちたい

・尊敬されたい、一目おかれたい

そんな意識はこれっぽっちも持ちませんでした。 

ですが、時が下るにつれ、ものが溢れ、物質文明が発達し

持てる者、持たざるものが生まれ、嫉妬の心が生まれました。 

欲しいものが手に入らなければ、幼児のように、駄々をこね拗ねて(すねて)、

不平不満、愚痴を外に吐き出します。

嫉妬します。 

 

口から吐き出された不平・不満・愚痴、そして、嫉妬と疑心暗鬼の心は、

 漆黒の渦のエネルギーとなり、ご自分だけでなく、

身近な人まで巻き込んで不幸の種となることでしょう。 

これらのエネルギーは時空を超えて滞留し、悪しき出来事の温床となります。

逆に感謝の心、ありがとうの言葉を口にして、助け合い、認め合い、

足るを知る心を持ち、笑顔で日々暮らしていくならば、

神々のエネルギーで満たされ、物は無くとも、健康ではなくとも、

そこには笑顔が絶えず、幸せなエネルギーで満たされることでしょう。 

ありがとうの言霊、この言霊は、その深い意味を知らずとも、

それを発する者の周りをこのような神々のエネルギーで満たす力があります。 

不平、不満、愚痴を言う前に、もし嫉妬の心に駆られてしまったら、

黒いエネルギーを吐き出す代わりに、

まず、感謝の言霊、「ありがとう」を口に出してみてください。 

最初は、苦痛かもしれません。 

「あ」という言葉も言えないかもしれません。 

ですが、小林正観さんが仰るように 、

念仏のような、呪文のような言い方でも最初は構いません。試してみてください。

きっと、あきらめさえしなければ、いつかは黒い霧は晴れ、

気付けば、爽やかな日が差し込み、神々の恩寵が現われてくることでしょう。 

ご自分も、ご家族も、笑顔で、お幸せになれるでしょう。

  


「否定の言葉」


今日は、斎藤一人さんのお話です。 

斎藤一人さんは、もう何度も納税日本一になった人で、現実のビジネスシーンでも成功しているひとです。

一人さんは、小さなころから、この神さまに教えられてきたそうです。 

そんなビジネスの第一線に在りながらブッダや神さまのお話を分かりやすい言葉で、

丁寧に教えてくださっています。

今日のお話も「否定することで、あなたは何か、良いことがあるんですか?」 

というお話ですが、 

簡単なようで、できていない人が沢山いらっしゃるように思います。

ですが、一人さんが仰るように、態度をちょっと変えてみるだけで

幸せな人生に変えることができます。 

それでは、ご紹介します。 

<引用開始> 引用元

 

誰かと話しているとね、必ず否定論を入れたがる人がいるの。

“妄想してもいいことが起きません” 

“妄想すると、人から変な人だとか言われますよね?”とか。

あのね、どうして物事を否定的に言うの?って。

物事は、どこからでも否定することができるんだよね。

だけど、否定することで、あなたは、何か良いことが あるんですか?って話なの。

否定的な角度から話をされると、その場にいるみんなが面白くなくなるんだよね。

で、俺にやるくらいだから、よそでもやってるよねって。 

だから、人生うまくいかないんだよ。

人生うまくいかない人って、楽しいシャボン玉みたいなのが飛んでくると、

パッと針を刺して壊しちゃうんだよ。

しかも、そうやって場のムードを壊してるってことに気づいてない。

みんな幸せになろうって、ピラミッドを一段ずつ積み上げているの。

楽しいことを積み重ねているんだよね。

それなのに、脇からそれを壊したらダメだよね。

あなたはまともなことを言っているように思うかもしれないけど、 

ムードを壊しちゃってるんだよ。

そういう人に、魅力がありますかってことなの。

俺たちのグループは妄想を楽しむ会であって、妄想を否定する会ではないの(笑)。

だから、質問するんだったら“こういうときはどういう妄想をしたらいいですか?”とか、妄想する気があることを前提とした内容にしたほうがいいよね。

うまくいかないときは、うまくいくまでやればいいんだよ。

逆上がりでもなんでも同じ。そういうことがわかる人が、魅力のある人なんだよ。

<引用終了>

 

人と話す時、必ず、否定語から入る人がいます。

・だって・・・

・いや・・・

・でも・・・

人が、前向きに、希望をもって・・・

目をキラキラさせて夢や、希望、未来を話して、喜びを共有し・・ 

共に幸せになろうとしているのに・・・

このような否定から入られると 、もう、そこで話は終わってしまいますし、

せっかく、共に喜びあおうとしていた人の心まで暗く、重苦しいものにしてしまいます。

そんな経験をした人は、もうその人の前では夢も希望も語らないことでしょう。

喜びを分かち合おうとは、しないでしょう。 

ますます、その人の周りには眉間にしわを寄せた、重苦しい雰囲気の人しか集まらなくなることでしょう。

ですが、もし、否定ではなく受容、つまり、肯定して認め、一緒に希望や夢を、笑顔で語り合ってくれたなら、 話した人も、百倍も元気になって、本当に夢も叶ってしまうかもしれません 

神さまは、笑顔や希望、明るさ助け合い、受容、許し、そのような雰囲気が大好きですから、神さまからも強力なバックアップがあることでしょう。

  

そして、共に喜びあった二人にはお互いの心の中に、大切な大切な何かが生まれることでしょう。 

その何かは私たちが死んだ後も、天国に持って帰ることができる。 

そして、地球に生まれたがっている全ての生命体が欲しいと願っている物・・

愛を手に入れることができるでしょう。 

一人さんが仰っているように、ちょっと、方向性を変えるだけ、否定から同意、肯定、受容や許し、共感、笑顔に変えてみるだけで、一気に幸せになることができます。


2022年6月25日土曜日

2738「苦しい時こそ予祝」2022.6.25

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月16日の記事を紹介します。


「苦しい時こそ予祝」


今私たちが置かれている状況は、私たちの心の状態が生み出したものです。

ですので普段から、まわりやTVなどから接する情報も、できるだけ

・清らかなもの

・優しく温かなもの

・思いやりのあるもの

・人に勇気を出させるもの

などにして、好奇心をくすぐる、面白おかしくデフォルメされた・・・ 

・ゴシップ

・人をだましたりa

・嫉妬したり

・恨んだり

・貶めたり

・陰口を言ったり聞いたり

そのような物を見たり聞いたりして、心に入れないようにしたいものです。 

無意識に心に入れたものが、現実化してしまう可能性が高いからです。

もし今の現実を変えたいならば、人や周りを変えようとするのではなく、 

自分の心をきれいに洗濯をしてみることをお勧めします。 

そのためには、感謝の気持ちが大切です。

思ったこと、心の中のことが現実化するとは、

私たちが神さまと同じように作られたからです。 

神々と同じ、創造する力を私たちは与えられているからです。

さて、ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』で有名な故渡辺和子さんは、 

36歳の若さでノートルダム清心女子大学の学長となりましたが、

若さゆえに沢山の苦労をなさいました。

<引用開始> 引用元 

 

思いがけず学長という立場につけていただきまして、やはり苦労がございました。

私はいわゆる「くれない族」というものになりました。

・お辞儀をしてくれない。

・あいさつをしてくれない。

・こんなに苦労しているのに労ってくれない。

そういう「くれない族」。

私は「もっと人様に仕える仕事をさせていただくために入ったのに」

と私を修道院に推薦してくださったアメリカ人の神父様のところにまいりまして、

縷々(るる)不平不満を述べました。

すると神父様は、「あなたが変わらなければ、どこへ行っても何をしても同じだよ」

とおっしゃいました。目からうろこが落ちました。

他人が変わることばかり求め、幸せを他人まかせにしていた自分に気づかされました。

私が変わらなければと思い、私の方からあいさつをする人間に変わる決心をいたしました。

そうすると、周りの方が変わってくださったんですね。明るくなりました。

それまでは、環境さえ変われば、みんなさえ私を理解してくれれば、と思っていました。

神父様の一言で、大切なのは人に頼ることじゃないんだ、と気づきました。

「環境が悪い」「人が悪い」ではなくて、悪い環境ならよくしよう。

よくするためにはまず私が一番先に変わらなければいけない。

発想の転換と申しましょうか、そういう気持ちになりました。

私は傷つきやすいところがございますけれども、そのおかげで、

人様にこういうことをしたら、この言葉を申し上げたら傷つくんじゃないかということがわかる人間になったと思います。

弱さ、傷つきやすさを逆手にとって、相手の気持ちがわかる人間になる。

だから傷つくことのありがたさを忘れてはいけないのです。

時間の使い方は命の使い方。

この世の中に無駄なものは一つもございません。

嫌なことや傷つけられたことさえも私たちは、いいことに変えられるのです。

<引用終了>


渡辺さんは学長として、働き盛りだった五十歳の時、うつ病となり、死を考えた経験があるのだそうです。

そして、周りの方々、取り巻く神々に助けられ、克服しました。

渡辺さんの醸し出す、静謐の中の深い優しさは、そんなところから来ているのかもしれません。

ご自分で苦しみを味わったからこそ、同じように苦しむ人々の心の内が分かり、そして、寄りそい、温かな言葉をかけられるのでしょう。

そう考えたら、ご本人の仰るように病気さえも無駄ではなかったことになります。

返って神々の恩寵となったのです。

神様のやり方は、何時も同じです。

神様は私たちの「願ったもの」ではなく、幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。

それは必ずしも私たちが欲しくないものかもしれません。

でも、全てが必要なものなのだと、感謝して謙虚に受け入れることができれば、人の魂はどんなに光り輝くことでしょう。周りの人たちの心を照らし出すことができるでしょう。

 

お腹が空いた時のひもじさが分かるから、素朴な美味しさを感じることができます。

私たち生きている人間は物事の表面しか見ることができません。

その、ほんの一面だけを見て

・良い、悪い

・幸、不幸。

を判断することはできません。

有頂天になったり、落ち込むことには意味がありません。

どんな人も必ず、時が経って振り返れば、究極的には肉体が亡くなって天に返る時には、今の状況に至るためにはその出来事が必要なことであった、そう気付くことでしょう。

神さまは、幸運を与える前に、必ず、まず、不幸に見える出来事をくださいます。

そして、その出来事に不平や不満、愚痴を言わず、やり過ごすことができた時、幸運がやってきます。それは、必ずセットになっています。

更に、神さまのなさり方が理解できたのなら、きっと前半部分の不幸に見える出来事がやって来た時、感謝の気持ちで受け取ることができるでしょう。

 

また、もっと確実にする方法があります。

それは日本人が古来からやってきた方法、予祝(よしゅく)です。

祝福をあらかじめ予定するのです。いわば前祝い。

先に喜び、先に祝うことで、次に来るであろう、喜びの現実を引き寄せる。

これは、日本人が古来からやっていた夢の叶え方だそうです。

お酒を飲みながら、お米がたわわに実ることを想像し、仲間とワイワイ先に喜んでしまう、前祝い。

それが夢の引き寄せであり、お花見の由来だったのだそうです。

どのような現実が、起ころうと、私たちの運命は、全て結果オーライになるように組まれています。

そうであれば、常に感謝の気持ち、笑顔で生きて行きたいものですね。



 

2022年6月24日金曜日

2737「美しい魂」2022.6.24

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月15日「美しい魂」と2022年06月18日「お陰さま」の2つの記事を紹介します。


「美しい魂」


諸行無常という言葉があります。

時は刻々と変化し、この地上にあるものは、

一時も同じ状態にあるものはなく、変化を続けています。

変化の力こそが、この宇宙の進化の推進力となるからです。

唯一変化しないもの。それは神様の真理だけです。

人間である私たちも、同じ場所に立ち止まってばかりいるわけにはいきません。

取り巻く環境も変化をするし、家族、友人を含め、人とのつながりも変化していきます。

出会いがあり、別れが繰り返されます。

時には死によって強制的な別れがもたらされることもあります。

数年前まであんなに仲良く一緒にいた人たちが

今ではほとんど接触がなかったり疎遠になったり。


逆に、昨年まで見ず知らずの人たちが新しい友人として、存在したり。

毎週毎週、親しくお付き合いしているかもしれません。

永遠に続くと思われた家族との幸せ。

もしかしたら、それも突然の死によって、終わりを告げるかもしれません。

私たち人間は、深い悲しみやショックを受けると時が止まり、

その状態から抜け出せなくなります。

ひどいときには自分の魂が分割してしまい、

その一部を、その時間と空間に置いてきてしまうことさえあります。

生霊と同じ原理です。

魂を分裂させた場合、

本来のエネルギー100%の状態から、グンと生命エネルギーが減少します。

そのままの状態では、私たちの魂の属するグループ全体は、

進化の道を行くことができませんから、必ずいつかどこかでどこかの時間で、

私たち自身が分断された魂を集めなおし統合するしかありません。

深い悲しい出来事は、私たちの魂にショックを与え、生まれて来た目的を

一旦ストップさせ、長く続く悲しみの中で、

まるで明けることのない暗闇の中に放り込まれたような感情を味わうかもしれません。

そのショックが起きた時と、空間に魂の一部を置いてきてしまうかもしれません。

ですが、その「深い悲しい出来事」も、

本当は、私たちが生まれてくる前に計画してきたことです。

「深い悲しい出来事」を与えてくださった方々も、

私たちの今世の計画に協力するために、

その計画を手伝い、「深い悲しい出来事」を起こしてくださいました。

全ては、私たちに「悲しみ」という強い感情を味合わせ、

それを契機として、魂の進む方向性を変えるためです。

そのために、嫌な役回りを引き受けてくださいました。

もし私たちが、その「深い悲しい出来事」のために魂の進化の停滞を起こし、

何時までもいつまでも明けることのない深い暗闇の中の住人でいたとしたら、

その嫌な役を敢えて引き受けてくださった方々はどう思うでしょうか?

それは、

・早くに亡くなる子供かもしれません。

・とことん意地悪をしてくる同僚かもしれません。

本当は、そのような人たちも光り輝く魂の持ち主でした。

今世に置いて、約束した役割を果たすために、その輝く魂を一旦封印しているだけです。

もし、そのお相手の方が、まだ生きていらっしゃるなら、

その約束してきた役割が全うされた暁には、本来の光り輝く、美しい魂の輝きを、

思う存分に、生きてるうちに現してくださることでしょう。

もし今、嫌な方が周りに居られるのなら、

感謝の気持ちで、今世の役目が早くに全うされるのを祈ることが良いかもしれません。

役割さえ果たされれば、本来の美しい魂に、そして二人の間にあった

本来の美しい友情関係に戻れるからです。



「お陰さま」


今日も、ご縁のある皆さんに、生きている今の物質の世界、また見えない非物質の世界(黄泉の国)を、幸せに生きる秘訣、心をテーマに書きたいと思います。 

私が神社に行って、いつも唱える言葉の1つに、 

生きとし生けるもの、みんなが、お陰さまの気持ちで、生きられますように・・

というのがあります。

これには沢山の願いが込められているのですが、生きとし生けるものが 

・お陰さまの、謙虚な気持ちで生きて行けますように

・助け合って生きて行けますように

・他人の個性、尊厳を認め、尊重して行けますように

・心が尊大になりませぬように

・他人を見下すことがありませんように

・おごり高ぶることがありませんように 

など様々な意味を込めて、お祈りしています。 

私たち、みんなが、この「お陰さまの気持ち」を持って謙虚に生きられたら、

他人を思いやる優しい気持ちで生きられたら、この世の中からギスギスした雰囲気が消え、春の日差しのように、心地よい、温かな光に包まれることでしょう。

   

そこに住む、みんなの顔が、笑顔で溢れ、笑い合って暮らしていけることでしょう。

そんな、願いを込めて、お祈りしています。

さて、このお陰さまに関して、とっても良い詩があります。 

上所重助さんと言う方が書いた「おかげさま」という詩です。 

以前も掲載したことがあったのですが、ご紹介します。 

<引用開始> 引用元

 

夏が来ると「冬がいい」と言う 冬が来ると「夏がいい」と言う

太ると「痩せたい」と言い 痩せると「太りたい」と言う

忙しいと「暇になりたい」と言い 暇になると「忙しい方がいい」と言う

自分に都合のいい人は「善い人だ」と言い 自分に都合が悪くなると「悪い人だ」と言う 

借りた傘も 雨が上がれば邪魔になる 金を持てば 古びた女房が邪魔になる

所帯を持てば 親さえも邪魔になる 

衣食住は昔に比べりゃ天国だが 上を見て不平不満の明け暮れ 隣を見て愚痴ばかり 

どうして自分を見つめないのか 静かに考えてみるがよい

一体自分とは何なのか

親のおかげ 先生のおかげ 世間様のおかげの固まりが自分ではないか

つまらぬ自我妄執を捨てて 得手勝手を慎んだら 世の中はきっと明るくなるだろう 

「俺が」、「俺が」を捨てて 「おかげさまで」、「おかげさまで」と暮らしたい

 

<引用終了>

  

本当にその通りですね。私たち人間は結構、我がままです。 

その我がまま(我欲)が本来の魂の輝きを隠し、罪、穢れとして付着してしまい。 

運命を暗く、苦しいものにしてしまいます。

人生が順調の時は、どうしても、「お陰さま」の気持ちを忘れがちで、尊大な心になることもあります。 

そんな時は、もしかしたら他人に対する優しさを忘れてしまっているかもしれません。 

自分の思い通りにならなければイライラしてしまうかもしれません。 

感受性が鈍り、すぐそばに居る人の、瞳の奥に隠れた 

・寂しさ

・悔しさ

・不安

・恐怖

・ひもじさ 

などを見過ごしてしまうかもしれません。

もしかしたら、病気やケガ、急なリストラ、貧困、離別などは、 神さまが、私たちに 

大切な「お陰さま」の気持ちを思い出させるために起こしていることかもしれませんね。 

   

もし、私たちの心がお陰さまの感受性を持つならば、自然と感謝の気持ちに溢れ、 

「ありがとう」の言葉が、口から出てくることでしょう。 

そして、既に、その時は生きながら、天国を実現している状況です。 

まさに空海の仰った言葉の通りの状態です。 

空海は仰いました・・・ 

生きとし生けるもの、すべてに命があり、心がある。

そのことを忘れてはいけないよ。

すべては、一人一人の命の働きから始まるのだ。

難しく考えることはない。

素直に生きて、皆に感謝をしなさい。

そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。

さすれば、道は開くであろう。空海は、そう仰ったのでした。 

生きながら天国に住む、仏の心になる。 

これが、空海の説いた即身成仏の意味です。 

皆で協力し、助け合い、お互いさま、お陰さまの 謙虚な気持ち、 

温かな気持ちで仲良く暮らしていきたいものですね。

この「お蔭様」の感受性を持つことで、きっと幸せに暮らしていけると思います。

2022年6月23日木曜日

2736「生きる道」2022.6.23

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月14日の記事を紹介します。


「生きる道」


今日は「努力しない生き方」というお話です。 

この生き方は、現在の大きな時代の節目のただなかに生きる私たちにとって

生きる道の方向を指し示してくれています。

私たちは子供のころから「努力しなければならない」そう教わってきました。 

しかし、例えば、子供が不登校になったり、病気したりすると、 

途端に不安に陥り、右往左往してしまいます。

それはまるで

・競う

・争う

・比べる

の修羅の世界ですね。

それに対して、

・競わない、

・比べない、

・争わない 

生き方と言うのもあります。

今日は小林正観さんのお嬢様、慶子ちゃんのお話をご紹介します。

慶子ちゃんは知的障害で生まれてきました。

<引用開始> 引用元


ニッコリ笑っていてくれるだけで、まわりを温かくし、光を発している知的障害の長女。

ここに人間の価値がある。

結婚して三年目にやっとできた長女は知的障害児で、努力やがんばることができません。

二十七になりますが、知能でいうと七歳くらいです。

日常生活にはなんの問題もありませんが、自分の名前を漢字で書いたり、

足し算、引き算をしたりなどはできません。

しかし、この子は、自分より立場の弱い人、怪我をしている人を見れば、 駆け寄って『大丈夫?』と手を貸すような子どもで、教えられることがたくさんありました。

小学校四年生までは運動会の徒競走が五十メートル、五年生と六年生は百メートルでした。

長女は小学校五年生まで、徒競走はずっとビリでした。

染色体の異状により、脳細胞や体の筋肉が普通の人の三分の一くらいしか発達しないため、ものを持ったり、走ったり、歩いたりなど、なにかをする能力は三分の一くらいしかありません。

そのため、走るというより速歩きという感じです。

小学校六年生のとき、運動会に行く前、なぜか妻がとても楽しそうでした。

『今日はいつもより楽しそうだね』と言うと、

 妻は『初めて徒競走でビリじゃない姿が見られるかもしれない』という返事。

どういうことなのかと尋ねたところ、次のような話しでした。

同級生の女の子が、運動会の一週間前に捻挫をして、包帯ぐるぐる巻いている状態だったそうです。

誰もが徒競走に出ないだろうと思っていたところ、 

『どうしても走りたい』と言い、困った先生は、最終組で長女と走らせることに。

健常児六人+捻挫した子と長女の合計八人で走ることになりました。

捻挫して、包帯を巻いている子と走ることになり、 

『長女が生まれて初めてビリではない姿を見られるかもしれない』と言い、 

ニコニコ笑いながら朝、二人で手をつないで出かけて行きました。

夕方、ニコニコして帰ってきたので、『どうだった?』と尋ねると、 

満面の笑みで、『それがまたビリだったのよね』という答え。

すいぶん楽しそうな顔だったので、経緯を教えてもらいました。

健常児六人が五十メートルくらいのところを走っているとき、

長女は十五メートルくらいの場所を走っていた。

捻挫をした子は十メートルくらいの地点を走っていたそうです。

長女は、後ろを振り返り、気にしながら前を走っていたところ、

捻挫をした子が『キャッ』と言って転んでしまいました。

それを見た長女は『大丈夫?』と言って逆走し、その子を助け上げ、肩を支えながら、

一緒にトコトコと走ります。

ゴールする前に、捻挫をした子の肩をポンと押し、その子が先にゴールしたと、妻は言いました。

九十メートルくらいのところで、係のお子さんがゴールテープを取り直して張ったそうです。

父兄が二千五百人くらい来ていたそうですが、みんな立ち上がり、九十メートルあたりからは拍手をして応援してくて、感動的な光景だったと。

長女は捻挫した子を助けながら走ったにもかかわらず、最後のところで、自分は先に行かず、彼女を先にゴールさせたということです。

妻が『それでまたビリだったのよねぇ。そういう子どもだもんねぇ』と笑顔で言うのを、

私は苦笑いして聴いていました。

しかし、その苦笑いしていた顔が、だんだん真顔に。

私は、父親から 『努力しないやつはバカだ、クズだ』と何十万回と言われ続けて育ちました。

『どうもそうじゃないみたいだ』と思いながら生きてきたものの、長女の生き方が

父親から教わったこととはまったく違い、衝撃を受けました。

私にとって人生観を根底から覆すような出来事だった。

そのため、一週間考えました。

一週間考えて出た結論は『長女の生き方が正しい』というものでした。

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ただ、私の魂がどちらの生き方を喜んでいるかと考えたときに、長女の生き方が本質だと思い、喜んでいる自分がいることに気がつきました。

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私たちは、小・中・高・大学・大学院、会社、社会、家庭というすべてのところで、 

・努力しないやつはバカだ、クズだ

・競いあい、比べあい、人より抜きん出ることが立派な人間である

・負けてはいけない

・成功しなければならない

と教えこまれてきました。

 


しかし、『人間の価値は、それらとは違うところにある』

この新しい価値観を長女が教えてくれたのです。

長女は、いつもニコニコしていて、私が家に帰ると、眠い目をこすりながら

『お帰り』と言って玄関先で迎えてくれます。

いつもニコニコしていて、楽しそうに、幸せそうに暮らしています。

『努力しないやつはバカだ、クズだ』という価値観とはまったく違い、

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ただそこにいるだけで、まわりの人に幸せを感じさせてくれる存在です。

----------------------

この子が笑顔でニコニコしているだけで、まわりをとても温かくし、和やかな空気にします。

小学校を卒業するとき、校長先生が次のようなコメントを書いてくれました。

『慶子さんの、笑顔とありがとうという言葉は、学校の中で最高のものでした。 

これほど笑顔とありがとうの言葉が似合う子どもはいなかった』と。

私は父親から 

・がんばらないヤツはバカだ、クズだ

 と何十万回と言われて育ってきました。 

長女が生まれてこなければ、ずっとその価値観で過ごしていたでしょう。

 

しかし、わが家に知的障害児の子どもが生まれてくれたおかげで、

人間の価値は、努力すること、がんばることではないと教えられました。

長女は、ニッコリ笑っていてくれているだけで、まわりをとて温かくし、光を発しています。

ここに人間の価値があると教えに来てくれたのです。

<引用終了>


2つの道のお話でした。

良い悪い、正しい、間違いと言うことは無いと思うのです。

人それぞれの人生ですから、ある方は、必死に努力し勝ち抜いて、人より地位や名誉、

お金を得る道が好きかもしれません。

ですが、いつも心が追い詰められ、

・もっともっと努力しなければ

・努力をやめたらおしまいだ

・一回失敗したら「負け犬だ」

などと思ってしまったら、きっと神さまから頂いた純粋な魂が濁ってしまいますね。

人と競わずとも、いつも精神的に追い詰められて「もっと上へ」と馬車馬のごとく

精神的にゆとりのない生き方でなくとも、

神さまは私たち全ての人に生きる道を準備してくださっています。

それは私たちが生まれる前に、神さまと一緒に決めてきた道です。

私たちは小鳥たちのように、運命の流れに身を任せ、全てに「ありがとう」と感謝して生きていれば、上手に生きられるようになっています。

・お金持ちだから、

・地位や名誉があるから、

・大きな外車に乗っているから、

・広い家に住んでいるから、

・偏差値の高い学校を出たから・・

幸せなのではないと思うのです。

私たちの本当の幸せは、ブッダが説いた般若心経の教えのように全ての自分に起こってくるコト。 

良いことも悪いことも、肯定して受け入れそして感謝することで、得られるのかもしれませんね。

自分に起こってくる全てのコトは、私たちが生まれる前に神さまと一緒に、私たちの魂の成長のために、一番、必要なものとして、人生の必要な時期に起こるように、自分で人生に組み込んで、この地球に生まれてきたのですから。



2022年6月22日水曜日

2735「日本DS最終ナチス「SS」計画2」2022.6.22


 ――日本には想像を絶する数の「ウソつき」がじつは存在しているということですよね。

 

そういうことになります。強かに計算し、偶然を装いながらも、狡猾に常に相手に突き入る隙を狙っていて、「運命」を偽装して「出会い」を捏造してきた人たち。出自も家系図も血筋もすべてロンダリングします。さらに、名前も経歴も肩書きもすべてウソです。

ということは話す内容も全部ウソです。彼らは公文書や基幹統計を偽造しますし、GDP粉飾も平気でやります。

彼らはかつてヤハウェと訣別したがゆえに、基本的に無神論者です。そして唯物主義的な共産主義者でグローバリストです。ですので彼らはニセのスピリチュアルを掲げ、何も知らない人々を騙して生きています。

 

――常軌を逸脱したレベルのウソつきだということですね。しかも巧妙に喜怒哀楽といった感情に訴えてくる、計らずも無自覚でそうしてしまうという。

 

そうそう。たとえば、たとえばですよ、「昨日、澤野さんが夢に出てきたんですよ!」って言われたとするじゃないですか。これ、ウソですからね。スピ系ではこのようなウソが横行していますでしょ。そういうところに身を置くべきではないですよね。

 

――運命的なシンクロを計算して演出して、相手の心を開かせて乗っ取っていくという。

それってバビロン由来の催眠のテクニックですよね?

 

そうそう。まさかそんなことまでもがウソだったなんて普通の人は想像だにしないわけです。だからこれまで彼らはやりたい放題だった。 

プーチン大統領は今、そういう勢力と対峙してる。

ガリチアが片付けば次は当然、その本体であるこの日本の「略して清和会」が舞台となるだろうというわけ。アゾフを生み出した本拠地は日本の中にあるのだから。

世界一の「ウソつき」がこの日本にいるのだから。

 

【参考記事】

731部隊や関東軍の文書公開 ロシアが歴史問題で日本けん制か

https://mainichi.jp/articles/20210911/k00/00m/030/011000c

 

――彼らのウソのつき方には特徴があるのですよね?

 

あります。「被害者」と「加害者」を入れ替えてしまうのです。そして彼らはウソを見破られないようにするために、時には身内の味方までをも攻撃しますよ。これをやるだけでもう誰もウソを見抜けなくなります。

 

――話は変わりますが、それと似た話で「日本は国連安保理の常任理事国入りをすべきだ」という報道をよく目にするようになりました。

 

日本はハッキリと世界に言えば良いのです。「ポ?ポツダム宣言? そんなの忘れました」

「サンフランシスコ講和条約、あれやっぱ無しで」「日本は戦後の世界秩序を作り変えたい」「日本は第二次大戦の結果にはやっぱ納得できません」って。

でもそれは言わないでしょ。諸外国にお金をばら撒いて金で支持を買おうとします。

 

――これはかなり酷いものですね。

 

基礎学力があった上で言っているのか、それとも、基礎学力もないまま言ってしまっているのかわからないのですよね。 

「国連」とは「United Nations」です。第二次大戦の戦勝国の「連合国」です。

もっと正確に申し上げれば、「国連」というのは「対日軍事同盟」ですね。 

ポツダム宣言が発せられた時点でイタリアもドイツもすでに降伏していましたから、国連が言う「敵国」というのは世界で唯一「日本」だけなのです。

国連というのは唯一「日本」を監視するための国際組織です。 

そんな「対日軍事同盟」の常任理事国に日本が入りたいって言っているわけですよ。 

被害者の会代表に犯人が就任したらおかしいですよね?

クレジット・サラ金被害者の会代表に武富士が就任しませんよね?

拉致被害者を救う会の会長がもし拉致した側だったら変ですよね?

 

――そういう本当におかしな言動が岸田政権から発せられているということについては

どう解釈すればよろしいでしょうか?

 

何度も申し上げていますが、岸田総理は自民党の「宏池会」です。宏池会は純然たる反清和会の派閥です。でもそんな岸田氏はまるで清和会と思われるような政策を次々と推進していますよね。

 

――そこが大きな疑問です。

 

岸田氏には心に強い決意があるのだと思います。反清和会の流れを確かなものにするためには、もはや日本国内の派閥闘争では困難であることがわかってる。

そして岸田氏は現在のロシアとウクライナの背後にある本質というものがじつは見えているのだと思います。つまり、「略して清和会」という日本DSの中枢をきちんとアラハバくためには、ウクライナで起きていることとフラクタルに展開させることが必要であるということが理解されているのだと思います。

 

――もしかしたら岸田さんは途轍もないことを人知れず行っている可能性がありますよね?

 

そうそう。日本DSをきちんとアラハバいていくためには、プーチン大統領がきちんと日本を「攻めることができる」という大義名分とその下地作りがどうしても必要となります。そのための「対露経済制裁」であり「ロシア外交官8人追放」であり、「西側NATOバイデン支持」ということになります。

 

――ということは岸田さんは、日本DS掃討作戦が日本国内で行われるのではなく、世界を舞台にフラクタルに拡大させ、展開させることによって成し遂げようとしているということですか?

 

まさにその通りです。だから岸田氏は、ほとんど何も理解していない多くの日本国民の、

ある意味「業」のようなものを背負って、猛烈なバッシングを浴びせられながらも、

「略して清和会」の彼がやりそうな政策をわざとやっているということ。

 

――それってまるでキリストみたいですね。

 

このことは大きな意味を持ちます。岸田総理にそのような知られざる背景があるかもしれないと考えたことすらないまま、一方的に罵っている人たちをきちんと炙り出すことができますよね。「略して清和会」の彼は宏池会岸田氏をぶっ潰したいと思っているのですから。

 

――夏の参議院選挙が近づいて来ましたよ。

 

そうそう。でも自民党の清和会は昨年の衆議院選挙で敗北しました。だから元清和会会長の細田氏が叩かれているわけです。  

今までだったらそんなことは絶対になかったはずです。

しかし現在、岸田政権の支持率は非常に高いですよね。ということは、このまま行けば岸田宏池会が勝つでしょう。いくら清和会の彼が裏で暗躍しようとも、もはや自民党清和会では参院選挙は勝つことは難しい。 

日本DSは旧満州関東軍731部隊の流れを持っています。それらが戦後数十年かけて世界各地に「国際根拠地」を作っていきました。それらが2014年以降、特に顕著にウクライナに凝縮されていった。

そしてプーチン大統領は、「ナチズム復活を許さないことが共通の義務」であるとして

ウクライナとこのような状況になっているわけです。

つまり、ウクライナの中に「ナチス」がいるのです。さらに戦後に台頭した新しいナチスである「ネオナチ」がたくさんいるということですね。 

「ナチス親衛隊」のことを「SS」と表記します。アゾフ大隊は「ネオナチ」であると、

日本の公安調査庁も「国際テロリズム要覧」に記載していました。 

そしてそのネオナチであるアゾフ大隊のエンブレムがなんと日本のある人物のフルネームの立体アナグラムになっていたということなのですよ。 

つまり、彼は「ネオナチ」だということになるわけです。でもこのネオナチはガリチアによって構成されているわけです。彼らは被害者と加害者を入れ替えることをもっとも得意とします。 

アゾフ大隊は彼の名前のエンブレムを腕に付けてプーチン大統領と戦っているわけですよね。つまり、アゾフのトップは彼なのですよ。 

でもそんな彼も次の参議院選挙で自民党清和会としてでは戦いにくい。しかし絶対にあきらめるようなことはしません。 彼らは常に先手を読んで行動します。ひとつがダメになっても即座に次の候補が用意されています。

彼はまさに「SS」の崇拝対象の頂点ですから、そんな組織をこの日本でも創設したいと思ったでしょう。 

「壺から缶へ、そして缶からクリームへ」というように、日本のスピリチュアル系の人たちを騙し、総動員させようとするやり方もイマイチ盛り上がりに欠けます。じゃあダメか?って思ったら次の候補がきちんと何年も前から手厚く育てられていたということですよね。

日本のアゾフでありネオナチ「SS」でもあり、彼に忠誠を誓ったかのような、まさに清和会の「代替品」として、まさに彼の私兵としての「SS党」の台頭が望まれました。

そんな「SS党」なんて現れましたっけ?

 

――はて? そんな「SS党」なんてありましたっけ?

 

きっとあるはずだと思いますよ。

 

――ちょっとすっとぼけてみましたが、SS党については青森講演会第14回でズバっと検証いたしましたね。眩いくらいにそれが目に見える形で表面化してきました。

もしかしたら日本もウクライナも世界も全部繋がっているのかもしれません。

 

そうそう。それが国境もなく変幻自在に姿を変え、水面下で動く「スペクター」なのです。

 

――「007」シリーズですね!

 

「007」シリーズも完全なる開示でしたが、今一番凄まじい開示となっている作品は、「映画」ではなくTVドキュメンタリー作品ではありますがアメリカで2016年7月から放映された

オリバー・ストーン監督によるプーチン大統領へのインタビュー

『オリバー・ストーン オン プーチン』(原題 The Putin Interviews)でしょう。

 

――はい。まさしく「開示」だと思います。

今、「サル痘」が話題になっていますが、それに関係する内容がすでに青森講演会第7回で話されていましたね。現時点の世界情勢に繋がるヒントが提示されてました。

 

そうですね。日本国内で数万匹の「サル」を実験台にして、ウイルス実験を行っている組織があるのでしょう。

 

――さて、あっという間に時間が来てしまいました。澤野さん今回もありがとうございました。

 

ありがとうございました!青森講演会第15回でお会いしましょう。

(澤野大樹)

 

画像出典:親衛隊(ナチス)

 

ちなみに津軽弁ではお母さまのことを「かが」、もう少しお年を召された方を「あば」と言います。発音も単語自体も日本語からかけ離れているのでナチュラルにセキュリティがかかっていると言えましょう。

 

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2022年6月21日火曜日

2734「日本DS最終ナチス「SS」計画1」2022.6.21

 今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2022年6月12日の記事を2回に分けて紹介します。


「日本DS最終ナチス「SS」計画」

 

こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。

今回も澤野大樹さんのインタビューをお送りいたします。

 

――澤野さん、こんにちは。前回のインタビューから2か月が経過いたしました。

この2か月、本当に波乱万丈という表現しか思いつきません。

何度かインタビューを試みましたが、到底ブログで話せるような内容ではなく歴史上初とも言えるものでした。これは決して大袈裟な表現ではありません。

まことにある者にとっては納得し得るもので全ての発端はここから始まり、全ての解答がここにあり、それが全てを物語っている、といったじつに長い歴史観を経ての検証がなされブログ更新も澤野さんと内容を精査しながらここまで経過してしまいました。

さて澤野さん、早速インタビューに入らせていただきますが、何からスタートしていいかわかりません。

 

こんにちは。この2か月は表現のしようがないといいますか、奇妙で不思議でありながらも筆舌に尽くし難いという体験をしました。総じて「面白かった」わけではありますが。

5月のゴールデンウィークの頃からでしたね。最高の大変さと最高の奇跡が「もつれ」ることによってまったく新奇な「ひとつ」が現出したような感じです。

 

――「0」と「1」がそれぞれ独立したまま「もつれ」て、それまで予期したことすらない未知なる「もうひとつ」が浮かび上がってくるということですよね。

 

そうそうそう!「0」と「1」はミックスされたり、溶融したりしてないんですよ。

それらはそれぞれ独立したままちゃんと存在してる。

でも両者は「もつれ」ることによってまったく想定外の「もうひとつ」を浮かび上がらせます。これが「まぐわう二匹の蛇」です。人体を構成するDNAも「二重螺旋」という「まぐわう二匹の蛇」です。

さらに、人の尾てい骨にある「第一チャクラ」(ムーラーダーラチャクラ)の奥深くにあるに潜んでいる「とぐろを巻いた蛇」のことです。

「クンダリーニ」という言葉は「とぐろを巻くもの」という意味ですね。

また「日本」(二本)とは二体の蛇体を意味しています。

「JAPAN」はアナグラムで「NAP-JA」(うたた寝をする蛇)であって、それはつまり「とぐろを巻いた蛇」のことです。神社の注連縄も二匹の蛇が激しくまぐわう姿です。

 

――私たちの人体はおろか周囲の環境まで、じつは「蛇」によって構成されていたのですよね。

 

そうです。私たちはまずこの基本的なことをしっかりと認識する必要があります。

この「蛇」を認めるか、それとも拒絶するかの如何によって、その人物にこれからどれだけの伸び代があるかがわかります。

 

――「蛇」は一般的には忌避されていますよね?

 

いわゆる「陰謀論」のベースはキリスト教(聖書)がベースになっています。聖書では当然のことながら「蛇」は悪者として描かれます。日本で騒がれている「陰謀論」のほとんどがそのようなキリスト教系陰謀論をベースにしていますでしょ。

 

――なぜ「蛇」を忌み嫌うのでしょうか?

 

全生命、全宇宙の秘密の根幹であり中枢がこの「蛇」だからです。私たちの肉体はもちろんのこと、私たちを取り巻く環境、世界も、その根底には「蛇」があります。

このことを否定するということは己の存在自体を否定することになってしまいますよね。

だって己が生まれる前の究極の姿としての「精子」はどう見たってあれ「蛇体」そのものでしょ。私たちの背骨、脊椎自体も「蛇体」そのものなのですよ。

これを拒絶してしまうということは、自己存在をも否定してしまうということ。

それこそ今流行りの「反出生主義」に繋がってしまいます。

 

――「蛇」はいわゆる「悪魔」ではないのですよね?

 

量子意識を少しでも会得することができたり、その片鱗をうかがうことができたのなら

そこにはもはや善悪二元論というものは存在せず、あるのは「善」であり「悪」でもあるという「もつれ」ですね。 

キリスト教(聖書)ベースの陰謀論というものは、究極的にはキリスト教への勧誘ですから、そこにあるのは恐怖と欠乏による精神的支配というピラミッド型の支配構造があります。 キリスト教の中枢にある人たちは、この「蛇」の重要性を誰よりも熟知しているはずです。だからゆえ、一般人類には近寄らせたくない。すべての謎を解く鍵はこの「蛇」にあるのですから。

「蛇」(へび)は民俗学者の吉野裕子先生が指摘されたように、昔は「かか」とか「かが」と読んだのです。

ならば「蛇」の「身体」というものは、「蛇身」と書いて「かがみ」と読んだのです。

「かがみ」とは「か」が3つということです。

「か」とは「あいうえおか」と「6番目」でありますから、

「かがみ」とは「かかか」となり、つまり「666」ということになります。 

「ヨハネの黙示録」によれば、この「666」は「人を指す」わけですから、

つまり「蛇身」(666)とは、私たち「人」そのものなのだということがわかってきます。

このごくシンプルな事実が、ローマ・カトリック(バチカン)にとって、きわめて都合が悪い事実なのだということ。バチカンがなぜ「蛇」や「666」を嫌うのか?という理由をよく考えてみることが大切です。

 

――でもあの「蛇」の姿を見て、どうしても好きになれないという人は多いですよね。

 

あ、今お話ししているのは、三次元的に存在している動物としての「蛇」の話ではありませんよ。「蛇」というものは旧約聖書の「青銅の蛇」のエピソードからもわかるように、宇宙根源の「ヤハウェ」の象徴として表出されたものです。そしてこの「青銅の蛇」が日本の神社の「鳥居」に形を変えて存在しているわけです。

 

――でもまったく逆の意味をまとって現代に伝わっていますよね。

 

本来の「青銅の蛇」を左右に割って、さらに前後に引き剥がすことによって現代の「鳥居」はあります。これは坂上田村麻呂や空海による呪詛であり封印です。大和朝廷が東北から奪い取って盗みかえった本体は、京都太秦のある神社に封印されてる。

 

――東北縄文日高見国や津軽蝦夷たちは、大和朝廷征夷大将軍坂上田村麻呂らによって

侵略され、虐殺され、呪詛され、今でも封印されたままです。

青森講演会第5回で「奪い取って盗みかえった本体」のお話をされてました。

 

その封印がこれから解放されていくのだと思います。この列島、そして私たちが今、

無意識に「日本」と呼んでいるこの大地には、多くの名も無き者たちの血が浸み込んでいるのです。

この名も無き者たちという存在は、やがて東北縄文日高見といういわゆる「日本」の「北」から、バビロン系南ユダ弥生大和朝廷勢力を「攻める」でしょう。

 

――それが「北から攻めてくる」ということの真意でしょうか?

 

その「預言」を著した人物は、東北縄文日高見から「攻められる」側の立場ですからね。

京都亀岡城跡がなぜ揺れているのか?西の人にはなかなか理解できないのかもしれません。北から攻められることに怯えているのはバビロン南ユダ弥生大和朝廷清和会側でしょう。だから彼らは「北から攻めてくる」という預言を利用して、憲法改正、緊急事態条項の創設、軍備拡張、米国との核兵器の共用などを叫んでいます。

 

――「北から攻めてくる」の「北」とは、ロシアのことではないということですね?

 

「北とはロシアのことであり東北縄文日高見のことでもある」という「もつれ」なのだということを理解したいところです。

プーチン大統領は「日本」をこれまで侵略し支配してきたバビロン系南ユダ弥生大和朝廷清和会から、無辜で謙虚で純粋な一般国民を解放する方向に動くでしょう。

でもその主体は「東北縄文日高見津軽蝦夷」でしょう。 

でもね、東北縄文日高見津軽蝦夷の御霊は、物理的な「攻撃」や「侵略」なんかいたしませんよ。

カバールDSらはどんなに頑張っても、血眼になって探しても、おそらくその本質を理解することはできないのでしょう。これがナチュラル・セキュリティ。 

三次元ホログラム世界に変化を起こすためには、

まずそのホログラムを投影・描写する元となる二次元プログラムデータを変更しなきゃならない。でもカバールDSはヤハウェと訣別してしまったため、その肝心の二次元データをいじれないわけですよ。

 

――でもほとんどの日本国民は、この列島でかつてそのようなことがあっただなんて知らないのではないでしょうか?

 

そこに触れられたくない日本のDSは、「江戸時代以前は存在しなかった」って言ってすべてを誤魔化そうとするようになりましたから、より一層理解されなくなったかもしれませんね。京都の「大市」は18代340年続く老舗ですよ。

巷間語られる「カバールDS掃討作戦」ですが、その中枢が古代よりこの列島に連綿と続いている事実と、彼らがこの列島で何をしてきたかについて、仔細にわたってつまびらかされていくこととセットなの。そのことを無視したままでは何ひとつ解決など存在しないのです。 

日本のDSがこれからアラハバかれていくということのその巨大な衝撃について、想像力を働かせないとその渦に飲み込まれてしまうでしょう。 

この世の中はフラクタルですからね。ウクライナと呼応しているのは「日本」ですよね。

アゾフ大隊は大日本帝国軍そのものであるし、その中心は彼らのエンブレムにその秘密が

堂々と表現されています。

 

――そのエンブレムに描かれた人物は、もうすでに死亡していると広く語られていますが?

 

現在行われている「アップデート」に伴うアラハバキは、秘密裏に対象人物を処理したり粛清したりはしないでしょう。きちんと炙り出して、全人類に対し、そのあらましをきちんと見せていくことが大切なことです。

いわゆる「膿」と思われる部分をきちんと浮かび上がらせて、人々に目撃させ、そして理解させ、そして納得させることがもっとも重要なことです。 

しかし一方で、「その人物はすでに亡くなっている」と盛んに言われていますよね。これは非常に巧妙な狡知であると私は認識しています。この狡知さこそがまさに「ガリチア」であると思います。

つまり、彼がもうすでに亡くなっていると吹聴することによって、「もう亡くなっているんだから」と、多くの人々は大して気にも留めなくなりますでしょう。

私はひとつの判断基準として、彼がすでに亡くなったのだと吹聴する者は「カバールDS」でありさらに「略して清和会」側であると捉えています。

彼の裏の力を矮小化させるための言説は、彼の側から出されているのでしょう。

 

――世界のカバールDSの頂点である「彼」は、生きているのですね?

 

ピンピンのビンビンで生きていることでしょう。

連日、世界を股にかけて、根回しと恫喝を行っていることでしょう。

 

――2020年の9月に当時の某五輪大臣がテレビで「急に亡くなられたので」と発言して物議を醸しましたよね?

 

「ガリチア」の発言はすべてウソです。

彼らは人々を驚かせ、思わず信じてしまうようなウソを平然とつきます。

しかも演技派であり人々の喜怒哀楽の感情に訴えてきます。でもそれらはすべてウソです。彼らなりの渾身の、そして乾坤一擲のウソであると私は考えています。

彼らはウソだけを武器に数千年に亘って世界中を彷徨い続けてきたのです。



2022年6月20日月曜日

2733「心の中の神様」2022.6.20

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月13日の記事を紹介します。


「心の中の神様」


6歳の神様トキ君の先日の動画で

自然は人間界の近未来姿を見せてくれるということで、

私たちに近い将来起こるであろうことを、

自然が先取りして見せてくれるというものがあります。 

10分過ぎ当たりです。


この中で、近い将来、強いものはより強くなり

弱者と強者の差がますます広がってしまう。

弱者は、強者によって支配される・・ 

と言うものがありました。 

 


現在人間界では、マネーが世界をまさに圧巻しようとしています。 

国際NGO「オックスファム」は、

世界で1年間に生み出された富(保有資産の増加分)のうち82%を、 

世界で最も豊かな上位1%の人たちが独占していると発表しました。 

超エリートが、世界中の富を独占しています。 

そしてその差は広がりマネーのためなら悪魔的な所業まで行われています。 


トキ君の映像では、

「では、私たちはどうしたらよいか?」という問いに対し、

「神さまを信じる事」と言っています。 

私もその通りだと思います。 

例え世の中の潮流がそのようになろうと

神様を信じる人々の心は、美しく汚されることがありません。 

同じ環境に置かれようと、

見えない力が、私たちの魂を護ってくれることでしょう。 


それでは、今日は「心の中の神様」というテーマで書きたいと思います。

ここでよく、「私たちの内にいらっしゃる神さま」と書いています。 

そして、その神さまと一人一人が繋がることで

幸せになることができると書いてきました。

同時に、自分以外の他人の中にも神様がいらっしゃり

古くからの縄文時代から私達日本人は 

自分を大切にして欲しいのと同じく、

他人の中にいらっしゃる神さまも尊重してきました。 

その結果、大陸からの影響で

弥生時代が始まるまで、この日本では1万5千年にも及ぶ長きに渡り

争いの無いユートピアを実現してきました。

私たちの内に、神様がいらっしゃる。

このことを6歳の神様、トキ君も神さまからの通信として話しています。 

2分頃から


この中で、神様(トキ君=山幸彦)は、こう言っています。

人間が生まれる時

・肉体と

・その肉体に私たちの魂が宿り

・これから生まれる一生のうちに行うことを紙に書き、神様に承認していただき

・更に神様の分け御霊をアンパンマンのように頂いて生まれてくる 

・また神さまの御霊(氣)が入らないと肉体は動かない

・ひらめきは、神さまからのプレゼント

・全てひらめき・直感通り、つまり神様の操縦に従っていれば上手く生きられる

6歳の男の子、トキ君が神さまからのお知らせとして、上記を語っています。

私たちの内にはどなたも神様がいらっしゃいます。 

人間だけでなく、生きとし生けるもの、無機物、気象などの現象にさえ

神様がいらっしゃいます。

  

ただ人間は直接的に神様を体現するために生まれて来ましたから

その分け御霊の濃度が、他と比べはるかに高いと思われます。 

私たちの内には神様が居り、神さまが私たちを動かし、様々な経験をさせてくださる。 

心を動かし、魂を震わす喜怒哀楽の出来事 

・良きことも

・悪く見えることも 

そして内なる神様の働きを阻害する要因もあります。

それが、自分さえ良ければの我欲です。

内なる神さま、心を曇らせ、その輝きを奪い取ります。 

神さまの操縦が効かなくなります。

そのため、このブログでは、

・心を洗うこと、

・純粋にすること 

を中心に書いています。

決して、自分以外の何者かに頼りなさいとは言いません。 

依存する心も、内なる神々の力をそいでしまうからです。 

また日本に古来から伝わるお祓いも有効な手段です。

神々に対する深い信仰と、自分の心を清めたいという 自発的な信念が大切です。

私達一人一人の中に神様が居らっしゃいます。

ですから、

・私達の思いも、

・過去の歴史も、

・将来起こることも、

・行動も

全て見ていらっしゃいます。 

そして色んな出来事や、人との出会いや別れを用意したり、

豊な時や、貧乏のどん底の時を演出して下さり、

私たちの魂を磨き、輝かせ、私達を神様の所に、連れて行って下さっています。

 

そう、しっかりと信じることが出来れば、

私達は、どんなに安心して幸せを感じながら、生きて行くことが出来るでしょうか?

良い出来事、悪い出来事に見えても、

それら全部が、神様からのギフトなのですね。 

時代の大きな変化が加速している今、

皆様の心が、ご自身の内なる神さまに向かい、共鳴する、

全ての生きとし生けるものとの愛と調和の世界に住むことができますように。



2022年6月19日日曜日

2732「運がいい人」2022.6.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月12日の記事を紹介します。


「運がいい人」


今日は、斎藤一人さんのお話です。

「運がいい人になるには」というテーマです。 

<引用開始> 引用元


舛岡はなえさんの「斎藤一人 人生ぜんぶハッピーラッキー」の中から、

ひとつの面白いエピソードをご紹介します。

舛岡さんは、あるとき前から疑問に思っていたことを一人さんに尋ねます。 

それは、

「すごくいい人で幸せだった人が、あるときから、幸せでなくなるのはなぜですか?」

ということです。 

一人さんは、

「理由はひとつ、

でも、この話を信じてくれる人は、10000人に1人もいればいいほうなんだよね」

などと言って教えてくれます。 

なんだと思いますか? 

「いい人で幸せだった人が、幸せでなくなるのは、

自分が神様に愛されているって思っていないからなんだ。

本当は、人はみな神様に愛されているのにね・・・」

普通の人は、何か問題があると、 

・あれが悪い、これが悪い、と悲観的になりがちです。

・お前が悪い、あいつが悪い、と誰かを責めてしまいます。

・自分は不幸だなぁ、運が悪いんだと思い込みます。 

でも、神様から愛されていると思っている人は、 

何か問題があっても、落ち込むほど悲観的にならないし、

誰かを責めることもまずありません。 


もちろん、その人にも何らかの問題は必ず起こります。 

ただ、それは神様からの試練だと受け止めるんですよね。 

それは、

・必ず乗り越えられるし、

・乗り越えれば必ずもっとよくなる。

神様はそんな試練を与えてくれたんだって思うわけです。 

だって、神様から愛されているんですから・・・

神様が自分に嫌がらせをするわけがないんです。 

神様が自分を成長させてくれるために

試練を与えてくださったのだから、むしろ感謝します。

さて、あなたも何かいま、問題をもっていますか?

問題を持っていない人なんて普通いないと思います。 

ただ、その問題を

・悪いものだとネガティブに考えているか、

・その問題でよくなれるとポジティブに考えているか

の違いがあると思います。 

繰り返しますが、「自分は神様から愛されている、

だからその与えられた問題を通して、もっとよくなれる」と考える人は、

多少辛いことがあっても、自分は不幸だとか、運が悪いとは考えないんです。

むしろ、神様から愛されている自分は、

今もこれからもずっと運がいいんだと思っています。

あなたもぜひ、自分は神様から愛されていると感じられる、

10000人に1人の人になって下さい。

 

次の言葉は一人さんが、舛岡はなえさんに教えた、運が良くなる言葉です。 

何か問題があったときは、この言葉を何度も唱えるといいそうです。 

「これでよくなる。だからよくなる。さらによくなる。」 

たったこれだけです。試してみるといいですよ。 

<引用終了>

 

斎藤一人さんは、いつもわかりやすい言葉で真理を伝えてくれています。 

私たちが、今この世に生まれてきている以上、

誰一人、神様の承諾なしに、生まれませんから、

皆が一人残らず神さまに愛され、祝福されています。 

「幸せになるんだよ」と送り出されました。

 天国にいる時、神様と一緒に考えた幸せとは 

・大きな家に住むことでも

・大金持ちになることでも

・美しい容姿になることでも

・病気一つしない健康な身体になることでも 

ありませんでした。

かえって、その逆の環境に身を投じ

・真の心の幸せ、

・美しい心

・人々との、優しさ、思いやりの交流 

を手に入れることかもしれません。 

なぜなら、 艱難、苦難、孤独、逆境こそが

私たちの魂を磨き、輝かせてくれるからです。 

それらを通じ、「感謝の心」を芽生えさせた時、 

私たちは、真の意味で、神様に喜ばれ、天の国に迎え入れられることでしょう。

  

 

無名戦士の詩より、ご紹介します。

 

大きな事を成し遂げるために、力を与えてほしいと神に求めたのに

謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった

偉大なことができるように健康を求めたのに、

よりよきことをするようにと、病気をたまわった

幸せになろうと、富を求めたのに、賢明であるようにと、貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、

得意にならないようにと、失敗を授かった

求めたものはひとつとして、与えられなかったが、願いはすべて聞きとどけられた

神の意にそわぬものであるにもかかわらず、

心の中の言いあらわせない祈りは、すべてかなえられた

私はもっとも豊かに祝福されたのだ



2022年6月18日土曜日

2731「縄文と宇宙人」2022.6.18

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月11日の記事を紹介します。


「縄文と宇宙人」


世界に類を見ない、1万年もの長い間、平和な時代が続いた日本の縄文時代

アイヌの女性

彼らに争いは有りませんでした。  

日本人は古代から、どんな相手でも、拒まずに受け入れて、

自分に取り込み、融合して進化してきました。

この時代の遺跡からは武器はおろか、争った痕跡すらありませんでした。

・例え、武器を持った あの好戦的な大陸から来た弥生人でさえも・・・

・例え、自分たちと違う文化を持った異民族であったとしても・・・

結局、弥生の侵略者たちさえも、私たちの祖先、縄文の人々は、

自分たちの文化の中に同化させてしまいました。

私たちの祖先である縄文人も、そして縄文の神々も 

大きな包容力で相手を包み込んでしまったのです。

余談ですが、これは仏教が日本に渡って来た時も同じことが起こりました。

西暦538年,(日本書紀によれば552年),百済の聖明王の使いで訪れた使者が 

欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典,仏具などを献上したことが

仏教伝来の始まりと言われています。

それまでは、自然そのものを崇拝する古神道でしたが、

仏教が入ってきた時、それを排除したり、守りに徹するのではなく、 

私たちの祖先は、それを上手に取り入れて、自分自身を変化させていったのです。

まさしく日本人の真骨頂ですね。

話を戻します。

NHKの特集でアイヌについて放映されていました。

「ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)による主成分分析」によれば、

「縄文人」≒「アイヌ民族」なのだそうです。

アイヌ民族は縄文時代から北海道に住んでいたといわれていますが、

現代の学術的な研究では、大陸から来た渡来人(その後の大和朝廷)が、

縄文の人々を武力で制圧し搾取し始める前までは全国で暮らしていたようです。

その後、大和朝廷(好戦的な大陸から渡来した弥生の人々)が、

アイヌ征伐が始まるとともに、アイヌの人々は、北海道や沖縄に逃れて行ったようです。

 

その結果、沖縄と北海道にはかなり似た文化が継承されています。

和人と呼ばれる好戦的な弥生の人々によって殺され、虐げられて、

どんどん狭い地域に追いやられて行きました。

彼ら「和人」がアイヌの人々の事を何と呼んだかご存知ですか?

土人です。

軽蔑の意味を含んでいます。

大陸渡来の人々によって成立された大和朝廷は、日本全国を征服するために、 

壮絶な戦いを縄文人に対して行いました。

陰謀、策略、騙し、残酷な大量殺人・・

日本各地で、このような残虐な殺戮が行われました。 

彌彦神社境内にある某神社は、隠された神社ですが、

この時に滅ぼされた、もともとの土地の神々が祀られていると言われています。

大和朝廷は、滅ぼした地方の民が反逆しないように 

自分たちで建てた天津神の神社の境内の中に

土着の神々を一緒に祭ることで、民衆をなだめてきました。

佐藤愛子さんの随筆「私の遺言」にも、 

アイヌの浮かばれない魂との壮絶なやり取りが書かれています。 

あの神の人、神界から来た 相曾誠治さん(言向命の生まれ変わり)でさえ、

手に負えない程の深い深い恨みでした。

本当は私たちの古き祖先、アイヌの人々も平和に静かに暮らしていたかったのです。

アイヌの人達は神様のことをカムイと呼びます。

カムイとは人格を持つ一人の神様のことではありません。

アイヌの人達は人間の力を超えているもの全てにカムイ(神様)が宿るとして

畏れ敬って生きていました。

美しいアイヌの文化と風習、アイヌの信仰では、この世のあらゆるものに

〈魂〉が宿っていると考えられました。

なかでも、動物や植物など人間に自然の恵みを与えてくれるもの、

火や水、生活用具など暮らしに欠かせないもの、

天候など人間の力が及ばないものを〈カムイ〉として敬いました。

キリスト教の国々、つまり一神教の国々では、

そのような信仰を「アミニズム」と言って幼稚であるとバカにします。

ですが、この全ての物に神が宿る考え方こそ私達日本人のDNAの中に流れている

優れた性質であります。

またNHKの番組では、

古い古いレコードに残されたアイヌの歌を解析して聞かせてくれましたが、 

そこには、驚くべきことに空を飛ぶ乗り物の歌詞がありました。

それは、古代史の発掘結果でも明らかにされたのですが、

アイヌにおいて、その伝承にみられる オキクルミカムイがアイヌに文化を授け、 

空を飛ぶ乗り物で活動していたことが判明しました。

このとき、空にとどろきが起こり、黄金のシンタが天降ってきました。

中には雲の小童がのり、そこから声援の歌声が聞こえてきました。

オキクルミは、シンタからの声援に力を得て、大いに奮戦し、魔女の手下達を踏みにじってしまいました。

※詳しくは「オキシクルミ・カムイの物語のHP」をご覧ください。

世界各地の遺跡で宇宙人やUFOの痕跡が沢山残されていますが、日本でもあったのですね。

確か竹内文書(日本に残る神代文字で記された古史古伝の書物)にも 

天の浮舟という記載が残っています。

 

それによれば、神殿「アメトツチヒラミツト」で、天皇(神武天皇よりもずっとずっと古代の天皇)はそこから「天の浮舟」(あめのうきふね:UFO)に乗り、全世界を飛行したと伝えられています。天空浮船とは地球への降臨当初からあった空を飛ぶ船。

上古第一代の統治期に「大空乗公運尊」(おそらのりあるきのみこと)が 

天空船や水船を建造したという記述があるそうです。

天空浮船は1日8,000-11,000里(約32,000-44,000キロ)飛行できたといいます。

日本人に古くから崇められてきた神々は、高度に知性や理性が発達した

地球外の知的生命体かもしれませんね。

彼らの固有振動数は、私たち地球人のそれをはるかに超えて、

宇宙の大神さまに近いのかもしれません。

 

その結果、私たち地球人のような肉体的な次元より、高次元に存在しているゆえに、 

時間・空間の縛りが無いのでしょう。 

これは大昔から崇められてきた存在が、現代でも同じ 生命体として生きていると言うことです。

永続する命そのものです。

もちろん私たちも、死後は肉体を離れますので、固有振動数は上がり、きめ細かとなり、

永続して存在することは同じことです。

今日は縄文時代の日本人と同じDNAを持つアイヌの人々をご紹介しました。

日本人のDNAの中には縄文人のDNAが含まれているそうです。

それは、世界的に見て非常に特殊なもので、近隣のアジアの人々とでさえ、

決定的に違うのだそうです。

私たちの血の中には、縄文の人々のように平和を愛する心、助け合う心、 

和合しようとする心が存在しています。

・世界一幸せだった縄文の人々の心を

・私たちの祖先の心を

・龍の国日本の心を、、、 

思い出すことができれば、私たちは、もう一度この国を幸せな国に戻せるかもしれません。

そしてその平和の心を、世界に広げて行くことができるかもしれませんね。




2022年6月17日金曜日

2730「神さまを認める」2022.6.17

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月10日の記事を紹介します。


神さまを認める」


今日のお話は、ご自分だけでなく、ご家族や、親しい人たちまで幸せにする方法です。

もし身近に、どうしても助けたい人が居るとして、でも私たち周りの人は、

その人の運命に介入することができません。 

その方の生まれる前に決めてきた目的や手段に介入することができません。 

ですが、心配で心配で仕方ない身近な人とは、 

例えば

・病気の子供、家族

・早くに亡くなった子供

・自然死ではない亡くなり方をした身近な人 

この方々との関わりに置いて、私たち自身が胸を痛めているのであれば、

私たちが、押しつぶされそうに胸を痛めること自体も、 

その方の生まれて来た目的達成の手段(必要なこと)であったはずです。 

では、その目的とは何であったのでしょうか? 

・私たちが残りの人生を嘆き悲しむため?

・周りや世間、自分の運命を呪うため?

・いつまでも、めそめそ、下を向き、その場にとどまり続けるため?

そうではないはずです。 

そんな目的のために、その方は、貴重な、今回の人生を使いたいと思うわけがないからです。

私たちが、いつまでも、何時までも、その状態にとどまり続ければ、

苦しい役割を引き受けて生まれて来た、その方の貴重な人生が無駄になってしまいます。

神々からも承諾を得てきた目的や手段は、必ず、触れ合う、影響し合う周りの方々の

感情を大きく揺さぶり、心を揺り動かし、逆境や苦難の中で、神々の光を見つけ、

前向きに方向転換して欲しいからではないでしょうか?

私たちが、その方との触れ合いを通じ、苦難の中でも、心の中に神々を見つけた時、 

その方の、生まれて来た目的は達成され、 苦しい人生を選んだことも、報われるのではないでしょうか? 

どんな時も、変われるのは、私たち自身です。 

私たちが変わることで、その方を含め、関わり合う全ての人たちの

大きな目的が達成されます。

それでは、私たちがどのように変わったら良いのか?

始めます。

今日は「神さまを認めること」というテーマで、

元春日大社の宮司であり、かつ医学博士であった葉室頼昭さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

 


みとめる。この言葉を漢字で書くと「認める」という字になりますが、

これでは意味がわかりません。

「みとめる」とは、本来は「目を留める」ことであって、

じっと見つめるということではないかと思います。

この頃はすべてがスピード化し、無限の情報が瞬時に入ってくるというめまぐるしい世の中となり、何か一つのことをじっと見つめたり、

みとめたりということが、だんだんとできなくなってきています。

その上、すべて理屈・我欲中心の世の中になってしまったため、

世の中の本当の姿、神様のお姿というものが、みとめられなくなってしまいました。

みとめるということは、どうすればできるかと言いますと、

相手と同じものを自分が持っていないと、みとめることができません。

例えば、世界的な名画を見ても、

こちらに絵の知識や素養がなければ絵の良さが分りません。

ですから、神様をみとめるということは、

こちらに神様がなければ神様をみとめるということはできません。

そのため、昔から祖先達は常に、お祓いということを行なってきました。

神様が素晴らしい姿に人間をお創りになったのですが、人間は知識を得たために、

理屈でモノを考えるようになり、そのため、本来の姿が見えなくなりました。

これを罪・穢といいます。

罪とは悪いことをしたという意味ではなく、本来の姿を包み隠してしまうこと。

また穢とは汚いという意味ではなく、

我々を生かしてくださる神様の気を枯らしてしまうことで、 

これらはすべて理屈・我欲であります。

ですから、この罪・穢を消してしまえば

本来の神様の姿が現れて神様をみとめることができるのです。

今の日本人は、すべて理屈でモノを考えるようになりましたので、

テレビや新聞を始め毎日毎日悪いニュースばかりを報道しています。

つまり悪いことを認めているのですから、世の中はますます悪くなるのは当たり前です。

そうではなく、たとえどんな悪い状態が現れても、

それを幸せに変えていくということが一番大切なことです。

例えば病気でも、皆悪いことと考えておりますが、

自分の考え方により、病気も幸せに変わっていくことはいくらでもあります。 

昔からよく言われている一病息災ということは、一つの病気を持ったために、

返ってそれが幸せとなり、長生きをしていく人はいくらでもいます。

昔から言霊といって、言葉には「たましい」があると言われておりますが、これも本当のことで、

・良い言葉を言えば幸せが、

・悪い言葉を言えば不幸がやってきます。

ですから、いくら時代が変わり世の中が変わろうとも、

そしてどんな厳しいことが現れてこようとも、自分の身体の中に神様をみとめて、

生かされていることに感謝をするということが一番大切なのです。


■20ccのミルク

赤ちゃんの手術の翌日、赤ちゃんが20ccミルクを飲んだとする。

経験の浅い看護師は、「20ccしかミルクを飲みません。どうしましょう」と言う。

お母さんが不安に思う。すると赤ちゃんの容体が悪くなる。

逆に、ベテランの看護師は、「20ccも飲んでくれました。よかったですね」と言う。

それを聞いてお母さんが安心する。すると赤ちゃんが元気になってくる。

同じ20ccでも、経験の浅い看護師は、一日に何cc飲むかというところから考える。

そうすると、「20ccしか・・」という言葉になる。

ところが、ベテランの看護師になると、20cc飲んだということは、回復力が出てきているということで、「20ccも・・」という言葉になる。

同じ20ccでも見方によって、まるで違ってしまうということですね。

<引用終了>

  

人間は「徳」を持って、はじめて人間と言えるのかもしれません。

・神さまや祖先に感謝する。

・親を敬い大切にする。

・自分以外の人や世間の幸せを考えて行動する。

・自然の素晴らしさに感動する。

「徳」という神様に最も近い性質は、

神さまが人間にだけ与えられたものかもしれません。

私たち人間が生きている短い数十年間、その間に「徳」を積んで行くということが、

神さまと約束してきたことかもしれません。

人生のいろいろな経験でそれを磨くことによって、私たち人間の真実の徳が現れ、本当の神さまの目的である神さま自身に近づいていきます。

いかにして徳を磨いて、この世界に現すか?

それが、神に最も近いものとして作られた人間の定めかもしれません。 

そして、私たちが日々積み重ねた「徳」は、 自分たちだけでなく、私たちの子や孫、

さらには、遥かにさかのぼって、何代もの祖先さえも幸せにするといわれています。

  



2022年6月16日木曜日

2729「生まれた意味」2022.6.16

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月09日の記事を紹介します。


「生まれた意味」


今日は「肉体を持つことの意味」と言うことで、小林正観さんのお話をご紹介します。

私たちが、この思い通りにならない3次元の地球で

全ての魂の記憶を忘れ、肉体をまとっているときだけ、

 魂は急速な進化を遂げることができるようです。 

<引用開始> 引用元

 

「魂」は生まれ変わりを重ねながら成長していきますが、「魂」が成長できるのは

「肉体を持ったときだけ」のようです。

なぜか?

「魂」だけで過ごしているときは、「事件」が起きないからです。

「魂」は、300年~400年に一度、肉体を持って生まれ変わりますが、

肉体がある分、さまざまな制約や事件にさらされます。

・食べなくっちゃいけない

・飲まなくっちゃいけない

・お風呂に入らなくっちゃいけない

・トイレに行かなくちゃいけない

・寝なくちゃいけない

・上司に怒られるのも、

・恋愛」ができるのも、

・夫婦喧嘩をするのも、

・親子喧嘩をするのも、 

肉体があってこそ。

「魂」だけの状態であれば、制約も事件もなく、とても「ラクな状態」で過ごせますが、

そのかわり、まったく「成長」しません。


「魂の成長」には、事故、病気、災難などが必要です。

病気によって優しさを知り、事故に遭って謙虚さを知る。

「魂」は自ら「シナリオ」を書いて、さまざまな事故・病気・災難を設定しています。

それもすべて、「魂の成長」のためなのです。

「魂」を成長・進化させる方法とは、目の前で起こる一つひとつの現象に対して、

つべこべ愚痴を言わず、「感謝」を持ってとらえること。

ある現象に対して、「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」を言うのは

「初期の段階(マイナスの段階)」です。

その後、マイナスから「ゼロになる段階」があり、

その先に「嬉しい、楽しい、幸せと思う段階」があります。

この高みに登り、あらゆる現象について「ありがたい」と思えるようになったら、

「魂」が大きな成長を遂げています。

<引用終了>

  

私たちは、よく願い事を口にします。 

・お金持ちになりますように

・良い人と出会えますように

・病気が治りますように 

様々な願い事があります。 

それは、もしかしたら、今、与えられた現状に不満があり、

満足していないから かもしれません。

その結果、感謝の気持ちなど起ころうはずもありません。 

ですが、そのような苦労を味わえるのも、肉体がある時だけなのだそうです。

肉体が無ければ、制約がありませんから、波動の法則の通り、

心の状態がダイレクトに周りに現れます。(自分の想いが すぐに周りに現れる) 

自分自身で、恐怖や執着の心でいなければ、まさに、事件は起こりません。

出生前記憶のある子供たちの証言では、

肉体を持つ時に、この人生で起こることを決めてから出てくるのだそうです。

つまり、今味わっている苦労も、全部、自分で決めて来たこと。 

目的は、自分の「魂」を向上させるため・・

であれば、もう、それに乗っかってしまって、あらゆる現象について「ありがたい」と

気持ちを切り替えてみるのも良いかもしれません。 

 

全ての出来事は私たちが、私たちの魂の進化のために自分で決め、

タイミングを見計らって起こるように神さまにお願いして、生まれて来ているからです。

ブッダの般若心経には、全ての出来事に、良いも悪いもないのだよ。

良いこと、悪いことと、色を付け、ジャッジするのは

私たちの心なんだよと書いてあります。 

全部、自分の心が、決めていること。

ある現象が私の前を通り過ぎて行くとき、私が何の感情も抱かなかったら

これは単に通り過ぎるだけのこと。

ある現象が私の目の前に来たとき、この現象が私にとって不幸だと思ったら

その瞬間に この現象は不幸になります。

私が不幸だと思わなかったら、これは何の関係もなく、ただ通り過ぎるだけのことです。

次に来たときに、この現象にについて私が幸せだと思ったとしたら、

思った瞬間に、これは幸せなこととなっってしまいます。

全ては、心の捉え方一つで幸福と不幸が決まってしまいます。

  

今自分を取り巻く状況に、不平不満、文句、愚痴を言ってはいませんか?

それらの現象は、全て、私たちの心が生み出しています。

作り出しています。 

幸せになること、生きながら天国に暮らすとは、 

全ての出来事を、受け入れて、感謝して受け入れて、 

「ありがとう」と言うことです。

何故なら、その出来事は、私たちの心の内を、そのまま見せてくれているからです。

経験を重ね、生まれ死にの、転生を繰り返し、私たちは、そのことに少しずつ気づき、 

そしてだんだんと魂は磨かれ、輝きを増していくことができます。 

このことに気づくまで、そのことの繰り返しです。 

その仕組みは、私たちを苦しめるためではなく、神さまの愛から作られました。


2022年6月15日水曜日

2728「青空ひろば」2022.6.15

今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最新の記事を紹介します。


689 2022.06.08

あなたといういのちがそこに生きています。 

それは、あなた自身の力で生きているわけではないのです。 

大宇宙の頭があなたという人間をイメージして設計し、大宇宙の心臓や肺で栄養分や生きるために必要ないろんな材料が供給されて、それによってあなたは生かされているのです。 

同じように、あなたは自分の力で仕事をしているわけではないのです。 

あなたが仕事をしている背景には、大宇宙のヒジや肩や背骨や脚がはたらいていて、それらの支えとエネルギーやパワーの供給で、あなたは働くことができているのです。 

こういう、生かされている事実に気づき、はたらかせて頂いているという事実に気づいて、大宇宙のもよおしのまま、その流れに逆らわずに素直にふるまえるようになったのを「大悟」といいます。 


688 2022.06.07 

自分を何か別物に変身させようなどという力みがなくなれば、弱点とみなしていたものにも、良い点もあるんだなあと発見出来るようになります。

たとえば、私はとても神経が細かくて、それがいやだったのですが、そんな神経の細やかさが、相手の心を読む能力につながっていることに気がつきました。生徒のちょっとした表情の変化や動作から、生徒の気持ちを察することがどうやら他の先生よりうまいということに気がつきました。

このように、私といういのちの中には、何一つ否定したり、切って捨てた方がいいものはないのです。悪いように見えたすべてが、結局役立つようになるんですね。


687 2022.06.06 

こんな充実した、にぎやかな老後がおくれるようになるとは思いも及びませんでした。 

孤独で、淋しくて、やりがい・生きがいがまったく感じられなかった若い頃の私とはまるで正反対で、本当に奇跡のようです。 

どうかあせらず、くさらず、人から評価されなくても、黙々と坐禅したり、徳を積む実践をやり続けてください。きっといい晩年になりますよ。 


珠玉の言葉2 2022.06.05 

今回の珠玉の言葉(エックハルト・トーレさん)

状況や人物や出来事が満足しうるものでなければならないとか、自分がそれによって幸せになるようなものでなければならないとかを、最早求めることをしなくなります。これらが皆過ぎ去っていくこと、不完全であることが許せるようになってきます。人生に無理を求めないでいると、不思議にも不思議なことには、状況や人物や場所や出来事が満足のいくものになっていくばかりか、調和のとれた安らかなものになってきます。


... you no longer demand that a situation, person,

place or event should satisfy you or 

make you happy. Its passing and imperfect 

nature is allowed to be.


And the miracle is that when you are no 

longer placing an impossible demand on it, 

every situation, person, place or event 

becomes not only satisfying but also more

harmonious, more peaceful.


(註)エックハルト・トーレ(ル):ドイツ生まれでカナダ在住。「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(原題 The Power of Now)」,「ニュー・アース-意識が変わる 世界が変わる(原題 A New Earth)」の二冊の著作が特によく知られる。「世界で最も精神的に影響力のある人物」(2011年 ワトキンス・レビューより),「アメリカで最も人気のある精神世界分野の著者」(2008年 ニューヨーク・タイムズより)


686 2022.06.04 

一生のうちに 何かを完成せねば というのはウソ 

一生を何とか 生き切ったというだけで 尊い値打ちがあるのだ 


685 2022.06.03

私は十九で禅を始めたわけですが、その頃の私は神経が細くて、行動力がなくて…、こんな性格がいやだなあと思っていました。禅の修行をしたら、大胆で積極的な人間になれると思っていました。 

しかし、五十数年後の今、何か変わったかというと、ちっとも変わっていないんですね。やっぱり気が小さいままだし、行動力もサッパリです。 

では、当時の私と今の私、何が違うのかというと、当時の私は、そんな気が弱い私というものが嫌いだったのです。自分を否定していたのです。自分を否定すると、同時に他の人や世界を否定することになるのですね。そんな状態でした。 

でも、今は、気が弱くて、ウジウジしがちな自分というものをそのまま受け入れているし、肯定できるようになっています。 

そうすると、私と同じような弱点や欠点をいっぱい持っているA君やBさんのことも受け入れ、抱擁できるし、世界も肯定できるようになってきたのです。 


684 2022.06.02 

人生には、新しいモノゴトを手がけはじめる『ウロウロ、オロオロ』の時期と、何事も上手にこなせるようになった『スラスラ、サラサラ』の時期があります。 

そうして、私たちは、この二つの『人生の時』を比較して、『スラスラ、サラサラ』の時はいい時(悟りの時)で、『ハラハラ、ドキドキ』の時は値打ちのない時(迷いの時)であると決めつけてしまいがちです。 

でも、本当はそうではなくて、『ハラハラ、ドキドキ』の時、『スラスラ、サラサラ』の時、右足の一歩、左足の一歩を交互に踏みしめながら、いのちの全体が進化向上してゆけるのです。 

だから、人生の歩みというのは、何でもアリなんです。どんな出会いが目の前に現れてきても、好き嫌いを言わず、素直に引き受けて、それを我が魂の進化の糧にしてゆけると分かったのが本当の悟り(大悟)です。悟りと迷いを分けて悟りだけ取ろうとするのは、本当の悟りではありません。 


683 2022.06.01

禅というものは、実は難しいものではありません。

『私が私であり、あなたがあなたである』、そのいのちの事実に落ち着く事、結局それが禅なのです。

だから、人の上に人なく、人の下に人なく、みんなドングリで、背比べなんかせずに、お互い助け合って仲良く前進しましょう。 


682 2022.05.31

本来からっぽ 底ぬけ 間ぬけ 

僕とあなたの 間(ま)がぬけて

過去から未来の底ぬけて 

宇宙いっぱい ひとつのいのち 

宇宙いっぱい あなたのいのち


679 2022.05.27 ~681 2022.05.29

イヌ君には「出来ない」ことがたくさんあります。

まず、空を飛ぶことが「出来ない」し、数学の問題を解いたり、言語を駆使して巧みにしゃべったりすることも「出来ない」。

電信柱を見たら、思わず脚が上がってオシッコしてしまう、我慢することが「出来ない」。

そんな風に、イヌ君は無数の「出来ない」に縛られて生きています。

そんなイヌ君が、ありのままの、「出来ない事だらけ」のままでOKなんだ。

そのままで仏なんだと、どうしていえるのでしょうか。

それは、そんなイヌ君が、『ああ、ボクも空が飛べればいいのに』とか、『人のように、歌が上手に歌えるようにナゼなれないんだろう』などと、ないものねだりしないで、自分のいのちの持ち前になんの不平不満も抱かずに、限られた手持ちの道具をフルに使いこなして精一杯の自分を表現して生きている。 

そうであるからこそ、その姿が美しい、輝いているのです。 

そんなありのままの自分を生き切っている姿こそが「仏さま」そのものではないでしょうか。 

過去や未来や他者との比較にフラフラ脱線しがちな自分が、「今・ココ・この身」に復帰して、全身全霊で、持ち前の道具を駆使して課題にぶつかってゆく姿こそが仏様なのです。 


678 2022.05.26

仏 ホットケ あんたはあんた 

イエス 切りすて あんたはあんた

道元さんが ドゲンしたも コゲンしたも

本当は ナカトよ あんたはあんた ジャケンね


677 2022.05.25

悟りを体験しているとき、それに執着すれば、それが迷い。

迷っているとき、そこから逃ようと思わなくなり、そこでやって行くんだと覚悟が決ま

れば、それが悟り。


676 2022.05.24 

ちょっとヌケているから  人がホッと楽になるのです 

ちょっとカケているから  人が手伝ってあげようと思うのです


673 2022.05.21~675 2022.05.23

禅の会では、時々、坐禅の前に「ムー・オー・アー」の発声で、波動調整をします。 

「ムー」のコトダマには、フラフラしていた意識を「身」に引き戻す作用があります。 

「身」は今・ココにしか居れないので、意識が「身」に戻ると、イノチがビシッと「今・ココ・この身」に収まります。

次は「オー」のコトダマで、遠くにいらっしゃる神々や仏・菩薩さまたちに呼びかけます。遠くに、こちらの存在に気づいてほしい人がいれば「オーイ」と呼びかけるでしょう。そのように、「オ」は遠くのものに呼びかけるコトダマです。 

アイウエオの五音のうち、一番遠くまで届く音は「オ」です。 

口の中の空間が管楽器の管のようなはたらきをして、管(口腔)の中で音が共振し、音が強くなるので、遠くまで音が伝わるのです。

最後は「アー」のコトダマです。「ア」は口のどこにも緊張がない状態で発音される音で、どこにもさえぎるものがない開放(解放)音です。「ムー」で自身に意識を引き戻し、「オー」で、神仏に呼びかけて坐禅を護っていただき、そして最後に、「アー」で、身心の緊張をほどいて、そして坐禅に入るわけです。 

後で気づいたのですが、これはヨガの聖音「アオム」の逆バージョンですね



2022年6月14日火曜日

2728「一途な心」2022.6.14

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年06月08日の記事を紹介します。


「一途な心」


世界で性善説の心を持つ国は、ほとんどありませんが、

日本人は、そのような心で縄文の昔より生きてきました。

優しい心、和の精神です。

それに対しほとんどの世界各国は性悪説

つまり人は、放っておけば悪いことをする。悪い心を持つ・・ 

猜疑心と対立・闘争の精神です。 

そのような意識で、世界は長い歴史を刻んできました。

この違いは非常に大きく、現在世界は戦争状態にありますが、 

見えない世界、つまり意識の世界では

見えない心を大切にする 霊主体従(日本の心)と、

お金を中心とした唯物主義の、体主霊従の心との戦いでもあります。

大和心と漢意(からごころ)の戦いと言っても良いかもしれません。

今、時代の大きな変換点にいるわけですが、意識の世界の戦いにおいて、

その中心に置かれることは、日本人の定めかもしれません。

太陽神ラー かつて世界は太陽信仰の時代でした。 

日本で太陽神と言えば、太陽は東から登ります。 

東の最果ては、日本列島です。

多くの民族が、太陽神へのあこがれから東の果てである日本を目指しました。

その中には、もちろんユダヤの民も含まれていました。

その証拠として日本でもユダヤ人とみられる埴輪が多数発掘されています。

高い帽子、伸びた髭、豊かなもみあげをもつユダヤ人埴輪。

聖徳太子の時代、彼らは秦氏一族として大陸から渡って来て活躍したようです。 

その中の秦 河勝(はた の かわかつ)は、

秦氏の族長的な人物であり、聖徳太子に強く影響を与えた人物とされています。 

日本の文明の発展によく尽くし、日本人の中に溶け込みました。 

私も以前、秦氏の末裔の秦さんと仕事をしたことがありますが、

非常に賢く有能な方でした。 

神々によって作られた日本人の縄文のDNAは、この才能あふれる秦氏一族までも、

日本と言う国で和合してしまったのです。 

このようなDNAが私たちの中に脈々と息づいています。 

時間はそれから千数百年たち、物質文明の頂点、欲望の頂点を極めた文明が

音を立てて崩れ、私たち一人一人の心が大切にされる時代に移行しようとしています。

その最中に於いて、今非常に困難な時を私たちは過ごしています。 

この過去の悪徳の時代を終わらせ、神々の光の時代に変えるのは、 

もしかしたら私達平凡な日本人が持つDNAかもしれません。

私達一般の人ができることは、

・自分自身や周りの人の心を大切にすること、

・周りの人に思いやりを持つこと

・自分の足で立ち、自立しようとすること

そのような心の持ちようです。

さて本題に入ります。 

私たち日本には、素晴らしい文明があります。 

それは、古い古い時代。

4つのプレートがぶつかり合う場所に置かれ、氷河期の終了とともに、大陸から列島が分かれ、山や川など美しい自然とともにはぐくまれた日本人の心です。 

まさに、この日本の心をはぐくむために、神々が意図した地政学上の雄大な変化です。


私たちの日本人の心は、全ての物の中に神々を見出し、感謝と尊敬。

お互い様、おかげ様の心を培い、助け合って生きてきました。 

まさに神々の世界の顕現です。 

ですが、時代が下るとともに、西洋文明の流入、戦後の敗戦処理、 

それらによって日本人の尊厳は粉々に打ち砕かれました。 

ですが、私たちの心の見えないところでは、

何千年もかけて、神々や祖先によって受け継がれてきた気質やDNAが存在しています。

今、精神性の復活の時代が幕を開けましたが、2つに分かれようとするこの地球に置いて、この日本人の良き心を復活させることは非常に重要なことだと思います。 

それは、

・力のある誰かによってなされることではなく

・神々に頼っていれば何とかなることではなく

・素晴らしい過去世を持つ人が何かをしてくれるわけではありません。

私たち一人一人が、日々の生活を送る中で

我欲によって引き起こされる罪や穢れを祓おうという意思を持ち 

感謝と、思いやりの心をもって生きることこそが大切なことです。 

美しい地球、そこに住むみんなの幸せは、 

そんな平凡な人々、つまり私たちの心の中から始まります。  

今日は雑宝蔵経という仏教経典の中のお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 


とある場所に、神様の御神体でもあります山の中腹に、大きな鎮守の森がありました。

その鎮守の森には、たくさんの動物たちが、仲よく平和に暮らしておりました。

そこに、ある日、一羽のオウムがエサを探し求め道に迷い、鎮守の森に紛れ込んでしまいました。つまり、迷子になってしまったのです。

オウムはなんとか鎮守の森から外に出ようと飛び回りましたが、

自分がどこにいるのかもさっぱり解りません。

そうしている内に、とうとう日が暮れてあたりが暗くなってきてしまいました。

オウムはとても心配で不安に思いながら、自分の家の方向さえも解らず途方にくれていたのです。

日がどんどん沈み、あたりも暗くなるにつれオウムの気持ちも寂しく、しょんぼりしていた時、鎮守の森のさらに奥深くから鳥や獣などの動物がさくさん出て来ました。

すると、その動物たちは、「ねぇねぇオウム君、君は道を間違えてしまったのだよ。

オウム君の家までは、ここからずっと遠いところだから今からでは帰れないよ。

明日僕たちが送って行ってあげるから、今夜は僕たちの家にとまりなよ」ととても親切にしてくれました。 

オウムも優しい動物たちの言葉と不安な気持ちでいたことから、

動物たちの家に泊めてもらうことにしました。

動物たちは「きっと、オウム君は道に迷い、不安で寂しい気持ちになっているに違いない」「だから今夜は、オウム君がちゃんと寝るまでは皆で順番にオウム君の側にいてあげよう」と動物たち皆で話し合い決まりました。

「ここに木の実があるから、お腹いっぱい食べてね。あそこにはとても美味しい水があるよ」「何も心配いらないから安心してね」

と動物たちはオウムにたくさん声を掛けあっていました。

オウムもすっかり動物たちの優しさに慣れて、とうとうくたびれて寝てしまいました。

その様子を観ていた動物たちも夜中にオウムが起きて悲しまないようにと、

皆でオウムの回りをぐるりと囲むように一緒に寝てくれました。

翌朝、空は晴天です。朝日に照らされながら、オウムは鎮守の森の動物たちに賑やかに送り出され、

オウムが家に帰れるところまで一緒に付き添ってくれました。

そうして、無事に自分の家に着くことが出来ました。

家に着いたオウムは、あの山にいる動物たちの優しさが嬉しくてたまりません。

仲間の動物たちにも昨夜の話を自慢げにたくさんしていました。

そんなある日、優しくしてくれた動物たちの山の方を見ると、

親切に優しくしてくれた動物たちの山からたくさんの煙が立ち上っています。

オウムは驚いて、急いで動物たちが暮らしている山の方へ飛んで行くと、

なんと!山が大火事になっているのです。

 

オウムはいてもたってもいられません。

そこでオウムは、すぐさま川に飛び込み、自分の全身を濡らしては飛び立ちました。

しかし、川から山火事の場所に着く手前で、ほとんど体から水が落ちてしまい

山の上空で体を振っても2.3滴しか水が落ちません。

でも、オウムは諦めようともしません。

なんども何度もオウムは川に飛び込んでは自分の身体を濡らし、

燃えさかる山に飛び立ち火事の上空で体を振って2.3滴の水を落としています。

その時、近くの木立でオウムの様子を見ていた他の鳥たちが、オウムを嘲笑います。

「オウム君、君が運んでいる水であの山火事を本当に消せると思っているのか?」

「無駄なことは止めな」

「そんなことをしたってくたびれるだけだよ」

などと言いながらオウムを皆で笑っています。

この時オウムは、自分を嘲笑う鳥たちに言い放ちます。

「確かに、僕の運んでいる水は僅かです」

「あの山の火事は消えないかもしれない」

「だけど、僕が鎮守の森で迷って、困っている時に、

僕に親切にしてくれた友達が、あの山にいるんです」

「僕を助けてくれた友達が苦しんでいると思うと、僕はいてもたってもいられない」

「だから、僕は絶対に止めない。僕は水を運び続ける!」

と言って一生懸命に水を運んでいます。

すると突然、さっきまで晴天だった空が曇りだし、大粒の雨が降って来ました。もの凄い大雨です。

オウムもビックリして茫然としていると、その大雨のおかげで山火事はたちまち消えていました。

 

<引用終了>

 

似たようなお話に「ハチドリのひとしずく」というお話がありますね。

大切なのは、今、自分が出来ることは何かを考え、 

どんなに人から馬鹿にされ、蔑まれようと、それを実行する勇気なのかもしれません。

・物語の中に登場してくる鎮守の森の動物たちの親切さ

・困っているオウムに対する優しさ

・なんら見返りを求めず、自らオウムに積極的に話し掛けてくる動物たち

私たちの日常生活の中でも同じような光景があります。

一生懸命に努力している人を、努力をしない人が

・得にもならないことをよくやるな

・そんなことしても無理だ

そう言います。

でも困っている人を見て、その心情をくみ取れる繊細な感受性を持ち、

居てもたってもいられずに、「助けたい」と云うただ一心で、

純粋な心で行動する人たちも確かに存在します。

そのような心根を神々が放っておくはずがありません。

どんなに困難に見えることであっても

その心根が「人を助けたい」という純粋で一途な気持ちであれば、

その決心をしたとたんに、一気に周りの次元が上昇し、

周りの状況が協調して助けに回って動き出すことでしょう。

それをサポートオブネーチャー、神仕組みの発動と言います。

全ては、私たちの心にかかっています。

静かな場所で、自分の心を見つめなおし、内観してみれば

自分の心は、今 どちらの方向に向かっているかすぐにわかります。