今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最新の記事を紹介します。
689 2022.06.08
あなたといういのちがそこに生きています。
それは、あなた自身の力で生きているわけではないのです。
大宇宙の頭があなたという人間をイメージして設計し、大宇宙の心臓や肺で栄養分や生きるために必要ないろんな材料が供給されて、それによってあなたは生かされているのです。
同じように、あなたは自分の力で仕事をしているわけではないのです。
あなたが仕事をしている背景には、大宇宙のヒジや肩や背骨や脚がはたらいていて、それらの支えとエネルギーやパワーの供給で、あなたは働くことができているのです。
こういう、生かされている事実に気づき、はたらかせて頂いているという事実に気づいて、大宇宙のもよおしのまま、その流れに逆らわずに素直にふるまえるようになったのを「大悟」といいます。
688 2022.06.07
自分を何か別物に変身させようなどという力みがなくなれば、弱点とみなしていたものにも、良い点もあるんだなあと発見出来るようになります。
たとえば、私はとても神経が細かくて、それがいやだったのですが、そんな神経の細やかさが、相手の心を読む能力につながっていることに気がつきました。生徒のちょっとした表情の変化や動作から、生徒の気持ちを察することがどうやら他の先生よりうまいということに気がつきました。
このように、私といういのちの中には、何一つ否定したり、切って捨てた方がいいものはないのです。悪いように見えたすべてが、結局役立つようになるんですね。
687 2022.06.06
こんな充実した、にぎやかな老後がおくれるようになるとは思いも及びませんでした。
孤独で、淋しくて、やりがい・生きがいがまったく感じられなかった若い頃の私とはまるで正反対で、本当に奇跡のようです。
どうかあせらず、くさらず、人から評価されなくても、黙々と坐禅したり、徳を積む実践をやり続けてください。きっといい晩年になりますよ。
珠玉の言葉2 2022.06.05
今回の珠玉の言葉(エックハルト・トーレさん)
状況や人物や出来事が満足しうるものでなければならないとか、自分がそれによって幸せになるようなものでなければならないとかを、最早求めることをしなくなります。これらが皆過ぎ去っていくこと、不完全であることが許せるようになってきます。人生に無理を求めないでいると、不思議にも不思議なことには、状況や人物や場所や出来事が満足のいくものになっていくばかりか、調和のとれた安らかなものになってきます。
... you no longer demand that a situation, person,
place or event should satisfy you or
make you happy. Its passing and imperfect
nature is allowed to be.
And the miracle is that when you are no
longer placing an impossible demand on it,
every situation, person, place or event
becomes not only satisfying but also more
harmonious, more peaceful.
(註)エックハルト・トーレ(ル):ドイツ生まれでカナダ在住。「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(原題 The Power of Now)」,「ニュー・アース-意識が変わる 世界が変わる(原題 A New Earth)」の二冊の著作が特によく知られる。「世界で最も精神的に影響力のある人物」(2011年 ワトキンス・レビューより),「アメリカで最も人気のある精神世界分野の著者」(2008年 ニューヨーク・タイムズより)
686 2022.06.04
一生のうちに 何かを完成せねば というのはウソ
一生を何とか 生き切ったというだけで 尊い値打ちがあるのだ
685 2022.06.03
私は十九で禅を始めたわけですが、その頃の私は神経が細くて、行動力がなくて…、こんな性格がいやだなあと思っていました。禅の修行をしたら、大胆で積極的な人間になれると思っていました。
しかし、五十数年後の今、何か変わったかというと、ちっとも変わっていないんですね。やっぱり気が小さいままだし、行動力もサッパリです。
では、当時の私と今の私、何が違うのかというと、当時の私は、そんな気が弱い私というものが嫌いだったのです。自分を否定していたのです。自分を否定すると、同時に他の人や世界を否定することになるのですね。そんな状態でした。
でも、今は、気が弱くて、ウジウジしがちな自分というものをそのまま受け入れているし、肯定できるようになっています。
そうすると、私と同じような弱点や欠点をいっぱい持っているA君やBさんのことも受け入れ、抱擁できるし、世界も肯定できるようになってきたのです。
684 2022.06.02
人生には、新しいモノゴトを手がけはじめる『ウロウロ、オロオロ』の時期と、何事も上手にこなせるようになった『スラスラ、サラサラ』の時期があります。
そうして、私たちは、この二つの『人生の時』を比較して、『スラスラ、サラサラ』の時はいい時(悟りの時)で、『ハラハラ、ドキドキ』の時は値打ちのない時(迷いの時)であると決めつけてしまいがちです。
でも、本当はそうではなくて、『ハラハラ、ドキドキ』の時、『スラスラ、サラサラ』の時、右足の一歩、左足の一歩を交互に踏みしめながら、いのちの全体が進化向上してゆけるのです。
だから、人生の歩みというのは、何でもアリなんです。どんな出会いが目の前に現れてきても、好き嫌いを言わず、素直に引き受けて、それを我が魂の進化の糧にしてゆけると分かったのが本当の悟り(大悟)です。悟りと迷いを分けて悟りだけ取ろうとするのは、本当の悟りではありません。
683 2022.06.01
禅というものは、実は難しいものではありません。
『私が私であり、あなたがあなたである』、そのいのちの事実に落ち着く事、結局それが禅なのです。
だから、人の上に人なく、人の下に人なく、みんなドングリで、背比べなんかせずに、お互い助け合って仲良く前進しましょう。
682 2022.05.31
本来からっぽ 底ぬけ 間ぬけ
僕とあなたの 間(ま)がぬけて
過去から未来の底ぬけて
宇宙いっぱい ひとつのいのち
宇宙いっぱい あなたのいのち
679 2022.05.27 ~681 2022.05.29
イヌ君には「出来ない」ことがたくさんあります。
まず、空を飛ぶことが「出来ない」し、数学の問題を解いたり、言語を駆使して巧みにしゃべったりすることも「出来ない」。
電信柱を見たら、思わず脚が上がってオシッコしてしまう、我慢することが「出来ない」。
そんな風に、イヌ君は無数の「出来ない」に縛られて生きています。
そんなイヌ君が、ありのままの、「出来ない事だらけ」のままでOKなんだ。
そのままで仏なんだと、どうしていえるのでしょうか。
それは、そんなイヌ君が、『ああ、ボクも空が飛べればいいのに』とか、『人のように、歌が上手に歌えるようにナゼなれないんだろう』などと、ないものねだりしないで、自分のいのちの持ち前になんの不平不満も抱かずに、限られた手持ちの道具をフルに使いこなして精一杯の自分を表現して生きている。
そうであるからこそ、その姿が美しい、輝いているのです。
そんなありのままの自分を生き切っている姿こそが「仏さま」そのものではないでしょうか。
過去や未来や他者との比較にフラフラ脱線しがちな自分が、「今・ココ・この身」に復帰して、全身全霊で、持ち前の道具を駆使して課題にぶつかってゆく姿こそが仏様なのです。
678 2022.05.26
仏 ホットケ あんたはあんた
イエス 切りすて あんたはあんた
道元さんが ドゲンしたも コゲンしたも
本当は ナカトよ あんたはあんた ジャケンね
677 2022.05.25
悟りを体験しているとき、それに執着すれば、それが迷い。
迷っているとき、そこから逃ようと思わなくなり、そこでやって行くんだと覚悟が決ま
れば、それが悟り。
676 2022.05.24
ちょっとヌケているから 人がホッと楽になるのです
ちょっとカケているから 人が手伝ってあげようと思うのです
673 2022.05.21~675 2022.05.23
禅の会では、時々、坐禅の前に「ムー・オー・アー」の発声で、波動調整をします。
「ムー」のコトダマには、フラフラしていた意識を「身」に引き戻す作用があります。
「身」は今・ココにしか居れないので、意識が「身」に戻ると、イノチがビシッと「今・ココ・この身」に収まります。
次は「オー」のコトダマで、遠くにいらっしゃる神々や仏・菩薩さまたちに呼びかけます。遠くに、こちらの存在に気づいてほしい人がいれば「オーイ」と呼びかけるでしょう。そのように、「オ」は遠くのものに呼びかけるコトダマです。
アイウエオの五音のうち、一番遠くまで届く音は「オ」です。
口の中の空間が管楽器の管のようなはたらきをして、管(口腔)の中で音が共振し、音が強くなるので、遠くまで音が伝わるのです。
最後は「アー」のコトダマです。「ア」は口のどこにも緊張がない状態で発音される音で、どこにもさえぎるものがない開放(解放)音です。「ムー」で自身に意識を引き戻し、「オー」で、神仏に呼びかけて坐禅を護っていただき、そして最後に、「アー」で、身心の緊張をほどいて、そして坐禅に入るわけです。
後で気づいたのですが、これはヨガの聖音「アオム」の逆バージョンですね