今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2023年12月06日の記事を紹介します。
「脚本家、役者、観客」
今日はレインボーチルドレンのまりなちゃんのお話を紹介します。
今現在、人生の岐路に立ったり、苦しんだり、悲しんだりしていらっしゃる、
そんな方々にお届けしたいと思います。
まりなちゃんは今高校生になりましたが、数年前に最愛のお母さんを亡くしています。
もうその当時から、生まれる前の記憶、神様の記憶がありましたが、
その悲しみを幼いながらに乗り越えて今があります。
ではご紹介します。
内容のエキスをかいつまんでご紹介します。
・人生は全部映画
・生まれる前に自分の人生のシナリオを書いている時は「映画監督」
・生まれて来て、この3次元の生活を楽しんでいる(苦しんでいる)時は「役者」
・そして、その自分で演じている人生ドラマを俯瞰して見ている自分は「観客(映画を見ている人)」
・本当は、全部が全部楽しいこと!!
・まりなちゃんは今高校生ですが、3年前にお母さんを亡くしました。
・それも、全部自分で決めてきたこと
亡くなったお母さんと |
・その人生ドラマの映画を見ている人にとって、その出来事は「悲しいね」って思うけれど、自分の事ではないので、それほど深くは感情移入しない。
・つまり、その立場からこの人生ドラマの喜怒哀楽(嬉しい・悲しい)を見るかによって、全く違う見方になる。
・でも、本当は「監督」、「役者」、「観客」全てが自分自身
・今目の前が「映画」だと分かれば、それほど感情移入せず、執着しなくても済む
・逆に「映画」だから、苦しみ・悲しみの感情も「楽しんでしまえ」となってくる
・人それぞれ、演じたい役、経験したい役が異なる。それぞれが別々バラバラにその脚本を書き、地上で演じている
・人生ドラマに入りきっている時、例え苦しくて悲しくとも
・「観客」の立場になって見れば、人生山あり谷ありの人生は見ていて楽しいはず
・(演じている「役者」にとってみれば、完全に感情移入しているから大変だけれど)
・なので、あまりに深く落ち込んだ時は、「観客」側の視点に立って見てみる事
・そのシナリオを書いてきたのも自分自身だし。
・でも「悲しまない」ことばかりが良いことではない
・地球に生まれてくるとは、「役者」になりきって「感情」を経験して楽しむため・・
・でも、いつもいつも「観客」視点であってはつまらない
・「役者」になって感情にどっぷりと浸かったり、
「観客」目線に戻って、その浮き沈みを楽しんだりのバランスが大切
・辛い時は「観客」側になればいい。
・そうでない時は、しっかりと「役者」をして、喜怒哀楽の感情を楽しむ
(地球でしかできない経験だから)
・辛く悲しい時は、シナリオを書いた自分、「監督」としての自分の気持ちを推し量ってみると良い
・何故、自分はその設定をして、「役者」である自分にその感情を味合わせたかったのか?
・それを経験することで、何を学ばせたかったのか?
以上です。
どんなに辛く、悲しい出来事も、
・自分が「監督・脚本家」になって作ってきたシナリオ
・そして主人公になり切り、思いっきり感情の波に飲み込まれながら演じているのが「役者」の自分
・そして本来の自分(トータルセルフ)は「観客」となって、その人生ドラマを眺め楽しんでいる
これが現実のようです。
となれば、人よりも深い悲しみの経験を脚本に書いて来ている方は
普通の人が耐えられそうもない、深い山と谷を経験できるだけの
大きな魂を持った方々なのでしょう。
そして、それを一緒に演じてくれている家族や仲間も、
その劇の最中は、感情に翻弄されるわけですから
同じく大きな器を持つ魂たちなのでしょう。
・その真実の意味
・シナリオの目的、
・劇を演じることで、何をしたかったのか?
などは、肉体を脱いだ時に全て明らかにされることでしょう。
そのような激しい経験をなさっている方々は、
亡くなる時、
「あぁ~難しい役を演じ切った。楽しかった」と感じることでしょう。
どんな地上での出来事も、死や別れ、病気、事故も、魂まで傷つけることはできません。
どんな出来事も、本人の魂としての承諾なしには起こりません。
どうぞ、今深い悲しみ、苦しみの中にある方も、
勇気をもって生き抜いてください。
その経験をするにふさわしい魂の持ち主なのですから。