今回は大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の内容を紹介します。
1150 2023.11.21 ~ 1164 2023.12.05
「般若心経の意訳(原文省略)」
<経題の章>
あなたの「心」は、もともと大きくて、あらゆる能力を持ち、あらゆる知識を持っていて、さらにはあなたが想ったことを自動的に実現してくれる、そんなすごいパワーの持ち主なのです。
その「心」の性能をうまく活用して、あなたの願望を巧みに実現させていく、そうした実践のための理論と方法をお伝えするのが、このお経です。
<概説の章>
観音菩薩は、このお経に書かれた『心の能力を活用して巧みに願望を実現してゆく方法』を実践するうちに、このお経に説かれているように、「心」に刻まれた想いやイメージが、形となって現れ、その人の住む世界を決めてゆくというのは本当だと確信できたのです。
そして、想いを切り換えることによって、運命の悪循環をストップさせ、望ましい世界を創造してゆけるのだということに気づきました。
<菩薩の章(普賢菩薩のレクチャー)>
「心」に描かれた想いが形となり、あなたが住む世界を創るのでした。
ですから、あなたの「心」が、散らかし放題の部屋のようで、その中に雑多の想いが散乱しているような状態だと、あなたは「まとまりのない、ゴミ屋敷のような混乱した世界」に住むことになってしまいます。
ですから、まず「心」をスッキリさせることから始めましょう(色即是空)。
そうして、次にあなたのこうありたいという願望を「心」の中央にしっかり刻みこみましょう(空即是色)。
そうすれば、あなたが住みたい世界が、すぐに形となって現れるでしょう。
<菩薩の章(文殊菩薩のレクチャー)>
以上のように、世界は「心」に描かれた想いや感情やイメージが時空のスクリーンに映像化されたものなんですから、世界(映像)に実体なんてナイのです。実体なんてナイから、どんな世界(映像)でも、あなたの想い次第で自由に描き出せるのです。
しかし、スクリーン上の映像をアリと錯覚し、それにあなたの目がへばりついて離れないものだから、あなたはいつまでたっても、望ましくない世界から脱出できないのです。
望ましい世界への脱出を妨げる錯覚の想いには、以下の三種類があります。
(1)時間的継続があると思い込む錯覚
(2)人に尊卑、上下、優劣があると思い込む錯覚
(3)数量の大小があると思い込む錯覚
時間的継続なんて本当はないのです。過去の人生経歴の延長上にあなたの未来がなければならないと思い込むなんて、なんと残念な自縄自縛でしょう。
また、「人の上に人なく、人の下に人なし」です。みんな平等に尊いいのちです。それなのに、「自分は価値のない、卑しい人間だ」などという錯覚の想いを「心」に刻んで、自分を卑しめる世界を自ら生み出して、そんな世界に住むなんて、なんと悲しいことでしょう。
また、世界はスクリーン上の映像にすぎないのですから、数や量にも実体はナイのです。
スクリーンに一円玉を映すのも、一億円の札束を映し出すのも同じ手間で、ちっとも難易はありません。
なのに、一円玉を映すのは易しく、一億円を映すのは難しいという錯覚の想いを「心」に刻むものだから、一円玉ばかりがあなたの世界に集まるのです。
<菩薩の章(弥勒菩薩のレクチャー)>
世界にも、また、あなたが「これが自分だ」と思い描いている自己イメージにも、実体なんてありません。だから、あなたが「想い」を変えるだけで、直ちに世界や自己を変革してゆけるのです。
では、世界や自己を改革するもととなる「想い」とはどういうものなんでしょう。
実は「想い」とは、「響き(波動)」なのです。その「想いの響き」が、「心」に伝わり、その「響き」に合わせて「心」が振動し始め、その「心」の振動が宇宙に伝わって、その振動のままの次の世界が出来るのです。
ですから、「いい響き」を心に伝えれば、もうそれだけであなたは「いい世界」に住むことが出来るようになります。
自分の努力でそうすることが難しい人は、明るくて、スッキリしていて、軽やかで、いつも幸せな人と一緒にいるだけで、その人の「心」が四方に発散している明るい、楽しい響きをあなたの「心」も受け取って共鳴し、同じ波動を発信し始めるので、あなたもまた幸せな世界に住めるようになります(薫習行、随喜行)。
<声聞・縁覚の反省>
あなたの「想い」が、あなたが住む世界を生み出すのでした。
あなたがしあわせになりたい、生きがいある人生を送りたいと念願して、その想いを「心」に刻んでも、なぜかなかなか実現しないという場合があります。それはなぜなんでしょうか。
そんな時は、あなたが気づいていない「本音」が、あなたの心の底辺で鳴り響いていて、それがそんな残念な世界を生み出しているのかもしれません。
その「本音」はこう主張します。「この世界は苦しみの世なんだ。過ちから生じた世なんだ。やがて滅びてしまう世界なんだ。だから何をやっても無駄なことだ」
あるいはまた、「自分は何の価値もない人間だ。自分がこの世界にいるだけで、みんなに迷惑をかけているんだ。だから、一刻もはやく消え去るべきなんだ」
そのような、世界観や自己観の誤りが、「心」の底辺に潜んでいないか気をつけましょう。
「自分を許し、世界を許し、自分の存在を認め、世界の存在を認め、自分を愛し、世界を愛する」ことが出来るようになることが、この『心の能力を活用して巧みに願望を実現してゆく方法』を使いこなすための基盤なのです。
<菩薩の章(観音菩薩のレクチャー)>
『心の能力を活用して巧みに願望を実現してゆく方法』を実習してゆくうちに、魂のステージが、もう一段上がります。
自分が達成したい願望というものがなくなるのです。
なぜなら、もう自分というものがなくなって、宇宙全体が「自分」となり、その「宇宙の想い」の響きに、あなたの「心」が常時共振して、あなたは「宇宙の想い」のままの世界を自動的に創造してゆく「宇宙基地」となるからです。
<成果の章>
過去の多くの菩薩たちも、以上のような「心と想いの学び」を実践して、ついに最終ゴールである「仏陀」となることができたのです。
では、彼らはこの学習で、どんな成果を得たのでしょうか。
まず、「心」の質が向上しました。狭かった心が広い心となり、強張っていた心が、柔軟になり、これまで「心」のいたるところにあった固執の固まりや仕切りや滞りがなくなり、透明で、軽やかな、どんな響きにもすぐ共鳴振動できる「心」となりました。
そうなった時、宇宙全体から切り離された「自分」がいるという個我の錯覚はもはや消え去り、個我の錯覚から生じる恐怖や孤独からも解放されたのです。
そして、ついに、いのちの進化の最終ゴールである、「宇宙と一つ、すべての生きとし生けるものたちと一体」という仏陀の自覚(ひとついのちの自覚)を獲得したのです。
<呪の章>
菩薩たちの「心」を常時振動させている「大宇宙の響き」とはどんな性質のものなんでしょう。
その響きには、四つの性質があります。
(1)大らかで、堂々としていて、その響きが届かない場所(届かない時間もない)はありません。そして、その響きは誰をも暖かく包み込み、抱きしめて護ってくれるのです。そんな「祝福の響き」なのです(是大神呪)。
(2)すべての人に喜びと自信と積極性を与える「祝福の響き」なのです(是大明呪)。
(3)すべての人に、進化向上への強い意志を与える「祝福の響き」なのです(是無上呪)。
(4)この「大宇宙の響き」は、すべての人に平等に届く「祝福の響き」です(等呪)。
そして、その響きを受けた人は、今度は自らが「大宇宙の響き」の発信者となります。
しかし、どの人も同じ響きを発信するというのではありません。「大宇宙の響き」が主旋律だとすると、それぞれの人は、その主旋律に沿うような別々のパートの旋律を奏でることになるのです(無等呪)。
そのメロディは仏の奏する主旋律の響きとよく調和して、全体として大宇宙に鳴り響く、至高・至大の大交響曲となるのです。
すべての人が、一人残らずその演奏に加わって、主旋律と各パートの旋律が、見事にハーモニーを奏でる「大宇宙交響曲」が完成した時、人類の進化過程が無事達成されたことになります(無等等呪)。
<真言の章>
すべての響きには「発信源」があります。また、その響きのモトとなった「想い」があるはずです。
では、「大宇宙の響き」と表現したものは、どこから発信されているのでしょうか。
それは、こういうことなのです。
お釈迦さまが、菩提樹の下で坐禅しておられて、ふと、明けの明星を見上げられた時、人類の進化過程がついに達成された瞬間の歓喜のビジョンをご覧になったのです。
そのビジョンが、お釈迦様の勝れた質を持った「心」に描かれ、「心」が、そのビジョンの波動で振動をはじめ(この波動が、世界に鳴り響いている4種類の「祝福の呪」です)、世界はその喜びのビジョン達成にむけて動きはじめました。
そして、「想い」は必ず「世界」となるのですから、いわんや、お釈迦様の「想い」や「心」は、最高で最強のものなのですから、人類の進化過程は必ず実現するのです。
そのために、私たちは、私たちに与えられたパートの旋律を力いっぱい演奏することにしましょう。
では、菩提樹のもとで、お釈迦様がご覧になったというビジョンとはどういうものだったのでしょう。
それは、その時に、お釈迦様が叫ばれた言葉だとされる般若心経の末尾を飾る真言で知ることができます。
(般若心経の真言)
「着いた(羯諦) 着いた(羯諦)ゴールに(波羅) 着いた(羯諦)
ゴールに(波羅) みんな一緒に、一人残らず(僧) 到着した(羯諦)
ああ、素晴らしき達成よ(菩提) めでたし、ありがたし(娑婆賀)」
(完)