2024年7月31日水曜日

3505「青空ひろば」2024.7.31

 今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の内容を紹介します。


1419 2024.07.17  ~ 1427 2024.07.27 (前日の続き)


<法華経は湧喜(ゆうき)を与えてくれるお経>

・自分が自分であることを肯定(その宇宙的存在意義、価値)させてくれる。

・いのちの旅路は永い。勝負は今生だけでは決まらないと教えてくれる。

・誰でも、最終的には、必ずゴールインできる(成長して仏になれる)のだと教えてくれる。


<大敬の法華経の読み方>

・セクト(教団)の教学で読まない。

・全巻(28章)を、一日に0.5章~1章ずつ音読する。

・白文(はくぶん、漢文のまま)で読む。

・法華経は「神話」。「法華経遺伝子(骨太に生きる遺伝子)」を潜在意識に届けておけば、イザという時に発動してくれる。


<法華経は、俗っぽいお経>

・華厳経との比較。 

『華厳経』は「聖なるものを目指すお経」

『法華経』は、「イノチの全体性を目指すお経」

・『華厳経』もいのちの一体性を説く(「因陀羅珠網(インドラしゅもう)」の喩え)、「一即多(いちそくた)」。

・『法華経』のいのちの一体性の教えは智顗(ちぎ)大師の「一念三千(いちねんさんぜん)」で示される。

・『華厳経』は、仏性(ぶっしょう、仏になる可能性)があるのだから、悪界を離れて「仏界」に行こうよと誘う(聖なるものを目指せ)。

・『法華経』は、私達の心に「仏界」もあるけれど、「悪界」もある。その全部(仏もヒトラーも)を我が事であると認め、受け入れ、許し、抱擁できる人(仏)になろう(全体性を目指せ)と鼓舞してくれる。


<「関わること(愛すること)」の深化>

お釈迦様が菩提樹のもとで「イノチの一体性」の悟りを開かれた→私と地上世界のすべての存在は本来「一体のイノチ」であることが分かったのだから、私はもう、その「一体のイノチ」が実現している高い世界に戻ろうか→21日間のためらい(地上の苦悩する者たちを残して、私だけが安穏な世界に去ってもよいのだろうか?)→いや、やっぱり地上世界に残って、彼らを導いてゆこう。彼ら全員が私のレベルに達するまで導いてゆこう→私の死後も、引き続いて彼らと関わっていこう。魂進化のゴールの日まで一緒に歩んでゆこう。(関わりの深化)→授記(じゅき)を開始。


<授記(じゅき)物語>(法華経の前半は授記対象の拡大を示すドラマ)

・「授記物語」とは、「受け入れ、許し、愛し、抱擁する」ことが出来る対象(一緒にゴールまで歩んでゆこうと、関わってゆく覚悟が決まった対象)の範囲を次第に大きく広げて「魂の全体性」を実現してゆこうというドラマ。

・「授記対象の拡大」:まず、僧団のリーダー弟子達に授記→中堅弟子に授記→まだ悟りを開いていない弟子にも授記→この場で法華経の説法を聞いている者全員に授記→未来に法華経を聞くであろう人たちにも授記→人以外の生ある者たちにも授記→おシャカ様に敵対して、暗殺を謀ったダイバダッタにも授記→女性たちにも授記→最後に、元妻のヤシュダラにも「授記」を与えて「授記物語」は終わった。


<多宝塔の出現>

・多宝塔が地の底から湧き上がりそびえる。中に多宝仏がいらっしゃる。この仏は「現在から未来に向かうという誓い」を立てた仏。

・釈迦仏が宇宙に分散している自らの分身たちを全員集める(イノチの全体性回復を象徴するドラマ)→多宝塔の扉が開く→多宝仏と釈迦仏が並座(並んですわる)→これで、釈迦仏が「死後も、ゴールの日まで生あるものたちの進化の歩みに関わり続けてゆく」というシステムが完成した。


<地涌(ぢゆう)の菩薩の出現>

私(釈迦仏)は何千年という昔から、この菩薩たちを指導してきた。過去に現れた聖者、また未来に現れる聖者たちも、実はすべて「私」だったのだと宣言する(イノチの永遠性)。


<「妙法蓮華経」という経題の意味>

(経題現代訳)大宇宙に咲いた色とりどりの花々である「個々のいのちたち」は、実は分離・孤立しているのではなく、「連帯する、一体のいのち」なのであるということを教え、不要な花など一つもない、それぞれの花は、その花だけが果たせる独自の役割と使命を担っていて、精一杯美しく輝いて咲き誇っているのだという「いのちの実相」を教える経典。


以下の賢治さんのコトバに「法華経のハート」が語りつくされている。

○ 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。 

○ 新たな時代は世界が「一」の意識になり生物となる方向にある。

(農民芸術概論綱要』より)(完)


1414 2024.07.12  ~ 1418 2024.07.16 


『不動智神妙録(ふどうち しんみょうろく)』より

この書は、沢庵禅師(たくわん ぜんじ)が、柳生新陰流、将軍家剣道指南役 柳生宗矩(むねのり)に出された書簡を記録したもの。

○ 諸仏不動智(しょぶつ ぶどうち)

右にも、左にも、十方八方へ、心は動きたいように動きながら、ちっとも(どこにも)止まらない心を、不動智といいます。


○ 千手観音(せんじゅ かんのん)

たとえば、弓を取る手に心が止まってしまえば、残りの九百九十九の手はみな役に立ちません。どの一箇所にも、心を止めないからこそ、どの手もみな役に立つのです。


○ 初心にかえる

至極のレベルに達しますと、手・足・身(カラダ)が勝手にはたらいて、心の工夫は一切必要ないという境地になるものです。

○ 心ありて守るとなけれど小山田(おやまだ)に、いたづらならぬかかしなりけり (鎌倉 仏国国師の歌)


○ 間髪(かんぱつ)を容れず、石火之機(せっかのき)

たとえば「右衛門!」と呼びかけると、とっさに「はい!」答えるのを<不動智(ふどうち)>と言います。「右衛門!」と呼びかけられて、『何の用だろうか?』などと思案して,その後に返答する心を<住地煩悩(じゅうち ぼんのう)>というのです。

(註)「住地煩悩」:サラサラ流せずに、どこかに意識がへばりついてしまって、自由が効かなくなってしまう境地。


○ 何処(どこ)に置こうぞ。

(心を)右の手に置けば、右の手に心を取られて、身の用が欠けてしまいます。心を眼に置けば、眼に取られて、身の用が欠けてしまいます。右の足に心を置けば、右の足に心を取られて、身の用が欠けてしまいます。どこであっても、一箇所に心を置けば、その他の方向の用は皆欠けてしまいます。そうであれば、心をどこに置けばいいのでしょう。

その答え。「どこにも心を置かねば、我身いっぱいに心が行きわたりて、全体に延びひろがってあるので、手が必要な時は、(思わず)手がはたらき、足が必要な時は、(思わず)足がはたらき、目が必要な時は、(思わず)目が役に立ち、その必要な所々、時々、場合場合の用に叶って適切にはたらけるのです。(完)


2024年7月30日火曜日

3504「さよならのあとに」2024.7.30

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月25日の記事を紹介します。


「さよならのあとに」


今日は、事故で両腕を無くしてしまったけれど、そのことをきっかけに、 

大切な、人の優しさに気づくことができた。

そんなお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元


十月二十四日、熊本県の大野勝彦さんが、

星野富弘さんに会う為に大間々へお越しになりました。

星野富弘さんは、中学校の体育の先生でしたが、

クラブ活動の指導中の墜落事故で頸髄を損傷、手足の自由を失ってしまいます。

その後に奮起なさり、口に筆をくわえて文や絵を書き始め、

作品展を開いたり、雑誌や新聞に詩画作品やエッセイを連載していらっしゃる方です。

熊本の大野さんは、五町歩の田畑にハウスの野菜を栽培していましたが、

平成元年、農作業のトラクターに手を挟まれ両手を切断してしまいました。

何の前ぶれもなく始まった手無しの生活に

幸せが音をたてて崩れてゆくのを感じたそうです。 

 

その時、大野さんが一番こころを痛めたのは三人の子供達のことでした。

大野さんは奥さんと相談して

「子供達が病室に来たら、楽しい話だけをしよう」と決めました。

子供達が来ると部屋の中は笑い声でいっぱいになりました。 

子供達が帰り、病室に元の静けさが戻ると

「子供達は、俺の両手切断のことでショックを受けていないようだ」と安心したそうです。

でも、お見舞いに来た近所のおばさんが

「勝彦さんの長男の隆君は、毎日夕方になると玄関の前に座って頭を抱え込んで、

暗くなっても何時間も動かない。意地らしくてかわいそう」と涙声で教えてくれました。 

子供達は病院に行く道すがら

「お父さんのところへ行ったら、楽しい話だけをしよう」と話し合っていたのです。

大野さんはその時、家族の優しさに胸いっぱいの幸せを感じたそうです。

 

星野富弘さんの


わたしは傷をもっている 

でもその傷のところから、

あなたの優しさがしみてくる


という詩画に深く感動した大野さんは今、


義手で筆を持ち、素敵な絵や詩を書いて

多くの人に生きる勇気と優しさを与えてくれています。

大野さんの名刺の裏には


しあわせは気づいたときから始まる。

本当はしあわせなんだけど

さよならのあとで気づくの


と書いてありました。

<引用終了>

 

私たちは、みんな生まれる時に今世では、何をしよう・・・ 

と、目的を持って生まれてくるそうです。 

その目的のために、ご縁のある方と、

いつ、どのようなシチュエーションで、出会うか、分かれるか・・など 

細かなところまで、固く約束してくるそうです。

その目的のためなら、 

・病気

・事故

・貧困

・別離・死別 

など、一般的につらく悲しい出来事も全く苦にならないのだそうです。 

もちろん肉体を持つ身としては当たり前に、苦しいのですが、

永遠の魂のレベル

つまり、生きている私たちのすぐそばで見守っている高次の意識の私たちは、 

その乗り越えた先、

目的を果たした先にある、永遠の魂の喜びを知っていますから 

一時の三次元での苦痛よりも目的遂行を喜んでいます。 

 

高い意識レベルにある魂は 

時に、自分の人生を犠牲にして、他の方の魂の覚醒に協力することもあるそうです。 

・病気

・事故

・子供たちの早すぎる死 

などは、このような目的であることが多いようです。 

今回ご紹介した大野さんは両手の切断という 辛く苦しい経験をしました。 

未来への希望も失ったかもしれません。 

でも、それをきっかけに、 

今まで気づかなかった、家族の優しさや愛を身をもって経験することができました。 

お子様たちもきっとつらい経験を乗り越え

人の気持ちのわかる、優しい大人に育つことでしょう。 

父の代わりにと・・責任感の強い大人に育つでしょう。 

きっと、そのお父さんの事故をきっかけに,普通の人では経験できなかったことを経験し、 

回りから頼られ、愛される人間に育っていくことでしょう。 

そうなった時、お父さんの辛く悲しい事故も

決して無駄なものではなかったことになります。 

悲しい事故を人生に予定して組み込んで

生まれて来たかいがあるというものです。



2024年7月29日月曜日

3503「強大な意識の力」2024.7.29

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月24日の記事を紹介します。


「強大な意識の力」


私たちの意識・心(肉体の方ではありません)は、

肉体が機能しなくなっても、ずっと生き続けます。 

生き続けるというか、本当の実態は 

元々が神さまから分け頂いた意識そのものであった私たちが

神さまから肉体をお借りして、高次の地球意識の庇護のもと

今一時だけ、3次元地球の上で色々な経験をさせていただいています。 

肉体が動かなくなるとそこから抜け出して

またもとの意識・心(神々の国、黄泉の国へ移行)に戻るだけです。 

苦痛はありません。 

元々の心だけの状態であった時は、意識・心が自分の周り全てを創り出しますから、

心の状態が、即、自分を取り巻く環境になります。 

また自分の心の波長に同調する共鳴した魂が、類は友を呼ぶの法則の通り集まります。

  

この3次元の地球上では少し分かりずらいのですが

意識・心が

・周りに起こる現象や環境を創り出す。

・自分の周りに来る人、いる人を決める 

この事は、肉体を持たない生まれる前と全く変わることがありません。 

心がすべてを決めています。 

そのためは、最初にやるべきこととして、まずこの心の状態を整備するために、 

「ありがとう」の強力な働きについて理解する必要があります。 

その内容は人類の精神性のレベルが上がってきた近年において

沢山の偉人たちが教えてくださっていましたが、地球が大きく変わろうとしている今、

神々から依頼されて生まれてきた沢山の子供たちの魂によっても 

色々な角度から指摘されています。 

それほど「ありがとう」の威力は強力です。 

今日は、その私たちが神さまの御霊の一部として頂いた

意識・心の強力な力について書きたいと思います。 

何か問題が起こった時、悩み、苦しみがある時に使う方法です。 

・意識の持ち方を変えるだけで、

・「問題点」に関して、考えないようにすることで、

・エネルギーを供給しないことになり 

いつの間にか、その問題点そのものがなくなっている、ことに気づくことがよくあります。 

私も、これをいろんな分野で応用しています。

  

宇宙意識バシャールは、 

私たち人間は、時間が連続しているかに見えるのは錯覚で、

意識の変化で一瞬一瞬、パラレルワールド間をジャンプしている といいます。

またブッダは、

『人間の一生の長さとは、刹那、刹那、この1刹那である』

と言いました、ちなみに拍手を一回打つと 65刹那です。

ですからブッダは、人間は瞬間瞬間 生まれ変わっていると教えてくれました。 

私たちは、自分の周りで起こっている出来事が

あたかも連続した時間軸の上で連続した出来事のように錯覚していますが、 

それは連続した出来事ではなく、単なる記憶を引きづっているだけです。

宇宙神から頂いた心にとって本来、時間・空間は意味を持ちません。 

肉体を持っていても同じことです。 

・病気であるという記憶

・悲しい出来事が起きたという記憶

・いじわるされたという記憶

・ケンカしたという記憶

・人に嫌われているという記憶

・自分は孤独であるという記憶 

その記憶があるために、私たちは自らの精神と身体を

その記憶につじつまを合わせようと無理やりしているだけです。 

それが単なる錯覚だと分かると、自分の意識が変わりますから、

バシャール的に言うと、

今までの過去とは異なるパラレルワールドへ、移行してしまいます。 

ブッダの言い方では、朝目覚めたら、同じ人間でありながら、別の人格の人生が始まります。

それは、

・自分の性格は、明るく、周りの人に親切で

・いつも笑顔で、皆を勇気づける言葉を口にし

・ないものを恨まず、今あるものに感謝し

・昨日ケンカした人など存在せず

・いじわるをしてた人は、実は家庭で嫌なことがあっただけで、本当は心根の素敵な人で

・自分を嫌っていると思ってた人も、

 単なるボタンの掛け違いだっただけで、実はとっても優しい心の持ち主で、、 

実は自分は、そんな人間であった、周りの人は愛にあふれた素晴らしい人だったと 

過ぎ去っていった記憶を書き換えてしまえば、

過去は、過ぎ去り、ただ記憶として残っているだけです。

そして、人間の意識とは、一瞬で変えられるものだからです。

そんな人生に、一瞬で変えられます。

意識の上で、変えてしまうのです。 

 

人がどう思うか?は全く関係がありません。

自分が思うほど、人は私のことを考えていません。

それどころか、私たちの心、意識が周りの人の意識まで変えてしまいますから、

私たちがなすべきことは一心に、自分の心をどこに持っていくかだけです。

まったく新しい人生を自分の意識を転換することで、生きるだけです。

私たちの意識・心は、こんな小さなところに縛り付けられている

小さな存在ではありません。

神様と同じく宇宙的な存在です。 

・否定的なもの、

・心を委縮させるもの、暗くさせるもの

・表面的な、一時的な 相手の嫌な面

そんなものは、意識せず、考えず、つまり、そこにエネルギーを与えなければ、それは、もともと存在すらしなかったものになり、私たちは、一瞬にして天国に住む、幸せな人に変貌してしまうでしょう。 

小林正観さんは、このことを

「悟りには3秒あれば良い」という言い方で教えてくださっています。

・過去のすべての出来事を、そのまま善悪という区別をせずに受け入れ、

・現在起きているすべての出来事を、そのまま善悪という区別をせずに受け入れ、

・将来起こるすべての出来事を、そのまま善悪という区別をせずに受け入れ、

これを各1秒ずつ行うことで、悟りに達するといっています。 

つまり、今までの

・苦しかった経験

・失敗してしまったという経験

・恥ずかしかったという経験 

全てが、今の(神さまを意識しだした)自分の意識状態にたどり着くために

必要で不可欠な尊い出来事だったということです。 

何も悔む必要はありません。 

  

・悩んでいたのは、

・ケンカしていたのは、

・苦しかったのは

・辛かったのは

・悩んでいたのは 

過去の自分であって、今の自分とは別人格です。 

今の私は、生まれ変わった新生であり、その人格は、 

・優しく穏やかで

・常に感謝の心を持ち

・笑顔で周りの人々と、お互い様、おかげさまで生きている 

神々に愛される人格に生まれ変わりました。

(それによって 時間軸をさかのぼり過去も書き換えられました) 

多重人格の人は、人格が変わるたび、

その人格が持っていた ケガや病気の兆候が身体に現れたり消えたり

身体と精神の一切合切が、切り替わってしまうそうです。 

また先日、女優の大竹しのぶさんがTVで言っていました。

彼女は、良い意味で「憑依型の女優」と言われていますが、 

少年の役をやった直後、行きつけの整骨院(女性の施術者)に行ったところ

施術中、言われたそうです。「股間に異物がある」

つまり、少年の おち〇ち〇が身体に発生したのだそうです。 

  

それほどに意識の力には強い力があります。

体の構造までも変えてしまったのです。 

ですから、もし辛いこと、悲しいこと、苦しいこと

がある方は、試してみませんか?

私たちの心は、いつでも変えることができます。 

そして意識、つまり心が変われば、生きている現実も、それに追随して変わってきます。

過去さえも変わります。 

このことがわかってきて、そして実際に使っていくと、もう不幸なことなど、おきなくなります。 

いつまでも暗く、悲しい記憶に縛り付けられるのはもうやめにしましょう。 



2024年7月28日日曜日

3502「艱難・苦難」2024.7.28

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月23日の記事を紹介します。


「艱難・苦難」


今日は、お子様の病気、事故などと、親との関わりについて書きたいと思います。

生まれながらに病気を持って来る子もいれば、ある時期に病気になる子もいます。 

早くに亡くなる子もいます。 

それらは全て生まれる前に計画し、そして神様の承諾を得て生まれてきました。

この宇宙の出来事で、神さまの承諾無しに起きることなどないからです。 

生まれる前の記憶を持つ子供達、彼らが語ったことは、

人生で起こる全ての出来事は、生まれる前に全部決めてから、生まれる

と言うことです。 

となれば、 

・友人間のいざこざ、憎しみ

・会社の中のいざこざ、憎しみ

・家庭の中のいざこざ、憎しみ

・人との出会い、分かれ

・病気になる時期

・事故に遭う時期

・貧困に陥る時

・光り輝き皆から注目を集める時期

・死ぬ時期

全ての全てが、生まれる前に決められた事項であると言うことです。 

 

生まれる前から人生のトピック(病気、事故を含め)と、

それに遭遇する時期を決めて、 

そして家族や友人、良き人、逆に行く手を塞ぐ人、意地悪する人、助けてくれる人など、

登場人物に、予め(お願いして)生まれてきました。 

家族を含め、いろんな人々の中で私たちは、 

・悩み苦しみ、

・そして喜び、

・愛を育みます。

いろんな感情を味わいます。 

泣いたり、笑ったり・・ 

子供が病気になったりすれば、親はどれほど心配し、嘆き悲しむことでしょう。 

強い感情を味わいます。

時には自分の命と引き換えに、、そう思うかもしれません。 

また自分の悪いところがデフォルメ(強調)されて

周りの誰かが表現してくださるでしょう。(特にお子さんが、)

自分の良いところを通じ、美しい友情や、愛を育むことでしょう。 

人々が喜ぶでしょう。 

そして、私たちが、その経験から学び、

生まれる前に計画してきた学びが終われば、その関係性も終わりになります。 

なぜなら、生まれる前の約束を果たしたからです。 

その後は、自然と離れることもあれば、 

生まれる前に居たところ(天国)と同じ関係性のように 

美しい友情と愛と思いやりで、後の人生を過ごすことになるでしょう。

家族の場合なら、関係性が変わらずとも、 

問題だと思っていた事項が、全く気にならなくなることでしょう。 

それは、ブッダが般若心経で教えてくださった、

どんな状況であろうと、全てを受け入れることができたからです。 

私たちが苦しむのは、起きてきた出来事(本当は自分で計画したこと)に対し、 

・気に入らない

・受け入れられない 

からと、抵抗し、何とか、自分の思うようにしたい、そうもがくために起こります。 

本来、その出来事は、自分の魂の成長のために、自分で設定してきたものなのに 

善か悪かと、ジャッジして受け入れようとしないからです。 

自分で自分の人生に埋め込んだ出来事は、自分を破滅させるものではなく、 

一時は苦しいかもしれませんが、その現実を素直に受け入れ、感謝できた時に、

美しい喜びに変わります。 

それは、ご自分自身が、受け入れ、変わることができた時です。 

神様は、それを一番望んでいらっしゃいます。

問題だったことが問題ではなく、魂を輝かせるための研ぎ石だったと気づきます。 

もう気にもならなくなり、感謝の気持ちが芽生えてくることでしょう。 

目の前の出来事は、家族の誰かのせいではありません。 

真っすぐに自分に向かって起きています。 

生きているうちは、簡単には、その理由などわかりません。 

ですが、その出来事を通じ、苦しみ、悲しみ、悔しさを味わい、経験することができます。 

その経験を、不平不満、愚痴、悪口で反応する人もいることでしょう。

ですが、その出来事は神様が起こしてくださった出来事、そう認めることができたなら、

感謝で受け入れることもできるかもしれません。 

特に、家族間の場合、他人には出せない

甘えや、性格の中に潜む幼児性が出やすいものです。 

その結果、世の中には、家族間の憎しみのゆえに起こる事件が多いのです。 

ですが、それも、当事者であった家族の誰かの学びが終われば

 段々と解決、つまり温かな、愛の関係に戻って行きます。

もしくは、問題ではなくなっていきます。 

  

マザーテレサや小林正観さんが言うように、全ては自分がどう生きるか 

だけにかかってきます。

家族を含め、他人は変えることはできません。 

私たちが、そこから気付きを得て、生まれる前に予定していた 学び・課題が終われば、 

つまり、自分の意識さえ変われば・・

心の持ち方が変われば・・・ 

全ての状況は解決に向かうのです。 

問題ではなくなってきます。 

お子様の病気やケガは、親にとって本当につらいものです。

ですが、その辛い状況を、あえて子供たちは引き受けて、

生まれる前の約束を果たそうとしてくれています。

その状況を、私たち親が経験することで、

もしかしたらブッダの般若心経の神髄を心から知ることができるかもしれません。

全ての、モノ、出来事に感謝の心を向けることができるかもしれません。 

感謝の心を手に入れることは、容易なことではありません。

何百回、何千回もの生まれ変わりが必要かもしれません。

ですが、病気やケガを、自分の人生に計画してきた子供たちは、親の私たちに、

辛く悲しい経験と引き換えに、その尊い「感謝の心」に気づかせてくれるために、

それを計画してきたのでしょう。 

そのような高貴な目的をもって生まれてくれた子供たちの魂に対し、

私たちは、何時までも嘆き悲しみ、不平不満、愚痴、世の中を呪う言葉

自己憐憫(自分を憐れむ気持ち)の地獄に居ては

申し訳が立ちません。 

心が変われば、見える世界、見えない世界ともに変わります。 

どうぞ、勇気を出してください。 

全ては、自分自身の心が変わることで、変わっていきます。 

いろんな環境の中での学びとは、、沢山あるでしょうが、エッセンスは全て同じことです。 

お互いさま

お陰さま 

の気持ちで、相手を尊重し、相手のやり方、個性を受入れ、認め、批判しない、 

周りの状況に不平不満、愚痴を言わない

全ての物、こと、人に感謝する 

私たちは、全体で、この宇宙を構成し一人として無駄な者はいない 

全ては繋がり、

あの人も、この人も、この犬も、猫も、花も木も、お日様も雲も、風も雨も・・

全ては、私たちと同じ意識を共有している 

私たちは切り離せない、一つのもの

私たちが生まれて来た目的は、

そう気付くことだったかもしれませんね。 



 お父様、お母様が、それに気づき、笑顔で、感謝の気持ちで生活していらっしゃれば、

きっと最速で、その出来事の隠された目的は達成されて、

問題だと思っていた出来事も、本当は感謝だったと気づくことでしょう。


2024年7月27日土曜日

3501「今日という日」2024.7.27

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月22日の記事を紹介します。


「今日という日」


皆さんは今

・ご家族と一緒に暮らしていますか?

・仲良くされていますか?

それとも、

・顔を見るだけで、ため息の出るような、家族もいらっしゃいますか?

・言うことを聞かない子供、

・自分勝手な旦那さまなど・・

今日は、その方のお顔を思い出して、読んでみてください。

 

あるご家族の娘さん(7歳)が亡くなりました。

子どもを亡くしてから一年経ってもこのご夫婦は 

「娘にもう一度会いたい」と嘆いていました。 

ある日のこと、色の天使がその夫婦の前に突然に現れて言いました。

「今、あなたの持っているすべての財産と引き換えに、 

亡くなったお嬢さんと一緒に過ごせる日を 

一日だけプレゼントできますが、 どうしますか?」 

その夫婦は迷うことなくOKしました。 

そして水色の天使が続けて言いました。 

「しかし、ルールがあります。

あなた方は、プレゼントされた1日が終わるまで、 

今ここで約束したことや、 

お嬢さんと死別したことなどの記憶は消されてしまいます。

それはまるで、過去に戻った一日を自然に過ごす感覚ですよ、

それでもいいですか?」 

その夫婦はお互いに顔を見合わせて

ゆっくりとした口調で

「分かりました。」 と返事をしました。 

その瞬間パッと光が・・・  あっ!まぶしい・・・ 

次の瞬間には、いつも通りの朝になっていました。

ですが、夫婦は、天使と約束したこと、

娘が死んでしまう事など、 

一切の記憶を無くしていました。

そうです、娘が生きていた頃の何気ない一日の始まりでした。 

 

朝から「早く起きなさーい!!」妻の大きな声。

パジャマ姿で機嫌悪そうに起きてきた髪の毛のボサボサな娘。

眠たい目をこすりながら新聞を読む夫。

貴重な貴重な一日が始まりました。 

私たちが生きている今日は、

それは、いつか未来に水色の天使に 

全財産と引き換えに頂いた「今日」なのかもしれませんね。

もう一度、最初の質問をしたいと思います。 

皆さんは今

・ご家族と一緒に暮らしていますか?

・仲良くされていますか?

それとも、

・顔を見るだけで、ため息の出るような、家族もいらっしゃいますか?

・言うことを聞かない子供、

・自分勝手な旦那さまなど・・

その方が、明日は、いなくなってしまうかもしれません。

もし、胸がきゅんとなったのなら、今の何気ない日々の暮らしの中で、 

周りの身近な方々にどうぞ笑顔で、優しく接してください。

今日のこの日は、永遠に続く日々ではありません。

家族もいつかは離ればなれになってしまいます。

・手のかかる、言うことを聞かない、心配の種の子供も・・

・自分勝手な夫も

・嫌味ばかりを言う親も

明日はいないかもしれません。

いつか、別れの時が来ます。

ともに、この地球の同じ時代に生まれ、そして縁によって結ばれた家族たち

それは、私たちの魂を、磨き合う仲間でもあります。

 

外見の態度や言葉で切り捨ててしまうのではなく、

その心の奥にある、魂を見つめたいものです。

私たちは、生まれる前に、その魂同士で約束してきたのですから。 

それから、今日は、もう一つテーマがあります。 

皆さんの中には、お子さんを早くに無くしてしまった方も居るかと思います。 

病気や事故、もしかしたら自死もあったかもしれません。

医療ミス、過剰な薬物投与。 

自分より先に、かわいいわが子を無くすことほど、苦しく、辛く、悲しいことはありません。 

世の中全部が敵に見えるかもしれません。 

幸福な家庭が憎くなるかもしれません。 

心の中は、

切なさ、後悔、やりきれなさ、憎しみ

で一杯になってしまうかもしれません。 

ですが、ここで、少し考えていただきたいのは、

先に逝ったわが子、愛しいわが子は 

愛する父と母の心が

自分の死によって、そのような黒い心になってしまうことを

望んでいるのか?

ということです。 

 

肉体を去っても、存在が消えたわけではありません。

より自由度を増した、魂の存在として、元の世界に戻っているだけです。 

私たちも肉体を去れば、必ず会えます。

心が通じているのですから。 

その愛しい子供たちが 自分の死によって、父や母の心が黒く変わってしまったら、

悲しむに違いないのです。 

憎しみのあるところ、幸福も、健康もありません。 

愛と許し、感謝のあるところ、神さまの光が照らします。

幸福があります。 

どうか、たとえ、愛しい子供たちが夭逝(ようせい)したとしても、心を黒く汚すことなく、 

悲しみは悲しみとして、しっかり受け止めて

そして次には前を向いて欲しいのです。

笑顔を、周りの方々に向けて欲しいのです。 

きっと、天国の子供たちも、愛する、父や母に、 

そのような神様の道を歩んで欲しいと願っていると思うのです。



2024年7月26日金曜日

3500「青空ひろば」2024.7.26

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の内容を紹介します。


1413 2024.07.10 

法華経の最後の一句は「作礼而去(さらいにこ)」。

これは「礼をなして去る」という意味。

過去の辛い思い出や現在の嫌な人との出会いや出来事、それらに「ありがとう、君たちのおかげで私は成長できました」と感謝できるようになった時、それらワザワイさんたちは使命を終えてサラリッとあなたから離れて去っていってくれるのです。そのことを「作礼而去」は教えて下さっています。

「ありがとう」が「さよなら」なのです


1412 2024.07.09

「花模様」

左へ右へよろけたり ぐるぐるめぐり、あともどり  

ちっとも決まらぬ僕の道

これでいいのと 時々落ちこむ  

そんな時、「それでいい」と 言って下さる方がいる

天から見ると僕のたどった道が 

きれいな花模様になっているそうだ

その方の言葉を信じて 僕は淡々と歩いていこう


1411 2024.07.08 (しあわせな人生を生きるためにやりたい事)

(1)坐禅行→身心のバランスが整い、あなたをふしあわせにする自他を隔てる「囲い」が解けます

(2)布施行→人のために差し出す手・運ぶ足で「自他を隔てる囲い」が破れ、しあわせ感が大きくなります。

(3)随喜行→人も成功や悦びを見て、自分もそれを喜び、賞賛すれば、その人の悦びを自分もまた体験することになります。

(4)薫習行→しあわせな人と親しくなれば、そのしあわせの波動を受けて、自分もしあわせになれます。

(5)無為行→テレビやパソコン、携帯の電源を切り静寂の時間を持とう。

(6)スポーツ行→頭にゆくエネルギーが減り、「囲い」が弱くなります。

(7)読経行→特に「延命十句観音経」を唱えれば、いのちを延ばすことができます(寿命・可能性・束縛からの解放など)。


1410 2024.07.07  ネット記事より

<科学が証明した、すぐしあわせになる16の方法>

〇 すぐにしあわせになれる、ちょっとしたこと5つ

 ①ほほえむ ②背筋を伸ばして大股で歩く ③声をあげて笑う

 ④お茶の時間など、小さな瞬間を楽しむ ⑤ほかの人に親切にする

〇 毎日の習慣になるとしあわせになる6つのこと

①祈る ②動物と遊ぶ ③感謝の日記をつける 

④楽しい音楽を聴きながら共同作業をする ⑤睡眠を十分にとる 

⑥公園に散歩に出かける 

〇 少しがんばるとしあわせにつながる5つのこと

①運動する ②瞑想する ③セックスする ④ボランティア活動に参加する 

⑤旅行に行く


1409 2024.07.06 (黒住宗忠公の話)   

両親亡くなり→悲観の末結核になる→死を覚悟する→「心を暗くしたから病気になった、心を明るくすれば治る」のではないかと気づく→以下の行をはじめる

①感謝行 ②陽気行(面白い事楽しい事を見出す) ③笑顔行 ④しみじみと味わう行

→次第に回復→身を清め、朝日を拝む→太陽神霊が腹に宿る→人の病を治せるようになる


1408 2024.07.05

ある人が、金光教祖に「信心はどうしたらできましょうか」と質問した。

教祖の答え「信心といっても別に難しいことはない。親にものを言うように、朝、起きたらお礼を申し、その日のことが都合よくいくように願い、よそへ行く時には、行って参りますと言ってお届け申し上げよ。そして、帰って来れば、無事で帰りましたとお礼を言い、夜、寝る時はまた、その日のお礼を申して寝るようにすれば、それで信心となる」と説かれた。

また、ある人が「神様の拝み方が分かりません」と質問しました。

「神様を拝むのに、この道では別に決まりはない。形より心だ。実意丁寧正直、真一心(まこと 一心)がかなめだ。

日々この天地に生かしてもらっているお礼を申して、その次に、お互いは凡夫の身であるから、知らず知らずのうちに、この天地にご無礼をしているのが道理だから、それをお断りしおわび申して、それがすんだら、身の上のことを何かと実意をもってお願いさせてもらうがいい」と教えて下さった。


1407 2024.07.04 (闇の波動に影響されないレベルの波動を維持するには?)

(1)心に蔓延(はびこ)っている雑音を出来るだけ減らして、「空」の状態に近づけること。

(2)自分も人も世界も、共に魂の進化過程にあって、これからますます成長し、いい未来が開けてくるんだと、自分や人や世界の明るい未来を信じること。

(3)自分より、まず人や世界のしあわせを祈ること。


1406 2024.07.03 

シャカもイエスも/蹴っ飛ばし/地位も名誉も/蹴飛ばして

オレはオレだと生きてゆけ

ウジウジするな、前をみよ/胸を張り張り、堂々進め

そうすりゃ不思議/やれ不思議

みんなぞろぞろ付いてくる/「待って、待って」と付いてくる

宇宙全部がゾロゾロと


1405 2024.07.02 

どんな事がやってきても、それは自分の仏性(神性)が、さらなる進化向上のためにどうしても必要だと引き寄せて来たものなのだから、そこから眼を逸らさず、しっかり直面して、本腰で関わってゆくことにすれば、その「覚悟の今」にこそ悟りはあるのだ。


1404 2024.07.01 (坐禅で得られる四つの智慧)

① 「三昧無礙の空ひろく」:三昧(万物一体)、無礙(障害物なし)         

② 「四智圓明の月さえん」

四智とは  

(1)大円鏡智:「いのちはひとつなり」と知る智慧

(2)平等性智:「どのいのちも上下、尊卑がなく平等に尊い存在だ」と知る智慧

(3)妙観察智:平等だけれど一様ではなく、それぞれ異なった特長や使命をもっているのだ」と知る智慧

(4)成所作智:「以上の三つの智慧をその場、その時、その人にあわせて一番適切な行動がとれる」という智慧


1403 2024.06.30(坐禅すれば開けてくる世界)

① 「因果一如の門ひらけ」:そう思えばそうなる(想いがすぐに現実化するようになる)

② 「無二無三の道なほし」:最善・最適の道が歩めるようになる  

③ 「無相の相を相として」:どんな形の器にもぴったり収まる

④ 「行も帰るも餘所ならず」:いつでもどこでも宇宙の中心にいる

⑤ 「無念の念を念として」:カラッポだから次々いい案が浮かぶ

⑥ 「謡ふも舞ふも法の聲」:いつもどこでも「神流楽(かんながら)」    


1402 2024.06.28

(本文)「衆生近きを知らずして/遠く求むるはかなさよ/譬へば水の中に居て/渇を叫ぶが如くなり/長者の家の子となりて/貧里に迷ふに異ならず 

(解説)

「氷」の存在を否定したり、取り去ろうとしないで、存在を受け入れ、認め、許し、愛せるようになれば、いつの間にか「水」の変化している。

→仏とは、ありのままの私を受け入れられるようになった人のこと


1401 2024.06.27 

(白隠禅師坐禅和讃より)

(本文)「衆生本来佛なり/水と氷の如くにて/水を離れて氷なく/衆生の外に佛なし」

(解説)仏は「心が水」,衆生は「心が水+氷」。  

氷とは?:「心に出来た冷たい固まり」

氷の正体:過去からの持ち越し苦労(後悔・憎しみ)、未来への取り越し苦労(恐怖・不安)

「氷」も「水」も同じH2O 温めてやると「氷」はゆるんで「水」になる→「大乗の坐禅」は「温める坐禅」


1400 2024.06.26 

地蔵菩薩真言(地大)

オン カカカ ビサンマエイ ソワカ     

(帰命したてまつる ハハハ(笑い声) 稀有なる尊よ 吉祥)

不動明王真言(火大)

ノウマク サンマンダ バーザラダン センダン マーカロシャーダ 

ソワタヤ ウンタラター カンマン

(金剛部諸尊を礼したてまつる。暴悪なる大忿怒尊よ。破砕したまえ。忿怒したまえ。害障を破砕したまえ。ハーン(大空)。マーン(無我)。)

観音菩薩真言(水大)

オーン アロリキア ソワカ     

(帰命したてまつる 泥土より生じた者(蓮華尊)よ 吉祥)

弁財天真言(風・水大)

オン ソラソバ テイエイ ソワカ

(帰命したてまつる サラスバティ女神に 吉祥)

虚空蔵菩薩真言(空大)

ノーボー アキャシャー ギャラバヤ オンアリキャー マリボリ ソワカ

(虚空蔵尊に帰命したてまつる。おお、怨敵を撃ち滅ぼす尊よ。吉祥)

大日如来真言(地・水・火・風・空大→識大)

オーン アビラウンケン ソワカ

(帰命したてまつる。ア(地)ビィ(水)ラ(火)フーン(風)カーン(空)吉祥)


1339 2024.06.25

「かーん」のことだまの詩

人生なんて/ カーンタン/アカンも/スカンも/あるもんか

スッカラカーンの/覚悟決め/アケラカーンと/進むだけ

人に頼らず/車を借らず/ヘタはヘタなり/一歩ずつ

エッチラ オッチラ/歩むだけ

人の評価は/どうであれ/自分の心に鳴り響く

キンコンカンコン/キンコンカンコン

歓喜の鐘だ/勝利の鐘だ


1338 2024.06.24

「どの人も…」

どの人も/精一杯の人生を/おくっています

どの人も/その人にしか歩めぬ人生を/歩んでいます

どの人も/宇宙でたった一人の/貴重な存在なのです

どの人も/本当はひとつに/結ばれているのです

どの人も/きっと「ひとついのち」に/帰り着くのです    

「君は君すればいい」

AさんもB君も/実は君なんだから/Aさんにできることは

Aさんに任せ/B君にできることは/B君に任せて

君は心置きなく/「君」していればいいんだよ


2024年7月25日木曜日

3499「無明の闇」2024.7.25

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月20日の記事を紹介します。


「無明の闇」


まだ無明の中(自分の中の神様と繋がらない)に生きていると、 

何処かの誰かのために、「させていただく」ということを 

何だか損をした、と考える人もいるかもしれません。 

物質的なことしか見ていなければ

・誰かのためにお金を出すだけで損をした

・自分のためではないのに労力かけて、時間をかけて損をした

そう思うかもしれません。 



 

ですが、 

・時が至り

・機が熟し 

無明の闇が晴れた世界に足を踏み入れた人にとって

全ての生命体は、繋がって一つであり 

他人のためにしたことは

自分のためにしたこと 

一見、他人にために

損をしたように見えることであっても 

時と場所を変え、

必ず自分に帰ってくること 

それも何倍にもなって帰ってくること 

それは、 

・良いことも

・悪いことも(いじわる、悪口、不平不満、裏切り) 

同じように 自分に帰ってくること

神々が全て見ていらっしゃること

その神々は、私たちの内にいらっしゃること 

  

人知れず

良きことをすれば、 

神々が喜び

内なる自分自身も喜ぶこと 

心が喜びと平安に包まれること 

その幸せは、自分だけでなく

家族や、子供たち、子孫 

そして既に亡くなった祖先にまで影響すること 

宇宙にこだますること 

無明の闇の中から抜け出すことができた人にとって 

このことは当たり前のことであり、 

その法則の中で生きています。 

全ての生命体は、繋がっており

本当は一つであること 

これは、ブッダの時代から言われています。 

仏教が日本に入ってきた時から

高僧たちや、親鸞や空海などを通じ

述べられてきた真実です。 

  

いま、世界は「精神性の復活」の時代を迎え

 

神仕組みにより、

私たちのエネルギーは再び、内側

つまり自分自身の心に向けられる時代になってきました。 

多くの方々の無明が取り払われようとしています。 

 

 

何処かの誰かのために

「させていただく」精神は 

身近に、そして簡単に

私たちの心を、神々に近づけてくれます。 

損をするどころか

何倍もの幸福を連れて

私たちのところに戻ってきます。 

皆様が、

ご自分の心の内にいらっしゃる神さまに気づかれて 

お幸せになれますように

 


2024年7月24日水曜日

3498「因果を超えて」2024.7.24

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月18日の記事を紹介します。


「因果を超えて」


イエスもブッダも空海も、過去の沢山の偉人達も、 

そして最近では神仕組みの元、 

・宇宙から直接来た魂や

・神々の意識のまま生まれて来た子供たちも 

その全ての方々が、

霊的な不思議な現象のことではなく、 

地味ですが、心の持ち方について語っています。 

人々の心を整えることで、

そこから地球を良き星にしようとしています。 

全てのことが、私たち自身の心から始まります。 

決して、どこかの誰かが、 

何かをしてくれることにより

自分の運命が好転するわけではありません。 

依存する心は、返って魂の退化を招きます。

  

そして最近はますます思考が現実化するのが早くなったようです。 

これは心の状態が、現実に目の前に具現化されるのが早くなったと同じ意味です。

自分が意識するしないに関わらず、

心の中の情報が、現実化します。

ですから、テレビや本、最近ではSNSなど

自分がどのような好みで、それらの情報に触れているかによって 

否応なく

それが現実の世界で具現化して出てきます。 

ですから自分が触れる情報にも

よく注意が必要です。 

逆に言えば

自分の心に無いことは、

現象として発生しない・・・ と言うことになります。 

愛や、優しさや、思いやりも。 

また心の状態は、単純ではなく、

今世に置いて、自分で意識できることだけではなく、 

魂は永遠ですから、

過去の色んな人生を経てきて、染みついた魂のクセ 

神我(しんが)を包み隠している、 

・包身(ツミ)-本来の光り輝く神様と同じ姿の自分自身を隠してしまうもの

・氣枯(ケガレ)-神様のご神気の枯渇 

によって、その種子が、いつ芽を出そうかと潜んでいます。 

何か自分のやったことに対して、自分の思ったことに対して

直ぐに、しっぺ返しや、反応が現れるということは、 

それだけ、

・現在の地球自体の波動レベルが上がり

・体主霊従から霊主体従の 魂重視の時代に変わりつつあること

・自分自身の、魂の成長が進み、因果律による反応を受け止めても、

 今の自分であれば大丈夫、 それを研ぎ石として更に、魂を輝かすことができると 

 神さまが判断して、現象を起こしてくださったからです。 

  

自分の魂の進化が進まないうちは、

その反応や現象、出来事に耐えられないし、 

耐えられたとしても、そこから 

・何故そうなったのか?

・自分の心のどの部分が、その現象を起こしたのか? 

理解することもできないし、

そこから教訓を得ることもできないので、

現象や反応は、まだ先延ばしにされます。 

心の状態が現実化する。

これはブッダの説いた因果律、

まいた種は刈り取らねばならない・・ と同じことですが、 

このことは、バチでも何でもありません。

全ては神様の私たち人間に対する深い愛から発生しています。 

現象が現れた

例えそれが、自分にとっては、逃げ出したく、

できれば避けて通りたい出来事であったとしても 

神様が、それを起こるのを「善し」としたから起きた出来事です。 

私たちは、そこから逃げない限り、 

また一つ、ツミ(包身)を一枚、心から剥がし、 

光り輝く、もともとの神様の輝きを取り戻すことができます。 

しかし、せっかく、神様が、心の状態を現象として見せてくださっても

目をそらし、逃げたり、他人のせいにしたり、見なかったことにする、、

そうなると、

その現象は無駄になってしまいますから、 

再び、宇宙を巡り、さらに強力になり、

再び、機が熟した時に、神様が私たちに運んできてくださることでしょう。 

  

自分にとって嫌な現象が現れた時は、

実は大きなチャンスの時です。 

神様が、「今こそ、それに気づいて解消しなさい」

そんな時だからです。 

逃げないで、正面から受け止め、受け入れれば、 

一気に、嫌なことではなく、

魂を輝かせてくれる素敵な出来事に変わることでしょう。 

最初の一歩、 

受け止める、受け入れると決心することは、

「よし、変わろう」と決心することは、

大きな勇気がいるかもしれません。

今迄、魂にとって、そこが弱点だったから、現象が起きているのですから。

ですが、その時、私たちが決断することができれば、

一気に神々の喜びとともに、問題は解決してしまうことでしょう。 

神々を含め自然界から最高のサポートを得られることでしょう。 

この見える世界も、見えない世界も全て

私たちの心が作り出しています。 

その心が、本来の神様と同じ輝きを取り戻せることであるのなら、 

神々は、どんなことをしても、 

その大きな私たちの勇気ある決断を

後押ししてくださることでしょう。 

そして、その決断をした瞬間に

私たちの魂の、輝きがまた一段と増します。 


2024年7月23日火曜日

3497「素直になれたら」2024.7.23

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの 2024年07月17日の記事を紹介します。


「素直になれたら 」


さて、今日のお話は、

元伊勢道場長、中山靖雄三のお話をご紹介します。

障害のある弟さんを持った、お兄さんのお話です。

障害を持って生まれてくることも、全て生まれる前に、 

・ある目的を立て

・その目的を達成するために計画を立て

・この世に出てから関係することになる人たちの承諾を得て

・神様にその計画を承認していただき

・生まれる瞬間の星の影響などを考慮して

生まれて来るようです。 

綿密な計画です。 

特に障害を引き受けて生まれてくることは、

進化の進んだ魂にしかできません。 

そして本人だけでなく、周りにも大きな波紋を投げかけます。 

ですが、その波紋は、魂の輝きを増すための

大きな大きな試練の波紋です。 

当人たちが、天に帰った時、

その大きな意味が明かされることでしょう。 

では、今日のお話を始めます。

<引用開始> 引用元 

 

修養団で三泊四日の研修を終えられた最後の日に、

「帰ったら弟にごめんなさいって、お詫びをしたいと思います」

と言ってくださった方がおられました。

「私の弟は耳が聞こえません。

そしてしゃべることができません。

その弟と、おふくろと私と三人暮らしなんです。

親父が早く死んで、私が父親代わりで今まできました。

おふくろや弟を大事にしてやらなきゃいけないってことは、

いやというほどわかっていましたが、なかなかできませんでした。

今はおふくろに、

『母ちゃんは弟のことが心配なんだろう?

俺に安心して任せておきなさい』って言いたい気持ちがしています。

だけど、家に帰っておふくろの顔を見たら、

照れくさくてとうていそんなことは言えないような気がします。

ただ今日は家に帰って、弟を一回抱きしめて、

言っても聞こえませんが、

今までごめんって、お詫びをしたいと思います」

そう言われたのです。

それを聞いて、

「明日の朝、電話を入れるから話を聞かせてね。

絶対嘘つきにならんといてね」と言って別れました。

翌日、電話を入れると、私からの電話を待っていてくださったようでした。

「先生、やれました」そうおっしゃいました。

「ただいま」と帰ったら、弟が部屋にいた。

「謝ろう」と思ったのに、なんとなく体が動かない。

お兄ちゃんがいない間は、鬼のいぬ間でのびのびしていた弟も、

お兄ちゃんが帰って来たら、また「やられる」と思ったのでしょう。

気配を察して、弟が慌てて遊び道具を片付けて、

外に遊びに出かけようとしたのだそうです。

その時、弟の後ろ姿にだったから言えたのかもしれないけど、

「今までゴメンだったね」と言えたというのです。

今まで弟のせいで、自分がいじめられることもあり、

心の底では悪いなと思いながらも、

やり場のない思いを幼い弟にぶつけてしまっていた。

言葉で抵抗できない、

ものを言えない弟をいじめていたのだ、というのです。

それをお母さんはずっと見ていて、

知ってはいても、

お母さんもお兄ちゃんのつらい気持ちを思うと叱ることもできず、

そんな兄を見守るしかなかったという家庭だったといいます。

弟に申し訳なかったと思っている今の気持ちを、

なんとかわからせたいと思い、

外へ飛び出した弟を追いかけた。

すると、弟が必死に走って逃げだすのです。

「逃げんでもいいぞ」と言っても、弟には聞こえない。

いくつめかの信号でやっと襟首を捕まえたのですが、

逃げようとして七転八倒します。

なんとか、今の気持ちをわからせたいと思うけど、どうにもならない。

しかたがないから、襟首をぐっと引きずり寄せて、

回れ右させてて、自分の体に押さえつけるように抱き寄せながら、

「ごめんね、ごめんね」って、体をさすってみたのだそうです。

もがいていた弟も、 

いつもならボカボカってやられるのに変だな、

と思ったのか、ほっと顔を上げたのだそうです。

その弟のなんとも言えない恐々とした表情を見た瞬間、

あふれる涙を止めることができなかったといいます。

その流れだす涙が弟の顔にもポトリポトリと当たって、

弟にも何かが伝わった。

「先生、あいつが、何をやってくれたと思う?

俺の首ったまに、パッとぶら下がって、

『あ~っ』って、声にならん声を一生懸命搾(しぼ)り出そうとするんだ。

もし、ものが言えたら 

『にいちゃん、こんな嬉しいことはないよ、ありがとう』

と言いたいんだろうなって思ったら、

もうたまらなくて、みんながいる往来で

『ごめんな、ごめんな』の繰り返しでした」とおっしゃいました。 

 

それから一緒に家に帰って、お風呂に入って、

ご飯食べて、お母さんが布団を並べて敷いてくれたそうです。

いつもは必ず、布団を離して隅に持っていこうとする弟が、

その日は並んだ布団にすぽっと入って、すやすやと寝ている。

「言うても聞こえんし、寝てるし、わからんと思ったけど、

布団の上から『今までゴメンだったね、ゴメンだったね』って、

もう一度、お詫びをさせてもらいました。

こんな思いが、いつまで続くかわからんけど、 

精一杯大事にしてやりたいなぁ。

そんな気持ちでいっぱいなんです」とおっしゃいました。

みなさん、いろんな条件があるでしょう。

それぞれの条件の中で、今を喜びに変えながら生きていくこと。

それが、世界を清めていくのです。 

  

発達障害のピアニスト 野田あすかさんがいらっしゃいます。

22歳で発達障害とわかるまで、両親は自分たちを責め続けたそうです。

彼女が22歳の時、障害のパニックから自宅の2階から飛び降りて右足を粉砕骨折してしまいました。

その後遺症のため、現在でも杖がなければ歩くことができず、日常生活では車椅子が必要です。 

想像してみて下さい。 

その時の彼女の心

ご両親のお気持ち 

話を戻します。

 

このお兄さん。

さまざまな条件の中、素直になれなかったその方も、

初めてその人本来の本性(ほんせい)に立ち戻ったのですね。

そこに気づかなかったら、勝手な思いのままの性(しょう)でいってしまいます。

しかし、どんな人も、 

出来事を良し悪しにせず、

その条件の中で喜びに出会うご縁をいただいているのだと

気がつきさえすれば、

本性に立ちかえることができるのです。

人の本性はみな優しいのですから。

本性に立ちかえると、自分の心が安らげます。

大きな祈りの中で過ごせるものを、

みんな生まれながらにして持っているのです。

<引用終了>

  

みなさん、置かれた場所は異なります。 

何の悩みも苦しみも葛藤もない環境の人も

悲しみ苦しみの中にいらっしゃる方も 

そして、いろんな条件の中で、 

今あるもの、与えられているものを見い出し、

感謝して、花を咲かせようとする人もいます。 

不平不満、呪いの言葉を口にする人もいます。

生きているうちに 

・地獄に住む人

・天国に住む人と

分かれてしまいます。 

ですが、きっと

神さまは、私たちが生まれてくる時に 

どんな環境の中でも

喜びを見出し、みんな仲良く、感謝の心で過ごしてくるのですよ。。 

そう言って、送り出してくださったのだと思います。 

もうしばらくして、

私たちが、再び天に戻った時、 

神さまの、悲しむお顔は、見たくないですね。

笑顔でお会いしたいですね。


2024年7月22日月曜日

3496「封印された情報をアラハバく「REDEEMER」!2」2024.7.22

前編の続きです。

 

――「楽器」自身ですら気がつかなかったような

「弾かれ方」が存在するということ。

そしてそれがじつは画期的な「情報」だということなのですね。

 

一般的に語られる「情報」とは懸け離れていますけどね。

その楽器から「画期的な弾かれ方」を引き出しているかいないか。 

残酷な言い方かもしれませんが、それが無いのならそれは「情報」じゃない。

それは情報「のようなもの」。

 

――両者は似て非なるものですね。

 

情報「のようなもの」を基準として、物事を判断するならば、

それはおそらくほぼ確実に「間違える」わけです。

でもね、その決定的な「間違い」や「過ち」も、何十年も経ってから振り返ると、

不思議と全部「それで合ってもいた」となるのよ。 

いや、その当時は完全に確実に間違えていたのよ。

でも後々振り返るとまた違う解釈が生まれる。 

あの過ちがあったから今があると思えるようになる。

「今振り返れば全部あれでよかったんだ」と。

「もちろん間違っていたんだけど、それでもよかった」と。

それが「量子意識」というものです。 

世の中、無意味だったことなどひとつもなかった。

いや、「無意味と思ったけど、よく考えたら意味もあった」となる。

それでも私はだから生きて行くし行ける。

 

――まさに「ルックバック」ですね!

 

まったくの「未知」なる物事に対する「解答」を得たいと思ったとしても、

己の潜在意識は最初からすでに、すべてを知っているわけですから。 

ならその解答を得るための工程というものは

自分の外側のどこかを探し回ることじゃない。

じつは最初から自分の中にあった、

しかし失われていた叡智を「取り戻す」ことですよね。 

この働きというのは、私がよく申し上げている

「不当に奪われた地位名誉財産を

元の所有者の下に戻す働き」ということですよね。

これってつまり「贖(あがな)い主」のことであり、

「Redeemer」(リディーマー)のことですよね。 

換言すれば「アラハバキ」だね。

つまり、高度な情報を顕現させるための作業というのは、

己自身が「贖い主(Redeemer)」そのものであるという

姿勢、態度、認識のことなのですよ。

 

――そこで繋がって来るのですね。

 

価値の高い情報っていうのは、素性のわからないどこか未知の突拍子もない彼方から

人脈を駆使したりとかして、引っ張って来るものでは必ずしもない。

解答という「情報」を己の外部に求めさせようとしたのが、バビロン系南ユダ勢力ですよね。

大いなるひとつ「ヤハウェ」から自ら分離し独立した者たち。 

だから彼らはRedeemerの存在を血眼になって探してる。

自分たちを元に戻してくれる存在をずっと探し続けているわけですよ。

 

――彼らはそれを決して表に出さずに

有史以来の悲願として行動してきたんですよね。

 

人智では「覆水盆に返らず」ですからね。

人の手じゃ戻せないのよ。

彼らをヤハウェに「還す」ことのできる、プログラムはたったひとつしかないから。 

潜在意識の中にすでに最初からあったものの中から

お久しぶりに「顕現」させるもの。

それが「情報」というものの究極です。 

でもみんなそれを抜きにして、ネット上の一番目立つところに落っこちている

「結論」「結末」、あるいは「真実」に

無批判のままフリーライドしようとします。 

純粋な動機を持ってさらに追究するという作業というのは

じつは「コストをかける」ことに近い。 

フリーライドするということは、一番大事な「コストをかける」ということを

無意識に的避ける習慣をつけてしまう。

でも人は得てしてその行為を隠すでしょ。 

それはやはり本質への純粋な希求というよりも、ただみな自分だけは助かりたいという

すでに明白に前景化してしまっている、

「欲」というものに後ろめたさを持っているからでしょう。 

私たちは本当は背景を見なきゃいけない。

その背景っていうのは

「本音」であり

「潜在意識」の領域のことです。 

この幻想ホログラムとしての肉体なり、すべてのこの「世界」を描写し存在せしめている

「バックグラウンド」とは何か?

ここに心を傾けるということ、つまり眼差しを送るということ。

バビロン系南ユダ勢は、

この「バックグラウンド」をとうの昔に失ったの。 

自分たちを描写するプログラムデータが失われているのね。 

だからこのホログラム世界の中では、流浪の民を余儀なくされてしまって、

祖国すら描かれないという状況がもう数千年続いているわけ。

 

――だから日本が「宿主」にされて

しまっているのですよね?

 

その通りです。

だから彼らからすれば、この列島の本当の「主」が甦って

本当の霊性が復活してしまうことを危惧してる。

だって「宿主」として使えなくなっちゃうから。 

「満州」という「宿主」ももう存在していませんし。 

だから彼らのその「最終戦争」が今起こっています。

これが「日本が最後」の本質です。 

だから彼らはもはや形振り構わず、ネットで催眠術をかけてきます。 

でも彼らが発信するその「情報」には

「バックグラウンド」が無いのだということね。

だって自らの意志で分離し勝手に独立しちゃったのだから。

これがこの世でもっとも重要なことのひとつ。 

つまり、ネットの世界で、目の前に落っこちていた

その「情報」に記されている「結論」「結末」、あるいは「真実」は、

そのどれを取ってもなんと「ニセ預言者」によるものだった

ということが、こうして

自動的に導かれていくわけです。 

つまりそれは「Redeemer」(贖い主)であるはずがないんだよ、ってことです。

 

――本当に自然に自動的に

導かれたことがわかります。

 

「特殊なサングラス」をかけなくても私たちは「本質」を見抜くことが

できるようになったのです。

 

――「肉眼」で彼らを

確認することができるということですね?

 

そうそうできる。

こうして私たち人類はこれまで不当に奪われ、封印されてきた

「新しい哲学」というものを

「取り戻して」いくのです。 

ならば、今私がこうやって話していること。

つまりこのエスカレーターは

おそらく「合ってる」だろうということも自動的にわかってくる。

これこそが「情報」というものではないですか。

 

――これまで一度も見たことも

聞いたこともないお話しですね。

私たちは「情報」というものを軽んじて来たかもしれません。

それはこれまで本物の情報というものが

不当に奪われ、封印されてきたからなのですね。

 

そうです。

だから閉じちゃダメなの。

有史以来、バビロン系カバール空海らによってこれまで散々、閉じられ、封印され、

隠され続けて来たわけでしょ。

だからこれからはそれらを徹底的に「解放」していくことが

何よりも重要な作業となってくるわけです。

この作業を行うこと、あるいは者のことを

「Redeemer」というのです。

そしてその「Redeemer」の「復活」は明らかに異彩を放つ

桁違いの「情報」がすぐ横を、ぴったりと並走しながら顕現するはずです。

 

――壮大なドラマの、

しかもクライマックスが近いということですか?

 

シンプルに言えばそういうことです。

しかもそれらは「小」「中」「大」と、フラクタルに波及し展開しますから、

この「日本」の「鏡の度合い」を目撃する

当該ホログラム史上初の体験となると思います。

 

――まさに「どんだんず~?」ですね。

 

ホントそうですね。

これを「至上の愉悦」とするか、それとも「最悪の地獄」とするかは

まさに「人それぞれ」です。 

これはメカニズムのうちのごく狭い一局面の提示なのですよ。

そこに個人的な「感情」は一切無いわけです。

 

――澤野さん、紙幅の関係で

そろそろお時間となってしまいます。

この続きはまた次回のお楽しみということで

よろしいでしょうか?

 

もうそんなになりますか。

本来ならば久しぶりのインタビューですし、

直近の都知事選についてお話ししようと思っていましたが、

毎度のことながらかなり脱線してしまいましたね。

 

でも、頭の片隅に5%くらい都知事選のことは置いてありましたので、

じつは今日の内容は都知事選へのコメントも「兼ねて」いるんじゃないですか?

 

――全編に亘ってメタファーとして

成立していたとなるとそれは只事ではありませんね。

 

「名目」と「実質」ってやつですね。

 

――でも振り返ってみれば

たしかにそうだったかもしれません! 

でも今日の内容をお話しできてよかったです。

通常の私だったらこういう内容はなかなか出て来ませんから。

だから小野さんに本当に感謝です。

 

――なんもなんも。

今回も桁違いのお話しでびっくりしました。

 

いがったいがったイガメンツィ。 

私たちは今、過去の残滓をどう捉え、どう解釈し、どう受容し、

どう処理してくのかが、水面下でじつは問われています。 

目の前に起こるあらゆる「現実」には、

「バックグラウンド」が重なって、もつれていることがわかってきました。

これはQCがわざと見せている「この世の綻(ほころ)び」です。 

この両者を同時に重ねて、しかもその両者を混ぜることなく

同時に並行して意識できるようになること。

これが「量子意識」です。 

「白と黒」でも「光と闇」でもいい。

「過去と未来」でもいい。 

それは「中庸」を取ることではないですよ。

両極端を同時並行で意識すること。

「真ん中」とは全然違う。 

私の言う「新しい哲学」とは、

これまで封印され閉じられてきた潜在意識領域から

浮き彫りとされるものなのです。 

つまり、

「最も古い哲学」であり、

「最も新しい哲学」でもあるということ。 

これが「量子意識」ね。

 

――ありそうでなかった哲学であり、

なさそうであった哲学でもあるわけですね。

 

いいですねそれ!

あ、毎度のことではありますが、青森活字版「20番原稿」ができました。 

 

――今回はかなり熟成されましたよね。

 

いやなんだかよくわからないけれど、この時期にまでなってしまった。

自分でもわからないのですが「やっと出せた」という気分です。

 

――タイトルは決まりましたか?

 

『憑依する帝国』です。

前号「19番」の続きになります。

よろしくお願いいたします。

 

――ついに青森20作目となりましたね。

 

小野さんのおかげ以外の何ものでもありません。

私ひとりでは何ひとつできませんから。

本当にありがとうございます。

(澤野大樹)

 

――澤野さん、こちらこそありがとうございました!


 


5か月ぶりとなりました今回のインタビューでしたが

みなさん、いかがだったでしょうか?

本編に収録することができなかった部分もたくさんあります。

かなり長時間に亘るインタビューとなりましたので、続きはまた次回ということにいたします。

2024年は想像を超える猛暑となり、都知事選があって、そして9月の自民党総裁選挙が控え、、そして11月5日には米国大統領選があり、そして衆議院解散総選挙はどうなるか?

2024年の後半は何が起こるかわからないという、これまで経験したことのないような

緊迫した半年間になりそうな気配です。

そんな中、

澤野さんは様々な角度から驚天動地の論説を常に発信されています。

ザワザワ、ハカハカしっ放しの三次元ホログラム世界です。 

気が付けば世の中も様変わりしてきました。

カオス化しているように見えながら整ってきているのだと思います。

これからも決して没入することなく、楽しんでいきたいと思います。

今回もありがとうございました。

 

澤野大樹氏青森講演会主催

小野裕美子


2024年7月21日日曜日

3495「封印された情報をアラハバく「REDEEMER」!1」2024.7.21

 今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2024年7月14日の記事を2回に分けて紹介します。


「封印された情報をアラハバく「REDEEMER」!」

宇宙の中心で愛を叫ぶ (ameblo.jp)


こんにちは。

澤野大樹氏青森講演会主催 小野裕美子です。

 

今回も本当に久しぶりのブログ更新となります。

前回の澤野大樹さんのインタビューは2月17日でしたから、5か月ぶりとなります。

この5か月の間、澤野さんは10回の講演会を行いながらも、深い思索の領域を旅していたのだそうです。 

そんな多忙な澤野さんの一段落した瞬間をキャッチし、インタビューをすることができました。 

さあ幕あいの時間は終わりました。

では始まりますよ。

5秒前___

4,

3,

2,

1,

それではどうぞ!

 

――澤野さん、こんにちは。

またまた久しぶりのインタビューとなりますが、よろしくお願いいたします。

 

いやあ、またもやお久しぶりですよね。

こちらこそどうもどうも。

 

――この5か月の間、

以前にも増して活動的に見えましたが、ご自身で振り返ってみてどうですか?

 

たしかにそのとおりです。

平凡な言い方かもしれませんが、ホントに頑張ったなあって思います。

わかってくださって嬉しいです。

 

――膨大な執筆量でしたよね。

 

そうそう。

猛烈に執筆しました。

活字版の20番と21番をほぼ同時並行で執筆していますから、頭の中こんがらがってましたよ。

 

――原稿が完成したと思いきや、

そこからかなりストップしたりしていましたよね。

 

熟成とポリッシュが入るからです。

でもそれらは総じて私の意志じゃない。

自分でもなんで止まっているかわからない。

普通に1か月とか止まるから。

再び書き始めるのも自分の意志じゃない。

大きな動きはエスカレーターみたいに、最初っからずっと動いているの。

私はそれに足を乗せるだけ。

だけどそこに足を乗せるのに1か月とかかかる。

 

――不思議ですね。

無理にやろうとはしないということですか?

 

抗ったらダメ。

本当に不思議と自然に、ぴったり当てはまるものが、きちんとしっかりと明確に現れてくれる。

そのためには時間と心の余裕がなきゃいけない。

急ぐと絶対にうまくいかない。

 

――ただでさえ今の世の中は

なんでもかんでも急ぎますよね。

 

コスパ、タイパを最優先とする風潮がありますけど

それはうまくいかない人を量産するためのもの。

じゃあうまく行くためにはどうしたらいい?

 

――時間とコストをきちんとかけるということですか。

 

たったそれだけよ。

コストと時間を十分にかけて創作された

工業製品でも芸術作品でも同じことで、

そうやって完成されたものは、必然的に結果として、もっとも合理的な仕上がりになるのよ。

だからコストとか時間とか、ホントは気にする必要なんかそもそもないわけ。

ここでいう「コスト」とは金銭的なこともあるでしょうけれど、

製品や作品そのものに心を傾けるという、労力とか眼差しの度合いも多く含まれます。

でも労力とか眼差しって定量的じゃないから人気はありませんよね。

 

――心を傾けたからといって

良い作品ができるとは限らないし、心の傾け度合いは数値化できないですよね。

 

そのとおり。

「ひらめき」とか「直観」というものがありますよね。

それって己のレベルに相応したものしか来ないのよ。

初心者には初心者ならではのひらめきや直観が降ろされる。

さらに言うと「心を傾ける」と言っても、それは「我」のことではないのね。

意味わからないでしょ。

それは気合いとも違うし、根性でもない。

ごく自然な働き。

それがどれだけ「自分の作品」に注がれたか。

でも自分ではコントロールできない。

だからエスカレーターに乗るタイミングは自分ではわからないのです。

 

――その「ごく自然な働き」が注がれるためには

どうしたらいいですか?

 

自分自身が「鏡」そのものだと認識できればいい。

QCの二次元プログラムデータを次元変換し

三次元物質ホログラム世界に「受肉」させるための

自我を超越した「鏡」であると認識すること。

 

――「認識すること」と言いましても

そのメカニズム全体を、理解しなければならないでしょうから、それは大変な作業になりますね。

それともうひとつ、「受肉」とはどういう意味ですか?

 

己のオリジナルで創造された製品なり作品は、出来る限り「現物」に落とし込むことが必要です。

あるいは現物を伴わせるということ。

このことを私は「受肉」と言っています。

QCのデータをホログラム化させることを意味します。

「己」という鏡を通過させたという証明が

いわば「現物」という形で示されているのです。

 

――「受肉」させるといっても、そのレベルがありますよね。

初心者の頃は拙く未熟であっても、練習を重ねることで上達していきますよね。

 

その通り。

受肉レベルを決めるのは、その人の下積みの量、反復継続の量に比例します。

天才的なピアノの才能がある子供でも、練習を重ねなければ花は開きませんから。

 

――下積みというのはとても地味で

目立たない作業の繰り返しですよね。

 

そう。

だからほとんどの人はやりたがらない。

「やりたいことだけをやりたい」って普通は逃げます。

才能はないけど注目はされたいっていう無いものねだり。

「やりたい」か「やりたくない」かを決めるのはまだ早い。

 

――下積みは承認欲求とは真逆にありますね。

 

誰にも認められない毎日が何年も続きますからね。

常人が到底やらないようなレベルにまで、到達した人の中から花開く人が現れる。

無限とも思える反復継続。

傍から見たらただの「意味不明な作業」。

 

――そのような大変な作業なんて

コスパ悪いし、タイパ最悪だとして

手っ取り早く「結論」や「結末」を求める風潮がありますよね。

映画を倍速で見たり、物語のネタバレを先に読んだり、

いわゆる「雑巾がけ」を避ける雰囲気はたしかにあります。 

めんどくさいもんね。

でもそれを避けてしまう流れが支配的になったがゆえに

とてつもない傑物が生まれ難くなってる。

先人の背中を見て学んでいくということが

かっこ悪く非合理的だと忌避されてしまっています。

せっかく水面下に才能が横溢しているのに。

 

――圧倒的に「敵わない」であろう先人の存在を

それでも追うということですね。

 

でもね、そんな風潮の中でも、しっかりと修行を積んでる若い人たちも

じつはたくさんいるんだろうなと私は思っています。

ちゃんとした人はきっとたくさんいる。

表だって見えはしないだけで。

この「失われた30年」を経たこの日本からでも、想像だにしないような

若きクリエイターが生まれて来ると思います。

すべてはパーフェクトですから。

 

――映画『ルックバック』を観てひっくり返りましたよ。

 

ホントそうですよね。

私も思わず受け身をとろうと、後ろを振り返りましたよ。

アニメ界にまさに革命が起きたわけですからね。

もうただただ放心状態になるしかない。

ルックバック「以前」と「以後」に

分かれてしまうくらいの衝撃度ですよね。

 

――途轍もない作品が登場してしまいました。

 

そうですね。

多くの作家が嫉妬に狂いましたが、

賞賛する以外に方法はありませんでしたから、

混沌とした異様な空気になりましたね笑

 

――時代や世を変え得るものというものが

どれほどのインパクトを与えるのかがよくわかりました。

 

しかしそれは音もたてずにやって来るよね。

そう、それはまるで「夜中に来る盗っ人のように」ね。

 

――それは下馬評とは違い、

センセーショナルとも違う登場の仕方なのですね。

 

その「存在」をきちんと気が付けるか?が大事。

そのためには人の機微についてとか、物事のあらましや構造についてだとかに

繊細で敏感でなければならない。

その繊細さや敏感さが、精妙な「ひらめき」や「直観」を生むのだから。

 

――精度の高い「ひらめき」や「直観」を得るためには

長年にわたる不断の修練が必要なんですね。

 

このホログラム世界には、ひらめきや直観が無限に溢れているわけです。

でもその中からみんな自分に見合ったものだけを、

そして自分で理解できる範囲内のものだけを

無意識的に選択して

さらにそれが最上のものだと錯誤しているわけ。

 

――たちどころに得ることができる

「覚醒体験」というものがいかに危険か、ということでもありますね。

 

若い時分ってのは反射神経は鋭いけれども、洞察力や判断力が未熟なのよ。

だから交通事故件数だって若い世代が圧倒的に多い。 

ということは、若い時分になんかの拍子に思わず興奮して

「これだ!」と判断し小躍りしたことのほとんどは

なんと「間違っている」可能性がきわめて高いということ。 

人生とはその錯誤の繰り返しなわけなのだけれども、

錯誤のレベルってものは成長できるわけよ。

でも最初にそれを最上って決めちゃったら

もうその先の成長は見込めないってなっちゃう。

 

――「ネットde真実」みたいなのは危険ですね。

 

完成された「結論」「結末」に飛びつくのはあまりに危険ですよね。

その多くが加工され絶妙に調整されて、そこに置かれてる。 

そう、あなたは釣り堀のクチボソとして

これから釣られる立場として狙われているのです。

 

――特に最近はネット世界もそのようなもので

溢れ返っているように見受けられます。

 

みんなが思わず喜ぶような、画期的な「結論」「結末」、

あるいはとびっきりの「知られざる真実」が

どういうわけかなぜかそこに落ちてるわけですよ。

なんでだかわかる?

でも多くの人がそれを嬉々として拾ってしまう。 

情報を高度に取り扱う者であるならば、目の前にキラキラ光り輝く

「結論」「結末」が落ちていたとしても、絶対に拾わないでしょう。

それって「罠」だよねって。

基本だよねって。

そんなこと明々白々ですよね。 

多くの人が初見で感動し、パッと見で「この人だ!」とか

「これだ!」とか思ったとしたら、それって調整され制御され計算され

演出されてますよね。

基本ですよね。

 

――澤野さんの考える「情報」とは

どのようなものでしょうか?

 

「情報」っていうのは調理するものです。

早朝から市場に出向いて、断片であるいろいろな食材を厳選して仕入れ、

それらを組み合わせた上で、己の技術とセンスで調理するわけです。

そして仕上がった状態を「料理」というでしょ。

 

――自分の力で作り上げるものなのですか?

 

いいえ、違います。

どんな料理が完成するかは本人もわからない。

 

――「すごいものを作ってやろう」とか考えたら

ダメなんでしょうね。

 

「情報」っていうのは、己の力量の度合いによって

「顕現なさる」ものであり、

「顕現される」ものなのですよ。

無地のキャンバスに突然フワっと浮かび上がって来るものなのです。

これが「オシント」(OSINT)

 (Open Source Intelligence)の根幹ね。

 

――表に出たがっている情報も

きっとたくさんあるのでしょうね。

 

ギターでもバイオリンでも同じですよ。

楽器自身が衝撃を受けるような、

楽器自身が知らなかった弾かれ方が顕現する。 

「私ってこんな弾かれ方できたんだ?」

「私ってこんな音が出たの?」って。

楽器が驚くのよ。 

楽器を磨いていい子いい子してる演奏家は「普通の演奏家」なのね。

平凡な演奏家は楽器にこだわる。

楽器にこだわっても超一流にはなれない。 

ごくひと握りの世界トップクラスの演奏家は、

楽器の方から「ボクを弾いてください」って懇願されるの。

つまり楽器を「従えて」いるのね。

だから壊していいの。

平凡な演奏家は壊しちゃダメですよ。

毎日朝から晩まで楽器をピカピカに磨いて、保険をかけておかなきゃダメ。

エドワード・ヴァン・ヘイレンの

あの伝説の名器「ザ・フランケンシュタイン」は

パーツショップで50ドルで投げ売りされていた

B級品のボディを元に自作されたものです。 

それは言ってみれば「がらくた」の寄せ集めなんですよ。

でも、そうやって自作されたギターは「驚いて」るんですよ。 

「楽器」が重要なんじゃないのです。

「誰が弾くか」が重要なのです。

これ今「楽器」でお話ししてますけれども

あらゆる分野にこれは当てはまることですよ。


後編に続く


2024年7月20日土曜日

3494「まるごと受け入れる」2024.7.20

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月14日の記事を紹介します。


「まるごと受け入れる」


このブログでは、元気で悩みも無く、明るく暮らしていらっしゃる方へと言うよりも、 

どちらかというと、日々の暮らしに疲れ、悩み苦しみ、

涙を流していらっしゃる方に向けて書くことが多いです。

できれば悩みや苦しみから解放されて、心から笑って頂きたいからです。

そのヒントとなればと、今日もブッダのお話からご紹介します。

 

ブッダは2500年前に、人間の生というものは「苦」に満ちていると悟りました。

ブッダが悟った「苦」とは

世の中は自分の思いどおりにならない

という意味でした。 

災難の中に居ることが「苦」ではありません。

「この世は『苦』に満ちている」という言葉の本当の意味は、

結局は自分だけの問題だということになります。 

何故なら、どなたも自分の思い通りにならない現実に対して、

自分の心が苦痛を感じているからです。

外からやってくる不幸や悲劇は存在しません。

それらには良いこと・悪いことという色が全くついていません。

全てが内側、つまり自分の心・思い、受け取り方の問題だったとブッダは気付きました。

ブッダは思いどおりにしたいという「執着」を持たなければ、

人間は全ての「苦」から解放されることに気づいたのでした。

そしてブッダは全ての煩悩から自由になり、悟りを開きました。

私たちの悩みの多くは、実は自分自身のことではなくて、

他人が自分の思う通りに振る舞わないことから発生していると言われます。

多くの人は自分の価値観の中に、相手を連れてこようとして苦しみます。

でも、その人の良いところも悪いところも全部踏まえた上で、

そのまま全て、まるごと受け入れてしまえば何の問題・悩みも無くなります。

自分の価値観を、人にまで押しつけようとした時に、実は自分自身が一番苦しみます。

人や物事・起こっている現実を自分の思う通りに変えようとせず

・お金と仕事の問題は、「掃除」をしていれば無くなってしまう。

・体と健康の問題は、「笑って」いればいい。

・人間関係は、感謝、「ありがとう」を言っていればいい。

それだけで私たちは幸せに暮らしていけるように神さまが、この世の中を作ってくださっています。

 

神さまが好む人間の行為ベスト3は、

・掃除

・笑い

・感謝

の3つなのだそうです。

神さまは掃除をする人が好き、笑顔や笑い声が好き、感謝する人が好きらしいのです。

「掃除」と「感謝」は、いわゆる善行。

ここに「笑い」が入ってくるのは、実は「笑い」は「肯定」を意味しているからです。

「笑い」とは、目の前に起きている現象に対する肯定であり、受け入れることです。

それは目の前の現象(嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと)を起こしてくださっている地球や宇宙や神さまに対し、

「ありがとう」と肯定したという意味になります。

神さまにとって「肯定された」ということは、

自分のしたことを「喜ばれた」ということになります。

小林正観さんが仰るには、 

神さまは喜ばれると嬉しくてやる気になって、

応援支援をしようと思うみたいなので、

肯定的な人には、どんどん味方をしてくれるようになるそうです。

私たちは子供のころから、

「手に入っていないもの」を挙げ、

「それを手に入れることが幸せ」という風に教えこまれて来ました。 

またビジネス社会でもそうですね。

売り上げ目標を高く掲げ、ムダを極力省き全てのエネルギーをそこに注ぎ込みます。

また「努力しなければダメ」「頑張らないとクズ」と教えられても来ました。

 

一方、

・既に沢山のものをいただいている

・既に充分恵まれている 

との考え方に至った人たちもいます。

これは現状(嬉しいことも、苦しいことも、悲しいことも)を肯定して、

「喜びながら」「幸せを感じながら」「感謝しながら」生きるという生き方です。

神さまや宇宙に、今既に十分与えられていると言う「小欲知足」の生き方です。  

強く願えば叶う、努力すれば必ず現実を変えられる。 

宣伝や営業努力の結果でものが売れる・・ 

そのような方法論はもう古いのかもしれません。

神さまの意思や働きを否定した傲慢な考え方かもしれません。 

神々の計画では、21世紀は「精神性の復活の時代」、「心の時代」になって来ています。 

21世紀は、いかに宇宙を味方にするか? 周りと調和していくのか?

そう考える方が時代の潮流のようです。

・人に喜ばれるように生きていくこと。

・「頼まれごと」をひたすら実直な、愚直な、誠実な心で行っていくこと。

・目の前の現象をまるごと感謝して受け入れること。 

・自分が社会的に成功するとか、

・お金持ちになるとか、

・商品が売れるとか、広まるとかということは、 

ブッダが言うように、全て本人の力ではありません。

すべて神さまや、宇宙、そして周囲の人・ご縁のおかげです。 →縁起の法則と言います。

ブッダは般若心経でそう教えてくださいました。 

自分の努力や力ではなく、

全てが目に見えない神さまや、ご先祖

宇宙、人様のご縁のおかげということがわかったら、 

あとはただ感謝、「ありがとう」と言うだけですね。

何故なら、その現象は、

私たちの魂を磨き、美しく輝かせるために起きていることだからです。 

それが、ブッダは2500年前に悟った人間の生というものは「苦」に満ちている・・

その苦しみの世界において、真の幸せを掴む道なのかもしれません。  

泥の中から咲くハスの花ように、私たちも、この世界において、 

置かれた場所で、美しい花を咲かすことが、きっと誰にでもできるのです。



2024年7月19日金曜日

3493「心が作り出す世界」2024.7.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月13日の記事を紹介します。


「心が作り出す世界」


空海が教えてくださったことに、次のようなことがあります。

私達が、この世の中で見たり聞いたりすることは、

全部、もともと私達の心の内にあるものである。 

心の中にあることしか、私達は経験できない。 

 

・不平不満、愚痴、憎しみ、ねたみ、

・自分さえよければ、人より優位に立ちたい、

・お金が全て

・世の中の不正に対し、常に激しい憎しみ・怒りを向けている人

そう思っている人は、その通り阿修羅の世界の中に生きて行きます。

逆に

・感謝や笑顔、

・優しさ、

・思いやり、

・助け合い、

・お陰様 

心の中がそれらで満たされている人は、

その通り美しく、優しい世界で生きて行くことになります。

これは1200年前に空海が教えて下さった真実です。 

空海が仰った 即身成仏、

私達は生きている内に、天国でも地獄でも行ける

とはこのことです。

ですので親の生き方を見て育つ子供たちは、

親と同じ道を歩んで行くことが多くなります。

親の私達自身が心の中を天国にすれば、

私達も幸せになりますし、

同じく繋がっているご先祖や、

子供たちも本当の幸せを手に入れることが出来るでしょう。

さて、それではお金もかからず、簡単に出来る

「心を天国にする方法」の一つをご紹介します。

良寛さんが大切にした「和顔愛語」です。

 

良寛さんは新潟で生まれました。

江戸時代末期を生きたお坊さんで、詩人として多くの人に知られています。

良寛さんは多くの人に慕われ、愛された方でした。

その良寛さんが大切にされていたことが

「和顔愛語」(わげんあいご)という言葉だったそうです。

「和顔愛語」とは、その字の通り、 

和やかな顔で、温かい言葉を口にする。ということを言います。

良寛さんは、人に与えるようなお金やモノを何も持っていなかったので、

誰かに何かをあげることはできませんでした。 

ですが自分の言葉なら贈り物にできる。そう考えました。

ですので良寛さんの口から出てくるのは、 

・温かい言葉や感謝の言葉、

・人を勇気づける言葉、

・人を明るい気持ちにさせる言葉、

・人を癒す言葉

ばかりでした。

 

良寛さんの「和顔」というのは、

人への素敵なプレゼントだったのかもしれませんね。

2500年前のブッダも同じことを教えて下さいました。

ブッダの教えに無財の七施(むざいのしちせ)というものがあります。

無財の七施とはお金をかけなくても相手のためにできることですが、その中に

・優しい言葉、思いやりのある言葉で接する

・温かい笑顔で接する

ということがあります。

笑顔で優しい言葉を口にする人の回りには、

同じように笑顔の人が引き寄せられて集まってきます。

でも、いつもいつも笑顔で優しい言葉を

かけ続けるのは大変なことかもしれませんね。

うまく笑えない時や、優しい言葉など出ない時ももちろんあります。

ですが、そうありたいと思うだけで、

後は私達の内に居らっしゃる神様が後押しして下さいます。

私達が住む地球には、次のような法則があります。

与えたものが、受け取るもの

相手に対して、厳しい言葉をかければ、

自分も同じように人から厳しい言葉をかけられます。

優しい言葉をかければ、人から優しい言葉をかけてくれる人が現れます。

 

良寛さんはきっと、優しい言葉をまわりに投げかけ続けた人だったのですね。

だから多くの人に慕われ、愛されました。

笑顔の良寛さんの周りには、きっと笑顔の人達が集まってきたのでしょう。

そう考えると、笑顔の人達に囲まれ、幸せになる一番簡単な方法は、

自分が笑顔でい続けることなのかも知れません。

私達も良寛さんのように、人様に愛される人間になりたいものです。


2024年7月18日木曜日

3492「地上の星」2024.7.18

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月09日の記事を紹介します。


「地上の星」


日本中あちこちに神社があります。 

そして、その一つ一つは光を放ち、かつては、地上の星となっていました。



小さな村々では、神聖な場所、氣の良い所に 神社が立てられ、 

村人たちの心のよりどころとなってきました。

何かあれば、みんなで神社に集まり、お祭りしたり、盆踊りをしたり、 

神社(産土様)を中心に、村人の心は繋がっていました。

その村のコミュニティの結束のために神社は心のよりどころとなっていました。 

また宇宙を起源とする「神々」と称される知的生命体も古の時代から、地球を訪れ、 

石や岩、または山全体などをヨリシロとして、その神輝を放っていたと思われます。  

つまり、地上の星となって輝いていました。 

  

これは夢物語ではなく、かつて、アポロ14号の宇宙飛行士エドガー・ミッチェル氏が

宇宙から地球を眺めたときに

「1か所ものすごく光って見える場所があった」と言って

その緯度・経度を計測してみたそうです。

その場所は御岩神社(茨木県日立市)だったそうです。

御岩神社
  

神様のパワーは、人々の敬虔な祈り、神様と関わりあおうとする人間の氣によって、 

維持され、増幅されていきます。

神様だけのパワーで神社の光が維持されているわけではありません。

必ず人間側からの関わりが必要です。 

ですから、人間側から、神様へ 

・意識を向けること

・真心を尽くすこと

・感謝の気持ちを表すこと

それは、とっても大切なことです。

ですが神々も、

人間に忘れ去られた時、誰も見向きもしなくなった時、

かつて光を放っていた神社であっても光を失い、

そこに居らっしゃった神様の氣も枯れて消滅してしまいます。

数年前、弥彦神社のご妻神、熟穂屋姫命から、そのお話を伺ったことがあります。 

神々からのアプローチは、どなたにも等しく、平等に降り注いでいます。

それは、ご自分で見ようとしなければ見えないし、聞こうとしなければ聞こえません。

神さまと、触れ合おうとしなければ、決して感じることができない繊細なものです。

神社や仏閣に行った時

・風

・水の流れ、せせらぎ

・雲

・お日様

・人々の笑い声

・虫

・動物

・花、植物、木々のざわめき

・虹 

に神経を集中させてみてください。 

 

神さまは、お優しい方ですから、何らかの気付きを与えてくださると思います。 

・それを無視するか、

・偶然であると片づけるか

・バカバカしいと思うのか? 

ご自分の自由です。

ですが、神さまの働きは、自分で、触れ合おう、感じようとしなければ、

決して感じることができないものです。 

 

妻戸神社で聞きなれない言葉を聞いたことがあります。

「人々の信仰、記憶が続く限り、神々は存在する」

※これはエネルギー的な存在の事を言っています。

人々の記憶が無くなり、信仰するものが誰もいなくなったらどうなるのか?

「その時 消滅する」

エネルギー不変の法則と言うものがあります。

それとどのように整合性が取れるのかは解りません。

ただ、最近の研究ではエネルギーは無から生じ、そして無に帰ると言われています、

その無に帰ると言う事かも知れません。 

その真の意味は元々の大神様のいらっしゃる世界に戻ることかもしれません。

 

また、出口王仁三郎の霊界物語では、この逆パターンが描かれています。

つまり、八岐大蛇や金毛九尾の狐などと言った悪役の魂は、 

元々は、人々の、不平不満悪口、恐怖、怒り、

などその様なエネルギーが段々と凝り固まって発生し、力を得て来たと。。

その反対に、人々の熱い信仰と真心、神様に通じる思いが、

こう言った神々に大きなエネルギーを与えて行ったのかもしれません。

そして、そのエネルギーの源泉が無くなった時のことを

「消滅」と言う言葉であらわしたのかもしれません。

その時「消滅」という言葉がでたので、

ちょっとショックで、人間についてお聞きしました。

私達、人間の場合はどうなるのでしょうか?

それは消滅ではなく、集合意識、

もともと私達がいくつも枝分かれしてきた魂の元に合流し、その個性を失う事のようです。

決して消滅するわけでは無いようです。

それが、良いことか、悪いことかは判断できません。

魂の大本、トータルセルフと一体になることは、

そう悪いことでは無いと思います。

元々私達の魂は巨大で、幾度も、分離、そして吸収、知恵や経験の攪拌をl繰り返し、

より優れたものへと進化しているからです。 

この個性は、全てそこから派生したものだからです。。

 

元々の地球や、宇宙を作った大神

そして私達生命を持つもの

そして、人々の思い(生命を持つもの)から発生、進化していった生命体

それぞれが、この宇宙には存在しています。

私たち生きている人間は自分の力などちっぽけな物

そう考えて、

・神々に頼ろうとするかもしれません。

・霊的に力があると吹聴する人に頼ろうとするかもしれません。 

ですが、私たち一人一人の人間の精神の力は、

神々へもパワーを供給するほどの力があります。 

私たちの純朴な

・優しさ

・思いやり

・助けい合いの心

・お互い様の心 

そういう美しい真心こそが、神々のエネルギーの源泉となり

何時までも地上の星として輝き続け、私たちの幸せに手を貸してくださることでしょう。 

その思いやりの循環こそが、私たちが地上に来た目的であり、

地上の星となってくださった神々の願いでもあります。

  

2024年7月17日水曜日

3491「「現人類の絶滅が望ましい」という学説」2024.7.17

 今回はIn Deepさんの2024年7月7日の記事を紹介します。


「新しい人類の登場には「現人類の絶滅が望ましい」という学説にふれて」

In Deepさんのサイトより

https://indeep.jp/the-extinction-of-modern-humans-is-desirable/


世代を越えていくmRNAの影響

私が曖昧に「人類は確実に滅亡に向かっているのだなあ」と悟ったのは、昨年の今頃のことだったでしょうか。

以下のようなタイトルの記事を書いたこともありました。

(記事)mRNA戦争は続く。その行く末は「緩慢な人類絶滅」 

In Deep 2023年8月27日

あるいは、日本人に特化して考えれば、「日本人のほとんどが遺伝子的にプリオン病から守られない」という世界で唯一の体質(?)を持つということを知ったこともありました。

(記事)プリオンから守られない日本人としての最期の日々を生きながら、以前の厚生労働省の資料を思い出す:「何が起こるかわからないという懸念が実はある」

In Deep 2024年2月1日

なお、プリオン云々とは関係のないことですが、この記事では、今から 18年前の 2006年の厚生労働省の専門家機関による文書を抜粋していますが、以下のようにありました。

厚生労働省 日米EU医薬品規制調和国際会議の文書より

…導入遺伝子の染色体への組み込みは、一般に組み込み能があるとは考えられていないベクターでも低頻度とはいえ起こりうることである。

…染色体への組み込みが起こると、正常な遺伝子構造を修飾したり遺伝子発現を妨害、誘発する遺伝子の再配列や挿入変異が起こる可能性がある。

ICHに参加している規制当局は、現在の科学的、倫理的及び法的な議論に基づき、生殖細胞への直接の遺伝子組み込みを目的とする遺伝子治療の臨床試験は実施すべきではないということで合意している。

mhlw.go.jp

この 18年前などの時点では、

「導入遺伝子の染色体への組み込みが起こり得るような遺伝子治療は、実施すべきではない」

とされていたようです

ここに「実施すべきではない」とされているのは、どんなタイプの治療かというと、直近では、mRNA コロナワクチンや、アストラゼネカ社ワクチンのタイプ(DNAを送達する)などのことを指します(あるいは今後のすべての mRNA タイプのワクチン)。

こういったような医療的介入は「行うべきではない」という見解が以前は公式にあったものが、それから十数年後の日本では、

「それが公式に認められたどころか、過去最大規模の遺伝子の染色体への組み込みが起こり得るような治療(予防)が行われた」

ことになります。

このあたりに絶滅への「道」といったものを感じるのです。

「行ってはいけない」という強い主張が過去にはあったものが、その中で、医学の世界あるいは製薬の世界では、どんどん遺伝子治療、遺伝子予防という方法が第一義的な方法となっていき、気がつけば、

「当初の倫理思考など当局からも医学界からも吹き飛んでしまった」

と。

これからも同じでしょう。日本に次々と mRNA テクノロジーの工場が設置されているのを見ましても、日本は特に突き進みそうです。

しかし、先ほどの厚生労働省の 18年前の文書にある「このような治療法、予防法の危険性」は今も同じであり、むしろ、現状のように mRNA 予防がかつてより一般的になっている現状は「単に過去よりリスクが増加している」だけです。

 

日本人の遺伝子はほんのわずかな外来遺伝子のためにこの数千年で半分が置き換えられた

最初のほうにリンクしました「緩慢な人類絶滅」と入っている記事では、科学者の荒川 央さんの note 記事についてふれています。

これは、「お酒を飲める遺伝子と飲めない遺伝子」ということについての記事で、平たくいえば、かつては全員がお酒を飲める体質だった日本人が、外部(朝鮮半島)からの遺伝子の流入により数千年後には日本人の大部分の遺伝子が変化してしまった、というようなことです。

場合によっては、「たった一人の外部の遺伝子の流入」だけで、約半分の日本人の遺伝子は「未来永劫に変化してしまった」のです。

荒川さんはこれを例えとして書いているわけで、記事の最後は以下のように締められています。こちらで改行をしています。

荒川 央「縄文人と弥生人: 民族の遺伝子が変わるという事の意味」より

「全ては変化し続ける。」それがこの世界の理です。人間も生物も自然環境も社会も例外ではありません。人間の遺伝的多様性も長い時間を経て遺伝子が変化し続けた結果なのです。

動物、植物、細菌、ウイルスを超えた種の多様性も遺伝子の変化によるものです。変化する環境の中では自身も変化しない事には生き残れないからです。

低い率の遺伝子変異自体は生命の世界において自然なものです。しかし、人為的な過度の変異は進化の平衡にも干渉し得るでしょう。

DNAが混入したワクチンが本当の意味で人体にどんな影響をもたらすのか。

日本でのコロナワクチンの集団接種が始まり2年あまりです。数年を経て現れてくるような長期間の副作用は現時点では検証しようもありませんし、さらに言えば人間の寿命を超えて見えてくる集団への影響も未知なのです。

DNAが混入したmRNAワクチンの大量接種は決して行われてはいけない人体実験でした。これは事実として、日本、ひいては人類の存亡に関わる話ですらあるのです。

あるいは、人類が生き残っていたとしても、mRNAワクチンは遠い未来の子孫にまでも深刻な禍根を残す歴史上のスキャンダルとなるのではないでしょうか。

荒川さんは「人類が生き残っていたとしても…」という強い表現をなさっています。

そして、これは民族単位でいえば、接種の試行が多い民族であればあるほど、将来的に(民族が)生き残る可能性は低くなっていくと思われますが、荒川さんが書かれているような「人間の寿命を超えて見えてくる集団への影響」つまり、

「次の世代」

にどのような影響が出るのかはまったく予測できません。

 

DNAは永久に残る

脂質ナノ粒子の専門家であるクリスティー・ローラ・グレースさんが、過去の研究論文を紹介していて、

「マウスに注射されたプラスミド DNA は一生、体内で持続する」

とする文書を投稿していました。

こちらで一部翻訳しています。

ヒトとマウスでは異なる部分もあるとはいえ、同じようなことが接種された人間でも起きないとも限らないようには思います。

一生体内に残る。

あと、これは 20年ほど前の論文ですが、「骨髄は外部から投与されたプラスミド DNA を取り込む」というものを見たことがあります。以下で概要を翻訳しています。

(記事)「骨髄は外部から投与されたプラスミドDNAを取り込む」という論文

BDW 2024年7月4日

それがどうした、という話ではあるかもしれないのですが、私は、骨髄移植を受けた人の DNA が「すべて」提供者の DNA に置き換わるという事実を知って以来、「骨髄と遺伝子」ということについては興味を持っています。

以下の記事をご参照くださればと思います。

(記事)「本人」とは? : 骨髄移植の後、移植を受けた人の血液のDNAがドナーのDNAに完全に置換されることが判明。特に「精子」は100パーセントがドナーの遺伝子となっていた

In Deep 2019年12月24日

調査された方は男性で、そして、骨髄移植手術から「 4年後」に、「すべての精子の DNA が提供者の DNA に変わっていた」ことがわかったのでした。

つまり、仮に、それから彼から子どもが生まれたとしても、生まれてくる子どもは、

「本人の子どもではない」

のです。知らない人の DNA を持つ子どもが生まれてきます。

こういうことを知って以来、「本人とは?」とか「遺伝子とは?」などのことをよく考えます。

もちろん、これらのことと、mRNA ワクチンの混入 DNA のことを並べて話そうとしているわけではなく、「ひとつひとつがひっかかる」という話でしかないです。

いずれにしても、仮に、何か新しい強化された遺伝子を持つ次世代が生まれてくるようなことになれば、

「現世人類の絶滅と新しい人類の誕生が同時に起こる」

ということなのかもしれません。

  

ポストヒューマン

ここまでタイトルと関係ない話が続きましたが、ここからがタイトルと関係する部分です。

最近「遺伝子改変」と「人類絶滅」という両方のキーワードで、論文を検索していましたら、興味深いものが見つかったのですね。

以下のようなタイトルの 2022年の論文です。

遺伝子強化、人類絶滅、そしてポストヒューマニティの最大の利益

Genetic enhancement, human extinction, and the best interests of posthumanity 

どういうことを言いたいのだかわからない部分もあるのですが、論文の概要に、 

「人類の絶滅はポストヒューマンの最善の利益の 1つとして考えられる可能性があると提案する」

などとあるものです。

ポストヒューマンというのは、仮説上の「進化した未来の人類」で、Wikipedia に以下のようにあるものです。

> 「その基本能力は現在の人類に比べて非常に優れていて、現代の感覚ではもはや人間とは呼べない」ものとされる。

 

こういうような、ポストヒューマン、というなものも含めた響きは、どこか陰謀論的な話や、あるいは、先日、代表者がセクハラで告発された世界経済フォーラムなども思い浮かぶ場合もあるかもしれないですが、私が今回ここまで書いてきたことが「人類絶滅とポストヒューマンの登場」につながるのならば、

「陰謀も首謀もなく、それぞれ個別の人類自らがその道を開いた」

ことになります。

日本でいえば、1億人が「未来永劫に続く遺伝子の改変に同意した」ことになります。

ここが絶望的なところなのかもしれません。

もはや陰謀も何もなくとも、遺伝子医療テクノロジーが存在する限り、人類は自ら滅亡に進む。

それにしても、セクハラで告発されたクラウス・シュワブ氏と世界経済フォーラムについては、日本語の報道だけでもウォール・ストリート・ジャーナルやダイヤモンドや Yahoo! ニュースなどにより一斉に報じられていまして、ハラスメント自体はずっと以前からあったはずなのに、今となってこのような問題が噴出しているというあたり、いろいろと弱くなっているのかなとも感じないでもないです。

締めとして、先ほどの論文の「セクション1」から抜粋してご紹介します。興味深いことには興味深いです。

太字はこちらで施しています。

論文「遺伝子強化、人類絶滅、そしてポストヒューマニティの最大の利益」より

Genetic enhancement, human extinction, and the best interests of posthumanity

wiley.com 2022/09/22

人類絶滅研究は、ここ数十年で急増している。これは、人類がさまざまな存在的リスクに脅かされているためであり、その多くは私たち自身の行動によって生じている。

人為的絶滅シナリオには、気候変動、生態系の崩壊、地球規模の核戦争、パンデミック(意図しないものや意図的な生物工学によるものを含む)、超人工知能または自己複製ナノボットなどがある。

また、小惑星の衝突、大規模な超火山の噴火、宇宙の脅威(ガンマ線バースト、太陽フレア、真空崩壊など)、そして、もしあるとすれば地球外からの侵略など、非人為的シナリオもある。

これらの存在的リスクは、ホモ・サピエンスがいつ絶滅するのか、そして系統学的に関連する子孫を残すかどうかという未解決の問題を提起している。

本稿では、生命倫理の議論にとって特に興味深い、もう一つの人類絶滅シナリオについて取り上げる。

人間の強化は、人類絶滅を促進する可能性がある。逆説的に、バイオテクノロジーを通じて人間の能力を向上させようとする動きは、異なる種への移行を加速させ、したがって不可解な実存的リスクを引き起こす可能性がある。

特に、遺伝子強化技術が、ホモ・サピエンスの後継種につながる可能性のある累積的な変化を生み出す可能性があることを示す。このシナリオには、上記の実存的リスクとは異なる特殊性がある。

最も重要なのは、(遺伝子)強化技術を通じて人類絶滅が積極的に追求され、実現される可能性があるという事実だ。

トランスヒューマニストと強化推進派の著者の議論を参考にして、「ポストヒューマニティの最善の利益の原則(PBIP)」を提示する。これは、人間の強化は、大幅に価値の高いポストヒューマンの存在への進化に向けられなければならないというものだ。

この原則は、人類絶滅の望ましさと組み合わせることができると私は主張する。しかし、PBIP はいくつかの関連する懸念も引き起こしており、すべてを考慮すると、その倫理的魅力を損なう可能性があることも示す。



2024年7月16日火曜日

3490「心を受け取る」2024.7.16

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年07月08日の記事を紹介します。


「心を受け取る」


見えない世界に精通し、不思議な力を持っている。 

そのように吹聴するどこかの誰かの力に頼ることよりも

自分自身の心の浄化、純化が、どれほど大切なことか。 

そちらの方が遥かに永続的で、真の力を発揮することか。

自らの心を清める事、感謝の心で過ごすことが、どれだけ宇宙神を喜ばせ、

大きな助けを引き出すことができるのか。 

様々な情報をどのような角度から見ても、 

結論はそうなります。 

力あると吹聴する他人に依存するのではなく、自らの心を洗うこと・・・ 

では、今日も王道であり、その最強の方法である、心の浄化についてのお話です。

  

造化三神、宇宙神 

神々による建て替え、人々による建て直し、今行われている進化の方向性は、

一人一人の精神性が大切にされる世界への移行 

それは、

・誰か悟った人によって起こされるのではなく

・霊的な力がある人によって起こされるのではなく

・有名な前世を持つ人によって起こされるのではなく 

私達一人一人の心の変化によってなされます。

私達の心が、今までまとっていた

・罪(包身)

・穢れ(氣枯れ)

を祓い落し、本来の輝きを取り戻し、他人や物に依存することなく、

自分の力で、しっかりと大地に根を張り、身近な周りの人たちと、 

認め合い、笑い合い、助けい合い、生きていくことで、実現される社会です。 

大本の神様からいただいた心・魂にはその力が宿っています。

今日のお話は「心を受け取る」ということで、ある方の思い出話をご紹介します。

貧乏で田舎者の父と、息子の大学卒業にあたってのお話です。 

お父様は田舎者で、また裕福ではありませんでしたが、

まじめで、実直で、子供を心から愛しておられた方でした。

<引用開始> 引用元

 

三月は卒業式のシーズンである。

卒業式といえば、私には忘れられない父との思い出がある。

私の大学の卒業式に出席するため、

それまで天草をほとんど離なれたことのなかった田舎者の父が、

一人で博多までやってきたのである。

私は驚いた。 

父は下宿の私の部屋に泊まった。

卒業式の朝、父は大学の門の前で立ち止まり、

じっと門を見つめたまま、しばらく動こうとはしなかった。

学部ごとの謝恩会の席で、父と私は一箱の折り詰め弁当を分け合って食べた。

そして、一合ビンの日本酒を、交互につぎ合って飲んだ。

父は実に嬉しそうであった。

私はその時の父の嬉しそうな顔を、今でも忘れることができない。

卒業式のあとで、私達は親友二人と共に、大濠公園に行った。

親友達とも、その日でお別れであった。

私は公園のベンチに座って、その親友達との別れを惜しんだのであった。

父は少し離れてなぜか寂しそうに、私達を眺めていた。

翌日、父は黙って天草に帰って行った。

しかし、その時の父のなぜか寂しそうな姿が、長い間ずっと、私の心の中から離れなかった。

その父が四年前に亡くなった。

亡くなる一年ほど前に、入院して寝たきりになった父が、

ベッドの中で、私の手をしっかりと握って言ったのである。

「お前の卒業式の日あの公園での悔しさは、今でも忘れん。

金がなくて皆にジュースを買って、飲ませることもできんかった。

本当にすまんかったな。

おれは悔しくて、帰りの汽車の中で、涙が止まらんかった」

父は三十数年もの間、その時のことを、悔やみ続けていたのである。 

私はその時、八十八歳の父の心の風景をはっきりと見た。

そして、卒業式の日の大濠公園での、あの父の寂しそうな姿を、三十六年たって、初めて理解できたのであった。

私は仏壇にかざった父の写真を、しみじみと見ながら

「気にするなよ、おやじ」とあらためて呼びかけている。

<引用終了>

 

お父さんは、息子さんが大学に入学し、とても嬉しかったのでしょうね。 

自慢の息子さんですね。

そして「卒業式」

お父さんは、どんなに晴れやかな気持ち、誇らしい気持ちで上京なさったことでしょう。 

貧しい農村の暮らしでは、大学に行かせるのに、どれだけ苦労したことか、想像に難くありません。 

そのお父様が、36年間、ずっと引きづっていた気持ち、

晴れやかな門出の日に、息子が友人たちと別れを惜しんでいるとき、 

親として1本のジュースも買ってあげられなかった。。 

・その悔しい気持ち、

・情けない気持ち

・息子や、友人たちに、すまない気持ち 

胸が締め付けられます。

ですが、ここで、もし状況が異なり、家庭が裕福で、

何の苦労も無く、息子さんを大学に通わせることができ、

友人たちの別れの際には、惜しげもなく、高価な飲み物を渡したとしたらどうでしょうか?

きっと、このような、胸を打つ経験はできなかったことでしょう。

このように強い愛情を感じることもなかったでしょう。

息子さんは、深い深い父の愛に、気づくことも感謝する気持ちも起きなかったことでしょう。

魂に刻み付けられる心と心の交流、地上でしか味わえない、

魂の震えを感じることもできなかったことでしょう。 

このように、私たち人間は、周りの方々と、日々織りなす経験を通じ、、

時には喜び、時には涙を流しながら、深い深い経験を積んでいます。 

もし、何の苦しみも、悲しみも無ければ、地上を離れる時に、薄っぺらな、心の片隅にも残らない、つまらない人生でしかなくなることでしょう。

きっと、楽な人生ではあったけれど、深く後悔することでしょう。 

私たちは、神様に似せて創られました。 

この地上で、

・物ではなく、

・幸福だけを選り好みするのではなく、 

相手を思いやる美しい温かな心を、受け取るために、 

その温かなものを、周りの人々と、循環させるためにここ地球に生まれてきました。