今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年08月26日の記事を紹介します。
「お蔭様のお守り」
子ども達は、親や教師の「いう通り」にはならないが、
「する通り」になる・・・とよく言われます。
私たちの日々の何気ない一言や、行動を子どもたちは本当によく見ていて、
そして、ものすごい早さで吸収していきます。
親だからといって、100%完璧な人間になることは不可能ですが、
少しでも「お手本」になるために、そして
子供たちの人生が、幸せになるように
・おかげ様
・お互い様
などの優しい気持ちで、過ごしていきたいものですね。
それでは、今日は有名な「心に響く小さな5つの物語」のうち
公開されているものについてご紹介します。実話です。
<引用開始> 引用元
若いOLの話である。
彼女の生家は代々の農家。
もの心つく前に母親を亡くした。
だが寂しくはなかった。
父親に可愛がられて育てられたからである。
父は働き者であった。
三ヘクタールの水田と二ヘクタールの畑を耕して立ち働いた。
村のためにも尽くした。
行事や共同作業には骨身を惜しまず、ことがあるとまとめ役に走り回った。
そんな父を彼女は尊敬していた。
親子二人の暮らしは温かさに満ちていた。
彼女が高校三年の十二月だった。
その朝、彼女はいつものように登校し、
それを見送った父はトラクターを運転して野良に出て行った。
そこで悲劇は起こった。
居眠り運転のトレーラーと衝突したのです。
彼女は父が収容された病院に駆け付けた。
苦しい息の下から父は切れ切れに言った。
「これからはお前ひとりになる。すまんなぁ…」
そして、こう続けた。
「いいか、これからは
『おかげさま、おかげさま』 と心で唱えて生きていけ。
そうすると、必ずみんなが助けてくれる。
『おかげさま』をお守りにして生きていけ」
それが父の最後だった。
父からもらった”おかげさま”のお守りは、彼女を裏切らなかった。
親切にしてくれる村人に、
彼女はいつも、「おかげさま」 と心の中で手を合わせた。
彼女のそんな姿に、村人はどこまでも優しかった。
その優しさが彼女を助け、支えた。
父の最後の言葉が、A子さんの心に光りを灯し、
その光が、村人の心の光となり、
さらに照り返して、彼女の生きる力になったのだ。
<引用終了>
人を動かすのは、人の想いです。
私たちが、例え口に出さずとも、心の中で
・ありがとうございます。
・おかげ様
・お互い様
と、
・優しい気持ち
・謙虚な気持ち
・相手を受け入れる気持ち
でいれば、必ず同じものが、相手から返されます。
私たち親が、そのような気持ちで日々生活していれば
きっと子供たちも、その背中を見て育つことでしょう。
「おかげ様」は、
私たちが実は、一人では生きられないこと、
たくさんの〈おかげ〉を受けて生きていることを忘れない心の表れです。
見えないものへの感謝です。
私たち、みんなが、この「お陰さまの気持ち」を持って
謙虚に生きられたら、
他人を思いやる優しい気持ちで生きられたら
この世の中からギスギスした雰囲気が消え
春の日差しのように、
心地よい、温かな光に包まれることでしょう。
そこに住む、みんなの顔が、笑顔で溢れ、
笑い合って暮らしていけることでしょう。