今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月17日の記事を紹介します。
「歪んだ正義」
ミロクの世が近い、夜明けまでの一番暗い時のせいか、心にイライラを募らせ、
ほんの一時、子供を公園で息抜きさせていただけで 、怒鳴り散らす大人たち。
またこんなこともよく目にします。
StayHomeの普及で、休みもなく働く宅急便のお兄さん。
配達先の家の前にちょっと、車を止めただけで、
「駐車違反ではないか」と、延々と嫌味を言い放ち、
おまけに説教の最中、タバコを取り出しプカプカしだす始末。
過去のパンデミックの最中、もしくは直後にも、人心が乱れ
普段の良い人が、醜い正義感を振り回す姿が見られたそうです。
今日は脳科学者、中野信子さんのお話をご紹介します。
<引用開始> 引用元
・清純な優等生キャラで売れていた女性タレントが不倫をしていた
・飲食店のアルバイト店員が悪ふざけの動画をSNSに投稿した
・大手企業がCMで差別的な表現をした
もちろん、不倫は法律上してはいけないことですし、
店の営業妨害になるような動画の投稿は刑事罰につながることもあります。
また、CMなどで特定の人たちを差別するような表現を用いることも問題でしょう。
しかし、自分や自分の身近な人が直接不利益を受けたわけではなく、
知りもしない相手に非常に攻撃的な言葉を浴びせ、
完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめさずにはいられなくなってしまうというのは、
「許せない」が暴走してしまっている状態です。
我々は誰しも、このような状態にいとも簡単に陥ってしまう性質を持っています。
人の脳は、裏切り者や、社会のルールから外れた人といった、
わかりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えるようにできています。
他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、
快楽物質であるドーパミンが放出されます。
この快楽にはまってしまうと簡単には抜け出せなくなってしまい、
罰する対象を常に探し求め、決して人を許せないようになるのです。
こうした状態を、私は正義に溺れてしまった中毒状態、いわば「正義中毒」と呼ぼうと思います。
この認知構造は、依存症とほとんど同じだからです。
有名人の不倫スキャンダルが報じられるたびに、
「そんなことをするなんて許せない」と叩きまくり、
不適切な動画が投稿されると、対象者が一般人であっても、
本人やその家族の個人情報までインターネット上にさらしてしまう、
企業の広告が気に入らないと、その商品とは関係のないところまで粗探(あらさが)しをして、あげつらう…
・間違ったことが許せない
・間違っている人を、徹底的に罰しなければならない
・私は正しく、相手が間違っているのだから、どんなひどい言葉をぶつけても構わない
このような思考パターンがひとたび生じると止められなくなる状態は、怖ろしいです。
本来備わっているはずの冷静さ、自制心、思いやり、共感性などは消し飛んでしまい、
普段のその人からは考えられないような、攻撃的な人格に変化してしまうからです。
特に対象者が、例えば不倫スキャンダルのような「わかりやすい失態」をさらしている場合、
そして、いくら攻撃しても自分の立場が脅かされる心配がない状況などが重なれば、
正義を振りかざす格好の機会となります。
<引用終了>
いじめと同じですね。
そこには、愛が、無いのではないでしょうか?
私たちを作られた神様は、子供たちの誰かが、罪を犯した時や、他人の心身を蹂躙した時、
その人間を憎み、糾弾し、一瞬で地獄に落とすでしょうか?
更正の機会を与えないでしょうか?
二度と許してはくれないでしょうか?
その人を糾弾し、憎しみをぶつけた私たちは 、たとえ立場が変わろうと、
自分だけは決して、そのような行為を行わない、
いつも、変わらず正義の人なのでしょうか?
たとえ正義の名の下であろうと、人を憎む者は、自分自身を憎む者です。
人を憎む者の心には、憎しみが宿ります。
その憎しみの種は、だんだんと
自分自身の心身や、取り巻く環境に浸透して行きます。
その結果、自分の周りの環境は、だんだんと憎しみ色に染まり
良くない出来事が続くことでしょう。
小林正観さんがおっしゃるには、
憎しみの心が身体に出た場合、関節の疾患として強く表れるようです。
正義感とは、不正を憎み、正義を尊ぶ気持ちのこと。
でも、そこには憎しみの心が潜み、そこには、愛や温かさの芽はありません。
正義感の強い人は、周りの人といつか衝突することになります。
自分自身の心身も蝕みます。
その言い分がどんなに正しいことであっても、人には人の、それぞれ事情があり、
できることと、できないことがあるからです。
どんなに正しいことであっても、押しつけられたら誰でも嫌になります。
正義感など振りかざさず、自分の主張を「俺が俺が」と言い張らず、
自分の生き方が温かく、明るくキラキラと輝いていて、
そこに優しさや、愛を感じる事が出来れば、
その後ろ姿に感動し、人は共感して下さいます。
北風と太陽のお話のように。