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2025年2月28日金曜日

3717「生きる道」2025.2.28

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月12日の記事を紹介します。


生きる道」


今日は「努力しない生き方」というお話です。

この生き方は、現在の大きな時代の節目のただなかに生きる私たちにとって

生きる道の方向を指し示してくれています。

私たちは子供のころから「努力しなければならない」そう教わってきました。 

しかし、例えば、子供が不登校になったり、病気したりすると、

途端に不安に陥り、右往左往してしまいます。

それはまるで

・競う

・争う

・比べる

の修羅の世界ですね。

それに対して、

・競わない、

・比べない、

・争わない 

生き方と言うのもあります。

今日は小林正観さんのお嬢様、慶子ちゃんのお話をご紹介します。

慶子ちゃんは知的障害で生まれてきました。

<引用開始> 引用元

ニッコリ笑っていてくれるだけで、まわりを温かくし、光を発している知的障害の長女。

ここに人間の価値がある。

結婚して三年目にやっとできた長女は知的障害児で、努力やがんばることができません。

二十七になりますが、知能でいうと七歳くらいです。

日常生活にはなんの問題もありませんが、自分の名前を漢字で書いたり、

足し算、引き算をしたりなどはできません。

しかし、この子は、自分より立場の弱い人、怪我をしている人を見れば、

駆け寄って『大丈夫?』と手を貸すような子どもで、教えられることがたくさんありました。

小学校四年生までは、運動会の徒競走が五十メートル、五年生と六年生は百メートルでした。

長女は小学校五年生まで、徒競走はずっとビリでした。

染色体の異状により、脳細胞や体の筋肉が普通の人の三分の一くらいしか発達しないため、

ものを持ったり、走ったり、歩いたりなど、なにかをする能力は、三分の一くらいしかありません。

そのため、走るというより速歩きという感じです。

小学校六年生のとき、運動会に行く前、なぜか妻がとても楽しそうでした。

『今日はいつもより楽しそうだね』と言うと、

妻は『初めて徒競走でビリじゃない姿が見られるかもしれない』という返事。

どういうことなのかと尋ねたところ、次のような話しでした。

同級生の女の子が、運動会の一週間前に捻挫をして、

包帯ぐるぐる巻いている状態だったそうです。

誰もが徒競走に出ないだろうと思っていたところ、 

『どうしても走りたい』と言い、困った先生は、最終組で長女と走らせることに。

健常児六人+捻挫した子と長女の合計八人で走ることになりました。

捻挫して、包帯を巻いている子と走ることになり、

『長女が生まれて初めてビリではない姿を見られるかもしれない』と言い、

ニコニコ笑いながら朝、二人で手をつないで出かけて行きました。

夕方、ニコニコして帰ってきたので、『どうだった?』と尋ねると、満面の笑みで、

『それがまたビリだったのよね』という答え。

すいぶん楽しそうな顔だったので、

経緯を教えてもらいました。

健常児六人が五十メートルくらいのところを走っているとき、 

長女は十五メートルくらいの場所を走っていた。

捻挫をした子は十メートルくらいの地点を走っていたそうです。

長女は、後ろを振り返り、気にしながら前を走っていたところ、

捻挫をした子が『キャッ』と言って転んでしまいました。

それを見た長女は『大丈夫?』と言って逆走し、その子を助け上げ、肩を支えながら、

一緒にトコトコと走ります。

ゴールする、前に捻挫をした子の肩をポンと押し、その子が先にゴールしたと、妻は言いました。

九十メートルくらいのところで、係のお子さんがゴールテープを取り直して張ったそうです。

父兄が二千五百人くらい来ていたそうですが、みんな立ち上がり、九十メートルあたりからは拍手をして応援してくて、感動的な光景だったと。

長女は捻挫した子を助けながら走ったにもかかわらず、最後のところで、自分は先に行かず、

彼女を先にゴールさせたということです。

妻が『それでまたビリだったのよねぇ。

そういう子どもだもんねぇ』と笑顔で言うのを、 私は苦笑いして聴いていました。

しかし、その苦笑いしていた顔が、だんだん真顔に。

私は、父親から『努力しないやつはバカだ、クズだ』と何十万回と言われ続けて育ちました。

『どうもそうじゃないみたいだ』と思いながら生きてきたものの、長女の生き方が

父親から教わったこととはまったく違い、衝撃を受けました。

私にとって人生観を根底から覆すような出来事だった。

そのため、一週間考えました。

一週間考えて出た結論は『長女の生き方が正しい』というものでした。

----------------------

ただ、私の魂がどちらの生き方を喜んでいるかと考えたときに、 

長女の生き方が本質だと思い、喜んでいる自分がいることに気がつきました。

----------------------

私たちは、小・中・高・大学・大学院、会社、社会、家庭というすべてのところで、 

・努力しないやつはバカだ、クズだ

・競いあい、比べあい、人より抜きん出ることが立派な人間である

・負けてはいけない

・成功しなければならない 

と教えこまれてきました。

しかし、『人間の価値は、それらとは違うところにある』この新しい価値観を

長女が教えてくれたのです。

長女は、いつもニコニコしていて、私が家に帰ると、眠い目をこすりながら

『お帰り』と言って玄関先で迎えてくれます。

いつもニコニコしていて、楽しそうに、幸せそいうに暮らしています。

『努力しないやつはバカだ、クズだ』という価値観とはまったく違い、

----------------------

ただそこにいるだけで、

まわりの人に幸せを感じさせてくれる存在です。

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この子が笑顔でニコニコしているだけで、まわりをとても温かくし、和やかな空気にします。

小学校を卒業するとき、校長先生が次のようなコメントを書いてくれました。

『慶子さんの、笑顔とありがとうという言葉は、学校の中で最高のものでした。 

これほど笑顔とありがとうの言葉が似合う子どもはいなかった』と。

私は父親から

・がんばらないヤツはバカだ、クズだ

と何十万回と言われて育ってきました。 

長女が生まれてこなければ、ずっとその価値観で過ごしていたでしょう。

しかし、わが家に知的障害児の子どもが生まれてくれたおかげで、人間の価値は、 

努力すること、がんばることではない、と教えられました。

長女は、ニッコリ笑っていてくれているだけで、まわりをとて温かくし、光を発しています。

ここに人間の価値があると、教えに来てくれたのです。

<引用終了>

2つの道のお話でした。

良い悪い、正しい、間違いと言うことは無いと思うのです。

人それぞれの人生ですから、ある方は、必死に努力し勝ち抜いて、人より地位や名誉、

お金を得る道が好きかもしれません。

ですが、いつも心が追い詰められ、

・もっともっと努力しなければ

・努力をやめたらおしまいだ

・一回失敗したら「負け犬だ」

などと思ってしまったら、きっと神さまから頂いた、純粋な魂が濁ってしまいますね。

人と競わずとも、いつも精神的に追い詰められて「もっと上へ」と、馬車馬のごとく、

精神的にゆとりのない生き方でなくとも、神さまは私たち全ての人に

生きる道を準備してくださっています。

それは私たちが生まれる前に、神さまと一緒に決めてきた道です。

私たちは小鳥たちのように、運命の流れに身を任せ、全てに「ありがとう」と 

感謝して生きていれば、上手に生きられるようになっています。

・お金持ちだから、

・地位や名誉があるから、

・大きな外車に乗っているから、

・広い家に住んでいるから、

・偏差値の高い学校を出たから・・ 

幸せなのではないと思うのです。

私たちの本当の幸せは、

ブッダが説いた般若心経の教えのように、全ての自分に起こってくるコト。 

良いことも悪いことも、肯定して受け入れ、そして感謝することで、得られるのかもしれませんね。

自分に起こってくる全てのコトは、私たちが生まれる前に、神さまと一緒に、私たちの魂の成長のために、一番、必要なものとして、人生の必要な時期に起こるように。

自分で人生に組み込んで、この地球に生まれてきたのですから。


2025年2月27日木曜日

3716「優しさは真実(正義)に勝る」2025.2.27

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月11日の記事を紹介します。


「優しさは真実(正義)に勝る」


今日は、昨年掲載した記事ですが、必要な方がいらっしゃるようなので、 

少し加筆・修正して掲載いたします。

私たち人間は弱いものです。

・正しくありたい

・優しくしたい

・笑顔でいたい

・人の役に立ちたい

そう願っていても、何時も弱い心が頭をもたげます。 

また逆に、

・私は正しい

・私の言う通りに動いて・・ 

と、無意識のうちにマウンティングしてしまい、自分勝手な正義感を振り回し、 

・人を批判し

・糾弾し

・追い詰め 

または、感情を外には出さなくとも、心モヤモヤしたり。 

そして、

・自分勝手な価値観に沿って、家族を含め、他人を動かそうとします。

そして、人がそれに従わないと

・猛烈に批判を浴びせ

・憎み

・足を引っ張り

・仕返しをしようとします

または第三者に告げ口し、自分は正しい、相手は間違っているという

お墨付きを得て、モヤモヤを解消させようとしたりします。 

また、心弱い私たちは、何が正しいか、分ってはいても、なかなか一歩踏み出せないでいます。

生きている間は、ずっとその葛藤かもしれません。

でも諦めないでください。

みんながそうなんです。 

そこが出発点なんです。

ブッダがこう仰いました。

・嘘をつけないような人になっては いけない

・優しさは真実に勝る

ブッダの仰りたかったことは、

相手を思いやる優しさや、調和の為の嘘は、

真実(正義)よりも尊い・・ と言う事を仰ったのでした。 

また、こうも仰りました。

捨戒の法

ブッダが仰るには、

仏教徒が戒律を破るとき、 

いま仏教を捨てます、と天に向かって言います。

そして、酒を飲んだり、戒律を破る。

その後、また仏門に帰依します、と言って戻れば、それで良いのだよ。

ブッダは人間の弱さを知っていました。

そして温かい目で人間を見ていました。

過ちを見て、人を切り捨てるようなことはなさいませんでした。

人を追い詰めることはなさいませんでした。

ブッダは戒律重視ではなく、優しさ(慈悲)を教えていたからです。

次に良寛さんのエピソードをご紹介します。 

良寛さんの甥に、馬之助という放蕩息子がいました。

良寛の弟の由之は息子の放蕩に困り果てて、兄の良寛さんに説教を依頼します。

良寛さんは故郷の由之の家に出向き、馬之助の前に座らせられましたが、

酒を飲んでばかりで、いつまでたっても説教しませんでした。

とうとう三日目の朝「わしはもう帰る」と言って良寛さんは家を出ようとしました。

そのとき馬之助の母は馬之助に、良寛の草鞋の紐を結んであげるように言いつけました。

馬之助は言われるまま草鞋の紐を結び始めますが、それでも良寛さんは黙ったまま。

と、そのとき馬之助は、自分の首に何かが、落ちてくるのを感じました。

見上げると、そこには目に一杯涙をためた良寛さんの顔がありました。

それをきっかけに、たったこれだけの出来事をきっかけに 

馬之助の放蕩は、すっかりやんだということです。

良寛さんは、馬之助の心の

・苦しさや

・悲しさや

・それを放蕩で紛らわせざるをえない 苛立ち

をただじっと見ていました。

煩悩だと知りつつも、煩悩に引きずり回されるのが、私たち心弱い人間です。

人間の悲しさ、苦しみは、いつでもそこから生まれてきます。

悲しみを持った人に、自分勝手な価値観を押し付けたり、くどくどと説教したり、

良寛さんは、そのような事はしませんでした。

ただ馬之助とともに、じっと悲しみ続けるだけでした。

馬之助の父親の由之や母親は、息子の表面的な損得や、世間体から心配したかもしれません。

ですが、馬之助の心と、じっと一緒にいてあげたのは、良寛さんでした。 

人は弱いものです。

いくら正しい道を示されても、「こうであるべきだ」と正論を教えていただいても、

なかなかそう簡単に行きません。

でも本当はそうしたいのです。心では分かっていますから。

そして、それが自分には簡単にはできないとわかると、

結局あきらめてしまい、また元の苦難の日々に埋もれてしまいます。

正しい道を示されても何の役にも立ちません。 

ですが、良寛さんのように、心を理解し、心に寄り添い、

「今のままでも、良いんだよ」と、見守ってくださる人がそばに居れば、

私たちは徐々に、光の方向に進んでいけるかもしれません。 

心弱い私たちは、煩悩で、あちこち頭をぶつけながら、人に迷惑かけながら、お世話になりながら、だんだんと、あちこち角が取れて、おかげ様の心が芽生えてくるでしょう。 

そして、

・おかげ様

・お互い様

の感謝の心が芽生えた時、その辛く、苦しい経験をしたがゆえに、

同じような苦しみ、悲しみの中にある人の

心の内を理解して、良寛さんのように寄り添えるのかもしれませんね。 

今日は午後から久しぶりに晴れましたので

竹之高地不動社に雪かきしに行ってきました。


2025年2月26日水曜日

3715「青空ひろば」2025.2.26

 今回は立花大敬さんの「大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」から最新の記事を紹介します。


1415 2025.02.17

<運命の方向転換の方法(Uターン法)>

(1)坐禅(読経)して、波動レベルが高い「慣性」が小さい世界に移動する

(2)こうありたいという祈り(意宣り)を心に定着させる

(3)方向転換のハンドルが回る

(4)地上世界に下降し、車輪が着地すると、ハンドルを切った方向に「いのちの車」が自動的に進みはじめる


1414 2025.02.16 

<「心が重い」ほど、運命の軌道を変えにくくなる>

・「心が重い」とは、「つみ」が多いこと。

「つみ」=「積み,罪」 

・過去の辛い経験が心に「重くて冷たい固まりの積み荷」を作る(トラウマ、コンプレックスなど)

・過去(過去世)に他者に与えた危害が心に「重くて冷たい固まり」を作る

・未来に対する過度の期待が心に「重くて冷たい固まり」を作る

→親の子に対する過度な期待、託された遺産、過去の成功体験が重荷になったりする


1413 2025.02.13

<川手文治郎さんの日本的霊性発展史上の貢献>

(1)『神あっての氏子、氏子あっての神、あいよかけよで立ちゆく』

→「人」と「神」は、実は同じ道をゴール目指して歩む仲間、「同行二人」

(2)「神」とのお付き合いの仕方の革命

「氏子が神と仲善うする信心ぞ。神を怖れるようにすると信心にならぬ。神に近寄るようにせよ」

農業をしておられる信者さんに「この作をと思いついたら、それを3月に蒔く時、籾を供えて立派にできるように願い、5月に植える時には、よく生い立ちますようにといって願って植え、秋、穂が出たら、立派に実るように願えば、作徳(豊かな収穫)がいただけるからなあ」

(ポイント)何かにつけて、しっかり目標を意識化し、言語化して神様にお願いし、頼ってゆけばいい。

ある人が「信心はどうしたらできましょうか」と質問した。

「信心といっても別に難しいことはない。親にものを言うように、朝、起きたら<お礼>を申し、その日のことが都合よくいくように願い、よそへ行く時には、行って参りますと言って<お届け>申し上げよ。そして、帰って来れば、無事で帰りましたと<お礼>を言い、夜、寝る時はまた、その日の<お礼>を申して寝るようにすれば、それで信心となる」と説かれた。

ある人が「神様の拝み方が分かりません」と質問しました。

「神様を拝むのに、この道では別に決まりはない。形より心だ。実意丁寧正直、真(まこと)一心がかなめだ。

日々この天地に生かしてもらっている<お礼>を申して、その次に、お互いは凡夫の身であるから、知らず知らずのうちに、この天地にご無礼をしているのが道理だから、それをお断りし<おわび>申して、それがすんだら、身の上のことを何かと実意をもって<お願い>させてもらうがいい」と教えて下さった。


1412 2025.02.12 

<「神のお試し」というものがある>

川手文治郎さん(金光教祖)は、どんな逆境がやって来ても、ひたすら「おかげです。有難うございます」と感謝して受け取ってゆかれるうちに、信仰の対象の金神様の性格がドンドン変わってゆかれた。

・家業の農業の指導も、金神さまがして下さるようになった→収穫が増え、篤農家として知られるようになり、あらたに農地も購入した。

 ・本業(農業)で成功して、魂の進化をより一層進めるために宗教家として再出発された。


1411 2025.02.09 

<弟子によって師が変化する(良き師を生み出す)場合がある>

道元禅師「正法眼蔵」には、「師に従って学び行じていらっしゃる仏さまもいる。師の最高の資質、師の個人性を超えた神性をさえ引き出す弟子もいる」と説かれている。


1410 2025.02.08 

<負の意念が繰り返し与えられたモノやヒトには、その負の意念が定着して、いのちを持ち、負の意志を持って働き始める場合もある>

・闇の波動に影響されないレベルの波動を維持するには?

(1)心にはびこっている雑音を出来るだけ減らして、「空」の状態に近づけること。

(2)自分も人も世界も、共に魂の進化過程にあって、これからますます成長し、いい未来が開けてくるんだと、明るい未来を信じること。

(3)自分より、まず人や世界のしあわせを祈ること。


1409 2025.02.07

<人が神を生むということがある>

・川手文治郎さん(金光教祖)の事跡

→「祟り神、疫病神」の金神が、川手文治郎さんの信仰によって「情に厚い、面倒見のよい、頼りになる神」に変化してしまった。

・人が神を生むという日本独特の神観

古事記のイザナギ・イザナミ(人)の国生み神話

「人」が→「国土」を産み→「神」を産んだ

・「いのち」とは「意の霊」  

「意」が集まるところ、注がれるモノや場所に「いのち」が発生する。

(例)「トイレの神様」,「イチロー選手」の用具の手入れ


1408 2025.02.06

<「しあわせ山」の頂上にいつも坐っているコツ>

(1)自分の力が足りないことを自覚する「謙虚さ」を持つこと。

「シモタ・シモタの76年」  

「ビクビク弱虫」であることを認める勇気

(2)自分には力が足りないからこそ、自分に代わって神様がやって下さるんだと信じましょう。

「非力(ひりき)は日力(ひりき)」:自分には出来ないんだから、神様にやっていただくしかない


1407 2025.02.05 

<極楽浄土とは?>

・極楽浄土はなぜ西にあるのか?  西は「完成」を意味する。

人類の進化が進み、私たちが未来に住むことになる世界を先取りして体験するのが極楽往生→「正定聚(しょうじょうじゅ)に住する」

・極楽浄土の様子

○ この世界に住む者の体は常に金色に輝いている。

○ この世界では、どの人の身心も平等に光り輝いていて、美醜の差が一切ない。

○ この世界では、飛行自在で、あらゆる世界の仏さまを、一瞬のうちに訪問し供養することができる。

○ 極楽浄土の阿弥陀仏が放つ光明は、やさしく肌をつつみ、その微妙な光の感覚は、眼のみではなく、肌に触覚としても感じられる。


1406 2025.02.04 

<竪超(じゅちょう)の悟り> 自分だけが竪に地上世界(のすべての仲間を置き去りにして)、高い世界に超えて往く悟り。→小乗の悟り

<横超(おうちょう)の悟り> 横に、同じ地平で、悩み悲しむ人たちとともに生きると覚悟を決め、彼らに手を差し伸べ、足を運ぶことによって、エゴの囲いを打破してゆく悟り


1405 2025.02.03

<他力の坐禅> 

何千年もの間、連綿と継承されてきた「坐禅」という「形」を信じて、ただ「坐禅という形」に身を任せて坐るのが「他力の坐禅」

→アタマで坐禅の善し悪しを決めつけない。いい時も「そんな時もある」、悪い時も「そんな時もある」。


1404 2025.02.02 

<大敬の道行き>  

禅(自力修行)→精神的にも体力的にも能力的にも限界に達す(自分への絶望)

→42歳、自己放棄、神に一切を委ねる

→他力発動(「筆の御用」という天命を頂く)

→以後、しあわせを恵まれて生きている

(結論)自負の力みを捨てて「カラッポ」になれば、「秀才」にはなれなくても、「天才」にはなれる。「天才」とは、「天から与えられた才能」のこと。


1400 2025.01.28 ~ 1403 2025.01.31

<雲谷禅師が教えるしあわせな運勢の作り方>

[根本原理]:「心」の状態が、これからの「運勢」を決定するのだから、しあわせを生み出すような「心」の状態にすればいい。

[運勢を改造する方法]:混沌開基(こんとん かいき)の法→道教護符家に伝わる秘伝

①まず<無心>になる。

②心の中央にこうでありたいという想い(願い)を据える。

③徳を積む(徳は心の現実化力のエネルギー。徳を積むと心の想い実現力が増加する)。


<心はタクシー>  

③ ガソリンを満タンにし(徳を積む)、

② 行き先を告げ(足運び、十句観音経など)、

お任せし(養いの坐禅)、そして、目標に到着!


<①,②,③の方法(目標を確立する、徳を積む)>

① 「養いの坐禅」で土壌作り→心を、柔かい・暖かい・潤いのある土壌にする。

② 「延命十句観音経」や「足運び法」で達成したい目標を祈る(意宣る)→①の土壌に「種」をまく。

心の土壌に、水(潤い)と肥料(徳積み)と光(明るい未来が必ず来ると信じる)を与える。


<③の方法(徳を積む=布施行)>

財施(ざいせ):お金や物品を差し出す。

身施(しんせ):体でやるボランティア。

和顔愛語施(わがん あいごせ):対象の存在を許し認め愛す。

随喜施(ずいきせ):人の喜びを我が喜びとする。

法施(ほっせ):真理の話をする。真理の話が聞ける場を企画し運営する。真理の書を印刷して配布する「印施」。お経(真理の書)を称える。


2025年2月25日火曜日

3714「心暖かな者 2025.2.25

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月10日の記事を紹介します。


「心暖かな者」


私たちはよく、誰かにこう動いて欲しいとか、、

自分の都合の良いように、相手が動いてくれることを望みます。 

そして、そうならないと、

失敗したのは、うまくいかなかったのは、あの人のせいだと、 

相手を恨んだり、憎んだりします。 

ですが、私たちは決して

相手を自分の都合よく動かすことなどできません。 

たとえ家族であっても。

今日は、小林正観さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

「もっと言うことを聞く子になって欲しい」とか、

「もっと理解のある親になって欲しい」と言う人、たくさんいると思います。

しかし、相手に変わってもらいたいと言っている間はダメでしょう、

自分が変わらない限りは。

自分が、相手に対して、

・気に入らない

・おまえは間違っている

・ああしなさい、こうしなさい

と言っていたなら、人間関係はどんどん悪くなります。

絶対に話など聞いてはくれません。

人間関係が悪い状態で、あれをこうしろ、

これを解決しろと言っても、ダメなのです。

まず、人間関係を作ることでしょう。

親だから偉い、と思うのではなくて、

相手から信頼され、慕われるという関係になったほうが良いと思います。

皆さんが学校で教わってきた解決方法は、自分の考えを、

・いかに論理的に組み立てるかとか、

・いかに説得力を持たせるか

ということだったと思います。

論理と説得力で相手を説き伏せるやり方です。

それで解決できているのならそれでも良いのですが、

もしも行き詰っているとしたなら、解決方法が一つあるのです。

それは、「やわらかな、あたたかい人間関係を作ること」

そして、その第一歩は、心がこもっていなくてもいいから、

「ありがとう」を言ってしまうこと。

ずーっと「ありがとう」を言って、感謝をし続けていく。

そうすると、人間関係が変わります。

「ありがとう」というのは、その人の

「在るがまま」を全部認めてあげるということです。

あなたが人間関係を作りたいと思っている人のことを考えてみてください。

その人が、こっちの方にきたら「ありがとう」と言えるけど、

こっちではなく、向こうへ行ってしまうのなら

「ありがとうとは言えない」ならば、人間関係は作れません。

その人が持っている性格や行動のすべてを含めて、

あなたが、ありがとうと言えるようになれるかどうかです。

人間関係ができてしまうと、個々の問題は問題ではなくなります。

それができていないから、多くのトラブルや問題の解決は、皆、

・どちらが正しいか

・どちらが論理的であるか

・どちらに説得力があるか

という方向に話がいってしまいます。

・正しいことを言えばわかってもらえるとか、

・正義はいつか必ず勝つのだとか、

私たちはそう教えられてきました。

正しいものが強いのではなく、

「心優しく温かな方が強い」のです。

人間関係があたたかいものでできていれば、問題がどんどんクリアされていきます。

しかし、人間関係が作られていなければ、

いくら正しいことをこちらが主張しても問題は解決しません。 

<引用終了>

正しい者ではなく、心優しく温かな者の方が強い! 

理屈や理論の正しさではなく、温かな気持ちを持つ者が強い・・ 

温かな気持ちとは、どんな気持ちでしょうか?

・優しい思いやりの気持ち

・許し合うお互い様の気持ち

・おかげ様の感謝の気持ち 

誰かに笑顔で、「ありがとう」と言われれば、心の共鳴現象が起きて、 

きっと、心が温かくなり、味方になってしまいますね。

些細なことは気にならなくなり、相手の立場に立って

協調して行こうという気持ちも芽生えてきますね。

敵だった者が、一瞬で味方に変わります。 

これから地球が向かおうとする、高度に進化した宇宙文明は、神々の世界のように、

このような温かな心の人たちが生み出す、調和した世界なのでしょう。 

地球が精神性を重視する世界に舵を切った今、

私たちは、個々ひとりひとり、自分の心の赴くままに、 

自分の心の波長に同調する世界に、進んでいくことでしょう。

あなたは、どちらの世界に進みたいですか?


2025年2月24日月曜日

3713「ほんとの愛」2025.2.24

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月09日の記事を紹介します。


「ほんとの愛」


今日は、私たち人間が、誤解しがちな「愛」についてです。 

私たちは、

「愛」と、「執着」、「依存」をごっちゃにしがちです。 

ですが、それは全く違うものです。 

一方は、 (愛)

魂を自由にし、軽くしてくれますが、 

もう一方は、(執着、依存)

魂を縛り、どんどん活力を奪ってしまいます。  

地球が霊的に分裂しようとする今 この違いは決定的です。

ですが、もちろん、個人の好みによって、ご自分の行きたい道を選べばよいだけです。 

良い悪いはありません。 

自分が幸せになるのは、他の人次第・・ 

その意味は、

・子供であったり

・妻であったり

・夫であったり

・何かのリーダーであったり 

常に、自分の内面(内に居らっしゃる神さま)ではなく、

他人の方にフォーカスしている状態。 

あの人が、、あの人が、、あの人が。。

の他人への依存の状態  

例えば、子供が対象であれば 

・子供が元気で

・成績がよく

・運動能力があって

・優しく、親切で

・友達に囲まれていれば・・ 

私は、幸せ・・   子供を愛している。 

そうでない状態の時には

私は、悲しく、幸せにはなれない。

子供は、悩みの種。うっとおしい存在 

でも、それは、本当の愛ではないし

依存と執着の対象でしかありません。 

何物にも依存せず、執着せず 

自分で考え、判断し

自分の道を、自分で歩み出そうとする人 

逆に

何事も、執着する人の視点に置き換え、

そこから見た景色、フィルターを通し 

判断を委ね、手放し

依存し、執着する人 

この魂の方向性の違いは決定的です。

自分以外の他人は、

決して本当の意味で、私たちを救ってはくれません。 

魂は永遠です。

そして「愛」は宇宙で一番、高いエネルギーを持っています。 

この魂の向かう方向性の違いは、波長の違いを生みます。 

波長の違うものは、混じり合うことがありません。 

ですから、今の時代、 地球が分裂し、 

それぞれの人々が住むにふさわしい

地球が用意されていると言われています。 

ブッダやイエス、空海など

人間の進化に寄与してきた進化した魂たちは、

長い時を経ながら、様々に人類にアプローチしてきました。

その目的は、人類の精神性の向上です。 

決して見えない世界うんぬん の話はしませんでした。

精神、つまり魂の波長を繊細にすることです。 

私たちを神々の波長に近付けるためです。 

私たちは、誕生と死を繰り返し、

様々な経験を積み、様々な感情を味わってきました。

それは、全て、精神性の向上のためです。 

そのために、縁ある魂達に頼み、様々な役割を演じてもらっています。 

・病気がちの子供

・意地悪、パワハラ、モラハラをする上司

・モラルの破たんした配偶者 

そのような境遇を通じ、

私たちは、段々と、魂の自由を勝ち取ってきました。 

魂は、本来、神さまと同じく、

自由闊達で

活き活きとして、

創造性に富み

幸せで、

自分の周りの状況に左右されません。 

人生は夢幻のごとく・・

とは、そのような意味です。

祓い清めるとは、魂の本来の状態を、表すことです。

全ては、見える世界も、見えない世界も

私たちの、心が作り出す世界だからです。

私たちの中には、どなたにも神さまがいらっしゃいます。 

神さまと、普段から会話することは大切なことです。 

ご自分の中の神さまを信じ、 

自分の足で、しっかりと大地を踏みしめ立ち上がり

周りに居る人に、優しさや、思いやり、 

笑顔を向けて差し上げたいですね。

 

2025年2月23日日曜日

3712「心が変わらなければ」2025.2.23

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月08日の記事を紹介します。


「心が変わらなければ」


今日のテーマ「心が変わらなければ」です。 

人は、自分で経験してみないと

他人の苦しみや悲しみなどを、

本当の意味で理解できないかもしれません。 

苦労や悲しみ

闇を知った瞳でなければ、光を知ることはできないからです。 

自分で経験した

・悲しみ

・苦しみ

・孤独

・不安 

は、たとえその最中は、苦しくて、切なくて 

息をするのも絶え絶えになるほどで、 

どれだけ布団をかぶって声を押し殺し、

涙を流したか、分からないほどかもしれません。

ですが、その経験こそが、

神さまの恵みかもしれません。 

しかし、そのような深い意味の分からない私たちは、

このような状態の時、とかく安直に 

・神頼み

・医者頼み

・薬頼み

・他人頼み

・霊能者頼み 

に陥りがちです。 

手っ取り早く、早く楽になりたいから

自分では何もせず、自分以外の何かに

頼り、依存し、丸投げしがちです。 

ですが、このような苦難は、 

神様が、

私たちの魂を輝かせようと

他人の痛みのわかる人間になって欲しいと 

私達の生まれる前の、

私たち自身の計画通りに

起こしてくださった出来事です。 

安直に、そこから逃げ出したとしても 

また別の時、

形を変え、

役者を変えて

同じ現象が起こります。 

私たちが気づくまで 何度も何度も  

例え、

・神様や霊的な能力のある人に頼ったり、

・神社でのご祈祷、お祓いなどで、 

一時改善されたかに見えても、

私たちの心が変わらず、

以前のままで

他人依存、執着、憎しみの心のままでは、

そこから発せられる波長に引き寄せられて、

また同じ現象が現れることでしょう。 

自らの心が変わらない限り

周りの現象は、根本から解決することはありません。

「天、自ら助くる者を助く」という言葉があります。

自分自身で、自分の心を見つめなおし、

一歩一歩、もともとの清浄な心に近づけていくことが

幸福への王道だと思います。

不動明王 
 

心がもともとの清浄な状態に戻るまでは

神さまは、沢山の環境を与えてくださいます。

・病気

・貧困

・別れ

・死

・裏切り

・いじめ

これらを通じ、ボロボロになりながらも

魂は磨かれ、鍛えられ 

ついには、このような環境の中でさえ

「感謝の心」が芽生えることができた時、 

この出来事は役割を終えます。 

このような環境の中に置かれた時、 

安直に、

・誰かに依存するのではなく、

・丸投げするのではなく、 

じっくり、その感情を自ら味わった後、 

神さまは「何故、その環境を今、与えてくださったのか?」

深く考え、感謝の心に変化させたいものです。  

感謝の心が芽生えた時、 

その環境を引き寄せた、

心の灰汁(あく)が消滅し、

神さまからいただいた、

もともとの清浄な魂が顔を出してくれることでしょう。 



2025年2月22日土曜日

3711「お金に困らない生き方」2025.2.22

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月07日の記事を紹介します。


「お金に困らない生き方」


ここで良くご紹介している木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の魂のお子さんで、 

日本神界の高位の魂「山幸彦」(彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと))の魂のまま生まれて来た、小学生のトキ君の話の中に「お金」の話があります。 

やはり、その話の本質は、エネルギーです。

以前ここで書いた記事と内容がほぼ一致しています。 

少し加筆修正してお届けします。

 

お金もエネルギーです。 

エネルギーにも沢山の種類があります。 

・風や台風などの気圧(西高東低、風は西から東へ吹く)

・位置エネルギー(物を高い所から落とすと、低い所から落とすより衝撃が強い)

・風船(圧縮された空気が入っている、爆発して空気の薄い方向に向けて拡散)

・熱(温度が高い所から熱は低い場所へ移動する)

共通点は、全て エネルギーは高い所から低い所へ移動する 

ということです。 

これは、神様が作ってくださった、この宇宙の真実です。

台風の目

ですので、お金も同じなのですが、

但しお金に関しては神様がさらに大きな目的を与えたようなのです。

では、この真理を理解してもらったうえで、以下のブッダの言葉をご覧ください。

托鉢、奉仕、お布施のお話です。 

ブッダの教えの中に、「托鉢」があります。

托鉢とは笠をかぶったお坊さんが、家々を回ったり、道路の脇に立ち、 

手に鉢をもって、その中にお布施を頂くというものです。

ブッダは、托鉢に向かう弟子たちに、こう言いました。

お金持ちの家ではなく、貧しい人たちの家を回って、托鉢をしてきなさいと。

弟子たちは、驚きました。

「お金持ちの家から、お布施を頂くのではないのですか?」

ブッダは弟子たちに、こう言ったそうです。

貧しい人たちというのは、今まで、自分が貧しいと思って、

他人に対して、施しをしてこなかった人たちである。

それ故に、貧しさから抜け出すことができずにいる。 

だから私たちが布施をいただきに行くのは、このような貧しい人たちを、

その貧しさから救ってあげるためなのだから、貧しい人の家を回って来なさい。

托鉢に金額は関係ありません。

これも宇宙の法則 

与えるものが、受け取るもの

と同じです。

貧しさから抜け出す最初の一歩は、まず他人が喜ぶことを

自分から、先にすることなのかもしれません。

だから托鉢は、お坊様たちが自分たちで食べるものを

もらうために行う行為ではありません

「与えるものが受け取るもの」 

この言葉が意味することはひとつ。

全ては

自分が与えることから、始まるということ。

人の心に勇気と希望を与えるために、自分から出したとき

(つまり、自分のところにその分、虚空が発生した時)

宇宙は、同じエネルギーの質を持ったもので、

見えない世界からエネルギーの充填を図ろうとするのです。 

その時、出したものの何倍ものエネルギーが発生(エネルギーの移動)します。 

これが、お金が移動する際の原理です、

また同じく空海は、こう言いました。 

私たち悩み多き者たちが、失う苦しみから逃れる為に、 

次のように「施 (ほどこ)しの行」を説かれました。

むさぼり、惜(お)しむ心に勝てず、人のために財(ざい)を使うことがなければ

いつも餓(う)える心に苦しむ。

少しの食物も分かちて、甘(あま)さを割(さ)き与えるものは

この苦しみから脱(のが) れることができる。

自分が持つ、お金などの財産に執着する人は、

常に失うことを恐れ、心が休まる時がありません。

要するに、生きながら常に心は、

戦々恐々とし、地獄に住む者のごとしです。

空海はその地獄から逃れるためには、まず先に、その財を

人のために、人が喜ぶことに使いなさいとおっしゃっています。 

これも宇宙の法則にのっとった言葉ですね。

「与えたものが受け取るもの」

まず、自分から出すのが先です。

それは財産に限らず、笑顔や、優しさ、思いやり、温かな言葉かけなど、みんな同じです。

まず、先に自分から人に、施します。

そうすると、宇宙はきっちりと、巡り巡って同じものを倍返しで、

自分に戻してくれるそうです。  

また健康や、幸せもそうです。 

・健康でない時

・いじめにあっている時

・家族で病気の方がいる時

・経済的に苦しい時 

人は、自分が幸せではないと思って、他人に対して、笑顔や、やさしさ、思いやりを

施してこなかったかもしれません。。 

小学生のトキ君の言葉は、もっと単純明快です。 

人から沢山の「ありがとう」を言ってもらうとお金持ちになる。  です。

つまり他人に施した

・優しさ

・いたわり

・愛

・笑顔

・勇気の出る言葉 

それらは、全て自分から出て、他人の心に「神さまの火」を灯し、

心を震わせ、「ありがとう」という言葉で自分に帰ってきます。 

そのエネルギーこそが、

豊かさ(言い換えれば人間界のお金)の源泉であるということです。 

これを機会に、是非 

・不平不満、愚痴、悪口を口にせず

・人の幸福を喜び

・人の悲しみに、ともに涙し 

・日々の糧を与えてくださる神々に感謝し

・苦しみや、悲しみの出来事を起こし、魂を磨こうとしてくださる神々に感謝し

・ともに、笑い、泣いてくれる家族や友に感謝し

一日を過ごしてみませんか 

きっと良き運命が始まる、スタートの日になるかもしれません。



2025年2月21日金曜日

3710「2025年に必ずやって来る世界的な景気後退と金融危機」2025.2.21

今回はIn Deepさんの2025年2月11日の記事を紹介します。


「エド・ダウド氏が述べる、2025年に必ずやって来る世界的な景気後退と金融危機」

 https://indeep.jp/global-recession-and-financial-crisis-in-2025/


危機の年に

世界最大の資産運用会社ブラックロックの元資産運用マネージャーのエド・ダウド氏が、保守系メディアの US ウオッチドッグでインタビューを受けていまして、

「2025年は世界規模で深刻な不況に陥る危険性がある」

とした新しい報告書について述べていました。

そのエド・ダウドさんのインタビューをご紹介したいと思いますが、もともと金融の専門家でありアナリストであるダウドさんですが、もうひとつの側面として「アメリカで爆発的に広がっている突然死」についての調査・分析をしていることでも知られています。

2023年には『原因不明:2021年と2022年の爆発的な突然死の流行』という著作を出し、全米で驚異的な売り上げを出したことは記憶に新しいです。

思い出せば、突然死だけではなく、全米で「障害を持つ労働年齢の人たちが異常な割合で増えている」ことを知ったのも、エド・ダウドさんの調査によるものですし、さらには詩人イェイツの『再臨』という詩を知ったのも、ダウドさんが X にその詩を投稿していたから知ったということもあり、私にとってはありがたい人物です。

しかし、ダウドさんの本職はあくまで金融アナリストであり、今回は本職のほうに関する談話です。

とりあえず、最初に US ウォッチドッグのインタビューからの抜粋をご紹介します。

太字はこちらで施しています。

________________________________________

2025年に世界規模で深刻な不況の危険 - エド・ダウド氏

Danger of Deep Worldwide Recession in 2025 - Ed Dowd

usawatchdog.com 2025/02/08


エド・ダウド氏

元ウォール街の資産運用マネージャーで、Phinance Technologies の金融アナリストであるエド・ダウド氏が、「 2025年に世界規模で深刻な不況が発生する危険性」という新しいレポートを発表した。

新たな報告書は、バイデン政権下で弱い経済がどのように支えられてきたか、そして今年の崩壊がいかに避けられないかを示している。

ダウド氏は言う。

「今後私たちが経験するのは、 不法移民で経済を潤してきた赤字政府支出の逆転です」

「彼らの中には仕事を得た者もいましたが、多くは福祉手当を受け、住居も確保しました。NGO 組織には、この大規模で目的のあるロジスティックス活動を促進するための資金が潤沢にありました」

「人々は、米国の合法移民の純数は年間 100万人であることを理解していません。つまり、年間 100万人です。過去 4年間で、私たちは 1,000万から 1,500万人を受け入れました。これは新たな経済変数であり、経済をゆがめたのです」

「それは決して私たちを拡張領域に導くことはありませんでしたが、私たちが目にしていた多くの問題を覆い隠しました」

「トランプ氏の政策はそれを完全に覆すことになるでしょう。ジョー・バイデン政権下では貨幣の流通速度が本当に上昇し始めました。不法移民はインフレを非常に引き起こすのです」

「第 4四半期には、マネーの流通速度はすでに上昇しています。トランプ効果は彼が選出された瞬間から始まりました。自主退去者が出ています。新規入居者の家賃が急落し、それが住宅市場の低迷につながっているのです」

 

経済はどのくらい悪化するのだろうか。

ダウド氏はこう予測する。

「 2025年には景気後退が予想されます。世界の他の地域ではすでに景気後退が始まっています。これは世界的な景気後退になるでしょう」

「小規模な住宅危機も起こるでしょう。住宅は今年の大部分で停滞しています。取引量がなく、誰も住宅を購入できません。18年間の住宅サイクルに突入しています。前回の住宅サイクルは 2007年で、18年を加えると 2025年になります」

「中流階級の経済は悪化しています。時間が経つにつれて、GDP の数字はどんどん低下していきます。トランプ政権にとっては、まさに最悪の状況です。痛みを避ける方法はありません」

 

いつになったら状況は良くなるのだろうか。

ダウド氏は言う。

「これはロナルド・レーガン大統領の任期 1期目とよく似ています。レーガン大統領は実質賃金マイナス 2%で当選しました。2024年の選挙でも同じ現象が起こりました」

「ですから、景気後退が起きるでしょう。その後、トランプ氏が政策を打ち出し、その政策をすべて施行できる非常に短い機会が与えられます。もしそれが実現するのならば、景気は回復するでしょう」

 

ダウド氏は依然として金(ゴールド)を好んでおり、金利は低下し始めると考えている。つまり、今、金利を固定することが多くの人にとって賢明な選択となるということだ。

ダウド氏は「金は長期的には良い」 と語る。

ダウド氏はまた、AI は過剰投資されておりバブル状態にあると考えており、「 AI ブームの向こう側にはマネーはありません」と指摘する。 AI 技術は 2000年初頭のインターネットバブルのように崩壊するだろうと考えている。

氏は「 AI の価格は高すぎるので、いつか暴落する」と考えているという。

________________________________________

 

ここまでです。

エド・ダウドさんは、昨年以来、おおむね同じようなことを述べていまして、2024年5月のインタビューでは以下のように述べています。

「巨大な金融ショックは避けられず、それが今、襲来している」より抜粋

次に起こるのは信用サイクルです。

…商業用不動産は問題モードに陥るでしょう。2024年と 25年にロールオーバーが必要なローンがたくさんあります。これらの不動産の多くは 80%下落しています。

巨大な信用リスクが迫っています。

銀行破綻のこの予測は正確です。今後 12~ 24か月の間に、多くの銀行が破綻することになるでしょう。

経済は今後 12カ月以内に急降下するでしょう。 実体経済はうまくいかない。

… GDP成長を押し上げている唯一のものは政府支出です。 米国政府は 100日ごとに 1兆ドル(約150兆円)を費やしています。これにより赤字がさらに 1兆ドル増えることになります。 唯一の雇用創出は政府の雇用であり、実際には経済には貢献していません。

米国の中小企業の 46%が家賃の支払いに問題を抱えています。 2008年の金融危機や 2000年のバブルで見られたような大規模な人員削減が起こり始めるこの大きなショックが、今後 6~ 12か月以内に訪れるでしょう。それは避けられません。

BDW

このインタビューの全文翻訳はこちらにあります。

銀行の破綻リスクの可能性については、ちょっと面倒な概念ですが、米連邦準備理事会(FRB)の、資金の貸し出し制度(リバースレポ・ファシリティ)が、最近「 1385日以来の低水準になった」ことが伝えられています。

米連邦準備制度理事会のリバースレポ・ファシリティの在庫が1385日ぶりの最低水準に

 BDW 2025年2月6日

これについて、 AI の Grok さんは、以下のように述べていました。

Grok の回答

・連邦準備制度理事会のリバースレポ・ファシリティの在庫が 1,385日ぶりの最低水準に達したことは、金融システムで利用可能な流動性が大幅に減少したことを示しており、金融環境の引き締めを示唆している可能性があります。

・この出来事は、連邦準備制度理事会による進行中の量的引き締め(QT)に関連している可能性があります。UBS グローバルの記事では、過剰流動性の削減と銀行システムの緊張の可能性について論じています。

・投稿の「これから何が起こるか」という言及は、この流動性の低下に対する潜在的な経済または市場の反応を示唆しており、同様の状況が市場のボラティリティにつながった 2019年の流動性危機などの歴史的出来事に言及している可能性があります。

Grok

そんなわけで、あくまで「リスクの可能性」に過ぎないにしても、景気後退にしても金融にしても銀行の破綻の連鎖にしても、何らかの事態が迫っている可能性は以前より高まっているようです。

あと、AI 専門家が述べていた「 AI による金融大惨事の可能性」という文書も最近読んだのですが、加えると長すぎるものとなりますので、これはまた別の機会にご紹介させていただこうと思います。

ともかく、アメリカの状況次第という面はあるのでしょうが、いろいろな方面で世界的リスクは広がっているようです。というより、間近なのかもしれません。


2025年2月20日木曜日

3709「健康になりたかったら」2025.2.20

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月06日の記事を紹介します。 


「健康になりたかったら」


今日は健康について、私達日本人が古来から持っているDNA、

縄文の時代から続く古神道の立場から書きたいと思います。 

驚くことに、小学生で山幸彦の魂を持つトキ君のお話と、全く同じです。 

「健康になりたかったら」というテーマです。

尊敬する葉室頼昭さんの言葉からご紹介します。 

葉室頼昭さんは、もともと形成外科医でしたが

医師として仕事をしながら神職の資格を取り、 

最後は奈良・春日大社の宮司をも務めたという異色の経歴の持ち主です。 

しかも、日本の形成外科の草分け的な存在として、

多くの奇形を持つお子さんの顔を傷つけることなく再生させるなど、 

温かな愛情を持って、立派なお仕事をしました

また、東洋医学を尊重し、それを上手く治療方法の中に導入していました。 

葉室さん、医学博士でしたが、西洋的な知識だけでなく、 

ご専門の東洋医学、そして晩年、神職の最高峰まで上り詰めた神道の知識により、 

彼の健康法は、簡単に言うとこうなります。 

「東洋医学において、どうやったら健康になるかというのは、

西洋医学でいう健康法とは全然違うことです。 

ジョギングをしたら健康になるとか、 

こんな食べ物を食べたら健康になるとかいうことではなくて、

全くそんなこととは違って、 

宇宙の仕組みから見て、どうやったら健康になるかということです。 

だからまず第一に、生かされているということに感謝しなさい。

自分で生きていると思うから、病気するんですよ。 

(中略) 

だから病気は、鍼を刺したり、手術をしたら、それでいいというのではない。 

まず神さま、祖先に感謝しなさい。 

(中略)

人間の体はただのモノじゃないんだから、手術したら勝手に治るかというと、

治らないんです。 

治すだけの力が出てこなければ治らないでしょう。

栄養を取ったってだめです。 

やはり全てのものの根本となる感謝によって、 

・宇宙からもらっている、

・祖先からもらっている

エネルギーを出さなければ、本当には治りません。」 

誤解してはいけないのは、

「病気を治したかったら、宇宙や祖先に感謝しろ」と言っているのではない、ということ。

それは「取り引き」であって、真の謙虚さ、本物の感謝ではない。

病気を治すため、ではなく、自分が生きていること自体に感謝すること、

そうすれば、自分を生かしめているものに対する感謝の念が、自ずからあふれ出てくるし、

そうすれば結果として、人生がよくなっていくものなのだ、

と葉室さんは仰います。 

私たち日本人にとって、神道とは、宗教ではありません。 

日本人の美しき心そのものです。 

教祖もいません、教義もありません。 

心を縛る者もいません。

依存させる者もいません。 

私たち日本人は、古来から、神様も祖先も、そして我々も、

一つに繋がっているという考え方をします。

日本人は神様を信じるというより、神様を敬う民族でした。 

最高のもの、最上のものを、神さまに捧げるという、

素晴らしい敬神のこころを、日本の民族は持っていました。

貧しき時代には、最高のものを、神様に奉納、捧げるということは大変だったことでしょう。

でも、それを行ってきたところに、日本人の純粋さ、神を敬う心がありました。

戦後、そのような心を徹底的に破壊するために、様々な試みがなされ、 

「神さま」と言っただけで、毛嫌いされる、そんな世の中になりました。 

日本人の精神的な支柱を破壊する工作が、効を奏した結果です。 

ですが、神さまを敬う心、自然を敬う心

そしてひいては人々を敬い、

・お陰さま

・お互いさま

そんな気持ちで生きて来た、古来からの日本人の純粋な心を、

私たち日本人は、知らなければいけないし、

そして、未来を担う子供たちに、伝えていかなければいけない、 

大切な心、真心だと思います。

日本人は、西洋のように白か黒か?

神さまを信じるとか、信じないかという民族ではなく、 

神さまを敬う、一体となろうとする民族だからです。

あなたの心、血は、そのような古き良き祖先たち、

私たちを生み、育ててくださった人々の

純粋なDNAを受け継いでいますか?

 

2025年2月19日水曜日

3708「シリウスと瀬織津姫」2025.2.19

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月05日の記事を紹介します。


「シリウスと瀬織津姫」


私たちは今、時代の転換点を生きています。 

うお座の時代から、みずがめ座の時代に変わり、私たちは、

一人一人の心の中に神様がいらっしゃる、このことを知る時代に変わりました。

うお座の時代は、物質的拡大の必要性から、 

大本の神様は、一定期間の期限を切った上で、悪魔的な存在の台頭を容認してきました。

また陰陽で言えば陽の時代から、

陰の時代、つまり黄泉の国=精神性が、最も重要視される時代に変わりました。

それとともに、古より、黄泉の国(神々の世界)と繋がった、

日本の時代の幕開けが始まったわけです。

天津神よりもずっと以前から、縄文の人々ともにあった、国津神、 

瀬織津姫(セオリツヒメ)や国之常立神(クニトコタチノミコト)が

クローズアップされてきたのもそのためです。 

また宇宙的な視点で見れば、プレアデス等の陽の星々から、 

陰(見えない世界、静謐の世界)の要素の強いシリウスが人々に広く浸透してきました。

それでは、今日はシリウスと、瀬織津姫のお話です。 

大祓祝詞に出てこられる瀬織津姫について書いてみたいと思います。 

瀬織津姫は、

・水の神様

・滝の神様

・龍の神様 

と言われていますが、記紀(古事記・日本書紀)に名前はでてきません。 

古の時代、藤原氏の祖先、つまり中臣氏(代々 祭祀を司っていた家系)の

どなたかに神々が降りて伝えられたという、 

「大祓祝詞」に出てくる祓戸四柱神の一人です。

 祓戸四神とは、

①瀬織津比咩(せおりつひめ)  → 禍事・罪・穢れを川から海へ流す

②速開都比咩(はやあきつひめ) → 海に流した禍事・罪・穢れを飲み込む

③氣吹戸主(いぶきどぬし)   → 速開津比咩が飲み込んだ禍事・罪・穢れを根の国底の国に吹放つ

④速佐須良比咩(はやさすらひめ)→ 根の国・底の国の禍事・罪・穢れを神々の清らかなエネルギーに変換して地上へ戻す

つまり罪穢れを、決して滅ぼし消し去る(西洋の思想)のではなく 

縄文の心(古来 日本の心)の通り、

例え悪であっても、一旦受け入れて、黄泉の国を通じ循環させ、

清らかなエネルギーに変えてしまうのが祓戸四柱神です。

まさに私たちに日本人の和の精神(縄文の心)です。

西暦700年代、日本書紀や、古事記などの成立に伴い、

日本古来の神様であった、「瀬織津姫」は封印(記載から除外)され、 

力を矮小化されて伝えられてきました。

歴史は常に時の権力者によって書き換えられます。

瀬織津姫が封印されてきた理由は、

一説では、女帝の持統天皇即位の正当性を示すために

伊勢神宮に祭られていた天照大神を男神から女神に性別変更したため、

男神の天照大神と並祭されてきた瀬織津姫が邪魔になった。。。

ですが、その信ぴょう性はもちろん、今となっては推測の域を出ないものです。 

「瀬織津姫」は日本では 

・菊理媛神、

・ミズハノメノミコト、

・市杵島姫命、

・弁財天 

等の水の神や熊野権現が、瀬織津姫と同一神とされています。

はっきり判っているだけでも500近くある瀬織津姫を祀る神社の他、

全国で3000社以上ある熊野神社や、白山神社、厳島神社 等、

知らないうちに祭神がすり替えられた神社を含めると、

この女神が1300年前までどれほどの大神であったかが窺われます。

水の神様であり龍神様でもある瀬織津姫には浄化し、祓い清める働きがあります

以下の記事の元ソースは、

「坂本政道 ベールを脱いだ日本古代史 高次意識トートが語る」からで、

知恵の神トートからの情報です。(詳しくは、そちらをご覧ください)

瀬織津姫は、沢山の別名があります。 観音菩薩、白山姫、アラハバキ、。。。

シリウスからの、日本古来の姫様です。

が、天武天皇の時代に多くの神々と一緒に封印されていたそうです。十一面観音の形による封印

封印したことを詫びる供養が今でも行われています。

東大寺二月堂の修二会で、752年以来毎年続いています。

正式名称を「十一面悔過法(じゅういちめんけかほう)といいます。

2千年前に大和族(アマテラス族)が渡来してきた時、 

彼らはネガティブなオリオン系宇宙人と交流していたため、

三輪山一帯に侵入した時に、

オリオン人はシリウス人(龍型宇宙人)を封印したそうです。 

オリオン星人は好戦的で攻撃的な性格を持っています。

正確には、封印と言うよりも自ら三輪山に身を隠した・・と言う方が正しいかもしれません。

ですが、その封印が、数年前に解かれたそうです。

それはこの坂本さんのトート情報だけでなく、全く別の情報ソースである浅川嘉富さん著作の「龍蛇族直系の日本人よ!」にも記載されています。 

神界から直接地球にやってきた少年の話として・・・

「六甲比命大善神」と書かれた看板とご神体の巨石。瀬織津姫の墓と呼ばれている巨石


古代、縄文の時代より、私たちと関わりのあった、シリウス系の龍の神々が自由になれた・・ 

今起きている国常立命の復権と同じく。

と言う事は、これから新しいミロクの世の出現が期待されます。

ですが、それはダライラマが言うように 

決して 神々任せではなく、私たち一人一人の行動があってこその事だと思います。

私たちが今できることは何か? 

それは、きっと 

・見えない力ある人に頼ったり、

・有名な神社・仏閣、神々に頼ったり

・不思議な現象・能力に頼ったりするのではなく、 

自分の心の持ち方の問題だと思います。

・一歩一歩、心の塵を祓い

・感謝の気持ちで日々を過ごし、

・身近な周りの方々と、お互い様、おかげ様の優しい気持ちで生きていく。 

これらを日々一つづつ行動に移して行けば、 

今も見守り続けてくださっている縄文の神々と協力して 

地に足の着いた方法で、美しい世界を作ることが出来るかもしれません。

 

2025年2月18日火曜日

3707「私のいのち」2025.2.18

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月04日の記事を紹介します。


「私のいのち」


今日は「命の大切さ」についてのお話です。

私たちの周りには、一つとして、 

・いらない命

・無駄な命

・軽蔑してもよい命

・尊厳を踏みにじってもよい命 

などありません。

私たちは、周りの全ての命と繋がり、生かされ、そして育まれて来ました。 

沖縄の音楽の先生、下地なを美さんが、

いじめによる苦しみから自殺する子供達を愁い、 

子どもたちに歌を通して、命の大切さを伝えようと、 

オリジナルソング「つながるいのち」を作詞作曲されました。

ご紹介します。 転載元

 

尊い子供達の命の灯が、一つでも消えませぬように・・

「つながる いのち」  下地なを美


なぜ生まれたの だれもが思うの

ひとり寂しい時 そっと涙ぐむ

あの星の光が 私に言うの

大丈夫 守ってる ひとりじゃないよ

ひとりじゃないよ 私のいのち 

今は寂しくても 泣かないで歩こう

つながってきた 私のいのち

大切に守って 明日へとつなごう

ポツンと座わってる 蛍のような

私のこの灯り だれも消さないで

生まれたその訳を 星は知ってる

この世で光りなさい  

授けられたの

授けられたの 私の光

今はちっぽけだけど 輝いているんだ

つながってきた 私のいのち

大切に守って 明日へとつなごう

私のこの腕が 私の足が

共に今生きている 支えてくれる

この胸の鼓動が 私に言うの

大丈夫 守ってる ひとりじゃないよ

ひとりじゃないよ つながるいのち  

億千万の星 巡って生まれた

つながってきた 私のいのち

大切に守って 明日へとつなごう

ひとりじゃないよ 私のいのち 

つながっているんだ 私の明日へ

<転載終了>

いじめが原因で、自ら命を断つ子供たちがいます。

いじめは、本人だけでなく、様々な影響を周囲に及ぼします。

そしてその影響力は、長期間にわたります。

大切に大切に育ててきた我が子が、苦しんでいる姿を見る親も、心に深い深い傷を負います。

いじめは、子供たちだけの問題ではなく、大人の間でも発生しています。

いじめや、心ない言葉、悪意、嫉妬、疑心暗鬼、誹謗中傷 

そのようなもので、傷つく人が沢山います。

そして何より、いじめた本人も、いつか、同じ苦しみを味わう時が来るでしょう。 

与えたものが、受け取るもの 

私たちの住む宇宙には、その法則があるからです。

つながる いのち・・・

目の前の命を、しっかりと見つめること 

・家族、友人、同僚

・好きな人

・嫌いな人

・目の前に立ちはだかる人

・邪魔をする人

・足を引っ張る人

・悪口、陰口を言う人

・意地悪をする人

・疑う人

・私たちを、無条件に信じ、愛してくれる動物たち

・季節ごとに、美しい顔を見せてくれる植物 

・春夏秋冬、優しさ、厳しさを見せてくれる自然 

・私たちを慈しみ育んでくれる 地球

私たちは、沢山のかけがえのない命に囲まれています。 

どれ一つが欠けても、今の私たちには なれませんでした。

みんな尊い、尊い存在です。 

大切な命です。 

皆さんと、皆さんのご家族が、そして、お友達が、お幸せでありますように。 

輝く笑顔でありますように。


2025年2月17日月曜日

3706「魂の泥を落とす」2025.2.17

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月03日の記事を紹介します。


「魂の泥を落とす」


今日は、美しい魂になるためにということで、小林正観さんのお話をご紹介します。 

この記事の目的も、読んでくださる方の 

・霊性を磨くこと

・心をピュアにすること

・神々の心に近づくこと 

を目的としています。 

ひいては古き良き日本を再興し、地球を平安な世界にするためです。

本当の幸せとは、 

・素晴らしい前世を持つと自慢する人や、

・特別の神様と繋がっていると自称する人に 

頼ることで得られるものではなく、ブッダやイエス、空海など、高貴な魂の方々が仰る通り、

一人一人の、美しい心にかかっているからです。

自分の心を生まれた時のように、ピュアにすることができれば 

・何か不思議な力に頼ったり

・人を貶め、マウンティングし、自分を高き者のように見せなくとも

・心ドキドキさせる見えない世界に頼らなくても

生きている間に天国に住み、そして死後も、天の国に住み続けることができるからです。

私たちが住み、見て感じているこの世の中は、私たちの心が反映されたものです。

ですから、心の中が怒りと憎しみで一杯であったなら、

策略謀略、悪口・・諸々の悪しき物を見て、それらに囲まれていることでしょう。

逆に心の中が清く、美しいもので満たされていれば、

愛、思いやり、信頼、優しさ、助けあい、お互いさまの心など、 

様々に心が癒される世界に生きていることでしょう。

これが空海が言った「即身成仏」、

つまり、生きながら地獄に住む、天国に住むと言うことです。

もし、美しい思いやりの世界で生きて行きたいのなら、まず自分自身の心の洗濯が必要です。

それでは、正観さんのお話をご紹介します。

意味が分かりやすくなるよう、少しだけ補足して転載します。 

<転載開始> 転載元

魂の特性を見抜いてあげる 、魂の話、子育て、教育のお話です。

きれいな魂の状態を泥汚れにしているのは、競うこと。較べること。争うという事です。

きれいな魂のままであるためには、今のありのままでいい という事です。

それは 学校教育では出来ません。

競う 較べる 順番をつけることを学校教育のシステムとして成立させてきたからです。

ところが日本の教育は、本来違うものだったんです。

それは「寺子屋教育」と呼ばれていました。

寺の境内で遊んでいる子どもは 寺子と呼ばれ、

その子達に読み書きを教えたところから始まりました。

寺子屋では 一切順位付けはしません。

読み書き そろばん 社会に出た時に文字が書けて読める。

そろばんで足し算、引き算。

それらができるようにそれを教え込んだのが寺子屋でした。

そこで順位をつけることは 一切しませんでした。

寺子屋教育こそ教育の本質です。

吉田松陰の松下村塾が教え込んでいたことは

順位付けすることではなく、「見抜いてあげる」ことでした。

松陰先生は「あなたは こういうほうがいいのではないか。

こういうジャンルが向いているのではないか。」

「あなたは こういう分野で 優れているので、

その道で身を立てたらどうか」と教えてあげていました。

塾生に対し順位をつけることなど一切しませんでした。

でも西洋教育は違うんですね。 

順位付けをする。

その結果 その順位を競わせるということになりました。

その教育を日本が受け入れ、「富国強兵」 国を富まして兵を強くする 

という方向に向かって行きました。

確かに一時は、そうなっていったので、その教育が 一番正しいと 思い込んだのです。

ですが、それは違います。 

本当は優しさ、心の温かさとかいうものを評価する世の中のほうが良いわけでしょう。

でも現代社会においては、そういうものが評価されずに魂が濁っているわけですよ。

競うこと 較べること 争うことで、魂が泥汚れになっているわけですよ。

それがある日突然、泥が払われることがある。

景色の美しさに驚く瞬間。雪の結晶の美しさに気づく瞬間。

その瞬間とは、魂の泥が 一瞬にして払い落とされた瞬間です。

競う。較べる。争うことを全部やめ、

ただ自分が必要とされるところでニコニコと生きていく だけでいい。

それが何番目であるかなど関係ありません。

母親自身がその事に気付き、変わっていけば、子どもはどんどん変わっていくでしょう。 

本当に綺麗な魂に、きっと戻っていきます。 

その時、子どもは言うことでしょう。

・お花がこんなにきれい。

・海はこんなにきれいだったの?

・わ~今日の空は すごくきれい。

そうした時 子どもも大人も、きっと「仏性に目覚めた」ということだと思います。 

ブッダの仰った「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょう しつうぶっしょう)」。

魂の構造が少し分かりましたか?

実は 魂を磨く必要なんてないんです。 

魂はもともと完全で綺麗なクリスタルです。

磨くのではありません。泥汚れを落とせばよいだけです。

自分の内側の競う心 較べる心 争う心をゼロにすること。

それだけで 魂はもとのきれいな状態になっていきます。 

<転載終了> 

みなさん、ちょっと周りを見渡してみてください。 

・良い学校と言われる所を出た人は、みんな幸せに暮らしていますか?

・勉強嫌いだった同級生は、生きることが苦しく、みんな暗い顔していますか?

・仕事ができず要領の悪い人は、みんな解雇され、貧困に陥っていますか? 下を向いて生きていますか? 

そんなことは決してありません。 

みんながみんな、一人残らず、自分の居場所を見つけ、そこで生きているはずです。 

その場所で必要とされているはずです。

私たちは、生まれる前に、既にその「居場所」を見つけていたからです。 

その場所で必要とされていたからです。 

以前、山古志村の文化遺産保存のための映像ライブラリを作成したことがあります。

その時に田植えの季節の「田植え唄」の取材をしたことがありました。

春、ブナ林の新緑の中。みんなで水の張られた田んぼに一列に並び、

「田植え唄」を歌いながら稲を手植えしていく行事です。

昔はどこでも、このような光景が見られたそうです。 

その時参加してくださった地元の方は、

高齢の3名の方。そしてもう一人は若い方ですが、知的障害のある方でした。 

でも、笑顔がとびっきり輝いているのです。 

皆さん、もちろん差別や、特別扱いは一切しません。 

普通に話しかけ、普通に笑いあっているのです。 

少しの違いなど一切気にしません。

それがあるからこその、彼の輝く笑顔なのです。 

地域の中で、分け隔てなく、

みんながみんなを大切にして生活していることが、よくわかる光景でした。 

彼の心には何の心配もなく、そして人々の差別や偏見は一切感じなかったことでしょう。 

自分が丸ごと受容されていることを知っていたからです。 

私たちも同じです。

心配しなくても、みんなに居場所が用意されています。 

その居場所で自分のことを必要としてくれる誰かが必ず居るのです。

競う 較べる 順番をつけることなどしなくても

私たちは本来の伸びやかな、美しい心のまま生きていけるのです。  

競う 較べる 順番をつけることを止めた時、

神さまを信じ、自分を信じ、あるがままの自分でも生きていける。 

生きて行っていいんだ 、と、心から信じられた時 

私たちの魂は本来の美しさと輝きを取り戻すことでしょう。 

きっとこれこそが、私たち人間の生きるべき本当の姿だと思います。  

皆さんも、一足飛びではなくとも、少しずつ、そちらの方向に進んでみませんか?

きっとお幸せになれますよ。



2025年2月16日日曜日

3705「「小和」の国から「大和」の国へ」2025.2.16 

今回は立花大敬さんの「しあわせ通信」2025年2月1日の記事を紹介します。


「「小和」の国から「大和」の国へ」 

移民、難民の問題がクローズアップされ出しましたね。

今回は、その問題について、考えるところを少し書いてみたいと思います。

イーロン・マスク氏(スペースX,テスラ・モーターズなどの創業者)が次のように述べていますね。

「当たり前のことをいうようだが、出生率が死亡率を超えなければ、日本は最終的には消滅する。これは世界にとって大損害になるだろう」

遠い将来のことを見通すと、本当は世界の人口はピークをむかえた後、やがて減少に転じ、どんどん少なくなってゆくと思います。

なぜかというと、個人だけの転生では、積める経験と学びが少なく、人類全体の魂の進化の歩みは遅々として進まないのですが、魂の融合過程が進んでくると、たとえば三人の人が一人の人として地上に誕生してくるというようなことが起こるようになります。

そうすると、三人の人の過去世における学習の成果が一人の人に備わって生まれてくるというわけですから、その人は生まれながらにして優れた素質をもっていて、それ故に、その人の魂の進化向上に無理と無駄がなくなって、人類全体の進化の歩みが加速されることになるというわけです。

そうして、その融合過程の最終ゴールでは、人はついに「ひとり」となります。

そして、この「ひとり」は、アメーバからはじまって、動植物や人類や自然界の、遠い遠い過去からのすべての経験と学びを体現した「ヒト(日尊、一集処)」となっているのです。このようにして地球における進化過程を無事修了して、別の星にジャンプするということになるのです。


というわけで、世界の人口はやがて減少モードに入ってゆくわけですが、それでは困るという人たちがいるわけです。

現在世界を支配している資本主義経済では、人口は増加してゆかねば困るのです。

資本主義経済は、各企業の利益が右肩上りになってゆかなければ、企業活動を維持できなくなり、やがて倒れるという仕組みなのです。

自転車操業という言葉がありますが、自転車のように、減速すれば不安定になり、止れば倒れてしまうというわけです。

その辺の理論的なことは、私は門外漢なのでよく分かりませんが、「お金に利子が付くという仕組み」が、結局年々増益してゆかないと倒れるという現象を生み出してしまうのだそうです。

このあたりの説明は『エンデの遺言「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳+グループ現代(NHK出版)をお読みください。

エンデとは、ミヒャエル・エンデのことで、『モモ』や『はてしない物語』などの作品で有名な方ですね。

晩年は、なぜ世界に紛争が尽きないのかという問題を追求されて、結局「お金の仕組み」が根本原因であるという結論に達したのだそうです。

ですから、人口が減少しても企業やそこで働く人たちの生計がなりたってゆくというシステムを作ることが必要になってくるのです。

そうしないと、経済面だけではなく、増収するには生産量を上げねばならない。そのためにはエネルギーをさらに使用しなければならない。また、自然から得る生産原材料もさらに多く獲得しなければ、ということになって、今の経済システムでは、地球環境をどんどん悪化させることになってしまうのです。


コロナ騒動なども、結局は人類が自然環境のバランスを崩してしまったが故に発生した現象なのです。

また、お金がお金を生むという仕組みですから、お金をたくさん持っている人に、さらにお金が集まるということになりますね。

ですから、格差がさらに広がって、富める者や国と、貧しい者や国の間の紛争や戦争の場面も増加することになってしまいます。

しかし、経済システムの変革については私は門外漢なので、専門に勉強しておられる同志の方々にお任せします。特に若い仲間の精進努力を期待します。

しかし、以上で述べたことは遠い将来の展望で、当面は世界人口は増加し続け、日本の人口は減少してゆくというまずい局面が続きます。

また、資本主義経済は、苦しみ、あがきながらも、しばらくの間は存続するでしょうから、このままでゆくと、日本はますますジリ貧になって衰退してゆくということになりそうです。

そうならないように、直近の対策を考えなければなりません。

なぜなれば、日本が衰退してゆくということは、マスク氏が言うように「世界にとって大きな損害となるだろう」からです。

なぜそうなのか後ほど説明します。


さて、ではこの当面の危機をどのように解決してゆけばいいのでしょうか。

まず必要な対策は、日本の人口の減少をくいとめることですね。

そのために、若者が結婚して子供を生み育てることが困難ではないというシステムを作ってゆくことが必要でしょう。

しかし、日本では、これからも結婚しない若者が増えてゆくでしょうから、これだけでは人口の減少をくいとめることは難しいでしょう。

なぜならば、日本人は、魂の融合過程が世界で一番進んでいるので、結婚しなくても、子供を生まなくても、次の世代に自分の経験と学習を伝えてゆくことが出来るようになりつつあるので、それが本能的に分かるので、結婚しない若者が増えて人口が減少してゆくというのは当然のことなのです。

日本の人口を増やす、あるいは現状維持するためには、さらに、世界各地の人たちが移住しやすい、そういう受け入れ体制を作ってゆくことが必要であると思います。世界紛争や混乱が頻発する今は、そのチャンスですね。

そのためには、日本人の外国人に違和感を感じ、嫌悪してしまいがちだという狭量な心を変えてゆかねばなりません。

なぜそのように日本人が狭量になってしまったのかというと、言葉を使わなくても、暗黙のうちに理解しあえ、それぞれの役割を自発的に見出して行動出来るという、実は世界的に見たらとても奇跡的な魂の状態が、日本人には当たり前になってしまって、その暗黙の了解が通じない外国から来た人と一緒に暮らしたり、仕事をしたりすることを面倒に思ってしまうわけです。こんな苦労をするなら、私たちだけで暮らそうと閉鎖的になってしまうわけです。


日本は「大和の国」でしたね。これは「大きな調和融合精神に基づく処」という意味でした。

古代の聖人(聖徳太子や天武天皇など)が、この国の根本精神を、武力で統一し、制圧支配する国ではなく、調和一体化する「大きな和」の国にしようという決断と祈りを込めて、国号をそのように定められたのです。

大和の読みは「ヤマト」でしたね。

これは、多くの氏族(これが「ヤ(八)」)が、自らが属する氏族の利害に執着して、他の氏族と対立抗争ばかりしていないで、日本国全体の成長発展のために、一致団結して協力し合う(これが「マト(まとまる)」)処(これが「ト」)という意味でしたね。だから「大和」を「ヤマト」と読むわけですね。

現在の日本人は、魂の融合が進んでいるので、暗黙のうちに了承しあったり、まわりの人の思いや行動を自然に察知したりできます。

渋谷のスクランブル交差点で、横断する人々が、ぶつからずにスムースに行きちがえるのを見て、外人さんは不思議に思うのだそうですが、日本人同士の魂は融合状態が進んでいるので、暗黙のうちに、言葉を使わないでも互いに情報を伝達しあうことが出来るからぶつからないのです。

しかし、こんな日本人の魂の状態は、世界的に見て稀有なことで、このように魂が融合して、スムーズに事が運べる状態に慣れてしまうと、その暗黙の了解が通じない人がいるとやりにくいわけです。だから、外人が職場や町内に増えるのを嫌悪するわけです。

しかし、嫌悪するということは、日本人という囲いを作って、他の民族の人を排除するということなので、それでは「大和」ではなくて「小和」だということになりますね。

これまでは、日本は島国ですから、日本列島に住む我々だけの「和」で十分だったのですが、さらに時代は進んで、もう日本民族だけの魂の調和だけでは通用しなくなる時が来たのです。

さらに、「和」の領域を広げて、世界中の人を受け入れ・許し・愛して、今のグローバルな時代に通用する、新しい「大和」の精神とシステムを作り出してゆかねばならない時が来たのです。

世界に通用する、世界を調和・融合の楽土にする「大和」の精神と仕組みを作って欲しい、それが日本の使命・役割なんだよと、神々が日本人に期待していらっしゃるのです。

ですから、日本は世界人類のためにも、衰退したり、滅亡したりしてはいけないのです。

日本は地球に分布する気脈の集まるところ、つまり「龍穴」であるとシュタイナーさんがおっしゃっていましたね。

また、日本は世界の雛形だとも言われていますね。

金光教祖は「世界の国々と日本を比べると、日本は落ちくぼんだ所で、このくぼんだ所へ水がたまるように、世界中の問題が日本に集まってくる」とおっしゃっています。

世界中の気が日本に集まるように出来ていて、世界中の問題が日本でも鏡のように写って来るように出来ているのです。

それだけではありません。

世界中の人が日本にやって来る、流れ込むように、もとから出来ているのです。

 

これには、証拠があります。

現人類はアフリカで発祥したのですが、そのオリジンは3通りあって、その3通りの原人類が、アフリカを出発して世界中に分布したのだそうです。

世界の各地域に住んでいる人の遺伝子を調べると、その三種類の原人のうち、どの系統がその地に移動して住むことになったのか、その移動経路が分かるのだそうです。

このようにして調べてみると、世界の各地域の民族には、1種類か、多くても2種類の原人がその地にやって来たということが分かるのですが、

日本人の遺伝子を調べてみると、この三通りの原人の遺伝子をすべて伝えているということが分かったというのです。

つまり、アフリカからスタートした、三通りの人類移動の最終ゴールは、すべて日本列島だったというわけですね。 

このように、「気」も「人」も日本に集まるように出来ているのです。 神々がそのように仕組まれたのです。 

また、「神」は「人」がお祀りするのですから、「人」の移動に同道します。

つまり、「気」も「人」も「神」も、日本に集まるように仕組まれているわけです。

このようにして、集まった気や人や神々を、調和した、やさしい、温かい、呑み込みやすい形に調理・加工して、そして再び世界に発信し、分配するのが日本人の天命・役割なのです。

 

ですから、他の民族の人が日本に移住したいというのを拒絶し、排除しようとする行為は、神に託された日本の使命を引き受けることを拒否していることになるので、そんな神に背く態度を続けてゆけば、やがて日本が衰退してゆくというのは当然のことなのです。

多種多様の人たちが日本にやって来たというのは、以上に述べたような超古代だけにあった話ではなく、聖徳太子や天武天皇の時代も実はそうであったということが知られています。

聖徳太子や天武天皇の時代には、多くの民族が日本にゾクゾクと流入していました。

白い顔の人も、赤い顔の人も、黄色い顔の人も、青い顔の人も、黒い顔の人も…、朝鮮半島から、中国大陸北部から、中国大陸南部から、シベリアから、チベット高原から、島伝いに西南から…、ゾクゾクとやって来ました。そして、神や風俗習慣や価値観や言葉などの違いから、さまざまな問題が起こり、争いが絶えませんでした。

柿本人麻呂に「もののふの 八十氏河の 網代木に いさよふ波(は)の行方知らずも」という和歌があります。

 これは、当時たくさんの氏族(八十氏)が渡来していて、各氏族の武人(もののふ)たちが、それぞれが所属する族の勢力拡大を目指して争って止まない。

そんな混沌とした状況を見ていると、宇治川に魚を捕らえる杭(これが網代木)にぶつかった水の波が入り乱れてどこに行ってしまったのかサッパリ分からなくなる。日本は今そんな状況になっている。

たくさんの氏族が、日本全体のことなどどうでもいいとばかりに、自分たちの族だけの利益のために、アッチの側についたり、コッチの側に乗り換えたりしてあい争いあっている…。

こんなことをしていたら日本の行く末はいったいどうなってしまうのだろう(いさよふ波の行方知らずも)。

この人麻呂の歌は、当時(壬申の乱の前後)の大変な状況を暗示し、嘆く歌なのだとされています。

そんな国内の混乱を憂えた天武天皇は、多氏族融和のために、各氏族の神々や神事を、天皇家の神事として受け入れお祀りすることにしたのです。

また各氏族の神々と天皇家の神々とのつながりを物語る神話を降ろすようにと「天」から命じられ、稗田阿礼に伝えさせたのです。それで「古事記」が生み出されました。

このようにして、聖徳太子から始まって、天武天皇にいたる「大和の国」を育てたいという悲願は、時代を経ても働き続け、次第に熟成されて、ついに今日の日本のような、魂の融合一体化が、世界で一番進んだ民族が誕生したのです。


さて、私たちは現在、天武天皇が直面したのと同様な課題に直面しています。多民族が、それぞれの勢力の拡大を目指して相争って、戦争や争いが世界中で多発しています。

世界全体を調和融合させる、平和で安らかなものにするということがどうしても必要なのですが、その精神やシステムを構築出来るのは日本人だけなのです。

すべての気と人と神々があつまるのは日本だけです。そして、それらの気と人と神々を調和よく融合し、統一して、その精神を経済システムなどに現実化することができるのは、日本人だけなのです。

そして、その「大和」の精神をまず、世界中のすべての気、人、神々が集まる<日本という実験の場>で現実化して、その成果を世界に発信しなければならないのです。

というわけで、まず世界中から、いろんな事情でやって来る人々を日本に受け入れ、抱擁し、温かくつつんであげねばなりません。

そうしようとすると、もちろん天武天皇の時代のように、たくさんのトラブルが発生することになるでしょう。

しかし、世界に通用し、21世紀以降の時代を切り開いてゆこうというのですから、そのように起こってくる不調和な姿も嫌わず、逃げ出さず、課題にしっかり直面して取り組んでゆかねばなりませんね。「難有り、有り難し」でしたね。困難を通してこそ、21世紀以降をリードする「大和」の理念とシステムが完成できるのです。


2025年2月15日土曜日

3704「節分と分かれ道」2025.2.15

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月02日の記事を紹介します。


「節分と分かれ道」


今日は2月2日 節分です。

竹之高地不動社の節分祭に行ってきました。 

少し不思議系のお話を書きます。 

明日は暦の上では立春になります。 

こんなに寒いのに、春はすぐそこですね。

さて豆まきでは、皆さんのお宅ではなんと言いながら撒きますか?

実は、「鬼は内~福は内~」が本当は正しいのではないかと言われています。

節分の日は、日本の国祖、国常立大神(くにとこたちのおおかみ)が

世界の艮(うしとら)の方角、つまり日本の地に封印された日と言われています。

国常立大神(くにとこたちのおおかみ)は、 

『古事記』においては神世七代の最初に現れた神で、

別天津神の最後の天之常立神(あめのとこたちのかみ)と対を為し、 

独神(性別のない神)であり、姿を現さなかったと記されています。

この国常立大神は、地球の原初の頃、地上の修理固成に苦労されていた

「ミロク大神」と「伊邪那岐命」の2神を助ける形で、地上に降臨しました。

国常立大神自身も龍神であったようですが、

他にも数多くの龍神眷属を引き連れてやってきたそうです。

その後も国常立大神は、地球の総司令官として君臨し続けたようですが、

次第にその厳格さゆえに、他の眷属神(八百万神)から不平がもれ始め、

世界の東北(=艮)の地にあたる日本列島に封印されてしまう事になります。 

それ以来、国常立大神は、艮の金神、すなわち「祟り神」として恐れられ、

また、疎まれるようにもなり、その存在すらも忘れ去られてしまう事になります。

このあたりの事情は、出口王仁三郎『霊界物語』によれば、以下のようであったようです。


国常立大神の厳格さに嫌気がさした八百万神々や、

悪神と化していた盤古大神と大自在天神らによって地上は大変乱れてきました。

そこで国常立尊はやむを得ず天に向つて救援を要請しました。

天では天照大御神、日の大神(いざなぎのみこと)、月の大神(いざなみのみこと)、 

この三体の大神が、地の高天原に降臨し、

国常立尊の神政および幽政のお手伝ひをすることになりました。

国常立尊は畏(おそ)れ謹(つつし)み、三体の大神を迎えました。

しかし地上は国常立尊の神政は勢力を失い、盤古大神および大自在天神の勢力は強く、

ついには国常立尊に対して、御退位を迫る勢いでした。

天の御三体の大神は、地上の暴悪なる神々に向かって、なだめ、あるいは訓(さと)し、

天則に従うべきことを丁寧に説きたましたが、時節は悪神に有利であり、いはゆる悪盛んにして、天に勝つ。という状態でした。

ここに国常立尊は神議(かむはか)りにはかられて、髪を抜きとり、手を切りとり、骨を断ち、筋を千切(ちぎ)り、手足所(てあしところ)を異(こと)にするやうな惨酷な処刑を甘んじて受けたまいました。

ですが国常立尊は宇宙の大原霊神(おほもとがみ)でしたので、

一旦肉体は四分五裂しても、直ちにもとの肉体に復ってしまうのでした。

暴悪なる神々は盤古大神と大自在天神とを押し立て、遮二無二に己の要求を貫徹しようとし、天の御三体の大神様の御舎(みあらか)まで汚してしまうことになったのです。

その結果、ついに国常立尊に退隠の命令が下ることになりました。

さて天の三体の大神様は、国常立尊は自分の家臣となって居ますが、元来は国常立尊は大元の祖神であり、御三体の大神様といえども、国常立尊をご自身で生んだ関係がありますので、心情としては国常立尊を退隠させることは忍びなかったのです。 

ですが時節のやむなきを覚り、涙を流しつつ勇気を持って、

しばらくは八百万の神々の進言を、認めることになりました。

その時、天の大神様は、国常立尊に対して後日の再起を、以心伝心で伝え、国常立尊に退隠をお命じになり、天に帰られました。

その後、盤古大神を擁立する一派と、大自在天神を押立つる一派とは、烈(はげ)しく覇権を争ひ、ついに盤古大神の党派が勝ち幽政(霊界)の全権を握ることになりました。

一方、国常立尊は自分の妻神である坤金神(ひつじさるのこんじん)と、大地の主宰神(金勝要神 きんかつかねのかみ)および宰相神(さいしやうがみ)大八洲彦命(おほやしまひこのみこと)、その他の有力なる神人とともに、わびしく配所(はいしよ)に退去しました。

以上が、国常立尊が艮(うしとら)の地、つまり日本に封印されたいきさつです。

(出口王仁三郎の『霊界物語』より)

そして引退の日、つまり封印された日が、節分です。

国常立尊が封印された後、万神達は国祖の威霊が再び出現するのを恐れ、

七五三縄(しめなわ)を張りめぐらし、 

「煎豆に花が咲くまで出てくるな」と呪いの言葉を投げかけました。

さらにその封印の力を強力にするために、

節分の日に「鬼は外、福は内」と唱えさせました。鬼とはもちろん国常立尊のことです。

節分には、日本中がこの言霊を唱えます。

従ってどれほどの威力か測りしれません。 

また節分に炒り豆をまくのには、炒り豆をまいても花など咲くはずもありません。

国常立尊を復活させない「まじない」としての意味があるのだそうです。

ですが、天の三体の大神様は、国常立尊に引退勧告を出すときに、

後日の再起を固く約束されました。

さて、その後日の再起とは何時のことでしょうか?

出口王仁三郎の予言によれば、

2010年より人間の精神性に関する立替え・立直しが始まっています。

もしかしたら、もう近いのかもしれません。

ですが神々のやり方は、

その最中には、全く私たちが気付かない方法で、進められていきます。

多くの人が期待するような派手で、

ドラマチックな、天変地異のようなやり方ではないと思います。

気付いたら、いつの間にかミロクの世が始まっていた・・ そんな形かもしれません。

以前、友人が書いていました(以下抜粋)


ここ数年、徐々に魂のグループ分けがされてきた様に思います。

これについては、沢山の方が体感されてる事でしょう。 

そしてそのグループ分けも、最初は大雑把に、そしてスピードを上げてどんどん細かく。

勘違いをして欲しくないのは、グループ分けと書いてますが、選民意識を持たないでいただきたいんです。

私はこっち、あなたはそっち…とか。 

グループ分けとは、単に目指す方向の違いですから。列車の目的地の違いです。

(以上抜粋終わり)

私もここ数年、漠然とですがずっとそう感じていました。

決して、どちらが良くて、どちらが悪いのではありません。

その人の持つ好みとか嗜好性によって、 

進むべき道がドンドン鮮明に分かれて来ているのではないかと思うのです。

そしてその道は、今までであれば再び交わることもあったけれど、

今の地球での時空間では、もう交わらないのではないかと感じています。

でもそれは悲劇ではなく、自分の好きな道、目的地が鮮明になり、

そこへ向かうがための別れでしかありません。

そして、自分で定めた目的地にちゃんと着くには、

・自分がどうしたいのか?

・何をしたいのか?

・どう生きたいのか?

人に流されず、人に頼らず依存せず。自分の信じる道を進む勇気を出してみてください。

私たち一人一人は、神さまに見守られています。

ですから自分の意思・心で決めて進んで行くことができます。

自分の人生は人に頼り、決めてもらうのではなく、

自分で決めて進んで行かねばなりません。

できるなら、心に張り付いた沢山の灰汁(アク)を少しずつ落とし、

ピュアな心で内に居らっしゃる神さまと歩んで行きたいものですね。

私もそうしたいと思います。

そして、できれば国常立尊が納める聖なる世界に行きたいです。


2025年2月14日金曜日

3703「愛語」2025.2.14

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月01日の記事を紹介します。


「愛語」


見える世界、見えない世界を含め 

世界のありさまを決めるのは、私たちの心です。  

今日は、その心を美しくするために

簡単にできる、「愛語」について書きたいと思います。 

きっと、この愛語の精神でいる限り、

宇宙からのサポートがふんだんに降り注ぎ、

私たちの所属する銀河が、今通過している大きな潮流に乗り、 

ご自分も、そしてご家族も幸せになれることでしょう。 

<転載開始> 転載元 小林正観さんの記事より

「愛語(あいご)」という言葉は、

良寛和尚が好んで使っていたと言われています。

良寛和尚の「愛語の心」とは、こういうものだと聞きました。 

「自分は貧しいひとりの修行僧なので、

人に与えるもの、あげるものが何もない。 

だからせめて、心をあたたかくするような、

心を安らげるような『言葉』をあげたい。 

それならいくらでもあげることができるから」

良寛さんは、自分の口から出てくる言葉を 

・あたたかい言葉

・やさしい言葉

・思いやりに満ちた言葉 

にしたいと思っていたようです。

日本の神道には「言霊(ことだま)」という概念があります。

「言葉には神が宿っている」という考え方ですが、

私たちは、普段、使っている言葉のひとつ一つに、 

相手に大きな影響を与える力(神)が

宿っていることを、忘れていたのかもしれません。

京都に、空也上人(くうやしょうにん)の木像があります。 

木像の口から細い板が出ていて、

その上に、小さな仏様が何人も立っています。 

説明によると、

「空也上人の口から発せられるひと言ひと言が、

すべての人を救いに導く『仏』であった」というのです。

私はこれまで、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言うことは、

「悪臭を放つ花の種を蒔(ま)くこと」と同じだと考えていいましたが、 

一歩進んで、自分の口から発せられる言葉をすべて、

・あたたかいもの

・勇気づけるもの

・安らげるもの

・幸せを感じさせるもの

・喜びを与えるもの 

にできたらと思います。 

そうすれば、「芳香(ほうこう)を放つ花の種を蒔く」ことにもなるでしょう。 

「悪臭」の中で生きるか、それとも「芳香」の中で生きるか…

芳香の中で生きるほうが、楽しそうです。 

「言葉には『神』が宿っている」という考えは、

「言葉には『気』が込められている」という考えでもあります。 

だとすれば、人の心を明るくする気を込めたいものです。 

人に対して「愛語」を考えるだけでも、

生活が変わってくるような気がします。

<転載終了> 

自分の口から出る言葉に少し気をつけて、

良寛さんのように、 

・あたたかい言葉

・やさしい言葉

・思いやりに満ちた言葉 

を口にしたいものですね。

そうすると、その発せられた言葉は、神さまの波動を帯びていますから、 

必ず相手のハートの中の神さまも共鳴します。 

その結果、お互いの間に目に見えない良き共鳴現象が起き、 

美しいハーモニーを奏で、幸せになることができます。 

私たちは、自分の心の中に在るものを、自分を取り巻く外の世界に見ます。 

また、自分の心の中のものが、口から出ます。 

ですから、自分の心に取り込むもの(見たり、聞いたりするもの)も 

・美しい心の表現

・信じる心の表現

・優しい心の表現

・思いやり、助けいあいの心の表現 

を見て、そして聞きたいものですね。 

そうすれば、同じもので、私たちの心は満たされます。 

逆に、興味本位で(面白いからと) 

・人をけなすもの、おとしいれるもの

・人を疑う、疑心暗鬼のもの

・人を差別するもの、排除するもの

・怒りと憎しみに満ちたもの

からは遠ざかり、心に入れないようにしたいものです。

それらのことを、もし面白いと感じたのなら、静かに心を振り返ってみてください。 

そこに邪悪なものは潜んでいないでしょうか? 

そうすれば私たちの心のバケツは、美しいもので満たされることでしょう。

美しいもので満たされた心は、それを表現しようとし、周りを幸せにすることでしょう。 

そしてご自分自身も、世の中に美しい心の世界しか、見なくなることでしょう。 

空海の言った「生きながら天国に住む」とはこのことです。 

幸せは、神様がくれるものでも、何処かの誰かがくれるものでもありません。

自分の心が決めるものです。