2025年2月5日水曜日

3694「地球のドラマ」2025.2.5

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月24日の記事を紹介します。


「地球のドラマ」


138億年前に、この宇宙はビッグバンで始まりました。

そこに現れたのが、天之御中主神(アメノミナカヌシ)

この宇宙を創造する・・

それは、この神様の意思から始まりました。

その後すぐに

・高御産巣日神(タカミムスビ)

・神産巣日神(カミムスビ)

の2神が現れましたが、この2神の役割は ムスビ と言う言葉が示す通り、

波であり、物質である素粒子を結び(ムスビ)つける中間子の力を示します。

1935年、日本の湯川秀樹博士によって科学的発見された力でもあります。

このことにより、

波、素粒子から原子が生じ、分子、物体となり、物質宇宙を形成することができました。

この時、つまり天地開闢において、神世七代の最後に

・イザナギノミコト

・イザナミノミコト

の男女の神様が生まれ、国土を形成し、沢山の神々を生みました。

神の国、日本では、森羅万象の中に神々を見出し、

恐れ、敬い、大切に共存の道を歩みました。

西洋における「自然は人間が征服すべきもの」とは正反対の心です。

縄文の時代より、人々は人間の心の中にも神を見つけました。

自分の中にも、相手の中にもです。

その結果、相手を尊重し、お互い様、おかげ様の美しい心が育ちました。

全ての人の心には、神々が住んでいます。

その美しい神々の心を、この世に生を受け、荒波にもまれ、生きるために必死になっている間に、ポツンと小さな自我が生まれました。

「自分さえ良ければ」の黒いシミのような心です。

何時しか、それらモヤモヤしたものが凝り固まると、実際に独り歩きを始めたり、

様々な害悪を世の中に広めることにもなりました。

私達日本人は、何かあるとよく神社や仏閣に行ってお参りします。

お参りと言うよりも、願い事を言いに行く人の方が、圧倒的に多いかもしれません。

ですが、いつもいつも

・何々してくれ

・あれをくれ

と自分の欲望をぶつけに来られる神々も、困っているかもしれません。

宇宙創成以来の神々は、何も私たちの欲望を叶えるために存在しているわけではないからです。

ですが、この物質界に生を受け、いろいろな艱難苦難に会いながら

魂磨きをしている私たちにとって、

・誰かにすがりたい

・何かに助けて欲しい

そう思うのも無理のないことかもしれません。

ですが、この神々でさえも、私たちの心が、自我、欲望にまみれ、罪・穢れの中にある時は、助けたくとも手が出せません。

私たちの心が変わらなければ、例え、有名な神社仏閣に行こうと

高いお金を払ってご祈祷していただこうと、効果はありません。

では、私たちの心が、どう変われば、神々の恩寵を得ることができるでしょうか?

それは、私たちの心に「感謝の心」が芽生えること。

辛く苦しい環境の中に置いて「感謝の心」を持つことは難しいかもしれません。

縄文の時代から培われた神道では、お祓いと言うものがあります。

これは、本来美しい輝きを放っていた、神々の心を持つ、私たちの心の自我や欲望、

良きことも、悪しきことも全て祓ってしまい、

(そのエネルギーを黄泉の国に返し、循環させる効果があります)

本来の無垢のニュートラルな心に戻す効果があります。

助けて欲しい・・そのように他力本願ですがってきた人々も、

自分の力の及ばない、見えない神々の力を信じ、頭を下げ、真摯に祈る姿

ここからブッダの悟り、

縁起の法則を見出す、小さな一歩が始まります。

縁起の法則というのは

「人は自分の人生を自分の思いで作れると思っているがゆえに、悩み苦しむ。

人生は自分の思いでできあがっているのではなくて、自分たちの思い以外の、

神仏や周りの人々のおかげで全部が成り立っている」 

というブッダが初めて悟った時に知った宇宙の法則です。

人生の中で遭遇する

・悲しみ

・苦しみ

・悔しさ

それらは、苦しいことですが、実際には私たちの魂を磨いてくれます。

それをきっかけとして神々に目を向け、小さな自分に気づき、

周りの方々の「おかげ様」に気づき、感謝の心を持つことができた時、

私たちの生まれて来た人生も目的の大半は成就して、

神々からの祝福を思う存分得ることができることでしょう。

この宇宙に存在する物、見える物も、見えない物も、人間も、動物も、植物も神々も、

全部繋がっています。

天之御中主神(アメノミナカヌシ)がこの宇宙を創る時に描いた理想、

それは、存在する物全てが、助け合い、バランスを取りながら変化し進化していくこと、

美しい神々の心を実際に実現していくこと。

この宇宙の果て銀河系の中、太陽系の第3惑星 地球で、

私たちは今、そんなドラマを演じています。


2025年2月4日火曜日

3693「運がいい人」2025.2.4

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月23日の記事を紹介します。


「運がいい人」


今日は、斎藤一人さんのお話です。

「運がいい人になるには」というテーマです。 

<引用開始> 引用元

舛岡はなえさんの「斎藤一人 人生ぜんぶハッピーラッキー」の中から、

ひとつの面白いエピソードをご紹介します。

舛岡さんは、あるとき前から疑問に思っていたことを一人さんに尋ねます。 

それは、「すごくいい人で幸せだった人が、

あるときから、幸せでなくなるのはなぜですか?」ということです。 

一人さんは、「理由はひとつ、

でも、この話を信じてくれる人は、10000人に1人もいればいいほうなんだよね」

などと言って教えてくれます。 

なんだと思いますか? 

「いい人で幸せだった人が、幸せでなくなるのは、

自分が神様に愛されているって思っていないからなんだ。

本当は、人はみな神様に愛されているのにね・・・」 

普通の人は、何か問題があると、 

・あれが悪い、これが悪い、と悲観的になりがちです。

・お前が悪い、あいつが悪い、と誰かを責めてしまいます。

・自分は不幸だなぁ、運が悪いんだと思い込みます。 

でも、神様から愛されていると思っている人は、

何か問題があっても、落ち込むほど悲観的にならないし、

誰かを責めることもまずありません。  

もちろん、その人にも何らかの問題は必ず起こります。 

ただ、それは神様からの試練だと受け止めるんですよね。 

それは、

・必ず乗り越えられるし、

・乗り越えれば必ずもっとよくなる。 

神様はそんな試練を与えてくれたんだって思うわけです。 

だって、神様から愛されているんですから・・・ 

神様が自分に嫌がらせをするわけがないんです。 

神様が自分を成長させてくれるために、試練を与えてくださったのだから、

むしろ感謝します。 

さて、あなたも何かいま、問題をもっていますか? 

問題を持っていない人なんて普通いないと思います。 

ただ、その問題を 

・悪いものだとネガティブに考えているか、

・その問題でよくなれるとポジティブに考えているか 

の違いがあると思います。 

繰り返しますが、「自分は神様から愛されている、

だからその与えられた問題を通して、もっとよくなれる」と考える人は、 

多少辛いことがあっても、自分は不幸だとか、運が悪いとは考えないんです。 

むしろ、神様から愛されている自分は、

今もこれからもずっと運がいいんだと思っています。

あなたもぜひ、自分は神様から愛されていると感じられる、

10000人に1人の人になって下さい。

次の言葉は一人さんが、舛岡はなえさんに教えた、運が良くなる言葉です。

何か問題があったときは、この言葉を何度も唱えるといいそうです。

「これでよくなる。だからよくなる。さらによくなる。」 

たったこれだけです。試してみるといいですよ。 

<引用終了>

斎藤一人さんは、いつもわかりやすい言葉で真理を伝えてくれています。 

私たちが、今この世に生まれてきている以上、 

誰一人、神様の承諾なしに、生まれませんから、

皆が一人残らず神さまに愛され、祝福されています。 

「幸せになるんだよ」と地球に送り出されました。 

天国にいる時、神様と一緒に考えた幸せとは 

・大きな家に住むことでも

・大金持ちになることでも

・美しい容姿になることでも

・病気一つしない健康な身体になることでも 

ありませんでした。 

かえって、その逆の環境に身を投じ

・真の心の幸せ、

・美しい心

・人々との、優しさ、思いやりの交流 

を手に入れることだったかもしれません。

なぜなら、艱難、苦難、孤独、逆境こそが、私たちの魂を磨き、輝かせてくれるからです。 

それらを通じ、「感謝の心」を芽生えさせた時、 

私たちは、真の意味で、神様に喜ばれ、天の国に迎え入れられることでしょう。

無名戦士の詩より、ご紹介します。

 

大きな事を成し遂げるために、

力を与えてほしいと神に求めたのに

謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった

偉大なことができるように健康を求めたのに、

よりよきことをするようにと、病気をたまわった

幸せになろうと、富を求めたのに、

賢明であるようにと、貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、

得意にならないようにと、失敗を授かった

求めたものはひとつとして、与えられなかったが、

願いはすべて聞きとどけられた

神の意にそわぬものであるにもかかわらず、

心の中の言いあらわせない祈りは、

すべてかなえられた

私はもっとも豊かに祝福されたのだ

2025年2月3日月曜日

3692「冥界との絆」2025.2.3

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月22日の記事を紹介します。


「冥界との絆」


みなさんのご先祖は冥界(黄泉の国、神々の世界)にいらっしゃいますので

ご自分で意識したことが、現実になる世界にいます。

私たち生きている者が、思い出したり、感謝や優しい気持ちを向けたり、

お供え物をすることで、その意識は冥界で現実化して、先祖の皆さんに届けられます。 

日本古来の古神道では

・神々との繋がり

・祖先との繋がり 

これらを

・横のつながり

・縦のつながり 

として、大切なこととしています。 

以前、宝徳様の神職の女性が「先祖供養」について話してくださったことがあります。

それは、 

私達生きている者と、神さまの間に、ずらっとご先祖がいらっしゃる。

つまり、神さまと生きている私たちを繋いでくださっているのが、ご先祖 

先祖供養をすることで、 

私たちまで命を繋いでくださったことに対する感謝を伝え

(どんなにか、苦労を重ね、喜び悲しみを経験し、生き抜いてくださったことでしょう) 

そして、神様と私たちの、その道の間にいらっしゃるご先祖

どなたも、神の光の道からそれないように、 

真っすぐに神様の方向へ進めるように足元を照らすようにお祈りするのが、先祖供養です。

そう教えていただいたことがあります。 

さて、斎藤一人さんも、先祖供養について、

いろいろ教えてくださっていますのでご紹介します。 

<引用開始> 引用元

先祖供養の本当の意味は、子孫であるその人のことを、

「いてくれてよかった」って言う人が何人いるかなんだよ。

大きな仏壇を買うことが先祖供養じゃないの。

それは仏壇屋さんや宗教をやってる人が言うこと。 

さらにいえば、それって商売なの。

仏壇に入っているのは仏様なんです。

それで30分も1時間も先祖供養のために

念仏を唱えるっていうんだけど、お経って仏様の教えなの。 

仏様が教えたことを仏様に向かって30分も1時間も話すって変だよね。

きっと仏様も、「それ、俺が言ったんだよ。

だからわかってるから、外に行って実践しな」って言うと思うよ。

お経をあげるのがいけないって言ってるんじゃないの。

あげてるあいだは無心になれるし、

そのあいだ、人の悪口とか言わないからそういう意味ではいいの。

でも、どうせだったら、意味も知ってたほうがいいよね。 

さらに言えば、それを実践できるようにしたほうがいいよねってことなの。 

だから先祖供養でいちばんいいのは、

「あなたがいてよかった」(あなたが生まれてきてくれて良かった)って言ってもらうことなの。

あなたが生まれてきたのは

ご両親がいて、そのまたご両親がいたからなの。 

先祖が誰一人として欠けても、あなたはこの世に生まれてこなかったんだよね。 

子供をほめられたら親ってうれしいの。

だから、あなたがほめられることが、最高の先祖供養になるんだよ。 

<引用終了>

確かにそうかもしれませんね。 

私たちも、子供たちが、世間の皆さんに喜ばれる存在であれば

自分が褒められる以上に、とっても嬉しいと思います。 

私たちが、周りの方々に示す

・優しさ

・思いやり

・助け合い

・お互い様、おかげ様 

の心は、自分たちだけでなく、ご先祖様を含めて幸せにしてくれるようです。 

また私たちが、ご先祖や大切な方々を思い浮かべ 

感謝の気持ちを持つことは、

その瞬間、時空を超えて、冥界で神様に向かって歩いている方々の、 

足元を神さまの光で照らすことになるようです。 

ご先祖だけでなく、大切な方も同じことです。 

これこそ人に依存しない、理想的な形の先祖供養かもしれません。

また、「親孝行」について、小林正観さんが以下のように仰っています。 

<引用開始> 引用元

親孝行とは、親が生きている間にしてあげるものではありません。

本当の親孝行とは、親が亡くなったときから始まります。

親が亡くなり、あちらの世界に行って、こちらを見ているときに 

ほら見てください。あれが私の子供です。 

あんなに人に喜ばれながら、楽しそうに生きているのが、私の子供です。

と自慢できるような生き方をすることが、最大の親孝行ですよ。

親や祖父母、近親者が亡くなって、

何もしてあげれなかったと思っている人も多いようですが、

本当の孝行って今これからなんですね。

・人に喜ばれていますか?

・今を楽しんでいますか?

ご先祖様が、私たち子孫の自慢話を、話題にできるような、生き方ができているか?

見つめ直してみましょう。 

<引用終了>   

ご先祖も、両親も、そして今の家族も、みんなを幸せにするのは、 

みんなに幸せを感じていただくためには、 

全て、今の私たちの生き方、心ひとつにかかっているのですね。 

みんなが幸せに、笑顔で生きていけるよう、命を繋いでくださった先祖も、

神さまのもとに、真っすぐに歩みを進めて行けるように、 

心を整えていきたいものです。 

私たちの心は、本当は 

・見えている世界

・見えない世界

さえも包括する、偉大で尊く、巨大なものです。 

みんな、心の鎧を脱ぎ捨ててしまえば、 

純粋で、優しく、愛に溢れた光り輝く魂を持っています。 

まずは、自分の半径3m

身近な人たちに笑顔と優しさを分けて差し上げることからスタートしてみましょう。

 

2025年2月2日日曜日

3691「おかげ様の人生」2025.2.2

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月21日の記事を紹介します。


「おかげ様の人生」


私たちは同時に3つの世界を生きています。

・見えている世界。今の現実と思っている世界

・見えない世界。不思議の世界(黄泉の国、霊的な世界)

・心の世界

この3つです。 

そして今まで一番ないがしろにされてきたのが「心の世界」ですが、

実は一番重要で、見える世界、見えない世界を変えてしまうほどの力があります。 

見えない世界は、一見、神秘的で不思議で、ワクワクさせてくれます。 

見えない世界の、神様や龍、精霊、宇宙人など、

何だか頼れば、大きな力をくれそうな気もします。

ですが、私たちの心が変わらなければ、それも一時のこと。 

心を清浄にすること、ピュアにすること、感謝の気持ちで満たすこと、

このことの方が、何千倍、何万倍、何億倍も価値があり、

永続的な幸せの世界、神々の世界へ私たちを連れて行ってくれます。 

見えない世界の力をいくら手に入れようと、ご自分の心の世界の変化にはかないません。

ご自分の心を鏡に映したとき、その姿を、まっすぐに見つめることはできますか?

それでは、今日も心をピュアにするためのお話です。 

ブッダが悟りを開いたとき、最初に気づいた宇宙の法則があります。

それが、「縁起(えんぎ)の法則」です。 

縁(よ)りて起こる、この意味は、自分の人生は、

・自分以外の、すべてのおかげ、

・神仏や、まわりのおかげで成り立っている。

自分の思いで成り立っているものは、何ひとつない。

人は、自分の思い、力、能力で未来を切り拓(ひら)き、

人生が変わっていくと思っているので苦悩する。

人間の苦悩の本質は「縁起」を認めないために起こっている。

この「悟り」を言い換えて言うと、

あなたの努力や才能によって、人生が組み立てられていることは一つもない

あなた以外のすべてが、あなたの人生を決めている

ということです。 

それでは、ここで、正法寺住職の青山俊董さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

京都駅で拾ったタクシーの運転手さんが語りかけてきました。

「ご出家さんですね。お話をさせていただいてもよろしゅうございますか」と。

「どうぞ」と私は答えました。

「私は高校三年生の三学期に両親を亡くしました。

町会で河豚(ふぐ)を食べに行き、その毒にあたって一晩で亡くなりました。

いつもなら母親が早く起きてお弁当を作ってくださるはずなのに、

いつまで経っても音一つしないので、

“おかしいなあ?”と思って、両親の部屋の戸を開けてみました。

二人ともさんざん苦しんだ後、息が絶えておりました。

驚いて電話に走り、親戚の者が駆けつけて葬式は出してくれました。

借金はありませんでしたが、一銭の貯えもありませんでした。

私の下に五歳の妹がおりました。

父が出征しておりましたから、年はなれて妹ができた訳です。

高校三年の私と五歳の妹では、家賃がとりたてられないであろうというので、家主が追い出した。

私は五歳の妹を連れ、最小限度の荷物を持ち、安い六畳一部屋を借りて出ました。

両親に代わって妹を育てなきゃならないと思って、私は夢中になって働きました。

朝は新聞配達、昼は勤め、夜はアルバイトとメチャクチャ働いて、

二十二、三歳のときには、安いアパートを買うほどの金は作りました。

その間、私は働くことしか考えていませんでしたから、

洗濯も炊事も掃除も何もしませんでした。

五歳の妹がしたことになります。

妹に勉強机の一つも買ってやりたかったのですが、

六畳一部屋に食卓と勉強机と二つおくと寝るところがなくなるから、

妹はかわいそうだけれど食卓を勉強机に兼ねてもらいました。 

狭い家で育ったから妹は整理の名人になり、今、大きな家にご縁をいただいておりますが、きれいに整頓されております。

考えてみましたら私なんか、もし両親が元気でいてくれたら、今ごろ暴走族か突っ張り族か、ろくな人間にしかなっていなかったと思います。

もし両親が死んでくれても、金を残してくれたら今の私はなく、

また妹がいなかったら淋しくてぐれていたでしょう。

両親はいない、金はない、幼い妹がいる。

私は本気にならざるを得ませんでした。

私を本気にしてくれ、一人前の大人にしてくれ、男にしてくれたのは、

・両親が死んでくれたお陰、

・金を残してくれなかったお陰、

・家主が追い出してくれたお陰、

・幼い妹をつけてくれたお陰

と思い、毎日両親の位牌(いはい)に感謝の線香をあげております。

何もかも私を一人前の大人にするための、おはからいと感謝しております。

ただ一つ、妹がよいご縁をいただいて、花嫁衣裳を着たときは泣けました。

両親に見せたかった。

わずか三十分ほどの間の話でしたが、

どんな立派な方の話よりもすばらしい話を聞くことができ、

心から「ありがとう」といって車を降りました。

お釈迦さまは、この世の中には四種類の人がある、と説かれました。

・闇から闇へゆく人、

・闇から光へゆく人、

・光から闇へゆく人、

・光から光へゆく人と。

人生の幸、不幸を、光とか闇という言葉で表現することができるでしょう。

一般的にいって闇としか思えないことを、

・両親が死んでくれたお陰、

・金を残してくれなかったお陰、

・家主が追い出してくれたお陰、

・幼い妹をつけてくれたお陰で、

本気になれた、一人前の大人になれたと

全部「幸い」と受けとめ、光へと転じているよい例といえましょう。

<引用終了>

私たちは、誰一人、他の誰かのお世話にならず、迷惑もかけず、

生きていける人はいません。 

必ず、どこかの誰かのお世話になり、周りに迷惑を掛けながら生かされています。 

今の私があるのも、家族をはじめ、友人、職場の仲間

・私を好きな人

・私が好きな人

・私を嫌いな人

・私が嫌いな人 

全てのお陰様で、今の私たちが形成され、ここまでの道のりを連れてこられてきました。

辛く苦しい環境、辛く当たる人たちでさえ、

今の私になるために、欠かすことができなかったのです。

そのすべてのバランスと、タイミングを見計らい、

人を連れてきて、その出来事を起こしてくださったのは、

私たちの魂の成長のために、常に心を砕いてくださっている神様です。 

私たちは、出会った人すべての人によって、今の私たちが形成されています。 

たとえ嫌いな人でも、人生に現れた人達は、全て私たちに経験をくれた人。

一人でも欠けていたら、今の私はありません。

・私が嫌いな人

・私を嫌いな人 

そんな嫌われ役を、わざわざ引き受けて生まれてくださった方々です。 

私たちに、苦い経験をさせてくれるために、

敢えて苦しい立場を引き受けてくださいました。 

クラリオン星から転生してきた小学生の

久松奏拓(ひさまつ・そうた)君も言っていました。 

嫌いな人や苦手な人を無理に 好きになろうとしなくていい。 

良いとか悪いというジャッジもしない事。

それは単に波長が違うだけなのだから。

私たちは、そんな風に思えたら、好きにならなくとも、感謝はできるかもしれませんね。

感謝のあるところ、 いえ、感謝のあるところにしか、

神々の恩寵は現れることができません。


2025年2月1日土曜日

3690「生活のためのスキルを喪失したアメリカのZ」2025.2.1

 今回はIn Deepさんの2025年01月20日の記事を紹介します。


「生活のためのスキルを喪失したアメリカのZ世代:彼らは「電球の交換方法」を知らない。日本の若者は?」

https://indeep.jp/generation-z-way-of-life/


米国のZ世代とは、おおむね現在の十代と二十代のことです。


「ドライバーのマイナスを認識できない」

米ニューヨークポストでおもしろい記事を見かけました。

「Z世代は電球の交換ができない」

というタイトルの記事で、最近の世論調査についての記事です。

米国での Z世代は、厳密に決められているわけではないですが、1996年から 2015年あたりにかけて生まれた世代ということになっていまして、大雑把にいえば、「現在 10代から 20代の世代」ということになるでしょうか。

この世代は、「そのようなことを自分で処理するよりも、他人にお金を払ってやってもらうことを好むから」ということのようですが、しかしまあ、電球くらいは自分で交換できないと…とも思います。他にも、さまざまに「できないこと」が世論調査で挙げられていまして、わりと興味深かったので、まずは最初にその記事をご紹介したいと思います。

これを読み、「日本のその世代はどうなんだろう?」とも思います。

まずは記事です。


驚くべき新しい世論調査で、Z世代は電球の交換方法を知らないと衝撃的に認めた

Gen Z shockingly admits they don’t know how to change a lightbulb in startling new poll

NY Post 2025/01/14


米国の Z 世代(10歳〜29歳)の若者が日常の DIY の義務に取り組む能力がないという新しいデータによると、彼らは電球を交換することさえできない。

「基本的な実用的なタスクを実行する能力が若い世代の間で失われつつある」と、英国を拠点とする自動車および自転車小売業者ハルフォーズのアンディ・ターベフィールドは警告した。

ニューヨーク大学ランゴーン校の心理学者ヤマリス・ディアス氏は、彼らの欠陥はおそらくデジタル時代によるものだと語った。

「彼らは、本当に自分で何かをする必要がなかっただけです」と、18歳から 27歳までの現実世界の新人である Z世代についてディアス氏は語った。

「彼らの、そして私たち全員の生活の多くは現在では自動化され、便利でアウトソースされており、今日の若者世代は過去の世代よりもはるかにその恩恵を受けています」と彼女は付け加えた。

「ですから、Z世代が非技術系または独立したタスクに関して、それほど多くのことを知らないのは当然です」

その証拠は彼らの無力な DIY 力にある。

ハルフォーズの研究者たちは、Z世代、ミレニアル世代(28歳から 44歳の人々)、X 世代(45歳から 60歳の人々)、ベビーブーマー世代(60歳以上の人々) を含む 2,000人の成人を調査し、各人口統計の自立レベルを判定した。

調査員たちは、Z世代の約 25%が天井のランプの電球の交換方法を知らず、はしごを登るのは「危険すぎる」と主張する人が多いことを発見した。また、5人に 1人は電球は「熱すぎる」のではないかと心配した。

そのため、レポートによると、Z世代はリスクをさらして一般的な DIY を完了するよりも、GOTDIT(他の人にやってもらう)を好むという。

この啓発的な新発見は、「 Z世代は怠け者」というあまり甘くないキャンペーンに新たに加わったものであり、20代に対する社会の好みをいくぶん不快なものにしている。

しかし、ニューヨークの Z世代は、この「怠け者」というフレーズを断固として拒否しており、「怠け者ではなく、ベビーブーマーや X世代よりも創造的なだけだ」と主張する。

若者たちは、小さな不便を処理してもらうためにはサービススタッフに大金を支払うことを好むようだ。

ハルフォーズのアナリストたちは、Z世代が基本的な家事を行うために専門家を雇うのに、平均して年間 1,500ドル(約 23万円)以上を費やしていることを発見した。

Z世代の上の X世代は、この追加的な手助けに年間約 470ドル(約 7万3000円)しか支払っていない。その上のベビーブーマー世代は約 300ドル(約 4万7000)だけだ。

Z世代は基本的なスキルが不足していると報告されていることから、彼らが支払うこの多額のお金は、有効に使われているのかもしれない。

電球の交換方法を知らないことに加え、Z世代の大半は車の掃除の能力にも自信がない。実際、回答者の一部は、汚れ仕事は親にやってもらいたいと答えた。

車のタイヤに空気を入れる方法を知らない若者は半数程度で、ワイパーブレードの取り付け方を知っている若者はさらに少ない。

そして、驚くべきことに、このグループの 30%はドライバーのマイナスを識別できず、21%はレンチを認識できなかった。

10人に1人は、壁に絵を掛けるにもプロを呼ぶと認めた。


調査の結果、Z世代の多くが額に入った絵を壁に掛けることができないことが判明。

「特に自動車に関する知識が低下しているようだ」とターベフィールド氏は述べ、「最も基本的な作業さえやりたがらない人が多い」と付け加えた。

しかし、彼らのこの「GOTDOIT (他人にやってもらう)」精神が、台頭しつつあるアルファ世代(1歳から 10歳までの子ども)や、2025年以降に生まれる赤ちゃんである新世代に受け継がれないようにするために、ディアス氏は、親が今から子供たちに教育を始めることを提案している。

有能な子供を育てるディアス氏のアドバイスは以下の通り。

・家事を割り当てる: 家事は、子供がスキルを学び、家事に貢献する仕事を自分で行うのに役立つ。

・「手を使う」ことを奨励する: 積極的に何かに取り組むことを必要とする非技術的な活動に子供たちを参加させる(例: 木工、大工仕事、物の組み立て、庭仕事、絵画など) - もちろん、大人の監督の下で。

・子供たちを「ヘルパー」にしよう: こうしたタイプの作業はどれも、家の中でやらなければならないことを子供たちに手伝わせるチャンスだ。事前に少し指導しておけば、子供たちにあなたの役に立つ作業を割り当てることができ、スキルを身につけることができる。さらに、ママやパパと一緒に時間を過ごすというボーナスもある。

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ここまでです。

この中の「電球を交換するときには熱すぎるのではないか」という心配には、やや笑いましたが、「だから電球を消してから交換するんです」と言ってあげたいところです。

しかし、ドライバーのマイナスを認識できないとか、壁に絵を掛けることもできないとか(確かにフラットな壁の場合、コツはいりますが)…。

ちなみに、これらについて、上の記事では、

・子どもに家事を割り当てる

とか、

・さまざまな作業を手伝ってもらう

ことを推奨していますが、こういうのは良くないと私は思います。

それは「自発的ではない」からです。

たとえば、食事の用意を子どもに手伝わせるお母さんとか、そういうのは昔からよく見る光景ですが、私の過去の知人を思い出すと、比較的裕福な家庭で、そういうことをされてきた子どもたちの大半が、

「大人になると家事をまったくしなくなる」

という事例を多く見てきました。結婚してからも何もやらない。

逆に私の家は、私の小さな頃は、父親が(料理は父親の仕事でした)、「子どもが台所をうろうろするんじゃない」というような家で、しかし、私は小学生の頃から料理が好きで、結果として、

「台所から離れたところから料理をしている光景を観察している」

ということになっていました。

そして、「ああ今、醤油を入れて…ああ、ここで炒める…」とか、学習しながら、親が寝付いた夜中に料理をしていたものでした。

まあ、料理はどうでもいいとして、電球の交換とかドライバーの識別とか、そういうのも、「やれ」と言われてやったんじゃ身につかない。

要するに、「やれ、と言われなければ、やらなくてもいい作業」というふうに考える子どもたちもいるはずだからです。

ドライバーなんて、男の子の場合だと、機械やら何やらに興味が出てくると必ず自分で使わなければならない局面が出てくるわけで、それが自発的に出てくるまでは、何もさせなくていいのではと。

結果として、いつまでも自発的な興味が出なかったのなら、それはそれでいいですし。

この「自発的な機会を待つ」というのは、全部につながることだと思っています。 

 

詰め込み教育から DIY まで

いわゆる勉強もそうです。

もう 10年くらい前ですが、今のままの詰め込み教育だと日本の学力はさらに下がっていくというような懸念を以下の記事で書きました。現実、日本の大学のレベルは下がりっぱなしです。

シュタイナーが「子どもへの詰め込み教育は絶望的な社会を作る」といった100年後に、完全なるその社会ができあがった日本。その日本人の生命エネルギーは驚異的なまでに低下しているかもしれない

In Deep 2015年04月16日

そりゃまあ、単に受験対策とか、そういうものに対してなら一時的な詰め込みも有効なのかもしれないですが、勉強とは本来、「自分が生きる方法を探るため」の一生のものです。

私のように若い時に一切勉強しなかったような人間もいますが、私は四十代を超えてから初めて「自発的な興味」が出ることで勉強を始めました。いつかは出るもんです。

とにかく、本人のまったく興味のないところに、いくら詰め込んでも、受験が終われば全部忘れているようなものばかり。

そのあたりは、高学歴の大人にいろいろと質問するとわかります。

多くが、なんにも覚えていないし、なんにも知らない。

 

2020年からのパンデミックとワクチン展開は、「自分の命を救うためのひとつの勉強の発露の機会」でしたが、あんなに大多数が、ワクチン展開に従っていました。しかも、高学歴になればなるほど。

詰め込み学習されればされるほど(あるいは、詰め込み学習を受け入れれば受け入れるほど)イディオットになっていくという現実がよく見える光景でした。

(参考記事)アカデミズムに駆逐される人類社会

In Deep 2024年4月17日

医師という職業は高学歴の象徴のひとつであると思われますが、2回目までの接種率が 99%以上だったというデータもあります。

大阪府の65歳以下の医療従事者のコロナワクチン接種率の推移


donkey1399,大阪府

まあ、このことはともかく、ルドルフ・シュタイナーは 100年以上前の講義で以下のように述べていて、詰め込み教育が広がることに懸念を持っていました。

シュタイナーの 1912年の講義より

大学には多くの学部があり、教授たちが思考と研究以外のことに、一年中かなり駆り立てられています。

学生が試験のために知らなくてはならないことを、二、三週間で習得させます。つまり、最も必要なものを詰め込むのです。

そのような詰め込みが最悪なのです。

小学校でも詰め込み教育が行われるようになると、その害は想像を絶するものになるでしょう。

詰め込み教育の本質は、心魂つまり存在の最奥の核と、詰め込まれるものとの結びつきが、まったくないことです。心魂は詰め込まれる内容に、関心を持てないからです。

習得したものをしっかりと自分のものにしたい、という気持ちがないのです。人間の心魂と自分が習得するものとのあいだに、興味の絆がわずかしかないのです。

その結果、活動的に公的生活に関わることができなくなります。詰め込まれたものが、自分の職業の課題と内的に結びつかないからです。心魂が、頭の活動から遠く離れているのです。

人間にとって、頭の活動と心魂が遠く離れていること以上に悪いことは、他にありません。

ここに、

> 心魂は詰め込まれる内容に、関心を持てないからです。

とありますが、本来的に心の底から興味を持てない(あるいは自分の生き方と結びつかない)ものに対して、真剣に学び続けようとする意思が生まれるはずもないはずです。

これは勉強の話でしたが、他のさまざまにおいても、現在の Z世代からスキルが奪われた…まあ、スキルといっても、電球交換くらいの話ですが、そういうことと関係しているのだとも思います。

 

今のデジタル社会は、多くの人が自分で使っている機器について、その「中身」をまったく知りません。スマートフォンを含めて、ほぼ完全なブラックボックスです。

パソコンくらいなら自分で組み立てる若者もたくさんいるでしょうが、他のデジタル機器についてはブラックボックスのままです。

確かに照明ひとつにしても、今の家庭用家電には「スマート」などという冠のつく複雑なものも多く、故障した場合どうしていいのかわからないものもありますが、生活していると、いろいろな小さな不便は出てくるわけで、ある程度は自分で修復できるようにしないと、何しろ、

「今後ずっと今のようなデジタルの便利な時代が未来永劫続くかどうかはわからない」

のですから。裸電球で暮らさなければならない時代にならないとも限らない。裸電球とはいっても、今はほとんど LED 電球ですけれども。

さらには、一から火をおこしたり、食糧を備蓄できるようなスキルが必要となる時代が来ないとも限らないです。

日本の若者が米国ほどスキルを喪失しているとは考えたくはないですが、デジタルと仮想コミュニケーション以外へも若者の人たちが「自発的に」興味を持つような社会にならないと、未来は大変な気がします。