2021年9月1日水曜日

2442「小さな思いやり」2021.9.1

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月26日「今の幸せ、死後の幸せ」

と2021年08月27日の「小さな思いやり」の2つの記事を紹介します。


「今の幸せ、死後の幸せ」


昨日は天空農園で取れた八色スイカ21ケを、フードバンクを通じ寄付してまいりました。

丁度、金曜日にひとり親世帯の子供たち77名を集めたイベントがあるので、お配りするそうです。ベストタイミングでした。 

肝心のサツマイモも今年は順調です。10月頭に収穫して、ご寄付予定です。

 

さて、今日は「どうしたら憎しみを消すことができるか?」と言うお話です。

心の中から憎しみを消さないかぎり、本当の幸せを手に入れられないからです。

よく、「不平不満・愚痴や悪口などは、思ったり口にしたりしない方が良い」と書いていますが、それは取りも直さず、自分の中の神さまと繋がり、本当の幸せを掴むことが、自分の力でできるようになるからです。

私たち凡人は、なかなか心の内の、「憎しみ」を消せない時があります。 

そしてその結果、現実の生活では様々な艱難苦難に遭遇していきます。

その憎しみの対象は、家族に対してのことがダントツに多いようです。親や配偶者など。

ですが空海の仰るように、心というのは、生きていても、死んでからも同じ。

憎しみや怒りに執着して凝り固まっていたら天からの光に気づかない。

無意識に拒否する。だから、死後も成仏できない。

同じ状態のまま、長い長い死後の生活を送らなければならない。

すべては本人の心の問題。が真実のようです。

肉体があろうと、肉体が無かろうと、心の状態は変わらない。

死んですぐに仏になるわけではない。

ですので、このことが空海が言う、 生きているうちに「幸せ」を掴まなくてどうする?

という「即身成仏」の教えに繋がってきます。

空海は生きているうちに仏になれるんだよ・・ と教えています。

ここで言う仏とは、心の状態が穏やかで平和で幸せと言うことです。

生きているうちに憎しみ、怒り、執着から離れることで

天の光に気付き、幸せになることが出来ると言っているわけです。

もし心が、憎しみ、怒りから離れなければ死んだ後も、同じ状態が続くと仰っています。

でも、そこには仏の慈悲があります。

生きている間には、いろんな人と接することで、気付きをもらうことが出来ます。

私達は、今こうして生きています。それぞれが置かれた環境は異なります。 

楽しさや、苦労の度合いも人さまざまでしょう。

ですが、私達は色んな個性の人達に囲まれ、 

・好きな人に囲まれ、

・嫌いな人に囲まれ、

・人を好きになったり、

・嫌いになったり、

・嫌われたり、

様々な経験を積み重ねていくことで、沢山の気付きを頂くチャンスに恵まれています。

もし、私達が自分の置かれた環境で、その様々な境遇に感謝して、

明るく前向きに自分の精一杯の生きざまを示すことができたならば、

きっと私達は生きながら 仏の気持ちになれるかもしれません。

生きながら幸せになれるかもしれません。

私達、誰一人も例外なく、その様な恵まれた環境に今置かれています。

例え、苦しく感じる環境であっても、それは実は私達の心にとっては、

神さまが準備してくれた素晴らしい環境であるのかもしれません。


最後に空海のお言葉を紹介します。

生きとし生けるもの、すべてに命があり、心がある。

そのことを忘れてはいけないよ。

すべては、一人一人の命の働きから始まるのだ。

難しく考えることはない。

素直に生きて、皆に感謝をしなさい。

そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。

さすれば、道は開くであろう。


空海が生きていた当時の日本で、仏教は朝廷の強力な推薦もあり民衆の間に広まっていました。 ですが当時の(奈良)仏教は今ではなく、死んだ後の来世の幸せを説くものでした。

ですが空海は、今、生きている今ここで幸せになれると説いたのでした。

そして、その方法こそが、素直に生きて、皆に感謝をしなさい。

そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。 だったのです。


魂が喜ぶとは・・自分の良心、自分の中の神様が喜ぶこと。良心に従った生き方です、

皆に感謝とは・・みんなに「ありがとう」と言う事です。

素直に生きて、皆に感謝をすることで、今、この生きているうちに

「本当の幸せ」を手に入れることが出来ると、空海は仰っています。

不平、不満、愚痴、悪口も良いでしょう。

・むり、

・どうせ、

・だって 

と言い訳や、後ろ向きの言葉を使うのも良いでしょう。

ですが、もしそれに疲れてしまったら、この空海の言葉を思い出してみて下さい。

きっと空海の仰る通り、生きている今、幸せになることが出来るかもしれません。


「小さな思いやり」


神様が、神さま自身を知るために、神様に似せて作った人間の本能には 

「人から喜ばれると嬉しい」というものがあるそうです。 

この本能は、人間に与えられた本能であると同時に神さまの性質でもあります。

ですので、ちょっとしたことに、笑顔で喜び、感謝する人は、相当、得な性格です。

誰からも、愛され、みんなが味方になって、助けてあげたくなってしまいます。

きっと神様も同じ気持ちです。

 

宇宙の仕組みや、神さまの行動の原則などが分かってくると、

日々の何気ない生活でさえ、楽しくなってきます。

ありとあらゆるところに、神さまの働きを感じることができるからです。 

いつも傍に居ることが分かるからです。 

また、偶然が起きた場合も、「どうせ偶然でしょ」とすまし顔で、冷たくあしらわず、

「まぁ凄い、面白いね」と素直に子供のように喜んでいれば、

神さまは、なおさら沢山の偶然を見せてくださいます。 

神さまの声は、誰かの口を通してくることもよくあります。 

また外応と言って 

・小川のせせらぎの音や、

・子供たちの笑い声、

・そよ風なども、 

神さまが私たちにプレゼントしてくださっているものです。

そのように繊細な心で、神さまの働きを感じられるようになると、

もう全てのもの、事に感謝しかありません。

神さまの働きに気付き、人が喜び、感謝すればするほど、神さまは私たちの身近で、 

良きことを起こしてくださいます。 

ひすいこうたろうさんの記事 (喜び上手な人には運がやってくる)に、

こんなことが書いてありました。意訳します。

<引用開始>

 

もし神様がいるとしたら、 小さな幸せや、ささいなことでも、

喜んでくれる人のために、働こうか、

もっと喜ぶことをしてやろうかと思うのではないでしょうか? 

それとは逆に全てを偶然と片付け

神様が、ちっぽけな自分(や、レベルの低いあなた)のために、

特別なことをしてくださるはずがないではないか。 

そのように、偏った自己卑下(自分を低く低く見ること)や、

他人卑下(他人を・・・)をして

神様が、小さな幸せを見せてくださっても、ブスッとしてる人。

頑な(かたくな)に、敢えて心を動かそうとしない人

どちらに神様は微笑むでしょうか?


<引用終了>

  

耳をすませて見て下さい 注意深く、周りを見渡してみてください

あちこちに、神様からの贈り物があることに気づくでしょう

また、いつもと違う 何かに気づいたなら悪い予兆などとは考えず、

是非それを  良き予兆と解釈してよろこび、神様に感謝してみてください。

きっと ますます恩寵に気付きやすくなると同時に

幸せが、雪だるまのように、どんどんと膨らんでくることでしょう 

感謝の種が増えてくることでしょう。

  

一見不幸に見える

・死別

・病気

・事故

・貧困

などでさえ、私たちの魂を磨き、

光り輝かせる、研ぎ石の役割として神様が与えてくださったものです。 

私たちが、その出来事を

・どのように受け取るか?

・どのような意味を与えるか? 

その違いだけで、天と地ほどの違いが出てきます。 

・小さな親切

・小さな思いやり

・小さな優しさ 

を感知できる感受性を持ち、喜び、感謝できる心を持ちたいものですね。

私たちの周りには、気づかないだけで、それらが沢山 散らばっています。



2021年8月31日火曜日

2441「神さまを認める」2021.8.31

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月25日の記事を紹介します。


「神さまを認める」


今日のお話は、ご自分だけでなく、ご家族や、親しい人たちまで幸せにする方法です。

もし身近に、どうしても助けたい人が居るとして、

でも私たち周りの人は、その人の運命に介入することができません。

その方の生まれる前に決めてきた目的や手段に介入することができません。

ですが、心配で心配で仕方ない身近な人とは、 

例えば

・病気の子供、家族

・早くに亡くなった子供

・自然死ではない亡くなり方をした身近な人 

この方々との関わりに置いて、私たち自身が胸を痛めているのであれば、

私たちが、押しつぶされそうに胸を痛めること自体も、

その方の生まれて来た目的達成の手段(必要なこと)であったはずです。

では、その目的とは何であったのでしょうか?

・私たちが残りの人生を嘆き悲しむため?

・周りや世間、自分の運命を呪うため?

・いつまでも、めそめそ、下を向き、その場にとどまり続けるため?

そうではないはずです。 

そんな目的のために、その方は、貴重な、今回の人生を使いたいと思うわけがないからです。

私たちが、いつまでも、何時までも、その状態にとどまり続ければ、

苦しい役割を引き受けて生まれて来た、その方の貴重な人生が無駄になってしまいます。 

神々からも承諾を得てきた目的や手段は、

必ず、触れ合う、影響し合う周りの方々の感情を大きく揺さぶり、心を揺り動かし、 逆境や苦難の中で、神々の光を見つけ、前向きに方向転換して欲しいからではないでしょうか?


私たちが、その方との触れ合いを通じ、苦難の中でも、心の中に神々を見つけた時、その方の、生まれて来た目的は達成され、苦しい人生を選んだことも、報われるのではないでしょうか?

どんな時も、変われるのは、私たち自身です。私たちが変わることで、その方を含め、関わり合う全ての人たちの大きな目的が達成されます。 

それでは、私たちがどのように変わったら良いのか?

始めます。

今日は「神さまを認めること」というテーマで、

元春日大社の宮司であり、かつ医学博士であった葉室頼昭さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 


みとめる。

この言葉を漢字で書くと「認める」という字になりますが、これでは意味がわかりません。「みとめる」とは、本来は「目を留める」ことであって、じっと見つめるということではないかと思います。

この頃はすべてがスピード化し、無限の情報が瞬時に入ってくるというめまぐるしい世の中となり、何か一つのことをじっと見つめたり、みとめたりということが、だんだんとできなくなってきています。

その上、すべて理屈・我欲中心の世の中になってしまったため、世の中の本当の姿、神様のお姿というものが、みとめられなくなってしまいました。

みとめるということは、どうすればできるかと言いますと、相手と同じものを自分が持っていないと、みとめることができません。

例えば、世界的な名画を見ても、こちらに絵の知識や素養がなければ絵の良さが分りません。

ですから、神様をみとめるということは、こちらに神様がなければ神様をみとめるということはできません。

 

そのため、昔から祖先達は常に、お祓いということを行なってきました。

神様が素晴らしい姿に人間をお創りになったのですが、人間は知識を得たために、理屈でモノを考えるようになり、そのため、本来の姿が見えなくなりました。

これを罪・穢といいます。

罪とは悪いことをしたという意味ではなく、本来の姿を包み隠してしまうこと。

また穢とは汚いという意味ではなく、我々を生かしてくださる神様の気を枯らしてしまうことで、これらはすべて理屈・我欲であります。

ですから、この罪・穢を消してしまえば本来の神様の姿が現れて神様をみとめることができるのです。

今の日本人は、すべて理屈でモノを考えるようになりましたので、テレビや新聞を始め毎日毎日悪いニュースばかりを報道しています。

つまり悪いことを認めているのですから世の中はますます悪くなるのは当たり前です。

そうではなく、たとえどんな悪い状態が現れても、それを幸せに変えていくということが一番大切なことです。

例えば病気でも、皆悪いことと考えておりますが、自分の考え方により、病気も幸せに変わっていくことはいくらでもあります。

昔からよく言われている一病息災ということは、一つの病気を持ったために、返ってそれが幸せとなり、長生きをしていく人はいくらでもいます。

昔から言霊といって、言葉には「たましい」があると言われておりますが、

これも本当のことで、

・良い言葉を言えば幸せが、

・悪い言葉を言えば不幸がやってきます。

ですから、いくら時代が変わり世の中が変わろうとも、そしてどんな厳しいことが現れてこようとも、自分の身体の中に神様をみとめて、生かされていることに感謝をするということが一番大切なのです。

■20ccのミルク

赤ちゃんの手術の翌日、赤ちゃんが20ccミルクを飲んだとする。

経験の浅い看護師は、「20ccしかミルクを飲みません。どうしましょう」と言う。

お母さんが不安に思う。すると赤ちゃんの容体が悪くなる。

逆に、ベテランの看護師は、「20ccも飲んでくれました。よかったですね」と言う。

それを聞いてお母さんが安心する。すると赤ちゃんが元気になってくる。

同じ20ccでも、経験の浅い看護師は、一日に何cc飲むかというところから考える。

そうすると、「20ccしか・・」という言葉になる。

ところが、ベテランの看護師になると、20cc飲んだということは、回復力が出てきているということで、「20ccも・・」という言葉になる。

同じ20ccでも見方によって、まるで違ってしまうということですね。

<引用終了>

人間は「徳」を持って、はじめて人間と言えるのかもしれません。

・神さまや祖先に感謝する。

・親を敬い大切にする。

・自分以外の人や世間の幸せを考えて行動する。

・自然の素晴らしさに感動する。 

「徳」という神様に最も近い性質は、神さまが人間にだけ与えられたものかもしれません。

私たち人間が生きている短い数十年間、その間に「徳」を積んで行くということが、

神さまと約束してきたことかもしれません。

 

人生のいろいろな経験でそれを磨くことによって

私たち人間の真実の徳が現れ、本当の神さまの目的である神さま自身に近づいていきます。

いかにして徳を磨いて、この世界に現すか?

それが、神に最も近いものとして作られた人間の定めかもしれません。

そして、私たちが日々積み重ねた「徳」は、

自分たちだけでなく、私たちの子や孫、 

さらには、遥かにさかのぼって、何代もの祖先さえも 幸せにするといわれています。


2021年8月30日月曜日

2440「最後のプレゼント」2021.8.30

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月23日「最後のプレゼント」と

2021年08月24日「トントンという音」の2つの記事を紹介します。


「最後のプレゼント」


私たち親は自分に子供が生まれた時、この子がどうか幸せに生きられますように

そう願いました。 

そしてきっと、自分が先に天に帰るときも、残されたこの子が、幸せに生きられますように

そう願うのだと思います。

子供が悲しみの涙を流していれば、自分の命に代えても守りたいと願うかもしれません。

誰でも、何時かは天に帰るわけですが、今日は、沢山の読者の方々のためにも、

子供にとって、親の死の持つ意味を、書いてみたいと思います。 

どうか、残されたご家族が、最後の親の愛を知り明るく健やかに暮らしていけますように。 

そうして暮らしていくことこそ、周りの人々と仲良く笑顔で暮らしていくことこそ、 

私たちを愛し、慈しんでくれた、親たちの一番の願いだからです。

皆さんは、親が子供たちに最後に残してくださる、最大のプレゼントは何だと思われますか?家や車や、莫大な財産ではありません。

それは、死です。「人は必ず死ぬ」このことは、誰でも知っている、当たり前のことです。

しかしそれは、現実に経験してみないうちは、にわか知識にすぎません。

親が死ぬときに、人は初めて本当に「死ぬのはどういうことか」 

切実な現実を痛烈に知って、私たちは「死」を学ぶことができます。

・人生は本当に有限なものだった。

・自分もいつかは死んでいく。

・この限られた人生を、何に使えば良いのか?

・何をしたら死に臨んでも満足がいくのか? 

鉄拳「振り子」 父と母の人生の物語です。 是非ご覧ください!!

目の前の親の死を、経験させていただくことで、様々な思いが、頭を巡り、 

深く、自分自身のこととして考えることができます。 

また親の死ではなくとも、動物が好きなご家庭では・・・(参考元)

・子供が産まれたら、一匹の犬を飼おう。

・子供は犬と共に大きくなり、いろんな思い出を作るだろう。

・家族の一員であるペットは、子供たちに大切なことを沢山教えてくれる。

・彼らが少年少女になった時、犬は歳を重ね、やがてこの世を去っていく。

・その死をもって、子供たちに最後の教えを伝えるだろう。

・命を終えてゆくことで、共に生きて過ごした日々がかけがえのないものになる。

・終わりを知ることで、輝き出す命。

・ペットの死は、大切なペットからの、最後にして最大の、子供たちへのプレゼントである。  

生前、死後を通じ、何百万、何千万人もの人々の魂を救った親鸞聖人は4歳の時にお父さんを亡くされ、8歳の時にお母さんを亡くされています。聖人は「波瀾万丈」という言葉がふさわしい一生を送られた方ですが、まさに人生のスタートから激しい波が、聖人に襲いかかりました。

松若丸(のちの親鸞聖人)は、ついさっきまで温かい手で自分の頬をなで、優しい目で語りかけてくれていたお母さんが、たちまち目が閉じ、顔から血の気が引き、手は冷たくなり、帰らぬ人となっていった現実になんてあっけなく「死」はやってくるんだろう、と世の無常に愕然とされるのでした。

その時、松若丸は8歳ですから

・お父さん、どこ行ったんだろう。

・お母さん、どこへ行ったんだろう。

・お父さんに会いたい。

・お母さんに会いたい

とどんなに思われたでしょうか。

松若丸がさらに考え込まれたのは、自身の行く末でした。お父さんが死に、お母さんが死んだ。次に死ぬのは自分の番だ。いったい自分は死んだらどこへ行くんだろう。

真剣に我が身の死んだ先を考え込まれ、真っ暗な未来に驚かれるのでした。

世の中には

・父親が死んでも、

・母親が死んでも、

・夫が死んで見せても、

・妻が死んで見せても、

・子供が先に死んで見せても、

すべて他人事と受け流し、自分はまだまだ死なないと頑として思い込み、自分自身の確実な行く末に、目を向け、深く考える人は少ないものです。ですが、松若丸は違いました。

両親の死を縁とし、我が身の生死の一大事に驚き、なんとしてもこの大問題を解決したいと、

比叡山の慈鎮和尚の門を叩かれたのです。この時、のちの親鸞聖人は、わずか 9歳でした。

私たちは、このように死から学ぶことが、大変多くあります。

時には、その後の人生を大きく転換させてしまう力さえあります。 

親が子供たちに最後に残してくださる贈り物。決して無駄にはできないものですね。 

皆さんには、お子様はいらっしゃいますか?

いない方は、ご両親はご健在ですか?

私たち親は自分に子供が生まれた時、この子がどうか幸せに生きられますようにそう願いました。そしてきっと、自分が天に帰るときも、残されたこの子が、幸せに生きられますようにそう願うのだと思います。親と子、深い愛の絆で結ばれています。

私たちは、生まれる前に、お互いの魂同士で約束してきました。 「家族になろうね」って。

人は必ず死を迎えます。親の勝手な希望、価値観、プライド、世間体で、子供たちが、可憐な「スミレの花」を咲かせようと、この世に生まれて来たのに、華やかな「バラの花」になれと、無理強いはしていませんか? 

私たちが嫌いな、あの人も、深く深く愛してくださった親御さんがいらっしゃいます。 

愛する子供もいらっしゃるかもしれません。

世界中の人たちが、優しさと愛で包まれますように・・ 

悲しみの涙を流す人が一人でも減りますように。


 

「トントンという音」


今日は医師である鎌田實さんのお話をご紹介します。 

何気ない平凡な生活の中にある、美しい心に関するお話です。 

私たちの心の世界は

・見える世界(物質的な、目の前の世界)

・見えない世界(冥界、神々の世界)

をも包括するほど重要で、広大なものです。 

心を清浄(ピュア)にすることで、私たちは真の幸せを手に入れ、神々と直接的に繋がることができることでしょう。わざわざ、パワースポットに出かけたりお金を払って、誰かに頼る必要が無くなります。このブログでは、いつも「心の世界」のことを中心に書いています。

幸せになるための王道だからです。 

「心の世界」のお話は大変地味です。 

・お互い様、おかげさまの心で生き

・他人に優しく、寛容に

・感謝の心を持って生きよう

など、平凡なものかもしれません。 

ですが、宇宙神と同じ立場に立ったブッダも、イエスも同じことを、おっしゃっていたのではないでしょうか? 

どうして、このお二人が、同じことをおっしゃったかといえば

心を洗うこと、整えること そのことこそ、見える世界、見えない世界を超えて

神々へと至る道筋だからではないでしょうか。

自らの足で、しっかりと大地に立ち、何者にも、何事にも、依存せず、執着せず、神々へと真っすぐに進む道だからです。

この道は、生も死も時間も空間も超え、真の幸せを分かち合う道だからです。

  

では鎌田實さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

 

生きるって大変なこと。これまで、たくさんの生と死に関わって生きてきました。

73歳のおじいちゃんの話をしましょう。 

徐々に痩せてきました。背中が張ると言って、外来にやってきました。血液の検査や超音波検査、CTの検査をしました。後腹膜に腫瘍が見つかりました。 すい臓がん。リンパ腺にも転移がありました。ご本人と優しい奥さんと、何度も治療法について話し合いをしました。

東京の息子さんも話し合いに参加しました。

おじいちゃん自身は、「もういいな。手術はしたくない。抗がん剤が少しでも期待できるなら、苦しくない範囲で1回試してもいい」これがおじいちゃんの自己決定でした。

自分の行く道を自分で決めたのです。奥さんも息子さんも賛成しました。

僕自身がこの人の立場だったら、僕もこの選択をしたかなと思いながら、 「全力で支えさせていただきます」と何度もの話し合いをまとめました。 

ご本人の希望で緩和ケア病棟に入院しました。

「やるだけのことはやった。もういいな。とにかく苦しいのは嫌だな」緩和ケアが始まりました。痛みが取れると、彼は再びニコニコし始めました。

それでもご飯は食べられません。 

「匂いを嗅いだだけで食べられなくなる」

「でもね先生、もう1回ご飯が食べたいな」

横についている奥さんが黙ってうなずきました。

「先生、1回外出させてください。気分を変えてあげたい」 

根拠はないけどいいことだと思いました。賛成、賛成と背中を押しました。

おじいちゃんもニコッと笑顔を見せました。 

翌日、息子さんは東京の会社を休み、飛んできてくれました。

お昼から半日、家に帰りました。


夕方7時頃、おじいちゃんが病室に戻ってきました。

病室へ伺うと、おじいちゃんはニコニコしていました。 

「先生、トントンがよかった」

「トントンって何ですか?」

「家に戻って、いつも自分が座るところに座って、夕陽が落ちるのを見ていました。

先生、夕陽がきれいでね。目を奪われていたんです。この庭も見納めかなと思っていました。

その時です。お勝手からトントンという音が聞こえだしたんです。女房のまな板の音です。

こんな音、何十年も聞き続けていたはずなのに、一度も意識したことがありませんでした。

女房もきっと意識していないんです」

奥さんが言葉を受け取った。

「何も意識していません。でも、この人が家に帰ってきてくれて、私はうれしくて、無意識の中で心が躍っていたんです」 

おじいちゃんが続けた。 

「まな板のトントンという音を聞きながら、生きてきてよかったと思ったんです。 

シューッとご飯ができあがる音も聞こえてきました。匂いも伝わってきたんです。

食べ物が運ばれてきても、その匂いだけで吐き気が出てたべたくなかったのに、音も匂いも心地がいいのです。先生、食べれたよ。 お茶碗に3分の1ぐらいだけど、うまかった。 もう思い残すことはありません」

奥さんと息子さんが下を向いて泣き出しました。このおじいちゃんは間違いなく生きている。 死は近づいているかもしれない。けど、そんなことはどうでもいいんだ。 

いま生きているという実感が大事。

<引用終了>

 

何気ない日々の生活の中にこそ、人の優しさや、思いやりが含まれているのですね。

見える世界、見えない世界 不思議なことは、ワクワク楽しいかもしれません。

ですが、それはまさに孫悟空が、いろんな冒険をし、宇宙の果てまで行ってきたのに、結局は、全てはブッダの手の平の上の出来事であった。 と同じことかもしれません。 

地味かもしれませんが、 

・他人に優しく、自分にも優しく

・お互い様、おかげ様と謙虚に

・相手を許し、認め、個性を尊重し

・元気の出る言葉、喜ぶ言葉を口にし

・周りの人や出来事に感謝して 

日々過ごすことが、神さまに似せて作られた人間にとって、大切なことなのかもしれません。


2021年8月29日日曜日

2439「はなればなれの君へ。(後編)」2021.8.29

今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2021年08月22日「はなればなれの君へ。(後編)」を紹介します。 https://ameblo.jp/riyanmichaki/entry-12693474786.html


「はなればなれの君へ。(後編)」

澤野大樹氏ブログインタビュー「はなればなれの君へ。(中編)」からの続きです。

  

――ところで、澤野さん、アフガニスタンのタリバンの件が途中で脱線してしまっていますが?

 

あはい、すみません。大幅に明後日の方向に大規模に脱線していましたね。アフガニスタンでは、イスラム原理主義組織「タリバン」が首都カブールを掌握し全権を奪還しました。この報道を受け、全世界のメディアは「再び暗黒時代へ舞い戻るのか」と報じました。また、多くのアフガニスタン人が、慌てて国外へ脱出しようとパニック状態にまでなりました。

 

――澤野さんは以前からイスラム原理主義組織は、日本の岸思想を具現化させたS・Fの指導の下、教化された組織だと言っていましたよね。つまり、彼らはカバールであると。

 

まさにそうです。ですから私はこの報道を知った瞬間に、アフガニスタンは再びカバールに

支配されてしまったと思いました。

 

――やはりそうなってしまったのでしょうか?

 

6月のイスラエルでのネタニヤフ政権崩壊のニュースの時の報道を思い出してください。

あの時、ネタニヤフ政権が退陣し、民衆たちが大喜びし騒いだ映像がありましたよね。

あれを見て多くの人が、「ついにイスラエルからカバールが追い出され、真の自由がもたらされた!」と歓喜しましたよね。それをマスメディアは嬉々として報じました。

しかし私は、じつはそうではなかったと指摘しました。

すべては逆であると申し上げました。カバールメディアが喜んで報じている時点で、それはカバール側にとって喜ばしいことだった。つまり、あの歓喜に沸く民衆たちというのはじつはカバール側であり、だからこそ、カバールメディアはそれを大々的に報道したのです。 

このことを念頭に置いて、では今回のアフガニスタン報道を振り返ってみてください。

アフガニスタンのこの一連の出来事でバイデン氏は窮地に立たされましたよね。

しかしその一方で、トランプ氏がバイデン氏を強く非難するなどして再び脚光を浴びることとなりました。そしてカバールメディアはアフガニスタンでのタリバンの行動を悲観的に報じましたよね。というのも、首都カブールは「無血開城」だったのですよ。

これ、おかしいと思いませんか?あの過激なイスラム原理主義組織が「安心・安全」な首都掌握を行ったのね。そこに何かを感じませんか?

 

――「安心・安全」、そして「合法」というのは、トランプさんの行動方針でしたよね。

 

そのとおりです。実際に、トランプさんは2020年2月にタリバンと和平交渉に合意していたわけですよね。その時点でじつはタリバンはトランプサイドについたのだと思います。

でもその後、バイデン氏が選挙を盗むことはすでにシナリオの想定内に組み込まれていた。

そして、2021年4月にはバイデン氏は2021年9月11日までにアフガニスタンの駐留米軍を完全撤退させると表明しましたよね。しかし、次の瞬間から突如として、タリバンがアフガニスタン軍に大攻勢を仕掛け始めたのです。

 

――すべて事前に決められたシナリオだったということですね?

 

そう。トランプ氏との和平合意以降、タリバンはすでにトランプサイドとなり、「反カバール」としてその「役目」を演じることとなった。だから最終的に「無血開城」となったわけね。

 

――ということは、タリバンを恐れ国外への脱出を求め、空港に押し寄せていた人々は

どういうことだったのですか?

 

国外への脱出を求めて殺到していた人々は位置付けとしてはカバール集団ですよ。

 

――えーーっ!?

 

だから米軍の輸送機で移送されていたでしょ。

 

――確かにそうでした!

 

しかも満員で乗り切れずに滑走路に溢れる人たちを蹴散らすかのように離陸していきましたよね。あの対応は「保護」じゃない。

 

――胴体にしがみついて振り落とされる人までいました。

 

あのね、トランプさん側の人たちっていうのは、パニックになって逃亡しようとかそういうことはしないのよ。どうして彼らはあそこまで慌てて逃げようとしたのかってことです。 

アメリカとメキシコの国境の壁のことを思い出してください。なぜトランプさんは

メキシコからの不法入国を阻止しようとしたのか。幼い子供を連れた母が泣きながら訴えていましたよね。あれはすべてカバールメディアによる「演出」だった。

本当の親子じゃない。人身売買のためにアメリカに不法入国しようとして大挙して押し寄せるキャラバンたちはカバール集団だった。 

つまり、およそ「可哀想で不憫な難民たち」と印象付けられた者たちはほぼ「やらせ」であり演出だということ。トランプさんがいかに非道で無慈悲な差別主義者であるかを喧伝するためにカバールメディアは「総合演出」をしてきました。 

つまり、今回のアフガニスタンにおいても、「恐ろしいタリバンから逃げ惑う可哀想な難民たち」というのは私はこれ、ほぼほぼ「演出」であると見ているわけです。

国境を越えて集団で押し寄せてくるのはカバールです。そしてカバールメディアは、「タリバンは危険だ」「そのうち本性を現すはずだ」と懸念のみを報じていますよね。 

トランプさんとタリバンはドーハで和平合意済みなのですよ。あとは名目上、バイデン氏が

そのシナリオに合わせて失策を演じていく。そしてその過程において、様々な暗部が浮き彫りになり露呈していくのを全世界の人々にきちんと見せていく。だからカブール掌握は安心・安全の「無血開城」ということだった。

トランプさんは、「ほれ、全メディアよ、今までどおり、きちんと市民を弾圧する恐怖のタリバンだと報道しろよ!」って言っていることでしょう。

それに対して全メディアは、「はい、わかりました」と、唯々諾々と従っていくのです。

ですからバイデン氏はきちんと窮地に陥っていますよね。タリバンの同志であるはずのバイデン氏が、そのタリバンによって窮地に陥っているということです。つまり、タリバンもしっかりとトランプ氏によるシナリオを演じているのだということです。

 

――ということは、トランプさんはこのアフガニスタンの件で、何を伝えているのですか?

 

カブール陥落の日付を見ればそれがわかりますよ。

 

――8月15日!!

 

そう。イスラム原理主義組織のベースは岸の思想の具現化なのね。つまり満州関東軍の「国際根拠地」としての別働隊ということなのです。しかもアフガニスタンという国は、アヘン、ヘロインの世界流通量の90%近くを占める「大麻薬帝国」なのです。世界最大のアヘン(ケシ)生産国ということの意味がわかりますか?アメリカがタリバンと戦争をしたということは、アメリカは岸の関東軍と戦争をしたということなのね。

 

――2001年にニューヨークで「神風特攻」をやって全世界に宣戦布告した彼らとの20年に亘る戦争が終わったということですか?

 

そう。だから8月15日という日に、「終戦」というメッセージがトランプさんから発信されたのだということ。つまりこれはどういうことですか?2001年以降、世界は「テロとの戦い」を行ってきたでしょ。それは「岸の亡霊」と世界が戦ってきたということ。

その戦いが終わった。もしくは「もう終わります」という象徴としてこの8月15日という、

日本のカバールDSに向けたメッセージが放たれたということなのです。

 

――これで完全に終わったのですか?

 

いや、まだまだですよ。大枠での決着は付いたということ。「結果」が先に提示されたということね。これからアフガニスタン国内でも末端では市中での小競り合いも起こるだろうし、この「終戦」を受けてからの戦後処理はあるし、さらに「第二次東京裁判」もやらなきゃいけない。その前に、カバールDS掃討作戦の世界最終の舞台はこの日本なのですから、世界で起きることは日本でも起きるということで、アフガニスタンに投影されたインシデントの「雛形」がこれから日本で起きてくる。

 

――だから日本でコロナが爆発的感染数を記録してきているのですね?

 

まさにそうです。緊急事態宣言が延長に次ぐ延長を繰り返しているのはこのことを暗示しているのです。だから日本国内はこれからが本番となります。

つまりこれまでが「序章」だったと思えるような事態となる。それらはすべて「幻想」として、メディアが五次元的、多次元的に見せてくる。どう考えても「現実」としか思えないような「幻想」が畳み掛けるように現れてくると思います。 

だから私たちは、夜になったら防空壕である自宅に戻り、灯りを落として飲酒を控え、マスクをして静かに待機するという「体」(テイ)で行くのです。その「体」にきちんと乗っていく。戦時体制は現実と多次元が同時進行するのです。だから多くの人にとっては「意味のわからない状況」というものが出てくるはずです。

「なんだこれ?」というようなことも出てくるでしょう。

 

――マスクの複合的多次元的意味ですね。

 

あと、忘れちゃいけないことがあります。私はもう何年も前から、「彼らは自分たちの野望が頓挫したり叶わなかったりした場合、ハイさようならと素直に認めるようなことは絶対にしません。彼らはもしそのような事態になるのであれば、日本国民全員、いや全地球人類を道連れにして、世界を焼き払っていくというメンタリティです」と言ってきました。

 

――ということはどういうことですか?

 

イスラム原理主義勢力が最後の本丸じゃないということ。私たちはこれからもしかしたら、

本当の本丸を目撃することになるかもしれません。そしてそれは、まさかそれが幻想だなんて到底思えないような現実感を伴って来るでしょう。

 

――意識の解像度を上げて多次元的視点で観察できるようにならなければいけませんね。

 

これがまた困難をきわめることになりますけどね。

 

――今、カバールたちが必死に隠そうとしていることは人々が「もしかしたら自分はカバールだったかもしれない」ということに気付いてしまうことではないですか?

 

鋭いですね!だから彼らは人類を「半径5メートル以内の恐怖」に封じ込めているわけですよ。深遠なる世の理などに思いを馳せるためにはリラックスした時間が必要不可欠ですよね。人々が深遠なる壮大な宇宙の理について思いを馳せないようにするためには、人々の身近なところに「喫緊の事態」を提示してあげればいいだけのことです。まさに「5メートル以内の恐怖」です。

 

――それは酷いことのように思えますが、意味のないことなどひとつもないということでしたらそれもまた意味のあることなのかなと思います。

 

全然酷くないですよ。すべてのインシデントにはヤハウェがコードシェアしていますからね。その「半径5メートル以内の恐怖」という「幻想」から脱出するテストみたいなものですから。試されているのですよ。「おまえ、随分知ったかぶりしてるみたいだが、ではこの恐怖の境地を肯定し立脚した上で、おまえはこの迷宮から抜け出ることができるのか?」って。

 

――日常のすべてが「テスト」ですもんね。

 

「恐怖の境地を肯定して立脚」しているうちは絶対に抜け出ることができないように初期設定されてる。これがかりそめの幻想設定ね。幻想世界の中に展開される「恐怖」に、そのままどっぷり浸かって対峙し抵抗し戦うということは、じつはその幻想世界を肯定していることと同義なのね。つまり、自分が幻想世界の中の構成員であることを自分で強化しちゃうことになるわけ。つまり多くの正義の「ジャスティスくん」たちは、マトリックスの秩序を維持するための監視員でもあるわけなんだよね。

 

――だから抵抗して反対するほど、その反対している方向が現実化しちゃうということですね。つまりすべては「幻想」だということですか?

 

突き詰めていけばそうなります。でも、とてもじゃないけどそんなふうには見えないし思えないようになってる。私たちが「外」だと思って見ている景色は「中」ですからね。

そもそも「出産」がそうです。私たちは「出てきた」んじゃない。「入ってきた」のよ。

「Uの世界にログイン」しているのと同じ。

 

――「半径5メートル以内の恐怖」にはどう対処したら良いのでしょうか?

 

己自身がヤハウェそのものであり、宇宙そのものであり、神そのものであるならば、この世に存在するすべての疾病もまたヤハウェそのものであり神そのものであり宇宙そのものなのだということ。

己自身がヤハウェであり宇宙であり神であるならば、私の外側には何ひとつ、モノや偶像は必要ないし、それに依存してきたそれまでの己というもののいかに小さきかなを思うとき、それを懐かしく思ったら良いでしょ。

このことを肉のアタマで理解するだけではなくて、自らが「ひとつ」そのものであるということをあらゆる体験、経験から発見して実感して無意識にもそれを体現するようになることです。世界は美しいのだということに気付くこと。

このことに気付くことが出来たなら、「半径5メートル以内の恐怖」というものが、その瞬間に、「奇跡の幸せはじつは半径5メートル以内に最初から全部揃っていた」となるんです。

景色はまったく同じ。しかしその景色の「意味」が一瞬で変わる。 

「ひとつ」から分離独立などしなくても、「ひとつ」の中には最初から、あらゆる無限の景色、つまり「宇宙」があったのだとわかる。 「人」は「ひとり」では生きていけない。でもだからといって、群れればいいってことでもない。 私たちの世界はこれまでずっと「ひとつ」から分離してきた。それが「ひとり」を強いてきた。 

私たちはこれから「ひとつ」へと還る。「ひとつ」である「ヤハウェ」のもとに。

これまでずっと離れ離れになっていた「ひとつ」へと還る。これが本当の「WWG1WGA」ね。

「君」という字は、「コ+ロ+ナ」と書く。

「コロナ」は「567」「567」は「弥勒菩薩」。

「弥勒菩薩」は「みろく」。「みろく」は「666」。「666」はヤハウェ。

つまり、「君」とは「ヤハウェ」という「ひとつ」。「君が代」とは「666の時代」。

「666の時代」とは「ヤハウェの時代」。

「ヤハウェの時代」とは「ひとつ」と共にある時代。

己が「ひとつ」へときちんと還ることができた人生。

そして何より、その「ひとつ」である「ヤハウェ」とは、自分自身のことなのです。

ずっとはなればなれになっていた「君」に私たちは還る。竜とそばかすの姫より『はなればなれの君へ』

 

――今日お話いただいた内容は、本当にシビアなものだったと思います。でも最後には圧倒的な明るい未来が語られました。「ひとつ」へと還るということが、具体的に私たちの肉眼にはどう映るのか?まだまだ私たちは何も知ってなんかいないんだということを痛感いたしました。決して過信したり傲慢になったりすることなく、シンプルに、そして謙虚に生きて行きたいと思います。澤野さん、かなりのロングインタビューになりました。本当にお疲れ様でした。また次回もどうぞよろしくお願いいたします。

 

長い話になって脱線もたくさんしましたが、それも結果として良かったと思います。

まさに、「All's Well That Ends Well」(終わりよければ全てよし)ですね。

 

――シェイクスピアですね!

 

あと「活字版⑩番原稿」が完成しています。タイトルは『ケモノを追え』です。

→お申込フォームバラバラに思える様々な分野のお話しが、根底ではすべて繋がって展開されるという驚天動地の多次元的な内容ですので、ぜひお読みください。

 

小野さん今回もありがとうございました!(澤野大樹)

 

――澤野さん、ありがとうございました。

 

気が付けば第1回青森講演会から早3年。津軽蝦夷の積年の思いを背負い、猪突猛進、この人でなければ!とアソベ族たちの無念を一心に澤野氏へ告げ、やがて澤野氏とともにその道を歩むこととなり、いつの間にか「666」の時代を迎えていました。この疾走感は何と言ったらよいのか、想像を遥かに凌駕した壮絶な世の中を駆け抜けてきました。

第10回青森講演会では、これまでの集大成ともいえる666の全容、あらまし、そして迫害され、弾圧され、差別され、封印され、殺され、改竄され、存在しなかったことにされてきたこの列島の正真正銘の縄文スピリットが浮上し、弥生南ユダ大日本帝国満州洗脳システムが崩れ、いよいよ「君」へと還る新しい章へと入りました。 

青森講演会の原点ともなった三内丸山遺跡6本柱建物。澤野氏がご来青した第1回講演会のタイミングは、「量子コンピューター並みの精妙なタイミングだった」そう確信しています。 

はなればなれの君へ。

『アダムの創造』ミケランジェロ




2021年8月28日土曜日

2438「はなればなれの君へ。(中編)」2021.8.28

今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2021年08月21日「はなればなれの君へ。(中編)」を紹介します。

https://ameblo.jp/riyanmichaki/entry-12693429218.html


「はなればなれの君へ。(中編)」

澤野大樹氏ブログインタビュー「はなればなれの君へ。(前編)」からの続きです。

 

――さて。澤野さん、私たちは彼らのことを一言で「弥生」って記号化して呼んでしまっていますけど、かなり深く学んで理解し会得していかないと日本のカバールDSの正体というものは付け焼刃のニワカでは掴めないと思いました。

 

確かにそうだと思います。私は以前から「縄文神アラハバキと核エネルギー」という

テーマでお話ししたこともあるように、「縄文スピリット」というものはきわめてシビアで、

それは放射性物質を素手で触るようなものであり、それこそ薄氷を踏む思いで臨まなきゃならないものだと申し上げています。

しかしその「逆位相」の世界がわかれば、それはたとえば一度自転車に乗ることを覚えたら、

あとはもう無意識に運転することが出来るかのごとく、「縄文スピリット」というものは、

まるで空気のように私たちの肺を満たして機能を始めます。弥生化した意識のまま縄文意識領域に入ることはきわめて困難を要するのだということです。

 

――平和の意味を知らなかった縄文人というのは未熟だったわけでもなく野蛮だったわけでもなかった。

 

地球最先端の先進的な「人」だった。何もかもが美しくスタイリッシュで成熟して完成されていた。

 

――そんな縄文をなぜ弥生は侵略したのでしょうか?

 

嫉妬と羨望です。悔しかった。自分たちが持っていないものを縄文人たちはすべて持っているように思えた。

 

――「美しくスタイリッシュだった」ということはどういうことでしょうか?

 

それは見かけの服装のことではありません。生き方、考え方から立ち居振る舞いということです。つまり彼らはヤハウェと「ひとつ」だったということ。この「ひとつ」だったということが、他の何にも代え難いスタイリッシュさを醸し出していたのだということ。

 

――弥生の人たちはどうだったのでしょうか?

 

彼らはヤハウェを裏切り、洗礼者ヨハネを貶め、ヤハウェのオイシイ表層だけを盗みましたよね。この瞬間に「二元論」の世界が生じたのです。

つまりこの瞬間に「敵」が現れたのです。弥生の最大の特徴は「敵」の存在を生み出したということ。するとこの瞬間に「悪」も突然現れたのだということね。

彼らはつまり、上辺の見せ掛けは煌びやかな姿なのですが、「ひとつ」と訣別したいびつな姿をしているのです。だから表向きを装うのです。これは服装に始まり、「名目」を装い、「建前」を装い、詭弁を弄し詐術でしか人々からの支持を得られなかった。

 

――せっかく「ひとつ」からの独立を果たしたものの、そうそう上手くはいかなかったということなのですね。その「ひとつ」からの独立という行為は、数千年経った今でも彼らの中に深く根ざしてしまっているのですね。

 

彼らは「ひとつ」であるヤハウェに対して挑んだということね。自分たちならもっと上手くやれるはずだと、増長して全知全能感を得てしまった。姿も形もないつまらない概念としてのヤハウェなんか無能であると。そんなものよりも私たちはもっと魅力的な「神」を提供できると。

 

――「全知の無知」の状態ですね。

 

そういうことになりますね。「全知の無知」という状態、「私は何でもすべて知っているのだという無知」のことです。一方で「無知の知」は、「私はまだ何も知らないのだということを知っている」ということですよね。「全知の無知」は「無知の知」とは相容れない真逆の姿勢ということになりますよね。

このことを彼ら自身が一番よく知っていたわけです。だからずっと劣等感に苛まれることになりました。

ヤハウェから独立し「新しい神」を創出し、我が世の春を謳歌するはずでした。しかし彼らは自ら「ひとつ」から離れたことによって、寄り添いあって群れて泣きながら慰め合わなきゃいられないという猛烈な寂しさの中を行き続けなくてはならなくなった。

 

――そんな「全知の無知」の弥生たちが、天真爛漫で純粋で朴訥な縄文に対して嫉妬と羨望の念を抱いたということなのですね。

 

はい。これは旧約聖書『創世記』にあるカインとアベルの寓話に似ています。

カインは農業を営む弥生です。アベルは羊飼いの縄文です。カインは一生懸命に育てた農産物を神に捧げます。アベルはただの子羊を捧げただけでした。神はカインの農作物には目もくれず、アベルが捧げたただの子羊を受け容れたのです。

 

――現在の私たちの感覚ですと、一生懸命に野菜を育てて捧げたカインこそが神から賞賛されてしかるべきだと思われますよね。どうして神はカインを無視したのでしょうか?

 

「私たちが野菜を作り上げたのだ」という驕りと傲慢さ、そして、「これだけ頑張ったのだから神は喜ぶに違いない」という打算と野心という山っ気があり、それが神に見透かされていたからです。

 

――では子羊を捧げたアベルはどうだったのですか?

 

「私は神の前では完全に無力である。ならば、私が自らの力を誇り、それを神に捧げものをするなどなんともおこがましいこと。ならばすでにそこに完成形として在る子羊をもって

捧げものにする以外にさて私に何ができようか、いやできるわけがない」という姿勢だった。

 

――アベルは「無知の知」だったわけですね。

 

そう。だからカインはアベルを殺したのよ。これが嫉妬と羨望に憎しみが加算された人類初の殺人事件となったわけだよね。これと同じことが、かつて縄文と弥生の間に起こっていたということ。これが「偽者は本物を抹殺しようとする」ということの根源なのだということ。

この「カイン」という存在は、じつはカバールを暗示しているわけね。

バビロンで魔術や呪詛を身に纏い、低層四次元という「別の宇宙」から、「新しい神」を召還してしまったわけ。「ヤハウェに対抗できる、いやヤハウェ以上の神を私たちは生み出すことができるんだ」と。それはまるでカインが農作物を育てるのと同じように、ヤハウェに対して挑む形になってしまったんだね。これがじつはヴィーガニズムの淵源でもあるのね。

自ら「ヤハウェ」と訣別し、三次元顕在意識という肉の「アタマ」で己の「本能」を否定したり、肉のアタマで作り上げたイデオロギーで己を勝手に規定しちゃったらマズいよね。

ヤハウェとの回線を遮断したがゆえに、そういったカイン型の生き方を積極的に選択するようになってしまうのです。肉のアタマで規定できてしまうほど、「人」というものは浅くはない。

 

――現代は「カイン型社会」だということですね。

 

そういうことです。「古代ヘブライ王国」が北と南に分裂し、南ユダ王国2部族がバビロンに捕囚され、魔術を身に纏い、ヤハウェから分離独立し、カインはアベルを殺害し、弥生は縄文を蚕食(さんしょく)していった。

そして、18世紀半ばからのイギリス産業革命の勃興によって、脱穀の機械化と穀物の大量生産、そしてそれらのグローバル輸送が可能となり、世界は「弥生カバール世界」によって席巻されました。これが「カイン型カバール弥生世界」です。

 

――それが今ひっくり返ってきているということですね。

 

そう。つまり現代社会というもの、現代の世界というものは、嫉妬と羨望と憎しみによる世界初の殺人事件を起こしたメンタリティがベースになっているのだということね。

ほとんどすべての商品が、他者と比較させて劣等感や嫉妬を想起させ、購買行動に繋げていくというやり方なのです。そしてそれはカインが抱いた「全知の無知」という傲慢さと増長によるものだった。つまりそれは「ヤハウェへの反逆」が発端なのよ。つまり「ひとつ」が否定され拒絶されたということです。

 

――ひと言で「カバールDS掃討作戦」とか言いますけど、その元を辿っていくと本当に長い歴史があるということがわかってきました。

 

だから今、「潜在的なカバールは数億人いる」って言われていますけど、その理由はここまで遡らないと見えてこないということね。

 

――ということは自分がカバールだということに気付いていない人たちもたくさんいるということですか?

 

もちろんそういうことになります。また、気付いていないだけならまだしも、その無自覚カバールたちの多くは、「カバールDS掃討作戦」を応援しているのだということ。

だから私たちはこれから見たくないものを見なきゃいけなくなる。

 

――カバールたちは「偽装」と「捏造」の達人ですよね。ならば彼らは「敵」と「味方」もすり替えて偽装しますよね。また三次元世界内での「正義」と「悪」も入れ替えます。

それは私たちの心にも及んでいて、私たちの良心や正義感といったものの中で、基礎に立脚していない脆弱な部分、つまり「心の隙間」にうまく侵入して利用して来ますよね。

操られたその正義感は「本物」を「偽者」と断罪すると思います。

それはものすごいパワーを持って世に君臨すると思います。

 

そう。そして彼ら「ジャスティスくん」たちは、「本物」を「偽者」と断罪し、快哉を叫び、祝杯を上げることでしょう。

出典:アベルを殺すカイン(ピーテル・パウル・ルーベンス画)


――ところで澤野さん、アフガニスタンのタリバンの件が途中で脱線してしまっていますが?

 

あはい、すみません。(澤野大樹)


「はなればなれの君へ。(後編)」へ続きます。




2021年8月27日金曜日

2437「はなればなれの君へ。(前編)2」2021.8.27

満州国を創り上げた「父」には夢があった。バビロン系南ユダ王国2部族パリサイ派たちの

悲願である「理想郷」を作りたかった。しかしすべては敗戦によって失われました。

 

――彼らはそれを諦めることができたのでしょうか?


表向きは諦めた素振りをしなくてはなりませんでしたよね。でも彼らはバビロン系ですし、

しかもヤハウェを裏切り、自ら分離独立した勢力の流れでもあるわけですね。そのしたたかさと往生際の悪さがあったからこそ、これまで生き延びることができたといえますでしょ。

彼らの特徴というのがありまして、絶対に謝らない、責任を取らず他者に転嫁する、被害者を加害者にすりかえる、口先で卓越した詭弁を弄し相手を黙らせる。

このような洗練された「技術」をもって、数千年の風雪に耐え生き延びてきたのです。

つまり彼らの辞書には「諦める」という文字はないのです。日本の彼らは関が原の戦いから268年間ずっと一度も諦めることなくチャンスを待ち続けたくらいですから。

 

――つまり満州国の「父」も諦めなかった?


そう絶対に諦めなかった。しかしA級戦犯を免責され米国の傀儡として、「反共の防波堤」としての日本を維持し、さらに対米従属派として「清和会」の礎となった。

でも自らが先頭に立ってその夢の実現に奔走することは許されない状況となっていました。

そこで彼は「血盟団」時代からの同志の娘で、学生運動に参加していた彼女に一縷の望みを託したのね。

 

――それがSだったのですね。


そう。細かいことは端折りますが、彼女は中東に渡り、中東アラブ、イスラム教、パレスチナの人たちに世界共産革命のイロハはもとより、ありとあらゆるテロのやり方を教えていった。そうやって彼女はイスラム国、アルカイダ、そしてタリバンといったイスラム原理主義勢力の基盤を作っていった。だからタリバンも「学生」っていう意味なのです。

自爆テロというのは大日本帝国直伝の神風特攻そのものであり、その自らの命を懸け、国や信仰のために投げ出すことこそが聖戦(ジハード)なのだと認識されていった。

また満州国といえば「アヘン貿易」ですね。それがわかった上でアフガニスタンを見てみますと、アフガニスタンは世界最大のアヘン、ヘロイン生産国です。全世界のヘロインの90%以上がアフガン産です。アフガンでケシの栽培を行っているのがタリバンです。

 

――いろいろ受け継がれているのかもしれませんね。だからパレスチナやイスラム原理主義勢力が、その「父」系のDSなのだということになるのですね。


そうです。彼女は2000年11月8日に日本国内で逮捕されましたよね。移送される時に彼女は笑顔で親指を立てました。そこには些かの悲愴感もなく、むしろ充実感と達成感すら漂わせていました。彼女の中では「完全にやり切った」という意識があったように私には見えました。彼女は自らに託された「任務」を完遂したのでしょう。

 

――人に歴史あり、といいますか、私たちの知らない壮大な計画があったのでしょうね。


想像を超える壮大なシナリオに忠実に動いていたと思います。

そして、彼女が逮捕された10か月後、何が起こりましたか?

 

――2001年9月11日ですね。


そう。彼女がすべてを授けた「教え子」たちが、忠実に「父」の悲願を継承するのだという

明確な意志を誇示するかのように、彼らはニューヨークの高層ビルに神風特攻を行ったのです。

 

――ああ、そういうことだったのですね。


その神風特攻は改めて「父」の思想や理念をこの世界に具現化させるのだという強烈な意志表示となりました。そしてそれは同時に、世界に対しての「宣戦布告」だったのです。

これはある意味「父」の怨念でもあった。彼がもっとも憎んでいたのはアメリカでしょ。

自らの聖なる理想をすべて破壊したアメリカを心の底から恨んでいたことでしょう。

しかしそんなアメリカに面従腹背を強いられた。だから彼の心の底には、「いつしか必ずこの仕返しをしてやる」という強烈な復讐心が消えることなく燻り続けていた。

それはつまり、いつか必ず、再びアメリカに宣戦布告し、そして勝利し、「YP体制」(ヤルタ・ポツダム体制)という憎むべき「戦後レジーム」を覆し、新しい世界秩序の地図を塗り替えてやるという強烈な怨念です。

 

――それでブッシュは相手を明言せずに、「テロとの戦い」と表現したのですね。


相手が恐ろしすぎる「妖怪」であり「化け物」だからですよ。そしてこの瞬間に世界は一変したのですよ。その瞬間に世界は震撼した。それまでの戦争と言ったら、国と国、民族と民族というように、誰の目にも明らかな図式であり構造だったでしょ。

しかしこの「テロとの戦い」というものは、相手は猛烈なグローバリスト集団であり、つまり「トランス・ナショナリズム」(脱国家・超国家)だった。

しかも表の世界ではなく水面下で動く。そして彼らは「狂信的な信仰」によって、自らの命を懸けて突っ込んでくる。しかも姿が見えない。首謀者の正体が見えない。国境が意味を持たない。まさに「国際根拠地論」そのものなのですよ。これが「ディープ・ステート」なのですよ。

 

――2016年にトランプ大統領が登場して、彼らの計画が狂ってしまったのですよね?


オバマ、ヒラリーという米国の猛烈なグローバリストと共に、日本では「父」の外孫がそれを率い、世界のDSが結束して最終局面に突入し、世界同時多発共産主義革命を起こす計画だったと思います。そしてそのグランドフィナーレを飾る盛大な祝賀会が「TOKYO2020」だった。しかしその「TOKYO2020」の水面下での実質的な目的がすべて失敗し、本当に普通の純粋な単なる国際スポーツフェアになってしまったわけね。

せっかくそれに合わせて「淡路島」を設えてきたのよ。かつて満州でやろうとしていた理想郷がすべて潰され、しかし諦めることができず、じゃあもう一度それを日本に作りましょうと、それは「新生フグ計画」として、日本に「新しいエルサレム」を作ろうとしてきた。

「淡路島」の「あ」は「アルファ」、「わ」は「オメガ」ね。

 

――『新約聖書』にある記述ですね。


新約聖書『ヨハネの黙示録』の第21章6節にある「わたしはアルファでありオメガである。

初めであり終わりである」を表す、バビロン系南ユダ「ナザレ派」の聖地。そこに集うのはパリサイ人。これは「私たちが完成させたオメガはかつて潰されたが、今こうしてアルファに立ち返ることができたのだ」という日本のカバールDSたちの復活記念に相応しい地でもあるわけ。日本に侵入してきた彼らが本州侵略の拠点とし、だからゆえ「国産みの島」と名付けた地。そこは縄文じゃない弥生の本拠地として選ばれた。

 

――彼らは縁起と意味付けに固執しますよね。


「新しいエルサレム」とは方便で、本当は「新しいバビロン」のこと。大いなる「ひとつ」だったヤハウェから「ひとり」を抽出し分離独立した勢力。「ひとつ」を失った寂しき「ひとり」のために、たったひとりの偶像を拝ませた勢力。今度は誰を「皇帝」として拝ませようとしたか。

 

――「A」ですね。


そう。そしてその計画はまだ終わっていない。ガースーが意図的に失策を重ねるのも、

すべては「やっぱりAさんじゃなきゃダメだ」という世論醸成のための意識操作なのだということに気が付かなきゃならない。ガースーはそれをやり遂げることによって引退後の「安寧な老後」を期待しているわけ。

 

――その意識操作にスピの一部もそれに加担していますよね。


はい。日本の政権中枢はスピ系ですからね。この期に及んで尚、再び言い始めている人たちがいます。「カバールDSをやっつけよう」と言っている人たちがじつはカバールDSそのものだという悲劇がこの日本では特に顕著であると思います。

 

――水面下ではみな繋がっているように思えます。


想像を超えるネットワークで繋がっていますよ。先日の五輪の開会式のパフォーマンスの背後には、その人選の大部分に「富ヶ谷の妻」が関わっていると聞きます。

あれはまさに幕末の「ええじゃないか」狂騒の現代版だったと思います。「ええじゃないか」は幕末に行われた「明治維新とは神の思し召しである」という日本初ともいえる大規模な

プロパガンダ人心操作だったわけですからね。

 

――幕末からすでに日本にはオカルト分野が権力層に浸透していたのですよね。


ソロモン王がモレクの偶像崇拝を始め、古代イスラエル王国は北と南に分裂させられ、

南ユダ王国はバビロンに捕囚され、バビロンであらゆる魔術と呪詛を身につけ、ユダヤ教を生み出し、バビロニア・タルムードを手にした。

そのバビロンから伝わった西洋神秘主義オカルト思想とキリスト教、さらにユダヤ陰謀論とユダヤ同祖論、平田篤胤の「平田神道」からの「復古神道」、いわゆる「古神道」という新興宗教に吉田松陰のグローバル侵略テロ思想とがミックスされたものが明治新政府ですよね。つまりベースはオカルトなのです。

そしてそれでもって世界支配を企てた思想が「国家神道」という化け物だったわけね。だから今でも日本政府の中枢はオカルトなのね。

その明治新政府を構成する中枢は、1592年から1593年の「文禄・慶長の役」で秀吉が朝鮮半島から捕虜として連れ帰り、薩摩と長州に居留させていた中国遼東の東北部の山岳地帯にいた女真族のひとつ「建州女直(真)」らで占められていたわけですよ。

この建州女直らがかつて建てていた王朝が「金王朝」ですよ。建州女直らの聖地が「白頭山」です。この「女真族」が民族の名称を変更して「満州族」になったわけですよ。

その金王朝の地、建州女直の地がのちに満州国となり現在の北朝鮮北部の一部となっているわけ。そして1932年に大日本帝国の傀儡国家として建国されたその「満州国」の生みの親であり、「満州国」を「私の作品だ」と言ったのが岸信介だということよ。

 

――名前出しちゃってますよ!それが先ほど何度も出てきた「父」なのですね。すべて繋がっているということですね。しかしこれは複雑怪奇ですね。現在の北朝鮮問題を考えようとしてもただでさえ難しい話題なのにさらにこのことを無視してはじつは何も見えてこないですよね。


そう、まさに複雑屈折していますでしょ。明治維新以降77年間に日本が行った戦争はすべて朝鮮半島の利権を争ったものです。なぜあの地にそこまで固執していたのか、それはウラン採掘やレアメタルのためだけじゃない。彼らにとっては郷愁に駆られる忘れ得ぬ地なのね。

 

――この部分を理解するとこれまで見聞きしてきた様々な報道などがまったく違った解釈になってきますね。


あとからジワジワ効いてきますよ。つまりですよ。私たちがこれまでずっと信じ込まされてきた明治以降の「近代日本」というものと、本当の「近代日本」の姿というものの間に途轍もない乖離があるのだということ。私たちはそんな本当の「日本」の正体について、これまで1ミクロンも知らされていなかったのね。

なぜ知らされていなかったのかというと、これがじつは日本最大級のタブーのひとつであるからなんだよね。だってそんな彼らが「大和魂」とか「大和撫子」とか喧伝して外来侵略者による虚構の民族主義を広めちゃっているわけだから。

 

――本気で国の安寧を願う真面目な人や本気でこの国の未来を憂う人ほど騙されてきたということですね。


たとえば「大和」(やまと)っていうのはグローバル思想でありカバール思想ですよね。

だから私は「大和」という言葉は使ってないでしょ。「大和」っていう言葉は、満州国の石原莞爾らが主張した「五族協和」や「王道楽土」と同様に、日本国民の良心を利用する形で拡散された概念です。それは明治維新の時の「攘夷の流れ」とは真逆でしょ。

彼ら満州グローバリストたちは、最初は「攘夷」と言って外国を撃ち払い追い出そうとしましたけど、自分たちが権力を握った途端に、今度は「世界全体を大日本帝国にしてしまえ」とそれこそ「八紘一宇」、つまり「地球大日本帝国化計画」をやっちゃったわけだよね。

つまりその「攘夷」はグローバリストたちの方便だったということ。

 

――「ヤマト」はヘブライ語で「ヤ・ウマト」(神の民)だという説がありますが?


パリサイ派靖国右翼がそう言っていますよね。彼らは「ヤハウェ」を裏切り訣別したんですよ。ですので彼らがそこで言っている「神」というのはモレクのことです。

 

――巧妙に幾重にも細工がしてあるのですね。


はい。また大和朝廷が奈良に入った呼称が「ヤマト王権」ですから、ということは「ヤマト」というのは縄文、そして日高見国を侵略し虐殺した側が使っているものです。

「大和心」などじつに不気味な言葉です。国あるいは民族全体に均質化された心情などというものは存在しないのですよ。人の心というのは1億人いたら1億あるわけですよね。

それを為政者の都合によって包括的に統合していこうという思想は、グローバル思想なのだということです。といいますか「大和魂」を広めたのは本居宣長でしょ。国学の流れの中で肥大化させられていったのだと考えます。

 

――「大和」という言葉は政治的に用いられたもの。澤野さんはそんな「大和」とは真逆とも思われる「縄文スピリット」という表現されますよね。


「大和魂」の「魂」とは精妙なスピリットのことを指すものではなく、強制的なイデオロギーに阿諛追従(あゆついしょう)し、「ひとつ」から分離した「ひとり」がネジのひとつとして己を放棄し差し出し、「ひとり」の集合体としての「絆」でもって「ひとつ」を擬態形成する心構えのことを意味します。

ここで表現される「魂」の意味というのは、一方で「縄文スピリット」というものは、ただ素朴に「ひとつ」というものでしかないわけです。ただしその「ひとつ」には無限に解釈される世界が広がっているということ。

つまり「大和魂」と「縄文スピリット」は真逆というより、「逆位相」にあるものなのだと考えています。(澤野大樹)

 

「はなればなれの君へ。(中編)」へ続きます。

今回の澤野大樹氏ブログインタビューは、前編・中編・後編と三部作でお届けいたします。

 


2021年8月26日木曜日

2436「はなればなれの君へ。(前編)1」2021.8.26

 今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2021年08月21日「はなればなれの君へ。(前編)」を2回に分けて紹介します。

https://ameblo.jp/riyanmichaki/entry-12693428821.html


「はなればなれの君へ。(前編)」

こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。

 

非常事態の中、沈静化するどころか、ますます勢いを増し、色んな騒ぎが露わになってきている昨今。そんな中、先日行われた第10回青森講演会2Days、お陰様で、盛況の内に終えることができました。青森で解き放たれた澤野氏の言説はまさに世界を震撼させるもの。

一生かけても見聞きできないような精妙で幽玄な世界へと誘われました。将来への影響の大きさは計り知れません。ご参加くださったみなさまには、改めまして心からの感謝を申し上げます。ありがとうございました。 さて、 


――澤野さん、こんにちは。先日は青森講演会(弘前・八戸)10回目、お疲れさまでした。

「活字版⑩番原稿」がリリースされるというタイミングでまた久しぶりのブログインタビューとなりますがよろしくお願いいたします。


本当にお疲れ様でした。今回の活字版もかなり加筆して調整が完了しました。良いものができたと思います。インタビューの内容は、活字版とは全然違うことをお話ししたいですね。

 

――では早速始めさせていただきたいと思います。ところでアフガニスタンで再びタリバンが首都カブールを掌握しましたが。


はい。このことは多くの人を混乱させたと思います。今回のこのタリバンの件はまさに巨大な出来事でした。これまで私が語ったり書いてきたことを振り返ればその解答を得ることができるかと思います。アフガニスタンが再びタリバンの支配下になったということは

これはめちゃくちゃ巨大な意味を孕んでいます。アメリカがアフガニスタンと戦争を始めたきっかけを覚えていますか?

 

――「9・11」でしたよね。


そうです。2001年9月11日の「米国同時多発テロ」がそのきっかけでしたね。

当時のブッシュ政権はこの「9・11テロ」の首謀者が、イスラム原理組織アルカイダを率いるウサマ・ビンラディンであると断定し、彼を匿っていたアフガニスタンのタリバン政権へウサマ・ビンラディンらの引渡しを要求しましたがタリバン政権に拒否されたため、米国を中心とした有志連合軍は軍事侵攻を始めました。これが2001年10月7日ですね。

つまり、2001年9月11日に、イスラム原理主義アルカイダから宣戦布告の奇襲攻撃「9・11テロ」を受けて、2001年10月7日に本格的に「開戦」したのです。

この瞬間に世界は「テロとの戦い」と称する対戦相手不明の「世界大戦」に突入したのです。

 

――「対戦相手不明」?ですか?


ブッシュは「テロとの戦い」と言いましたよね。相手がハッキリとした国や個人ならばそう言えばいいわけですが、なぜか「テロとの戦い」というように、漠然とした概念を「敵」と称しました。

 

――なぜそんなややこしい表現をしたのでしょうか?


ブッシュ自身も相当の悪党であったわけでしょうけど、「9・11テロ」を主導したその相手はそんなレベルじゃなかった。全世界に「国際根拠地」を張り巡らせ、しかも膨大な資金力を持っていながらも、彼らは常に「地下の奥深く」で活動しその姿を現すことはない「得体の知れない相手」だったからです。

この「地下の奥深くで活動する得体の知れない相手」のことを「ディープ・ステート」と呼びます。「ステート」というくらいですのでそれはさながら「国」をも凌駕する世界規模のスケールで存在しています。

 

――澤野さんが講演会でホワイトボードに書く「日本のDS」、「アメリカのDS」、そして「中国のDS」の相関関係図がありますよね。あの図と関係がありますよね?


まさにあの図です。彼らは猛烈なグローバリストですから、「国境」を持たないのですよ。

ということはつまり、本当ならば、「日本のDS」とか「中国のDS」とか分けて考えちゃダメで、彼らは水面下の領域においては完全に繋がっているのだということです。

 

――彼らは地球規模で存在しているということですね。


そういうことになります。彼らの基本理念は「包括的な信仰」であり、「万教帰一」であり「五教合一」であり、世界の宗教すべてを「統一」することができるのであれば、当然ながら「五族協和」も可能と考え、そうなれば国境も必要なくなるものだと考えましたね。

「満州国」が人も宗教も合一した先に彼らは「トランス・ナショナリズム」(脱国家・超国家)を夢想しました。

 

――彼らのその猛烈な超国家思想というものの源泉はどこにあるのですか?


やはりかつてヤハウェを裏切ってしまったという強烈な「後ろめたさ」がそこにあるはずです。圧倒的な「ひとつ」から「ひとり」を分離し、この世に「二元論」という「もうひとつの宇宙」を創造してしまった。

ヤハウェの管轄、つまり「ひとつ」を自らの意思で拒絶し、己の力を誇示し、顕在意識によって考え抜かれた「新しい神」を生み出してしまったわけですよ。

そのことによって彼らは祖国というものを取り上げられた。だから彼らの心の底には、複雑な思いが常に去来しているわけ。ならば、世界のすべてを物理的に「ひとつ」にしてしまえ、と。これが「新世界秩序」思想の嚆矢だといえます。ヤハウェに代わって自分たちの力によって、この世界を物理的に「ひとつ」に導くことによって、ヤハウェに対して誇りたいという気持ちが非常に強いということ。

 

――そもそもの発端での裏切りを糊塗するために、彼らはあらゆる頭脳を使っていったのでしょうけど、長い年月の間にかなり屈折してしまったようにも思えます。


屈折なんてもんじゃないくらいに複雑屈折しています。彼らは心の底ではいつもビクビクしてきたと思います。だから彼らは基本的には誰よりも臆病なのです。その思いが彼らを「地下」へと導いていった。

ヤハウェを裏切った後の彼らは、どれほどの正論を持とうが、もはや「王道」を歩むことは許されなかった。それは彼ら自身が一番わかっていたこと。

だから彼らはバビロン以来ずっと、詐術、詭弁、催眠といった「技術」に磨きをかけて、この地球上のあらゆる場所に君臨してきたわけですよね。

 

――でも彼らも祖国を持ちたかった?


そうです。ですから彼らの末裔たちは、満州国を理想郷として夢想しました。その夢想はやがて「河豚(フグ)計画」として実行に移されました。その理想の国はまさに「ひとつ」を具現化させるものでした。世界初のカバールDSの夢の実現だった。

 

――その彼らの末裔たちとはどういう人たちなのですか?


パリサイ派の末裔だと思いますよ。面従腹背で、上辺だけは善い行いをして、しかしそれは決して本心ではない。人々の前では善い行いをアピールするけれども、それは表面上のことに過ぎず、よく観察してみるとヤハウェの意思に適うことは決してなく、本心では舌を出して笑っているようなタイプです。

 

――今の日本の政治家みたいですね。


まさにそのとおりです。現在の日本の政治家の多くはパリサイ派の流れだと思います。

 

――その満州国は敗戦で頓挫しましたよね。


そう。だから彼らの計画は一度はすべて白紙になった。満州国で「紅卍字会」と「大本教」は「合一」し、まさに「五教合一」の雛形を作ったのに、その計画がすべてオジャンになりました。

 

――それでどうなったのですか?


すべて「日本」に持ち帰って来た。すべての計画が狂ってしまった。だから日本に全部テイクアウトしてきた。満州国で新たに生まれた「五教合一」思想、そして「万教帰一」といった「包括的信仰」は、満州国の生みの親である「父」によって日本に持ち帰られた。

 

――それでどうなったのですか?


その「父」の自宅の敷地内に、日本で最初の「本部」が置かれたわけです。

 

――そういうことだったのですね。


世界一のグローバル共産思想だったその満州国に立ち上げようとした宗教が敗戦によって頓挫し、しかも、GHQの命令によって、あろうことか「反共の防波堤」のための急先鋒として、思っていることと真逆の活動を強いられたのです。

それまで自分たちが推進してきたことを今度は糾弾する側でしか生き長らえられないようにさせられてしまったわけです。

 

――それは屈折してしまっていますよね。


複雑屈折ね。つまり彼らは「反共」なのに「統一」したいという二律背反という精神衛生上じつによくない状態になった。本音と建前、実質と名目を完全に分けられた状態。

思っていることとやっていることの一致が認められない状態。満州国で心行くまで花開く予定だったものが、想定外のこの日本で、しかも真逆の思想を推進する最前線に送られた。

 

――なぜGHQは日本国内にそんな最前線を作ったのですか?


満州国の残党が日本に帰国しましたが、米国に寝返ったその「父」を彼らは「米帝に魂を売った裏切り者」として復讐しようと決起し暴れまわろうとしたからでしょう。

かつては同じ釜の飯を食った同志だったわけです。だからこそ近親憎悪もより強いものとなった。そんな彼らを鎮圧し押さえ込まなきゃならなくなった。

戦後の未解決事件の多くはその流れです。彼らの「残党」と日本政府との戦争、つまり内戦です。帝銀事件、下山事件、グリコ森永事件、日航123便墜落事件、あとオウム事件もそうです。他にもありますが少年事件も含まれるのでやめておいた方が賢明かと思います。

 

――表向きの報道ではまったくわかりませんね。


世界で一番「ヤバいもの」が残っていて燻り続けているのがこの日本です。そんなものが戦後76年経った今でも日本の水面下にそっくりそのまま残っていて政府を脅し続けているだなんて国民に知らせるわけにはいかないのですよ。

一応、名目上は戦後の焼け野原から復活し、高度経済成長を成し遂げた豊かで幸せな国なのですから。日本国民はすべて電通のご指導の下、かりそめのハッピーライフをエンジョイしていただくというのが規定路線としてあるわけ。

 

――つまりGHQアメリカとしては、思想としての共産主義を弾圧するという名目の下に、じつは「旧満州国」の残党たち同士の内ゲバを鎮圧したいという思惑があったということですか?


まさにそのとおりです。よく「陸軍が暴走した」って言いますけどもっと細かく言えば、

関東軍の上層部が狂信的カルトの信者で、大本営を無視し、つまり天皇陛下を無視し、日本から独立し、大陸で独自の「帝国」を勝手に作り出した。それをすべてぶっ潰し、さらにその上澄みを掻っ攫ったのがアメリカの中にいたDSグローバリストたちだったということね。

 

――大本営、つまり天皇を無視して暴走して作り上げたその満州国では誰が「天皇」になる予定だったのですか?


「○○○○○(自粛)」ですよ。

 

――そ、それは刺激が強すぎますね。


そう。良い子は絶対に真似しちゃいけないこと。さらにそこから独立したTは後に「万教帰一」という統一思想を掲げ、1974年に「日本を守る会」を創設し、1981年に「日本を守る国民会議」を経て、現在は「日本会議」という名前になっているわけでしょ。

戦後、日米安保闘争で学生運動が激化したとき、その鎮圧のために全学連と衝突したのが、

T傘下の全国学生自治体連絡協議会(全国学協)だった。つまりあの学生運動の根幹というものは、じつは「満州国時代の因縁の対決」だったのだということです。

さらにそのTと共に「大正維新」を訴えながらも独立した浅野和三郎氏は1923年に「心霊科学研究会」を創設し、それが後に「日本心霊科学協会」になった。

もちろん幕末から平田篤胤とかがすでに研究していたわけですが、いわゆる「日本スピリチュアリズム」(心霊主義)という言葉はここから始まっているわけね。 

だから私はいつも、「日本のスピリチュアルのほとんどは元を辿ればひとつ。しかしほとんどの人はそれを自覚していない」と申し上げているわけです。

だから私はよく「ネトウヨ・スピリチュアル」と表現するのです。これは思いつきで言っているのではないのです。「満州国のグローバル思想」と「スピリチュアル」は完全にセットなのですよ。つまり、戦前戦中の「国家神道」というものも、その基盤にはオカルト・スピリチュアル思想があり、それが猛烈な侵略思想を持ったグローバリストたちに共有されていたのです。

 

――戦前戦中をオカルトの視点から読み解くという手法はなかなかないですから本当に驚きですね。もしかしたらこのオカルト視点というものを抜きに戦前戦中、いえ明治維新以降の近現代史は紐解くこととができないのかもしれないと思いました。


そうなのですよ。でも今のメディアは日本のこの「満州国」はもちろん、さらにそれが「オカルト」によって動いていたということに触れてはいけないような不文律があるように思えます。

 

――ということは澤野さん、今ふと思ったのですが、太平洋戦争ってじつは日本とアメリカが戦争をしたのではないということですよね!?


鋭い!そういうことです。しかし話しの脱線が過ぎましたね。アフガニスタンの話しをしていたはずだったのです。

 

――そうですね(笑)話しを元に戻しましょう。


続きは明日のブログへ