2019年8月28日水曜日

1778「神人巨石巡り6」2019.8.28

 以下は石崎山と立石山の調査を行ったブログの紹介です。ピラミッドに興味のあり方は読んでみてください。https://hamadas6.exblog.jp/8329375/

「立石山はピラミッド本殿山!そして石崎山は拝殿山!
このブログは、山形県に存在する「ピラミッド富神山とストンサークル」に次ぐ、2つ目のピラミッド発見!として、東根市のピラミッド本殿山(立石山・左端)と拝殿山(石崎山・右端)を取り上げたものである。

始めに!
「古代文明の謎」とか、「日本のピラミッド」等とかの文献を見る時、必ずや、酒井勝軍という名前が見える。酒井は、明治6年に山形県に生まれ、現在の宮城県東北学院を卒業して,その後、アメリカに渡ったり、シベリアに従軍したり、陸軍からパレスチナに派遣されたり、その際に、エジプトにも行ったりした人物である。
 帰国後は、古代文明史の研究から、エジプトのピラミッドは、今から20,000~30,000年前に誕生した古代日本が発祥地であり、それが伝播した、…という説を唱えた人物でもある。
 その説によると、ピラミッドの要件は、三角形の形をしていて、本殿の頂上に神殿があり、それを遥拝する拝殿が近くにある、と言う。本殿には、太陽石や列石が、拝殿にはドルメン、方位石、鏡石、メンヒルなどが存在すると言う。
 酒井は、エジプトに伝播した日本のピラミッドが、日本でも、必ず、将来発見される!と予見していた。

 酒井が61才の時に、情報から、広島の葦嶽山に登り、その予見した構造からも、酒井の説がことごとく実証され、酒井はそのピラミッドは、今から23,000年前のものであると言い切ったのである。酒井は何故そう言い切れたのか?また、何故、その構造等を知り得たのか?は、謎の儘なのである。
 その後、青森の大石神山、岩手の聖地としての五葉山をピラミッドを発見したといい、更に、竹内古文書で有名な竹内巨麿が、青森の十和利山をピラミッドであると言い切った。
 その後、人工の山と言われる秋田県黒又山や青森県の靄山(もや山)を始め、福島県の千貫森、岐阜県位山、高屋山、富山県尖山、広島県葦嶽山、飛騨高山を中心とする地域、その他、沢山のピラミッドと付随する古代巨石遺跡、が発見されている。


レーダー調査により、階段式人工ピラミッドではないかと言われている秋田県黒又山!
これも人工では?と言われている青森県もや山!
UFOの基地と言われている福島県千貫森!
更に、日本には幾つものピラミッドがあるのではないか!という事で、その他多くの団体、個人、在野の研究家諸先生方により、現在、研究が進められている。
 私も、ピラミッドや古代巨石文明の跡を求めて探し回り、登り確認して楽しんでいる。東北に限定するがそれらの三角山=ピラミッド山や巨石については、リンクする「ピラミッド山!東北のピラミッド!探し登った三角富士の山々」「巨石!私の東北巨石番付」を、是非ご参照願いたい。という訳で、以下、山形県東根のピラミッド山についての偶然探した経緯と巨石リポートをご覧頂きたいと思う。

2019年8月27日火曜日

1777「神人巨石巡り5」2019.8.27

 午前の巡りは終わりました。昼食は蔵王町の白石温麺茶屋です。予定より遅れて到着です。
 白石温麺御膳を頂きましたが皆さん美味しいとご満悦でした。



食事をしている内に雨が強く降り出しました。お店からバスに乗るのも難儀なほどの大雨です。


 午後の目的地は山形県東根市関山の石崎山です。1時間ほどの移動に成ります。車中で皆さんの自己紹介をして頂きました。多士済々で神人さんとのご縁が深い方々です。良くも悪くもこの様な形で縄文の陸奥の巡りが出来る事はありがたい事です。神人さんもこの縄文ライブ、現地でのゲリラライブを楽しみにしてくださっています。
 関山峠を越えたら雨が上がっているのではとの期待は残念ながら叶いませんでした。でも大分、小降りになりました。ありがたい事です。

 高崎山は綺麗なピラミッドの山容の立石山の拝殿山といわれています。石崎山は標高284mで巨石を積み上げて作ったのではないかと思えるような、全山が岩山です。石崎山の紹介記事が以下です。

・石崎山          東根市関山3192-2 石崎山農村公園 石崎観音堂
「国道48号線脇東根市原宿に先ず、これ全山岩座と言うべき拝殿山の石崎山がある。この地域は、扇状地であり、河岸段丘になっておりこのような山が出来たと地元では考えられている。組石(祭壇石)や緩い傾斜地にあるにも関わらず垂直に切られた方位石等がある。巨石が切り取られ、加工された跡がある。

上の写真:ピラミッド本殿山(立石山・左端)、拝殿山(石崎山・右端)

 この東側に、本殿山のピラミッド山・この立石山がある。立石山には、中腹から、ここは神の山!神の領域!といわんばかりの磐境がある。頂上には、メンヒル、天柱石、ドルメンらしき笠磐、鏡石、天の岩戸?等と、おぼしき巨石群があり素晴らしい。東側山麓には、川幅20m程の「村山野川」が流れており、古代人が住まない訳がない!と言う感じである。
 拝殿・本殿山のこの山を囲むように、山麓には数々の神仏が祀られている。
 山の畏敬の為か、延命地蔵尊、観世音菩薩、稲荷神社、雷神社、十二神、不動尊、水神社、庚申塔、馬頭観世音、古峰神社など等、里の民の信仰心は篤く、これほど数のある所を私は知らない!。比較的登りやすい山であり、一度登り確認される事をお勧めする。」

 石崎山には西口の登り口から入りました。祭壇石に石塔が立ち並んでします。その前を通り山の尾根沿いの道を登って行きます。途中に巨石が列をなしてあります。頂上付近に展望台があり、雨を凌ぐには格好です。全員が階段を登り展望台で暫し景色を堪能しました。





  西に本殿山の立石山、南に水晶山が綺麗な三角形に見えます。立石山はピラミッドと言われていますが、この石崎山から拝殿するに丁度良い加減です。全山、石山ですが果たして人工的なものに思いますが如何でしょうか、何とも不明です。


 ここでは神人さんは縄文ライブを行いました。向かうは立石山の方向です。太鼓での20分ほどのライブは終わりました。展望台に蜂の巣があり襲われるかと注視していましたが事なきを得ました。神人さんの奏でる響きに感応したのでしょうか。蜂の詳しい方が言うにはもう少し遅い時期だと産卵時期になり危険だとか。何はともあれ無事に終える事が出来、良かったです。





 ここでも神人さんから特別のお言葉は無く、この地の霊存在も呼応して喜んで迎えて下さったようです。素晴らしい事です。
 晴れやかに、何かやり遂げた、大事な儀式に同席で来た満足感があります。足元が滑りますので用心してゆっくり下山です。




2019年8月26日月曜日

1776「神人巨石巡り4」2019.8.26

 次の目的地は「潜り岩と猿跳石・九瀧神社」です。丸森町耕野と福島県伊達市梁川町舟生にまたがる県境にあります。阿武隈沿いの狭い国道349号線をバスは南下します。バスがギリギリ通れる狭い箇所がありますが上手に進みます。際どい所は運転手さんの腕の見せ所、乗客の皆さんは拍手喝采で讃えます。
 橋を渡り目的地に到着です。道路沿いに九瀧神社里宮がありそこから下って奥の院、猿跳渓谷砂川原に向かいます。以下の様に紹介されています。

・潜り岩と猿跳石・九瀧神社  丸森町耕野・福島県伊達市梁川町舟生
「伝説では、天喜5年(1057年)安倍貞任が対岸を利用し、材木や石で川をせき止め、源義家の軍を防いだ時(前九年の役)、せき上がった水にこの岩が潜ったのでこの名が付けられた。
 その時、川の水が刈田郡方面に越えたので、越河(こすごう)と名付けられたという。そして、刈田郡方面は洪水になったという(安永の風土記)。
 近年、岩の高さを実際に釣り具で計測した人がいて、約39mあったとのことである。」

 猿跳石は川の中に石が点々とありそこを猿が飛び越えて川を渡ったことから名付けられたようですが川の姿が変わったのでしょう、その石は確認出来ませんでした。以下の様に照会されています。
「舟が川を下る時、大波に見え隠れする岩が、猿のように見えるから(奥州仙台遠見記)という説と、近くの岩洞のお山王さんと霊山のお山王さんの使いに猿が群をなして跳び越えたので(郡誌、封内名蹟誌、封内風土記、観跡聞老誌)名付けられたと諸書にある。往古は登竜門滝と言ったという(安永の風土記)。」

 九瀧神社に付いては以下の表記があります。
「九つの滝を祀った九瀧神社。梁川町の方では、この場所が九つの滝になっていて信達地方は湖であった。この滝を壊して阿武隈川ができたと伝えられております。(まるもりの伝説より)」
「潜り岩の対岸にあり、阿武隈川の大きな九つの滝の神を祀っている。昔船頭は舟運の安全を祈り、上り下りお参りをしたという。そこは阿武隈川随一の淀である。深さは約30m(釣り糸で計測)」

 池の様な溜まり水がありそこを回り進むと九瀧の岩山に到着です。巨木が幹をほぼ直角曲げて伸び拡がっています。頂上には九瀧神社奥宮がありました。祠の左右に白い狐が祀られています。






 神人さんは太古を用意してライブを行いました。岩場で足元が不安定ですが一番先に立ち、潜り岩に向かってと言うよりは、阿武隈川の下手の明神淀方向に向かって響かせました。







 クロアゲハが舞い自然が呼応して喜びのエネルギーが流れます。ライブを終えましたが、ここでは特に神人さんからのお言葉は特にありませんでした。喜んで歓迎してくださったようです。

2019年8月25日日曜日

1775「神人巨石巡り3」2019.8.25

 次の目的地は丸森町の駒場瀧不動尊公園です。立石の角田から丸森の中心街を抜けて進みます。30分位で到着です。以下の様に紹介されています。

・駒場瀧不動尊公園      丸森町字不動59
「駒場の不動尊を中心とした公園です。
駒場不動尊は、丸森から内川をさかのぼって南へ約6kmほど山間に入った堂平山(どうへいざん)の北麗、内川の右岸にあります。堂の創建年代は不明ですが渓流を挟んで高さ10数メートルの断崖がそば立ち、いかにも荒修行の地にふさわしい、深山幽谷といった景観に包まれています。
 累々と重なる岩石を洗って急流や深淵がいたるところにあり、上流には高さ12mの清滝もかかり、水石として価値の高い五色石の採集もできます。」

「あぶくま荘(国民宿舎)の近くにある不動尊公園。不動尊公園の水はとても綺麗で町の水道にも使われております。また、水の綺麗なところには花崗岩はつきものです。
 丸森町文化財辞典によりますと
「不動尊の大岩 昔、天台宗の高僧慈覚大師がみちのくにご巡錫(じゅんしゃく)になり、岩代の国伊達の霊山に500坊を擁す一大霊場「霊山寺」を建立した。大師は、霊山の鬼門守りの仏堂として不動様を祀ることを思い立ち、鬼門の方角の地を訪ね歩いた。そして、この地に来たとき、渓流が流れ、うっそうと茂っている森林の中を歩いていると紫雲たなびく大岩が眼前に現れた。これぞまさしく不動尊を勧請すべき聖地と受け止め、岸壁の洞窟にこもり、精進潔斎をして一刀一拝不動尊を刻み始めた。三七、21日目の満願の日にようやく不動尊像が完成した。その不動尊を大岩中段の洞窟に祀り、天下太平、万民安楽、法灯無辺のご祈祷をした。それから、この大岩前の滝は尊い神仏が祀られているということで「神滝」と呼ばれるようになった。」
 その後、「神滝」は「上滝」に変わり地区名として今に伝わっています。」

 川沿いに見事な巨石が沢山あります。渓流では泳いでいる方もいました。散策路を巡りますが静寂の中に自然のエネルギーを満々といただけます。綺麗な水が水路を勢いよく流れ、巨石を覆う木々の葉々と絶妙なバランスです。人工物の赤い橋は場違いな印象を否めません。
 その橋を渡り対岸を散策です。巨大な不動岩の下から眺め、さらに丘に登り東屋のある所まで行った所で雨が降り出しました。暫し東屋で退避です。面白い光景となりました。皆さんと東屋に避難した集合写真を撮影しました。












 帰りは「駒場瀧不動尊」が祀られる奥州三十三観音第30番駒場山愛敬院を巡りました。ここは本山修験宗のお寺で、昔は丸森には修験者(山伏)のいる修験寺が多くあったようです。もともと修験宗は役小角を祖とする山岳宗教で、護摩を焚き経を唱え、祈祷を行い、自らは難行苦行を重ね、神験を習得することを業とし、かつては人々の願いを神仏に祈る仲立ちを行っていました。愛敬院は一旦廃寺となりましたが、この寺の別当寺としていた不動堂が新たに愛敬院として引き継ぎ、地区の人たちに守られて栄えてきました。
(丸森町観光案内所 ホームぺージ)

色あざやかな仁王像が左右に奉安する山門(仁王門)は見事です。文化文政の頃、郷土の義民・菊地太兵衛により造営されたものです。庭の紫陽花、山百合の花々の綺麗に咲き誇っています。私達だけの貸し切り状態で、ここでも自然の英気を沢山いただきました。