次の目的地は「潜り岩と猿跳石・九瀧神社」です。丸森町耕野と福島県伊達市梁川町舟生にまたがる県境にあります。阿武隈沿いの狭い国道349号線をバスは南下します。バスがギリギリ通れる狭い箇所がありますが上手に進みます。際どい所は運転手さんの腕の見せ所、乗客の皆さんは拍手喝采で讃えます。
橋を渡り目的地に到着です。道路沿いに九瀧神社里宮がありそこから下って奥の院、猿跳渓谷砂川原に向かいます。以下の様に紹介されています。
・潜り岩と猿跳石・九瀧神社 丸森町耕野・福島県伊達市梁川町舟生
「伝説では、天喜5年(1057年)安倍貞任が対岸を利用し、材木や石で川をせき止め、源義家の軍を防いだ時(前九年の役)、せき上がった水にこの岩が潜ったのでこの名が付けられた。
その時、川の水が刈田郡方面に越えたので、越河(こすごう)と名付けられたという。そして、刈田郡方面は洪水になったという(安永の風土記)。
近年、岩の高さを実際に釣り具で計測した人がいて、約39mあったとのことである。」
猿跳石は川の中に石が点々とありそこを猿が飛び越えて川を渡ったことから名付けられたようですが川の姿が変わったのでしょう、その石は確認出来ませんでした。以下の様に照会されています。
「舟が川を下る時、大波に見え隠れする岩が、猿のように見えるから(奥州仙台遠見記)という説と、近くの岩洞のお山王さんと霊山のお山王さんの使いに猿が群をなして跳び越えたので(郡誌、封内名蹟誌、封内風土記、観跡聞老誌)名付けられたと諸書にある。往古は登竜門滝と言ったという(安永の風土記)。」
九瀧神社に付いては以下の表記があります。
「九つの滝を祀った九瀧神社。梁川町の方では、この場所が九つの滝になっていて信達地方は湖であった。この滝を壊して阿武隈川ができたと伝えられております。(まるもりの伝説より)」
「潜り岩の対岸にあり、阿武隈川の大きな九つの滝の神を祀っている。昔船頭は舟運の安全を祈り、上り下りお参りをしたという。そこは阿武隈川随一の淀である。深さは約30m(釣り糸で計測)」
池の様な溜まり水がありそこを回り進むと九瀧の岩山に到着です。巨木が幹をほぼ直角曲げて伸び拡がっています。頂上には九瀧神社奥宮がありました。祠の左右に白い狐が祀られています。
神人さんは太古を用意してライブを行いました。岩場で足元が不安定ですが一番先に立ち、潜り岩に向かってと言うよりは、阿武隈川の下手の明神淀方向に向かって響かせました。
クロアゲハが舞い自然が呼応して喜びのエネルギーが流れます。ライブを終えましたが、ここでは特に神人さんからのお言葉は特にありませんでした。喜んで歓迎してくださったようです。