朝食も盛りだくさんな料理で申し分ないです。皆さん8時には宿を出発しましたが、おかみさん始め宿の皆さんが見送りしてくださいました。ありがたい善き宿でした。後で神人さんに伺ったところによると、昨晩の「青森けんじん」ライブの後におかみさんからおひねりを頂いたとか。宿の皆さんも楽しんで頂けたようです。ありがとうございました。
21日の最初の目的地は朝日町の大沼の浮島です。以下の様に紹介されています。
大沼の浮島 朝日町大字大沼
「大沼の浮島は、山形県の国指定の名勝地(大正14年に指定)で、朝日町を代表する観光スポット。豊かな植生の森林に囲まれ、湖面には複数の浮島が遊泳する、美しく神秘的な沼は、まさに秘境の名勝地です。
湖畔にある周遊道は、南に位置する浮島稲荷神社を起点に続いており、一周約30分。四方から美しい沼を鑑賞できます。大沼はその神秘的な景観から、古くから信仰されてきた神池で、1300余年もの昔に、修験者によって開かれたとされます。歴代の領主や徳川幕府から祈願所とされ、湖畔には浮島稲荷神社が建立。湖面に静かに遊泳する浮島は、その動静から吉凶が占われたといわれます。
出島は浮島ではありませんが、神様が降臨しそうな雰囲気の、大沼を代表するフォトジェニックな景観です。この島は雨請壇とも呼ばれ、その昔、日照りが続くと雨乞いの祭壇が設けられ、祝詞を奉じると雨が降ったといわれます。
大沼は白鳳9年(680)、修験道の開祖と云われる役小角が発見し、同行していた弟子の覚道に、神池の守護を託したとされます。覚道は、湖畔に浮島稲荷神社の前身となる祠を建立し、大沼と神社の別当である大行院の開祖となったと伝えられます。
浮島の数は、奈良時代に僧の行基が訪れた頃には、60以上もあったと伝えられ、行基は、大小様々な浮島に、日本各地の国名を名付けたといいます。後に大沼の地は、歴代の領主や政権の祈願所となります。鎌倉時代には源頼朝、戦国時代には山形の武将である大江氏や最上氏、江戸時代には徳川家の祈願所となりました。古来より人々は、大沼に遊泳する浮島に、自身や国の将来を重ね、幸福を祈願してきたのです。
浮島稲荷神社の社殿脇には、最上氏から奉納された石灯籠や、修験道の祈祷所であった護摩壇が残され、往時の繁栄や信仰を窺い知ることができます。浮島稲荷神社の別当である大行院は、西の集落の中心にある社務所も兼ねた建物。立派な門構えの建物なので、見学をお勧めします。
大沼の浮島は、西岸一帯にあるヨシの群落が元となり、岸からヨシの地下茎や根が、固まりとなって分離して生まれるそうです。昔は、浮島の数は多いときで60余りもあったと伝えられますが、戦後の環境の変化によって、十数個に減少したといいます。
地元の方々の目撃情報から、浮島の不思議な動きについてのお話を少し。浮島は無風でも静かに遊泳し、その場でクルクルと回ったり、複数の島が一列に並ぶこともあったそうです。朝夕に活発に動くとされ、湧水の流れる出島の向って右側に集まるともいわれています。また、まったく動かないこともあり、風の強い日は岸辺に移動していることが多いそうです。」
大沼の浮島稲荷神社に着くと何やら車が沢山で何時になく多くの方々が居ます。お祭りかなと思いながら参拝しました。沼には見事な錦鯉が泳いでいます。神人さんが餌をあげて楽しんでいます。湖畔にはお社が整えられ、テントも設営されています。島祭りの日です。
島祭りは年に1度、浮島を切り離すお祭り、神事です。浮島は冬の間に根を張り陸地に張り付くので、それを切り離し島に命名して沼に切り離すのです。丁度、ボートに数人が乗り込み、島を切り離す作業をしてロープで引き寄せていました。
神事は10時半からの様で、私達はその前に失礼しました。目出度き日に参拝、見学出来た事は幸運なことです。
後日、調べたところによると新しい浮島は「駿河之島」と命名された様で、島の中央に浮かべられた様です。