人間は生きるテーマを持たないといけない。変わる事のないテーマを持つ事を教わりました。先生は新聞を読みなさいと言われました。読まれるのは読売新聞でした。私も読ませていただき、新聞をお返しすると、新聞を又綺麗に折り返していました。それを座布団の下に敷いて正していました。また先生は風呂で髭を剃り、上がって又剃り出すので血だらけになって剃っていました。
第1銀行の真向法教室へ一緒に行って指導していました。津先生と小暮美千代さんと社員食堂へ行きました。良い経験でしだが、津先生は第1銀行の常務と合っても堂々としていました。それがまた1つの生き方の教えでした。
小暮美千代さんは安岡先生の同級です。古くから真向法はお金のやり繰り、決算が苦しかったです。パンフレットを作るのに広告代を取ろうとしたのです。先生は不本意だが背に腹は代えられない。そこで安岡先生に相談しました。すると安岡先生は「広告を取るのは止めなさい、私が10万円、小暮に10万円出させましょう。」と言ってお金を出してくれたのです。ありがたく使わせて頂きました。
先生は毎日のようにお酒を飲んでいました。いつも焼酎の四合瓶1本飲んでいました。飲みながら、安岡先生の事を話す時は何時も涙でした。その先生のお姿が忘れられないです。安岡先生はありがたいことでした。私が6,7年仕えて津先生は亡くなられました。
洞先生は人間がでかい人でした。身体もデカかったです。奥様は浜子夫人です。洞先生は津先生と違い、夢はあまり言わなかったです。兎に角、人物です。仕事を終えて帰る時に、先生が皆にビールを飲ませてくれました。朝行くとコーヒーをドリップで入れてくれました。先生は我々が来るのが待ち遠しい感じでした。昼に出かけると、白トレパンを脱いだ時など、細かい事はどうでも良いという感じでした。それでいて真向法は津先生の通りしっかりやるのです。
政治家のパーティーに一緒に行った時の事です。私が愚痴って人生を語ると洞先生は、「空を見てみなさい、星が見えるが綺麗だね!これで良いじゃないか。」と言うのです。そういう人でした。
七大健康法で真向法が主婦の友社で紹介されました。熊本の石井いつ子さんがそれに飛びついて、東京に会いに来ました。そしたら第3体操をしてみせて、「これが楽だよ」と言っただけでした。こうなれば人間は楽だよ!という考え方でした。石井さんはそれでコロッと変わったのです。それで真向法をやるようになりました。
私は夫婦で住み込みでした。南平台の先生のお宅、本部にいたのですが、やがて子供が出来て近くのアパートに移り住みました。しかしお風呂は本部で頂くのです。浜子奥様(洞先生の後に会長になられました。)には子供がいなかったので、私の子供をとても可愛がってもらいました。
私には嫁が真向法を持って来てくれて、その縁で理由も無く真向法に入門して現在に至っています。
私には娘、息子がいますが、大先生、津先生に名を付けて頂きました。お前は安岡先生の縁だから名を頂けと言われましたが、先生の津(わたる)を頂いて津一(しんいち)を付けました。良い名前です。大先生が真向法を普及した様にわたっていく。その思いです。
※(佐藤良彦先生の御子息、津一氏はこの度の総会で、真向法協会の副会長に就任しました。)