2017年6月11日日曜日

967「祈り旅8」2017,6,11

 石戸神社で、今回の旅の目的である大きな祈りの儀式、ベケレマツへの祈りを終えました。天外さんは今回のことを以下の様に記しています。
「翌日のパイプセレモニーでは、虐殺したサイドへの祈りに多くの時間を割き、とてもうまくいったような気がする。おそらく青森はこれから活性化するだろう。
「正義と悪」という古典的な構図で理解しているうちは、本当の供養はできない。これからの「祈りの旅」は、少し次元が上がりそうだ。」(「日本列島祈りの旅、青森編」②)

 さらに日本の歴史認識に付いても以下の様に記してあります。
「日本には多くの神社があり、それぞれに神が祭られ、もっともらしい建立の縁起が語られている。ところが、一般には知られていないアイヌの歴史を紐解くと、その場所は手強かったアイヌの武将や強力なシャーマンが処刑埋葬されていることが多い。
 要するに神社は、非業の死を遂げたアイヌの怨念を封印するために建立されたのだ。
 その神社に手を合わせ、「家内安全」「無病息災」「商売繁盛」などと祈ることは、かなりトンチンカン。
 表で知られている歴史は、戦争や政争で勝ったサイドが自分に都合の良いように書き換えたものだ。負けたサイドの歴史は、口承でひそかに語り継がれるが、これも恨みのためにひずんでいる。
 世の中、どこをどう探しても「正しい歴史」などは存在しない。目に見えない世界の営みまで含んだ「深層歴史学」という学問の樹立が期待されるけど、おいらはもう残された時間はないな。  
 あ、この旅には『紡ぐ』の吉岡監督が同行して記録映画を撮っているが、天外やアシリレラさんが死んだ後も、誰かがその映画を見て日本中の封印を解く旅を続けてほしい、との願いを込めている。」(「日本列島祈りの旅、青森編」⑤)

 午前中の祈りを終えて昼食は昨晩宿泊した宿です。エネルギーを補給し気分を転換して、次なる目的地に向かいます。鬼神社は弘前市鬼沢菖蒲沢にあり岩木山の裾野の集落にあります。ここも何度か訪れています。

 神社に付いては以下の様な紹介があります。
「社伝では、坂上田村麻呂が蝦夷討伐にあたり、岩木山本官の高照比売命の霊験をうけ、岩木山北麓に厳鬼山西方寺観音院を創立した際に合わせて勧請した鬼神宮が後に現在地に移転。明治6年村社、同14年郷社。
 かつて存在した鬼には角がなく、又、鬼は土地を豊かにし助けてくれる存在であり、その優しさの象徴として鬼に角をつけていないとか。これは撫牛子八幡宮のわらべ唄の話にも通ずるものがありますが、製鉄の古代遺跡が多数見つかっている地域であることから渡来人、修験者という説が一般的のよう。製鉄民族を鬼としたのでしょう。黄金山(▲168.3)が近くに鎮座しているのも頷けます。
 鬼神社の参道は非常に変わっていています。入口から入り、川のところで綺麗にUターンして拝殿正面へ。赤倉山に向けて方角を変えているのかと思ったのですが、北西7kmほど先にある巌鬼山神社の方角に合わせて作られているようにも感じます。但し!!私方向音痴ですから
 赤倉山の鬼神を祀る鬼神社は明治6年まで「赤倉山鬼神大権現」として呼ばれており、巌鬼山神社より遷座したものと伝えられています。

 現在の「鬼沢」が「長根派(ながねはだち)」という地名であった頃、岩木山周辺は阿曽部(あそべ)の森と言われ、弥十郎という農夫が岩木山中の赤倉沢で大人(オオヒト=鬼)と親しくなり、力比べをしたり、相撲をとって遊んでいました。
 弥十郎は大人(鬼)に度々仕事を助けてもらっていました。ある日、弥十郎は、水田を耕しているが、水不足で困っている事を大人(鬼)に話しました。それを聞いた大人(鬼)は、「私が何とかしますから、私の仕事をしている所を見ないでください」と言いました。そして、大人(鬼)は、一夜にして堰(水路)を造り、水田に水を引いてくれました。村人は喜び、この堰を「鬼神堰(キジンセキ)」や「逆堰(サカサセキ)」と呼び、大人(鬼)に感謝しました。
 ところが、弥十郎の妻が大人(鬼)の仕事をしている所を見てしまったため、大人(鬼)は堰をつくる時に使った、鍬とミノ笠を置いて去ってしまい、二度と姿を見せなくなりました。弥十郎はその道具を持ち帰り、祀ったのが現在の「鬼神社」の始まりであり、地名も「鬼沢」になったと伝えられています。
 それからというもの、里の村人たちは、この大人(鬼)を鬼神様として祀り、地名を「鬼沢」とし、「端午の節句に菖蒲を葺いたり、節分に豆を打たない」などの風習が今現在でも守られております。
 毎年、旧5月29日に行われる鬼神大祭があり、角のない優しい鬼として、今でも村人に慕われております。
 鬼の「ノ」がないことから、角の無い優しい鬼として村人から慕われています。また、この大額は、鬼神社の奥宮に保管されている公家「近衛忠煕」公から奉納された額をコピーしたもので鬼の「ノ」を取った「鬼」を「カミ」(神)と呼んだそうです。」


 神社の本殿脇の林の中でレラさん達はお祈りをしていて、丁度終わったところでした。


 次の場所へ移動するという事です。アイヌの祈りの時間は太陽によって定められた時に行なうのだそうです。そちらを終えて次の場所で合流するとの事です。縁起とは別な意味がここにありそうですがレラさんから聞くことが出来ませんでした。光が強く注がれています。


私たちは口羽和尚の施餓鬼供養に参加してお祈りを捧げました。

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