2016年3月30日水曜日

594「春の足音2」2016,3,30


 明け食は大根の梅湯を頂き、生野菜を食し、排便を促します。数杯梅湯を飲んで早い人で30分弱でトイレに向かいます。私もほぼそれぐらいに排便が始まりました。実は前日、2日目の朝に、いつもと同じ位の排便がありましたのですこぶる順調です。しかし私は回を重ねるに従い、2日目の合掌行の後の野菜ジュースは苦手になり、明けの梅湯もあまり飲めなくなっていてせいぜい3杯位です。それでも排便は水便が出るまで5~6回はトイレに駆け込みます。
 今回は初参加の方が多いので如何なるのかと思ったのですが1時間ほどで大方の方が済ませることが出来ました。しかしベテランの1人の方が出ません。直前に体調を崩したり、怪我をしたり、歯科治療でバランスが崩れたりといろいろ抱えての参加でしたので難儀でした。指圧をして1時間半ほどでどうにか無事に排便できました。ありがたきことです。これで39回の座禅断食会で全員が満願成就出来ています。
 
 最後の皆さんとのミーティングは嬉しき、ありがたき時間です。最初の時の自己紹介と違って、明るく達成感ですっきりした表情で、今の心境を共有できるのは楽しいことです。特に初体験の方々の感想は興味深々です。そしてこの皆さんのお話を聞き、心身の浄化のお手伝いをさせていただく喜びをお世話役の私達が感じ、次回もお世話をさせて頂こうとの想いになります。皆さんの感想の一部を紹介します。

「初めての参加で不安が大きかったのですが、思うほど大変という訳でなく終えることが出来たと思います。今迄の生活習慣を変えるきっかけがずっと欲しかったので、そういう意味でも今回、参加できて良かったです。これから1週間が鍵と言う事で、頑張りたいと思います。2泊3日、同室の方や参加している皆さんに助けられ終える事が出来ました。ありがとうございました。」

「期待と不安が入り混じってのスタートでした。自分の段取り不足で遅刻してしまい申し訳なかったですが、参加して本当に良かったです。期待した身体の回復はなんと言っても宿便がすっきり出て、気持ちもとても軽やかで最高です!これからも参加したいと思いますし、月に何度か(できれば週に1日)自主断食を行い、また座禅断食や大久保先生がおっしゃっていた「身を守る術」をどんどん学んで行きたいと思います。さらに天命塾のイベントにも参加して行きたいと思います。本当にありがとうございました!今後とも宜しくお願いします。」

「初めての座禅断食会でしたがとても充実していました。1人ではおそらく間が持てなかったことでしょう。(笑)20分の座禅に休憩40分のサイクルがとても無理なく快適でした。話すこともかったるい時もありましたが、皆さんとお話して共有する時間ももっとあっても良いかなと思いました。食と休むことが本当の休息なのだと身を持って感じた次第です。人は食べて疲れているのだな・・。(反省)」

「初めてで不安いっぱいでしたが、大久保先生始め、Sさん、参加者の皆さんの暖かな雰囲気で本当に楽しかったです。これからの習慣として、断食が大切に感じました。特に忙しい経営者の方々に勧めていきたいと思いました。LEDや電磁波が悪影響があることに興味深く、環境を整える大切さを考えたいと思います。3日間お世話になりました。本当にありがとうございました。」

「とても快適に過ごすことができました。なかなかお通じがこなくてどうなるかと思いましたが、最後は“爽やかな”気持ちで終了することが出来ました。3日目の梅湯は将に行という感じでした。次回は自分なりのテーマを持って参加したいと思います。先生、Sさん大変お世話になりました。」

「大変楽しい合宿でした。つらいイメージがありましたが比較的楽に過ごせました。小食の生活が送れそうです。」

「今後の生活の指標となる経験をさせて頂きました。ありがとうございました。」

「初参加です。1日目の朝に立派な便を出してからの参加だったのもあり、最終日はほんの少し出てから後は水のように出ました。あんなに座禅をしたのも初めてで足がしびれて大変でした。精神面を高めることが出来たように思います。しらべの環境下、大久保先生が作る生態系だからこそ、この断食を終えることが出来たように思います。安息の3日間をありがとうございます。また勉強になりました。これからも宜しくお願いします。」

「第1回目の参加の時より、座禅は苦痛なく済みました。空腹感は強かったです。わざわざ蔵王まで来て行うことに意義を感じました。中々1人では出来ないですし、日常生活と隔離しないと難しいと思いました。これをスタートに改善に取り組みたいと思います。前回は年末年始の休みでお酒を飲む機会が増え、狂っていた気がします。今回は辛抱強く持続したいと思います。」

「今回も気持ちよく過ごすことが出来ました。1日目最初の座禅から、全体の座りがスッとしていて、初めての方が多くいらっしゃる感じがしませんでした。2日目は1日中眠かったのですが、不快な感じではなく溜まった疲れが取れた感じです。3日目は座禅がすっきり出来ました。最後の回は脚の組み方も自分流ですがすっきり出来ました。ありがとうございました。」

「久しぶりに何もしない、何も考えない、自分自身の心身共に休める断食会でした。座禅の部屋に入ると空気が清清しく、いつもより調子が良く、3日目の目覚めが気持ちよく出来ました。」

「3日間とも快適に過ごせました。座禅については以前より集中して取り組めたと思います。身体とともに精神的にも無駄なものが取り除けたと思います」

「お陰様で今回も無事終えることができました。初日は頭、喉、鼻水の症状が強く出ていましたが、2日、3日目になるにつれ症状は改善して行きました。これも座禅と断食の効果と、何より仙台会場の環境設定の良さの為だと思います。また何人の方がおっしゃっていたように、人数も丁度良い感じがいたしました。静かにのんびりと過ごし、座禅の時は数息に専念する、このような時間が私にとっては必要でありがたいものでした。いつも参加者の為に手を尽くしてくださる大久保先生、T先生、美味しいパンを提供して下さるSさん、そして共に和やかに時を過ごさせ頂いた皆さんに感謝申し上げます。」

 皆さんから嬉しいお言葉を頂きました。皆さんの心身の春の足音も着実に近づいて来ています。嬉しきことです。

593「春の足音1」2016,3,29

 もう3月も終わります。三寒四温でどんどんと春めいてきています。木々の芽吹き、活動開始に連動するように、私達の体もいよいよ冬の寒さから解放され、暖かい世界に移行する喜びが湧き起こってきます。新たな嬉しきです。

 先日の春彼岸に39回目の仙台座禅断食会を開催しました。今回は始めて参加の方も、男性も過半数を越えるという、これまでに無い顔ぶれで、総勢17名での実施でした。
 座禅も断食も始めての方が沢山ですが、最初の座禅から皆さんしっかり座れて、姿勢も出来ていて、呼吸も整い、なかなか良い感じでスタートできました。座禅の合間の休憩時間も会場で過ごす方がほとんどです、横になって休んだり、情報交換してさりげなく、穏やかな時の流れです。





 初心者の方には野口法蔵師の座禅断食の教本になる著書の「座禅断食」を読んで頂くようにお勧めします。今回参加の方々は、素直に皆さん初日に買い求めて頂き、読み始めてくださいました。これまではお勧めしても買い求めず、読まずにいる方々が結構いましたので残念なことと思っていましたが、今回は皆さんの心構え、座禅断食への意欲が感じられる嬉しいことでした。

 いつも使用する蔵王遠刈田温泉の宿は貸切りです。毎回、生体エネルギー技術の活用で環境を整え、改善する仕掛けを建物にします。大きくは宿泊する部屋の全部を含めた生態系の場作りを生体エネルギー情報のコンクリートブロックで行います。さらに、座禅をして過ごす大広間にも特別な座禅用に情報の入ったスペシャルなコンクリートブロックを4隅に設置します。さらに中央にこれまた特別情報のモノを三段重ねで設置します。
 電波システムはコンセントから後に、さとり食品用、さとり環境用、さとり音響用、いのちえ各種4台、天智、その後に動物用しらべ5台、植物用しらべ5台で電波を発信して生態系の情報を作ります。

 今回の特別加算は座禅会場の中心、正面にいつも陶彩画の「大調和の印」を設置しますが、その左に生体エネルギー研究所の佐藤政二所長の識字の「みそまれき」を置かせていただきました。文字には物語、装置構造があり、その内容に準拠位置があります。ですからそこから出る放射エネルギーがその内容の情報を拡散します。この書は書道界では著名な藤園氏が書かれたもので、その墨にも佐藤先生の特別情報水Xが含まれている超優れものです。文字の意味を説明すると膨大なことになりますので省略しますが、生きる力の全てが具現できるものがその中にあるようです。


 1日の最後の座禅終了後のお休み真向法体操、1日の開始の6時半のお経を読む前のおはよう真向法も皆さん熱心に参加して修練下さいました。しかし、かなり身体が硬直している方々がおられ、難儀していました。自覚と必要への動機付けにはなったようです。
 2日目午後の合掌行も皆さんきついなりに良く頑張って出来ました。癒しの手でお互いのヒーリングは効果あり、その後の野菜ジュースは美味しさを増したようです。
 その夕方の講話の時間は半日過ぎての皆さんの感想を頂き、後は私の方から健康への新たな視点を見出していただけるお話をさせて頂きました。果たして如何ほどの必要を感じて下さったのか、今後の推移を見るしかありません。知らないということは恐ろしきことであり、何事も無い時は一時の安全を得ていることでもありますが、無防備極まりないことです。全ては必要度、目的意識が決めることであり、その後の手段がないことは真に残念なことです。

 2日目までは皆さん順調に過ごしましたが3日目朝はやはり少し体調が崩れた方もいました。毎回のことですが、身体の機能、能力には驚かされます。原因があり結果があり、そこには因果の法則があります。その身体次元での現象の多くは遺伝子的能力の顕現ですから、優性遺伝子支配が作用しているのか、物体遺伝子支配は作用しているのかは、その個の経た過去の状況で、エネルギー的に如何ほど励起されているのか、収奪されているのかによります。それと意識の内容です。その意識は環境が作りますのでその自覚によります。
 己に現れた状況を謙虚に受け止めて、自覚と新たな発心を得て如何なる行が必要か自らのプログラム作成、実行力が問われます。

 3日目の朝の3度の座禅を終えて後は明けの食膳に向かいます。目的は己が体内に蓄積した宿便、精神的宿便を排泄し、心身のリフレッシュ、そして日常の生活習慣の改善による体質改善です。
 食膳に頂くお経、「五観の偈」を皆さんと合唱します。
一には 功の多少を計り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はかる)。
二には 己が徳行(とくぎょう)の全欠を[と]忖(はか)って供(く)に応ず。
三には 心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
四には 正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。
五には 成道(じょうどう)の為の故に今この食(じき)を受く。
 その意味は以下です。
一、この食事がどうしてできたかを考え、食事が調うまでの多くの人々の働きに感謝をいたします。
二、自分の行いが、この食を頂くに価するものであるかどうか反省します。
三、心を正しく保ち、あやまった行いを避けるために、貪・瞋・癡など三つの過ちを持たないことを誓います。
四、食とは良薬なのであり、身体をやしない、正しい健康を得るために頂くのです。
五、今この食事を頂くのは、己の道を成し遂げるためです。

2016年3月25日金曜日

592「観音10」2016.3.23

 今回の巡りの中で重要な儀式を行うようにお言葉ありました。それは2016年2月22日に那須のゼロ磁場で中山さんがあわ歌を響かせた時のものです。その時のお言葉です。
「来たる三月六日には、揺るがぬ大きな杭を打つ。みなみな揃いてしっかりと、
それぞれの響きを、それぞれ発して下され。時は三日に定めます。」

 そして今月3月3日の養老でのあわ歌会の時に以下のお言葉がありました。
「旅立ちの時迎えたり。来る6日の午後3時。響きは2度なり。
 その後、大きく多数が発する。うまし音、皆々大きく揺りて参る。」


 指定の午後3時の場所の選定は私に任されています。その場所には奥州七観音の華足寺が適地と想い、そこで出来るように当初の予定を若干変更して臨みました。
 登米市東和町にある華足寺は真言宗の大きなお寺で小山の上に馬頭観音菩薩が祀られる観音堂があります。縁起は以下のようです。
「竹峰山大悲院華足寺の創建は大同2年(807)、坂上田村麻呂が東夷東征で当地を訪れた際、度重なる戦乱で大きな犠牲を出した事から、戦没者の霊と戦死した愛馬(郷黒)を慰める為に馬頭観音(馬頭明王)を勧請し、愛馬を埋めた塚の上に御堂を造営したのが始まりとされます。馬頭観音を本尊として祭る寺院としては日本最古とされ、以来、牛馬の守護神としてそれらに従事する者や関係者から信仰の対象となり奥州七観音の1つにも数えられました。歴代領主からも帰依され、平安時代には奥州藤原家が庇護、大永4年(1524)には葛西晴重が奥之院を寄進、江戸時代には入ると仙台藩から「御召出」の格式を得て、寛文元年(1661)には4代藩主伊達綱村から寺領773文(約8石)が寄進、天明6年(1787)には8代藩主伊達斉村が馬頭観音堂を寄進、寛政11年(1799)には9代藩主伊達周宗が山門(楼門)を寄進しています。境内全域は風致に富み歴史的にも貴重な事から昭和54年(1979)に宮城県自然環境保全地域に指定されています。」「古には三十数ヶ寺の末寺を有した名刹で興亡衰盛は一再ではなく戦国時代元亀元年正月戦禍により一山灰塵に帰すと言った如き不慮の祝融が其の後二度程破ったと記録されている現在の本堂は八代藩主伊達斉村公の寄進に依り天明6年に再建されました重厚にして壮厳美豊かな芸術的建築物として有名広く賞賛されて居ります。」
 少し早めに着きましたので、まず儀式をする場所を決めて頂きましたが、やはり馬頭観音菩薩をお祀りする観音堂前です。更に奥には奥の院があります。少し散策した後に、観音堂の前に、皆さんで丸く輪をなして配置に付いて開始時間を待ちました。








 15時丁度から儀式が始まりました。まず皆さんであわ歌を2回唱和しました。その後のお言葉です。
「拍手9回。
 直ちに参る。これよりの光持ち行き、皆々共々、この地を結びて、しっかりとこれよりの道へ参られませ。大いなる定めは動きて、大きく変わるはこれよりなり。この身を通して発し行く響きとひとつに成りなって、共々に参られませ。(拍手)
 あ~い~う~え~お~。あいうえお。あいうえお。あいうえお。からんころん、たらんとりん、からんころん、たらんとりん、たらん、たらん、たんた、ちりん、たらん、とろん。
 歌えよ、歌えよ、響きて歌えよ。遥かな大空目指されませ。お~お~え お~お~・・。
 はんたら、はるらり、ゆるりろ、ろらりろ、はんたら、りるろ。は~あ~あ~あ~(拍手)
 皆々、皆々、ひとつへ向かう。ありがたき。」15:37

 無事に終えることが出来ました。多くの方々が集まり来て、それぞれ音を発しておられたようです。お陰様で目的を達することが出来ました。

 次の目的地は登米市中田町にある第23番の長承寺です。曹洞宗のお寺で千手観世音菩薩をお祀りしています。観音堂であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「届きて参りたこの響き。これより益すます多くの時を過ごし行く。
 方々皆々、共に発して、大きなる輪を作りましょう。
 踏み行く道を互いに照らし行く。」16:30




 第22番札所の勝大寺は栗原市金成町にある真言宗のお寺で十一面観世音菩薩が祀られています。お寺から少し離れた白山神社のそばに立派な小迫観音堂があります。ここも奥州七観音です。縁起は以下です。
「十一面観音を本尊とする観音堂を金堂とした一山寺院である。鎮守として観音堂の背後の山上には、十一面観音の垂迹である白山神が祭置されている白山神社が鎮座する。小迫観音堂は、坂上田村麻呂が奥州征伐の戦勝を感謝して大同2年(807)に建立したと伝えられる。坂上田村麻呂によって建立された奥州7観音のひとつ、本尊は十一面観世音菩薩です。」
 日暮れ近い中、観音堂前であわ歌を響かせました、その時のお言葉です。
「とんたるらりら、さらりろ、さんさんさんたりお~。
 これより大事な月日を迎え、しっっかりそれぞれその身をこの地に着けて参りませ。
 ここ守りし大きなる身を、淡々と平らか保ち、新しきを迎えませ。お頼み申す。あ~。」17:19

 夕闇迫る中、車は最後の目的地、栗原市栗駒町の第16番札所清水寺に急ぎます。真言宗のお寺で聖観世音菩薩をお祀りしています。ここも奥州七観音で、縁起などは以下です。
「大同2年(807)、坂上田村麻呂の奥州進攻のため、この地に滞陣したとき霊夢をみて将軍の守り本尊として兜に埋めてあった閻浮壇金の金銅仏(5.5cm)の聖観音像を勧請し、東北ではまれにみる名刹霊場となっています。本尊聖観音菩薩は秘仏で、33年毎に開帳されます。
 京都清水寺を模した浄土庭園は、莫大な寄進をなした夫人の名にちなんで「千寿園」と名づけられています本堂の東側にある千寿ケ池を中心とした庭園は松と広葉樹林の自然林に囲まれ、春にはツバキやサツキが咲き乱れ、秋には千寿ケ池が真っ赤にそまるほど赤にそまるほど紅葉します。」

 どうにか日没、夕闇前に着くことが出来ました。薄明かりの中、本堂前であわ歌を響かせることができました。その時のお言葉です。 
「あ~あ~ 受け賜りました。
 定まり来る多くの事ごと、これよりここに現し行きて、ひとつづつ確かめ進みて、この暑き時には大きな決断と成り行く。
 この地よりの知らせ、随所に現われ、動きを知らせ行く。
 惑わされる事無く、しっかりの身を望みます。明日より始める事なり。」17:50




 終えた時には暗闇の中ですが、大きな導き、お陰様でありがたきことす。そして時間も全ては当初の予定通りで、仙台駅には7時半前に到着できました。
 今回は20箇所を巡り終えることが出来ましたが、次回4月9、10日には残すところ、16箇所の観音霊場巡りが待っています。果たして満願成就が出来、如何となりますでしょうか。楽しみに臨みたいものです。

2016年3月21日月曜日

591「観音9」2016.3.21

 登米市南方町にある第10番札所興福寺は天台宗のお寺で十一面観世音菩薩が祀られています。
 寺伝によると、この大嶽観音堂は大同2年(807)坂上田村麻呂の創建です。「坂上田村麻呂が奥州平定の戦いでの戦死者の遺骸を7か所に分散埋葬し、その場所に観音堂を建立したと伝えられている。その一つが大嶽観音堂であり、箟岳観音、長谷観音、富山観音、牧山観音、小迫観音、鱒渕観音と合わせて、奥州七観音と呼ばれています。」
 私が当初調べた奥州7観音はこの大嶽観音でなく清水観音でしたが果たして如何なのでしょうか。しかしながらこの大嶽観音は開山以来、修験の道場として栄えてきたお寺で伊達藩の崇敬も受けて、観音堂の仁王門も立派です。観音堂外側の板面には、中国から伝わった古今の二十四孝物語が六枚、彫り込まれ、その欄干には、十二支が彫られて、堂の方位が示されています。この二十四孝物語は江戸時代寺子屋で日常生活のしつけの教科書として使われていたもので。
 お堂の前であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「拙きを送るは忍び無き故、ただただ伺いました。
 大きなる拡がりに、大いなる思いを乗せ来る響きを受け、これより遥かへの道開きましょうぞ。全てを預け行きます。」12:21




 午前の巡りをほぼ予定の時間に終えることが出来、昼食は直ぐ近く、迫町佐沼のお蕎麦屋さんです。豪華な天ざるとお稲荷さんを美味しく頂きました。お店は繁盛店で次から次とお客さんの来るのですが、私達の予約を受けてくれありがたいことです。


 午後の最初は第24番札所の登米市中田町、天台宗の長谷寺です。ここも奥州7観音と言われていて立派な長谷観音堂には十一面観世音菩薩が祀られています。しかし少しうらぶれた感じは否めません。あまりお参りがないのかもしれません。縁起などは以下です。
「長谷観音の創始の歴史は古く、天平宝字六年(762)に陸奥守・藤原恵美朝獦が山頂に笏を納めこの地の発展を誓願し、神護景雲二年(768)、釈勝道上人が世尊山法誓寺を建立しました。延暦20年(801)に坂上田村麻呂が奥州平定に出陣するにあたって、大和国初瀬山長谷寺に戦勝祈願し、勝利することが出来たが、大同二年(807)この山に初瀬山長谷寺を勧請して、長谷観音院と号しました。陸奥国7ヶ所に建立された観音堂のひとつであり、藤原清衡や葛西清重らの帰依により長く栄えました。1557年天台宗から修験道に改宗。天正18年(1590)、豊臣秀吉により葛西家の領地没収の後、次第に衰退の一途をたどりはじめ、数坊がキリスタン信仰をしたとの理由で伊達政宗の家臣に堂塔を焼かれ衰退の一途をたどりました。」
 観音堂を参拝する頃には曇り空から太陽が輝き出して、光を降り注ぎ始めました。今朝の車中でのお言葉にあったように、「本日、新たなるを出だして参る。新たなると成りたれば」、その印として「ゆるゆる晴れる」を確認出来ました。驚きです。と言うことは、中山さんを通して現われの存在は「大いなる真の伝えなり」の証明となります。






 長谷観音堂前にある遮那桜の木に向かってあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「出でませ、出でませ、この時に。
 古きこの地にありたる、大きなる働き致す門ありたり。この門より出で来る暖かき風は、この地を緩め、豊なるへと変え行きたり。今ここに無きは真に口惜しきぞ。我れただただ、ここにありて守り来て、春を告げ行くばかり。
 大いなるこの地を皆々にて、再びの地と成し行かれませ。お頼み申すなり。
 光を受けて守り行く。大いなる光、今注がれて嬉しきなり。」13:53





 次は第14番札所の大慈寺です。登米市東和町にある曹洞宗のお寺で聖観世音菩薩が祀られています。以下の様な記載がありました。
「この寺は,開山以来たびたび災害に遭って、堂塔をはじめ多くの寺宝を失い、寺の由緒について詳しく分からないそうですが、平泉藤原秀衡が開創したと伝えられている。当初は天台宗で、諏訪森大慈寺と号し、藤原氏隆盛の時代は栄えたが、藤原氏滅亡(1189)とともに衰退し、やがて廃寺同様になりました。
 永享元年(1429)に奥州市水沢区黒石にある曹洞宗東北大本山正法寺4世の中山良用和尚が自らの隠居寺として入山し、天台宗を曹洞宗に改めて再興、山号も現在の法輪山大慈寺としました。」
 秋葉権現の前であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「この度、参りたこの機会、逃さず皆々共々に、大きく広きへ羽ばたきて、進み行く事。
 これよりの新しきへこの地を進める事なり。
 お~。生まれ出でませ、それぞれの真の思い、出だしませ。」14:30