2024年8月23日金曜日

3528「秋田の聖母マリア」からメッセージ」2024.8.23

 今回はIn Deepさんの2024年8月18日の記事を紹介します。


「秋田の聖母マリア」からメッセージを受け続けた修道女シスター笹川が8月15日に逝去。そこから連鎖的に思い出すファティマのメッセージと、そしてロシア」

「秋田の聖母マリア」からメッセージを受け続けた修道女シスター笹川が8月15日に逝去。そこから連鎖的に思い出すファティマのメッセージと、そしてロシア - In Deep


世界的に著名なシスター笹川が逝去

バチカンが過去に正式に認めた「聖母出現」事象はいくつかありますが、その中でも世界で最も有名なもののひとつが「秋田の聖母マリア」の聖母出現事象です。

秋田の聖母マリア - Wikipedia より

秋田の聖母マリアは、日本の秋田県秋田市添川湯沢台にあるカトリックの在俗修道会「聖体奉仕会」で起きたとされる一連の奇跡現象を意味する呼び名。

「秋田の聖母マリア」は教区司教によって認可された数少ない聖母出現の一つであり、日本より海外での知名度の方が高い。なお、このとき涙を流した聖母像はすべての民の御母を模した聖母像であった。

発端は1973年に、同会所属の修道女の手の平に、出血を伴う十字架型の傷が現れたことである(これは聖痕と呼ばれ、世界各地で、ときどき事例報告がある)。

そのほかにも、木製の聖母マリア像からの 101回に渡る落涙および芳香現象、3つのお告げなどの奇跡があったと言われている。これらの奇跡は 1984年まで続いたとされている。

涙を流す秋田の聖母マリア

この聖母のメッセージを受け続けたのが、聖体奉仕会所属の修道女であるシスター笹川さんという方で(海外では、シスター・アグネス笹川とも呼ばれます)、このシスター笹川さんが 8月15日に亡くなったことを米国のカトリックサイトが大きく伝えていました。

この訃報記事は、その日の同メディアの記事ランキングで一位となっていまして、欧米のカトリックの人たちにもかなり幅広く知られていた方のようです。

ご年齢は 93歳で、死因は老衰と報告されています。

まず、そのカトリック系サイトの記事をご紹介してから、少し昔を振り返ってみますと、「現在の社会情勢」との奇妙な関係も出てきたりします。

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秋田の聖職者アグネス・ササガワ修道女が聖母被昇天祭の日に死去

Sister Agnes Sasagawa, Seer of Akita, dies on Feast of the Assumption

lifesitenews.com 2024/08/16

シスター・アグネス・ササガワ

秋田の聖母マリアに由来するメッセージを世界に伝えた日本人修道女が亡くなられた。

秋田県郊外の修道院で聖母マリアの出現や発言を報告したシスター・アグネス・ササガワさんは、聖母被昇天の祭日である 2024年8月15日木曜日に 93歳でお亡くなりになった。

アグネス修道女の修道会「聖体奉仕会」は本日、最も高名な修道女が午後1時40分頃(日本時間)に亡くなったと発表した。同修道女会は次のように書いている。

かねて療養中だったアグネス笹川カツ姉妹が老衰により昨日天に召されました。93歳でした。

本人の希望で医大に献体となり、葬儀ミサも会員のみで本部修道院で捧げられました。皆様より生前賜りましたご厚意に深く感謝申し上げます。

聖体奉仕会

アグネス修道女は、1973年7月6日、8月3日、10月13日に聖母マリアからメッセージを受け取ったと報告しており、カトリック教徒の間では聖母マリアの称号の一つである「秋田の聖母の聖見者」として有名だった。

2019年には、アグネス修道女が天から別のメッセージを受け取ったという報告があった。

1973年、アグネス修道女は、最初のメッセージ(7月6日)で、自分が患っていた難聴が治ると約束され、教皇(当時はパウロ6世)、司教たち、司祭たちのために「心から」祈るよう求められたと語った。

2回目(8月3日)には、アグネス修道女は「天の父は全人類に大いなる懲罰を与える準備をしている」が、それは「祈り、悔悛、そして勇敢な犠牲」によって緩和できると告げられたと伝えられている。

3番目のメッセージ(10月13日)は、核戦争の脅威を多くの人に伝える言葉で、来たるべき罰について詳しく述べた。「空から火が降り注ぎ、司祭も信者も容赦なく、善人も悪人も人類の大部分を滅ぼすでしょう。生き残った人々は、死者を羨むほどの孤独に陥るでしょう」

アグネス修道女はまた、「悪魔の働きは教会の中にも浸透し、枢機卿同士、司教同士が対立するようになるでしょう」と告げられたとも報告した。

「私を崇拝する司祭たちは、同僚たちから軽蔑され、反対されるでしょう…教会と祭壇は略奪されるでしょう。教会は妥協を受け入れる人たちでいっぱいになるでしょう。そして悪魔は、多くの司祭と聖別された魂に、主への奉仕をやめるよう圧力をかけるでしょう」と二番目のメッセージは続く。

アグネス修道女は、これらの災難はロザリオの祈りを通して避けることができ、秋田の聖母を信頼する者だけがそれらの災難から救われるだろうと報告した。

4番目のメッセージは、アグネス修道女が 2019年10月6日に受け取ったと伝えられているもので、天使からのもので、「自分を灰で覆い」、毎日悔悛のロザリオの祈りをするように告げたという。

最初の 3つのメッセージは、秋田郊外の田舎にある聖体奉仕会のアグネス修道女に伝えられたと伝えられている。

声が聞こえたのは、1963年に地元の彫刻家が桂の木から彫った、高さ 3フィート(91センチ)の秋田の聖母像だった。

修道女たちによると、アグネス修道女が最初のメッセージを聞いたその日に、像の片方の手に傷ができたという。像は消える前に、この傷から 4回血を流したと伝えられている。その後、像は汗をかいたように見え、2年後には泣いているように見えた。

1975年から 1982年の間に像は 101回涙を流し、この現象は何千人もの目撃者によって見られ、日本のテレビでも放映された。

報告によると、アグネス修道女は、当時 42歳の修道女で、最初の言葉を聞く前に修道院に入ってわずか 2か月しか経っておらず、1973年5月に修道院に入るわずか数か月前に聴力を失っていた。

EWTN (カトリックのサイト)は、彼女の奇跡的な体験はその年の 6月12日に始まり、礼拝堂の聖櫃から光が流れ出るのを見たと伝えており、その現象はその後 2日間続いた。6月28日には、十字形の傷が彼女の左手に現れ、痛みと出血があった。

彼女が受け取った最初の 3つのメッセージは、彼女がその現象を報告した新潟の地元の司教、ジョン伊藤庄治郎司教に伝えられた。1984年、伊藤司教は正式にそれらを超自然現象であると宣言し、秋田の聖母への信仰を奨励した。

________________________________________ここまでです。

なお、この秋田の聖母の出現を正式にバチカンで受理したのは、後の教皇ベネディクト16世でした(当時は、ラッツィンガー枢機卿)。

関係ない話ですが、ベネディクト16世は第 111代の教皇だったのですけれど、10年以上前に「聖マラキの予言」というものを取り上げたことがありまして、マラキさんとは、12世紀頃の聖職者なのですが、その予言は以下のようなものでした。

「全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言」より 111番目の教皇

111.オリーブの栄光 - ベネディクト16世(2005-)

ローマ聖教会への極限の迫害の中で着座するだろう。

ローマ人ペトロ 、彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。

終わり。

「終わり。」で締められているわけですが、つまり、

「ローマ法王は 111代目で終わりとなる」

と、このマラキの預言は述べていたわけですね。ベネディクト16世で終わりだと。

若き日のベネディクト16世
  

記事は以下にあります。

(記事)最後の法王と呼ばれ続けたベネディクト16世(1): 聖マラキの予言とコナン・ドイルの未来感の時間軸In Deep 2013年02月13日

しかし、今現在もローマ法王はいて、112代ということになっているのですけれど、「さて、あれは本当に本物?」ということを、たまに思ったりもしますけれど、それはまあいいです。 

話をシスター笹川に戻します。

  

連鎖的に思い出すファティマのメッセージ

先ほどのカトリック系サイトの記事には、以下の部分がありました。 

> 3番目のメッセージ(10月13日)は、核戦争の脅威を多くの人に伝える言葉で、来たるべき罰について詳しく述べた。「空から火が降り注ぎ、司祭も信者も容赦なく、善人も悪人も人類の大部分を滅ぼすでしょう…

この日のメッセージが公式では最後のメッセージとなっているのですが、全文は以下となります。

秋田のマリアからの最後のメッセージ(1973年10月13日)

愛する娘よ、これから私の話すことをよく聞きなさい。そしてあなたの長上に告げなさい。

前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、おん父は、全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。

そのときおん父は、大洪水よりも重い、いままでにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。

よい人も悪い人とともに、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。

その時わたしたちに残る武器は、ロザリオと、おん子の残された印だけです。毎日ロザリオの祈りを唱えて下さい。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈って下さい。

悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。

わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協するものでいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。

特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。

これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。

勇気をもって、あなたの長上に告げて下さい。あなたの長上は、祈りと贖罪のわざに励まねばならないことを、一人ひとりに伝えて、熱心に祈ることを命じるでしょうから。

あなたに声を通して伝えるのは今日が最後ですよ。

これからはあなたに遣わされているものと、あなたの長上に従いなさい。ロザリオの祈りをたくさん唱えて下さい。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしによりすがるものは、助けられるでしょう。

秋田の聖母マリア

 

ところで、その後、2019年10月になり、シスター笹川は、他のシスターに、

「時が近いと感じた」

と述べていたことも書かれています。

2019年10月といえば、新型コロナが出てくる直前ですので、その頃の私は、「コロナのことを言っていたのかなあ」とかも思っていましたけれど、しかし、コロナ社会の描写には、シスター笹川に告げられた以下のような光景は伴っていませんでした。

> 火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人とともに、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。

 

やはり「別の件」なのでしょうね。

そしてですね。

話が少し込み入りますが、1917年にポルトガルのファティマという場所で、少年少女 3人が聖母マリアからメッセージを受け取った「ファティマの聖母」という事象があったのですが、その内容が、秋田のシスター笹川が受け取ったメッセージと、「よく似ていた」とされているのですね。

あまりゴチャゴチャいろいろなことを書きますと、むしろわかりにくくなりますけれど、ファティマの聖母と秋田の聖母の関連については、以下の 10年ほど前の記事にあります。

(記事)ファティマの聖母から知る「永遠の地獄」への序章(1) - 「地獄」は神話ではなく、事実として存在する

In Deep 2015年03月15日

1917年にポルトガルのファティマで聖母マリアと名乗る女性と会い続けた3人の少女少年

ちなみに、1917年7月13日にファティマで、ルシアとヤシンタとフランシスコの三人の少女と少年に聖母マリアが伝えたメッセージは以下のようなものでした。今回は、これを提示させていただいて記事を締めたいと思います。

1917年7月13日のメッセージ

…その後、神様はいろいろな罪を戦争、飢餓、教会と教皇の迫害の形で罰されるでしょう。

それを阻止する為に、私はロシアが私の汚れない心に奉献されることと、初土曜日に償いの聖体拝領がなされることを望みます。

もし人々が私の望みに耳を傾けるなら、ロシアは回心し、世界に平和が訪れるでしょう。もしそうしなかったら、ロシアは世界中に誤謬を広めて戦争と教会の迫害を推し進めることになるでしょう。

罪のない人達が殉教し、教皇様には多くの苦しみが訪れます。いくつかの国はもう無くなってしまいます。

それでも最後には私の汚れない心が勝利を収めるでしょう。教皇様はロシアを私に奉献し、ロシアは私に回心するでしょう。そして、何年かの平和が世界に訪れるでしょう。

ファティマの聖母

ファティマの聖母のメッセージでは、このように「ロシア」という言葉がかなり大きなキーワードとなっているのです。

前回は、「プーチン大統領の忍耐が限界に達するのはいつか…」というような記事を書きましたけれど、シスター笹川さんが亡くなったことを知りまして、連鎖的にこのファティマの言葉も同時に思い出しました。

シスター笹川さんが 2019年10月に感じた「時が近い」という状態は、どういうものを感じられていたのかはわからないですが、確かに時は近いのかもしれないなあ、というように少し思います。