2024年9月30日月曜日

3566「歪んだ正義」2024.9.30

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月17日の記事を紹介します。


「歪んだ正義」


ミロクの世が近い、夜明けまでの一番暗い時のせいか、心にイライラを募らせ、

ほんの一時、子供を公園で息抜きさせていただけで 、怒鳴り散らす大人たち。

またこんなこともよく目にします。

StayHomeの普及で、休みもなく働く宅急便のお兄さん。 

配達先の家の前にちょっと、車を止めただけで、 

「駐車違反ではないか」と、延々と嫌味を言い放ち、

おまけに説教の最中、タバコを取り出しプカプカしだす始末。 

過去のパンデミックの最中、もしくは直後にも、人心が乱れ

普段の良い人が、醜い正義感を振り回す姿が見られたそうです。 

今日は脳科学者、中野信子さんのお話をご紹介します。 

<引用開始> 引用元

・清純な優等生キャラで売れていた女性タレントが不倫をしていた

・飲食店のアルバイト店員が悪ふざけの動画をSNSに投稿した

・大手企業がCMで差別的な表現をした

もちろん、不倫は法律上してはいけないことですし、

店の営業妨害になるような動画の投稿は刑事罰につながることもあります。

また、CMなどで特定の人たちを差別するような表現を用いることも問題でしょう。

しかし、自分や自分の身近な人が直接不利益を受けたわけではなく、

知りもしない相手に非常に攻撃的な言葉を浴びせ、

完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめさずにはいられなくなってしまうというのは、

「許せない」が暴走してしまっている状態です。

我々は誰しも、このような状態にいとも簡単に陥ってしまう性質を持っています。

人の脳は、裏切り者や、社会のルールから外れた人といった、

わかりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えるようにできています。

他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、

快楽物質であるドーパミンが放出されます。

この快楽にはまってしまうと簡単には抜け出せなくなってしまい、

罰する対象を常に探し求め、決して人を許せないようになるのです。 

こうした状態を、私は正義に溺れてしまった中毒状態、いわば「正義中毒」と呼ぼうと思います。

この認知構造は、依存症とほとんど同じだからです。

有名人の不倫スキャンダルが報じられるたびに、

「そんなことをするなんて許せない」と叩きまくり、

不適切な動画が投稿されると、対象者が一般人であっても、

本人やその家族の個人情報までインターネット上にさらしてしまう、

企業の広告が気に入らないと、その商品とは関係のないところまで粗探(あらさが)しをして、あげつらう… 

・間違ったことが許せない

・間違っている人を、徹底的に罰しなければならない

・私は正しく、相手が間違っているのだから、どんなひどい言葉をぶつけても構わない

このような思考パターンがひとたび生じると止められなくなる状態は、怖ろしいです。

本来備わっているはずの冷静さ、自制心、思いやり、共感性などは消し飛んでしまい、

普段のその人からは考えられないような、攻撃的な人格に変化してしまうからです。

特に対象者が、例えば不倫スキャンダルのような「わかりやすい失態」をさらしている場合、

そして、いくら攻撃しても自分の立場が脅かされる心配がない状況などが重なれば、

正義を振りかざす格好の機会となります。 

<引用終了> 

いじめと同じですね。

そこには、愛が、無いのではないでしょうか? 

私たちを作られた神様は、子供たちの誰かが、罪を犯した時や、他人の心身を蹂躙した時、 

その人間を憎み、糾弾し、一瞬で地獄に落とすでしょうか? 

更正の機会を与えないでしょうか?

二度と許してはくれないでしょうか? 

その人を糾弾し、憎しみをぶつけた私たちは 、たとえ立場が変わろうと、 

自分だけは決して、そのような行為を行わない、 

いつも、変わらず正義の人なのでしょうか?

たとえ正義の名の下であろうと、人を憎む者は、自分自身を憎む者です。 

人を憎む者の心には、憎しみが宿ります。 

その憎しみの種は、だんだんと 

自分自身の心身や、取り巻く環境に浸透して行きます。 

その結果、自分の周りの環境は、だんだんと憎しみ色に染まり

良くない出来事が続くことでしょう。 

小林正観さんがおっしゃるには、

憎しみの心が身体に出た場合、関節の疾患として強く表れるようです。 

正義感とは、不正を憎み、正義を尊ぶ気持ちのこと。

でも、そこには憎しみの心が潜み、そこには、愛や温かさの芽はありません。

正義感の強い人は、周りの人といつか衝突することになります。

自分自身の心身も蝕みます。

その言い分がどんなに正しいことであっても、人には人の、それぞれ事情があり、

できることと、できないことがあるからです。

どんなに正しいことであっても、押しつけられたら誰でも嫌になります。

正義感など振りかざさず、自分の主張を「俺が俺が」と言い張らず、

自分の生き方が温かく、明るくキラキラと輝いていて、

そこに優しさや、愛を感じる事が出来れば、

その後ろ姿に感動し、人は共感して下さいます。

北風と太陽のお話のように。



2024年9月29日日曜日

3565「希望を与える人」2024.9.29

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月16日の記事を紹介します。


「希望を与える人」


光と闇の戦いの中、たとえ「これまでか?」と思うような世相であっても

・私たちは希望を失うわけにはいきません。

・地球を諦めるわけにはいきません。

力もなく、正しい情報を得るすべもない私達一般の人間にできることは、 

自分自身の心、魂をきれいに保つこと 

他人に左右されることなく、しっかりとした自分の意思を持つこと。 

身近な周りに優しくすること。 

  

私たちは、 

・どんな嫌なこと

・めんどくさいこと

・失敗に見えること

・人の非難を浴びること

・人から怒られること

・時間に遅れること

・病気になること

・ケガをすること

・失業すること

・貧乏のどん底に落ちること 

そのようなことが起きようと、本当は全然平気です。 

何故なら、ブッダが仰るように 

全ての出来事、起こったことは、私と、その人の間の問題ではなく、、、 

本当は、私と神さまの間だけの出来事だからです。

相手の人は、それを行うお役目を受けて 

約束通り、私たちに 嫌なこと(に見える)をしただけなんですから。 

それは、どんな些細なことであっても

私たちが生まれる前に決めてきた「出来事」です。 

なんで、そんなことを・・ と思われるかもしれませんが

目的は一つしかありません。 

・肉体とか

・生きる死ぬとか

・生きている間とか 

そんな小さなスケールのお話ではなく、永遠と続いている私たちの 魂としての歴史

その魂を少しでも、成長させて、神様に近づけるためです。 

そのための、全部段取り、芝居、舞台設定だからです。 

そのいろんな劇を通じ、私たちは激しい 喜怒哀楽を感じます。

喜び、悲しみ、笑い、泣き 

感情を揺さぶられながら、少しづつ魂は成長していきます。

周りの人の気持ちを理解することができるようになってきます。 

いろんな出来事は、相手と自分の間の出来事ではなく、

私と、神様との間の出来事、魂を揺さぶり、成長させるためのものです。 

ですから、どんな出来事も、安心していていいのです。

ただ、その押し寄せて来る波にのり、色んな感情を味わいながら

恨まず憎まず、不平を言わず、「今回は、そう来ましたか」とにこりと笑って 

受け入れてしまうだけでよいのです。 

後悔することも、焦る必要もありません。 

全ては、予定通りなのですから。 

さて、今日は「希望を与える人」と言うことで、占い師のお話です。 

小林正観さんのお話からご紹介します。 

私たちは普段、目に入ってくる「星占い」などを見ると、

心うきうきしたり、少し落ち込んだりもします。 

ですが、実際は自分にとって「良いこと」しか受け取らないようにすることで、

より運命を好転できるようです。 

それだけで大分、明るく笑顔で生きられます。

<転載開始> 転載元

ある日、小林正観さんのところに、二人の占い師にまったく正反対のことを言われ、

どちらを信じていいのか、悩んでいる女性が相談にきたそうです。

正観さんは「その答えは簡単だ」、といいました。

それは…その占い師の、まわりにいる人たちを見ればいい。

まわりにいる人たちが、笑顔で幸せそうで、

楽しそうに過ごしているかどうかを、見ればいいのです。

聖なる占い師は、見た目は普通の格好をしています。

そして、まわりには、笑顔で、幸せそうな人たちがいっぱいいます。

とてもいい仲間に囲まれている。

一方で、当たらない占い師は、どういう人か。

過度に荘厳(そうごん)で、重々しく、威厳に満ちた姿、形、格好をしている人が多いのです。

そしてまわりには、笑顔で幸せそうな人はいない。

どこか不幸そうで、悲しく、まったく笑顔のない人たちに囲まれているのです。

「楽しいことを予言」する占い師さんのまわりには、たくさんの幸せそうな人たちがいる。

なぜかというと、その聖なる占い師さんは、

いつも人が「楽しくなるように、幸せになるように」という願いを投げかけているからです。

一方「悪いことを予言」する占い師さんのまわりには、たくさんの不幸そうな人たちがいます。

悪い予言をした瞬間、予言をしたその人は、

無意識に相手の身にそれが実現するように期待してしまうのです。

そうなってもらわなければ、自分の占いが当たりません。

当たるようにと願って、悪い予言を口にする。

当然、投げかけたものは返ってくるので、その占い師自身も幸せにならないし、

まわりにいる人たちも面倒な人生を歩むことになるのです。 

<転載終了>

確かに占い師の方も生活がかかっていますから、自分の占った結果が当たり、評判を良くして、お客様に沢山来て欲しいと願うことでしょうね。

この占いの結果が、当事者にとって、良いこと、希望を持てることであれば、 

みんなが幸せな気持ちになりますから、宇宙にとって、世界にとって喜ばしいことです。

その小さな希望さえあれば、、、

かすかな希望が見えていれば、、、

その後のどんな苦労も乗り越えられることでしょう。 

その先に、希望、良きことが待っているのを知っているのですから。 

ですが、逆に当事者にとって、不吉なこと、悪いことを仰る占い師さんも多いようです。 

それを言ったとたん、占い師さんは、

相手の方の「不幸」が実現するように無意識の内に願います。 

これは宇宙にとって、世界にとって大変悲しいことです。 

何より、「人を呪えば、穴二つ」の例え話の通り、占い師の方にも不幸が訪れることでしょう。

不吉な予言をされた方は、今まで幸せで笑顔で周りと仲良く暮らしていたのに、

将来の不幸を暗示されたことにより、

・急に不安感に襲われ、

・笑顔が消え、

・イライラして、

・不機嫌な顔となり、 

周りの人に対しても害悪となることでしょう。 

同じ苦しい現象・出来事が起こっても、気持ちが明るくはずんでいる時は、

何の苦労もなく乗り越えてしまうでしょう。 

ですが、暗い気持ちの時、同じ現象・出来事が起きたら、もっともっと気持ちが沈み、

周りに当たり散らし、みんなを不幸にしてしまうかもしれません。 

 

それだけ、気持ちの持ちようと言うのは大切なことです。 

ですから、占いに限らず、普段から、自分の口から出る言葉は、良寛さんの愛語のように 

・他人に対しては、「良い言葉」「愛情の在る言葉」しか発しない。

・言葉にしない時は、黙って心中で他人へ「愛情のある言葉」を思う。

・言葉に出来ない時は、黙って「愛情のある行動」を他人に行う。

このようなことを心がけて行きたいものですね。 

言葉や考え方、心の在り方が、良いも悪いも

私たちの人生の行先を決めるのですから。

ブッダが仰ったように、

苦しみ、悲しみに沈む相手に対し、希望の光を与えるための善意の嘘も同じ役割です。

ブッダの般若心経の教えのように 

人生の幸せ、不幸せは、心の受け取り方によって決まります。 

熊手で不幸をかき集めていては、何時まで経っても幸福は訪れないでしょう。 

どうせなら、どんな環境に置かれていようと、 

・嬉しい

・楽しい

・幸せ 

な気持ちでいたいものですね。 

神さまは、置かれたその場所で、花を咲かせなさいと、

私たちに、わざわざ、その環境を準備してくださったのですから。


2024年9月28日土曜日

3564「青空ひろば」2024.9.28

 今回は立花大敬さんの「青空ひろば」から最新の内容を紹介します。


1451 2024.08.21 

<捨身トレーニング>

・「祈り」:私たちの天命が完うされますように

・「伊勢」は「いせ意勢」です。いせい伊勢日よく生きよう。

・魂の転換が起こっても、それが形の世界に現れて自覚出来るまでには、時間差(遅れ)があることを知っておこう(焦らないこと)。

・計算しないで、ためらわずにサッと行動する訓練

・人生は流れ作業:人も世界も刻々死んで、刻々新生しているのです。継続しているように見えるのは、あなたが、旧い自分や世界を「持ち越し(苦労)」しているからです。


1450 2024.08.20

神の本願:地球次元における人類の魂の進化過程を完成させること

神の別願:本願達成のために、それぞれの神が分担される役割

(例)伊勢:天の理念を地上に降ろす。個々の人に「天命(果たすべき役割)」を授ける。

出雲:天の理念を地上に実現させるために地上世界を整える(そのために必要な人やモノ・コトを結ぶ)。

天神:誠実な努めを果たす者が、日の目を見る世の実現を目ざす。


1449 2024.08.19

Q.なぜ運が良くなったのでしょう?

A.自分の為に生きない覚悟を決めたからだと思います。

「自他弁別(自分と他者を分け隔てる)」が、「罪(積み)」と「穢れ(気枯れ)」を生み出すのです。

自分のために生きないという覚悟が「祓い」(自他弁別の囲いの取っ払い)となります。

禅語に「大死一番(たいし いちばん)、絶後(ぜつご)に蘇(よみがえ)る」とあります。旧い自我を十字架(×)にかけ、新生するのです。

旧い自分(有限量の自分)が死んだら、新しい自分(無限量の自分)が誕生します。


1448 2024.08.18

自分(他の人・世界)の心の中のドロドロした部分にも蓋をしないで、その存在を認め・受け入れ・抱擁し・愛することが出来るようになろう。

ダイバダッタもユダもヒトラーもテロリストも、みんな人ごとではなく、自分の中にいる。

でも、イエスもブッダも観音も、やはり自分の中にいるんだ。


1447 2024.08.17 

この道は自分だけが歩める道、堂々と胸を張って歩いてゆこう。ヘタクソでも、自分の足で歩いてゆこうね。


1446 2024.08.16

今生(こんじょう)は、わずか1ミリほどの行程。そこで0.1ミリほど人より遅れたとしても、ぜんぜんかまわない。先は遠く、ながい旅路なのだから。


1445 2024.08.15 

ボクがボクであることが 世界の根っこだ

ブッダも イエスも その根っこから

生え出した 花であり 実なんだ


1444 2024.08.14 

ありがたいと気づいたとき

ありがたい人生が開けてきます

うれしいと気づいたとき

うれしい人生が開けてきます


1436 2024.08.06 ~ 1443 2024.08.13 

H.28.8.27.28 の美と健康セミナー(大阪・東京)のレジメより


テーマ:宇宙全部が味方となる人生を生きよう

<「ゆ」のコトダマは「ほどく作用」>

京都の坐禅の会(お亡くなりになった、有名な精神世界の先生のお弟子さんたちが主なメンバーの会であった)で、大敬は「ゆるい」と皆さんに評された。「斉藤一人さんを地味めにしたら大敬さん。オーラが全くなくて、忍びの達人(どこにいるか分からない)大敬さん」)

・「ゆるい」は褒めコトバ→全国行脚で感じたこと「心と体が緊張してコチコチに固まって、キツイ人が多いなあ」

・福島の禅の会では「大敬先生は<歩くホッカイロ>です」とあだ名がついた→それほど「心が凍って冷たく固まっている人が多い」

・その当時の大敬は、「ゆるめて、あっためて、ほどく」ことが使命であった→「仏」とは、「全部ほどけた人」

・当時の大敬の使命は「ゆるめること」「あたためること」→「ゆ」のコトダマの使命を果たしていた。「ゆ」のコトダマは「ほどく作用」

ゆっくり・ゆったり・ゆ(湯)につかり/たゆたう・おゆに・みをゆだね/こころもみをも・ゆるくして/

じぶんをゆるし・ひとゆるし/われひとともにいゆる(癒ゆる)道


<なぜ、世界や人は、あなたの「敵」となるのでしょうか?>

・心の中に「冷たい固まり(氷)」があると→冷たい「世界」が展開し、ゴツンゴツン人がぶつかってくる、怖い事件が多発する。

・心の中にある「冷たい固まり(氷)」とは→過去から引きずる「クヨクヨ後悔の思い、ニクイという怒りの思い」、未来にたいする「不安の思い、焦りの思い」

・そんな「氷の杭(くい)」に繋がれて、そのまわりを堂々巡り(輪廻)してしまう(自由に行動出来ない)

・「氷メガネ」で、外の世界や人を見てしまう(本当は、自分の心の中に「氷」があるのに)。→みんな、私にゴツンゴツン衝突して、私を傷つけようとしている、世界は冷たい。


<あなたは本来「水」なのです>

「衆生本来仏なり/水と氷のごとくにて/水を離れて氷なく/衆生のほかに仏なし」(白隠禅師坐禅和讃)

・心が「水」なら、温かく、柔軟→サラサラと自由に、なめらかに人生を流れてゆける。

・心が「水」なら、必要に応じてどんな器の形にもなれる→人のために巧みに働ける(観音三十三身)。「氷」が全部ほどけた人が「ほどけさま(仏様)」


<「氷」が「水」に変わるというのは、どういう事でしょう?>

・霊性の温度→高温(仏界,振動数が高い,「水」)、低温(地獄界,振動数低い,「氷」)、中温(人間界,振動数に幅あり,「水」と「氷」が混在)

・温度を上げる(あたためる)と「氷」は「水」に変化する。

・霊性の温度(振動数)を上げるには、「温まること」(「ゆ(癒)」につかること)

・心理的な対症療法は、対象の「氷」をガンガン叩いて、こなごなにするようなもの(多重人格者を製造してしまうこともある)

・「ゆ」に浸かると、自然に、どんな「氷」もほどけて、「水」となる(「北風と太陽」)。


<心を温めるにはどうすればいいのでしょう?>

・あるがままの自分を否定しないで、「認め、受け入れ、許し、愛する」→人・世界も許せるようになる 

・「あなた」が「あなた」に落ち着ける(天命を受け入れる)と、「天」と繋がる→「ひ(霊的エネルギー)」の流入(「ひ足し=養し」)→霊性の温度が上がる→氷が溶ける 


<心を温める具体的方法は?>

・「温める人」の話を聞く(自己肯定・他者肯定・世界肯定させてくれる人の話を聞く)

・「温まる坐禅」の実践,「温まるお経」を称える

・つらい人のために布施(身・財・物など)すると、「心が温まる」

・世直しのため、同志と連帯し、役割(天命)を果たすと、その「情熱」で氷が溶ける。


<「水」になれば、大宇宙潮流(「大法」)に気づきます>

・「法」→「氵+去」(さんずい+去る):大宇宙の意志が、私たちをどこからどこに向かわせようとしているかを知るのが「法の学び」。

・「金平糖大作戦」(人類の魂の進化モデル)を学ぶ

「ひ」は「ひらく」/「ひのもとくに」のとびらをひらく/ひとは「ひと(日尊)」なり、ひと(卑徒)とはみるな/「ひ(日)」からうまれた「ひえだ(日枝)のあれ(現れ)」ぞ/みんな「ひとしく」「ひと(日尊)」にして/

「ひ」から生まれて「ひ」にかえる/「ひのもとくに」は、「ひとつ」のくにぞ、「ひとり」のくにぞ。


<「大法」に従って進み、与えられた天命(役割)を果しましょう>

・神流ら(かんながら)、「歌うも舞うも法の声」(坐禅和讃)

・<宇宙の大法>(宮沢賢治『農民芸術概論綱要』より)

<世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない>→自我の意識は個人から集団社会宇宙へと次第に進化する。この方向は古い聖者が踏み、また教えた道ではないか。

<新たな時代は世界が「一」の意識になり生物となる方向にある>→正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう。(完) 


2024年9月27日金曜日

3563「諦めないで、理不尽な時」2024.9.27

  今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月15日の記事を紹介します。


「諦めないで、理不尽な時」


私たち人間は、自分で

・悲しみ

・悔しさ

・寂しさ

・苦しみ

などの経験を味わってみないと、

人の心の痛みを本当にわかることはできないのかもしれません。 

また

・人間とは

・神様とは

・恵とは

・感謝とは

等について、深く考えてみることもないかもしれません。 

その結果、薄っぺらな人生しか歩めないかもしれません。

魂の向上も望めないかもしれません。

それほど、人生にとって、苦しみ、悲しみは、

出来れば避けて通りたい出来事かもしれませんが、

神さまの目、私たちの永遠の魂にとって大切な出来事かもしれません。

  

さて、今日は「理不尽」のお話です。

もしかしたら、そんな時は、大きな大きなチャンスが訪れの時かもしれません。 

特に、心が清められ、準備ができた人に、起こりやすいことです。

皆さんの中には、 今現在、回りから、ひどい仕打ちを受けたり、

理不尽なことをされていらっしゃる方は居られませんか? 

また運命に翻弄されている方もおられるかもしれません。 

そう言う時と言うのは、集中して、厄介なこと、嫌なことが続くものです。

もしかしたら、そういう時期は、「リセット」の時期かもしれません。 

一旦、今までの人生の方向性について立ち止まり、

向きを変えるための思索の時間(考えをめぐらす時間)を持つために、

神さまから強制的にリセットがかかっているのかも知れません。 

そのことに気づいて欲しくて「理不尽の炎」の中に、投げ込まれているのでしょう。

自分の今まで持っていた価値観の大転換を図るため、強制的なリセットです。

こういう時、その(理不尽に見えて)起きて来る沢山の現象は、 

自分ではどうしようも無い事、つまり、人間側の問題ではなく、「神様の領域」のことです。

ですので、その事に対して、不平、不満、愚痴、ねたみ、そねみ、うらみ、後悔、嫉妬、

などしないことにこしたことはありません。 

ですが、生きている本人にとっては、あまりに辛く、神様に「どうにかして」と思うかもしれませんね。 

人間ですもの・・・

そういう時は、もう言霊で乗り切るしかありません。

ただひたすら、最強の言霊、「ありがとう」を言い続ける・・ 

そうすると不思議と、朝に苦しかった理不尽なことが、夕方には解決しています。 

全く気にならなくなるのです。

こういう時期は、誰にも訪れるものです。 

そして、しばらくは続くものです。

また翌日には、次の別な理不尽なことが起きてきます。その繰り返し。

私も経験がありますので良く分かります。

そんな最中に読んだ小林正観さんの本の一節をご紹介します。

<引用開始>

 

「理不尽」とは、神様から見込まれたということ。

そして「自分が成長しているという証明」。

「理不尽」とは、こちらの側に落ち度がないのに、

一方的にひどいことを言われた、されたこと。

「だんだんと理不尽度が増していき、それでも文句を言わずにいると、 

神様は「合格」と判を押してくれるのだそうです。

理不尽度10で文句を言わずにいると、理不尽度20の現象が起き、

だんだんと増していって、最後は理不尽度100%の現象が起こります。」

五戒(不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句)を言っているあいだは

理不尽なことは起こりません。 

(まだ、神さまに、成長の時期ではないと思われているからです)

最後の理不尽度100%の現象の時も、五戒を言わずに受け入れていくと、 

神様から合格の判をいただけて、人生がラクに楽しくなってくるのだそうです。

理不尽度の高い現象が起きたときは、

大きなステップアップが約束されているらしいのです。 

ですので、その時に 

・文句や愚痴を言わないこと、

・戦わないこと、

・争わないことが

大切らしいのです。<引用終了>

 

そう正観さんは仰っています。

正観さんの言う神さまに見込まれた人というのは、 

きっと五戒(不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句)を思わない、言わない人という意味です。

ですので、多くの人が「神さまに見込まれた人」になります。

私の周りにも五戒を守っている人は沢山いらっしゃいます。

そして皆さん、お幸せです。

さて理不尽なことが起きると、その人にどのような事が起きるのでしょうか?

まず、一番大きな事は、

・自分の力ではどうする事も出来ないという

「あきらめ」(諦観-あきらめ、悟って超然とすること。)

・その結果、鼻っ柱の強かった人のお鼻はポキンと折られます。

・目に見えない大いなる何かの存在を、意識するようになります。

これだけでも大きな魂の成長。

意味があることです。

時に人は、自分自身の力を過信し、

・人に迷惑をかけないように生きていきたい

・人の役に立つ人間になりたい

と思います。

ですが、病気をしたり、挫折の苦しみを味わうと、

「助け合い」

「お互い様」 

こそが本来の人間の生きる道ではないのかと思えてくるのです。

誰一人として、他人の世話なしに生きることはできません。

農家の方が作った野菜を、運送業者の方々が運んで下さり、お店の人が販売してくれる。

それらを頂き、それらの生命を頂いて、私たちは生きていくことが出来ます。

他の人の世話にならずに、誰一人生きていけません。

 

ですので、「人に迷惑をかけないように生きていきたい。」

というのは、少し傲慢な考え方かもしれませんね。

この染みついた考え方を矯正する為に、今世では病気になったり事故に会ったりと、

色々な苦しい事象が自分のタイムラインに埋め込まれることでしょう。

理不尽な出来事。

自分ではどうしようもない大きな辛く悲しい出来事にも、 

きっとそんな意味があるのかもしれません。

何故なら神様は無駄なことは一切なさいませんし、

常に私達の真の幸せを考えて下さっているのですから。

外にあるもの、見えるものは、すべて自分の心の世界を映し出す鏡。

人は理不尽な体験をすると、他人を責めたり、周囲の環境に不満を抱いたりしがち。

でもそれらは皆、私達の心の反映にすぎず、不満の矛先を他人や環境に向けることは、

見当違いかもしれません。

きっとそんな時は、自分の心を顧みる丁度良い時が訪れたのですね。

神様に感謝する時です。

その後に、大きな大きなギフトが用意されているからです。



2024年9月26日木曜日

3562「生かされている命」2024.9.26

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月14日の記事を紹介します。


「生かされている命」


レインボーの子供たちは、神様に近い所から地球に転生してきています。 

現在大量に、神々の意思によって、レインボーチルドレンや、神々自身が

地球、日本に生まれて来ているそうです。 

レインボーの小学生のまりなちゃんのお話は、

2,500年前にブッダが悟った「縁起の法則」と同じことを語っています。 

 

今日は、胎内記憶研究の第一人者、産婦人科医の池川明先生との対談から少しご紹介します。

・宇宙では良いも悪いもない(ジャッジしない)

・ただそうなだけ

・地球に来た途端、良い悪いという基準が存在し始める 

・神々はそれは必要ない・・そうみんなで相談し判断して

・良い悪いの判断をしない、そういった覚醒した子供たちを大量に地球に送り出した

・好き、嫌いがあるのはもちろんOKだけれど、

・それは良い、悪いという概念ではない

・嫌いだから、相手はダメな魂と言うことはない

・ただ自分と波長が合わないだけ

・生きて学ぶことで魂に磨きがかかる

・そのために地球に生まれて来た

・また、ただ単に地球に遊びに来ている人もいる 

・人を殺すこと、殺されること

・そうすることで魂が曇ることはない

・生まれる前に、その状況を経験したいために

・自分自身で選んで生まれて来たのだから 

・それは、ただの体験に過ぎない

・殺し、殺される人。二人は合意のもとに生まれて来た

・そこに良い悪いはない

・人を殺す、という体験も、魂を磨くための一つの経験に過ぎない

・それが学びだから 

つまり、この地球上での経験は、 

・どんなに嬉しいこと

・どんなに悲しいこと

・どんなに辛いこと

・どんなに悲惨に見える病気、出来事、境遇 

であっても、全ては、良い悪いはなく、単なる経験に過ぎない。 

全て生まれる前に、そうなることを自分で決めて、選んできたのだから。 

今、辛いこと、悩み事はありませんか?

家族や友人、会社のことで心配なこと、困っていることはありませんか? 

それらは全て、そうなること、前提で生まれてきているのだそうです。

それを経験してみたかったから、

その経験を地球でしてみたくて、地球に生まれる前に、当事者同士、 

その役回りをお願いして、神さまの了解も得て生まれて来た。 

例えそれが、殺す、殺されるという、、極端な経験であっても。。 

仲の悪い家族

非常に自分本位な極端な性格 

そんな状態も同じです。単にその状況を経験したかっただけ。

では、どれだけまりなちゃんのお話が、

ブッダの「縁起の法則」と同じであるか、ブッダのお話をします。 

ブッダが初めて悟りを開いたとき、悟った宇宙の真理が縁起の法則だそうです。 

縁起の法則では、私たちの生まれてから死ぬまでに起こってくる全ての出来事は、 

生きている私たちの意思や努力で変えられるものではなく、

既に生まれてくる前に決めたストーリーの通り、決まっている。 

そしてこの人生ストーリーは、私たち自身と、神様で相談して決めてくるのだそうです。 

生命ある物、全ては、生きているのではなく、生かされているのだと言います。 

  

宇宙を司る原理、(大日如来、憤怒相である不動明王)神さまによって生かされています。 

私たち、一人一人の心の中にも、神さまはいらっしゃいます。 

語りかければ、答えてくださいます。 

自分の中に神様を認めることができた時、

初めて、周りの全ての中に存在する神様に気づきます。 

私たちは、勝手に生きているわけではないので

・生まれる時期、場所、家族も神さまが準備してくれました。

 

・死ぬ時もそうです。

 神さまが「そろそろ、戻っておいで」と言うまでは

 死ぬに死ねません。 

・人との出会いもそうです。

 いつ、誰と、何処で出会うか?

 何時分かれるか? 

 みんな前世の因縁なども加味されて

 神さまが段取りを組んで下さいました。 

・特に「運命は人が運んでくる」

 そう言われるように、人との出会いは重要です。

 どんな人であろうと・・・

・病気や事故もそうです

 私たちが、ある時期、

 自分自身を見つめ直す必要があり

 お陰さま、お互いさまの心を知るために

 神さまは頃あいを見て、病気や事故を授けてくださいます。 

・貧乏な時期、経済的に困窮する時もそうです。

 心を強くするために

 お金のより良い使い方を理解するために

 何もないところに、愛や思いやりを見つけるために

 物では無く、心に、幸せを感じられるように

 神さまは、貧乏の時期を与えてくれました。

今まで生きて来た人生を振り返って見れば、いくつも思い当たる節が、あると思います。

 

あの出会いがあって、今の私の人生の方向性が変わった 

あの時、別れがあったから、新たな出会いが訪れた 

あの病気をしたお陰で、人の心の温かさが身に染みた

何気ない毎日の幸せが、理解できた 

これらは、全部、神さまが計画した、順番通り、計画した時間、場所に寸分の狂いもなく

起こされたことです。 

また、この働きは、宇宙空間の中でも、私たちの体の中でも、同じように起こっています。

寸分の狂いもなく、体内の様々な、微生物、細胞、血液、リンパなどが調和して働いています。

こんな壮大で、有機的に調和された働きを、神さま以外の誰ができるでしょうか?

生きているではなく、生かされている。。 

その事実に気付いた時、私たちは、どんなに安心し、幸せを感じることができるでしょうか? 

私たちは、神さまのOKが無ければ、病気にもならないし、事故にも会わないし、死にもしません。 

神さまのOKが無ければ、リストラにも会わないし、ハラスメントにも会いません 

神さまのOKが無ければ、あの人と出会わなかったし、あの人との別れもありませんでした。

神さまのOKが無ければ、今の私たち自身の、人格は形成されていませんでした。 

全てを、お陰さまと、受け入れた時・・・ 

同じく、全ての人が平等に、神さまに愛され、許されていると知った時、

私たちも、神さまと同じように、周りの方々を受入、許し、愛することができるのかもしれませんね。 

病気も事故も、いじわるする人も、心ない言葉をかける人も、嫉妬してくる人も

全部が全部、神さまのOKを頂いて、そうしています。

神さまが関知していないことは、一つもありません。

仲の悪い親子関係も、重い病気も、貧困も、全て神様の承諾があるから起こります。 

 

木の葉一枚散ることさえ、神さまはご存知です。 

自分にとって都合の悪く見えること、できれば、逃げ出したいことそんなことも、神さまは、私たちが耐えられる時期を選び、私たちの前に、表してくれました。 

その全ての目的は、たったの一つしかありません。 

その出来事が、砥石の役割をして、私たちの魂を、ますます輝かせるためです。

私たちの心が、まだそれに耐えられない時は、神さまは、その出来事を、決して私たちに与えません。 

私たちの心の準備ができた時、機が熟した時、それが与えられます。 

大きな試練が与えられる人は、それだけ、強く、気高い魂をお持ちなのでしょう。 

ですから、どうぞ、ご自分の中の神さまを信じてみてください。 

どんどん、話しかけてみてください。 

神様なら、どんな判断をされるかな? と考えてみてください。 

もう、昔とは違います。

今は、誰もが、ご自分の中の、神さまと、自分自身で、しっかりと繋がる時代です。

自分の中に、神さまを見つける時代です。

時代は変わりました。

憎しみではなく、感謝の心がある所神さまの恩寵がふんだんに降り注ぎます。



2024年9月25日水曜日

3561「国常立尊の復権」2024.9.25

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月13日の記事を紹介します。


「国常立尊の復権」


ここ数年、国津神の話題が頻繁に出てくるようになりました。 

「国常立尊の復権」と言う言葉は、あの霊的な巨人で大預言者だった出口王仁三郎の言葉です。国常立尊(クニトコタチノミコト)は国津神の中の最上位の神様です。 

今日は、その地球上に初めて現れた神様国常立尊(クニトコタチノミコト)のお話です。 

日本書紀では冒頭、初めて現れた神として

国常立尊(クニトコタチノミコト)が書かれ、造化三神、つまり最高神とされています。 

ちなみに古事記では少し異なり、最初の神様は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。

 

結美大学の小名木善行先生のお話では

古くから日本のメジャーな正史(せいし)と言えば日本書紀でした。

戦後GHQの敗戦教育で日本人の魂を弱体化するために神話教育が禁止され、日本書紀も禁止されました。

そのため代わりに戦後は「古事記」が学ばれるようになりました。

日本書紀と古事記はともに8世紀のはじめにまとめられた歴史書です。

「古事記」は、飛鳥時代に天武天皇が、暗記が得意な28歳の側近、稗田阿礼(ひえだのあれ)に命じて、天皇家の歴史である「帝紀(ていき)」と、豪族の神話や伝承である「旧辞(きゅうじ)」を暗記させたといいます。

そして、太安万侶(おおのやすまろ)が稗田阿礼がそらんじる内容を文字に書き起こし完成させました。

それに対し「日本書紀」が用いた資料は、『古事記』と較べはるかに多彩で、「帝紀」「旧辞」のほか、朝廷の記録や個人の手記、中国の史書、さらに朝鮮半島に関しては、「百済記」等も用いられています。

朝廷の日々の記録に基づく記述も増え、記述の信憑性を高めています。

どのような神話も最初の序文に一番大切なことが書かれています。

日本書紀では序文に下記のことが書いてあります。

・天も地も混とんとして、まだ分かれていない時

・正(明るく清らかなもの、陽気なもの)邪(重くて暗いもの、陰気なもの)が、まだ分かれていない時

・陽気なものは薄くたなびいて行き、天になった

・重く濁ったものは、下に沈んで行って、地になった

そしてここからが重要なのですが、

そこに聖なるものとして国常立尊という神が現れた。

世界中どの国でも神様は一点のしみも無い存在であって天に在る者とされ、

絶対的に清らかな存在とされていますが、私たちの住むこの日本では全く異なります。 

全き清らかな、そして聖なる天の中ではなく・・

清らかな「天」と、重くて濁った「地」

その両方混ざった場所で、最初の神が生まれた・・とされています。

つまり神様の中にさえ

・清らかな聖なるものと

・重くて濁ったもの

その両方が存在していると、序文で宣言しているのです。

まさに私たち日本人の中に流れている縄文のDNAそのものの考え方です。

決して、「良き者、悪き者」と二元論で区別し、悪しき者は、征服し切り取り、消滅させよ・・

と言う精神ではなく、悪しき者も、大きな心で抱き参らす・・という考え方です。

そしてこの序文が意味することは、私たちの肉体には心がある。

心は時に様々思い悩んだり苦しむことがある(重く濁る)

肉体は重くて濁った「地」でできている。

重くて濁ったものの中に「心」がある。

だから心も重く濁ってしまうことがある。

 

それは神様も同じ。 

神様も両方でできているから。

その重くて濁った「地」でできた肉体の中には、清らかな聖なるもの、

朗らかなものも宿っている・・

肉体と、心と、魂(霊 ヒと読みます)で神様も私たちも成り立っている。

私たちは人間ですから重くて濁ったものがあるため、辛くて落ち込んでしまったり、

心が濁ってしまって、弱ってしまうこともあります。

でも同時に心の中に「清らかな聖なるもの」も存在しています。

落ち込む時ばかりでなく、美しき天使のような温かな心を持つこともできる。

そのような温かな魂(霊)を、全ての人が心の中に持っている・・

そう日本書紀では国常立尊の誕生を基に、後の世の私達に伝えています。 

では、国常立尊の封印に関するお話をご紹介します。 

国常立尊は、『古事記』においては神世七代の最初に現れた神で、

別天津神の最後の天之常立神(あめのとこたちのかみ)と対を為し、

独神(性別のない神)であり、姿を現さなかったと記されています。

この国常立大神は、地球の原初の頃、地上の修理固成に苦労されていた

「ミロク大神」と「伊邪那岐命」の2神を助ける形で、地上に降臨しました。

国常立大神自身も龍神であったようですが、

他にも数多くの龍神眷属を引き連れてやってきたそうです。

その後も国常立大神は、地球の総司令官として活躍し続けたようですが、次第にその厳格さゆえに、他の眷属神(八百万神)から不平がもれ始め、世界の東北(=艮)の地にあたる

日本列島に封印されてしまう事になります。

それ以来、国常立大神は、艮の金神、すなわち「祟り神」として恐れられ、また、疎まれるようにもなり、その存在すらも忘れ去られてしまう事になります。

 

封印、つまり排除された神とは、まさに戦後、日本が置かれた立場と同じです。

国常立大神の排除の事情は、出口王仁三郎『霊界物語』に詳しく書かれています。

さて封印。 

天の大神様「ミロク大神」と「伊邪那岐命」は、その封印の際に、国常立尊に対して後日の再起を、以心伝心で伝え、国常立尊に退隠をお命じになり、天に帰られました。 

さて、その後日の再起とは何時のことでしょうか?

以前 「3千年王国の始まり」 の記事でも書きましたが、 

出口王仁三郎の予言によれば、

2010年より人間の精神性に関する立替え・立直しが始まっています。

ですが神々のやり方は、その最中には、全く私たちが気付かない方法で、進められていきます。

多くの人が期待するような派手で、ドラマチックな、天変地異のようなやり方ではないと思います。

人の心に働きかけるのです。 

働きかけられた無数の人々は、

自らも知らないうちに、有機的に、ジャストなタイミングで、つながります。

あるテーマで集められた人は、同時期に、同じようなことに興味を抱きます。 

また自ら発している波長が同じであるため、同調して集合するわけですが、 

それは、まさに偶然の出会いと思えるかもしれません。

ですが、それは、確実に神々によって計画された出会いです。 

世の中に大きな変化が起こるときは、たくさんのテーマが同時で進行しますから、

テーマごとに人が集めらます。

神々の計画に、後ろを向く人もいるでしょう。 

・変化を嫌う人

・心の世界を認めたくない人

・今だけ、金だけ、自分だけの人 

ですが、そんな人たちも、類は友を呼ぶ波長の法則により、同じ考えの人たちが集まることでしょう。 

まさに変化の時代には、そのような人々を、あぶり出し、目立たさせる効果もあります。 

今、そのような変化が起きています。 

  

世の中の変化、全ては、私たち一人一人の心が決めています。 

愛する家族であっても、同じ道を行くとは限りません。 

大きな変化でさえも、その最中、渦中の人には気づきません。 

後の世の人が指摘することです。

気付いたら、いつの間にかミロクの世が始まっていた・・ そんな形であろうと思います。

決して、どちらの道が良くて、どちらが悪いのではありません。

その人の持つ好みとか嗜好性によって、

進むべき道がドンドン鮮明に分かれて来ているのではないかと思います。

そしてその道は、今までであれば再び交わることもあったけれど、

今の地球での時空間では、もう交わらないのではないかと感じています。

でもそれは悲劇ではなく、自分の好きな道、目的地が鮮明になり、

そこへ向かうがための別れでしかありません。

そして、自分で定めた目的地にちゃんと着くには、

・自分がどうしたいのか?

・何をしたいのか?

・どう生きたいのか?


人に流されず、人に頼らず依存せず。 

自分の信じる道を進む勇気を出してみてください。

私たち一人一人は、神さまに見守られています。

ですから自分の意思・心で決めて進んで行くことができます。

自分の人生は人に頼り、決めてもらうのではなく、

自分で決めて進んで行かねばなりません。

できるなら、心に張り付いた沢山の灰汁(アク)を少しずつ落とし、 

ピュアな心で、内に居らっしゃる神さまと歩んで行きたいものですね。


2024年9月24日火曜日

3560「小さな家の小さなドラマ」2024.9.24

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月12日の記事を紹介します。


「小さな家の小さなドラマ」


私たちはとかく、目の前の人の今の一瞬の姿や、言葉、態度、行動だけを見て 

一喜一憂し、良いか悪いかジャッジし、人にレッテルを張り、

時にはその人の尊厳さえも踏みにじる行為をしてしまいます。 

ですが、私たち人間は、心ひとつで、神にでも悪魔にでもなれる存在です。 

私たち一人一人は、そんな美しい心、神様も愛してやまない心を持っています。

私達がこの地球で人と接する時

・その人を慈しんで育てて下さったご両親、ご家族

・その人のことを、大切な友達だと思っている友人たち

・その人を父や母としたう子供たち 

そんな周りの人たちの心を、ちょっとだけ想像すること

その人のバックグラウンドを少しだけ考えてみること

それだけで、私たちは神様の視点で、周りの方々と接することができます。 

では、小さな家にまつわる小さなドラマを書きたいと思います。

ほぼ実話です。

その文章を見て頂いたうえで、斎藤一人さんの言葉をご紹介します。


私は見ていました。

ずっと見ていました。

若い夫婦が貧しいながらも、分相応の小さな小さな家を建て、そこで暮らし始めたのを。

そして可愛い女の子が生まれました。 

二人はとても喜んで、その2人の家で、大切に育てました。

父となった男の人は、家族を守るために一所懸命に働きました。

母である女の人も、子供を可愛いがり、家計を助けるために働きました。

いつしか時が経ち、娘は嫁に行きました。

残された夫婦は少し寂しかったのですが、二人で助け合って仲良く暮らしていました。

そしてまた時が経ちました。

二人は年を取り、小さな家も大分古くなりました。

父はついに介護が必要な身となり、毎日施設から迎えが来ます。

母も年を取り、あちこち身体も言う事を聞かなくなりましたが、

夫を施設に送り出すと家の仕事を少しはすることが出来ました。

嫁に行った娘は、年に1回は帰って来てくれます。

そしてとうとう、父は先に逝ってしまいました。

母は一人ぼっちです。

それでも、母は二人で建てた、少しあちこち痛んできた小さな家で暮らしていました。

若く幸せだった日々、子供を育てるために2人で夢中で働いた日々は昔のことです。

そして、とうとう一人で暮らしていた母にも迎えが来ました。

その古い家で、ひっそりと亡くなっているのが見つかりました。

娘が戻ってきました。

子供の頃暮らした、その小さな小さな家を取り壊すためです。

そして、そこは何もなかったように、すっかりと更地になってしまいました。

でも、そこには幸せだった人々の営みが、しっかりとあったのです。

私達が普段気にもかけない人達にも、このように一人一人の大切なドラマがあります。

とかく私達は、今、目の前に見えている、その表面的な姿だけで判断し、 

・自分と違うから、

・生理的に嫌いだからと、

その人の背景にある、沢山の温かいドラマまで否定し、拒絶し、嫌うこと・・をしてしまいがちです。

でも、果たしてそれは良いことなのでしょうか? 

彼のドラマに登場する人達は、きっと悲しいと思います。

追伸 

最近、その更地だった場所に、また小さな家が建ちました。

越してきたのは、若いご夫婦。 

小さなお子さんが2人、いらっしゃいます。

さて、それでは、一人さんの言葉です。

<転載開始> 転載元

お金がないときでも、人にはできることがいくらでもある。

まず、笑顔でいようよ。

お金はなくても心は出せるんだからね。

たとえば、知らない人に呼びかけるときに、 

おばさんかな? お姉さんかな?

と思ったら、迷わず「お姉さん」と呼ぶの。

お店で食事をしたら、笑顔で「ごちそうさま」って言う。

「お金がないから、やれることがない」わけじゃなくて、

「あなたがやらないだけ」なんだ。

よく、「一人さんは、どんなお店で食事をしても、

『まずい』って文句を言いませんね」って言われるんだよね。

でもね、自分が期待した味と違っていたとしても、その店のお父さんやお母さんは、

その料理を出しながら、一生懸命、子育てしてきたのかもしれないんだよ。

たとえ、「おいしくない」って、お客さんに言われちゃうような料理だとしても、

その味で稼いで、子どもを大学にまでやっているかもしれないよね。

どんなお店にだって、目に見える料理だけじゃない「ドラマ」があるんだ。

人には、1人ひとりに神様がつけてくれた壮大なドラマがある。

あなたにも、あの人にもだよ。

ほら、そう考えると、コンビニやスーパーのレジの人にも、

笑顔で「ありがとう」って言いたくなってくるだろう?

世の中って、本当はすごく単純なの。 

それを立派なこと言いすぎるから、おかしくなっちゃうの。

私のモットーは、「明るく元気」。

40度の熱があっても元気だよ。

悪いのは体で、心じゃないからね。

あのね、弱気な言葉を出すと、脳が負けちゃうの。

「女房が怖い」「部長が怖い」と言わずに、 

「女房なんか怖くない」「部長なんか目じゃないですよ」って言ってごらん。

 

ウソでもいいから。

そしたら周囲が安心するよ。

みんなが「ツラい」「大変だ」と言ってるときに、「全然平気ですよ」と言ってごらん。

そうしたら黒板に1点、白い点が輝くんだよ。

仕事が大変なのは当然なの。

人と同じこと言ってちゃダメだよ。

関東大震災のあとだって、「もうダメだ」と言ってる人が復興させたんじゃないよ。

「大丈夫。まだ負けない」と思っている人が復興させた。

「目じゃない」と言葉にしたとき、「目じゃない知恵」が出るんだよ。

コロンブスはアメリカ大陸を発見しようとして発見したんじゃないの。

世界一周の途中で発見したんだよ。

一周するぐらいの覚悟がいるんだよ。

弱気になったら負け、魅力がないもん。

<転載終了>

 

人には誰でも、他人には見えないドラマがあります。

自分のことを憎んでいる、あの方にも沢山のドラマがあることでしょう。

家では優しいお母さんかもしれません。

病気の義母の世話を一所懸命している女性かもしれません。

子供のころは初孫で、おじいさん、おばあさんに愛された娘だったかもしれません。 

中学の時憧れの先輩に、胸ときめかせていた少女だったかもしれません。

私が大嫌いな、あの上司にも、沢山のドラマがあることでしょう。

私たちには他人のドラマが見えません。

同じく他人には私たちのドラマが見えません。

それでも、私たちは同じ地球で、一緒に暮らしていかねばなりません。

自分から見える、ほんの小さな部分だけで、

他人を批判、比較、測ることはやめた方がよさそうですね。

自分がしたことは、必ず自分に返ってきます。

私たちは他人に大切に扱われたいのですから、

私たちも他人のことを大切に扱い

優しい言葉、笑顔を向けるのが・・良いかもしれませんね。。


2024年9月23日月曜日

3559「「日本発の世界破壊計画」という海外の医学者の記事」2024.9.23

 今回はIn Deepさんの2024年9月14日の記事を紹介します。


「日本発の世界破壊計画」という海外の医学者の記事。そこから、レプリコン後の日本を想う

「日本発の世界破壊計画」という海外の医学者の記事。そこから、レプリコン後の日本を想う - In Deep

 



永久に汚染されるレプリコン後の日本と世界

9月12日に、厚労省部会によりレプリコンワクチンが正式に承認されました。

報道には、

承認されれば、来月に始まる定期接種用も含めて約 430万回分が供給される予定だ。

とあり、いきなりかなりの供給量となっているのですが、供給元の Meiji Seika ファルマ株式会社は、昨日、ニュースリリースを出しまして、そこには、「近日中に供給を開始する予定です」とあり、10月からの接種開始が濃厚となっています。

 

そんな中…というか、記事そのものは、その少し前のものなのですが、かなり劇的な海外のサブスタック記事を読みまして、ご紹介したいと思いました。

書かれていたのは、ダニエル・ナガセ(Daniel Nagase MD)氏という、緊急治療室の医師のようで、そこに書かれてあることが本当かどうか私にはわからない面も多いのですが、

「アルファウイルス」

という観点から、その異様なまでの危険性を書いています。

アルファウイルスについては、私に説明できるだけの知識はないですので、補足説明もできないのですが、ともかく、以下のような表現さえ出てくるような記事なんですよ。

サブスタック記事より

世界を守る唯一の方法は、日本を完全な隔離状態にすることだ。

日本に入国した者は、決して出国を許されない。製品、資材、あるいは昆虫を宿す可能性のあるものを入れた輸送コンテナは、今後何十年、あるいは何世紀にもわたって日本から持ち出すことは許されないだろう。

この隔離は人工遺伝子が完全に消滅するまで続けなければならない。

Daniel Nagase MD

なんかすごい表現でしょう。

そもそも記事のタイトルが「日本発の世界破壊計画」ですからね。

レプリコンワクチンのリスクについては、ミラノの分子腫瘍学研究所に荒川 央さんもご自身の note に何度も書かれていますが、それとはまた少し違った視点です。

この内容が正しいかどうかというのはともかくとして、

「海外に、こういうような懸念を持つ医師や科学者たちが数は少ないながらもいる」

ということをお伝えさせていただきたいと思いました。

今の日本には、過去にないほど観光客が押し寄せているときでもあり、私から見れば、ほとんど植民地みたいにも見えるのですけれど、ともかく、そういう異様な対外との交流が活発なときにレプリコンが始まるということで、今回ご紹介する文章の内容にいろいろ考えました。

わりと長い記事ですので、ここから本題に入ります。

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日本発の世界破壊計画

Japan’s plan to destroy the world

Daniel Nagase MD 2024/08/31

核兵器が悪いと思うなら、1000年も持続する核兵器を想像してみてほしい。

 

過去数ヶ月にわたり、日本の真実を追求するコミュニティは、この秋、おそらく 10月にも日本で初めて大量に人間に投与されるであろう新しいタイプのワクチンについて警鐘を鳴らしてきた。この新しいタイプのワクチンは、日本で一般にレプリコンとして知られている。

 

レプリコンとは何か?

これは「自己増幅型」RNA「ワクチン」であり、患者が抗体を作るはずのタンパク質を生成する前に、自分自身を複製すると言われている。

これは、副作用で悪名高いファイザーとモデルナの現在のスパイクタンパク質 mRNA「ワクチン」とは異なる。

現在の COVID-19 mRNA ワクチンには、自己複製する能力は正式にはない(人の DNA に組み込まれない限り)。ファイザーまたはモデルナの mRNA が逆転写され、細胞の DNA を変更した場合のみ、細胞分裂を通じて複製する能力が得られる。

新しい「自己増幅」レプリコンワクチンは、逆転写や DNA の改変も起こり得るものの、細胞の DNA を改変することなく自分自身を複製する生来の能力を備えているという点で異なる。

レプリコン「自己増幅」技術の危険性の重大さに、私はここ数日でようやく気付いた。

レプリコンワクチンの基礎テンプレートとしてアルファウイルスを選択したことにより、レプリコンワクチンの新しい人工遺伝子が人間に導入された場合、他の人間だけでなく他の種にも広がる可能性が高まっているのだ。

 

2024年10月にも日本で供給される予定のレプリコン「ワクチン」がなぜ核兵器よりも悪いのか

それらはどのようにして世界的な災害を引き起こすのだろうか。

まず、日本政府が開発に資金を提供したレプリコンワクチンの背景を少し見てみよう。

現在の第一世代の「自己増幅型」(複製型)RNA ワクチンは、自然発生的なアルファウイルスをベースとしているようだ。論文によると、COVID-19 に対するアルファウイルスベースのレプリコン「ワクチン」の具体的な開発は 2020年にまで遡り、おそらくこの研究が発表される日よりかなり前のことと思われる。

 

アルファウイルスとは何か

これは、人間や動物に感染するウイルスのグループで、一部の種は蚊によって伝染するが、アルファウイルスの種の中には、屋外の環境下で長期間生存でき、感染力(増殖して再び広がる能力)を維持できる非常に丈夫な種もある。

アルファウイルスの概要はこちらをご覧になってほしい。

自己複製ワクチンが危険であることはわかっていたが、当初私は、もし人々が自然発生のアルファウイルス(自己複製ワクチンのベースとなっている)に対する既存の抗体を持っているなら、健康な人々は、レプリコンやその他の自己増幅 RNA 「ワクチン」を接種した人々から排出された自己複製 RNA を中和するのに十分なアルファウイルス抗体を持つことができるかもしれないと考えていた。

天然のアルファウイルス抗体を得るには、蚊に刺されることを頻繁に自然に経験するのが最も簡単だ。しかし、レプリコン「ワクチン」から身を守るための自然な方法についての私の考えは、問題の一部しか考慮していなかったことに気づいた。ここ数日で私に思い浮かんだ別のはるかに大きな危険があったのだ。

私が疑わしいと思ったのは、2020年以降、研究コミュニティがレプリコン型ワクチンにアルファウイルスを使用することに固執していることだ。2023年に発表されたこの論文を例に挙げてみよう。

自己複製する「ワクチン」のために、この特定のウイルスファミリーの研究がこれほど盛んに行われたのはなぜだろうか。

アルファウイルス科の自然の特性が、もっと邪悪な目的を持っているかもしれないと気づくのに、1週間以上かかった。

それは、環境耐性 (長期間、宿主の外で生き延びる能力) と、種間の交配能力だ。アルファウイルスは、生態系全体に人工遺伝子を恒久的に導入するための有効な候補となった。

 

これは最初から意図的な計画だったのだろうか

それは分からない。

しかし、2021年8月にベトナムで行われた自己複製ワクチンの臨床試験では、研究者たちは論文の中で、レプリコン「ワクチン」の人から人へ、また人から環境への拡散を無視していた。

この論文には環境の監視がまったく含まれていなかった。

レプリコン患者に曝露した人々に副作用が生じたかどうかを調べるための追跡調査も公表されていない。

新しいレプリコン「ワクチン」を注射された人々の周囲の環境全体を監視し、自己増幅 mRNA である ARCT-154 (※レプリコンワクチンの名称)が周囲に漏れていないか調べるプロトコルも公表されていない。(漏れがチェックされていたとしても、結果は公表されていない)

被験者の周囲の動物、ペット、昆虫(特に蚊)はすべて、人工 ARCT-154 遺伝子の存在を調べるべきだったはずだ。

レプリコン型ワクチンはアルファウイルスをベースにしているため、最も組み換えられる可能性が高い種は他のアルファウイルスだ。

ウイルス内で遺伝物質の組み換え交換がどのように起こるかについての短い記事はこちらにある。

野生のアルファウイルスは他の動物や蚊と種を交配するため、レプリコンを注射された人間は誰でも、他の人間にレプリコンの遺伝子を伝達できるだけでなく、レプリコンの遺伝物質を他の種に移すことができる。

これは、蚊を介して、またはレプリコン患者がコロナウイルス、インフルエンザウイルス、または他のアルファウイルス種などの他の種に感染したときに組み換えによって発生する可能性がある。

レプリコンに感染した人が、そのレプリコンがまだ体内にある間に別のウイルスに感染するたびに、レプリコンは患者から出て、その別のウイルスを使用して他の人や動物に感染する機会が与えられる。

レプリコンが別のウイルスの殻に便乗するだけの場合、通常のウイルスと不要なレプリコンが拡散する。別のウイルスと組み換えが行われると、人工のレプリコン遺伝子とウイルスの天然遺伝子のハイブリッドであるスーパーウイルスが生成される。

レプリコン + インフルエンザまたはレプリコン + コロナスーパーウイルスの副作用は何だろうか。

まあ、そんなことはわからない。

 

種間の感染が起こる可能性はどのくらいあるのか

これはほとんどのウイルス学のテキストに一章を割くほど頻繁に起こる。

種間ウイルス伝播に関する論文の一覧はこちらにある。

アルファウイルスは、特に免疫反応を活性化する能力に関して、この現象の典型的なウイルスの 1つとして名付けられている。

 

種間の移動の問題は何か

ウイルスが複数の種に感染すると、宿主の 1種を殺すことで自滅することはなくなる。ウイルスが別の宿主種で無期限に生存できる限り、1種以上の種で高い死亡率があっても、そのウイルスの全体的な存在に悪影響はない。ウイルスが複数の種に感染すると、宿主にダメージを与えないようにする進化圧力は大幅に小さくなる。

これは、多種アルファウイルスが、その「保有宿主」となる別の宿主種に悪影響を与えない限り、人間にとって致命的であり続ける可能性があることを意味する。

たとえば、東部ウマ脳炎アルファウイルスは、鳥類では顕著な病気を引き起こすことなく存続するが、人間には致命的な害を及ぼす可能性がある。

 

レプリコンの基礎としてアルファウイルスを選択したのは意図的だったのだろうか

ベトナム人での実験

ベトナムでは、第1、2、3相のヒト研究で、アルファウイルスベースのレプリコン「ワクチン」に 9000人以上が感染した。

ベトナムでは、自己増幅型 mRNA COVID-19ワクチン ARCT-154 の遺伝物質がすでに動物や昆虫に漏洩しているのだろうか。

それを確認した人はいるのだろうか。

もし拡散の証拠がある場合、つまり誰かが ARCT-154 遺伝子を持つ風邪やインフルエンザウイルスを発見した場合、または動物や昆虫に感染するアルファウイルスの自然集団にそれらの遺伝子が突然出現したことを発見した場合、それはもう手遅れなのだろうか。

さらには、政府の科学者は、それを突き止めようとするだろうか。

なぜなら、人工遺伝子が環境中に 1つでも存在していることが証明されれば、特にそれが鳥や昆虫の場合、唯一できることはその地域、この場合はベトナム全土を完全に隔離することだけだからだ。

感染拡大を防ぐには、人間だけでなく、動物や昆虫も隔離する必要があるだろう。

地域が完全に隔離されなかった場合、何が危険にさらされるのだろうか。

その人工遺伝子は世界中の複数の種に広がり、排除することがほぼ不可能になる可能性がある。

 

まずはベトナム、そして、日本はどうなるだろうか

2024年10月は、日本政府が明治株式会社(日本のクラフト食品に相当する企業)とVLP(日本政府が資金提供しているバイオテクノロジーの新興企業)に日本人に対するレプリコンの注射を許可する予定だったとされる時期だ。

VLP がどれくらい前からレプリコンを計画してきたかについてはこちらをご覧いただきたい。

日本の人口の 1%未満(わずか 100万人)がレプリコン注射を受けると、それはすでにベトナムの治験の 100倍以上の人数になる。

その 100万人が人工レプリコン遺伝子を他の人や環境に拡散できるキャリアになった場合、ベトナムの治験で発生したものと比較して、世界全体に対するリスクは 100倍以上になる。

そして、患者の体内に機能的なレプリコンが生きている毎日は、人工遺伝子産物が環境に侵入するチャンスとなる。

体外でのレプリコンの人から人への感染、あるいは異種への感染が証明される頃には、もう手遅れだろう。

世界を守る唯一の方法は、日本を完全な隔離状態にすることだ。

日本に入国した者は、決して出国を許されない。製品、資材、あるいは昆虫を宿す可能性のあるものを入れた輸送コンテナは、今後何十年、あるいは何世紀にもわたって日本から持ち出すことは許されないだろう。

この隔離は人工遺伝子が完全に消滅するまで続けなければならない。レプリコン自己増幅「ワクチン」遺伝子が日本国内のすべての生物から消滅しなければ、国外に何かを出しても安全とは言えない。

 

それは極端すぎて、国際的な経済崩壊を引き起こすのでは?

そうだろうか?

経済崩壊は、世界全体の遺伝子汚染と比べてどうだろう。

日本政府とアメリカと日本の企業パートナーのせいで、エコシステム全体が今や危機に瀕している。

世界の残りの国々に関して言えば、G7の 1つの国(※ 日本のこと)を失うことで数年間経済が混乱するのと、人工の遺伝子構造によって地球が永久に汚染されるのとでは、どちらが悪いだろうか。

自国と世界の他の国々を地球規模の災害から守ることを考えている国は、人間と動物の両方における自己増幅遺伝子実験がすべて停止されるまで、日本に対する経済制裁、完全な輸出禁止、渡航禁止について考え始めるべきだ。


2024年9月22日日曜日

3558「幸運は不運の顔をしてやって来る」2024.9.22

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月11日の記事を紹介します。


「幸運は不運の顔をしてやって来る」


欽ちゃんのお話です。 

今大変理不尽な目に遭っておられる方、どうぞ参考になさってみてくださいね。 

今日は、「ひどい目に遭った時は、運がたまっている」というテーマで、

「心に響く言葉」よりご紹介します。  

<引用開始>

 

■僕の書いた運の本に、女の子から手紙が来たの。

新入社員でいつも上司に怒られて、会社に行くのが嫌になっていたそのとき、

たまたま僕の本を読んだんだって。

そこに「怒られるごとに、運がたまっている」とあって、

今は運をためてる時期なんだと思ったら、会社が楽しくなってきたって言うの。


■僕は、ひどい目に遭ったとき、

「次、でっかい運がやってくるかな」と思うんです。

現にテレビでコマーシャルの生放送を19回トチる大失敗をして、

ションボリして熱海に行っていたときがそうでした。

2ヵ月たって、やり直そうと浅草の下宿に帰って来たら、

その日に(坂上)二郎さんから電話があったの。

それがコント55号の結成につながったのね。奇跡だね。

1日遅れて帰って来てたら二郎さんとコンビになってないんだもんね。

負けは負けのまま終わらない。人生ってうまくできているね。


■ダメなヤツは俺の仲間だと思うから、ダメなヤツほど応援したくなるね。

小堺一機は最初にテレビに出た時、ガタガタ震えていたからね。

後になって小堺が、「(欽ちゃんから)『あがるヤツ、好きなんだよ』と言われたのが励みになった」って言ってたけど、違うの。

俺と互角のあがり症のヤツがいるんだ、スゲーッて、バカにうれしかったの。

この子がもし有名になったら、この子も俺もすごい幸せに思うだろうなあって。

だから師匠でも何でもないの。

教えたこと1回もないんだもの。

テレビに出るきっかけをつくってあげただけでね。

でも面白いよね。僕を師匠みたいに言うんだもんね。

 

■子どもたちに僕が言ったのは、

「みんなが右を向いていたら、とにかく1回は左を見ろ。 

左にいいことがある。たくさん人が集まっているところには運がない」とね。

それと「嫌だ」と思ったことも、とりあえずやってみた。

8年前、24時間テレビでチャリティマラソンのランナーになってくれ、

と言われたときも、本当はすごい嫌だったの。

66歳という年齢ではキツイよ。でも嫌なことには運がある。

『人生の流儀』新日本出版社より

<引用終了>

 

欽ちゃんは、「損から入ると運が貯まる」と言います。

人とつき合うときは、率先して損な役回りをすると、

だれかが幸運を持ってきてくれるからだと言います。

「運は遠いところからやってくる」という欽ちゃんの言葉も同じで、

まわり道が一番近かったりします。

怒られたり、ひどい目に遭ったときも、一見すると「損」のように思えるし、

「まわり道」でもあります。 

でも実はそういう時が一番運がたまる時。

大事なことは、怒られたり、ひどい目に遭ったときに、どんな対応をするのか。

そこで、グチや文句や泣き言を言うのか、

逆に感謝したり、ありがたいと感じるのかどうか。

神様は、そういう所をよく見ていらっしゃいます。

嫌なことには運があり、ひどい目に遭ったときに運が貯まっています。

神さまは、幸運を与える前に、まず不運と見える境遇を準備してくださるようです。

この欽ちゃんの言っていることは、沢山の方が同じことを仰っています。 

美輪明宏さんも「正負の法則」、小林正観さんも。。。

今、理不尽なこと、ひどいことに巻き込まれている皆さん。 

どうか勇気を持って下さい。 

 

寒くて厳しい冬の次には、必ず、温かで穏やかな春が訪れます。

世の中は毎瞬毎瞬、変化を続けています。

そういう苦しい時こそ、

くさらず 焦らずじっくりと、地中に根っ子を張るチャンスです。

そして、希望を持ってください。 

そういう時は、もう目の前まで、春が来ているのですから。 

私たちの人生は、苦しく辛く、耐えられないと思うようなものでも、

必ず大丈夫なようにできています。

不運があれば、必ず同じだけの幸運が、

例外なく巡ってくるようにできているのですから。 

明けない夜など、ありません。


2024年9月21日土曜日

3557「好意は好意で返される」2024.9.21

  今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月10日の記事を紹介します。


「好意は好意で返される」


沢山の人々が、普段の生活の中で、

心無い、「悪口・陰口」に苦しめられているようです。

逆の言い方をすれば、もし、それを乗り越えることができれば、

相当、魂の洗濯(魂の浄化)が進むということになります。 

そうなれば、ご自身だけでなく、身近な周りの方々にも

幸せや笑顔のおすそ分けができるようになります。

私も、もうずいぶん前から実践していますが、よく記事でご紹介しているブッダの方法は、

凄い効き目があります。ぜひ試してみてください。

それは、悪口や陰口を聞いても

・すぐに忘れるようにすること

・根に持たない

・考えない

・相手の良い所を見つけるようにする

とすることで、悪しき「悪口・陰口」に、

それ以上、エネルギーを与えなくなります。 

・エネルギーを与えられない物、

・意識を向けられない物は

放っておいても、消滅する運命です。

良きところに目を向け、そこに意識を移すことは、

その良きことにエネルギーを与えることになります。

エネルギーの法則から、

その人は、「良き人」、「味方」にいつの間にか変わってしまいます。


そんなことも、ここ地球だからこそ、経験し、実験し、学ぶことができます。 

学びの最中は、辛く苦しいこともあるのですが、

実際に渦中の入ることで、よりしっかりとした知恵となり、

魂に刻み付け死を超えて持ち帰ることができます。 

魂の仲間たちとの共有の財産になります。

それでは、今日は逆のパターンについて書きたいと思います。 

テーマは「好意の返報性」です。

これは、与えたものが受け取るもの、

という宇宙の大原則を人間の「好意」についてみたものです。

これも非常に、普遍的、かつ現実的で、速攻で効果が出てくるものです。

もし人間関係でお悩みの人がいらしたら、是非試してみてください。

精神科医・作家、樺沢紫苑さんのお話です。

<引用開始> 引用元

 

以前、私はある病院で認知症専門外来をやっていました。 

この外来は、通称「もの忘れ外来」と呼ばれているところで

「最近、もの忘れが進んできたのですが」という方が来られるほか、

認知症患者の介護をしている家族も相談に訪れます。

介護に抵抗したり、興奮したりする認知症の患者さんの介護は、

想像を絶するほど苦しいものです。 

その介護が今後何年続くかわからないという不安もあります。

認知症のお舅さんを介護しているお嫁さんから、相談を受けました。 

いくら介護をしても、悪口や嫌味、悪態ばかり。 

黙って介護されていればなんとか頑張れるものの、精神的にも限界だと。

そこで私は彼女に

「そんなあなたの、介護したくない という気持ちが、

お舅さんに伝わっているのではないでしょうか?」

と質問しました。 

彼女は無言になってしまいました。

介護でも「返報性の法則」は存在します。 

イヤイヤ介護していると、それは介護される側にすべて筒抜けになります。 

結果として、それが介護への抵抗、悪口や悪態、興奮や暴力など、

「悪意の返報性」として返ってくるのです。

介護する人が心から明るい気持ちで介護していると、介護される側も

明るい気持ちになって、気持ちよく介護を受けてくれるのです。

そこで、彼女にアドバイスしました。

1週間だけでいいので、「お舅さんと初めて会った」と思い込んで

心の中を空っぽにしてください。

そして、心を込めて、献身的に、笑顔で介護してください。

彼女は最初「そんなことはできません!」と否定的な態度を示していましたが、

「1週間で、必ず相手の態度は変わります」と私が断言したのを聞いて、

「それなら、なんとかやってみます」と言いました。

1ヵ月後に彼女が来院しました。 

陰鬱な表情はどこにもなく、笑顔で言いました。

「おじいちゃんが変わりました!」 

数年の介護の結果、悪口や悪態が日常的となり泥沼となった嫁舅関係。 

それが、「好意」を持って1週間接しただけで、お舅さんの態度は柔らかになり、

悪口や悪態もなくなり、最期には「ありがとう」と感謝の言葉まで口にしたのだそうです。

「好意の返報性」は、非常に普遍的な心理法則ですから、

認知症になって理解力の低下した方にも、すべての人に効果があるのです。 

重要なのは、先に「悪意」を引き下げて、「好意」を差し出すのは、

自分でなければいけないということです。 

言うのは簡単ですが、これはとても難しい。 

なぜならば、既に泥沼の関係になっているということは、

「悪意」と「悪意」のキャッチボールをしている

「悪意の返報性」にすっぽりとはまった状態です。

その状態で、いきなり「好意」を投げるのは、相当の勇気と思い切りが必要となります。

しかし、このように「悪意」を「好意」に変えることによって、

人間関係をリセットすることは可能です。 

私の経験では、このアドバイスを受けて、きちんと実行した方は、全て成功しています。 

あなたも、泥沼の人間関係を「好意の返報性」によって覆すことが可能なのです。

<引用終了>

 

「悪口・陰口」の次に、その対極にある「好意」について書きました。 

その方向性は真逆であり、ご本人たちの心に、どれだけの影響をもたらすことでしょう。

一方は、自分をまきこみ、「地獄」の世界を周りに作り、

もう一方は、自分を含め、周りに「天国」のような笑顔と幸せの世界を作ります。

私たちの心の中には、どなたにも神さまが居らっしゃいます。

それを良心と呼ぶ人もいます。 

そこは宇宙の神さまと繋がる場所です。

相手の方の 一面だけ、一時的な姿や態度を見て切り捨ててしまうのではなく、

この人は「ダメな人」と判断を下してしまうのではなく、 

相手の内に隠れている神さまを、常に見つめていたいものですね。

良寛さんも、そのように生きた人でした。 

私たちが、相手の方に 好意や、愛情、思いやりを持って接した時、

必ず、相手の方の同じ部分が反応します。 

私たちは与えたものが受け取るもの、という宇宙の大原則の通り、

与えたものと同じものを、倍受け取ることになります。 

  

樺沢先生も仰っていますが、ここで大切なのが、まず自分が先に・・・ 

と言うことです。

人間関係に悩んでいる皆さん 

ご興味があれば、是非試してみてください。

2024年9月20日金曜日

3556「全てに宿る魂」2024.9.20

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月08日の記事を紹介します。


「全てに宿る魂」


私達 宇宙に住む者は全て大本の神様から魂を分けていただき 

それぞれ別個の生命体として生きています。 

それぞれの宇宙、それぞれの銀河などによって

価値観は様々変わるようですが、変わらない真実もあります。

それは、私たち生命体の目的は、魂を磨き、霊性を開発し、

もともとの神様と一体化するということです。 

魂を磨くとは、

・心を磨き洗うこと(恨みや、憎しみ、人を陥れようとする悪しき心を洗うこと)

・何か不思議な力や、力ある人に頼るのではなく、自分自身の足でしっかりと、置かれた場所に立つこと

・お互い様、おかげ様の真理(縁起の法則)に気づき、周りに優しく、感謝の気持ちで生きること

それでは、今日も真の幸せを手にしていただくために、神々により近づけるように、 

心(霊性)のお話をしたいと思います。 

今日は「すべての物には魂が宿っている」ということで、小林正観さんのお話をご紹介します。

<転載開始> 転載元 

 


お金にかぎらず、人間をはじめ、動物、植物から鉱物にいたるまで、

あらゆる物に当てはまる宇宙の法則があります。

それは次のようなこと。

すべての存在は、感謝して大切にされると、その人を応援してくれる。

なぜなら、すべての物には魂が宿っているからです。

毎日使っているコップには、水や飲み物を入れて飲んでもらうという機能があります。

機能とは、誰かの役に立つということ。

落としたりしてこわれないかぎり、コップには飲み物を入れるという機能があります。

電車も自動車も、動いて人を乗せることができるかぎり、機能を果たしている。

生きているのです。

壊れて動かなくなったら、人の役に立たなくなったので、死んだということになります。

そしてその魂たちはみんな、他の人たちの役に立ちたいと願っています。

 

物は言葉をしゃべりませんし、手足もありませんが、つねに誰かの役に立って、喜ばれたいと思っている。

だから、使っている人がその物に「ありがとう」という感謝の念を送り、大切に扱うと、

その物は喜んで、その感謝を返そうとします。

大切にしてくれた人を応援するように働いてくれるのです。

毎日使うコップに「愛してる、大好き、ありがとう」と言っていると、その人を応援したと思うようです。

アメリカのメジャーリーグで活躍するイチロー選手は、自分が使う道具を大事にすることで知られています。

グローブやスパイクの手入れは絶対に用具係の人にまかせずに、必ず自分の手で丁寧に手入れをするそうです。

バットも地面に寝かせずにボールが当たる面を上にしておくなど、道具を丁寧に扱うのです。

試合中、ヒットを打って塁に出るときも、けっしてバットを放り投げたりはしません。

ヘッドの部分を地面につけて、やさしくバットを地面に置いて走り出すのです。

以前、このようにバットを投げなかったのは、現役時代の王貞治選手でした。

この人もホームランを打ったときに、バットを静かに地面に倒してから塁に出ていた。

以来、30年ぶりにバットを放り投げない選手として球界に現れたのが、イチロー選手だったのです。

それに対して、ヒットを打つと、乱暴に地面にバットをたたきつけて走り出す選手がいます。

外国人選手などで三振に打ち取られると、はらいせにバットを折ってしまう人などもいますし、ピッチャーでも打たれたときに、グローブを地面にたたきつける投手をしばしば見かけます。

見ていると、こうした選手で大成した人はいません。

一時期はよい成績をあげて話題になることはありますが、長く続けることはできません。

どうやら、長く活躍しつづける選手とそうでない選手の差は、野球の神さまに応援されるかどうからしい。

イチロー選手はおそらくそのことがよくわかっているのでしょう。

<転載終了>

 

人間をはじめ、動物、植物から鉱物にいたるまで、あらゆる物に魂が宿っている。

つまり神様が、全宇宙に浸透しているということです。

ですから、私たちが、それらの者(物)に、感謝の気持ちや「ありがとう」という言葉をかけると、喜んで、その感謝を返そうとするのだそうです。

同じ神様が、その相手や、物にも宿っているのですから、同調・共鳴するわけです。

人に対して、誠意をもって感謝の気持ちを伝えれば、相手は喜んで、その後は大切な味方になってくれます。

たとえ相手が、悪意や憎悪、意地悪な気持ちで接してきても、私たちが、相手と同じ波長で「不平、不満、悪口、愚痴」で返さずに、感謝の気持ちを伝えたら、必ず相手の中の魂(神様)の部分が共鳴しますから、味方に変わってしまいます。

これは、人間だけでなく、植物や動物でも同じです。

「愛してる、大好き、ありがとう」と愛の心で接すれば、必ず、私たちの味方をしてくれます。

車やパソコンでも同じです。

車に乗る時に、「いつもありがとう、今日も無事に目的地に届けてね」って感謝を伝えておけば、きっと事故も起きないでしょう。

私の仕事は、ソフトウェアを作る仕事ですが、どうしても作っていてうまく動かない時があります。

そんな時は、パソコンを通じ、プログラムにお願いします。

「いつもありがとう、うまく動いてね」ってそうすると、専門用語では「バグ」っていうのですが、それが、いつの間にか解決してしまいます。

論理だけのプログラムの世界でさえ、こうです。

ちょっと、話が脇道に行ってしまいました。

この正観さんが教えてくれた宇宙の法則を、日常生活で生かすとしたら・・

・何時も自分のことを目の敵のようにイジワルしてくる人

・怖い上司

・いつも怒ってくる人

つまり「私が嫌いな人」や、「私のことを嫌いな人」に対して、

「ありがとうございます」や「感謝しています」などの言葉を使っていると・・

いえ、直接言葉をかけなくともよいです。

心の中で、お顔を思い浮かべて「ありがとう」と言霊を唱えていると、私たちの意識は、つながっていますから、相手にその感謝の波動が伝わります。

その結果、「不要になったエネルギーが解放(消滅)されて、愛のエネルギーで置き換わった」状態となります。


また、病気や経済的な状態、子供や配偶者の問題なども同じです。

私たちには、不必要なことは起こりません。

神様はサイコロを振りませんから、偶然で発生する出来事は一つもありません。

ですから、これらのことも、「問題」として捉えるのではなく、

私たちの魂を磨くために、神様が用意して下さったもの。。 

そう考え方を入れ替えるだけで、 

「ありがとうございます」や「感謝しています」という言葉を使うことができるかもしれません。

最初は、この言葉を出すのが苦しいかもしれません。

ですが、最初の苦しさだけ、そこだけを乗り越えてみてください。

必ず、自然を含め宇宙が味方をしてくれるようになりますから。

サポートオブネーチャーを実感することができますから。


2024年9月19日木曜日

3555「やる羽目になったこと」2024.9.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月07日の記事を紹介します。


「やる羽目になったこと」


今日は小林正観さんの「やる羽目になったこと」と言うのをご紹介します。 

つまり、自分からバタバタせずに、流れに任せて行けば、

いつの間にか生まれて来た、目的を達成しているような方法のご紹介です。

生きていると、理不尽に思えることや、「自分ばっかり」と思えることや、

「あの人は逃げてばかりで、どうして私が・・」など沢山起こってきます。

これらに一つひとつ、不平不満を言い、自分の悲劇を嘆き、呪い、神様に文句ばっかり言っていたらどうなるでしょうか?

宇宙には「与えたものが、受け取るもの」という法則がありますから、

不平不満、愚痴や呪いの言葉を口にしていたら、その何倍もの、

同じことを口にしたくなるような、むごい出来事が、自分に起きてくるでしょう。

だからと言って、無理に、ぐっと口をつぐみ、ヘラヘラと笑っていくことなど

難しいかもしれません。

そこで、正観さんのお話です。

<転載開始> 転載元

 

もう40年も前の話、私が20歳のころに、旅先でよくこんな質問を受けました。

旅をしている20代のOLさんが多かったのですが、そのOLさんたちがこんな質問をするのです。

「コピー取りとお茶くみしか私には仕事がありません。

4年制の大学を出たにもかかわらず、コピー取りとお茶くみしかやることがありません。

そのために大学を出たわけではないので、毎日がむなしくて嫌々仕事をしています。

本当の私、本当の私の仕事に出会うためには、どのようにしたらいいでしょう。

取りあえずは今の会社は辞めたいのですが」

私の答えはいつも一緒です。

「私がもしあなたの上司であるならば、コピー取りとお茶くみを嫌々やっている人に、 

それ以上の難しい仕事を頼むことはないと思います。

コピー取りとお茶くみさえもちゃんとできないのであれば、それ以上に何かの企画を頼んだり、何かの商談をまとめてくれと責任を持って委ねたりということには、ならないのではないでしょうか」

やる羽目になったことは嫌がらずにやる。

これが宇宙の法則です。

 

この宇宙の法則を味方につけないかぎり、たぶん楽しい人生が回ってくることはないでしょう。

ただ、この話は、

・努力しなさい

・頑張りなさい 

と言う話とは違います。

努力の「努」には、嫌々、無理やりやらせる、嫌々なのだけど、無理やりやらされるという意味が含まれています。

嫌々やらされている奴隷の「奴」の人の「心」。

つまり、奴という文字の下に心を書いて奴隷の心。

これは「怒」という文字になります。

なぜ怒りなのか。

無理やり嫌がるものをやらされるからです。

イヤなことを無理やりやらされることが努力。

そして、その努力に無理やり追い込まれ人間の心が、怒りという文字になりました。

では、たとえば、家の中の家事が楽しくない。

子守・子育てだけが仕事なので、自分の人生はむなしいと思っている主婦がいるとします。

その場合に、そのむなしさを解決する方法が2つあります。

1つは、その子守・子育てを投げ出してしまうこと。

やめてしまうこと。

ですから、離婚をするなり家を捨てるなり、という選択があるかと思います。

もう1つの選択方法があります。

それをイヤなものだと思わずに、楽しいものと思ってやり始めるという方法です。

この方法は誰にも迷惑をかけません。

しかも、自分自身が楽しくなるような選択ですから、それからの時期が楽しくなると思います。

考え方やとらえ方を変えることによって、物事の価値が、内容が、だいぶ変わってきます。

根元的な話ですが、自分のまわりの気に入らないことを、

「気に入らない、気に入らない」と言っている間は、 たぶん何も解決しないでしょう。

自分のとらえ方や考え方を変えることで、ものが全然違うものに見えてくる。

全然違う状態に見えてくる。

この方法が自分にとっては一番ラクだし、一番速い方法です。

そして、究極の方法でもあります。

自分の思うように環境を変える、状況を変えるのではなくて、自分の考え方やとらえ方を変える。

これが一番ラクで簡単な方法なのです。

すべてのことにこれは使えるので、この方法を身につけたら、 

人生生きるのがとてもラクになります。

<転載終了>

 

私たちは、輪廻しています。 

縁のある人とともに転生を繰り返します。

夫婦、兄弟、親子、友人、同僚、それぞれに役割を変えて、魂の進化のために、転生を繰り返すようです。

決して、魂の波長が似ている仲好しの「ソウルグループ」だから、という理由だけではないようです。

ですから、もし家族の中において、問題が発生しているのならば、それは、その問題を通じ、

お互いの魂の向上を図るためです。

時には一方が、悪者役をやることもあります。

また、生きていく上で、誰かが自分本位の卑怯なやり方で逃げたり、私たちを貶めて、

自分だけ得をしたり、人々の避難から逃れたりすることもあります。

そんな時、その人のことをいつまでも恨んで、呪いの言葉を口にし続けてもよいものでしょうか?

不幸になれ、失敗しろ、死ね・・などの言葉を口に出してもよいものでしょうか?

復讐の行為を実行してもよいのでしょうか?

そこにもやはり、正確に与えたものが、受け取るものという宇宙の法則が働きます。

その結果、被害者であったと思われる自分に、逆に不幸な出来事が雪崩のように起こってきます。

ですから、そういう人は放っておけば良いのです。

彼らにも正確に「与えたものが、受け取るもの」という法則が働きますから、

卑怯なことをしたり、人をだましたり、貶めたりして、一見有利な立場に立ったと見えても、

必ず、同じものが彼ら自身に帰ってきます。

ですが、そこはもう「神様の領域」のお話になりますので、私たちは、ただ人を怨まず、

仕返ししたりしようと思わず、淡々と自分のなすべきことを行っていれば良いだけになります。 

最初は難しいかもしれませんが、それを逆に、楽しいもの、自分を向上させてくれるものと、

感謝の気持ちに切り替えてしまえばよいのです。

自分のなすべき事とは、頼みごとを淡々とこなす。 

やる羽目になったことを淡々とこなす。

と言うことです。

これらは、全て神さまが人生の中で流れを作ってくれています。 

人間の頭で考えてジタバタしないことです。

そしてその時に無理をしてはいけません。 

 

イヤイヤながらもいけません。

それをイヤなものだと思わずに、楽しいものと思ってやり始めるということです。

楽しいと思うのは難しい・・そう思われるかもしれませんね。。

ですが、やる羽目になったこと、頼まれごとと言うのは、神様が運んでくださったことです。

それは、もしかしたら、今までできなかった仕事かもしれません。

親の介護かもしれません。

もう一度言います。

でもそれは、神様が運んできてくださったものなのです。

神様は、私たちを 

・不幸にしてやろう、

・懲らしめてやろう、

・破滅させてやろう

などと絶対に思いません。

全ては、因果の法則、その現象には因(原因)があるのです。

生まれる前から決めてきたことなのです。

私たち、お互いの魂の進化のために・・

そうであれば、喜んで、それを受け入れてしまった方がどんなに幸せになれることでしょうか?

神様は、ほとんどの場合、私たちに幸福をもたらす時、まず、それに不幸、ピンチの装いをさせます。 

ピンチこそ、チャンスなのです。

その大きな恩寵を受け取れるどうかは、私たちの心ひとつにかかっています。

全部、大丈夫なようにできています。 

どうぞ、安心してください。




2024年9月18日水曜日

3554「日本のプレスコードが80年続いているメカニズム」2024.9.18

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年9月5日の記事を紹介します。


「GHQからNHK:日本のプレスコードが80年続いているメカニズム」



戦後の日本のもうひとつの歴史

少し面白い記事というより論文を読みました。

「GHQ の報道統制と日本:過去と現在」というタイトルのものです。

ここでは報道統制という日本語に訳しましたが、プレスコードという呼び名でも同じだと思われます。

これが戦後すぐに GHQ (連合国軍最高司令官総司令部)によって行われ、そして、「日本で今でも続いている」という内容です。

プレスコードというのは、Wikipedia からの引用ですと、以下のようになります。

プレスコードとは、太平洋戦争終結後の連合国軍占領下の日本において、GHQ によって行われた、新聞などの報道機関を統制するために発せられた規則である。これにより検閲が実行された。

正式名称は SCAPIN-33「日本に与うる新聞遵則」。昭和20年(1945年)9月19日に発令、9月21日に発布された。

「日本新聞遵則」また「日本出版法」ともいう。「プレス・コード」と表記されることもある。

このプレスコードに基づいて、主に GHQ 批判、原爆に対する記事などが発禁処分に処された。占領開始前からの計画に従い、占領開始後間もなく個人的な手紙などにも検閲の手が回った。

この事実は当時の一般の大衆には知らされず、出版・報道関係者(学校の同窓会誌・村の青年会誌などのミニ・メディア関係者なども含む)以外に存在が広く認知されたのはのちの事である。

1945年9月22日に出されたSCAPIN-43「日本放送遵則」 と一対のものである。新聞遵則は、この放送遵則と映画遵則もこれに準拠した。

昭和27年(1952年)4月28日、サンフランシスコ講和条約発効により失効。

プレスコード

これが、現実としては失効していないという話でしょうか。

2020年からの社会を生きてきた今なら、何となく実感できる方々もいらっしゃると思いますが、日本の一般大衆が持つ(ようになる)あらゆる思想体系は、メディアに導かれており、その背後には米国があると。

最初に書いておきますと、今回ご紹介させていただく論文は非常に多くの参考文献を示している真っ当な論文であり、陰謀論云々の幼稚な概念の話ではありません。

書かれた方は、ジェイソン・モーガン(Jason Morgan)さんというアメリカの歴史学者で、日本史研究者です。日本の麗澤大学という大学の准教授をされているそう。

 

わりと長い文章ですので、早速ご紹介したいと思いますが、記事には、一般的な 科学論文にもあるような「参考文献」が、たとえば、 (Kotani Ken 2022, 254-257) みたいなのが、文の一節一節に添えられています。

これは、読みにくいといえば読みにくく、これを外した文章として翻訳することも考えたのですが、しかし引用や参考文献がなければ、「ただの個人の主張」となってしまいまして、それでは、あまり良くないなと思いまして、文中に入れています。

そして、参考文献には「日本人著者による書籍がとても多い」のです。当然、私の知らない方々がたくさんいまして、英語から調べたのですが、以下のように統一しました。

・正確なお名前の漢字がわかった場合、たとえば Wikipedia 等のページがあるなら、そこをリンク先とする。紹介ページがない場合、関係していると考えられる書籍や記事をリンクする。

・どうしても正しい漢字がわからない場合は、英語のままにする(間違った漢字で表記するほうが失礼だと思いますので)。

・外国人のお名前は、英語表記のままで、特にリンクはしない。

このようにさせていただきます。

オリジナルには、リンクは一切示されていませんので、もしかすると、漢字や人物において間違ってしまっている場合もあるかもしれないですが、その場合はご了承ください。

では、ここからです。 

________________________________________

GHQ の報道統制と日本:過去と現在

GHQ’s Press Code and Japan: Then and Now

The Postil Magazine 2024/09/01

 

米国は自らを「自由の国」と宣伝している。戦争をするときには、米国は自国民が享受している自由を他国にももたらすと自慢する。

しかし、これは現実に当てはまるだろうか?

20世紀半ばに米国が日本帝国と戦ったとき、ワシントンは自由のない国に自由をもたらしたのではなく、自由な国に不自由をもたらした。

これは、ワシントンが戦後日本に課した検閲体制を通じて部分的に達成された (山本武敏 2013)。この検閲体制の一側面は報道規制(プレスコード)であった。

知識人で作家の江藤淳は、GHQ占領下の日本を「閉ざされた言説空間」と宣言した (江藤 1994) 。

言説的に、ひいては認識論的に日本を閉ざした扉となったのは、1945年9月19日の指令「対日報道規程 SCAPIN-33 」であった。アメリカがブレスコードを課した主な目的の一つは、自国の戦争犯罪を隠蔽することだった(川崎賢子 2006、38-40) 。

プレスコードは、印刷物やその他のメディアでの 30の話題についての議論を禁止した。

大東亜戦争の勝者に対する批判は禁止され、「大東亜戦争」という言葉も使用されず(「太平洋戦争」という言葉は歴史的には不正確であるが、今日でも代わりに使用されている)、占領下の日本の闇市場についても言及されず、アメリカ兵による日本人女性への強姦についても言及されず、広島と長崎への原爆投下についても批判されなかった。こうして、日本におけるワシントンの検閲体制が誕生した(平井和子 2023、モニカ・ブラウ 1991)。

米国政府にとって報道統制は緊急課題だった。ワシントンには隠さなければならない罪が多く、日本人のせいにしたい犯罪が多かったからだ。

その中で、日本には多くの勇敢な真実の語り手がおり、反撃した。その一人は、1945年3月9日と 10日の東京大空襲を記録した写真家の石川光洋だ。

GHQ は石川が撮影した写真のネガを押収しようとしたが、石川は拒否した。GHQ は最終的に折れ、石川に写真を公の場で展示することを禁じただけだった (石川 1974, 17-21、Richard Sams and Saotome Katsumoto 2015、Mark Clapson 2019, 219-221)。

しかし、石川の勇敢さは偽情報の猛攻撃の中で失われたようだ。戦争責任情報プログラム(WGIP)は、日本人とアメリカ人の両方に(両者とも真実を同様によく知っていたし、アメリカ人は日本人よりもその真実の反対を納得させる必要があったと思われる)、アジアでの戦争は完全に日本の責任だったと信じ込ませるために設計された心理作戦だった(Aoyagi Takehiko 2017、Takahashi Shiro 2019、関野道雄 2015)。

アメリカ人は GHQ の弾圧にも直接さらされた。例えば、占領政策とワシントンの行動に対する洞察力のある批評家ヘレン・ミアーズは、占領に関する著書『アメリカ人のための鏡:日本』が米国外で一時的に出版禁止になったことを知った(Kevin Y. Kim 2019、145)。

戦後日本における GHQ の情報統制にはさまざまな目的があった。それは二国間の取り組みでもあった。

日本のメディア産業の膨大な成果を監視し検閲するには、多くの日本人の協力者が必要だった。彼らは書籍、新聞記事、雑誌記事、その他の資料の草稿を読み、占領軍の検閲官によるより慎重な検討のために資料を英語に翻訳する必要があるかどうかを勧告した(夏目武子 1995, 73-75、2012, 46-47)。

時が経つにつれて、検閲体制は手紙やその他の郵便物にも及ぶように拡大した。かつての敵のために自国民をスパイすることをいとわない日本人の協力なしには、こうしたことはどれも不可能だっただろう(夏目武子 1997, 66-67、平山周吉 2021、山本武利 2014, 2021)。

GHQのプレスコードは、社会全体、特にメディアの権力構造をひっくり返した(西村幸祐 2017, 151-154)。

戦後日本を歪めた影響は今日も続いている(西村幸祐 2017, 116-119、久岡賢治 2020, 108-110、小山恒美他 2016)。

日本の国営放送局である NHK の戦後初の局長は高野岩三郎で、彼はアメリカに協力したことに対する褒賞として GHQ からその職を得た。戦後の日本のラジオもまた GHQ の検閲官の管理下にあった(谷川毅 2021, 82-85、大森純郎 2021)。

戦後の検閲について多くの著作がある著名な研究者で歴史家の有馬哲夫氏は、こうしたアメリカ占領軍による広範かつ継続的な干渉もあって、「 NHK の歴史番組に見られる歪曲は構造的なものだ」と論じている(有馬 2017, 134、西村幸祐 2017, 119-123、西村幸祐 2014)。

これは決して誇張ではない。

放送大手の日本テレビと全国紙の読売新聞の社長を兼務していた正力松太郎は、戦後、ワシントンに有利な世論を形成するために活動した CIA 工作員だった。検閲と情報の歪曲はメディアの枠内にとどまらなかった。

日本学術会議は、高尚な言説を平和主義的、左翼的、そして無力なものに維持し、それによって日本をワシントンの支配下に取り返しのつかないほど置き続けるものであり、1949年に GHQ によって設立された(Edo Naito 2021)。

CIA はアラバマ作戦などの旗印の下、世界中で活動し、到達可能なあらゆる場所で国民をプロパガンダし検閲したが、日本も例外ではなかった(Frances Stonor Saunders 1999、Alfred W. McCoy 2017、54、William F. Jasper 2017、Christopher Coyne and Abigail R. Hall 2023、615-617)。歪曲は、ほとんどの場合ワシントンに有利に働き、それは続いている。

日本の出版物は「保守的」で「愛国的」であると自称し、過去の報道規範を批判することもあるが、現在のワシントンのあらゆる政策と奇妙な類似性を示すことが多い(正論 2015)。

おそらく「保守的」で「愛国的」であるふりをしている評論家たちも、1945年に日本は不当な扱いを受けたという頑固な主張と、現在ワシントンが日本の救世主であるという主張という、同じ矛盾した特徴を示している(櫻井よしこ 2015 、櫻井よしこ 2022 )。

戦後すぐにワシントンが日本に課した検閲体制は、法的にはそうでなくても事実上、今日もなお存在しており、主に日本人によって存続している。(ただし、ワシントンの命令による範囲は、ほとんど知られておらず、知ることもできない)(Tim Weiner 2008 、133-140)。

ワシントンによる日本に対する検閲は非常に成功しており、アメリカの海外諜報活動全般に関する英語の歴史書にはほとんど登場しない(Calder Walton 2003、David Talbot 2015、James Bamford 1982、159)。

当時も今も、日本におけるワシントンの情報体制の目的は、日本がワシントンに依存し続けるようにすることだ。戦後、緒方竹虎が日本版 CIA の設立を試みたとき、アメリカの諜報機関はそのことを知っていた。そのため、かなり茶番劇的な形で、緒方が失敗する運命にあった理由(そして、外国勢力の監視下にある国では全く不必要であるにもかかわらず、それ以来日本の CIA が設立されていない理由)が示された(有馬2014、205-209、江崎道雄2021)。

ファイブアイズに参加したいという日本の願望も茶番劇だ。

(※) ファイブアイズは、米国、カナダ、英国、オーストラリア、ニュージーランドの情報機関が世界に張り巡らせた設備や盗聴情報を相互利用・共同利用する為に結んだ協定。正式にはUKUSA協定。Wikipedia

少なくともファイブアイズのうちの 1つは、すでに日本政府の内部事情を知っているからだ(小谷健 2022、254-257)。

日本は 1世紀以上にわたり、敵対的な外国勢力と戦ってきた(Ito Shichiji 2023、江崎道朗・山内智恵子 2022、196-214、有馬哲夫他 2021、James Bamford 1982、9-10)。

しかし、依然として脆弱だ。ほぼ意のままにスパイされる国である日本は、スパイ行為を禁止する単純な法律を可決することもできない。

もちろん、それは、日本に対して最も無差別にスパイ行為を行っているワシントンに大きな迷惑をかけることになるからだ(小谷健 2024、春名幹男 2000b、380-406、春名幹男 2000a、169-214)。

また、この士気をくじくような状況は、意図したとおり、独立の考えが行動につながる前にそれを阻止してしまう(Nakanashi Satoshi 2020、131-140)。

アメリカ合衆国は情報統制を通じて帝国となり、日本も 1945年に同じ手段でその帝国の一部となった(James Bamford 1982, 17、Jay Feldman 2011, 249-251、Edward S. Herman and Noam Chomsky 1988、Walter Lippmann 1922、しんぶん赤旗 2006)。

ワシントンの帝国日本にとって、今日残っているのは忠実な売国奴、日本国民の利益に反するワシントンへの協力だけだ(吉田敏弘 2016, 18-34)。

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ここまでです。

まあ… 2020年からの日本を生きてきた私たちには、本当に「今でも続いている」ことはわかります。

これからも続くのかどうかはわからないですが、普通に考えれば続くでしょう。

これに関して、最も悪いのは何かあるいは誰かというのは、「受け入れているほう」だと正直思います。メディア全体を支配している耐えがたいレベルの娯楽や「従属」、なにかが起きれば、すぐに感情的に批判が始まる短絡的な国民性が形成され、肝心なことには無思考…。

日本人は、被支配層としては十分に熟成し存在だとは思います。

まあ、実際には、80年前からあまり変わっていないのかもしれないですが。2020年以来、何度か戦前の映画監督である伊丹万作さんの『戦争責任者の問題』(1946年8月)という寄稿文を取り上げたことがありますけれど、それほどは変わっていない。

比較的最近では、以下のような記事に載せています。

(記事「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」…In Deep 2023年8月24日

ともかく、私たち日本人の周囲では、日々だまされ続けというシステムが常に働いているということになりそうです。


2024年9月17日火曜日

3553「神さまの作った仕組み」2024.9.17

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月06日の記事を紹介します。


「神さまの作った仕組み」


私たち生きている人間にとって、

・美味しいもの食べたり

・高級な洋服を着たり

・外車に乗ったり

・大きな家に住んだり 

・人の上に立って命令したり

・地位や名誉を得たり

・有り余るお金を得たり

それも楽しいことかもしれません。

ですが、その何万倍もの楽しいことがあります。 

それは、

誰かと一緒に笑いあえること

それと比べたら、心の喜びと比べたら、

物質的な喜びなど、たかが知れています。

そして、さらに・・・

・自分が存在することで

・自分の行いで、

・自分の言葉で

誰かが   

・元気付けられ

・喜び

・共に笑ってくれたなら

それは、何ものにも変えることができない

宝石のような、至上の喜びとなります。 

 

それが人間、生きとし生けるもの全ての生命体、

神々が創造した者たち、全ての本性だからです。

自分の存在が、誰かの喜びとなる。

これ以上の喜びはありません。

人はだれでも、

・意地悪をする人も

・陰口をたたく人も

本当は、本当の心はみんな優しい・・・

そんな人でも、

自分の心の中の良き部分、仏心を見つめられたら、

仏心が必ず顔を出します。 

きっかけは、感謝の「ありがとう」の言葉

本当は、みんな優しくしたいんです

それが人の本性だから。

・意地悪をする人、

・陰口をたたく人

のどこかに小さな小さな感謝の種を見つけ

「ありがとう」と言ってみてください。

みんな一瞬で、優しい人に戻ります。

これと同じことが,宇宙空間や、人体中の小宇宙で起こっています。

  

・全ての臓器

・器官

・メッセージ物質

・リンパ

・神経伝達物質などは

自分が自分がと自己主張することなく,

自分の個性を発揮し、自分の役割を果たすことで

全て、周囲のために調和して働き、人体全体を維持します。

私たち個人は、

みんなの幸せのために存在しています。

みんなで調和して、協力して

進化発展しています。

これが、神様が作った仕組みの根本です。 

 

大宇宙のマクロの中にも、

人体の中のミクロの中にも

同じ仕組みが、働いています。

人体の中の小宇宙

私たち人間も、

素直に、その流れに身を任せれば、

宇宙の一員として、

宇宙の進化発展に貢献する者となります。