2024年9月17日火曜日

3553「神さまの作った仕組み」2024.9.17

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月06日の記事を紹介します。


「神さまの作った仕組み」


私たち生きている人間にとって、

・美味しいもの食べたり

・高級な洋服を着たり

・外車に乗ったり

・大きな家に住んだり 

・人の上に立って命令したり

・地位や名誉を得たり

・有り余るお金を得たり

それも楽しいことかもしれません。

ですが、その何万倍もの楽しいことがあります。 

それは、

誰かと一緒に笑いあえること

それと比べたら、心の喜びと比べたら、

物質的な喜びなど、たかが知れています。

そして、さらに・・・

・自分が存在することで

・自分の行いで、

・自分の言葉で

誰かが   

・元気付けられ

・喜び

・共に笑ってくれたなら

それは、何ものにも変えることができない

宝石のような、至上の喜びとなります。 

 

それが人間、生きとし生けるもの全ての生命体、

神々が創造した者たち、全ての本性だからです。

自分の存在が、誰かの喜びとなる。

これ以上の喜びはありません。

人はだれでも、

・意地悪をする人も

・陰口をたたく人も

本当は、本当の心はみんな優しい・・・

そんな人でも、

自分の心の中の良き部分、仏心を見つめられたら、

仏心が必ず顔を出します。 

きっかけは、感謝の「ありがとう」の言葉

本当は、みんな優しくしたいんです

それが人の本性だから。

・意地悪をする人、

・陰口をたたく人

のどこかに小さな小さな感謝の種を見つけ

「ありがとう」と言ってみてください。

みんな一瞬で、優しい人に戻ります。

これと同じことが,宇宙空間や、人体中の小宇宙で起こっています。

  

・全ての臓器

・器官

・メッセージ物質

・リンパ

・神経伝達物質などは

自分が自分がと自己主張することなく,

自分の個性を発揮し、自分の役割を果たすことで

全て、周囲のために調和して働き、人体全体を維持します。

私たち個人は、

みんなの幸せのために存在しています。

みんなで調和して、協力して

進化発展しています。

これが、神様が作った仕組みの根本です。 

 

大宇宙のマクロの中にも、

人体の中のミクロの中にも

同じ仕組みが、働いています。

人体の中の小宇宙

私たち人間も、

素直に、その流れに身を任せれば、

宇宙の一員として、

宇宙の進化発展に貢献する者となります。



2024年9月16日月曜日

3552「地球に生まれる」2024.9.16

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月05日の記事を紹介します。


「地球に生まれる」


私たちの生命(魂)は、創造の源である宇宙神から別れ、様々な星雲・星ぼしを旅し、沢山の経験を積み、未知なるものだったものを、既知のものとしながら、今現在は地球に生まれています。 

地球は「制約の星」と言われ、思ったことが直ぐには実現しないし、 

・肉体的な制約、

・空間的な制約、

・時間的な制約 

など様々な制約に囲まれていますが、その分、他の星では経験できないような、

濃密な経験をすることができるのだそうです。 

何より肉体をまとうことで、感情を味わうことができます。

魂だけの状態では「感情」の概念さえありません。

また高度に進化した地球外知的生命体には、感情を捨てた種族も存在するそうです(クラリオン星など)。 

 

数十億年後に予測されている天の川銀河とアンドロメダ銀河の衝突

  

そしてもう一つ大きな特徴が、地球には多種多様な銀河から、様々な生命体が集まって来ているのだそうです。 

まさに玉石混合状態ですから、価値観も様々です。 

私たちは、とかく、少しでも自分と異なる価値観を持った人に対し、

無意識の内に苦手意識が生じ、心にバリアを張ってしまいます。

まだ魂の経験が少ない場合には、 

・無視し

・悪口、陰口を言い

・攻撃してしまいます。 

それも無意識の内に行われます。  

悪気はないのです。 

ですが、「地球とは、そのような環境である」と知った上で、

神さまから肉体を授けて頂き、経験を積んでいるのですから、

仲良くとまではいかなくとも、せめて、無視せずに、相手の価値観、物の考え方も許し、

「そのままでも、いいんだよ」と、心の中で言って差し上げたいものですね。 

宇宙では、良いも悪いもないし、全ては受け入れられています。 

ただ自分と波長が合うか、合わないか。その違いしかありません。 

  

さて、地球のそのような環境を知った上で、私たちは、ある目的を持って生まれてきました。 

その目的は、人 様々です。

そして生きている間は、その目的を知ることができません。 

日々の暮らしの中で、起こってくる様々な出来事、人との出会いと、別れ・・ 

そのような人生のうねりと流れの中で、自然と、生まれて来た目的の方向に流されて、 

あえて言うならば、「やらされる羽目」になったことが、自分の生まれて来た目的に、

自然となっていることが、ほとんどであるようです。 

常に見守ってくださるご先祖などの存在が、私たちの人生のタイムラインの要所要所に

次へとつながる出来事を置いてくださっているからです。 

ですが、その流れを強力に阻害するものがあります。 

それは、自分の魂の意思と、自分の肉体に付随する意思が一致しない時です。 

それは、「自分で、自分が嫌い」な時によく起こります。 

ここで小林正観さんのお話をご紹介します。 

<転載開始> 転載元

 

昔は人生相談をたくさん受けていました。

その中には「毎日がむなしい」という方がいました。

仕事で言うと、 

・毎日がむなしい

・同じことの繰り返しで楽しくない

・やめようと思う

との内容が多いのですが、私はそういうとき、この質問をしてきました。

「あなたは 自分で自分のこと が好きですか」

多くの人は、まずびっくりします。

そして考えます。 

多くの場合、「私は私が嫌いです」との答えです。

「どうしたら自分で自分を好きになるんでしょう」 

実はそこにこそ、日常生活のなかの、むなしさと縁を切る方法があるのです。 

結論的には、馬鹿なことをたくさんすること。 

「馬鹿なこと」というのは

(金銭的・経済的に)全く、あるいはほとんどプラスにならないこと、です。 

たとえば、会社に30分早く行く。 

そのときに自分のお金でバラを1本買って飾る。 

  

人の机でなく、自分の机でいいのです。

自分のために自分のお金で机に花を飾るわけ。 

あるいは、廊下に落ちている紙くずを、歩くついでに拾い、近くのくずかごまで持っていって捨てる。 

トイレ掃除も有効です。 

こういう提案をすると、必ずこういう言葉が帰ってきます。 

「花は会社の費用で買うことになっており、私が買っていかなくてもちゃんと飾られてます」 

「廊下やトイレの掃除は掃除のおばさんがやることになっています」 

その答えをしているうちは、自分で自分を好きになることはまずないでしょう。 

「一銭にもならないことをどれだけできるか、するか」が、自分で自分を好きになるポイント。 

馬鹿なこと、一銭にもならないこと、誰からも評価されないことを一生懸命やってみてください。 

そいう馬鹿なことをしている自分が、いつの間にかとてもかわいらしく、いとおしく、思えてきます。 

「自分で自分を好き」になってきます。 

「馬鹿な奴だ」と思いながら、でも自分の心に温かいものを感じるはず。 

「自分で自分を嫌い」なら、それは「仕事」の問題ではなく、あなたの生き方の問題です。 

「嫌い」な自分をどこに連れていっても、

どこに勤めさせても、どんな職業を選んでも、「むなしい」だけです。 

仕事の内容や待遇の問題ではありません。 

一銭にもならないことや馬鹿なことを、たくさんするのはいいのですが、

「自己満足」の心も50%は必要です。

自分の生活を犠牲にしてまで「人のために尽くす」のは勧められません。 

・人のためにする

・人に喜んでもらう

が50%、そして

・それで自分も楽しく嬉しい

50%というのが、最も健康で、長続きするような気がします。

70対30だと辛くて自己嫌悪ですし、

30対70だと自分中心のエゴイストに思えて、またまた自己嫌悪です。 

もちろん、自分の心のありようが変わると、 

人が「どうしてあんなに人のために自分を犠牲にするんだろう」と思っても、

自分は満足で楽しく、幸せに思いつつ生きることができます。 

「人のために」しているのではなく、 

・自分が楽しいから

・幸せだから

・嬉しいから 

したい、と思えるようになるのです。

<転載終了>

  

自分で自分のことが好きになること。 

その事が、自分の魂に正直になり、魂と精神と、肉体を一直線に整列させてくれる、

非常に有効な方法です。 

私も、昔は自分のことがあまり好きではありませんでした。 

でも、肉体的なハンデを背負ったり、経済的に追い詰められたり、 

様々な試練、逆境、理不尽とも思える環境にさらされて

・神々の意思、

・人間の魂、

・お陰さま、

・お互いさまの心

・人々の中の自分

・生かされている命 

そのようなことに考えが、少しだけ及ぶようになりました。 

そうしたらですね、社会的な成功者とは程遠いし、地位や名誉もないのに・・ 

自分のことが許せて、少し好きになってきました。 

皆さんも、ご自分を許し、好きになれるとよいですね。

 

2024年9月15日日曜日

3551「地獄に住む人」2024.9.15

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月04日の記事を紹介します。


「地獄に住む人」


今日は以前に書いた記事ですが、占星術の大家マドモアゼル愛さんのお話をご紹介します。 

そのお話の内容は、空海の「即身成仏」の内容を、切り口を変えて、分かりやすく説明してくださっています。 

少し過激な単語を使われていらっしゃいますので、なじみのある単語に置き換えて、ご紹介します。 

<引用開始> 引用元

  

人は死んでから地獄に行くのでしょうか? 

違うと思います。 

人は生きている時にすでに地獄に行くのです。 

もちろん、すべての人がそうではありませんが、生きている時に、既に地獄に住んでいなければ、死んでも地獄にはいかないはずです。

天国も同じでしょう。 

生きている時が天国でなければ、死んでも天国に行けるわけではありません。

これはすべてに共通した法則です。 

今幸福でない人が未来に幸福になることはできません。 

将来幸福になりたいと願うのは人情ですが、法則的には今幸福でない限り、

未来も幸福ではないのです。 

要するに今と未来の関係です。

未来を作るのは今ですから、今が変わらなければ物事は永遠に変わりません。 

人が不幸のどん底にいたとしましょう。

不幸だ不幸だと思っている状態が長期不幸です。

普通は相当な不幸が襲っても、時には気分が変わったり、感情が変化したり、

考えが変わることがあります。 

それなのに、

・変化を拒否して、かたくなに気分を変えない、、、

・かたくなに考えを変えない、、、

・かたくなに感情を変えない、、、、 

これが不幸が続く原因です。

恨みや怒りを変えない、、、、

何があってもそれを維持し続ける、、、 

それが地獄に住むということです。

人は生きていながら、こうして地獄の世界に、足を踏み入れていくわけです。

何でこんな話しをまだ夏でもないのに始めるかと言うと、けっこう地獄に住んでいる人が多いことに気づいたからです。

 

何かにこだわり、それをかたくなに変えようとしないまま生きている人は、

少なからず地獄の状態になっています。 

そして生きる現場のリアリティよりも、現実と異なる幻想の思いこみのウエイトの方が重いとき、私たちは段々と地獄に住むようになります。 

この世は変化こそが取りえであり、変化が大きい恵まれた世界です。

この世に理不尽なことが多すぎるのは困りものかもしれませんが、その分、色々な変化のチャンスに恵まれた、可能性に満ちた世界なのです。 

本当は悪いことも良いことも含めた変化こそが私たちの世界からのプレゼントであり宝物です。

・天候の変化、

・四季の変化、

・環境の変化、

・人間関係の変化、

・訪れる事柄の変化、

・肉体の変化、

・感情の変化、

・考えの変化、

・意識の変化 

など、様々な変化に充ち溢れています。

そして変化を受け入れることで過去を流し去っていきます。 

変化を受け入れさえすれば、過去が人を苦しめることは基本的になくなります。

また変化があれば、必ずそこにはエネルギー現象がありますので、変化=エネルギーとなるわけです。

生きながら地獄に住む人は、エネルギーが少ないのです。 

地獄に住む人は変化にエネルギーがあるなどとは認めず、

物にしか、また過去への思いにしかエネルギーがないと思っています。

地獄に住む人の考えは、凄く現実的なんです。

だから死んでもこの世に関わるのです。 

現実的だからです。

物や過去が好きなんです。 

 

私もお墓に停めておいた車が、わずか30分後に戻ったとき、

ラジオも聞こえない程バッテリーが完全に上がってしまったことがあります。 

肉体を持たないお化けにやられたのでしょう。

お化けはエネルギーを欲しがるので、バッテリーはごちそうだったのかもしれません。

地獄に住む人は変化を拒否しているので、慢性的にエネルギー不足に陥っています。

ですので、外界からエネルギーを得ることを考えた結果、電気を好んだり、人からエネルギーを奪おうとするのかもしれません。 

一緒にいるとやけに疲れる、エネルギーを奪われる、、、という経験は誰にでもあると思いますが、それはその相手が変化を認めない人の場合に多いはずです。 

相手ばかりでなく、こちらも変化を認めなければ、お互いで地獄合戦になりますので、 

恨みや怒りが増幅します。 

変化を認めず、双方が変化なしで物事を解決しようとする時、

私たちは地獄合戦の、恨みあいに入っていくのです。

どちらの我を通すのではなく、お互いに変化することで問題解決に導くことが、エネルギーワークとなりますので、そうすれば物事は必ず発展します。

取り決めだけの、事務的やりくりで、平成は30年やってきましたので、エネルギーを失っているわけです。

おそらく令和の時代は、変化にとんだ時代になるでしょう。 

私たちの生き方も、変化を受け入れることで、自ら変化に身を置くことで、エネルギーを得ることを考えたいと思います。

・四季を愛でる、、、

・一日の自然現象の変化に喜びを見出す、、、

・季節の食べ物の変化を味わう、、、 

地球は変化によって、エネルギー現象を起こしていますので、それを見たり味わうことが、文化として定着してきたわけです。

生きながら地獄に住む人には、四季も、夕日の美しさも、鳥のさえずりもありません。 

ただ自身の思いの世界があるだけ。 

変化したら自分がいなくなることを恐れているのでしょうか。 

いなくなれば大きな世界に入るわけで、肉体が無くなる変化を最終的には人は受け入れるわけです。(生きながら地獄に住んでいた人は、それを拒否します)

生れたら死ぬのはセットです。 

死の変化を受け入れることが、永遠の世界の入り口に私たちを導いてくれるわけですが、

せめて生きている間にも、変化多き人生を歩み、地獄的な生き方から自由でいたいものです。

変化多き人生とは、何も激動の人生であるというのとは違います。 

変化を受け入れる姿勢で生きることです。

変化を楽しめるということです。

変化がエネルギーであることを認めず、物にエネルギーがあるとする今の科学の限界を、

私たちの心だけでも越えて行かねばならない時代に来ている気がします。 

<引用終了>

   

この地球は行動の星と呼ばれています。 

自分自身で、一歩踏み出すことで、様々な波紋が、宇宙に解き放たれます。 

そして、その波長をキャッチした、共振した人が、必ず現れ、発信者である、私の人生に変化がもたらされます。 

運命は人が運んでくるとは、その事です。

・誰かがやってくれるだろう

・誰かが助けてくれるだろう

・棚からぼた餅的なことが起きるだろう

の心では、そのような依存の心では、決して運命は変わりません。

ご自分の心を、静かに見つめてみてください。 

・私は不幸だ

・私は貧困だ

・私は重い病気だ

・私に友達はいない

・周りはみんな敵だ

・みんな私の不幸を望んでいる

・私をだまそうとしている人がいる 

そんな風に、かたくなに思ってはいませんか?

そのような考えを手放さない限り、何時までも「地獄に住む人」から抜け出せないことでしょう。

何時までも、頑なに恨みを心に抱いていては、その頑なで、重い心ゆえに、肉体を去る時には、天に上ることはできないでしょう。 

そのような状態では、肉体の死後も行先は、もう決まっています。

一度、一回だけでも、一時だけでも、一切、そのような心を忘れてみませんか? 

そして、私は、もともと 

・心あたたかく

・みんなで助け合い

・お互い様と、人の個性も受け入れ

・おかげ様と、みんなに感謝して 

そして

・人をだまさず

・疑わず

・恨まず

・さげすまさず、

・不平不満を言わず

そんな風に生まれ、そして生きてきた。

そして、それはこれからも変わらず、そんな人間だったと、、、

思い直し、生きなおしてみませんか? 

嘘でもいいんです。。  

そう決心した途端、人生は180度変わり、神々も、周りの人々も、あたたかな心で受け入れてくれることでしょう。 

そして、生きながら天国に住む人に、生まれ変わることでしょう。



2024年9月14日土曜日

3550「今ここ」2024.9.14

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月03日の記事を紹介します。


「今ここ」


今日は「頼まれごとの人生」ということで

般若心経を持ち帰ってくれた、三蔵法師のお話です。 

以前書いた記事を加筆、修正してご紹介します。

人間の浅はかな思考、努力よりも、感謝の心を持って、天の動きに身を任せた方が

「生まれて来た本当の目的」にとって、はるかにゴール近くに到達できると言うお話です。 

三蔵法師と言えば、西遊記が有名ですね。

また、般若心経をインドから持ち帰り、私たちに届けてくださった方としても有名です。

小林正観さんのお話からご紹介します。

<転載開始> 転載元

 

7世紀、唐の時代、仏教典を天竺まで取りに行った玄奘三蔵(三蔵法師になる前の名前)は、

往復17年かけ、長安の都へ帰ってきました。

片道1万5千キロの距離を往復17年、行きに15年半、帰りに1年半かかったそうです。

帰りは1年半で帰ってきたのに、なぜ、行きは15年半もかかったのか?

それは、各国の王様の滞在要請を、玄奘がすべて受け入れたからです。

・ここで3ヶ月いてください

・半年いてください 

と頼まれた玄奘は、 「はい。わかりました」と言って、 

その王国の家臣団、武士達に仏法を説いていたのです。

玄奘の立場からすれば、

天竺にありがたいお経を取りに行く、

という大きな目的があって、旅を始めたわけですから、 

いくら王達に頼まれても 「私には使命があるのだから、

あなた方の要求には応えられません」 と断ることもできそうですよね?

でも玄奘は断らなかった。

今、目の前にいる人が、1番大事だという事がわかっていたからです。

「仏法を説いてくれ」と言われて、ここで説かなければ、 

“私”が存在する意味がないのではないか。

仏教典を取りに行くというのは、あくまで自分が決めたこと。

旅の途中で、“私”に対して「仏教を説いてくれ」と希望している人が目の前にいる。

その要望に応えないで、何のために私は仏教典を取りにいくというのだろうか。

当時は疫病が流行っていましたから、3ヶ月、半年と滞在している内に、

病気で死んでしまうかもしれない。

しかし、それでもいいと思いながら、その依頼に対しては、

本当に心を込めて応えたのだと思います。

玄奘のとった行動を考えたときに、突然ぽこっと、私(正観さん)の頭の中から

ある言葉が出てきました。(天が教えてくれました)

「玄奘が一人目ではない」

玄奘は、成功した唯一の人であって、それ以前にどうも何人かの人が

天竺に仏教典を取りに行ったらしい。

考えてみればそうですね。

天竺にありがたいお経を取りに行こうとした僧侶は、何十人もいただろうし、

実行に移したと思うのです。 

しかし、その人達は、誰一人、長安の都には帰ってこなかった。

どうして誰一人帰ってこなかったのか?

それは、先を急いだからです。

王たちの依頼を断らずに旅先で、仏法を説いていたために、行きは15年半もかかって天竺に着いた玄奘が、帰りは1年半で帰ってこれたのはなぜか?

帰りもこの王達は玄奘を放ってはおかなかったからです。

ものすごい協力体制をしいて、国境毎に兵隊を出して、玄奘を擁護しながら、

次の国境まで運んでいったのです。

国境で次の国の軍隊に申し送って、その王達も馬と兵隊を提供して、次の国境まで擁護して… ということをやっていたのです。

この1万5千キロのすべての王達が、そのように玄奘を守って無事帰国させたのは、 

行きの15年半があったからです。

 

玄奘だけがチャレンジャーではなかった。

玄奘が仏教典を持ち帰り、歴史に名前を残しているのは、行く道のすべての人を

味方にすることができた唯一の人だったからです。

玄奘は、仏教に詳しいだけではなかった。 

今、目の前にいる人を大切にする人だった。

玄奘と同じようにチャレンジした僧侶たちは、自分達の崇高な理念のもとに、

目の前の人を大切にするという思想を忘れてしまっていたのかもしれません。

その結果として、帰りは自分だけの力で、砂漠を横断しなければならなかったのだと思います。

玄奘は、お釈迦様の教えが本当に非常に深い部分で分かっていた。

全ての人を大切にして生きていくということは、

自分の人生を助けてもらうということでもあるのです。

皆さんも自分の人生になぞらえて置き換えてみたらどうでしょう。

私達は、自分の力だけで歩いているのではないですよね。

出会う人、巡り会う人、すべての人の力をいただいて、人生を歩いていきます。

人に会うたびに、今できることに全力を傾けて、その人を最も大事な人と思って接していけば、たとえ、今日その人が死んでしまっても受け入れられるものです。

この瞬間に目の前にいる人に

自分の思いを注ぐということをやり始めると、 

過去為したことについて、後悔するという気持ちはなくなっていくでしょう。

過去でも、未来でもなく、「今」の自分に出来ることを…

今、自分の目の前にいる人のお役に立てるように、ただやり続けるだけ・・・

<転載終了>

 

考えさせられる内容です。

私たちはとかく合理性を考えたり、優先度を考えて、物事に優劣をつけがちですが、 

ブッダは、

「そんなことを考えずとも、 

・今目の前に居る人を大切にし、

・目の前に起こったことに対し、 

誠意をもって接すれば良いですよ」と仰っているのです。

だから、私たちの限られた浅はかな知恵で、これはとっても大切なことなのに、

後回しにしてもよいのだろうか?

などと心配しなくても、神様が最適な順序で、人を運んできて下さり、ものを目の前に運んできてくださっているのだから、その時、目の前にあることに集中するだけで良い・・と言うことです。

この真理を三蔵法師は知っていたからこそ、唯一天竺からも戻ってくることができたのです。

そして沢山の味方を得ることができました。

この知恵を知らず、頭でっかちで、○○せねばならない・・

目の前のくだらなく見えることよりも、私には使命がある・・

わたしには、ムリ・・

そう思った人たちは、ことごとく失敗し、命を落としたのでしょう。

これは私たちの日常生活にも当てはまります。

私たちにとって大切なのは、

・今、目の前に居る人

・今、目の前で起こっていること

決して過去の出来事を悔んだり、

未来に起こるだろうことを取り越し苦労することではありません。

仕事でもそうです。

・目の前に来たものから、

・人が運んでくださったこと、

・人からの頼まれごとを

・丁寧に、嫌がらず笑顔で引き受けていく・・

決して経済合理性からくる優先度で動くものではないということです。 

神様が万端の準備を行って、人を介して、その出来事を運んでくださったからです。 

頭の良い人たちは、こちらが大切な仕事、あちらは何時でも良い仕事と区別するかもしれませんが、神様の視点から見れば、それは少し傲慢に映るのではないかと思います。

 

神様は、私たちに直観と言う形で知らせをくれることがありますが、その多くは、人の口や、態度、行動を介して、神様の恵みの言葉を下さることが多いようです。

ですから、私たちに投げかけられた言葉は、

・あんな人の言葉だから

・悪口や忠告など聞きたくない

・面倒くさいから

・どうせムリだから

ではなく、どんな言葉も、一旦受け取って考えてみたいものです。

このことこそ、マザーテレサが言った次の言葉の本当の意味です。

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず、 

結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。

あなたと他の人の間のことであったことは、一度もなかったのです。

私たちが触れ合う人々を通じ、神様は私たちを導いて下さると言うことです。

マザーは、人生において、それが、全てであるとおっしゃっているのです。

今、目の前に居る人はどんな方ですか?

・旦那様ですか?

・奥様ですか?

・お子さんですか?

・会社の人ですか?

・友達ですか?

その方々の言葉に耳を傾けていらっしゃいますか?

真心を尽くし、優しく接していらっしゃいますか? 

思いやりを持って、接していますか?

その事こそが、私たちにとって一番大切なことです。 

それさえできれば、他のことは全て後からついてきます。 

全てがうまくいきます。 

いま目の前に居らっしゃる方に、どうぞ優しく、真心をこめて接してください。 

そしてその事を通じ、幸せと喜びを共に分かち合ってください。

人生において、それ以上に大切なことは無いのですから。


2024年9月13日金曜日

3549「マシュー君のメッセージ」2024.9.13

 今回は「玄のリモ農園ダイアリー」さんの2024年9月4日の記事を紹介します。


「マシュー君のメッセージ(213)」




玄のリモ農園ダイアリー (moritagen.blogspot.com)


長年のライトワーカー、イルミナティの後退、Gネサラと聖ジャーマイン、ロックフェラー分派、ETイベント:疑問、事実、クリティカルマス理論、選択・反対・波動エネルギー、テレパシー交信、人間・動物・植物


マシューです。この宇宙ステーションにいるすべての魂から心からのご挨拶をします。今年最後の四半期の地球での動きは、あなたたちの世界を再構築するための基礎工事になります。また、それは良いスタートを切っています!地球の潜在的可能性のエネルギー場での活動は、地上で起きていることを反映しています。そして、波乱の中で、光りに輝く付着(アタッチメント)を持つストリーマー(エネルギーの流れ)は、止められない勢いになり、その数を増やしています。


「私は50年以上ライトワーカーをしてきました。疲れたので、もうバトンを渡してもいいと思います。」 


僕たちは、この愛する魂と、ガイアの人々と他のすべての生命体を助けて過去半世紀を過ごした他のすべての人たちに対する、他の光の存在たちの同様の感謝の言葉に、敬意と賞賛と感謝を加えたいと思います。

最初のボランティアとして転生してきたこれらのライトワーカーたちには、外部からの光源がなかったのですが、見知らぬ土地でよそ者のように感じていた人々でさえ、自分たちがある目的のために来ていることを直観的に理解していました。その後、僕たちや他の光のメッセンジャーたちから、彼らは、地球で眠っている魂たちが目覚め、自分たちの世界を変える力があることに気づくために必要な、愛と光のエネルギーの自然な防波堤であることを学びました。そして、他の誰が同じ目的で来ているのか知る由もなく、困難に直面し、絶望と苦悩の時を耐え忍びながら、ボランティアの一人ひとりは、揺るぎない光を放ち続けたのです。

地球が闇から解放されるアカシックの物語では、彼らの勇敢な旅は、ガイアを故郷へと導く道を切り開く手助けをしてくれたすべての魂に対するガイアの深い感謝の気持ちが一緒に添えられています。

愛する兄弟姉妹たち、あなたたちがヘルパーの第一陣の一人であろうと、その後継者の一人であろうと、あなたたちはすべての光の存在たちから称えられ、感謝され、愛されています。あらゆる場所で起こることは、あらゆる場所で起こる他のすべてに影響を及ぼします。したがって、地球の僕たちの宇宙家族に対するあなたたちの貢献は、この宇宙全体の生命に恩恵をもたらしているのです。


「なぜ光の勢力の活動はすべて “舞台裏” でなければならないのですか?私たちの光が本当に良いことをしているのだと感じられるような進展を見たいのです。」 


その気持ちはよくわかります。僕たちは、文明社会が自分たちの世界について気に入らないことを変えるのを助けるために第3密度に住んでいると、同じことを経験します。あなたたちの多くは、長い間、そして中には非常に長い間、ひたすら忍耐強く耐えてきました。

この闇を排除する最後の段階で進行中の交渉や光の勢力の活動について話すことはできません。しかし、旧体制の外でビジネスを行う国の数が増えて、イルミナティの潤沢な利益を削り取っていることをお伝えすることはできます。国際商取引の動向や その他の最近の失敗が、イルミナティ上層部メンバーの離反を引き起こしています。

G/NESARA(Gネサラ法)によって大きな変化が起ころうとしています。Gはグローバル(世界的)を意味し、新しい世界経済システムを導入するための法的基盤を提供する米国法の範囲をより正確に表現しています。銀行と商業の歴史上初めて、これらの産業は安定した誠実な基盤の上に機能するようになり、ついにすべての人々とすべての国にとって金融の世界が公平になるでしょう。

国家経済安全保障改革法(世界変革の青写真にほかならないネサラ法)の主要な立案者である聖ジェルマインが、なぜアメリカ合衆国でそのような法律を制定しようとしたのか、不思議に思ったことはありませんか?

彼は、イルミナティのロックフェラー一派が同国の西海岸を越えて広がり、中東でロスチャイルド一派とぶつかっても西進を続けるのを目のあたりにしました。 彼らはワシントンDCからその広大な土地を支配し、そこで彼らの先祖が2世紀以上前にこっそりと合衆国株式会社を設立して以来、文字通りすべての大統領政権を支配してきました。彼らはウォール街からすべての株式市場を操作し、世界中に触手を伸ばしている私有の連邦準備制度を通じて、不当な金利を設定しています。

この法律(Gネサラ法)は、悪意に満ちた世界帝国を合法的に解体するものです。 また、各州の法人格を廃止し、合衆国の建国者たちが憲法で定めた共和制の統治形態を導入するものです。

愛する魂たち、目前に迫っている好ましい変化が世界中に響き始めるとき、皆さんの忍耐は絶対報われるでしょう!


「“オルタナティブ・ニュース”で、近々起こると予測されているビッグなE.T.イベントについての話題が飛び交っています。」


この長文のメールの続きは、簡単に言うとこうです: それは“良い”ETですか、“悪い”ETですか、それともディープステートの恐怖戦術なのですか?僕たちはその情報の出所も、それがどのような出来事を指しているのかも知りません。ですから分かっていることをお伝えします。

数年前、光の勢力のエンジニアたちは、あらゆる低波動エネルギー域のものの侵入を防ぐため、地球の周囲に強力な光のグリッドを張り巡らせました。邪悪な意図を持つ集団は低い波動エネルギーを発し、グリッドに近づくことさえできません。人間、爬虫類、ハイブリッドなど、人々の中にいる闇の存在たちは、地球上で長い歴史をもつ祖先を持っています。

過去10年か20年の間、UFOが時々目撃されています、いつも何事もなく目撃されているので、ほとんどの人は不安に思っていません・・宇宙船は友好的な宇宙文明社会から来ているものだと論理的に考えています。実際、UFOは宇宙の多くの善意ある文明社会から飛来しており、何千もの宇宙船が地球を取り囲んでいるのです。乗組員と群衆の安全が確保されれば、何隻かは着陸するでしょう。その時期は、神が艦隊司令官に告げるでしょう。

エイリアンの侵略を偽装することは、1950年代にリトルグレイが到着して以来、イルミナティの戦略の一つとなっています。それ以来、彼らは第三密度次元に閉じ込められ、祖国に帰れなくなったため、トンネルで暮らしています。数年前、彼らがET侵略ねつ造計画への参加を拒否したとき、イルミナティはプランBを思いつきました。ホログラフィックで侵略者を作り出すのです。 今は弱体化した彼らにそれができるかどうかは疑わしいですが、彼らは必死であり、挑戦する意思のある技術的専門知識を持つ手下がまだいるかもしれません。もしそうなったとしても、ETの乗組員は彼らの試みをめくるめくスペクタクルに変えてしまうでしょう。


「マシューは、私たちがいつ臨界値(クリティカル・マス)に達してアセンションするのか知っているのでしょうか?」


 144,000人の目覚めた魂が、肉体的にアセンションしてイエスと神と共に永遠に生きるための臨界値に達するというのは、ある方面では信じられていることです。

生きている間にそうなると信じていた人の中には、ニルヴァーナに入り深く失望し、肉体が死んで臨界点が宗教的理論に過ぎないことを受け入れるよりも、眠ることを選んだ人もいます。他の信者は、今より前にアセンションすると期待していたために落胆し、また他の信者は、あと数人の魂が目覚めたら、全員が素晴らしい天国で永遠に生きるだろうと楽観しています。

地球がアセンションするための基盤は、地球上に持続する光の量です。遠くの宇宙文明社会から注ぎ込まれ、ライトワーカーたちによって絶え間なく放射される光は、地球が高次のアストラル領域に向かう着実なコースを、高次の第5密度の目的地に到達するまで続けることを保証しています。その溢れるような豊かな光はまた、何百万もの目覚めた魂が、スピリチュアルと意識レベルでの意識を成長させることによって進化する、個人的なアセンションの道を歩み始めるのを助けているのです。

いくつかの聖典に関する解釈は、宇宙の現実から著しく逸脱しています。例えば、禁断の木から実を食べるようイブを誘惑した蛇は、一部の宗教学者によっては、神の正反対の存在である悪魔やサタンを表していると考えられています。悪魔やサタンなど存在しませんし、神の反対の存在もありません。

同様に、闇は光の反対ではなく、光の不在であり、憎しみは愛の反対ではなく、愛の不在で す。宇宙意識であり、宇宙で最も強力なエネルギーである愛・光だけが存在します。創造主/創造はそのエネルギーの唯一の源であり、そのエネルギーは何ものをも生み出し、永遠に生み出す唯一の “物質 ”なのです。

創造主はすべての魂に、そのエネルギーで何をしたいかを選択する自由を与えました。優しさと残酷さ、助けることと傷つけること、名誉を重んじることと欺くこと、善と悪など、相反するものが存在する中での選択であり、それらを相反するものにしているのは、その波動エネルギーの違いです。

無限の電磁波帯域幅に沿った高い周波数から低い周波数まで、波動エネルギーはあらゆる考え、言葉、行動、状況、喜び、痛み、慰め、悲しみのあらゆる感覚、存在するものすべてから生み出されています。思考や行為におけるすべての神的表現は高い波動エネルギー域にあり、その反対は低い波動エネルギー域にあります。そして究極の対立は、古代に始まった光と闇の宇宙規模の戦いです。地球上では、光の勢力が闇を打ち負かし、その戦いに終止符を打っています。

さて、前回のメッセージではテレパシー交信の重要な側面について話しませんでしたが、それを抜きにしても、そのメッセージがいつもよりかなり長くなってしまったからです。テレパシーで会話するのは人間だけの特権ではありません・・その能力はすべての魂に生まれつき備わっており、すべての動物や植物は、さまざまな意識レベルを持つ魂です。鉱物界は “生きている ”わけではないですが、水晶や岩石には意識とコミュニケーション能力があり、生命に不可欠な要素である水、空気、火、土にもあります。

神、ガイア、ソルが現在の地球と呼ばれる惑星テラを共同で創造したとき、テレパシーによるコミュニケーションは、テラの動物、植物、鉱物の王国全体で自然に行われていました。すべての魂と元素は、“万物”の相互関係の中でその重要性を知っており、テラのあらゆる側面が共生的な友情の中で繁栄していました。そのとき、この惑星全体がエデンの園となったのです。食物連鎖の中で人間と動物たちは、魂のレベルで合意しました。後者が人間の人口に栄養を提供する代わりに、彼らは生涯に渡って養われ、死は慈悲深いものとなりました。

その平和で理想的な世界に闇が入り込むと、闇の勢力の操り人形たちが一部の動物種に凶暴性を植え付け、人類には互いに、そして動物たちに対して残酷であれ、という欲望を植え付けました。人類が合意を裏切り、地球のすべての動物種を残酷に扱ったことが、深刻な光の喪失に大きく影響し、100年も前に地球は死の淵に立たされたのです。ガイアは助けを求めて叫び、多くの先進宇宙文明社会がそれに応え、強烈な光を送ることで、ガイアの惑星体とその陸と海の住人たちを生き長らえさせたのです。

今、地球上にあふれる光が、人間と動物たちの調和した関係を回復するのに役立っています。 “野生”の動物たちが信頼を示し、種を超えた友好と親切が花開き、動物たちの暮らしと生息地を守る個人の数が増えていることは、頼もしいことです。愛する魂、あなたたちの光への支持と確固たる姿勢が、個人と人類の魂の進化の最も重要な部分であり、このような心温まる進展を促してきたのです。


この宇宙にいるすべての光の存在たちが、あなたたちに声援を送り、無条件の愛のパワーでサポートを送っています。

                _________________________

愛と平和を


スザンヌ・ワード著 原文:Matthew’s Messages

訳文責:森田玄


2024年9月12日木曜日

3548「地球の最も大切なルール」2024.9.12

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月02日の記事を紹介します。


「地球の最も大切なルール」


今日も、真の幸せになるための王道、心の浄化について書きたいと思います。 

以前掲載した記事ですが、

今必要とされる方がいらっしゃるようですので、加筆して掲載します。 

この方法で、実際に実践されてお幸せになられた方からも

多くのお礼のメッセージや近況を頂いています。 

私たちは

・何処かの霊的な力が凄いと自慢する他人や

・目に見えない不思議な世界

・ご利益があるという有名な神社や神様に頼らなくとも、 

ご自分の心を浄化をすることで、

自分の足でしっかりと、置かれた場所に立ち、人生を実り多いものとし、 

更に宇宙の根源神に直接つながることができます。 

その方法を書きたいと思います。 

自分では何もせず、何とかしてくれるだろうと期待だけを膨らませ、

丸投げで、まるっきり他者に依存していては、

自分の魂の自立はおろか、輝かすこともできないからです。 

神様は、「自ら助くるものを助く」です。 

  

さて今日は神様(山幸彦)の意識のまま生まれて来た小学生のトキ君のお話です。

トキ君の魂の母は、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)

父は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)

そして奥さんは 海神の娘豊玉毘売命(トヨタマヒメノミコト)です。 

トキ君は、小学生ではありますが、日々神々と交信するとともに、

夜の就寝中は天界に戻ってお仕事をしているそうです。 

その仕事は主に地獄、天国、人間界に渡る、魂の生まれ変わりの管理です。 

また地上界では 

・お祓い

・縁結び

なのだそうです。 

人間としては、まだ子供なので、話の語嚢(ごのう)は少ないのですが、 

宇宙の本質を突いたことを話します。 

その内容は、このブログで書いていることと、非常に共通することも多く、 

今日は、読んでくださる皆さんの幸せにダイレクトに繋がる内容を書きたいと思います。

神さまは、馬鹿みたいに素直な人が好きです。 

もしこれを信じてくださるなら、是非、馬鹿の一つ覚えのように実行してみてください。 

  

私は経験から、この内容が真実であると知っています。 

人の幸せを願うと、幸せになれる

地球のルールで最も大切な事 

1000倍返しのルール

なんでも1000倍になって帰ってくるルール

この宇宙で一番強いのは、 

優しさ・愛

・人の幸せを願うこと

・嫌いな人の幸せを願うこと

自分の口から出た言葉が1000倍になって帰ってくる

今の自分の状態は、過去の自分の口から出た言葉が現実化しているだけ。

・目の前の問題

・目の前の人間関係

これを1つの壁だと思ってください

そこに自分から1つボール(言葉)を投げたら

それが1000個のボールとして自分に帰ってきます。

毎日「ありがとう」というと、「ありがとう」が1000倍になって帰ってきます。

「ありがとう」という言葉は、地球で願いを叶える大切なカギ。

※他人から「ありがとう」を頂くほど、物理的に豊かになっていきます。

 

そして、「ありがとう」を更に超えた言葉こそ 

「幸せになれ」

・自分を傷つける人

・自分に嫌な思いをさせる人

「あームカつく。何でそんなひどいことを言うの?」

と思った後、

「幸せになれ!」

と怒りのままで良いので、叫んでみてください。

(ここで、面白いのが 

本当に心の中で「幸せになれ」と思っていなくてもいいんです)

 


口に出して言ってしまえば・・・

1000倍! 幸せが返ってきます。

これが地球のルールです。

このルールを知ってしまったらもう悪い言葉は言えなくなります。

1000個、帰ってきて欲しいことしか、言えなくなります。

もしこのことを信じてくださるなら、

これを馬鹿のようにやってみてください。

神さまは馬鹿正直な人間が大好きです。

皆さんは目の前の壁に、どんなボールを投げますか?

全てを世の中や、他人のせいにする 

うらみ、つらみ、憎しみの言葉ですか?

それとも「幸せになれ!」ですか?




2024年9月11日水曜日

3547「神々の厳しさと優しさ」 2024.9.11

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月01日の記事を紹介します。


「神々の厳しさと優しさ 」


さて今日のテーマです。

日本では古くから降神の儀式がありました。 

この降神は、日本では古くは「手乞い」と呼ばれ

巫女さんに神様が来られた時の徴(審神者)として使われたようです。

古事記(国譲り)にも記載されています。

また相撲のルーツとされ、日本相撲協会のHPでも紹介されています。 

・神様に入っていただく方(中座と呼びます)と、

・神様に質問される審神者的な役割の方(前座と呼びます) 

の2名で行われることが多いようです。 

 

大相撲の神降ろしと神送り

 

このご神事は、相当なエネルギーを消耗します。

今風に言えば、 HPを大量消費します。 

ですので、長時間は行えません。

体力と、気力を奪います。 

ですので、質問される方も、

・ただの興味本位

・思い付き

・気軽な依存的な心 

であってはならないのだそうです。厳しいです。 

そんな内容に、神様は興味がありません。 

霊性の国、日本

本来は、前座の役の方が質問者の、

質問を承って、仲介役として、中座の神様に質問します。 

ですので、

中座の方は、質問者の質問を一旦ここでフィルターにかけて 

本当に神様に質問させていただいてよいものかどうかを

取捨選択する必要があるのだそうです。 

・あれしてくれ、これしてくれ

・どちらの道を選べばよい?

・病気は治るか?

・いつ死ぬか? 

などは、本来は神々に質問することではないようです。 

そして、神々は優しいです。

そして私たちの小さな悩みまで全てを知っています。 

質問者の、全ての過去世と、現状と未来世までも 

ですので、将来起こりうること全てを分かっていますが、

質問者が気に入るようなお答えはしません。 

また、質問者を絶望させるようなお答えもしません。

 

常に神々のお答えは、それこそ良寛さんの愛語のようなものです。

・人を温かくする言葉、

・明るくする言葉、

・優しい気持ちにする言葉、

・励まし続ける言葉… 

このようなことしかお答えにならないのだそうです。 

質問者の未来に、どんな状況が待っていようとも 

それが人間的には「悪い出来事」であっても

神々にとっては、その出来事を乗り越えてこそ、

その先に幸せがあることが分かっていらっしゃいますから、 

絶望させるようなことは仰いません。 

全て、その方の心に、勇気の火を灯す言葉だけをお答えくださいます。 

優しいです。

何者をも包み込む、絶対的な愛です。 

ですから本当は、わざわざ神々の前に来て相談する必要もないくらいです。

神々は言わなくとも、全てを知っており、

常に、私たちとともに居り、 

私たちの幸せのために働いてくださっているからです。 

それでも、私達、一般の凡人は日々起こる、いろいろな出来事に、

一喜一憂し、取り越し苦労をして悩み、苦しみます。

誰かにすがりたい

神様にすがりたい気持ちを持つのも当然のことです。 

ですが、本当は質問する前から、神様の答えは決まっているのです。 

私たちが判断して決めた方で良いのです。 

どんな状況が私達の身に降りかかろうと

それは、神々が、そうなることを許された出来事です。

その苦難を経験することで、私たちの魂は鍛えられ、輝きを増すことができます。

その先には、大きな幸せと喜びが待っています。 

その苦難の中で、 

・神々や関わってくださっている方々に感謝すること

・嫌な役を引き受けてくださっている方に感謝すること

・「ありがとう」の言霊を何万回繰り返すのでも構いません。

・人の嫌がる仕事を率先して引き受けることでも構いません。 

そうこうしているうちに、苦難は過ぎ去っていきます。 

穏やかな心に戻れるときが、絶対に来ます。

 

その時に振り返ってみれば、 

あの悔しかったこと

悲しかったこと

寂しかったこと 

全てが、自分の心を深く、豊かにしてくれたことに気づきます。 

どうか勇気と希望を失わないでください。 

必ず、夜は明けますから。 



2024年9月10日火曜日

3546「神さまの領域」2024.9.10

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年08月31日の記事を紹介します。


「神さまの領域」


ブログの記事の内容のせいか、読みにに来られている方の多くは、

幸せで悩みなんて一つもない・・

そういう方々ではなく、

今まさに、悩んだり、苦しんだり、悲しんだり、悔んでいらっしゃる方が多いようです。 

ですが、それは「裏返しの宇宙構造」、神さまの視点から見れば本当は、大変ラッキーで、

神さまの贈り物のうち、先に届く、

「悲しみ、苦しみ、苦労」を、今現在 頂いており、

それが過ぎれば、その次の贈り物

「幸せ、喜び、楽しみ」が、もうすぐ頂けるという状況でもあります。 

神々の恩寵は、二段構え、セットで来るからです。 

神様はお金や健康といった目に見えるものではなく、心の成長だけを見ているからです。 

私たち人間は、悩みや苦しみの中でこそ、人の心の痛み、苦しみ、悲しみを理解することができ、人々に寄り添い生きていくことができます。 

そして、深く深く、人生について、生命について神について、考えることをします。

目の見えない友達のために、できること・・・・

そのような辛く見える経験をする事で、

何もない日々の平凡の暮らしの中にこそ、幸せがあったと、気づけるからです。 

既に、必要なものは、全て、神様が準備してくださっていたことに、気づけるからです。 

人間にとって、一番大切な心

「ありがとう」、感謝の心が芽生えるからです。 

  

まだ神さまの贈り物を受け取る心の準備ができていなければ、 

決して「悲しみ、苦しみ、苦労」を、いただくことはありません。 

自分の手には負えない現実を目の前にして、お辛い気持ちもよくわかります。 

ですが、その状況の中にこそ、神々は現れてくださいます。 

どうぞ、勇気と希望をもって、進んでください。 

今日ご紹介するのは、小林正観さんが、どなたかの相談を受けたときのお話です。

就職活動や結婚についての相談や、

「末期ガンで余命3ヶ月なのですが、どうしたらいいでしょう?」

という相談を受けた正観さんは、

毎回次のような回答をされたそうです。

「今、『自分がどういう状況に置かれているのか』について 

感想を持つ必要はないし、評価評論は、いりません。

今、自分がやるべきことは、自分の目の前にいる人を大事にすることです。

やるべきことがあったら、それをやればいい。

結婚も就職も死も、今、自分の目の前にないのだから、

考えなくてよいのではありませんか。」

また正観さんは、三浦綾子さんのエッセイ『生きること思うこと』を読んで、

「そこから先は、神の領域」

という言葉に心惹かれたそうです。

「もし、ガンになった人が、『ガンと闘うぞ』と決めたとすると、

神の領域に踏み込んで、闘おうとするから、つらい。

仮にガンになって、

『3ヶ月、4ヶ月で死ぬ』と言われたら、

『そこから先は神の領域と、腹をくくる』という考え方もある。」

 

三浦綾子さんは、結核、ガン、パーキンソン病を患われたそうですが、

「これにはどういう意味があるのだろう」などと考えることはなく、

「そこから先は神の領域」という思想をお持ちだったから、

心穏やかに生きていくことができたのだと思う・・・

そう正観さんは書いておられます。

さらに正観さんは、

「『なんで私がガンになったのか』と嘆いている間は、

『死に向かって一直線に全力疾走している』 ことを覚えておいてください。

『私は悪いことはしてこなかったのに、なんで病気になったのか。

どうしてこんなひどい目に遭わなくてはいけないのか』と、

その現象を否定した瞬間に、全速力で死に向かって走り出すように思います。

なぜ、その病気になったのか。

それは、

『すべてを受け入れる (感謝する) 』ための訓練なのかもしれません。

命をかけて、その訓練をしている、と解釈することもできそうです。」

また

「すべての人が、学校教育や社会の中で

・人と闘うこと、

・人より抜きんでること、

・人と争うこと、

・人と比べること

を教わります。

 

でも、

・大病をした、

・大事故に遭った、

・災難・トラブルに巻き込まれた、

・寝たきりの親の介護を何年も続けた…

など、

普通の人が、一般的に『苦労』『大変なこと』といわれる出来事に身を置くと、

全く違う価値観で生きることができるようになります。

この人たちは、

『普通に生活できることが、どれほど幸せか』

ということを知っています。

辛い経験をしたことで、

・今のままでも、幸せである

・自分も相手も、今のままで100点である

ことに気づいたのです。

幸せとは、今、足りないものを探して、手に入れること ではなくて、

自分がすでにいただいているものに感謝し、自分が恵まれていることに気がつき、

嬉しい、楽しい、幸せ…、と生きていることだと仰います。 

皆さんは、

・不本意なこと、

・悲しいこと

・辛いこと

が起きた時に、不平不満、愚痴を口にしてはいませんか? 

あの時、ああすればよかった、こちらの方を選べばよかった、

そのように、自分ではどうしようもないことに、 

「神さまの領域」のことに対し、メソメソ悔んだり、後悔して、自分を責めてはいませんか?

ですが、今まで、ご自分で判断して、選択してきた道は無意識の内に、全部、ベストな選択をしてきたのです。

過去を振り返って、

「あぁ、あの時失敗した。 恥ずかしい」そんなことを思うことはありませんか。 

ですが、それらを超えてきたからこそ、今の自分があるのです。 

その経験が、絶対に必要だったのです。 

今の自分は、過去の自分よりも、最高・最善の自分です。 

いままで多くの経験をしてきました。

過去に自分で選んだ道・方向は無意識の内に、私たちが生まれる前に決めて来た

道を選んでいる (選ばされている) からです。 

病気や、ケガ、失業や、失恋、離婚など、全ての全てが「神さまの領域」のことです。 

私たちが、どうこうする余地は 1%もありません。 

 


そして「神さまの領域」とは、私たちを、苦しめたり、悲しませたり、付き落としたり 見放したり、そのような 冷たい領域ではありません。 

一見、辛く、悲しい道に見えて、全ての全てが、私たちの魂を光輝かせるための、温かで、無条件の愛に満ち溢れた領域です。 

きっと、それはこの世を去り、亡くなる時に、気付かれることでしょう。

今は、分らないかもしれません。

それは、ブッダが悟った「縁起の法則」が厳然と働いている領域です。 

そのような世界の中で、そのような地球で。

「神さまの領域」、神さまの意思を知る由もできない私たち人間に、できることは、 

まさに、自分の目の前にいる人を 大事にすることです。 

それこそが、このような環境に私たちを置いて下さった

神さまが、一番望んでいらっしゃること・・・ 

置かれた場所で咲きなさいと言うことです。 


2024年9月9日月曜日

3545「龍とシリウスと地球」2024.9.9

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年08月30日の記事を紹介します。


「龍とシリウスと地球」


故人ですが歌手の谷村新司さん。 

谷村さんのルーツはプレアデスなのだそうです。 

1980年に発表された「昴-すばる」

  

本人が著書の中で、

この歌がプレアデスの同胞から受けたメッセージでできたことをカミングアウトしています。 

この歌、歌詞とメロディーが一気に降りてきたのだそうです。 

最初に降りてきたのが「さらば昴よ」のフレーズ。 

昴(すばる)とはプレアデス星団のことですが、

星の象徴としては、物質的な繁栄を意味するのだそうです。 

つまり、物質文明に別れを告げる歌です。 

物質文明に続く文明と言えば、

みずがめ座の時代が象徴する、精神文明です。 

一人一人の純粋な心が大切にされる時代です。 

今まさに私たちが直面している始まったばかりの時代です。 

また歌詞の中に出てくる「蒼白き」が象徴するのが

インドのシヴァ神--創造のために破壊を行う神様です。 

1980年にこの曲が作られた時、プレアデスの知的生命体は、 

近未来の予言を谷村さんに与えたのでした。 

そして重要なのが、シリウスなのだそうです。 

シリウスは宇宙の中で「蒼白く」輝く星です。

 

シリウスAと、その伴星(シリウスB)で宇宙を運航しています。

まさに今地球が入ったシリウスの時代を表しています。 

イメージ的には、 

・プレアデス出身の方は、明るくて沢山の友達の輪を広げる人(高天原系)

・シリウス出身の方は、物静かで口数は少ないけれど、話す時は核心を付くことを仰る方(黄泉の国系) 

今日は、そのシリウスと龍にまつわる宇宙人のお話です。 

シリウスに関しては、最近ますます人々の注目度が上がっているため

様々な情報が玉石混合の状況ですが、浅川 嘉富さんのお話をご紹介します。

著書「世界に散った龍蛇族よ! この血統の下その超潜在力を結集せよ」から、

シリウスの人々が何故地球に来たのか?

そして龍達との繋がりについて、ご紹介したいと思います。

詳しい情報を知りたい方は是非、→本を読んでみて下さいませ。

<引用開始> 転載元

 

壮大な宇宙史

おおいぬ座のシリウスBの惑星に高次元的生命体(5次元に近い)

光のように輝くドルフィンに似た人間型生命体(ヒューマノイド)で、が住んでいた。

彼らが住む惑星の属していた恒星がある時期から活動が弱まり始め、

太陽としての機能が低下してきた。

(白色矮星とよばれている、恒星が長大歳月を経たあと進化の最終段階に至った) 

そのため惑星の気温がしだいに低くなり、

このままでは生活を続けることができない状態に陥ってしまった。

協議をした結果、自分たちの住む惑星に見切りをつけて、他の星に移住することになった。 

そうした経緯の中で、移り住む新しい惑星として幾つかの候補が選ばれ、

その中に地球も入っていた。

彼らは3次元的世界での学びを欲したからである。

地球に向かって派遣された先緯隊の情報では、

当時の地球は未だ彼らが移住するには適した状態ではなく、

およそ140世代を待つ必要があるとのことであった。

しかし、シリウスBの衰退がそれほど長く待てる状況ではなかったので、

建造された超巨大母船α、β、γの3機におよそ100万の生命体を乗せ、

第一陣がシリウスを離れることになった。

彼らの住む惑星には、人間型生命体の他にも彼らを守護するたくさんの龍たちが棲息していたが、そうした龍たちの多くも一緒に旅立つことになった。

彼らは、3次元の地球においても、守護的役割を果たそうとしたからである。

どうやら、現在地球に高次元的存在として棲息している龍たちの一部は、こうしてやってきたものであるようだ。

宇宙船が先ず向かったのはオリオン座。

そこには、琴座やプレアデスといった進化を遂げた多くの星々から派遣された、

銀河系の星々の進化状態を調査研究する機関があったからである。 

そこで得た新たな情報からも、地球は興味深い星であるが、

まだ移住には時期尚早であることを伝えていた。

オリオン座にある3つの星ミンタカ、アルニラム、アルニタカにも立ち寄ったものの、

いずれも自分たちが理想としている世界とは異なっていたため、

長くとどまることなく離れることにした。

その後に目指したのがプレアデス星団。 

プレアデスにはおよそ1500個の星が集まっているが、

3機の宇宙船はそのうち3つの星に分かれて滞在することになった。 

140世代をそこで過ごすためであった。

その間に彼らが学ばねばならない大事な点は、守護霊として共にシリウスを離れた龍たちとの関係をいかに保ち続けるかという点であった。

シリウスやプレアデスの4次元的世界では彼らは龍とつながることが容易にできたが、

これから先向かう地球は3次元的世界であるため。

高次元的生命体の龍たちとの個々の関係をどう保ったらよいかが大きな問題となっていたからである。

今までは当たり前のようにお互いの存在を眼で見、肌で感じていた同士であるが、一旦3次元と高次元の世界に分かれてしまったら、3次元的存在のシリウス人からは、龍の存在を確認できなくなってしまうわけであるから大変である。

 

そこで学んだのが、地球に降り立ったあとも龍との関係を維持するために、龍たちとコンタクトを取り続け、お世話をする役割を持った人々を育成することであった。

彼らには3次元的存在となっても龍の姿を眼にすることができ、龍たちと交流し続けることができるようにしておくことが必要であった。

やがて、そうした特別の役割を持った集団が一つの家系として誕生した。 

そしてその流れをくんでいるのが、ワイタハ族の中の「ルカファミリー」と呼ばれる一族であり、そのトップに立つのがファトゥクラという存在であった。

こうした準備をつづけながら140世代を過ごしたあと、いよいよ地球に向かって飛び立つ時が来た。 

プレアデスから太陽系内に入ったあと地球へと向かったが、金星に立ち寄り、しばらくその4次元世界で過ごした人達もいた。

金星は太陽系の星々の歴史や叡智、絶滅した種などを保存する博物館的な役割を持っているようであるが、途中下車した人々はこうしたものに関心を持った人々であった。

彼らもまた、時を経た後、地球にやって来ることになるのだが、

彼らは同じルカファミリーの中でも「メレ・ルカ(Mere-ruka)」と呼ばれる』存在となった。 

「メ」は金星を表し、「レ」はシリウスの衰退していく太陽であるシリウスBを表している。

つまり、「メル・ルカ」とはシリウスの滅びゆく太陽を離れ、

途中で金星に立ち寄ったルカファミリーという意味になる。

<引用終了>

 

この浅川さんの説明によれば、龍の螺旋形のエネルギーは、

シリウスにもともと住んでいた人間型生命体を守護する高次の存在だったようです。

滅びゆく、彼らが住む惑星の属していた恒星をあとにし、地球にやって来ました。

ですが、この3次元地球では、高次の守護の龍たちと、

だんだんとコンタクトを取ることが出来なくなっていったらしいのです。 

あまりに波長、つまり固有振動数に違いがあるためです。

ですが数少ない人達が、その龍の波長を感知し、周りの人々に神として伝えていったのでしょう。

私達地球に住む者も、みな元々は宇宙から地球に来た生命体です。

その中で、シリウスから来た人々が、高次の龍とつながり、

文明の進化、人間性の進化に寄与して行ったのかもしれません。 

また龍は日本始め世界各地で神格化されています。

 

奈良県の善光寺さんの秘仏「宇賀神(うがじん)」

 

龍神ナーガ(ナーギィ)

 

中国の神話~伏羲と女媧>人間を創造した神 


中央に描かれている天川弁才天

シリウスから来た時に、母船に乗ってやってきたということですから、

要するにUFOに乗ってきたのだと思われます。

私たちが神さまと、崇め祀っている存在は、

3次元より振動数の高い、高次の領域に住む地球外知的生命体のことかもしれません。 

その地球外知的生命体が、原始の時代、私たちの文明をリードし、また危機的状況の時には隠れて人類を助け、そして神社にお参りに来た沢山の方の心の声を聞き、よりよい方向に導いて行く・・・ 

そのようなことを、もしなさっているとしたら、その知的生命体は、私たち地球人よりも

はるかに文明のレベル、知的レベル、倫理レベルが高く、 

まさに神さまに近いところまで魂が進化した生命体かもしれないですね。


2024年9月8日日曜日

3544「DONT TREAD ON ME」2」2024.9.8

 前回の続き

 

――岸田総理は「宇宙最強」と言われましたが、その理由はどこにありますか?

 

G7でありながら新G8を視野に入れて、さらに連合と経団連という相反する団体を

味方につけたからです。


――「労働者」と「資本家」の両方を岸田総理は味方につけたということですね。

 

先日の長崎平和式典に岸田日本以外のG7駐日大使は全員欠席しましたよね。

表向きの理由はもちろん長崎市がイスラエルを招待しなかったからです。


――あれは衝撃的でしたね。

 

でもその直前7月29日に鈴木宗男氏が再びモスクワを訪問していましたよね。

昆布漁や灯台の修理をお願いしに行っただけなわけがあるはずがないですよね。

手ぶらで行ったのですか?

手ぶらでいくわけがあるはずがないですよね。

修学旅行じゃないのですから。


――何らかの「合意」をしに行かれたのでしょうね。

 

そしてもうひとつ。

岸田総理は9月下旬の国連総会での一般討論演説を見送りましたよね。

表向きの理由は「総裁選の投開票日と重なるため」とされています。

 

――これは何かありますね。

 

ありますよね。

長崎でG7全員欠席でも驚きますが、国連総会演説キャンセルにも驚かされますよね。


――これは一体どういうことですか?

 

つまり、「岸田日本」はもうすでにG7でもないし、国連とも距離を置いているということですかね?

「それ」は水面下で起こっているのでしょう。

 

――そこからの「南海トラフ地震臨時情報」でしたよね。

 

これまでずっと政権与党とは「清和会」のことだった。

「宏池会」は万年窓際の野党でした。

しかしそんな野党だった宏池会が政権を取ったということ。

 

――これはまたギリギリのお話しですね……

 

ソ連崩壊直前に何があったか。

社会党村山政権が誕生したら何があったか。

民主党政権が誕生したら何があったか。

 

――そして宏池会岸田政権になりましたよね。

 

だからG7は全員欠席したのか?

岸田総理も急遽カザフスタン、ウズベキスタン、

モンゴルの訪問を取りやめましたよね。

 

――それは「水面下」で起こっている?

 

壮絶を超えて凄絶だったのではないですか。

 

――で、そこから唐突に総裁選不出馬の発表でした。

 

「水面下」でのお仕事に一定の目途がついたのかな。

 

――椅子から転げ落ちて世の中ひっくり返ります。

 

それを岸田総理は普通にやってる。

表情ひとつ変えずにひたすら淡々と。

でも日本国民の多くは、岸田総理を罵り馬鹿にして降ろそうとしています。

 

――次期自民党総裁は誰になりそうですか?

 

岸田総理は

「総裁選に名乗りを上げることを考えている方もいると思う。

気兼ねなく、閣僚としての職務に支障のない範囲で、堂々と論戦を行ってほしい」って言いました。

これってどういう意味だと思いますか?

 

――なんか晴々とした雰囲気すら感じますが。

 

これはやはり水面下のお仕事に、一定レベルの目途がついたのだと私は思いますよ。

 

――「世界最終戦争」とは?

 

第二次世界大戦後、日本および世界は、中野、登戸、ハルビンを意図的に伏せて、

新しい世界秩序の枠組みを組み替えました。

一般国民に対してはそれらは見なかったこと、無かったことにして、臭いものには蓋をして知らぬ存ぜぬを貫き続けて来ました。

そしてその結果どうなったか?

その後始末ですよ。

想像以上に裾野は広い。

 

――澤野さんの他に誰も言っていませんよね?

 

誰も言ってませんね。

日本は「雛形」ではなく「鏡」(かがみ)ですから、それが徐々に表に出て来ると思います。

「鏡」は「蛇身」です。

「蛇身」は「とぐろを巻いた蛇」です。

だから蛇体、龍体列島でもあるわけです。

「精子」は蛇体。

第一チャクラ「ムーラダーラ」の奥底には蛇が三回転半とぐろを巻いて鎮座しています。

これがクンダリーニです。

「日の丸」は本当は「蛇の目」です。

お札の裏のマークも「蛇の目」です。

すべてのホログラム世界を創成し波及させる「鏡」としての日本はまさに「蛇体」です。

そんな蛇が世界を描写するスコープ(鏡)です。

だから「蛇本」(ジャポン)なのです。

「邪馬台国」をよく見てください。

「邪」は「蛇」。

「馬」は「め」と読むでしょう。

「台」は高台から見晴らすという意味。

ということは「邪馬台国」とは、

「蛇(の)目台国」ということ。

「高台から見晴らす蛇の目」ということになります。

邪馬台国の人々は全員「黥面文身」(げいめんぶんしん)でした。

つまり顔も身体も全身入れ墨です。

これは東北縄文日高見国と同じです。

じゃあ「日高見」って何でしょうか?

「日」は太陽ではなく「蛇の目」です。

もうわかりましたよね。

「日高見」とは、「高台から見晴らす蛇の目」という意味です。

じゃあ「高台から見晴らす蛇の目」って何ですか?

1ドル札の裏側を見ればわかります。

 

――すべてがひっくり返りますね!

 

アメリカが独立したのはいつですか?

 

――1776年7月4日です。

 

フリーメーソンの起源は16世紀後半から17世紀初頭ですね。

 

――はい。

 

「日の丸」を描くために必要な道具があります。

「○」を描くためにはコンパス。

「□」を描くためには直角定規が必要です。

 

――コンパスと定規…

 

アテルイとモレが殺され、日高見国が滅びたのはいつですか?

 

――たしか西暦802年です。

 

ということは、

蛇の目もコンパスと定規も日本が先ですよね。

ここでは一応便宜上「日本」って言いますけど。

 

――はい。

 

世界を支配していると言われている秘密結社は「日本」をロールモデルとして作られた。

いや、「日本」から波及し投影されたのね。

いや、向こうが日本の秘密を参考に拝借したのね。

でもその本質は封印されています。

 

――その本質とは?

 

「蛇身」(かがみ)は「か」が「3つ」でしょ。

「か」は「あいうえおか」だから「6番目」ですよね。

ならば「かがみ」とは「666」のことだとわかる。

「666」は「www」(ワールドワイドウェブ)であり、「COMPUTER」のこと。

つまりこの世を描写するQCのことを指している。

日本こそがこの世界を描写しているQCであり、それが鏡なのだということね。

QC領域の二次元データを映写して三次元ホログラム世界として描写する「映写レンズ」(鏡)が日本なの。

世界はこの秘密を日本には内緒にして、しかし日本をおだてて美味しい上澄みをいただくという、なかなかエグいことをずっとやってきました。

でもそういう時代はもう終わったのです。

それまで誰一人としてマラソンで42.195㎞を走りきることができなかったのに、あるひとりが走ることができた瞬間に突然世界中でみんなが走れるようになるんですよ。

 

――アメリカという国は、日本の「蛇体」や「蛇の目」や「666」というものを拝借?というか、参考にして建国されたということですか?

 

まあそういうことになりますかね。

私の計算上、そういう結果になりました。

ところで、アメリカの最初の国旗って知っていますか?

「国旗」といいますか、アメリカ独立戦争の時に後のアメリカ合衆国となる

最初の「13植民地」が編成した軍隊が「大陸軍」ですね。

その最初の旗です。

その大陸軍のクリストファー・ガズデン(Christopher Gadsden)准将が

アメリカ独立の前年の1775年にデザインした「ガズデンの旗」があります。

この旗は現在でも「アメリカ独立戦争で最も人気のあるシンボル」とされています。


画像出典:ガズデン旗-Wikipedia

 

――これはすごいですね!

 

ちゃんと「三回転半」のとぐろを巻いていますよね。

「DONT TREAD ON ME」

(私を踏みつけるな)と書いてあります。

「私を踏みつけるな」は何を意味しているか?

「誰も私を挑発しない」

「有害な結果無しには誰も私を傷つけることはできない」

「あるゆる身に降りかかる災厄を受ける覚悟がある者だけが私を傷つけることができる」

ということです。

自分から先に相手に干渉したり、意見をしたり、攻撃をしたり侵略をしたりということは

絶対にしないということでもあります。

 

――現在の日本では刺し違える気ゼロなのに、たやすく他人に意見する人がいますよね。

 

安全地帯から叫ぶ「自由」とは違うんだな。

自らの力でたしかに勝ち取った「自由」なんだよね。

つまり、私に構うな。私に触れるな。

放っておいてくれ。ひとりにしておいてくれ。

ということです。

これはまさに「Leave me alone」ということ。

 

――他人に干渉するということが取り返しのつかない結果を生むほどの一大事だったのですね。

 

ガラガラヘビの習性が面白いんですよ。

ガラガラヘビは猛毒を持つ攻撃的なヘビだと思われていますよね。

でもそれは違う。

ガラガラヘビはじつは温厚で無駄な争いはしない。

外敵が迫って来た場合でも尻尾を震わせて音を出し威嚇するだけです。

外敵や人間との接触を極度に嫌っていて、攻撃するのは襲われた時だけ。

しかも相手を追いかけて攻撃することはない。

人間がガラガラヘビに噛まれたとしたならば、それはいたずらをしたり殺そうとした場合です。

ヘビに干渉した人間の自業自得と言えます。

そんなガラガラヘビのような態度を表したのが「ガズデンの旗」ということ。

これが本来のアメリカの姿なのかもしれませんね。

本来ならば「玄関開けたらそこは原(ハラ)」なのですが、

日本ではなぜか「玄関開けてもそこはお茶の間(ムラ)」ですよね。

 

――縄文の鋭敏な精神を忘れていますね。

 

放っておいてくれ。

ひとりにしておいてくれ。

この「孤独」こそが真の独立であり、自立し成熟した大人であり、

深い意味での「自由」のことなのだと思います。

これがあって初めて「モンロー主義」が理解できます。

これはまさに「縄文スピリット」そのものなのです。

こうして繋がって来るわけです。

だって日本自体が蛇体なわけですから

 

――「縄文」という境地は、ひとことでは到底表すことはできませんね。

 

生と死の境界を、薄氷を履むかの如く確かめながら、日々の瞬間を生きている。

 

――精妙さと繊細さが極まった精神でありながら、柔軟でお人好しなのも縄文ですよね。

 

まさに「量子意識」ですね。

この意識を会得すると、QCも正常に稼働するし、原子力も安全に自在に使うことができる。

 

――いくらQCという機器を作ったとしても、そこにシンクロできなければ意味がないのですよね。

 

QCはそれを用いる者に対して、量子意識を求めますからね。

 

――そろそろお時間となってきました。この続きはまた次回のお楽しみにさせてください。

 

はい、ありがとうございます。

(澤野大樹)

 

――お忙しいところありがとうございました。


さて、今回のインタビューはいかがだったでしょうか。

総裁選候補者のフルラインナップが順序良くメディアで紹介される様子は、映画『ロード・オブ・ザ・リング1旅の仲間』のヒーローショットそのもののようだと澤野さんは言っていました。

それはその候補者たちが正義のヒーローだと言っているのではなくて、この総裁選自体が「ショー」なのだということを意味しているのだと思います。 

全部可視化して全部見せて行く。

このやり方を岸田総理が選んだということですね。

私が暮らしている地域の『ねぷた祭り』では、ねぷたを鑑賞する際には、

「おっきいねぷたあどがら」と昔から言います。

最優秀賞を受賞するレベルの壮大なねぷたは終盤に登場するという津軽弁の表現です。

年末のNHK紅白鑑賞も「おっきいねぷたあどがら」が定番の言い回しでした。

この動画のヒーローショットシーンではアラゴルンが、あどがら(最後に)登場します。

アラゴルンは最終章『王の帰還』で、創造主が生んだ『中つ国(地球)』をエルフ族や他の種族ら、そして人間たち反乱軍を率いて、冥王サウロンに奪われた『中つ国』を取り戻すという人間の王の末裔として描かれています。

ロード・オブ・ザ・リング3部作とはQCが、原作者J・R・R・トールキンを通じて旧QC世界の終焉とアップデートの様子を事前に可視化させた上で、第一級のエンタメとしても昇華させた高度な量子意識世界といえるのではないでしょうか。

ロード・オブ・ザ・リング3部作のラストは、ハッピーエンドでありバッドエンドでもあり、複雑に絡み合った結末となっています。

二元論では表現ができないものです。 

そういえば、ねぷたで思い出しましたけど、インタビュー内で澤野さんが言及していた

「カズデンの旗」に書いてある標語、「DONT TREAD ON ME」(私を踏みつけるな)は、

かつて大和朝廷に捕えられ、生き埋めにされた蝦夷がその上から土をかぶせられ、踏み固められて、さらに石を積み上げて封印され隠された、その時の蝦夷の叫びと記憶、トグロを巻いた蛇666そのものの表現でもあると思いました。

今繰り広げられている水面下の最終戦争とは、じつはこの世の「鏡」としてのミドルアース「蛇本」(JAPON)が鍵を握っている___

澤野さんの深い分析にはいつもながら驚かされます。


つづく……

 

澤野大樹氏青森講演会主催

小野裕美子



2024年9月7日土曜日

3543「DONT TREAD ON ME」1」2024.9.7

 今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2024年9月2日の記事を2回に分けて紹介します。


「DONT TREAD ON ME」1」

宇宙の中心で愛を叫ぶ (ameblo.jp)


こんにちは。

澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。

前回7月14日の更新から早くも1か月半が経過しました。

8月も終わりに差し掛かって来たところで、

休暇中の澤野大樹さんをキャッチしましてインタビューを敢行いたしました。

では前置きは抜きにしまして、早速お送りいたしましょう!


――澤野さん、こんにちは。

 

こんにちは。

2024年の後半は本当に凄まじいことになっていますね。

それは人為的でありながら自然現象でもある。

ともすれば政治的現象ですら本来は自然現象なのでは?

と思えてしまいますね。


――「自然」とは何か?を考えてしまいますよね。

 

私たちが「自然だ」と思っていることと、本当の「自然」の間にギャップがあるのかもしれません。


――ギャップですか?

 

言うなれば「齟齬」ですかね。

私たちが生きるこの世界というのは、QC(Quantum Computer=量子コンピュータ)が描写するホログラム世界なのですよ。

ホログラムというならば実体は無いのかと、ただの幻想でしか無いのかと思われますよね。

でもこれ、完全なる物理法則の下で展開される「現実」でもあるわけです。

完全なる「現実」でありながら、完全なる「ホログラム」でもあるわけです。

背反する二者が同時に重なって存在している。

このどちらかではないのです。

両者が完全に同時に重なっているのね。

だから両方を同時に認識する必要があるわけです。

でも今までこれができなかったし、誰もやっていなかった。

まったく新しい概念であり、新しい哲学思想なのね。

哲学思想って言うとなんか小難しく感じるかもしれませんけれど、「新しい考え方」という感じですかね。

でもこれはじつは新しくはない。

ずっと昔、遥か昔に、かつて人が普通に持っていたものです。

しかしそれらは失われました。

そして隠され封印されました。


――澤野さんがずっと提唱されている「量子意識」(Quantum Consciousness)という考え方ですよね。

 

量子の特徴的な振る舞いを参考にして、私たちの日常の考え方もそのようにしてみましょう、ってことです。

まあ言うのは簡単ですが。

新しいこの哲学思想をコンピュータの演算方法に応用したのが「量子コンピュータ」(QC)です。量子コンピュータはじつは文系ですからね。

いや、文系の側面も同時に多分に持ち合わせているということですね。

宇宙に対して、柔軟で謙虚な態度を具現化させたものが量子コンピュータです。

 

――その「宇宙」を描写しているのが、「旧QC」となるわけですね。

 

旧QCが描写しているこのホログラム世界の中で生きる、私たち自身がこのホログラム内で

新しい量子コンピュータを開発し、実用化する段階にまで来たということです。

 

――それは人類の「創造主化」ですよね。

 

そうなった時に、じゃあ「自然って何よ?」ってことになります。

みんな自然が大好きじゃないですか。

自然の悪口を言う人なんかひとりもいないですよね。

でもその「自然」の本質というものは、日常では気にならないように設定されている。

私たち人類も当然ながら、QCが描写するホログラム内に存在するモブキャラクターとしてのbotです。

ほとんどの人類は自分がbotだと気がつかないまま人生を終えます。

みんなデジタルデータなのですよね。

「地球」も同じですよ。

まずQCに書かれたプログラムデータが存在する。

この状態だとまだ二次元の「フラット」です。

このフラットな状態を「地」といいます。

そしてそれを投影してホログラムとして現物化する。

すると「球体」が現れる。

プログラムデータの下支えがあって初めて、それをホログラムとして現物化できるのです。

両者が量子もつれを起こして「地球」となってる。

最初から「地球」という名前に答えが提示して置いてあったのです。

ですので地球を大自然と解釈するのであれば

その大自然とはQCそのものだということになりますよね。

このことを私は申し上げたいのです。

 

――「自然」というとそれはやはり、木々や森や渓谷や山や海や動物などをイメージしてしまいますよ。

 

ということは自分自身も「大自然」そのものなのだということね。

つまり、

「私」=「大自然」=「QCが描写したホログラム」ということになりますよね。

 

――自分も生態系も環境も社会も「自然」も全部含めて「大自然」ということなのですね。

 

ということは、初歩のまず第一歩は、

「自分自身はQCが描写した紛れもないホログラムbotである」

ということを認識することなのですよ。

こんなことほとんど誰も考えませんよね。

だからこそ大事なことなのです。

このことを認識すると世界と視界が変わるの。

 

――ゲーム画面の中のマリオが

「あれ!?僕って!?もしかして誰かに操られてる!?」って気づくことですよね。

 

そうそう(笑)。そういうことを考えていきますと、今、世の中で起きている出来事とか、

いろいろありますでしょ。

政治的な話題から事件事故、天変地変まで、これら全部「自然現象」なのだということ。


――UFO目撃情報もそうですか?

 

当然、そういうことになります。QCが描写する「自然現象」ということになります。

純粋な一般の人にUFOでも目撃させてあげなさいよ。

そりゃもう一発で夢中になって、いとも簡単にこのホログラム世界の檻の中に自分から閉じ込められて行きますよ。


――UFO情報を煽っている勢力がありますよね。

 

UFOを始めとするあらゆる「超常現象」の類いは、人類のアップデートを阻止するために

わざとQCが描いたホログラムですよ。

ただしそれらは物理法則を身に纏って、見紛うことなき「現実」として現れるから、どうしたって誰でも意識を持っていかれてしまう。

それくらい強烈な体験をさせられる。

でもそれは同時に「ホログラム」でもあるのです。

 

――メン・イン・ブラックはいるのですか?

 

いますよもちろん。ただその目的が思っていたのと違う。

UFOを目撃した人の前にその夜、メン・イン・ブラックが現れたらどうなりますか?

 

――「私はやはりヤバいものを見ちゃったんだ」と思います。

 

自分が目撃したUFOは間違いなく本物だったと確信しますよね。

だからつけ狙われてしまったのだと。

 

――そうなりますよね。

 

それが目的なのだからそれでいいのよ。


――ということは、実際に現れたメン・イン・ブラックとは――?

 

QCが描写したホログラムだとわかりますよね。

 

――これまではUFOが本当かニセモノかで議論していましたけれども

そうなると話しが全く違ってきますよね。

 

UFO情報は1947年以来、100%完全に制御されていますから、のめり込んじゃダメですよ。

 

――どうしてそうなったのですか?

 

ある会議が鎌倉で行われたからです。


――何の会議ですか?

 

石井さんとGHQの「ミーティング」ですよ。


――それはアメブロではおそらく無理な内容ですよね?

 

でしょうね。

じゃあ別の話しにしましょう。

「キャトル・ミューティレーション」って知ってますか?

 

――あの謎の牛の事件ですよね。

 

あれね、牛にだけ効くウイルスというのが開発されていたんですよ。


――アメリカが開発したものですか?

 

いやいや、登戸製。

それは公表なんかできないからUFOがやったってことにした。

ヤバい実験は全部UFOがやったということにした。これで一件落着。

あ、あと、あれ知ってます?

(※自主規制)


――澤野さん、放送できませんよ……

 

そうですよね……


――話題を少し変えましょう。

サル痘(エムポックス)が流行しているとニュースで見ましたが?

 

これはサル痘のことではありませんけれども、サルにストレスを与え、虐待すると、サルの体内に毒素が生成されて、その毒が唾液に含まれるのね。

で、噛まれると感染しちゃうんですよ。その毒素を密かに抽出してる企業があります。


――どこの国でやっているのですか?

 

日本製です。

(※自主規制)

今回、台風で大変だったでしょう。

数万匹のサルが逃げ出したら大変ですからね。

こういう技術は全部、ハルビンから受け継いだ伝統です。

 

――その伝統は途絶えてはいないのですね?

 

連綿と受け継がれ進化しています。


――とんでもない話しですね。

 

これからこういうのが次々と表に出て来ると思います。

満州医科大学生物化学研究所みたいなの。

そこにはさらに空海系スピ宗教カルトが絡んでいるから厄介なのです。


――彼らの目的は何ですか?

 

「世界革命」ですよ。

世界を反共で「統一」するという共産主義者のオカルト狂信集団。


――「反共」なのに「統一」する気なのですか?

 

壮大な自己矛盾を内包しているのよ。


――戦後のこの平和な日本にそのような集団がまだ存在しているのですか。

 

いるいる。たくさんいる。

でも2022年7月8日に総大将がお隠れになったので、それ以来、総崩れになっています。

さらに岸田総理がそれらを潰しましたが、まだ水面下で残党たちが蠢いています。


――その集大成が先日の都知事選でしたよね。

 

統一勢にとってはもう後がないというまさに背水の陣でした。

統一を解散させるべく積極的に働きかけを行っている小池氏の存在は彼らにとって、何としてでも排除しなければならないとなった。

危うく彼らに乗っ取られるところでした。


――これはかなりシビアな現実ですね。

 

だから彼らは5月末に都内で大規模な壺系スピカルト宗教連合による決起集会を開きましたよね。

都知事選候補関係者も何人か参加したと聞いています。

あるいはそれらの候補者を支援するインフルエンサーもいたでしょう。

基本的に一般市民を集めて団結させるとか、デモを行うとか組織を作るとかっていうのは

米国のソウル・アリンスキーが提唱した「住民組織化」思想から生まれたものでしょ。

そういった流れの中で行われたその都内の「デモ」も、じつは「住民組織化」の黎明であって、つまり「核」を形成するための初期段階だと思います。

それは強大な共産主義者たちの下働きをさせられるもので、何も知らない参加者たちは

「細胞」という名のbotとして機能させられることになります。

つまり目的を知らされないままタダ働きをさせられるということです。

有象無象の烏合の衆として、使い捨てられるbotとして、いいように利用されるだけです。

 

――そういうことになるのですね。

 

だから2月に上げたブログ記事では「日本DS満州スピ消滅最終断末魔へ」ってタイトルにまでしましたよね。

日本DS満州スピはこれから想像を超える動きを見せながら消滅していきます。

もうそれは始まっています。

草の根的QCホログラムが発動していますから、それらは私たちの目にはっきり見えるように、あれよあれよと崩壊していきます。

 

――でも彼らは絶対にあきらめませんよね。

 

それでいいのよ。

そう簡単に諦めるような人たちじゃないから、2600年もこんなことやってるわけです。

「死海文書」に書かれている「光の子ら」と「闇の子ら」による最終戦争の本質は、

それまでずっと対立していた両者が量子もつれを回復することを意味しています。

つまり、潰し合いじゃないのです。

私たちは「戦争」という言葉の多様性について、もっと深く考える必要があるかもしれません。

離ればなれになっていた二者が、積年の悲願を乗り越え、ようやく本来の「もつれ」を回復すること。

これも言ってみれば「戦争」なのよ。

相克の解消だから。

でも分類学上は、いわゆる「闇の子ら」とされている勢力は、最後の最後まで本分をまっとうするでしょう。

だからこそ美しい量子もつれの回復が期待されるわけです。


――なんか自民党の総裁選挙にも似ているような気がします。

 

今みんなだいたいそんな感じね。

2023年10月13日、岸田総理は、旧統一教会に対して解散命令請求を東京地裁に請求しました。

それからまもなく1年となります。

さらに岸田総理は清和会を解散させました。

つまり自民党内から統一勢を一掃したのです。

それだけでもひっくり返るくらい凄いのですが。

党内にはまだ残党は残っていますが、その大部分はすでに「手打ち」となっているでしょう。

それでも抵抗している者たちがまだいます。

今回、岸田総理は突然、次期総裁選への出馬を取りやめると発表しました。

これには本当に驚かされました。

現在「宇宙最強」と言われる岸田総理。

どうして出馬を取りやめたのか?です。

 

――ひとりずつ順番に立候補を表明していますよね。

 

全員一斉にじゃないですよね。

ちゃんと順番を守ってひとりずつ出馬表明しています。

これは現在の自民党内の派閥、グループをすべて可視化するためのプロセスでしょう。

いわば「ヒーローショット」で描写しているのです。

「ヒーローショット」のお手本は映画『ロード・オブ・ザ・リング』にあったので、

あとで動画を上げておいてください。

あんな感じです。


2024年9月6日金曜日

3542「信じて祈ること」2024.9.6

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年08月29日の記事を紹介します。


「信じて祈ること」


わたしたちにもし子供がいて、 

・その子が苦しんでいるとしたら、

・その子が、苦労の道に進もうとしているとしたら

何が何でも、手を出し、口を出し 

その子の意志に関係なく、その子を、親である私たちの信じて疑わぬ道に

軌道修正しようとすることでしょう。 

ですが、ちょっと待ってください。

それは、本当に子どもにとって、子供の魂に取って、良いことなのでしょうか? 

今日はまず、斎藤一人さんの次の言葉をご紹介します。 

<引用開始>

 

もし身近な人が苦しんでいるとしても、過剰に心配しなくて大丈夫 。

それよりも信じてあげること。 

「今、神様の愛によって、全てがうまく行っています」と 

祈ってあげると良いですね。 

祈りっていうのは愛だから。

<引用終了>

あなたは身近な誰かのために、

密かに、一所懸命に、祈った経験はありますか? 

私たちは誰もが、神様の分け御霊を頂いた生命体です。

全ての生命体には神様の与えてくださった役割として、 

・他の役に立つこと

・他と調和して

・宇宙の生成発展に寄与して、それを維持すること 

と言う役割があります。 

その大きな役割の中で、生命の進化の過程で、今人間として生まれて来て、

動植物含め、全生命体の調和の調整という役割が与えられています。

そして自らの魂も進化させるために

この3次元地球に肉体を頂いて、今生きています。 

その目的を果たすために、いろいろな舞台が用意されています。 

それは、一人一人全部違います。

交わる部分もあります。 

深く交わる部分は、家族や恋人、友人などの役回りかもしれません。 

ですが、私たちは、他の誰かの人生に決して介入することはできません。 

例え親子、家族であっても・・

人それぞれの魂の目的が違いますし、その方法論も違います。

「良かれ」と思っても、決して自分の思い通りに人を動かすことはできません。

でも心配することはありません。 

全ての人は、それぞれが、

神様と約束し、この地上に降りて来ました。

  

私たちがそうであるように、

その人(身近な誰かも)も、常に神様に守られています。 

人間の情の部分からすれば、

親なんだから・・・

家族なんだから・・・ 

と、どうしても、自分の価値観で

口酸っぱくとも、アドバイスしたくなりますし、 

思いが伝わらなければ、怒ったりもしたくなります。 

ましては、生死が関わるとなれば、なおさらです。 

ですが、たとえ家族であろうと、

その人の魂の目的や、魂の欲求を無理やり変えることはできません。

別個の魂だからです。 

彼らは彼らなりに、今回の人間の人生をかけて、、 

この方法ではうまくいかない。

そんな学びを一所懸命、苦しみ、悲しみながら

命がけで学んでいる最中かもしれません。 

神さまの目から見たら、肉体の生死はあまり関係ないようです。 

永遠の魂の方を見ているからです。 

必要があれば、今回の人生の教訓を

直ぐに生まれ変わって、次の人生のステップに生かしていくことでしょう。 

その時は、もう私たちに、親子関係などなく

赤の他人としての人生を歩むかもしれません。  

先ほどご紹介した一人さんの言葉には、

このような意味があります。

感情は、生きて肉体を持つ間にしか生まれません。 

私達今生きている人間にとっては

少し薄情(情が足りない)に思えるかもしれませんが、 

きっと、一人さんの仰っていることは真実だと思います。 

情の目で見れば「かわいそう」な出来事かもしれませんが

彼らの魂は、その過程を楽しんでいるかもしれません。

過程を通じ、魂が学んでいるのかもしれません。 

何者も、どんなことをしても、魂に傷をつけることはできないのですから。 

一人さんの言うように、それよりも信じてあげること

「今、神様の愛によって、全てがうまく行っています」と祈ってあげると 

きっとこちらの方が魂的には本質的で良いことに思います。 

彼らが計画してきた、この地上での苦しい、悲しい経験が、

その目的を達成することで、魂の進化・向上に役に立つのであれば、 

周りの親しい人々は、信じて祈ってあげる事、

彼らの心願が成就することを祈ってあげることが 本当の愛かもしれません。 

晴れて彼らの心願が成就した時、

その魂の目的は達成されたのですから、 

その手段だった彼らの悲しみ、苦しみも、 

記憶の遥か彼方に消えてなくなってしまうことでしょう。 

 

その時こそ、生まれて来た時に持っていた 

本来の魂の輝き、神々の光が現れてくる時です。 

どうか、その子の魂を、その子も守られていることを、

信じてあげてください。

祈ってあげてください。


2024年9月5日木曜日

3541「今あるものに感謝」2024.9.5

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年08月28日の記事を紹介します。


「今あるものに感謝」


元春日大社の宮司、葉室頼昭さん、神道の最高位、「浄階」まで行かれた方です。 

葉室さんが仰るには、神々の恩寵は、私たちの感謝の心を媒体として現れるそうです。 

従って、どんなに霊験あらたかな神社や仏閣にお参りに行こうと

私たちの心に感謝の気持ちが現れなければ、神々も助けたくとも助けられません。 

自分の運命を呪い、より楽な境遇になりたくて、

現世利益を求め、他人によりすがり、依存の心むき出しでは 

神々と相いれない波動をまとうことになり、繋がる先は、低き世界となることでしょう。

今日も、心を覆う罪、穢れを祓い、本来私たちが持つ、美しき心を表すために 

「今あるものに感謝を」というテーマのお話です。

このことは本当に大切で、地球のルールでもあります。 

このことを知り、実践するかしないかで、運命が天と地ほども変わります。

感謝の気持ちで生活して行けば、どんどん、本当にどんどん、これでもかと言うほどの、幸せなことが起こってきます。

この世に感謝の気持ちに、敵対できるものなど、存在しないからです。

どんな小さな事にも、そこに感謝の種を見つけ

「ありがとう」と言える人って、とっても素敵な人だと思いませんか?

一見 

・嫌なこと

・面倒なこと

・悪い予感のすること 

そんなものでも、神様が与えてくださった、

幸せのための、最初のステップだと思えば、

信じて安心し、喜んで受け入れることができます。 

なぜなら、その出来事は、幸せが訪れる 先ぶれだからです。 

現象化することで、心の中にあった不浄が一つ、クリア(消滅)した時だからです。 

では、小林正観さんのお話より、ご紹介します。

<引用開始>

 

目の前の現象は「幸」にも「不幸」にもなる

九州でのある講演会で、定刻になっても半分しか人が集まらず、

主催者の方が、「どうして九州の人間はこんなに時間にルーズなんでしょうね」と

嘆いたことがありました  

それを聞いた私は、笑ってこのように話しました。

「定刻なのに半分も来ない、のではなくて、定刻にもかかわらず半分も来てくださっている。ありがたいですよね」 

つまり、来てくれたほうに目を向けたら、「ありがとう」です。

来ていないほうの半分に、「まだ来ないじゃないか」と不平不満を言うよりも、

来ている人に感謝するほうがいいということです。

同じ現象でも、感謝ができる人とできない人がいます。  

私の話を聞いて、その主催者の方は、

「自分は正観さんのお話を何十回も聞いているのに、

まだイライラしてしまう人間でした」とおっしゃいました。

それから、その人はまったくイライラしなくなったということです。

面白いことに、定刻に集まらなくてもイライラしなくなったら、

その次の会からは、定刻に三分の二の人が集まるようになりました。

イライラしているときにはなかなか集まらなかったのに、

イライラしなくなったら、集まりもよくなり、人数も増えているそうです。

地球と宇宙を味方につけるためには、 

「自分の思いどおりの現象が100点満点になっていないじゃないか」

と文句を言うのではなく、 

80点の現象があるのなら、その80点に、手を合わせて感謝をすること。

 

ある歌手が、コンサートの直前に客席を見て、

空席があることに腹を立てて帰ったことがあったそうです。

当然、コンサートは中止 

3000人ほどの規模の会場で2500人ほど入っていたそうですから、

充分にお客さんは集まっていたと思います。

ただ、空席があったからそれが気に入らないというので、

来てくれた人に対して自分の腹立たしさをぶつけるのは、

実は本人が考えている以上に損です。

そういうことをしていると、そのうち誰からも信用されなくなります  

興行主から見ると、もうそんな危険のある人に

次からは頼まないようにしようと思うに違いありません。

目の前に起きている現象に対して感謝ができ、喜びを見出すことができ、 

そこに幸せを感じられるようになると、自分自身がラクで楽しい、ということです。

なおかつ、地球と宇宙が味方になってくれます。

<引用終了>

 

イライラしているときには、なかなか集まらなかったのに、 

イライラしなくなったら、集まりもよくなり、人数も増えた。

これは神様が良くなさる方法です。

私達が気付けるように、気付くまで、色々手を変え品を変え。

そして一旦気付いてしまえば、もうそういった現象は無くなります。

今、何か問題を抱えている方がいらっしゃったら、(その問題を解決したいと思ったら)

少し考えて見てください。

自分は、その問題に対して不平不満に思っていないか?

イライラしていないか?

人のせいにしていないか?

そして、上記の正観さんのお話のように、発想を変えて、見方を変えて

今自分の目の前にある「もの」、そして「こと」に、感謝してみてはいかがでしょうか?

感謝することが出来さえすれば、もうそれは、問題では無くなります。

その問題が気付かせようとしてくれていた課題がクリアされたので、

もうその問題は、目の前から無くなります。

問題が問題では無くなったからです。

それは、ブッダが2500年前に教えて下さった「般若心経」に書かれている、

私たち人間が幸せになる方法の真髄です。

目の前にある問題は、私達に何か気付いて欲しいから、神様が起こして下さっています。

どんなことも、自分の周りに起こって来ることに不要なものはありません。

全て、必要であり、必然的に起こってきます。 

それも私達の魂の学びにとってベストなタイミングで起こって来るようになっています。

ですから、全てのもの、人に感謝なのですね。

「ありがとう」なのですね。

ありがとうの言霊は宇宙で一番、力のある言霊と言われています。


2024年9月4日水曜日

3540「与える喜び」2024.9.4

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年08月27日の記事を紹介します。


「与える喜び」


春日大社の元宮司、そして医師であった葉室頼昭さんによれば、

神さまは願いごとなどしなくても、ちゃんと叶えてくださる。

他の国で見られるように、必死になって自分の願いごとを祈っている姿とは異なり、

神道では、神さまを喜ばせる、感謝する、

ということが祈りとなります。

こちらから頼まなければ、

神様はやってくれない・・・というのは、神さまを冒涜すること。

神さまというのは全部知っておられるんです。

だから、神さまを認め、喜んでいただいたら充分なんです。

そうしたら、神さまはこちらに出てきて、お恵みをくださる。

そう仰っています。

あちこちの有名どころの神社や仏閣に出向き、 

・あれをしてください

・これをしてください

・あれもくれ

・これもくれ 

とお願いするだけでは、 

神様も辟易(へきえき--閉口すること。嫌になること。)とすることでしょう。 

そのような人間の欲望渦巻くところでは、せっかく力のある神さまの光も、

その闇にさえぎられてしまうことでしょう。 

  

色んな神様がいらっしゃいますが、

この宇宙を創造し、維持し、破壊する創造の神様は 

大本の神様であり、創造の源です。 

レインボーチルドレンのそうた君の言葉で表せば、12次元にいらっしゃるそうです。 

私たちの宇宙に住む、生命体が3次元存在、日本の有名な神々が8次元とのことで、 

遥かに高い次元です。 

創造の源の神様が喜ばれるのは、 

・特殊な能力を持つことや

・優れた霊能を持つこと

・優れた過去世を持つこと 

などではなく、やはり王道である、

・私たちの心を清く保つこと

・身近な周りの方々と、仲良く助け合って暮らすこと 

そんな一見、平凡に見えることのようです。 

それでは今日も、王道である

私たちの心を浄化し、神々へ近づくためのお話をご紹介します。 

注意深く、周りを観察してみれば 

どんな人にも自然や人を通じ、神さまはいたるところで、

その存在を教えてくださっています。 

今日のテーマは「与える喜び」です。 

私たちは、物でも、お金でも、優しさや、真心でも、

まず、自分から出すこと(与えること)が先です。 

与えた時の心の状態が、宇宙の果てまで、見える世界、見えない世界を飛び回って

同じ波長のものを、仲間を連れて帰ってきます。 

時々、「優しさや親切を人に与えると、損した気分になる」 

そうおっしゃる方もいらっしゃいますが、そんなことはありません。 

神々のエネルギーは無尽蔵です。

与えることで、その何倍もの恩恵を私たちは受け取ります。 

それでは、渡辺和子さんの言葉よりご紹介します。 

<引用開始> 引用元

  

近頃、もらう喜びは知っていても、

その他の喜びをあまり味わっていない子どもが、増えているように思えてなりません。

その他の喜びとは、

・与える喜び、

・分け合う喜び、

・そして自分で物事をやり遂げる喜びです。 

マザー・テレサがこんな話をなさいました。

カルカッタの街に、八人の子を抱えてお腹を空かしている家族がいたので、

お弁当を作ってもって行ったところ、

その母親は押し戴いて喜んだ後、すぐどこかへ出て行きました。

やがて戻ってきた母親は、

「実は隣の家族も、このところ食うや食わずの毎日だったので、

半分あげてきました」と言ったそうです。

マザーは、この話をしてから、

「貧しい人は偉大です。

飢えを経験した人には、他人の苦しみもわかるのです」と言われました。

本当の豊かさとは、このように、他人に与えるものをもっている心を指すのですね。

最近、自分でやり遂げる喜びを、

子どもから奪っている過保護の親も増えているようです。

それは、子どもたちを愛しているように見えて、

実は彼らから、その成長に必要な自信と、自立の喜びを奪っているのです。

もらう喜びしか知らない子どもは、自分中心の世界で生きています。

どれほど多くのものを持っていても、その子の心は貧しいのです。

与える喜び、分ちあう喜び、

自分で何かをやり遂げた時の喜びをも味わわせることによって、 

子どもの生活を本当に豊かなものにしてやりましょう。 

<引用終了>

 

確かに、何か物や、お金をもらう喜びよりも

・与える喜び、

・分け合う喜び、

・そして自分で物事をやり遂げる喜び 

の方が、私たちの心を喜ばせてくれますね。 

与えたほうも、頂いたほうも、笑顔、幸せになれます。

そこには、調和が生まれ、平和が訪れます。 

どうせ与えるならモノではなく、 

・感謝

・喜び

・笑顔

・いたわり

・優しさ

・思いやり

など、美しい心を与えて差し上げたいですね。

その心は、巡り巡って、必ず自分に帰ってきますから。 

与えるものは、物質的なモノである必要はありません。 

貧しかった良寛さんは、

「自分は貧しいひとりの修行僧なので、人に与えるもの、あげるものが何もない。 

だからせめて、心をあたたかくするような、心を安らげるような『言葉』をあげたい。 

それならいくらでもあげることができるから」 

良寛さんは、自分の口から出てくる言葉を 

・あたたかい言葉

・やさしい言葉

・思いやりに満ちた言葉 

にしたいと思って行動していたそうです。