2026年5月16日土曜日

4259「おかげさま」2026.5.16

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年05月03日の記事を紹介します。


「おかげさま」


心のお話です。

私たちの心は強力で、広大です。

見える世界、見えない世界を包み込んでいます。

例え、神様・仏様、能力のあるとされる方が、

一瞬にして私たちの境遇を引き上げたとしても、私たちの心が変わらなければ、

またすぐに同じ世界に戻ってしまうことでしょう。 

それに引き換え、心の中に感謝の気持ちを持つことができれば

私たちの境遇は一瞬にして変わってしまうことでしょう。 

空海が仰るように生きながら天国に住むものとなります。 

さて今日は、お陰様に付いてご紹介します。

謙虚で優しい気持ちです。

前ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さんの言葉です。

<引用開始>

小さなお子さんの手を引いて、

一人のお母さまが水道工事の現場の傍(そば)を通りかかりました。

暑い夏の昼下がりのことでした。

お母さまは坊やに向かって、 

「おじさんたちが、汗を流して働いてくださるから、

坊やは、おいしいお水が飲めるのよ。

ありがとうと言いましょうね」

と話してやりました。

やがてもう一人、同じように幼い子の手を引いて、別の母親が通りかかりました。

「坊や、坊やもいまから一生懸命にお勉強しないと、

こういうお仕事をするようになりますよ」 

と言ったというのです。

同じ仕事に対して、こうも違った考えがもてるものでしょうか。

最初の母親は、この日、子どもの心に、 

労働に対しての、尊敬と感謝の気持ちを育てました。


二番目の母親は、

(手をよごす仕事、汗まみれの労働)に対しての、恐ろしいまでに誤った差別観念を、

我が子に植えつけたことになります。

私たちがいま、子どもと一緒にこの場にいたとしたら、

どんな会話を交わすことでしょうか。

会話以上に大切なのは、どんな思いを抱いて、

働いている人たちの傍を通るかということなのです。

人は、自分がもっていないものを、相手に与えることは出来ません。

感謝の気持ちを子どもたちの心の中に育てたいならば、

まず親がふだんから「ありがとう」という言葉を

生活の中で発していることが大切なのです。

近頃の学生たちで気になることの一つは、

いわゆる〈枕詞(まくらことば)〉のようなものを習ってきていないということです。

例えば、「お元気ですか」と尋ねると、

「はい、元気です」という答えは返ってきても、 

「おかげさまで元気です」という返事のできる学生が、

以前と比べて少なくなりました。

遅刻して教室に入ってきた学生が、 

授業の後で、「遅刻しました」と、名前を届けにはきても、

「すみません、遅刻しました」という枕詞がつかないのです。

「お話し中、すませんが」とか、

「夜分(やぶん)、失礼します」という挨拶のできる学生も少なくなりました。

いずれにしても、言葉が貧しくなっています。

そして、それは取りも直さず、心が貧しくなっている証拠なのです。

せめて、「おかげさまで」という言葉と心を、生活の中に復活させましょう。

理屈っぽい人は、

「何のおかげですか」と言うかも知れません。

何のおかげでも良いのです。

この表現は、私たちが実は、一人では生きられないこと、

たくさんの〈おかげ〉を受けて生きていることを忘れない心の表れなのです。

見えないものへの感謝なのです。

ところで、本当にありがたいこと、

何でもない時に「おかげさまで」と言うのは比較的に易しいのですが、 

不幸や災難に遭った時はどうしましょう。

そんな時にも、「おかげさまで」と言える自分でありたいと思っています。

ごまかすのではなく、不幸、災難、苦しみをしっかりと受け止めながら、 

「いつか、きっとこの苦しみの〈おかげさまで〉と言える自分になりたい、

ならせてください」と祈る気持ちをもっていたいのです。

<引用終了>

子どもは親や教師の「いう通り」にはならないが、

「する通り」になる。

そう渡辺さんは仰います。

このたとえ話では、

親の価値観が、子どもの価値観を作る・・ 

ということが良く描かれています。

私たちの日々の何気ない一言、

行動を子どもたちは本当によく見ています。

そして、ものすごい早さで吸収していきます。

親だからといって、

100%完璧な人間になることは不可能ですが、

「お手本」になるために、

少しだけ意識してみることはできるかもしれませんね。