今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年05月03日の記事を紹介します。
「おかげさま」
心のお話です。
私たちの心は強力で、広大です。
見える世界、見えない世界を包み込んでいます。
例え、神様・仏様、能力のあるとされる方が、
一瞬にして私たちの境遇を引き上げたとしても、私たちの心が変わらなければ、
またすぐに同じ世界に戻ってしまうことでしょう。
それに引き換え、心の中に感謝の気持ちを持つことができれば
私たちの境遇は一瞬にして変わってしまうことでしょう。
空海が仰るように生きながら天国に住むものとなります。
さて今日は、お陰様に付いてご紹介します。
謙虚で優しい気持ちです。
前ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さんの言葉です。
<引用開始>
小さなお子さんの手を引いて、
一人のお母さまが水道工事の現場の傍(そば)を通りかかりました。
暑い夏の昼下がりのことでした。
お母さまは坊やに向かって、
「おじさんたちが、汗を流して働いてくださるから、
坊やは、おいしいお水が飲めるのよ。
ありがとうと言いましょうね」
と話してやりました。
やがてもう一人、同じように幼い子の手を引いて、別の母親が通りかかりました。
「坊や、坊やもいまから一生懸命にお勉強しないと、
こういうお仕事をするようになりますよ」
と言ったというのです。
同じ仕事に対して、こうも違った考えがもてるものでしょうか。
最初の母親は、この日、子どもの心に、
労働に対しての、尊敬と感謝の気持ちを育てました。
二番目の母親は、
(手をよごす仕事、汗まみれの労働)に対しての、恐ろしいまでに誤った差別観念を、
我が子に植えつけたことになります。
私たちがいま、子どもと一緒にこの場にいたとしたら、
どんな会話を交わすことでしょうか。
会話以上に大切なのは、どんな思いを抱いて、
働いている人たちの傍を通るかということなのです。
人は、自分がもっていないものを、相手に与えることは出来ません。
感謝の気持ちを子どもたちの心の中に育てたいならば、
まず親がふだんから「ありがとう」という言葉を
生活の中で発していることが大切なのです。
近頃の学生たちで気になることの一つは、
いわゆる〈枕詞(まくらことば)〉のようなものを習ってきていないということです。
例えば、「お元気ですか」と尋ねると、
「はい、元気です」という答えは返ってきても、
「おかげさまで元気です」という返事のできる学生が、
以前と比べて少なくなりました。
遅刻して教室に入ってきた学生が、
授業の後で、「遅刻しました」と、名前を届けにはきても、
「すみません、遅刻しました」という枕詞がつかないのです。
「お話し中、すませんが」とか、
「夜分(やぶん)、失礼します」という挨拶のできる学生も少なくなりました。
いずれにしても、言葉が貧しくなっています。
そして、それは取りも直さず、心が貧しくなっている証拠なのです。
せめて、「おかげさまで」という言葉と心を、生活の中に復活させましょう。
理屈っぽい人は、
「何のおかげですか」と言うかも知れません。
何のおかげでも良いのです。
この表現は、私たちが実は、一人では生きられないこと、
たくさんの〈おかげ〉を受けて生きていることを忘れない心の表れなのです。
見えないものへの感謝なのです。
ところで、本当にありがたいこと、
何でもない時に「おかげさまで」と言うのは比較的に易しいのですが、
不幸や災難に遭った時はどうしましょう。
そんな時にも、「おかげさまで」と言える自分でありたいと思っています。
ごまかすのではなく、不幸、災難、苦しみをしっかりと受け止めながら、
「いつか、きっとこの苦しみの〈おかげさまで〉と言える自分になりたい、
ならせてください」と祈る気持ちをもっていたいのです。
<引用終了>
子どもは親や教師の「いう通り」にはならないが、
「する通り」になる。
そう渡辺さんは仰います。
このたとえ話では、
親の価値観が、子どもの価値観を作る・・
ということが良く描かれています。
私たちの日々の何気ない一言、
行動を子どもたちは本当によく見ています。
そして、ものすごい早さで吸収していきます。
親だからといって、
100%完璧な人間になることは不可能ですが、
「お手本」になるために、
少しだけ意識してみることはできるかもしれませんね。