2022年1月14日金曜日

2577「怒る人々」2022.1.14

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月11日の記事を紹介します。


「怒る人々」


夜が明ける前の闇が、最も暗いと言われます。 

今までの嘘が全て明らかにされてしまう水亀座の時代に入り、今までの思考方法の残骸にしがみつく人々と、新しい精神性の復活の時代を生きようとする人々と、今はまさに最後のせめぎあいのような夜明け前の暗さなのかもしれません。 

・心の大切さ、周りの人々との調和を一番に考える人と

・自分さえよければ、お金さえあれば。。

  

自分さえよければ。。。の人々は、変わってしまった時代の流れに沿いませんし、

自分の心の内の良心が、常にシクシクと痛んでいますから、余裕がありません。 

人を非難し、貶め、中傷し、デスることで、無意識にマウンティングし、相対的に自分の地位や環境を安泰にしようとします。

そして、常に心に怒りを抱えています。常に、怒りを振りかざし、ちょっとしたことで、正義感の隠れ蓑をまとい、怒りを爆発させます。 

社会で何か事件が起これば、自分だけは正義の立場に立ち、その事件の被告を追及し、憎しみをバラまく。

表面的に見れば、誰しも忌み嫌う事件の加害者。

その人をどんなに憎み、正義の剣を振りかざそうと、誰も文句を言わないことでしょう。 

付和雷同し、煽る人も出てくるでしょう。 

誰かを悪とみなし、激しく追及することで自分自身の留飲も下がることでしょう。

でも、そこには、愛が、ないのではないでしょうか?

私たちを作られた神様は、子供たちの誰かが、罪を犯した時や、他人の心身を蹂躙した時、

その人間を憎み、糾弾し、一瞬で地獄に落とすでしょうか? 

更正の機会を与えないでしょうか?

二度と許してはくれないでしょうか?

その人を糾弾し、憎しみをぶつけた私たちはたとえ立場が変わろうと、自分だけは決して、そのような行為を行わない、いつも、変わらず正義の人なのでしょうか? 

たとえ正義の名の下であろうと、人を憎む者は、自分自身を憎む者です。

人を憎む者の心には、憎しみが宿ります。

その憎しみの種は、だんだんと自分自身の心身や、取り巻く環境に浸透して行きます。 

その結果、環境は、だんだんと憎しみ色に染まり、良くない出来事が続くでしょう。

小林正観さんがおっしゃるには、憎しみの心が身体に出た場合、関節の疾患として強く表れるようです。

   

それでは、今日のお話は「正義感の落とし穴」ということで、まじめな人、一途な人が陥り易い落とし穴について書きたいと思います。 

小林正観さんの著書よりご紹介します。

<引用開始>


真面目な人ほど、正しさを追い求めてしまいます。

その結果、敵意と憎しみが湧いてくるというように、人間の心が創られているのかもしれません。

社会を四十年観察してきた結果、真面目な人ほど、人生を暗く辛いものにしていることが読み取れてきました。 

心の勉強をしていった結果として、いろいろなことを学び、心正しい人になり、心正しい行動をするようになっていきますが、どの人も九十八点まできたときに、陥りやすい罠があります。

ある大きな災害のときのこと。

自分の家や土地すべてを売り払って数千万のお金を作り、被災地で炊き出しをした

農家の方がいらっしゃいました。

ボランティアで一日三食、合計二千四百食を毎日作り続けました。この話を聞いた人たちも募金をして、半年ものあいだ、炊き出しを続けることができたそうです。

半年後、仮設住宅などができ、必要がなくなったので、家族のもとへと帰っていきました。

この話を聞き、日本各地の商工会議所などから講演依頼がくるようになりました。

そこで、このような話をされたそうです。

「あまりにも悲惨な状態だったので、家や土地を売り、乗り込んでいきました。

いま聞いている皆さんは、会社があり、社員がいて、預貯金もある。

そういうものを全部売り払って、なぜ同じことをしなかったのですか?」

この方は、心温かくて困った人のためにやっていこうという、神のような心を持った方でしたが、ですが、この一言を言った瞬間、会場はシーンと静まりかえったそうです。

そして、同じ主催者から、二回目の講演を頼まれることはありませんでした。

自分は喜ばれるように生きているのに、周りの人は呼応した生き方をせず、自分勝手に生きている。

「あの人がそう思うのが許せない」という、正義の「敵意」「憎しみ」の小さな芽は、誰の心の中にも宿っています。

他人を憎む「心」そのものが、争いの種になっています。

 

他人や世の中をどうするかより、自分の中の敵意と憎しみをなくし、太陽のように明るく生きていくこと…。

よい仲間と明るく楽しくいたいのならば、目の前の人に対して 

・自分と同じように振る舞え

・同じ価値観になれ

と強制するのをやめる。

よい話を聞いて、周りの人にたくさん広めようと思った瞬間、よからぬものが入り込んでいる可能性があり、運とツキが逃げていくようなのです。

人間は、ろくなものでもなくて、大したものでもないと思うことで、心地よい方向にいけるのかもしれません。

<引用終了>


本当に、正義感が強く、良いことをしよう、他人の役に立とうと、一所懸命な人、ある種のストイックな人、修行僧のような人が、非常に陥り易い罠です。

自分は、これだけしているんだ。

どうして貴方は同じようにしようとしない?

自分の価値観を人に押し付け、強制する事・・

どんなに自分が良いと思うことをしようと、それを他人に強制したりしては、何のための良き行動か解りません。 むしろ神様から遠ざかる行為です。

マザーテレサが仰るように、私達が、誰か人にした事、それは、本当は人ではなく、神様にしたことです。

 

神様 対 私達のできごとです。

ですから、それを恩に着せることも、自慢する事も、他言する事も必要ありません。

ましては人は、その人に一番適した道のりを、その人のペースで進んでいます。

その人に対して、如何に自分が正しいと思ったことであっても、押し付けては台無しです。


正義感とは、不正を憎み、正義を尊ぶ気持ちのこと。

でも、そこには憎しみの心が潜み、そこには愛や温かさの芽はありません。

正義感の強い人は、周りの人といつか衝突することになります。

自分自身の心身も蝕みます。

その言い分がどんなに正しいことであっても、人には人の、それぞれ事情があり、できることと、できないことがあるからです。

どんなに正しいことであっても、押しつけられたら誰でも嫌になります。

正義感など振りかざさず、自分の主張を「俺が俺が」と言い張らず、自分の生き方が温かく、

明るくキラキラと輝いていて、そこに優しさや、愛を感じる事が出来れば、その後ろ姿に感動し、人は共感して下さいます。北風と太陽のお話のように。

貴方は、ご自分の主義主張を人に押し付けてはいませんか?

頼まれてもいないのに、人の生き方に口をはさんではいませんか?

人の生き方を、良い悪い、高い低いで測り、ジャッジしていませんか?

その正義感の底に、憎しみの心は潜んでいませんか?

 


 

2022年1月13日木曜日

2576「バランスを取ろうとする宇宙」2022.1.13

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月08日「バランスを取ろうとする宇宙」と2022年01月09日「冥界からの電話」の2つの記事を紹介します。


「バランスを取ろうとする宇宙」

今、世界中で今まで目に見えなかった体制が変わろうとしているようです。

もちろん、それは私たちにとって良い変化です。神々の大いなる計画の中の動きです。



ただ、その丁度変わり目の節目の今は色々なことが同時多発的に起こり、何が真実であるのか、何処に向かおうとしているのか、全体像をつかむことができません。 

幸運なことは、その渦中においては、無我夢中で、大変な波を乗り越えようとしていることさえ、気づかないために、がむしゃらに生きている間に、何時のまにか、大波を超えてしまい、大難(たいなん)が去ったことに気づくことでしょう。  

この大きな波が静まった時、満を持して準備してきた多くの魂たちが、次の役割を担うために世に出てきたのでしょう。 

第二次大戦前の約500年間も続いたアジアやアフリカ国家や国民に対する奴隷的な扱い、植民地時代を再び繰り返すわけにはいきません。 

私たち人類の精神は少しづつ向上を続け、やっと今、2010年を境に精神性復活の時代が到来しているからです。 

では、今日のテーマは「バランスを取ろうとする宇宙」ということで、宇宙の摂理について書いてみます。

  

私たちの精神が再び退化することがありませんように。 

全ての人々、それぞれの個性が、認められ、生存を許され、大切に優しく扱われますように。。。

人種差別

かつて、インディアンを皆殺しにして、土地や資源を奪ったように、奴隷として、様々な苦役をさせるために、足を鎖で繋ぎ、アフリカから現地の人を運んで来たように

劣等人種だからと、アジア(ベトナム)で戦争を起こし、利益を得ようとしたり人が人を差別し、蔑んで良いのでしょうか。

人が動物達、生命のあるものを虐待しても良いのでしょうか?

私達は知っています。

私達が過去 転生の中で五色の人に、次々と生まれて来たことを

 

宮崎県の旧蘇陽町にある幣立神宮所蔵の五色人面。五色人の代表が、日本(霊の元つ国)にあつまり、神に祈りを捧げていたとされています。

黄人  アジア(日本、中国、朝鮮、モンゴル)

赤人  アメリカインディアン、ユダヤ、アラビア、エジプト

青人  北欧、スラブ

白人  ヨーロッパ全般

黒(紫)人  アフリカ、インド、アボリジニ(オーストラリア)

私たちが最も愛する父や母、息子や娘も、同じように、色々な人種を経験してきたことを。

石や、岩、植物や動物、 そして風や波などに生まれ、生命のダイナミズムを経験したことがあったことを。

たまたま、今、白人で生まれ、自分達だけが優生民族であると勘違いし、残酷な方法で、他の民族の生命や自由を奪ってしまう事は、なんと大きな罪でしょうか?

 

宇宙には法則があります。

バランスをとること、その為、自分が与えたもは、必ず自分で受け取ることになります。

良いことも、悪いことも。。

肌の色で人々を苦しめた人は肌の色で苦しめられることでしょう。

それは、誰が行うのでもなく、神様が行うのでもなく、 宇宙の法則通り、自分自身でバランスを取るためにそうします。

人は、その様な愚かなことを、何度も何度も繰り返して、そのたびに、少しずつ賢くなっていくのでしょうか?

宇宙の摂理、それは何処を見ても確認できます。

全ては調和し助け合い、自分の役割を果たしています。

そこには、人の立場を羨んだり、バカにしたり、自分だけが。。 という気持ちは微塵もありません。

人間も、本来その様な高貴な心を持つ、生命体では無かったでしょうか?

私達が出来ること・・それは、動植物を含め、家族や、本当に身近な所で、笑顔や優しさを、広めていくことから始まるのかもしれません。

今日も身近な周りの方々に、優しさと笑顔で接したいものですね。



「冥界からの電話」


今日は生と死、肉体と魂に関して、昨年載せた記事ですが、加筆して掲載したいと思います。

最近は、本当にさっと生まれて来た目的を果たし、子供の内に戻っていく魂が多いように感じます。レインボーの子供たちが増えてきたのも同じような目的があるのかもしれません。

  

佐藤愛子さんの著作「冥界からの電話」に故人 中川昌蔵さんの言葉が載っています。

中川さんは、菩薩界から生まれて来た方です。

中川さんはどんな人にもわかり易く説明されます。 

波動を高めるにはどうすればいいかって?  

ちっとも難かしいことじゃありませんよ。学問とか知識は必要ありません。

ただね、人は一人では生きられない、生かされているということをよく認識してね、

そのことに対して有難うという感謝の気持を表せばいいんです。

感謝することで魂の波動は上ります。実に簡単なんですよ。

死後の 世界は波動の世界ですからね。

波動の上下によって地獄界、幽界、霊界、神界と厳格に分けられています。

死ぬとその者の魂は、自分の波動と同じ波動の場所へ自動的に移動します。

上記を踏まえたうえで、重い障害を持って生まれ、早くに亡くなった娘さんのお話をご覧ください。

「もう読んだよ」という方は、スルーしてくださいね。

   

夭逝した、娘さんご本人の口から 重い障害を持って生まれたわけを語ってくれています。

景山民夫さんが書いた「さよならブラックバード」と言う本からのご紹介ですが、これから述べることは事実であるそうです。 

このお話は、お子さんが、お父さんの魂の向上のため、敢えて不自由な身体を選び生まれ、 

そして早すぎる死を通じ、愛する父の魂を向上させるめに協力したお話です。

景山民夫さんが書いた「さよならブラックバード」という本、その後書きに、こんなお話が載っています。

<転載開始> 転載元


僕はいまから八年程前に長女を亡くしました。

彼女は生まれたときから重い障害をもった子供で、18年間の人生の中で一度も自分の力で

ベッドから起き上がることが出来ない生活を送り、そして死にました。

急な死だったために、僕があわてて病院に駆けつけたのは、死後一時間ほどしてからでした。

娘は既に冷たくなっていて、18歳にしてはずいぶん小さな体をベッドに横たえていました。

 

その夜、通夜が営まれ、お棺に入れられて祭壇に安置されている娘の遺体を目にしたとき、 

僕はなぜか「あ、もう肉体から魂が抜け出してしまっている」と感じたのです。

ふと祭壇の上の方を見ると、そこに娘がポコンと浮かんでいました。

それは、生前の肉体の姿ではなく、白く光る玉のように僕の目には見えました。

無事にお通夜を終え、 僕は翌日の葬儀に備える為に教会の駐車場にあった車に戻りました。

車のエンジンをかけたときに、僕は助手席に死んだ娘がいる事に気がつきました。

さっきと同じ光る球体のようでした。

「一緒にお家に帰るか」と僕は娘に声をかけました。

彼女は、「うん、一緒に帰る」と答えました。

不思議なことです。

生きているときは、言葉が喋れないために一度も会話をしたことがない彼女と、 

死んだ後ではまるで普通の人と同様に会話ができるのです。

といっても、それは鼓膜を通して伝わってくるものではなく、直接僕の心に語りかけてくる

テレパシーのような通信手段でしたが、それでも意思は完全に通じあっていました。

 

いろいろなことを語り合いながら、車を運転していくと、途中で雨が降り始めました。

家に着いたときもまだ雨は降り続いており、彼女は「そうかぁ、雨ってこういうものなんだ」と感激していました。

ずっと室内で暮らしていた彼女は、雨というものを実体験したことがなかったのです。

その後、娘は(ヘンな話ですが)自分の葬儀にも出席し、しばらく我が家に滞在していました。

その間に

「お前は、なんであんな不自由な身体を、選んで生まれてきたの?」

と尋ねたことがあります。 

娘の答えはこうでした。

「他の理由もあるけど、私が生まれる前のパパの心の状態のままだと、 

パパは弱者に対しての優しさが持てない人になっていたかもしれないの。 

それで私は重い障害を持ってパパの娘に生まれたの」

この言葉は僕にとって目からウロコが落ちるようなものでした。

たしかに、思い返してみれば当時の僕にはそういった傾向があったのかもしれません。

  

やがて娘は 「もう天に帰るから」と言って去っていきました。

痛く、辛く、悲しい人生ではあったと思いますが、彼女の一生は無駄でも敗北でもありませんでした。 

敢えて、障害を持つ子として生まれて、僕に思いやりの大切さを気づかせてくれたのですから。

これはすべて本当の話です。

もう一度言います。どんな人生でも、無駄や敗北はないのです。 

大切なのは無駄や敗北と見えたことから、何を学び取るか、なのです。

<転載終了>


私も、人の親ですから、子供を早くに亡くす、悲しみ、苦しみ、後悔、張り裂けそうな胸の内。想像に難くありません。

ですが、もし親が、子供の早すぎる死を悔み、何時までも、世を憎み、人を憎み、何時までも、いつまでも運命を呪っていたなら、この子供たちが、敢えて勇気をもって、早くに亡くなることを選んで生まれて来た人生の目的は、どうなってしまうか? 

そう考えてしまいます。 

子供たちが、親のその姿を天国から見てどう思うのか? 

何時までも、私のことを忘れずに、大切に思いそれゆえに憎み苦しんでくれてありがとう。

そう思うのでしょうか?

中川さんの仰るように心の波動の上下によって、地獄界、幽界、霊界、神界と厳格に分けられてしまい、その悲しみ、苦しみ、後悔、運命を呪う波長のゆえに、親が自動的に、その世界に引き込まれていくことを、この高貴な魂の子供たちは、喜ぶでしょうか?

中川さんは仰いました。 

死ぬとその者の魂は、自分の波動と同じ波動の場所へ自動的に移動します。

この子供達の魂は、中川さんの仰る魂の法則、類は友を呼ぶ、を十分知った上で、生きている私たち、お父さん、お母さんを見ています。 

大切な大切な子供たち、その子供たちの喜ぶ笑顔が見たいですね。

子供たちは何のために生まれて早くに亡くなったのか? 

一番影響を受ける親に何を伝えたかったのか? 

親にどう変化して欲しかったのか? 

それに気づき、お子さんたちが望んだ変化を私達親が、人を社会を恨むことなく成し遂げることができたら、子供たちは天国で本当に幸せを感じることでしょう。



2022年1月12日水曜日

2575「今日という日」2022.1.12

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月07日の記事を紹介します。


「今日という日」


元旦に書いた記事は人気が高く「実践始めました」・・・と言う人が沢山いらっしゃいます。

是非、無理せず続けられて 

今年の終わりには、

・良いことしか起きなく

・良い人しかいない

そんな神様の道にお進みください。


 

さて皆さんは今 

・ご家族と一緒に暮らしていますか?

・仲良くされていますか?

それとも、 

・顔を見るだけで、ため息の出るような、家族もいらっしゃいますか?

・言うことを聞かない子供、

・自分勝手な旦那さまなど・・

今日は、その方のお顔を思い出して、読んでみてください。

 

あるご家族の娘さん(7歳)が亡くなりました。

子どもを亡くしてから一年経ってもこのご夫婦は「娘にもう一度会いたい」と嘆いていました。 

ある日のこと、水色の天使がその夫婦の前に突然に現れて言いました。

「今、あなたの持っているすべての財産と引き換えに、亡くなったお嬢さんと一緒に過ごせる日を一日だけプレゼントできますが、 どうしますか?」 

 

その夫婦は迷うことなくOKしました。 

そして水色の天使が続けて言いました。 

「しかし、ルールがあります。あなた方は、プレゼントされた1日が終わるまで、 

今ここで約束したことや、お嬢さんと死別したことなどの記憶は消されてしまいます。

それはまるで、過去に戻った一日を自然に過ごす感覚ですよ、それでもいいですか?」 

その夫婦はお互いに顔を見合わせてゆっくりとした口調で「分かりました。」 と返事をしました。 

その瞬間パッと光が・・・  あっ!まぶしい・・・ 

次の瞬間には、いつも通りの朝になっていました。

ですが、夫婦は、天使と約束したこと、娘が死んでしまう事など、一切の記憶を無くしていました。

そうです、娘が生きていた頃の何気ない一日の始まりでした。 

 

朝から「早く起きなさーい!!」妻の大きな声。

パジャマ姿で機嫌悪そうに起きてきた髪の毛のボサボサな娘。

眠たい目をこすりながら新聞を読む夫。貴重な貴重な一日が始まりました。 

私たちが生きている今日は、それは、いつか未来に水色の天使に全財産と引き換えに頂いた「今日」なのかもしれませんね。

もう一度、最初の質問をしたいと思います。

 皆さんは今 

・ご家族と一緒に暮らしていますか?

・仲良くされていますか?

それとも、

・顔を見るだけで、ため息の出るような、家族もいらっしゃいますか?

・言うことを聞かない子供、

・自分勝手な旦那さまなど・・ 

その方が、明日は、いなくなってしまうかもしれません。

もし、胸がきゅんとなったのなら、今の何気ない日々の暮らしの中で、周りの身近な方々に

どうぞ笑顔で、優しく接してください。

今日のこの日は、永遠に続く日々ではありません。

家族もいつかは離ればなれになってしまいます。

 

・手のかかる、言うことを聞かない、心配の種の子供も・・

・自分勝手な夫も

・嫌味ばかりを言う親も

明日はいないかもしれません。いつか、別れの時が来ます。

ともに、この地球の同じ時代に生まれ、そして縁によって結ばれた家族たち

それは、私たちの魂を、磨き合う仲間でもあります。

 

外見の態度や言葉で切り捨ててしまうのではなく、その心の奥にある、魂を見つめたいものです。

私たちは、生まれる前に、その魂同士で約束してきたのですから。

 

それから、今日は、もう一つテーマがあります。 

皆さんの中には、お子さんを早くに無くしてしまった方も居るかと思います。

病気や事故、もしかしたら自死もあったかもしれません。医療ミス、過剰な薬物投与。 

自分より先に、かわいいわが子を無くすことほど、苦しく、辛く、悲しいことはありません。 

世の中全部が敵に見えるかもしれません。

幸福な家庭が憎くなるかもしれません。 

心の中は、切なさ、後悔、やりきれなさ、憎しみで一杯になってしまうかもしれません。

  

ですが、ここで、少し考えていただきたいのは、先に逝ったわが子、愛しいわが子は、愛する父と母の心が、自分の死によって、そのような黒い心になってしまうことを望んでいるのかということです。 

肉体を去っても、存在が消えたわけではありません。

より自由度を増した、魂の存在として、元の世界に戻っているだけです。

私たちも肉体を去れば、必ず会えます。心が通じているのですから。 

その愛しい子供たちが自分の死によって、父や母の心が黒く変わってしまったら、悲しむに違いないのです。

   

憎しみのあるところ、幸福も、健康もありません。 

愛と許し、感謝のあるところ神さまの光が照らします。幸福があります。 

どうか、たとえ、愛しい子供たちが夭逝したとしても、心を黒く汚すことなく、悲しみは悲しみとして、しっかり受け止めて、そして次には前を向いて欲しいのです。

笑顔を、周りの方々に向けて欲しいのです。

きっと、天国の子供たちも、愛する、父や母に、そのような神様の道を歩んで欲しいと 

願っていると思うのです。

 


2022年1月11日火曜日

2574「神さまの承諾」2022.1.11

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月06日の記事を紹介します。


「神さまの承諾」


今日は、事故や事件で亡くなってしまう場合も、生まれる前に決めたシナリオ通りの人生なのか?

と言うことで、小林正観さんのお話をご紹介します。

また、自分に対しての、意地悪や陰口、揚げ足取りのような理不尽な行動も同じです。



悲惨な犯罪も、理不尽な仕打ちもすべて、神さまの承諾の下で起きている。

つまり事件や戦争、理不尽な出来事などに、敵意や憎しみを抱くことは、

「さらなる犯罪を呼ぶだけ」ではないかと言う内容です。

<転載開始> 転載元


私は学生時代から「唯物論者」なので、神や仏を前提としては、ものを考えていません。

しかしこれまでの研究の成果として、神も仏も、守護霊も精霊も、存在するのではないかと思うようになりました。

そして、世の中に起きている、どのようなことも、すべて神の承諾のないことは起きない。 

という結論に、到達することになりました。

一般の人が言う、

・悲惨な出来事や

・不幸な出来事も、

・ものすごく大きな「悲劇」というものも、

すべて「神の承諾」の下で起きているのではないか、と思うようになったのです。

繰り返して言っておきますが、私は今も唯物論者です。 

かなりガチガチの唯物論者であり、現象がその事実を証明しないかぎり、信じません。

しかし、いろいろな現象を何千、何万と見つめてきた結果、神というものが存在するのではないかと思うようになってきました。 

そして、世の中に起きるすべてのことは、私たちの感覚では「良い」とか「悪い」というとらえ方ができたとしても、神の承諾を受けていないものはない、

という結論にならざるを得ませんでした。

神が私たちに求めているのは、その現象について、

悲惨であるとか不幸であるとか、評価・評論をすることではないように思えます。 

神が私たちに求めているもの、宇宙が私たちに求めているものは、おそらく次のようなことなのです。

一般的に「ひどい」とか「悲惨だ」と言われる事件が起きた時、その報道を1億人の人がニュースで見たとします。 

そして、人々がその犯人について

・ひどい奴だ。

・許せない。

・絶対に死刑にしろ。

・報復をしてもかまわないんだ。

・世界中を探し出して、その人間を殺すべきだ 

と言って、敵意と憎しみの塊になったとします。

そのとき、上空から見下ろしていて喜ぶのは誰でしょうか?

それは「悪魔」という存在でしょう。 

私たちが、憎しみのエネルギー、恐怖のエネルギーで、心を満たし、汚すことを望む存在です。

「悪魔」は、人々が仲よしで、お互いに笑顔で、となり合った人を助け、温かい空気の中で、ともに生きていく、そういうことを大変に嫌います。

  

敵意と憎しみのあるところにだけ悪魔は住むことができるからです。

それに対して、 

「自分ができることは、まわりにしてさしあげよう」とか

「できるかぎり人に喜ばれる存在になろう」 

という心を持っている人間が増えると、 悪魔は住むところがなくなって、とても困ります。

ですから、悪魔は、 

・多くの人々の敵意や

・憎しみの感情が芽生えるように、

いつも願っています。

1億人の人が、その事件の犯人を許せないと思い、敵意と憎しみをかき立てられたとしたら、

上空で微笑んでいるのは、悪魔という人でしょう。

一方、神という名の存在の方は、大変悲しい思いをしていると思います。 

もし逆に、1億人の人がその事件を見聞きして、こう考えたらどうでしょう。

『私』の心の中の敵意や憎しみの延長線上に、この犯罪や出来事が存在する。 

『私』が敵意や憎しみを持っていることは、この人たちが、社会に対して、

敵意や憎しみを発散させ、事件を起こしたことと、同じ意味である。

もしこの人たちが、敵意や憎しみを実際に世の中で発散したことについて、自分が否定的に思うのならば(こういうことがあってはならない、あってほしくないと思うのであれば)、 

まず自分の心の中から敵意や憎しみを取り去ること。

 

1億人の人が、こういうふうに考えたとき、その出来事が起きたことに大きな、貴重な意味があったといえます。

多くの人が自分の心の中の、敵意や憎しみを、見つめ直すことができたなら、

「私のメッセージが理解されて嬉しい」と神様はニッコリ微笑むのかもしれません。

<転載終了>


最近は本当に目を覆いたくなるような出来事が、世界中で起こっています。

・人種差別による憎しみの連鎖

・宗教紛争

・親子間の殺人

悲惨な事件や、被害者やそのご家族があまりにもかわいそうな内容であればあるほど、 

私たちはその犯人を憎みます。死刑を望む人もいるでしょう。

「罪を憎んで人を憎まず」という耳触りのよい言葉もありますが、やはり「憎しみ」を肯定していますから、そこには神様の要素が全くありません。

立派な人、努力して自分を律している人、まじめな人ほど、人の不正や怠惰な言動が、許せないかもしれません。憎しみを抱き続けるかもしれません。

「私はこんなに頑張っているのに、あの人は何?」

でも神様は、はたして、そのようなことを仰るでしょうか?

神様は全ての全てを、受け入れ、寛大な目で見守り、魂が更生する機会を辛抱強く、待っていてくださるのではないでしょうか?

 

憎しみや、恐怖、疑心暗鬼、貪欲からは同じものしか生まれません。

信頼からは、愛が生まれます。

どんなに過酷な状況であろうと、魂までは傷つけることはできません。

神様が悪魔の存在を許し、その悲惨に見える状況を承諾したのであれば、大きな大きな教訓として、私たちの心を見つめなおすキッカケとしてまた大きな犠牲を覚悟で、憎しみの対象となることを承知で生まれてきてくださった、役割を持った魂たちに対し、「感謝」を持って受け入れたいと思います。

それこそが、神様が人間の、近視眼的な目から見れば、理不尽に見えることが起こることを

許していらっしゃる理由であろうと思います。

 



2022年1月10日月曜日

2573「一番大切な人」2022.1.10

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月05日の記事を紹介します。


「一番大切な人」


今日は「今、目の前にいる人、目の前にあることが一番重要」ということで、小林正観さんのお話をご紹介します。 

私たちはこの世界に降りてくる時に

・魂の永遠の記憶も

・神様との交わりも

・人生の目的も

・自分で計画してきた人生のシナリオも 

全て一旦リセットして忘れてこの地球に来ました。

  

それはまるでシナリオの見えない劇の主人公を演じているかのようです。

ですが、その進行役を神様がやってくださり必要なタイミングで人との出会いや別れ、事件を起こしてくださいます。

全てを見通す力を一時的に失っている私たちにできることは、ただ、今目の前にいる家族や人々、動物や植物たちに丁寧に誠意を持って、愛を込めてお付き合いしていくだけです。

<転載開始> 転載元


私たちの周りで起きているすべての現象、人生のあらゆる出来事に、

・重要なこと、重要でないこと

・大きいこと、小さなこと

の区別は、実はありません。

というのは「小さいこと」の定義を言ってくださいと言われても、誰も答えられないからです。

何らかの現象について、そのときは、小さいこと、些細なことと思っていても、それがなければ、今の自分はなかった、ということを考えたら、(大きいこと・小さいこと)の区別は、つきません。

このことを、実際にあった状況を取り上げて説明しましょう。

 

私が出た高校の同級生の一人が、大学にも行かず、就職もしないで、とりあえずアルバイ トとして晴海のイベント会場でコーラの販売をしていました。

そのとき、コーラ売り場の前をアメリカ人の夫婦が通りかかり、70歳ぐらいの歳のご主人が足を滑らせて倒れてしまいました。

彼は自分の売り場の前ですから、走り寄って助け起こし、ケガの手当てをしたりとか、いろいろ世話してあげたそうです。

そしたら、「あなたのような親切な人に、初めて会った」と、その夫婦は大変感激し、

「実は、私たちは結婚して40年も経ちますが、子どもがいないのです。あなたさえよければ、 私たちの養子になりませんか」と言われました。

彼としては、別にほかにすることもなかったから「わかりました。いいですよ」ということで、アメリカに渡り、その夫婦の養子になりました。

彼はそこで英語を覚え、大学にも行かせてもらい、卒業してからは企業買収の専門家になりました。

今は日本に戻り、その分野で大手の外資系企業の社長をやっています。

コーラの販売をしていた、その前で人が滑った、その人を助けてあげた、 

これらはすべて小さいことのように見えますが、結果としては小さいことではありません。

因果関係がわかったときには、一つひとつがものすごく重要で、大変な出来事だったと、気 がつくでしょう。

優先順位とか、出来事の大きい小さい、とかの区別がないことを、さらにわかりやすく説明します。

 

人生はドミノ倒しだと思ってください。

ドミノ倒しの如く、人は連続した瞬間を生き、最後の一個がパタッと倒れて、人生を終えます。

これらのドミノは、すべて同じ材質で、同じ厚さで、同じ形状です。

大きい小さいは ありません。重さも全部一緒。

それが一個ずつ、ただ淡々と倒れていくだけです。

自分の目の前に現れる人が、小学生であろうが、中学生であろうが、大人であろうが、大会社の社長であろうが、出会う人は全部一緒です。

 

それを一緒だと思えるかどうかに、その人の人間性が表れます。

社会的な地位や権力といったものを背負ってるかいないかで人を見るのは、まだ自分の中で本質的なものが形成されていないからです。

出会うすべての人、どんなに些細に見える行為も、人生を成り立たせるうえでは、どれも 必要不可欠なことであり、ドミノの一個一個が同じ価値だということに気がつくと、何も怖くなくなります。

人生で最も大事なのは、今、目の前にいる人です。

一人ひとりをきちんと受けとめていくことで、その後の人生を組み立てていける、ということです。

この一個一個のドミノ、それ自体が結果であり、次のドミノを倒す原因になっています。

倒れた「私」が、また次のドミノを倒していく。

今、目の前にいる人を大事にすることが、私の未来をつくっていくのです。

人生は、その繰り返しのように思えます。

<転載終了>

 

仕事などだと、よく優先順位を付けて、仕事をテキパキこなすのが優秀なビジネスマンなどと言われ、もてはやされたりします。 

ビジネス書なども飛ぶように売れているようです。 

また、私たちはよく人を

・身なり

・地位、肩書

・所有している資産(お金、家、車)

・健康か病弱か

・頭の回転が速いか遅いか

・器量が良いか悪いか

など、見た目だけで判断して、態度を変えがちです。

  

ですが正観さんが仰るには、

どんなに些細に見えることであっても、自分の身に起こってきたことは、大きい,、小さいの区別は存在せず、必ず次のステップへの礎(いしずえ)となってくれるものだと言うことです。 

優先順位が無いのですから、来た順番に対処していくことになります。 

また今、目の前の人が一番大事なのですから、誰彼と区別せず、 

例え子供であっても、丁寧に誠意を持って、愛を込めてお付き合いしたいものです。

結局、その時の私たちの取った態度が、次のステップが来る時に、 

・良きものか、悪しきものか

・楽しいものか、苦しいものか

・心を明るくするものか、暗くするものか 

を決めるからです。

   

ですから私たちは、将来のことを心配したりせず、過去をクヨクヨと、いつまでも悩んでいず、何か判断を間違えて、不幸な人生を選んでしまうのではないかと、取り越し苦労などせずに。

今、目の間に居る人やコトだけに集中し、良心に恥ずかしくない行動さえしているだけで、

ずいぶんと楽に、そして楽しい人生を送れるようです。

後は、神さまが良きにはからって下さいます。

 


2022年1月9日日曜日

2572「因果を超えて」2022.1.9

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月04日の記事を紹介します。


「因果を超えて」


イエスもブッダも空海も過去の沢山の偉人達も、

そして最近では神仕組みの元、宇宙から直接来た魂や 

神々の意識のまま生まれて来た子供たちも

全てが、霊的な不思議な現象のことではなく、

地味ですが、心の持ち方について語っています。 

心を整えることで、そこから地球を良き星にしようとしています。 

全てのことが、私たちの心から始まります。


そして最近はますます思考が現実化するのが早くなったようです。

これは心の状態が、現実に目の前に具現化されるのが早くなったと同じ意味です。 

自分が意識するしないに関わらず、心の中の情報が、現実化します。

ですから、テレビや本、最近ではSNSなど

自分がどのような好みで、それらの情報に触れているかによって 

否応なく、それが現実の世界で具現化して出てきます。 

ですから自分が触れる情報にもよく注意が必要です。 

逆に言えば、自分の心に無いことは、現象として発生しない・・・ と言うことになります。

愛や、優しさや、思いやりも。

  

また心の状態は、単純ではなく、今世に置いて、自分で意識できることだけではなく、

魂は永遠ですから、過去の色んな人生を経てきて、染みついた魂のクセ

神我(しんが)を包み隠している、 

・包身(ツミ)-本来の光り輝く神様と同じ姿の自分自身を隠してしまうもの

・氣枯(ケガレ)-神様のご神気の枯渇 

によって、その種子が、いつ芽を出そうかと潜んでいます。 

何か自分のやったことに対して、自分の思ったことに対して

直ぐに、しっぺ返しや、反応が現れるということは、

それだけ、

・現在の地球自体の波動レベルが上がり

・体主霊従から霊主体従の 魂重視の時代に変わりつつあること

・自分自身の、魂の成長が進み、因果律による反応を受け止めても、

 今の自分であれば大丈夫、 それを研ぎ石として更に、魂を輝かすことができると 

 神さまが判断して、現象を起こしてくださったからです。

   

自分の魂の進化が進まないうちは、その反応や現象、出来事に耐えられないし、 

耐えられたとしても、そこから 

・何故そうなったのか?

・自分の心のどの部分が、その現象を起こしたのか?

理解することもできないし、そこから教訓を得ることもできないので、 

現象や反応は、まだ先延ばしにされます。

心の状態が現実化する。 

これはブッダの説いた因果律、

まいた種は刈り取らねばならない・・ と同じことですが、

このことは、バチでも何でもありません。

全ては神様の私たち人間に対する深い愛から発生しています。 

現象が現れた、例えそれが、自分にとっては、逃げ出したく、

できれば避けて通りたい出来事であったとしても、

神様が、それを起こるのを「善し」としたから起きた出来事です。 

私たちは、そこから逃げない限り、 

また一つ、ツミ(包身)を一枚、心から剥がし、 

光り輝く、もともとの神様の輝きを取り戻すことができます。 

しかし、せっかく、神様が、心の状態を現象として見せてくださっても、

目をそらし、逃げたり、他人のせいにしたり、見なかったことにする、

そうなると、その現象は無駄になってしまいますから、

再び、宇宙を巡り、さらに強力になり、再び、機が熟した時に、

神様が私たちに運んできてくださることでしょう。

  

自分にとって嫌な現象が現れた時は、実は大きなチャンスの時です。

神様が、「今こそ、それに気づいて解消しなさい」

そんな時だからです。 

逃げないで、正面から受け止め、受け入れれば、一気に、嫌なことではなく、

魂を輝かせてくれる素敵な出来事に変わることでしょう。

  

最初の一歩、

受け止める、受け入れると決心することは、「よし、変わろう」と決心することは、 

大きな勇気がいるかもしれません。 

今迄、魂にとって、そこが弱点だったから、現象が起きているのですから。

ですが、その時、私たちが決断することができれば、

一気に神々の喜びとともに、問題は解決してしまうことでしょう。

神々を含め自然界から最高のサポートを得られることでしょう。

この見える世界も、見えない世界も全て、私たちの心が作り出しています。 

その心が、本来の神様と同じ輝きを取り戻せることであるのなら、

神々は、どんなことをしても、

その大きな私たちの勇気ある決断を後押ししてくださることでしょう。 

そして、その決断をした瞬間に私たちの魂の、輝きがまた一段と増します。

  



2022年1月8日土曜日

2571「強大な意識の力」2022.1.8

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月02日の記事を紹介します。


「強大な意識の力」


私たちの意識・心(肉体の方ではありません)は、肉体が機能しなくなっても、ずっと生き続けます。 

生き続けるというか元々が意識そのものであった私たちが、 

神さまから肉体をお借りして、高次の地球意識の庇護のもと 、

今一時だけ、3次元地球の上で、色々な経験をさせていただいています。

肉体が動かなくなるとそこから抜け出して、

またもとの意識・心に戻るだけです。苦痛はありません。

元々の心だけの状態であった時は、意識・心が自分の周り全てを創り出しますから、

心の状態が、即、自分を取り巻く環境になります。

また自分の心の波長に同調する、共鳴した魂が、類は友を呼ぶの法則の通り集まります。



この3次元の地球上では少し分かりずらいのですが 

・意識・心が環境を創り出す。

・自分の周りに来る人、いる人を決める

事は、肉体を持たない生まれる前と全く変わることがありません。 

心がすべてを決めています。

そのため昨日は、最初にやるべきこととして、まずこの心の状態を整備するために、

「ありがとう」の強力な働きについて説明しました。

  

その内容は人類の精神性のレベルが上がってきた近年において、

沢山の偉人たちが教えてくださっていましたが、 地球が大きく変わろうとしている今、神々から依頼されて生まれてきた子供たちの魂たちによっても

色々な角度から指摘されています。 

それほど「ありがとう」の威力は強力です。 

今日は、その私たちが神さまの御霊の一部として頂いた、

意識・心の強力な力について書きたいと思います。

 

何か問題が起こった時、悩み、苦しみがある時に使う方法です。

・意識の持ち方を変えるだけで、

・「問題点」に関して、考えないようにすることで、

・エネルギーを供給しないことで

いつの間にか、その問題点そのものがなくなっていることに気づくことがよくあります。 

私も、これをいろんな分野で応用しています。

  

宇宙意識バシャールは、 

私たち人間は、時間が連続しているかに見えるのは錯覚で、

意識の変化で一瞬一瞬、パラレルワールド間をジャンプしている といいます。 

またブッダは、

『人間の一生の長さとは、刹那、刹那、この1刹那である』 

と言いました、ちなみに拍手を一回打つと 65刹那です。

ですからブッダは、

人間は瞬間瞬間 生まれ変わっていると教えてくれました。 

私たちは、自分の周りで起こっている出来事が

あたかも連続した時間軸の上で、連続した出来事のように錯覚していますが、

それは連続した出来事ではなく、単なる記憶を引きづっているだけです。 

宇宙神から頂いた心にとって本来、時間・空間は意味を持ちません。

肉体を持っていても同じことです。 

・病気であるという記憶

・悲しい出来事が起きたという記憶

・いじわるされたという記憶

・ケンカしたという記憶

・人に嫌われているという記憶

・自分は孤独であるという記憶 

その記憶があるために、 

私たちは自らの精神と身体を、その記憶につじつまを合わせようと、無理やりしているだけです。

それが単なる錯覚だと分かると自分の意識が変わりますから、

バシャール的に言うと、

今までの過去とは異なるパラレルワールドへ、移行してしまいます。 

ブッダの言い方では

朝目覚めたら、別の人格の人生が始まります。 

それは、 

・自分の性格は、明るく、周りの人に親切で

・いつも笑顔で、皆を勇気づける言葉を口にし

・ないものを恨まず、今あるものに感謝し

・昨日ケンカした人など存在せず

・いじわるをしてた人は、実は家庭で嫌なことがあっただけで、本当は心根の素敵な人で

・自分を嫌っていると思ってた人も、

 単なるボタンの掛け違いだっただけで、実はとっても優しい心の持ち主で、、 

実は自分は、そんな人間であった、周りの人は愛にあふれた素晴らしい人だったと 、

過ぎ去っていった記憶を書き換えてしまえば、 

過去は、過ぎ去り、ただ記憶として残っているだけです。 

そして、人間の意識とは、一瞬で変えられるものだからです。 

そんな人生に、一瞬で変えられます。

意識の上で、変えてしまうのです。 

人がどう思うか?は全く関係がありません。 

自分が思うほど、人は自分のことを考えていません。

 

それどころか、私たちの心、意識が周りの人の意識まで変えてしまいますから、

私たちがなすべきことは、一心に、自分の心をどこに持っていくかだけです。

まったく新しい人生を自分の意識を転換することで、生きるだけです。 

私たちの意識・心は、こんな小さなところに縛り付けられている小さな存在ではありません。

神様と同じく宇宙的な存在です。

・否定的なもの、

・心を委縮させるもの、暗くさせるもの

・表面的な、一時的な 相手の嫌な面

そんなものは、意識せず、考えず、、

つまり、そこにエネルギーを与えなければ、それは、もともと存在すらしなかったものになり、私たちは、一瞬にして天国に住む、幸せな人に変貌してしまうでしょう。

  

小林正観さんは、このことを

「悟には3秒あれば良い」という言い方で教えてくださっています。 

・過去のすべての出来事を、そのまま善悪という区別をせずに受け入れ、

・現在起きているすべての出来事を、そのまま善悪という区別をせずに受け入れ、

・将来起こるすべての出来事を、そのまま善悪という区別をせずに受け入れ、 

これを各1秒ずつ行うことで、悟りに達するといっています。 

つまり、今までの

・苦しかった経験

・失敗してしまったという経験

・恥ずかしかったという経験

全てが、今の(神さまを意識しだした)自分の意識状態にたどり着くために

必要で不可欠な尊い出来事だったということです。

何も悔む必要はありません。

・悩んでいたのは、

・ケンカしていたのは、

・苦しかったのは

・辛かったのは

・悩んでいたのは 

過去の自分であって、今の自分とは別人格です。 

 

今の私は、生まれ変わった新生であり、

その人格は、 

・優しく穏やかで

・常に感謝の心を持ち

・笑顔で周りの人々と、お互い様、おかげさまで生きている

神々に愛される人格に生まれ変わりました。

(それによって 時間軸をさかのぼり過去も書き換えられました) 

多重人格の人は、人格が変わるたび、

その人格が持っていた ケガや病気の兆候が身体に現れたり消えたり

身体と精神の一切合切が、切り替わってしまうそうです。


また先日、女優の大竹しのぶさんがTVで言っていました。

彼女は、良い意味で「憑依型の女優」と言われていますが、 

少年の役をやった直後、行きつけの整骨院(女性の施術者)に行ったところ

施術中、言われたそうです。「股間に異物がある」

つまり、少年の おち〇ち〇が身体に発生したのだそうです。

  

それほどに意識の力には強い力があります。 

体の構造までも変えてしまったのです。

ですから、もし辛いこと、悲しいこと、苦しいこと、がある方は、試してみませんか? 

私たちの心は、いつでも変えることができます。 

そして意識、つまり心が変われば、生きている現実も、それに追随して変わってきます。

過去さえも変わります。 

このことがわかってきて、

そして実際に使っていくと、もう不幸なことなど、おきなくなります。 

いつまでも暗く、悲しい記憶に縛り付けられるのはもうやめにしましょう。