2023年7月7日金曜日

3115「大きな愛」2023.7.7

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年06月27日の記事を紹介します。


「大きな愛」

今日は病気で苦しい、何故病気になったの? について書きたいと思います。 

苦しんでいらっしゃる方の、少しでもお役にたてれば幸いです。 

山元加津子さんという元養護学校の先生と、今はもう亡くなられてしまった

雪絵ちゃんという生徒さんのお話をご紹介します。

雪絵ちゃんは、天使のような女の子でした。

<転載開始> 山元加津子(かっこちゃん)さんHP

 

今日は私の大切な友達でもある雪絵ちゃんという女の子のお話をします。

雪絵ちゃん

雪絵ちゃんとは、重い病気を抱え、地域の学校に通うのが困難な子どもたちが学ぶ

病弱養護学校で出会いました。 

彼女が抱える病気はMS(多発性硬化症)というもので、脳の障害により、

発熱すると目が見えにくくなったり、手足が動きにくくなります。 

発熱が治まれば病状は緩和されるのですが、私はまたいつ再発するかと、いつも不安でした。

しかし雪絵ちゃんは、どんなにつらい時でも自分の力で立ち直ることのできる強いお子さんでした。

そして「MSになって良かった」というのが口癖で 

「車椅子の生活をしているからこそ気付けたことや、多くの人々との出会いがあった」と 

前向きに生きていました。

私はそんな風に思えるなんて素敵だなと思っていました。

そんな雪絵ちゃんとの日々が続いていたある年末の日、悲しい知らせが届きました。 

雪絵ちゃんが、亡くなったということでした。 

私は、雪絵ちゃんの容態がどんなに悪化しても、まさか亡くなることは無いだろうと

思い込んでいたので 

しばらくつらい思いでいっぱいでした。

数日後、私のもとに彼女からの一通の手紙が届きました。 

その一部を紹介します。


「誕生日」

私、今日生まれたの。

一分一秒のくるいもなく、今日、誕生しました。

少しでもずれていたら、今頃 健康だったかもしれない。

今の人生をおくるには、一分一秒のくるいもなく生まれてこなければいけなかったの。

けっこう、これってむずかしいんだよ。

12月の28日、私の大好きで大切で幸せな日、今日生まれてきて大成功。 

Snow(※雪絵ちゃんのペンネーム)に生まれてきて、これまた大成功。


「ありがとう」  雪絵ちゃんの作った詩

ありがとう、

私、決めていることがあるの。

この目が物をうつさなくなったら、目に

そしてこの足が動かなくなったら、足に

「ありがとう」って言おうって決めているの。

今まで見えにくい目が一生懸命見よう、見ようとしてくれて、

私を喜ばせてくれたんだもん。

いっぱいいろんな物、素敵な物見せてくれた。

夜の道も暗いのに、がんばってくれた。

足もそう。

私のために、信じられないほど歩いてくれた。

一緒にいっぱい、いろんなところへ行った。

私を一日でも長く、喜ばせようとして目も足もがんばってくれた。

なのに、見えなくなったり、歩けなくなったとき

「なんでよー」なんて言っては、あんまりだと思う。

今まで弱い弱い目、足がどれだけ私を強く強くしてくれたか。

だからちゃんと「ありがとう」って言うの。

大好きな目、足だからこんなに弱いけど大好きだから

「ありがとう。もういいよ。休もうね」って言ってあげるの。

たぶんだれよりもうーんと疲れていると思うから。

<転載終了>

  

雪絵ちゃんの詩から分るように、彼女は、敢えて MSという難病に生まれてくるために 

生まれる日、時刻を自分自身で正確に設定して来ました。(星の配置の影響があるからです)

そして、それは成功し、

彼女は、生まれる前の決意の通り難病で生まれ、難病で生き 

そして、難病のために帰って行きました。 

雪絵ちゃん  

重い病気だったのに 「私は私に生まれて大正解」 そう言った、少女  

・辛くは、なかったの?

・苦しくは、なかったの?

・悔しくは、なかったの? 

きっと雪絵ちゃんの答えは全部 「いいえ」でしょう。 

彼女は、難病で生まれてくることを決心して来たことで、

体は不自由で、身体的には きつかったことでしょう。 

寿命も、人よりは短かったことでしょう。 

親御さんに、沢山の心配もかけたことでしょう。 

ですが、それでも彼女が病気の身体を選んだのには訳があります。 

人間として生まれるにあたって、意味もなく、目的もなく生まれることなど、 

神さまが許して下さらないからです。 

きっと、彼女は病気を通じ、沢山の人と出会い、人々の温かさ、思いやり、優しさ、愛、 

また逆に偏見、冷たさにも出会ったことでしょう。 

そして彼女は、病気の内にあってさえ、持っていないもの・・・

健康ではないこと、身体が不自由であることに、不平不満を言うのではなく、 

わずかでも、自分の持っているもの 

・見える目

・動く足 

に感謝する心が芽生えました。 

普通に生まれ、普通に生きている人なら、もしかしたら、芽生えなかったかもしれない 

「感謝の心」です。

 

私たちは、当たり前に普通に生きていると、「感謝の心」に一度も出会わずに、 

亡くなってしまう人生を過ごしてしまうかもしれません。 

感謝の心とは、神々と近づく、触れ合う大切な大切な心です。 

私たちは、この心を感謝の心を味わうために、生まれて来た・・

そう言っても過言ではありません。 

そのためであれば、 例え、 

・寿命が短くとも

・身体が弱くとも

・貧困であっても

・偏見にさらされようと 

それで、生き、そして元居た光の世界に帰って行くことも本望なのかもしれませんね。

最後に、美しい詩を一編、ご紹介します。 

<引用開始>

  

大きなことを成し遂げるために、力を与えてほしいと、神に求めたのに、 

謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった 

偉大なことができるように健康を求めたのに、 

より良きことをするようにと、病気をたまわった 

幸せになろうと、富を求めたのに、 

賢明であるようにと、貧困を授かった  

世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、 

得意にならないようにと、失敗を授かった 

人生を享受しようとしてあらゆるものを求めたのに、 

あらゆることを喜べるようにと、命を授かった 

求めたものはひとつとして、与えられなかったが、 

願いはすべて聞きとどけられた

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、 

心の中の言い表せない祈りは、

すべて叶えられた 

私はもっとも豊かに祝福されたのだ 

<引用終了> 

 

病気で、苦しんでいらっしゃる皆さんも、どうか、希望を失わないでください。 

もしかしたら、その御病気も人間として一番大切な感謝の心を手に入れるために、 

御自分自身で選んで生まれて来た道かもしれません。


2023年7月6日木曜日

3114「青空ひろば」2023.7.6

 今回は立花大敬さんの青空ひろばの最新の内容を紹介します。


1008 2023.06.18 ~1019 2023.07.01 (前日の続き)


「白隠禅師坐禅和讃」を簡単に解説してゆきます。

先ず初めに白隠禅師という方の紹介を…。

白隠禅師は江戸時代中期の人。今の静岡県出身で、生家は日蓮宗やったみたいです。お母さんは天神さんを信仰していて、禅師もその感化を受けて、お題目を称えて、また天神さんを拝んでおられた。

禅に帰依して出家されてからは法華経や天神信仰からは離れておられた。

ところが、42歳で「法華経の悟り」を悟られて、初めて本当の意味の「大乗の悟り」って言うのがわかったんです。

また、天神様が霊的に出現されて「延命十句観音経」を広めてくれ、このお経を唱えてくれたら、苦しむ人たちの救済のために私はもっと働けるようになるからと依頼されて「延命十句観音経」を人々に広められたということがあります。

それで、法華経を捨てて禅に入門した。

それはそれは壮絶な修行をされて、「達人の悟り」って僕は言ってるんですけど、すごく高い境地の「達人の悟り」を得られた。そして世界中でオレぐらい悟ったヤツは居ないとか自惚れていたらしいです。でもね、なんぼ自分でそう自惚れていてもね、身体は嘘をつかない。

どうなったかと言うと精神的におかしくなり、ふらふらしていつも脇汗、脇の下からたらたら汗が出る様になりノイローゼの様な…。

胸がいつも痛くて、大変な身体と心の両方の病に成ってしまった。そこで、「これはどこかおかしい。自分の悟りってなんか違うんじゃないか。自分が得たのは本当の悟りではないんじゃか」と、ようやく反省したんだそうです。

そういう疑問を抱えていた42歳の時に、冬の始めにコオロギが鳴いている声を聞いた。弱々しい声でコロコロ、コロコロコロ鳴いていた。

それを聴いた途端に「法華経の心」が悟れた。そして涙がボロボロ流れて法華経を仏壇にあげて礼拝した。

申し訳なかった、私はこの法華経というものが持つ「大乗の慈悲」がようやく分かった、と言って懺悔礼拝されました。

「達人の悟り」の境地から、「大乗の悟り」の境地になられた。


「達人の悟り」っていうのはある特定の人だけがその悟りを得る事が出来る。それを得られない人は不合格。その悟りを得た少数の人だけが合格者。

合格と不合格がある様なのは、実は本当の悟りじゃないのです。言うたら悪いけど禅のお坊さんとか、禅をちょっとでもかじった人は直ぐ言う。「あの人は悟ってない、あの人は悟ってる」とか。悟りっていう言葉で人を合格と不合格に分けて差別してしまうんです。それって本当やろうかな、と疑問に思うんです。

仏様の目から観たらどやろ。仏様の目から観たら、全ての人は「妙法」なんです。(ボードに妙法と書く)

全ての人が「妙法」なんです。「妙」って何かって言ったら「美しい、素晴らしい」という意味。

「法」って何かって言ったら「超えられない枠組み」のことを意味する。「法律」といったら、ここから外にはみだしたらいけないよという枠組みでしょう。「作法」といったら、この通り行動しなさいという行動の枠組みでしょう。

仏教では、そういう「法」という漢字が持っているもとの意味を活用して、地上世界に生きている個々のいのちのことを「法」と言ったのです。

地上のいきものは皆、「法」的存在なんです。

どういう事か言うと、例えば「犬」を例に考えてみると、犬は飛べません。犬は数学の勉強出来ません。そういう制限と制約の枠組み(「法」)を持っています。 

そして犬は電信柱みたら足が上がってしまいます。自然に上がってしまう。そして何か物があったらまずクンクン匂ってしまう。そういう制限と制約の枠組みの中に犬という存在はいます。

A君もBさんもどの人も、それぞれの「制限と制約の枠組み」の中におります。A君には楽々出来ることがBさんにはどうしても出来ないということがある。

逆に、Bさんには簡単にやれる事がA君にはとても無理ということもある。いくら人に説教されても出来ない事は出来ないんです。

だからみんな法的存在、法の囲いの中で人間も動物も植物もみんな生きている。なんぼ植物が頑張っても、生えている場所から離れる事は出来ない。植物はそういう制限を持っている「法的存在」です。

でも仏様の目から観たらそのままで、制限制約のままで「妙法」なんです。皆そのままでいいんだよ、どんな人であってもそのままでOKなんだよ、って言ってるのが仏様なんです。

だから「達人の悟り」を得た人から観たらお前は未だ悟ってない。お前は未だ駄目、そういう風に人や生命あるものを合否で差別してしまうんだけれど、お釈迦様の目から観たら違う。

お釈迦様の目から観たら、みんな「妙法」で全ての存在がそのままでOKである。みんないのちの花を精一杯咲かせていてキラキラ輝いていて美しいんです。お釈迦様にはそう見えるんです。


そのような宇宙に咲いた個々のいのちの花々を「蓮華」で喩えます。

「蓮華」は「連なる華」という意味です。どのいのちも別々のように見えて、実は根っこでは一本の「蓮根」から生え出しているのです。だから、あなたはあなたでいいし、僕は僕でOKなんです。

なんぼ僕にやれと言われても、アインシュタインの様な研究は出来ないですよね?でも大敬はそれでいいんだよとお釈迦様はおっしゃるんです。

なんでそう言えるのかと言うと「蓮華」なんです。「いのち」が一つに連なってるからなんです。

蓮の花が咲いてる。別々の花の様に見えるけど、アインシュタインと僕と、本当は繋がって一つなんですよ。一つだから、アインシュタインも僕なんです。アインシュタインも僕だし、それから勿論ヒットラーも僕やけどね。そこは忘れたらあかんですよ。そういうのを全部含めて自分なんだから、君は君でいいんだよ、君といういのちのあり方は宇宙で唯一人、「君」にしか出来ない尊いものだから、人と比べる必要はない、「君」は精一杯「君」を生きれば、それだけで、人類に対する大きな貢献をしているんだよと、お釈迦様は言っている訳です。それが「妙法蓮華」っていう。「妙法蓮華経」の教えっていうのはそういう事を言っている。


白隠さんが42歳で、「達人の悟り」から「妙法蓮華の、大乗の悟り」に、移る事が出来た。そうすると、もう合格と不合格が無くなってしまった。みんなそのままOKとなってしまった。

そのように、自分もOK,人もOKと抱擁してゆくのが大乗の坐禅。

それに対して小乗仏教というのがある。この「小乗」というのは、「小さな乗り物」という意味。どういう事かと言うと先ず小乗仏教の人はこの世の中は幻想に過ぎない。人間が錯覚でこういう「苦の世界」を産み出してしまったんや。だからそこから一刻も早く離れないと駄目。こういうのから離脱して出来るだけ速やかに、もとの真理の安らかな状態に戻らないと駄目だと言うのが小乗仏教なんです。

では、苦の世界から早く脱出するためにはどうしたらいいか、出来るだけ係累を作らん方がいい。配偶者がいたり、子供が出来たり、孫が出来たりすると、中々この錯覚の、苦しみの世界から脱出出来なくなる。だから係累は少ないほうがいいんだよというんです。だから出家しなければならない。出家しなければ悟れないというんです。

小乗仏教は出家主義と言うのはそういう意味。それから「小さな乗り物」、自分しか乗れない乗り物に乗る。

何故そんな小さな乗り物に乗るのかというと、小回りきくでしょう。障害物があっても、クルクル避けながらスイスイ進めるでしょう。だから、地上世界からすばやく脱出できる。それで「小さな乗物」でゆく。一人乗りの車なので、係累が少ない出家でいた方がいいんだというんです。


僕らは違う、「達人の悟り」でもない。なぜなら、「達人の悟り」は小乗ではないけどやっぱり限定的でしょ。「悟り」というチケットの無い人は乗れないから、基本的には小乗的なんですね。

僕らは「大乗」なんです。

「大きな乗り物」、世の中の人もネコもシャクシもみんな収容して、全員で一緒に進化過程をゴールインしようぜというんです。ですからしつこく、しつこく、これから何度も地上世界に生まれ変わり戻ってきて、皆で協力して全ての人をこの「大きな乗り物」にヨイショ、ヨイショって、汗水流して収容し終わるまで、何回も地上に帰って来なければならない。自分だけ早く脱出したいなんて思わないんです。

白隠さんは、ようやくそういう「大乗」がわかる様になって、それまでは弟子に物凄く厳しい指導をしたみたいなんです。だから若くして死んだ弟子がいっぱいいたようです。禅師がおられた龍澤寺の墓地には若くして亡くなった修行者のお墓がいっぱいあるそうです。それ「達人の悟り」でしょ。

しかし、42歳の時に、冬の初めのコオロギの弱々しい鳴き声を聴いて「大乗の悟り」に到達された。

冬の初めに鳴いても仕様がないでしょう。もうこの時期に子供を産むことは出来ないんだから。しかし、そうとは言いながら、今このコオロギに出来るのは鳴く事だけなんですよね。精一杯今の自分がやれることをやっていたら、それでOKであり、その姿が最高に美しい(「妙法」)ということが初めてわかったんです。(完)


2023年7月5日水曜日

3113「心が作り出す世界」2023.7.5

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年06月24日の記事を紹介します。


「心が作り出す世界」


今日も、心のお話です。

何故なら、私たちが暮らしているこの世界、環境は、全て私たちの心が作り出した世界だからです。 

本当の幸せになるには、周りを変えるのではなく、私たちの心を変えるしかないからです。

自分では何もせずに、力のある誰かに頼ったり、神々が一瞬で救ってくださるだろうと頼り切ったり、そうしていても、決して幸せになることはなく、

全ての幸せのスタートは自分の心が変わることから始まるからです。

お金も、肩書も、家も車も、家族も友人も。

にこやかな関係も、嫉妬の関係も。

そして、よくある疑心暗鬼の関係も。 

全て、私たちの心ひとつで作られています。

さて、私たち物質界に住んでいるものは、全て原子からできています。 

原子は、中心の原子核の周りを電子がくるくる回っている構造です。

この原子核をサッカーボールとすると、その周りの電子は、はるか数キロも離れた先で回っています。

まさに私たちが硬い物質であると思っているものは、実はスカスカです。

中心にある原子核は、陽子と、中性子からできています。 

※これらを結び付けているのが、造化三神である高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)の神々の力


 

そして波動の法則 足立育朗さんによれば、

この2つの実態は

・中性子 =意識、調和

・陽子 =意志=愛

つまり、原子核というのは、

・意識と感情

・意思と愛

が結びついて構成されているということです。

このため、地球上の全ての存在物は、

愛と調和が素になっています。 

まさに神さまの作りだした世界です。 

私たちが元居た場所、つまりあの世では、物質の身体ではなく、光、波動の世界ですから、

こんな面倒なことをしなくても、直接的に神さまの愛のエネルギーを頂けます。 

※小学生の神様トキ君によれば、神々と直接的に話すことも可能なのだそうです。 

物質次元では、全ての物質の大本である原子を媒体として、神さまの愛が発動することになります。

でも現在の科学の方向性は、宇宙の全部を「現象」で理解しようとしています。

波動で理解しようとしないために、この地球上の物質と現象を正しく理解できないそうなのです。

私たちの心のはたらきである、

・意識

・感情

・意思

・愛

これらが、「感謝」という接着剤で調和されることで、心が作り出す世界、つまり私たちの住む世界が一変してしまいます。 

それでは小林正観さんの「努力ゼロの幸福論」というお話をご紹介します。

<転載開始> 転載元 

 

思い通りにならない、それが「苦」。

その最初の「思い」がなければ、思い通りにならないという現象は起きません。

「苦」は生じません。

つまり、「思い」を持たないこと。

それはどう言うことかというと、目の前で次々と起きる一般的に不幸だといわれている現象に対しても、「ああ、そうなりましたか」と単なる日常の1ページとして、淡々として受け入れていくということです。

病気や事故、愛する人との別れといった、思いがけず自分の身に起こる出来事を、

人生の一部として受け入れていく。「何でこんなことが起こったのだろう」という

「思い」を持たない。

目の前で起こるすべての現象を、「ああ、そうなりましたか」と受け入れていく、 

ただそれだけです。

家が火事になっても、事故に遭ってケガをしたとしても、「ああ、そうなりましたか」と受け入れる。

私たちは、「この世に修行にきたわけではなく、ただこの世で起こるいろんな現象を、

人間の肉体を借りて、味わいにきただけ」だからです。

そんな観音様のような世界観を、自分の人生観に取り込めば良いのです。

「私たちは観音様の化身(けしん)なのだ」

そう思えば、人生はぐっとラクになります。(中略)

 

正観さんは、同書の中で「努力」についてこう語っています。

「よく誤解されるのですが、私は『絶対に努力をしてはいけない』とか

『頑張ってはいけない』と言っているのではありません。

必死に努力して頑張ることで、達成できることや解決できる問題も、確かにあると考えています。

しかし、自分の努力や頑張りだけではどうしても解決できない問題もある。

人生では次から次へと手強い問題が押し寄せる時期もあるでしょう。

そのときは、『自分ひとりでは解決できない』と思い定め、『謙虚』にならざるを得ないのです。

それが、

・努力しない

・頑張らない

・必死にならない

の本来の意味です。

最終的に私たちができるのは、神さまに『おまかせ』をすることだけ、ということになります。 

おまかせをするとは、目に見えない 4者 

・神

・仏

・聖霊

・守護霊 

と、目に見える4者 

・友人

・知人

・家族

・自分の身体

に対して、いつも笑顔で『ありがとう』と言いながら、宇宙と周りの全てに感謝の心を捧げて生きていくことです」

世の中には、自分の努力や頑張りだけではどうにもならないことが多くあります。

お釈迦様がおっしゃった「生老病死」という4つの苦です。

・生まれること、

・老いること、

・病気にかかること、

・死ぬこと 

の4つは、人間として、免(まぬが)れない苦悩です。

それに、「4つの苦しみ」を加えて、「四苦八苦」といいます。

4つの苦しみとは、

・愛する者との別れ

・嫌な奴や憎んでいる者と会わなければならないこと

・欲しいモノが手に入らないこと

・自分の肉体と精神のコントロールがうまくできないこと 

どうしても避けることのできない、これらの「苦」に遭ったときに必要なのが、

「ああ、そうなりましたか」と、淡々と受け入れること。

この世には、「人間の肉体を借りて、味わいにきた」と思えるなら、生きるのずっとラクになります。

<転載終了>

  

まさに淡々と、起きてきた現象を受け入れて抵抗しないこと。

感謝で受け入れること。

ただそれだけで、心はラクになり、私たちの実際に住むこの世界も、私たちの心が明るく、

清らかになった分、光り輝く、穏やかで優しい世界に変わっていくことでしょう。 

他人が、自分の思い通りに、行動してくれない、自分の価値観にそぐわないことをする、、 

そんなことで、イライラするのはやめましょう。

スーパーの障害者用駐車場に、我が物顔で駐車しようとする人に腹を立てるのはやめましょう。 

人には人の心があります。 

それに従った、住む世界があります。 

私たちは、他人の心を推し量ることはできません。 

私たちが集中しなければならないこと、それは、他人のことではありません。 

まさに私たち自身の心の在り方だけです。 

私たちの心が幸せであれば、ご家族も幸せになれます。 

何故なら、私たちの心が作り出した世界に一緒に住み、私たちと共に演じてくれる、

同じプレーヤーだからです。 

私たちの心の在り方こそ、私たちの住む世界を決めているのです。

私たちが、生まれる前に決めて来た人生のシナリオを信じ、見守ってくださっている内なる神さまを信じ、お任せし、その流れに逆らわず、身を宇宙に委ね、流され

起こってくること、いえ、神さまが、全て良きタイミングで起こしてくださることに対して、

・感謝し、歓び

・信じ、安心し

・心から笑い

・楽しめば

内なる神々と繋がり、一瞬一瞬に神々の恩寵を感じることができるでしょう。

とめどもなく起きているミラクルに気付くことでしょう。

 

2023年7月4日火曜日

3112「愛・感謝が足りない」2023.7.4

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年06月23日の記事を紹介します。


「愛・感謝が足りない」


今日は神様の意識を持ったまま生まれて来た

小学生の男の子、トキ君(山幸彦の魂)のお話をご紹介します。

この内容も、以前このブログで書いた内容と全く同じなので

比較のために一緒に掲載したいと思います。 

トキ君はまだ生まれてから、たったの7年しか経っていません。

もちろん肉体は子供ですから語彙は少ないのですが、その話す内容は本質的です。 

この中でトキ君は下記のように話しています。(一部補足あり)


・何か問題が降ってきた時、周りのせいにするのではなく、

 自分に何か気づかなければならないことがあったのかな?

 自分の中に方向転換しなければならないことがあったのかな?

 と考えられるとすごく楽になる

・何か問題が起きるのは、自分の中に愛(感謝)が足りないから

 その問題に対して、自分が愛(感謝)の気持ちを持っていないから

・その問題に対し、感謝して愛を注げれば解決する

・問題の原因が自分の中にあったことが分かれば、

 人や周りを憎むこともなく、心を汚すこともなく

 一番楽に生きられる

・生きていくうえでの問題発生は、自分に愛(感謝)が足りない時に起こる

・自分自身に対する愛(感謝)が足りないと、病気になる

・愛(感謝)を知るために、地球に生まれて来た

・愛とは心をいたわり、癒すこと、休ませてあげること

・言葉も、そのために使う

・そのために行動もする

・自分に対しても、心休まる言葉をかけてあげること

・愛と言う漢字は

 あなた(キミ)

 大好きだよ、大丈夫だよ

 ちゃんと魂も肉体も守ってあげる

 だから安心して生命を謳歌してください

 と言う神さまの愛の手話

・私たちも神様と同じように、この愛の言葉を自分にも、

 そして相手にもかけてあげること 

では、以前書いた記事です。

この中で「感謝」=「愛」と読み替えてください。同じ意味です。 

神々の恩寵を欲しくて 

・人は、パワースポットを巡ったり

・力ある異能の人の所に通ったり

様々、自分以外の外の世界に頼ろうとします。  

ですが、この世、そして黄泉の国でさえ、私達の生きる世界を決めるのは 

私たち自身の心の在り方です。 

私たちが、遭遇する、あらゆる問題と思われること・・・

それは、もしかしたら「感謝が足りていないよ」と教えてくれているのかもしれません。 

小林正観さんは、全ての問題の根本原因は、「感謝が足りない事」そうおっしゃっています。 

では正観さんのお話をご紹介します。 

<引用開始> 引用元

  

物事がうまくいかないのは、「感謝」の気持ちが足りないから。

私たちは未熟なので、

・あれが足りない

・これが足りない

と言い続けていますが、

 「本当に必要なものは、既に神さまから与えられている」と考えることができます。

私たちは

・週に1日は休みたい

・月の休みがほしい

・年の休みがほしい

と言います。

でも、人間の臓器は、お休みをしていません。

もちろん、夜も寝ていません。

365日、働き続け、それでも臓器は「月に1回や2回休ませて」とは言いません。

今、こうして生きていられるのは、休まないで動き続けている細胞や臓器のおかげなのに、

そのことに「感謝」をせず、「足りないものばかり」に目を向けています。

私たちは、心臓や、肝臓や、すい臓といった臓器から、沢山のことをしてもらっています。

それなのに、感謝を言ったことはありません。

右手で心に手を当てて、「ありがとう」と思ってみてください。

それだけで、心は元気に、やる気になることでしょう。

ご家族でパン屋さんを営む女性から、相談を受けたことがあります。

「10年間、小さなパン屋をやってきました。

今までそれなりに順調だったと思います。 

ただひとつだけ問題があるとすれば、売上が横ばいのままで、なかなか伸びていかないんです。売り上げを右肩上がりにするには、どうしたらいいのでしょうか?」

私は、その女性に尋ねました。

「パン屋さんは、朝が早いですよね。

午前4時ころには起きて、パンを焼きはじめるのではないですか?」

「そうです」

「妻を手伝って、夫はそれを10年間、一緒に続けてきてくれたわけですね」

「そうです」

「子どもはいますか?」

「2人います」

「子どもは、お店を手伝ったりしませんか?」

「小学校から帰ってくると、袋詰めなどを手伝ってくれます」

「10年間もやってこられたということは、お客さんにも恵まれているのですよね」

「そうかもしれません」

「では聞きますね。10年間、朝早く起きてパンを焼いてきた夫に、

手を合わせて「ありがとう」と感謝したことはありますか?

仕事を手伝ってくれる子どもたちに、手を合わせて『ありがとう」と

感謝をしたことはありますか?

ずっとパンを買いにきてくださってい るお客様一人ひとりに、

『ありがとう」と感謝をしたことはありますか?」

その女性は「えっ!」と言ったきり、しばらく黙ってしまいました。

・仕事熱心な夫がいる。

・仕事を手伝ってくれる優しい子どもたちがいる。

・いつもパンを買いにきてくれるお客様がいる。

感謝すべきことは山ほどあるのに、そのことに気がつかない。

「売上が上がらない」という一点だけに気持ちを奪われ、

「神様なんとかしてください」 とお願いする。

それは、「神様に宣戦布告している」のと同じことです。

私が神様なら、「感謝をしない人」の味方につくことはないでしょう。

「たくさんの恵みを与えているのに、どうして気がつかないのか。

どうして不足している と思うのか」と、疑問に思ってしまうでしょう。

「物事が思うようにいかない」と感じるとしたら、

それはあなたの「感謝が足りないから」かもしれません。

<引用終了> 

 

感謝の言葉、「ありがとう」には、本当に凄い力があります。

・ありがとう

・ごちそうさま 

など、相手に感謝の言葉を伝えた途端、相手の方を心から認めたことになり

その言葉を受けた人は 心が満たされて暖かくなり 

そのまた周りの人に その感謝の光の連鎖を広めることでしょう  

そしてそれは 宇宙を共鳴しながら巡り巡り、何倍にもなって私たち自身に帰ってきます。 

与えたものが受け取るもの 

まさにこの法則の一番理想的な形です。 

ありとあらゆるものに、感謝してみてください。

嬉しいとき、楽しいとき だけでなく

・苦しいとき

・悲しいとき

・悔しいとき 

全ての時に感謝してみてください。

なぜなら、神様は私たちの今の状況に一ミリも意地悪な状況を埋め込んでいないからです。

小さな小さな出来事、嫌な出来事さえ、私たちの魂の向上にとって、

繊細で、とても大切な出来事だからこそ、経験させてくれているからです。


 

2023年7月3日月曜日

3111「おかげさま」2023.7.3

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年06月22日の「おかげさま」と2023年06月25日「真実が明かされる時」の2つの記事を紹介します。


「おかげさま」


今日も心のお話です。 

私たちの心は強力で、広大です。

見える世界、見えない世界を包み込んでいます。 

例え、神様・仏様、能力のあるとされる方が

一瞬にして私たちの境遇を引き上げたとしても 

私たちの心が変わらなければ

またすぐに同じ世界に戻ってしまうことでしょう。

それに引き換え、心の中に感謝の気持ちを持つことができれば

私たちの境遇は一瞬にして変わってしまうことでしょう。 

空海が仰るように生きながら天国に住むものとなります。 

さて今日は、お陰様に付いてご紹介します。

謙虚で優しい気持ちです。

前ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さんの言葉です。

<引用開始>


小さなお子さんの手を引いて、

一人のお母さまが水道工事の現場の傍(そば)を通りかかりました。

暑い夏の昼下がりのことでした。

お母さまは坊やに向かって、 

「おじさんたちが、汗を流して働いてくださるから、坊やは、おいしいお水が飲めるのよ。

ありがとうと言いましょうね」

と話してやりました。

やがてもう一人、同じように幼い子の手を引いて、別の母親が通りかかりました。

「坊や、坊やもいまから一生懸命にお勉強しないと、こういうお仕事をするようになりますよ」 

と言ったというのです。

同じ仕事に対して、こうも違った考えがもてるものでしょうか。

最初の母親は、この日、子どもの心に

労働に対しての、尊敬と感謝の気持ちを育てました。

二番目の母親は、(手をよごす仕事、汗まみれの労働)に対しての、 

恐ろしいまでに誤った差別観念を、我が子に植えつけたことになります。

私たちがいま、子どもと一緒にこの場にいたとしたら、どんな会話を交わすことでしょうか。

会話以上に大切なのは、

どんな思いを抱いて、働いている人たちの傍を通るかということなのです。

人は、自分がもっていないものを、相手に与えることは出来ません。

感謝の気持ちを子どもたちの心の中に育てたいならば、 

まず親がふだんから「ありがとう」という言葉を

生活の中で発していることが大切なのです。

近頃の学生たちで気になることの一つは、

いわゆる〈枕詞(まくらことば)〉のようなものを習ってきていないということです。

例えば、「お元気ですか」と尋ねると、「はい、元気です」という答えは返ってきても、 

「おかげさまで元気です」という返事のできる学生が、以前と比べて少なくなりました。

 

遅刻して教室に入ってきた学生が、 

授業の後で、「遅刻しました」と、名前を届けにはきても、

「すみません、遅刻しました」という枕詞がつかないのです。

「お話し中、すませんが」とか、

「夜分(やぶん)、失礼します」という挨拶のできる学生も少なくなりました。

いずれにしても、言葉が貧しくなっています。

そして、それは取りも直さず、心が貧しくなっている証拠なのです。

せめて、「おかげさまで」という言葉と心を、生活の中に復活させましょう。

理屈っぽい人は、「何のおかげですか」と言うかも知れません。

何のおかげでも良いのです。

この表現は、私たちが実は、一人では生きられないこと、

たくさんの〈おかげ〉を受けて生きていることを忘れない心の表れなのです。

見えないものへの感謝なのです。

ところで、本当にありがたいこと、

何でもない時に「おかげさまで」と言うのは比較的に易しいのですが、 

不幸や災難に遭った時はどうしましょう。

そんな時にも、「おかげさまで」と言える自分でありたいと思っています。

ごまかすのではなく、不幸、災難、苦しみをしっかりと受け止めながら、

「いつか、きっとこの苦しみの〈おかげさまで〉と言える自分になりたい、

ならせてください」と祈る気持ちをもっていたいのです。

<引用終了>

 

子どもは親や教師の「いう通り」にはならないが、「する通り」になる。

そう渡辺さんは仰います。

このたとえ話では、親の価値観が、子どもの価値観を作る・・ 

ということが良く描かれています。

私たちの日々の何気ない一言、行動を子どもたちは本当によく見ています。

そして、ものすごい早さで吸収していきます。

親だからといって、100%完璧な人間になることは不可能ですが、

「お手本」になるために、

少しだけ意識してみることはできるかもしれませんね。



「真実が明かされる時」


もう数千年も、ある意図を持って隠されてきた真実があります。

そして同じく数千年の時を掛けて、その秘密を明かし、

人々を幸せにしようという勢力による努力もなされてきました。

そして、沢山の人々の努力により,その隠された真実が今明かされようとしています。

 

その隠された真実とは、私達の心の中には「神さま」がいらっしゃるという事。

それは、誰一人として、例外なくです。

私達の心は、巧妙な手段によってがんじがらめにされてきました。

キリスト教では、私たちは生まれながらの罪人であると教えられて来ました。

ボロボロになるまでも自分を犠牲にし、他人に尽くしなさいとも教えられました。

自己所有の「私の・・」と言う言葉が生まれました

(縄文の時代には存在しませんでした)

その結果、所有慾が生まれました。

持てる者、持たざる者の違いが生まれました。

それによって、嫉妬心が生まれました。 

嫉妬、やっかみ、ねたみ、ひがみ、焼きもち・・・ 

これらは、心を曇らせます。 

支配と依存の心が生まれました。

自分さえ良ければの心が生まれました。

持たざる者は、常に将来の不安・恐怖を抱くようになりました。

自分の思い通りにならない事、思い通りに動かない人々のことを許せなくなりました。

ですが、私達の心の中には「神さま」がいます。

良心があります。

その結果、良心と、悪い心の狭間で、葛藤が生まれました。

人を許せないのと同じパワーで、自分自身も許せなくなりました。

私達は「生まれながらの罪人」と教えられて来たからです。

でも、この数千年の間、その呪縛を取り除く努力も綿密に計画され、実行されてきました。

私達の心の中には「神さま」がいるという事

心に静かに問いかければ、誰でも内なる神さまの声を聞けること。

時代はもはや、助けてくれる神々や、頼れる師を外に求める時代ではなくなりつつあります。

自分が自分の心のよりどころとなる時代に入ったからです。 

そのよりどころとは、私たちの中に何時もいらっしゃる「神さま」です。

それは、数千年にも渡り、隠そうとしようとして来た勢力と、

それに抵抗し続けた勢力のせめぎ合いの時代でした。

それでも今、着実に真実を明らかにし、人々を幸せにしたいという願いが、 

実現しつつある時代になってきました。

自分の可能性を信じ、自分を受け入れ、人のあるがままを許し、自分のあるがままを許し、

そして自分を認めていく段階に来ました。

 

それが出来た時、初めて私達は自分自身を愛し、その内なる可能性を信じ、 

自らの足で歩み始めることが出来ます。 

真の意味で人に優しくすることができます。

私達の心の中には「神さま」がいます。 

全ての人の中にいます。

自分自身を許し、受入れ、慈しむことが出来た時、その「神さま」は輝きを増します。

私達が常に恐怖に苛まれ、愛の欠乏を感じ、苛立ち、人を、自分を、許せなくなるのは、 

その様に仕向けて来た者達がいたからです。

巧妙でシステマティックな手段でした。

ですがそれと同じく、陰があれば陽があるように、その隠された真実を元のように、表に出そうと努力してくれていた命がありました。

私たちは、自分自身を卑下する必要はありません。

イエス自身が仰ったように、私達は一人一人、誰もが尊い存在だからです。

でも、最後の扉は自分で開かなければなりません。

その方法は、非常にシンプルです。

置かれた場所で咲きなさい。

そのように生きることです。

私達の中には、宇宙の根本法則である神さまが居らっしゃいます、

それは本当は私達自身であり、私達の良心です。

それに気付き、知ること。

その神さまは全ての私達の属する宇宙の運航、そして身近な出来事、

人との出会い、別れさえも決めています。

 

今、自分がいる、そのままの場所・環境の中で、全てに感謝して輝き、 

そして幸せになること。

それこそが、今の時代に生きる人々に求められています。

ブッダの時代から数え、2回目の1,200年ごとのサイクルの中で、

今、その段階に入りました。


2023年7月2日日曜日

3110「ありがとう、ありがとう」2023.7.2

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年06月21日の記事を紹介します。


「ありがとう、ありがとう」


このブログでは、今までの時代のような

・依存心を煽る(誰かに頼る心)

・依存と支配の関係を創る(無意識の内にも、自分の思い通りに人を動かそうとする)

・文句を言ったり、頼ってばかりいて、周りの現実を見ようとしない

そのような風潮から脱却し、新たな心の時代に入りやすくするために、 

できるだけ

・不思議話でワクワクさせて人をひきつけたり

・圧倒的な見えない力を持つ存在をちらつかせたり

・今までの組織としての宗教がそうであったように、アメとムチを使ったり

そのようなことから遠ざかり、神様が置いてくださった、自らの置かれた場所で、

しっかり立ち、自分の心を見つめ、ご自身の中の神様と直接的に、

そして強固に繋がっていただくために、主に心の問題を中心に書いています。 

その方法論は、ここでよく引用させていただく 

・日本神道の最高峰まで行かれた、医師で春日大社宮司であった葉室頼昭さん

・小林正観さん、斎藤一人さん

・7歳の神様(山幸彦の魂)トキ君

・クラリオン星から直接転生してきたレインボーチルドレンの小学生のそうたくん 

など、同じ考えの方々のお話を紹介したり、

その本質をかみ砕いて引用させて頂いたりしながら行っています。 

 

ですので、

・ワクワクする、見えない世界の不思議話

・自分は何もせず、何も変わらずとも、大きな力を持つ、何者かが一気に世の中を変えてくれる物語 

が好き方々にとっては退屈なものかもしれません。 

ですが、上記の方々、いえそれだけでなく、イエスやブッダ、空海など、全ての高貴な魂たちが、人々を依存させる、不思議なパワーではなく、自らの心の(浄化)問題をまず第一としています。 

ですので、今日も退屈かもしれませんが、

神々と直接つながるために、心のお話を書きたいと思います。  

地球の周波数が変わったことで、 

・思ったことがすぐに現実化しやすいということと、

・類は友を呼ぶの法則がより鮮明に機能しているようです。 

より一層、私たちの心の状態が問われています。 

・美しい心

・思いやりのある心

・我欲(自分だけがの欲望)が少ない心 

が問われています。 

自分の心の状態が真っすぐに 

・同じ現実を引き寄せ

・同じ意識(心)を持った人を引き寄せ

より一層、その心の状態がデフォルメされて、私たちの周りに展開されていくからです。

さて今日は、ご縁のある方に、

私たちの未来と、そして死後の行先を決める美しい心についてのお話です。

知的障害の兄を持つ小さな弟君と、そのお母様のお話です。実話です。 

<引用開始> 引用元

  

一人のお母さんから、とても大切なことを教えられた経験があります。   

そのお宅の最初に生まれた男の子は、高熱を出し、知的障害を起こしてしまいました。

次に生まれた弟が二歳のときです。  

ようやく口がきけるようになったその弟がお兄ちゃんに向かって、こう言いました。

「お兄ちゃんなんて バカじゃないか」

お母さんは、はっとしました。

それだけは、言ってほしくなかった言葉だったからです。

そのとき、お母さんは、いったんは弟を叱ろうと考えましたが、思いなおしました。   

弟にお兄ちゃんを、いたわる気持ちが芽生え、育ってくるまで、

長い時間がかかるだろうけど、それまで待ってみよう。

その日から、お母さんは、弟が兄に向かって言った言葉を、

自分が耳にした限り、毎日克明にノートにつけていきました。   

そして一年たち、二年たち・・・

しかし、相変わらず弟は、「お兄ちゃんのバカ」としか言いません。   

お母さんはなんべんも諦めかけ、叱って、無理やり弟の態度を改めさせようとしました 

しかし、もう少し、もう少し・・・と、根気よくノートをつけ続けました。

弟が幼稚園に入った年の七夕の日、

偶然、近所の子どもや親戚の人たちが家に集まりました。 

人があまりたくさん来たために興奮したのか、

お兄ちゃんがみんなの頭をボカボカとぶちはじめました。

みんなは 「やめなさい」 と言いたかったのですが、

そういう子であることを知っていましたから、言い出しかねていました。   

そのとき、弟が飛び出してきて、お兄ちゃんに向かって言いました。  

「お兄ちゃん、ぶつならぼくだけぶってちょうだい。ぼく、痛いって言わないよ」    

お母さんは長いこと、その言葉を待っていました。

その晩、お母さんはノートに書きました。  

「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・」   

ほとんど無意識のうちに、ノートの終わりのページまで

鉛筆でぎっしり、「ありがとう」を書き連ねました。

人間が本当に感動したときの言葉は、こういうものです。

<引用終了> 

  

弟君に、優しい気持ちが芽生えたのも、嬉しいことですが、このお母さんも、 

一時の感情に任せ、叱って、態度を改めようとはせず、

優しい心が自発的に芽生えるのを待ったということも 凄いことですね。

目に見えない時代も変わりました。 

優しさを無理強いされても、一時はしぶしぶ従っても、そうしてしまっては、

かえって、一生、本当の心からの優しさや、愛は育たなかったかもしれません。 

・最初に生まれた男の子が高熱を出し、知的障害を起こしたこと。

・このお母さんのもとに生まれたこと

・縁がつながり、この弟君が生まれたこと

・幼いながら、数々の葛藤のなか、優しさと愛をはぐくんだこと 

全部繋がっています。 

私たちは、この地球に生まれ、あらかじめ設定してきた環境を準備し、 

そこに飛び込んで数々のドラマを演じています。 

周りの役者の方もお願いしてきました。 

それは全て、身近な周りの人々とともに、この美しい地球で

愛のハーモニーを奏でるためです。





2023年7月1日土曜日

3109「『ワクチン展開後に超過死亡が急増した』ことを再び明らかに」2023.7.1

 今回はIn Deepさんの2023年6月19日の記事を紹介します。


「日本人医師がドイツ人研究者と共に発表した査読済みの全死亡数の分析論文は、「ワクチン展開後に超過死亡が急増した」ことを再び明らかに」

日本人医師がドイツ人研究者と共に発表した査読済みの全死亡数の分析論文は、「ワクチン展開後に超過死亡が急増した」ことを再び明らかに - In Deep


すべてがうやむやになる中での日本人医師の方の論文

人生や社会を先に進めたい場合、「うやむやにしていてはいけないこと」は、いろいろとあります。

コロナワクチンについての「事後の検証」は完全にそれに該当しますし、実際には「マスク」もそうです。

今は、屋外ではマスクを外す人たちが多くなり、やっと人の顔が日常の中に戻ってきつつあります。

しかし。 

この経緯は、皆様ご存じのように、

「うやむやで曖昧のまま、現在に至っている」わけです。

感染症対策としてのマスクの有効性の議論は今に至るまでなく、しかし有効性よりも何よりも、

「有害性のほうの議論はまったくないまま」今、単に人々はマスクを外している。

これは感情論の話ではなく、理論の話をしています。

はっきりとしなければならないことが多いのです。

 

そりゃまあ、私自身は外に行くにも楽にはなりました。3年半、一度もマスクをしなかったわけですから、以前は、電車に乗った時など、乗客の方々がほぼ 100%マスクをしている中で、なかなか身の置き所がない場合もありました (でも絶対にしない)。

有効性の問題ではなく、「非常に体に悪い」わけですから(消毒もそうですが)、こういうように、うやむやなままだと、どうなるかというと、 

「次の何らかのパンデミックの際に、容易にマスクが再登場する」 

わけです。

マスク着用の「絶対悪」というものを表面化させないと、またいつか、必ず元に戻ってしまいます。

今回はマスクの話ではないですので、キーワードでの過去記事のリンクに留めさせていただきますが、本当に「何の議論もない」ままです。

[記事一覧] キーワード「マスク 子ども」 の過去記事一覧

[記事一覧] キーワード「マスク 脳の発達」 の過去記事一覧

 

現在、壮絶な勢いで、社会全体の、特に子どもと若年層の知力と認知力が低下し続けていると見られますが、その一端はマスクにあります(ワクチンにも大いにあります)。

ともかく、「全部がうやむやで曖昧」のまま、なかったことのように過ぎていくというのでは、それはまるで先がない社会です。

 

さて、それはそれとして、日本の医師とドイツの専門家が、

「双方の国での総死亡者数の推移」

を分析して、査読済み分析として論文に掲載されていることを先日知りました。

以下の論文です。

新型コロナウイルス感染症パンデミックに焦点を当てたドイツと日本の年間全死亡率(2005年から2022年):仮説と傾向分析

Annual All-Cause Mortality Rate in Germany and Japan (2005 to 2022) With Focus on The Covid-19 Pandemic: Hypotheses And Trend Analyses

 

ドイツの研究者は、ドイツ環境衛生研究センターの計算生物学研究所の科学者であるハーゲン・シェルブ博士という方で、日本の方は、ケイジ・ハヤシ氏という方で、調べてみますと、大阪のはやし小児科の院長である林 敬次医師という方だと思われます。論文にある住所と病院の所在地が一致しますので間違いないと思いますが、間違っていたら申し訳ないです。

その、はやし小児科のウェブサイトの Q&A を読んでみましたけれど、おそらくこの方だと思います。たとえば、「小さな子どもが発熱しましたけれど、どうすればいいですか」という質問に以下のように答えられています。

(はやし小児科のウェブサイトより)

> ウイルスや細菌性の病気の場合には、薬を使っても使わなくても、熱を下げたほうが、死亡率が高くなったり、病気が長引いたりすることが多くなります。

> わたしは以前、世界中の動物実験や人間の観察に関する研究をかなり厳密に調査しました。結果、熱を下げたほうが悪化したという報告は多々ありましたが、よかったという報告はありませんでした。 また、熱を下げる「消炎鎮痛剤」が「脳症」の原因になることが判明しています。

> …熱は下げないに越したことはありません。

hayashi-shonika.jp

 

「あー、熱を下げるな、と言って下さっているお医者様がいる」

と、やや感動しましたが、以下の記事などをご参照いただければ幸いです。

[記事] 子どもがみんな解熱剤でやられてしまう In Deep 2022年8月27日

[記事] 熱を下げてはいけない : 感染症の治癒メカニズムが人体で発動するのは「体温が《38.5℃以上》に上がったときのみ」であることが中国科学院の研究で判明

 In Deep 2019年1月19日

 

また、インフルエンザの Q&A には以下のように書かれています。

(はやし小児科のウェブサイトより)

> わたしはインフルエンザをこのように考えています。

> インフルエンザは基本的には軽い病気です。ワクチンは効果がありません。タミフルやリレンザも重症化を防げません。  hayashi-shonika.jp

 

ご近所にこういう小児科医がいらっしゃる環境で子育てをできる人たちは、ラッキーだと思います。

ともかく、この林医師が、ドイツの研究者と共に発表した論文が、最近海外の記事でよく取り上げられており、それで知った次第です。

それを取り上げていた記事をひとつご紹介したいと思いますが、先に、論文にあるグラフと数値を示しておきます。論文には、日本の数値・グラフと、ドイツの数値・グラフがどちらも載せられていますが、ほとんど同じですので、日本のを掲載します。

2002年からの日本の閏年補正後の 1000人あたりの死亡者数の推移





 

2021年からの死亡者数の急激な増加は、過去に見られたことがないものであるレベルであることが改めてわかります。2011年の東北の震災の際の増加を上回る急増です。

中央の点線が、基準値ですが、2022年の超過は飛び抜けています。

数値は以下となります。

2005年からの日本の年間総死亡者数と、1000人あたりの死亡者数

 

日本の過剰死は「 2022年から始まった」ことがよくわかります。

ドイツも傾向としては同じですが、ただ、ドイツは死亡数の急増が 2020年から始まっています。

ここから、この論文を紹介していた記事です。

________________________________________

日本とドイツの査読済み分析で新型コロナウイルスワクチンの展開に対応する死亡者数の急増が判明

Spike in deaths corresponding to Covid vaccine rollout found in peer-reviewed analysis of Japan and Germany

sott.net 2023/06/16

ハーゲン・シェルブ氏と林 敬次氏による医学誌『医学と臨床科学』に掲載された論文「新型コロナウイルス感染症のパンデミックに焦点を当てたドイツと日本の年間全死亡率:仮説と傾向分析」は、ドイツと日本という 2つの「共通して大規模な人口と高齢化を抱える高度に工業化された国」にまたがる死亡率の傾向を比較した書簡だ。

これは、日本のパンデミック時代の死亡率傾向を詳しく調査したものとしては私が知る限りでは初めてのものだ。

日本は、他の多くのアジアでは見られなかった、非医薬品介入に対して比較的緩和的なアプローチをとったため、多くの面で有益な管理を提供している国だった。しかし、日本は、 2021年秋以降、ワクチン接種率においてはドイツよりも大幅に高くなっている。

この研究論文を読む限り、ショックを受ける方もあるだろうが、ワクチンに関してはあまり良い結果が得られないようだ。

まず、この分析のドイツの死亡傾向だ。

 

パンデミックの最初の年 (2020年)は、これまでの傾向の範囲内で死亡率が若干上昇したが、集団ワクチン接種が行われた 2021年と 2022年には、それぞれ 4万8,617人と 6万6,528人の異常な超過死亡が発生した。

これはここ数年の公式の新型コロナウイルスによる死者数とほぼ同じだが、クーバンドナー博士とライツナー博士の分析(最近、医学誌 Cureus に掲載された)では、コロナ感染そのものでは、その超過死亡のほとんどすべてを説明できないことが示されている。

時期と年齢層別データの両方から、かなりの数がワクチン接種に関連しているに違いないことが強く示唆されているものだった。

したがって、ドイツとの比較例として日本に特に関心が寄せられていた中で、日本人から今回のデータが示された。

以下が、日本の 1000人あたりの死亡数の推移だ。

 

2020年のドイツでは死亡率が傾向をわずかに上回ったが、日本では 2020年には、死亡者数が平均を下回っていることがわかる。

2021年は上昇したが、傾向の範囲内だった。しかし、2022年になり大幅な超過死亡が発生し、2011年の自然災害 (東北の大震災)による死亡者数を大きく上回った。

新型コロナウイルスではこれらの超過死亡を説明できない。

2022年の日本の公式ウイルス死亡率は、オミクロン時代に大幅に誇張されていることがわかっているが、死者数はわずか 38,870人で、超過分のわずか 32%にすぎない。

パンデミックについて興味深いのは、世界中の全死因死亡率に対するその影響が非常に多様であり、ワクチンが広く投与されたほぼすべての場所で顕著な上昇傾向と一致しているように見えることだ。

日本とドイツの著者たちは、「 2020年に高所得国における新型コロナウイルス感染症による恐怖を煽るような公式予測は、日本でもドイツでも現実にはならなかった」と述べ、次のように述べている。

2021年と 2022年にドイツと日本で約 5~ 10%の有意に増加した死亡率が、過小評価されている可能性のある即時的または長期的な副作用を伴うワクチン接種を含むパンデミック対策による可能性がどの程度なのか調査する必要がある。

... この観点から見ると、一部の国では高いワクチン接種率が全死因死亡率の増加に寄与している可能性があるように見える。

天才的なワンクール・トリックの世界各国のパンデミック対策の完全な成功は、仮説の世界にだけ存在するようだ。

それは決して私たちに見えるものではない。ドイツの死亡者数は 2020年に完全に増加傾向にあったが、ロックダウンがなければ、さらに壊滅的な死亡状況になっていたと信じるように我々は求められている。正確に 2021年4月に始まった集団ワクチン接種の出現により、死亡数は大幅に増加したが、ワクチンがなければさらに多くの人が死亡していたと考えるように我々は求められている。

保健当局は非常に多くの統計を管理しており、数字を可能な限り厳重に管理する。その間、ワクチン接種キャンペーンが成功とは言えなかったという最も強力な証拠は、依然として全死因死亡率の報告であり、これは彼らが隠すことのできない数少ない統計の 1つだ。しかし、日本もドイツも、当局がこれらの奇妙な数字を説明することにまったく興味がなかったことが現実を雄弁に物語っている。