2023年7月3日月曜日

3111「おかげさま」2023.7.3

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年06月22日の「おかげさま」と2023年06月25日「真実が明かされる時」の2つの記事を紹介します。


「おかげさま」


今日も心のお話です。 

私たちの心は強力で、広大です。

見える世界、見えない世界を包み込んでいます。 

例え、神様・仏様、能力のあるとされる方が

一瞬にして私たちの境遇を引き上げたとしても 

私たちの心が変わらなければ

またすぐに同じ世界に戻ってしまうことでしょう。

それに引き換え、心の中に感謝の気持ちを持つことができれば

私たちの境遇は一瞬にして変わってしまうことでしょう。 

空海が仰るように生きながら天国に住むものとなります。 

さて今日は、お陰様に付いてご紹介します。

謙虚で優しい気持ちです。

前ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さんの言葉です。

<引用開始>


小さなお子さんの手を引いて、

一人のお母さまが水道工事の現場の傍(そば)を通りかかりました。

暑い夏の昼下がりのことでした。

お母さまは坊やに向かって、 

「おじさんたちが、汗を流して働いてくださるから、坊やは、おいしいお水が飲めるのよ。

ありがとうと言いましょうね」

と話してやりました。

やがてもう一人、同じように幼い子の手を引いて、別の母親が通りかかりました。

「坊や、坊やもいまから一生懸命にお勉強しないと、こういうお仕事をするようになりますよ」 

と言ったというのです。

同じ仕事に対して、こうも違った考えがもてるものでしょうか。

最初の母親は、この日、子どもの心に

労働に対しての、尊敬と感謝の気持ちを育てました。

二番目の母親は、(手をよごす仕事、汗まみれの労働)に対しての、 

恐ろしいまでに誤った差別観念を、我が子に植えつけたことになります。

私たちがいま、子どもと一緒にこの場にいたとしたら、どんな会話を交わすことでしょうか。

会話以上に大切なのは、

どんな思いを抱いて、働いている人たちの傍を通るかということなのです。

人は、自分がもっていないものを、相手に与えることは出来ません。

感謝の気持ちを子どもたちの心の中に育てたいならば、 

まず親がふだんから「ありがとう」という言葉を

生活の中で発していることが大切なのです。

近頃の学生たちで気になることの一つは、

いわゆる〈枕詞(まくらことば)〉のようなものを習ってきていないということです。

例えば、「お元気ですか」と尋ねると、「はい、元気です」という答えは返ってきても、 

「おかげさまで元気です」という返事のできる学生が、以前と比べて少なくなりました。

 

遅刻して教室に入ってきた学生が、 

授業の後で、「遅刻しました」と、名前を届けにはきても、

「すみません、遅刻しました」という枕詞がつかないのです。

「お話し中、すませんが」とか、

「夜分(やぶん)、失礼します」という挨拶のできる学生も少なくなりました。

いずれにしても、言葉が貧しくなっています。

そして、それは取りも直さず、心が貧しくなっている証拠なのです。

せめて、「おかげさまで」という言葉と心を、生活の中に復活させましょう。

理屈っぽい人は、「何のおかげですか」と言うかも知れません。

何のおかげでも良いのです。

この表現は、私たちが実は、一人では生きられないこと、

たくさんの〈おかげ〉を受けて生きていることを忘れない心の表れなのです。

見えないものへの感謝なのです。

ところで、本当にありがたいこと、

何でもない時に「おかげさまで」と言うのは比較的に易しいのですが、 

不幸や災難に遭った時はどうしましょう。

そんな時にも、「おかげさまで」と言える自分でありたいと思っています。

ごまかすのではなく、不幸、災難、苦しみをしっかりと受け止めながら、

「いつか、きっとこの苦しみの〈おかげさまで〉と言える自分になりたい、

ならせてください」と祈る気持ちをもっていたいのです。

<引用終了>

 

子どもは親や教師の「いう通り」にはならないが、「する通り」になる。

そう渡辺さんは仰います。

このたとえ話では、親の価値観が、子どもの価値観を作る・・ 

ということが良く描かれています。

私たちの日々の何気ない一言、行動を子どもたちは本当によく見ています。

そして、ものすごい早さで吸収していきます。

親だからといって、100%完璧な人間になることは不可能ですが、

「お手本」になるために、

少しだけ意識してみることはできるかもしれませんね。



「真実が明かされる時」


もう数千年も、ある意図を持って隠されてきた真実があります。

そして同じく数千年の時を掛けて、その秘密を明かし、

人々を幸せにしようという勢力による努力もなされてきました。

そして、沢山の人々の努力により,その隠された真実が今明かされようとしています。

 

その隠された真実とは、私達の心の中には「神さま」がいらっしゃるという事。

それは、誰一人として、例外なくです。

私達の心は、巧妙な手段によってがんじがらめにされてきました。

キリスト教では、私たちは生まれながらの罪人であると教えられて来ました。

ボロボロになるまでも自分を犠牲にし、他人に尽くしなさいとも教えられました。

自己所有の「私の・・」と言う言葉が生まれました

(縄文の時代には存在しませんでした)

その結果、所有慾が生まれました。

持てる者、持たざる者の違いが生まれました。

それによって、嫉妬心が生まれました。 

嫉妬、やっかみ、ねたみ、ひがみ、焼きもち・・・ 

これらは、心を曇らせます。 

支配と依存の心が生まれました。

自分さえ良ければの心が生まれました。

持たざる者は、常に将来の不安・恐怖を抱くようになりました。

自分の思い通りにならない事、思い通りに動かない人々のことを許せなくなりました。

ですが、私達の心の中には「神さま」がいます。

良心があります。

その結果、良心と、悪い心の狭間で、葛藤が生まれました。

人を許せないのと同じパワーで、自分自身も許せなくなりました。

私達は「生まれながらの罪人」と教えられて来たからです。

でも、この数千年の間、その呪縛を取り除く努力も綿密に計画され、実行されてきました。

私達の心の中には「神さま」がいるという事

心に静かに問いかければ、誰でも内なる神さまの声を聞けること。

時代はもはや、助けてくれる神々や、頼れる師を外に求める時代ではなくなりつつあります。

自分が自分の心のよりどころとなる時代に入ったからです。 

そのよりどころとは、私たちの中に何時もいらっしゃる「神さま」です。

それは、数千年にも渡り、隠そうとしようとして来た勢力と、

それに抵抗し続けた勢力のせめぎ合いの時代でした。

それでも今、着実に真実を明らかにし、人々を幸せにしたいという願いが、 

実現しつつある時代になってきました。

自分の可能性を信じ、自分を受け入れ、人のあるがままを許し、自分のあるがままを許し、

そして自分を認めていく段階に来ました。

 

それが出来た時、初めて私達は自分自身を愛し、その内なる可能性を信じ、 

自らの足で歩み始めることが出来ます。 

真の意味で人に優しくすることができます。

私達の心の中には「神さま」がいます。 

全ての人の中にいます。

自分自身を許し、受入れ、慈しむことが出来た時、その「神さま」は輝きを増します。

私達が常に恐怖に苛まれ、愛の欠乏を感じ、苛立ち、人を、自分を、許せなくなるのは、 

その様に仕向けて来た者達がいたからです。

巧妙でシステマティックな手段でした。

ですがそれと同じく、陰があれば陽があるように、その隠された真実を元のように、表に出そうと努力してくれていた命がありました。

私たちは、自分自身を卑下する必要はありません。

イエス自身が仰ったように、私達は一人一人、誰もが尊い存在だからです。

でも、最後の扉は自分で開かなければなりません。

その方法は、非常にシンプルです。

置かれた場所で咲きなさい。

そのように生きることです。

私達の中には、宇宙の根本法則である神さまが居らっしゃいます、

それは本当は私達自身であり、私達の良心です。

それに気付き、知ること。

その神さまは全ての私達の属する宇宙の運航、そして身近な出来事、

人との出会い、別れさえも決めています。

 

今、自分がいる、そのままの場所・環境の中で、全てに感謝して輝き、 

そして幸せになること。

それこそが、今の時代に生きる人々に求められています。

ブッダの時代から数え、2回目の1,200年ごとのサイクルの中で、

今、その段階に入りました。