2023年7月24日月曜日

3132「究極の選択」2023.7.24

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年07月12日の記事を紹介します。


「究極の選択」


今日は神様から示された究極の選択についてです。

ブッダによれば、私たちの悩み事、苦難の多くの原因は、自分に起こってきた出来事を

・受け入れたくない

・認めたくない

という気持ちから、抵抗し、逃げ出し、そしてそれができない、無駄だとわかると

・不平不満、愚痴、文句

を言い、ますます人生を暗くしてしまうことに起因しているようです。

  

ですが、本当の真実は 

・その出来事は神様が起こしてくださったことであり

・その目的は、その出来事を通じ、私たちの魂を磨くため

・そしてますます幸せな段階へと、私たちを進ませるためのもの 

そういうものだということです。 

すべては、その出来事を、 

・認め

・受け入れ

・その新たな環境の中(おかれた場所)で、

 小さな幸せを見つけ、

・笑顔で感謝の気持ちをもつこと 

そうした途端、周りの環境は、一切変化がないのに、一瞬にして、神々に祝福され、

天国に住む者に変化します。 

小林正観さんのお子様、慶子ちゃん。 

生まれながらに心臓に穴があき、脳にも障害を持って生まれたお子様のお話をお読みください。

<引用開始>

 

正観さんは、変わった紹介方法すると、 

・ブッダの弟子

・そして空海の弟子

・プレアデス星団から地球に来ました 

そのような人です。 

ですが、もう亡くなってしまいました。

その正観さんは、30歳で結婚し、3年目にして、やっと待ち望んだお子さんが生まれたそうです。

待ち望んだ子ということで、お名前は「慶子」と付けました。

ですが、知的障害と、染色体異常であったため、筋力が、人の半分しかありませんでした。 

その娘さんについて、正観さんが次のように書いています。

彼女は、普通の子供よりも筋力が足りないため、早く走ることができません。 

運動会の徒競争に出ると,1位はおろか、2位になることも、3位になることもありません。

いつも「ビリ」でした。

忘れもしません。彼女が小学校6年のときです。

運動会の前に、足を捻挫してしまった友だちがいました。 

長女は、その友だちと一緒に走ることになっていたため、友だちには悪いのですが・・・・

「はじめてビリじゃないかも知れない」と、妻は期待していたようです。

運動会を終え、妻はいつも以上にニコニコしながら帰ってきました。

長女がビリから抜け出したのかと思いきや、「今回も、やはりビリだった」というのです。

ところが妻は、今回もビリだったことを嘆くどころか、

ニコニコと嬉しそうにしていました。

徒競争が始まると、長女は、足を捻挫した友だちのことを何度も振り返り、気にかけながら走っていたそうです。

自分がゴールすることよりも、自分がビリから抜け出すことよりも,ケガをした友だちのことが心配だったのでしょう。

友だちは足をかばうあまり、転んでしまいました。 

すると長女は走るのをやめ、友だちのもとに駆け寄り、手を引き、起き上がらせ、2人で一緒に走り出したそうです。

2人の姿を見て、生徒も,父兄も立ち上がり、2人に大きな声援を送りました。

そして、いよいよゴールのとき、長女は、友だちの肩をポンと押して、自分より先に友だちをゴールさせたというのです。

この話を聞いたとき、私は気がつきました。

人生の目的は競い合ったり、比べたり、争ったりするものでも、努力したり、頑張ったりして「1位になる」ためにあるのではない。

人生の目的は、「喜ばれる存在になることである」私はこのことを、長女に教わりました。

そして娘は、そのことを教えてくれるために、私たち夫婦の子供になったのだと、妻の話を聞き終え、私は そう気がついたのです。

<引用終了>

 

さて究極の選択はここからです。

正観さんご夫婦が50歳の頃、この慶子ちゃんが生まれて 15年位した頃、お二人でこんな会話があったそうです。

ひとつは、もし神さまが、白い粒でお薬のようなものを差し出して、夫婦二人で決めなさいと 言われたとします。

この粒を飲めば この障害のある子が治り、普通の子のように、健康で元気になることが出来る。 

そう言われたら、そのお薬を飲みますか?  

どうしますか?  

と話したそうです。

すると奥さまは はっきりと「今のままがいい」と答えられたそうです。

もうひとつは、3人目の子どもができたとして、事前に知恵遅れであることが分かったとします。 

「それでも産みますか?」

 という質問、選択です。

奥さまは即答した と言います。

「そのまま 喜んで産む」と

そしてお二人して、この慶子ちゃんが、15年経って 本当に可愛いと思っていることが

心の底から分かったそうです。

生まれた直後は大変 悲しい思いなど、さまざまあったけれど、結局全ては、15年経って見れば「ニュートラル」であったと。 

良いも悪いもなかったのだと。

障害を持って生まれたのが悪いわけでもなく、それを受け入れて、不平不満、愚痴を言わず、

一緒に暮らし、時を経て見れば、決してそれは悪いことではなく、むしろ素晴らしい体験をさせてくれた、と言うことが解ったのだそうです。

 

「人生の読み替え 遅くない」全ての現象はニュートラルだから、 必ず、そしていつでも、

不平不満、愚痴を言うことを止め、静かにそのことに感謝する「読み替え」は必ず出来る。

正観さん そして奥さま。 

慶子ちゃんのことが可愛くて可愛くて仕方ないと、仰います。

幸福も不幸も 自分が決めること。 

そのことを、この慶子ちゃんが教えてくれたのだそうです。

もし、貴方が同じ立場だったら、どちらを選択しますか?

今の目の前の苦労が一気に無くなって、安楽に暮らせる薬を飲みますか?

私たちは、生まれる前に、今世で、 

・いつ何が起きるか、

・いつ誰と出会い、いつ分かれるか

・健康な身体か、病弱な身体かを選び 

神さまと相談し、承諾を得て、生まれてきました。 

天国で神さまと 設定した、人生で起こる全ての出来事は、私たちの魂を、より進化させ、

神さまに近付くため という目的を持っています。 

ですので、全ての出来事に意味があります。

全ての出来事が、寸分の狂いもなく、起きるように、神さまがはからってくれています。

ですので、私たちは、その流れに乗ってさえいれば、 

・ああ、しなければならない

・もっと努力しなければならない

そんなことを全く考えずとも、ただ、目の前に起きて来たことに、感謝し、愛を込めて、行うだけで流れに乗ることができます。 

なぜなら、神さまのみわざは、どの人にも平等に降り注いでいるのですが、そのみわざ、神さまの祝福が現れるには、人間側の「感謝の心」がどうしても必要だからです。

ですので、人生に現れてくる、様々な出来事に「感謝の心」で、接している限り、私たちは、揉まれ揉まれながらも、魂の輝きが増し、結局は幸せな岸辺に、たどり着くようになっています。 

でも、それでも、 あなたは今の目の前の苦労が一気に無くなって、安楽に暮らせる薬を飲みますか?