今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年07月17日の記事を紹介します。
「神さまの教える諦めの心」
今日は、聖なる諦め、諦めることがゴールであり、スタートであるというお話です。
このテーマでは、以前から何度も何度も書いていますが、
このテーマも、日本神界 高位の魂である、山幸彦の魂を持つ、小学生のトキ君の情報とピッタリと一致しているため、
このことが、神様の真実であることが推認できます。
私のブログでは、ブッダやイエス、そして日本人の心に伝わる古の神道を情報ソースとして書いていますが、この6歳の子供が、いくら神様の魂を持つとは言え、同じ内容を語っていることに驚きます。
既に、沢山の神様の魂が、この日本に転生を始めているそうです。
本当に「精神性復活の時代」夜明けが近づいて来た様です。
トキ君の情報は以下です。
一瞬で幸せになれる言葉…皆様に響きますように…人が人として生きていくうえで大切な何かに気付けますよに。これからも私達は皆様の幸せを祈ります😌🙏 youtu.be
約2分くらいから「諦める」についてです。
6歳と幼く語彙が少ないため、5分30秒くらいから違いを身体で表現してくれています。
トキ君は以下のように話しています。
・諦めるは、ゴールでありスタート
・諦めると、また新たなスタートに立てる
・「諦めない」と言う言葉は、ゴールを自ら遠くへと設定してしまうこと
・諦めた瞬間に心が解放される
・本当に自分がやりたいことであれば、あきらめなくても良いけれど
少しでも嫌な気持ちがあるなら、諦めて新たなスタートに立った方が良い
・諦めると楽になって心が明るくなる
・諦めた瞬間に、どんなことでも出来るようになる
・諦めるということは「それでいいんだよ」って言うこと
・諦めないは「それじゃ、ダメ」って言うこと
・諦めるとは 認めるっていう意味
・出来ない自分を諦める
・出来ない相手を諦める
また同じようにブッダと神道のエッセンスより
「諦め」について以前書いた記事がありますので、加筆修正して載せたいと思います。
小林正観さんのお話から、ブッダの悟りと、日本に昔からある神道が、驚いたことに全く同じ到達点にたどり着いている、について書こうと思います。
ブッダは2,500年前に、この世の苦しみ、悲しみの原因は、自分の思いどおりにならないこと、と悟りました。
自分の思いどおりにならないことに対して、それに逆らって、なんとかしようと するからこそ、人は悩み・苦しむのです。
人の苦しみや悲しみは、外から与えられるものではありません。
苦しい・悲しいと思う心、つまり、人の内(心)から、苦しみや悲しみが発生しているのです。
だから、お釈迦様は、こうおっしゃっています。
「すべて、受け入れなさい」と。
それは、頑張る生き方ではなく、楽に生きる生き方です。
・人に頼って
・人に甘えて
・あるいは人に頼られて
・時には人から甘えられて
自分の思いどおりに、世の中を変えようとしないで、それを受け入れて、こころを楽にして生きてゆくこと。
そして、最高の形は、「ありがとう」と、感謝することだったのです。
・水を飲めることに「 ありがとう 」
・息ができることに「 ありがとう 」
・食事できることに「 ありがとう 」
・仕事があることに「 ありがとう 」
・家族がいることに「 ありがとう 」
・友達がいることに「 ありがとう 」
・話ができることに「 ありがとう 」
・歩けることに 「 ありがとう 」
・病気でないことに「 ありがとう 」
・生きていることに「 ありがとう 」
これは、日本に古くから存在していた古神道と同じ結論です。
感謝の心が神々の恩寵の表れる場となる・・
ということです。
日本の神道には
・教義も
・教祖
もいません。
だから宗教とは呼ばれません。
全てのもの、全ての自然現象に神々の意吹きが宿るとして、尊重し、敬う心です。
このブッダの悟りの神髄に対して、きっと反論のある方もいるかもしれません。
だって実際に
・貧困でお金がなく
・病気で、毎日が苦しい
・友人に裏切られた
・職場にいじめが存在する
・世の中には許せない犯罪者がいる
・憎い
・苦しい
・辛い
自分が辛いのは
・あいつのせい
・世の中のせい
でもきっとご本人もわかっているはずです。
自分が辛く、苦しいのは
・憎しみの心があるから
・人のせいにしているから
ブッダは仰いました。
「すべて、受け入れなさい」(そのことを諦めなさい、許しなさい)
自分の心の状態が現実を作ります。
憎しみの心を抱いていては、次から次へと 憎しみの対象が目の前に現れてくることでしょう。
「これがない、あれもない」と、常に足りない部分ばかりを見ていては、地獄の餓鬼と同じ心になってしまいます。
そもそも神様は私たちが生きていくうえで、必要なものは全部、準備してくださいました。
そのうえで、私たちを、その場所に置いてくださいました。
「置かれた場所で、咲きなさい」と。
神さまが準備してくださったものは
・健康や
・お金
・幸運
それだけではありません。
・苦しみ
・悲しみ
・貧困
・病気
も一緒に置いてくださいます。
それは、その状況が、私たちの魂を磨いて、輝かせてくれるからです。
本人が超えられないものは、置かれません。
人よりもつらく、悲しく、苦しい状況は神様に見込まれているからです。
私たちは、足りないことばかり見つめることをやめ、ゆっくりと、澄んだ心で周りを見渡せば、きっと、本当の幸せを見つけることができるでしょう。
なぜなら、誠の幸せこそ、神様が私たちに一番、渡したいと願っているものだからです。
幸せは、向こうから勝手にやってくるものではありません。
すでに自分を、山ほど取り囲んでいるものです。
神様が準備してくれていたものです。
それに、気がつけるかどうか。
ただそれだけの違いのようです。
そうブッダは、般若心経で教えてくださいました。
・憎しみの心
・人を蔑む心
が消えて、お幸せになられますように。