2023年7月31日月曜日

3139「喜びの世界への帰還」2023.7.31

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年07月18日の「喜びの世界への帰還」と2023年07月19日の「心の感度」の2つの記事を紹介します。


「喜びの世界への帰還」


死とは、私たち平凡な人々にとって一大事なことです。 

身近な人であれば、悲しみ、時によっては、「ああしてあげればよかった」と、

一生後悔を背負って生きていくかもしれません。 

ですが、臨死体験を経験された方のお話や、生まれる前の記憶を持つ子供たちの話を聞けば、

死とは、それほど深刻なことではなく、元居た場所に、また帰るだけ。 

肉体がある時よりも、はるかに長い時を過ごしている本来の場所に戻るだけ・・のようです。

ですので、あまり深刻なお話にはなりません。 

また他の星団から直接地球に転生し、その記憶を持ったまま生まれて来たレインボーチルドレンのお話では、どうしても疑問があって、分からない時には、元居た星団に残している自分自身の本体と通信し、その答えを得ることもあるとのこと・・ 

これの意味するところは、私たちの魂は、物理的などこの地点(宇宙)及び、多次元に同時に存在できるということです。 

また、光よりも早く通信できるということ。 

量子力学の電子の蓋然性と同じです。

本人が意識をフォーカスさせているところに強く出ます。 

つまり、肉体を持つ時は、強く肉体に意識を向けているために、自分自身が神々と同じく

多次元的な存在だとは気づかないけれど、本来、魂は、肉体を超えて生き、存在する・・

と言うことだと思います。 

そういった観点から、今日は、聖心女子大学教授、シスターの鈴木秀子さんのお話をご紹介します。 

鈴木さんの臨死体験にまつわるお話で、亡くなった方のために「喜ぶ」という内容です。 

<引用開始> 引用元 


≪臨死体験で変わったこと≫

司会者―臨死体験をした後、何か変わったことは?

誰かがなくなったときに、家族は泣いてますよね、亡くなったときに、

あの人はあの素晴らしい世界へ行ったんだから、その人のために喜ぶ。

家族は悲しいから家族のためには祈りますけれども、亡くなった人のためには

喜びを感じるようになりました。 

それがとても大きなことですね。 

司会者――あちらの世界が素晴らしい世界だから、

(患者が)病気で苦しんでいらして、厳しい状態の時にも、 

「安心なさってください」という言葉が説得力を持つんでしょうか?

(死がまじかに迫っている人たちに)私は手を当てたまま、本当に神様の愛が伝わって 

私を通ってその方に伝わり、神様の愛が循環しているような、臨死体験で味わった

無条件の愛の中にいる安らぎというか、安心感というか、そういうものをもう一度、再現している幸せを感じます。

司会者――なぜ臨死体験の幸福感が再現されるのですか?

つらい人とか、もう死が控えている苦しい苦しい人は、もう見栄とか、体面をつくろうことができない。

いのちのギリギリまで迫られているから、その人の“ありのまま”をさらけ出しているわけです。 

だから私はその人たちから刺激を受けて、自分も飾ることなく、その人たちから自分の

“ありのまま”を引き出されて、そうすると、お互いに一体感が浮かんでくるんですね。 

もう死ぬ前の人間が一番望むのは“愛”だけですよ。 

だから自分も愛を溢れさせるし、愛を受け止める。 

だから病人をお見舞いに伺うのは大きな喜びであり、恵みであり、癒しを与えてもらう瞬間でもあるんですね。 

司会者――最後に、これからの目標は?

一つ大きな目標があるんです。 

年を取るにつれて全部、どんどん、昨日までできたことが、今日はできなくなる。失われてゆく。 

じゃあ、自分が最後の最後まですることは何だろうかと考えたときに、気づいたことは、息を吸うことと吐くことじゃありません?  

だから、息を吸うことと吐くことは死の瞬間までするから、これを使わない方法はないと思ったんです。

・吸うときに感謝を込めて吸い、

・吐く息に神を讃美する。 

感謝、讃美という思いを込めて、

吸ったり吐いたりする特訓を自分にしているんです。

<引用終了>

   

鈴木秀子さんは臨死体験をしてから後、不思議な力に突き動かされて、病院などに、

死に行く人々を訪ね歩く活動をされています。 

そこでは、ただ 

・同調

・肯定 

・息を合わせる 

・寄り添うこと 

それしか行われませんが、2人の間に神聖な結びつきが生まれ、神々のエネルギーが循環するのだそうです。 

その結果、死を待つ人々の心は、愛に満たされ、穏やかな気持ちで、神さまに抱かれて行くのだそうです。 

派手さはありませんが、それこそが、まさに神々のやり方です。 

愛の交流を通じ、心を救って行くのです。 

イエスも同じことをなさいました。 

 

「心の感度」


私たちは、3つの世界の中で同時に生きています。

・見える世界(物理的な次元)

・見えない世界(黄泉の国)

・心の世界 

一番大きくて、全てを包括し、大事なのが心の世界です。

心の世界こそが、見える世界、見えない世界を包括した世界の現実を作り出します。 

ですので、ご自分の心の浄化こそが、全ての根本であり、

永遠に続く幸福を作り出すことができます。 

決してどこかの誰かが、やってくれることではありません。

目に見える、物に執着したり、

目に見えない霊的な物ばかりに心をフォーカスさせるよりも、 

まずは、自分の心の洗濯こそが、重要だと思います。 

私たち人間は「考える葦である」などと言われます。 

ただ、毎日を、食べて寝て、暮らしているわけではありません。 

生活するため、生きるためだけに働いているわけではありません。

  

生きている間に様々な事件が起こります。

様々な人との出会いと別れがあります。 

誰かと友達になります。

長く続く友達もいれば、あっという間に分かれる人もいます。 

愛や友情を交わし合う人もいれば、憎しみ、罵り合う人もいます。 

それは全てこの世で、いろんな経験をして、いろんな感情を味わうためです。

子供たちに対する大規模なアンケート調査でも明らかなように 

これらの出来事は全て生まれる前に、もう決めてから出てきます。

ですので、乗り越えられない試練や苦難は絶対に設定してきません。

全ての目的が、その経験を通じ、魂の豊さを経験するためです。

心の感度を上げるためです。 

さて、今日は。そのような観点から「卒業式」にまつわるお話をご紹介します。

子どもたちの”いじめ”が深刻な社会問題になり、国会でも取り上げられる昨今、 

心温まるお話しです。

<引用開始>

 

小松まり子さんというお母さんがおられて、その方のお子さんの足が不自由で、

小学校の六年間、車椅子で通っていたんです。

六年間・・車椅子の後押しをしたのは、近所の子どもたちでした。  

毎日当番を決めて、登下校の後押しをしたのです。  

来年から中学・・みんなと同じ中学に行けると思ったら・・ 

教育委員会から「お宅のお子さんは体が不自由だから、設備の整った肢体不自由児の中学校に転校してください」って言われたのです。

ご両親は納得されたのですが、友達は納得しませんでした。 

六年間一緒に通ったんだから、中学も一緒でいたい・・ 

署名運動までして嘆願した。 

「エレベーターが無くても、トイレに1人で入れなくても、僕らがいます・・ 

車椅子を担いででもやります」って言うんです。 

そんな約束までして・・また三年間、一緒に中学に通ったのです。

三年生の最後の日・・卒業式の日に、一緒に卒業したかったのですが、身体不自由なうえに弱かったものですから、風邪を引いて卒業式に出られなくなったのです。

いつものように迎えに来た友達に、ベランダから「九年間ありがとう!」とお礼を言った。 

『じゃ・・お前の卒業証書貰ってきてやるよ』と、友達は登校していった。

お父さんも「今日は早く帰るから・・一緒に卒業を祝おう」と言って出かけた。

お昼にチャイムが鳴ったので、お母さんがドアを開けたら・・ 

お父さんではなかったんですね。

卒業式を終えられた校長先生が、卒業証書を、わざわさ息子さんのために持ってこられ・・

各学年で担任をされた先生方も・・ 

小学校からズ~と車椅子を押してくれた生徒たちも・・ 

一緒に来てくれたのです。

盲目の友達のために校長先生は 

『お子さんのお部屋で、卒業式をやらせてください・・』 とおっしゃった。  

みんな部屋に集まった・・ 

お子さんを前に、校長先生が卒業証書を読んでくれた。

先生方は「よく頑張ったね!」と握手し 友達は、周りを囲んで校歌を歌ってくれた。

お子さんは、車椅子に座って証書を握りしめ、泣いていました。  

お父さんもお母さんも、涙が溢れて止まりませんでした。  

お父さんは、部屋のみんなに、喉を詰まらせながら、お礼を言いました。

『息子は・・

皆さんの心温まる援助のお蔭で、無事小学校と中学校の両方を卒業できました・・ 

何を学んだかは 本人に聞かないと分かりませんが・・

人から受ける優しさほど、人の心を豊かにしてくれるものはない・・  

ということを学んでくれたら、それだけで十分です』

NHKふれあいトークより

<引用終了>

 

家の実家は、もう何十年も前に衰退してしまいましたが、着物の町でした。

亡くなった父も小さいながらも、着物の染め物工場をやっていました。

私が中学卒業する頃、私と同級だった特別支援学級に通っていた男の子が、

卒業と同時に家の染め物工場で働くことになりました。

彼の障害は身体の方ではなく、勉強が少し人より遅れると言う障害でした。

(でも、やっぱり心は凄く純粋!!)

父は、その同級生を雇って仕事を教えることになりました。

私はというと、まだ働くどころか、親の脛かじりの高校生です。

今となっては、父がどういう気持ちだったのかは解りません。 

そんな父を尊敬しています。

九年間、車椅子を押し続けてもらった少年。

少年のお父様が言うように、何事にも変えられないほどの素晴らしい体験を通して、 

それまで以上に優しく思いやりある人生に変わられたと思います。

ですが、もしかしたらそれ以上に、「心の豊かさ」を手にいれたのは、九年間車椅子を押し続けた同級生たちかもしれないですね。。

お互い様、お陰様。 

有難いことですね。

こんな仕組み、こんな経験をさせて下さる、全てをディレクションしてくださった神様に感謝です。 

私たちは、こんな風に、色んな出来事、いろんな人との、出会い、別れを通じ魂を震わせ、

良いことも悪いことも、様々な経験を通じ、人を思いやる心の感度を上げて、魂を輝かせているのかもしれませんね。