2024年6月29日土曜日

3473「現実が変わらぬなら」2024.6.29

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月16日の記事を紹介します。


「現実が変わらぬなら」

 

「置かれた場所で咲きなさい」の著書で有名な

渡辺和子さんの言葉をご紹介します。

<転載開始> 転載元

 

女子学生たちと五十年以上接していて気がつくことは、この年頃の人たちの多くが、 

愛に必要なのは、すばらしい対象に出会うことだと考えていることです。

それも決して間違いではないのですが、その対象が「すばらしさ」を失った時(病気やケガ、挫折)にも、果たして愛し続けることができるかどうか、ここに「愛の本質」が問われています。

・健康だった相手が病気になってしまった時も、

・前途を嘱望(しょくぼう)されていた相手が挫折にあった時にも、

その人を愛し続けることができるかどうかは、

私たちが自分の中に、「愛する力」を養い育てているかどうかに、かかっているのです。

ふだんからピアノの練習もせずに、立派なピアノを見つけさえすれば、上手に弾けると思ったり、

絵を描く練習もせずに、ひたすら美しい景色を探している人にも似て、

ふだんから「愛する」練習をしないで、素敵な人との出会いを待っていては、いけないのです。

愛する力を育てるためには、まず私たちが毎日の生活の中で「当たり前」と考えていることや、人、物を「有り難い」と、感謝の気持ちで受けとめることが大切です。

マイナスの価値しかないと思えることや、不幸、災難、苦しみにさえも意味を見出して、 

これまた「有り難い」と感謝できる時、私たちは愛すべきものを随所(ずいしょ)に持ち、 

愛し難い人さえも、その人の存在そのものの価値を認める、愛深く幸せな人間になれるのです。

<転載終了>

 

何か素晴らしいものさえ手に入れれば、きっと自分は幸せになれる。 

殆どの人がそう思っています。 

これは安直で、自分では何もせず、おいしい果実だけを得ようとする、依存の心です。 

自分ではほとんど何もせず、何も変えようとせず、お医者さまや、薬、ご祈祷、スピリチュアルリ-ダーに頼れば、幸せになれる。

これも全く同じです。 

これは、生きていく姿勢そのものに直結しています。

・子供の成績が良ければ、愛する

・子供が不登校になったから、愛さない

・何か手に入れたら、感謝する

・何かしてもらったら、仲良くする

・運が良くなったら、感謝する

・病気が治ったら、感謝する

全部が、

・自分の思い通りに人が動けば、愛する

・自分の思い通りに動かなければ、嫌う

・先に何かを得たら、何かする

・自分から、親切や優しさを出すと損をする

そのような意識です。

まるで、いつも「クレクレ」と言っている、地獄の亡者のようですね。

 

そこには、

・自分は礼儀正しく

・言葉きれいで、

・正義の側に立ち

・悪を糾弾しており

・自分は報われるべき存在で

・その権利がある

・大事にされて、あたりまえ

そのような心が底流にあります。

・自分自身が変わるのは怖い、めんどくさい

・他人に何とかして欲しい 

ですがこの地球は、そのようにできてはいません。 

生老病死、四苦八苦。 

まさに思うようにならないのが、この世の中です。 

希望を持って結婚しても、就職しても、子育てをしても、

「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。

病気や不運に見舞われる時も、必ずあります。

「何か素晴らしいものさえ手に入れれば、自分は幸せになれる。」

そのように、他に依存するように考えていた人たちは、そこで挫折し、苦しみにとらわれることでしょう。

家族が自分の思う通り動かなければ、自分の理想にそぐわなければ

愛する家族に対する熱も冷め、もしかしたら苦痛や憎しみの対象に変わるかもしれません。

これらは、自分では何も動こうとせず、

自分自身の心を顧みようとしない人の特徴かもしれません。

全ての出来事、自分に降りかかってくる出来事は、他人のせいではありません。

他人がどうこうできることではありません。

全ての全てが、私たちの心の中に、その種があったから、現象として目の前に起こっています。 

 

身近な方に降りかかってくる災難、苦難も 

(見ている私たちは、可愛そう、何とかしてあげたいと思うのは当たり前ですが・・) 

その出来事(実際は人生劇)もその人自身の魂(本体)が許しているから、計画して生まれて来たから起こっている出来事です。 

その経験を通して、魂の成長を図るために、神様とともに決めてきたことです。 

その方(身近な方)にも神様が付いていらっしゃいます。

縁の深いご先祖が守っていらっしゃいます。 

私たち生きている人間には、その深い深い縁の流れ、神仕組みが見えません。 

ただ見守り、信じてあげる事だけです。

その方の生まれて来た目的が成就することを一緒に祈ってあげる事だけです。

渡辺和子さんは仰います。 

「こんなはずじゃなかった」と思うこと(不幸)が、次から次に出てきても、そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をして欲しいのです。

どうしても咲けない時もあります。

雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。

その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。

次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。

現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。

いい出会いにするためには、自分が出会いを大切にして育てなければなりません。

思い通りにならないことを経験した時、心にポッカリ開いた穴から、

これまで見えなかったものが見えてくることがあります。

希望には叶わないものもありますが、大切なのは心に希望を持ち続けること。

相手を信頼するのは98%にし、

あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておくこと。

「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練に感謝すること。

私たちは、神さまが置いて下さったこの場所で、たとえ辛く苦しくとも、幸せを見つけることが出来ます。 

神さまは、「その場所で幸せを見つけるのですよ」と、私たちを、今の場所に置いて下さいました。

辛い日々は、必ず笑える日につながっています。 

目の前の現実は変えられません。

ですが、その起きている現象には、本当は「良い」も「悪い」もないのです。

全てニュートラルの形で現象は起こっています。 

そこに「良いこと」とか「悪いこと」と色を付けるのは、私たちの心の捉え方だけです。

そして実際は起きている現象全て、私たちの魂の成長のために、目の前に現れてくれています。 

私たちが、それに気付き感謝して受け入れた途端、その現象は、もはや役割を終えたわけですから、目の前から消え、記憶のかなたに忘れ去られてしまうでしょう。 

私たちの人生はその事の繰り返しです。 

ですから、どんなことが目の前に起きても、心配せず、しっかり受け入れて、 

感謝しニコニコ笑っていれば、それで良いのです。 

それがブッダが教えてくださった「般若心経」の真髄です。  

ご縁のある方に届きますように。



2024年6月28日金曜日

3472「七夕のお願い」2024.6.28

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月14日「七夕のお願い」と2024年06月17日「欲張りな人間」の2つの記事を紹介します。


「七夕のお願い」


毎年この季節に掲載している記事をご紹介します。

7月に入ると七夕。

今日は子供たちの美しい心のお話です。

 

美しいものを見たり、聞いたり、触れたりした時に、

私達の心のどこかで共鳴が起こります。

そして同じように、醜いものを見たり、聞いたり、

考えたりと 心に入れてしまうと、その逆もあります。

人間の心は

何処までも、高みに登る事も出来れば、何処までも、闇に沈むこともできます。

出来れば、私達の心の波長を 

真善美に合わせておきたいものですね。  

それが、一番自然であり、苦しまなくて済みます。 

幸せになる一番の近道だからです。。

でも、落ち込んでも大丈夫です。 

それも結局は、予定調和に至る道ですから・・

私たちの内に居らっしゃる神様は、決して見捨てたりしません。 

何時も傍らにおられます。

 

さて、始めます。

知的障害の兄を持つ小学1年生の男子児童のお話。

入学式の日、その児童の席のとなりに、小児麻痺で左腕が不自由な同級生の男子児童が座りました。

最初の体育のときでした。 

手が不自由な小児麻痺の児童は、着替えるのに30分もかかってしまいました。

時間がかかっても、先生は、何も言わずこの子を放っておくことにしました。

でも、二度目の体育の時間には、この子も他の子といっしょに

きちんと並んで待っていました。 

「どうしてだろう?」不思議に思った先生は、次の体育の前の休み時間に、 

そっと教室の外から見ていました。

すると、隣の児童が、一生懸命に手の不自由な子が着替えるのを手伝ってあげていたのです。

そして、その子が着替え終わると、二人で校庭に元気よく駆け出していったのです。

先生は、やはり何も言わずに見守ることにしました。 

七夕の日のことです。 

ちょうど授業参観日でした。

 

先生は子どもたちに願い事を書かせて、それを教室の笹に下げておきました。

お母さんたちが集まったところで、先生は、一枚一枚、短冊を読んできました。

一年生ですから、 

「あのおもちゃかってちょうだい」

「おこずかいちょうだい」 

「まんが本がほしい」

というようなことが書いてありました。 

その中に一枚だけ、こう書かれていました。

「かみさま、ぼくのとなりの子のうでをなおしてあげてください」

あの世話をしていた、児童が書いたものでした。 

先生は、この一途な祈りを読むともう我慢できなくなって、あの体育の時間のことを、 

お母さんたちに話しました。

小児麻痺の子のお母さんは、 

「子どもがどんなに教室で、不自由しているのだろう」

「迷惑をかけているのだろう」 

「申し訳ないことをしてしまった」 

と悩みながらと教室に入れずに 

廊下からじっと様子を見ていました。 

が、先生の話を聞いたとき、突然、廊下から飛び込んできました。

教室に入るなり、ぺったりを床に座り、この児童の首にしがみついて絶叫しました。

「坊や、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう。ありがとう、ありがとう、ありがとう。・・・・」 

その声が いつまでも教室に響き渡ったそうです。

人を思いやる気持ちって、本当に美しいですね。


 



「欲張りな人間」

 

人間は弱いので、何か困ったことが起きたり、苦境に立たされれば

・神様仏様に頼ったり

・高額な詐欺に付け込まれたり

・お金に糸目もつけず、「力があるぞ」と宣伝する人に頼ったり 

とにかく

・自分ではなく

・自分の内にいらっしゃる神さまではなく

自分以外の外にある、他人や、物に頼り願いや欲望を満たそうとします。

でもそれは仕方のないことです。 

しかし、その欲には限りがなく、いつの間にか頼った相手に心理的に依存し、また頼られた相手は無意識の内に支配しようとします。 

支配-依存の 関係が生まれます。

この両者は、全く別物に見えますが、自分の発している波長が同じであるために同調して

いつの間にか引き寄せられていきます。 

両者は、波長が同じで、波長の山であるか?谷であるかの違いだけです。

この関係が長く続き、強化されてくると、ますます心の中に広がる黒い闇に気づけません。 

ご利益を求め、殺到する参拝者、頼られたものに・・集まり、うなるお金 

何時しか、自らも神様に対する崇敬の念を忘れ、自我の心が、極端にまで拡大し、神の力を、己の力と誤解する人々。 

 

神々は、そんな人間臭いドラマをどのようにご覧になっていらっしゃるのでしょうか? 

・願い事が叶います

・商売が繁盛します

・病気が治ります

・学校に受かります 

そう喧伝されれば、藁にもすがりたい私たちは、いっぺんに飛びつくことでしょう。 

もしかしたら、見えない何者かの力によって、一時は、願いがかなったかに思える時期もあるかもしれません。 

ですが、それも長続きはしないでしょう。 

しばらくすれば、また同じ苦しみを味わうことでしょう。 

他人に頼り、自分自身の心を変えようとしないからです。 

ですが、私たちのそのような状況でさえ、私たちが生まれてくる前に、自分で設定してきた状況であり、人のせいではありません。

何故、そのようなことをあえて人生に仕込んできたかと言えば

・その悩み苦しむ時期と、

・外の力に頼る時期と

・結局はそれがうまくいかない 

ことを経験することで、 

・私たちの魂が学習し、磨かれ、

・より一層 輝きを増し

・神々に近づけるからです。 

 

それなのに、その貴重な経験を、苦しいから嫌だからと、お金をかけ、人に頼り、すっとばし、一瞬だけ状況を変えてもらっても、私たちの心はちっとも変わらず輝きもせず、かえって依存の心が、闇のように広がり、氣枯れたもの(神さまの純粋な気が覆われてしまったもの)に魂が覆われてしまうことでしょう。 

それは、魂の視点 、神々の視点から見て道を外れているからです。  

神様は、私たちの魂を輝かせるために 

「その場所で自分なりの花を咲かせるのですよ」

そう言って、今の状況に私たちを置いてくださいました。 

神々のなさる奇跡とは華々しいサーカスのように人々を驚かせ、一瞬のうちに私たちを救い出してくれる・・・そういった安直なものではないと思うのです。 

奇跡とは、私たちが、例え苦しい環境に置かれていようと、自分の置かれた立場で、一所懸命前向きに、周りの方々や神々に感謝しながら笑顔で、しっかりと生きていくこと。

そして日々の平凡な生活のうちに、自分や、身近な周りの方々の心の中に

・温かな優しさ

・思いやり

そんな神様の心を見つけた時 

そして、それを感じ取った自分、自分の中の神様に気づいた時 

神々は、私たちの心に奇跡が起きた・・ 

そうお思いお喜びになるのかもしれません。 

人々の耳目を集める 

・どんな凄いことをしようと

・どんな技や知識を身に着けようと

・どんなに地位や名声を手に入れようと

・どんなに経済的に成功しようとも

自分の心の中に 神々を見つける奇跡には敵いません。  

神様は、私たちの魂を輝かせるために 

「その場所で自分なりの花を咲かせるのですよ」 

そう言って、今の苦しく見える状況に私たちを置いてくださいました。

私達の魂の誕生の時に頂いた神様の心。 

・その心を清らかにしておくこと

・自らの足で立とうとすること。。

それ以上に、この人生に奇跡を起こす術はありません。


2024年6月27日木曜日

3471「青空ひろば」2024.6.27

 今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


1337 2024.06.23

「ゆ」のことだまの詩

ゆっくり・ゆったり・ゆ(湯)につかり 

たゆとう・おゆに・みをゆだね

こころもみをも・ゆるくして 

じぶんをゆるし・ひとゆるし

われひとともにいゆる(癒ゆる)道


1336 2024.06.22 

私が私に落ち着けば、人や世界は癒される。

自分も知らず、人も気づかないがそうなのだ。


1335 2024.06.20 

キューブラー・ロス「私はOKじゃない、あなたもOKじゃない。でもそれでOKなの!」

カール・ロジャーズがカウンセリングを始める前に自分に言い聞かせること→『私は完全じゃないが充分な存在なんだ(私が私であることで充分なのだ)』

自分がありのままの自分であることを受け入れ、そこに落ち着く→そこから「癒し」の過程がスタートする→「存在の癒し」


1334 2024.06.19 

完全じゃない自分を認め、受け入れ、愛おしむこと。

でも、そこに腰を据えてしまうのではなく、自分のペースで一歩ずつ前へ!

「ヘタクソでも自分の足で歩こうね」


1323 2024.06.08 (宮里藍さんの名言集1)

ピア・ニールソン、リン・マリオネットにメンタル面のコーチを依頼した。

「人それぞれに自分だけのいのちのリズムと表現があるんだから、自分が別の何かに変わるのではなく、自分が自分にもどって、その本来の自分をそのまま引き出せるようになりなさい」という指導を受けた。


1324 2024.06.09 (宮里藍さんの名言集2)

メンタルコーチの言葉「アイ、あなたはもともと(あなた本来の)マジックテンポを持っているのよ」→パズルの1ピースがパチッとハマッたような気がした。

スイングのテンポを25%、50%、…と変えて振ってみる(打球は見ない)。…

ピッタリきて、気持のよいリズムをさがす→これがピッタリと気づいたとき、それは中学生の時のテンポに戻っていた。→ストンと胸のつかえが取れた。

→私は私でよかったんだ。アタマでココロやカラダを支配しようとするのではなくカラダに聞けばいいんだ。


1325 2024.06.10 (宮里藍さんの名言集3)

キャディのミックに向って「私は未来のこと(不安)にアタマが往ってしまって、どうしょうもないくらいに緊張しているんだけど」

ミックは言った、「アイ、ボールは<今、ココ>にあるんだけどな」

今の私(藍)は自分を取り戻す(今・ココに自分を戻す)のに4~5ホールかかる。しかし、アニカはこれを数十秒,数秒で今・ココに戻せる。これが差なんだ→アタマは過去や未来に脱線するが、カラダはいつも今・ココのある。意識をカラダに  向けると今・ココに戻れる。


1326 2024.06.11 (宮里藍さんが見いだした「今・ココ」に自分を戻す方法)

① セルフトーク

 鏡にうつっている「自分」を相手に対話するような感じ(感情に巻き込まれず自分を客観視する方法)

『私はいろいろな自分のピースを、今ココにいるひとつの大きな自分に戻す作業をしています。それができているときは、まるで他人を見るような目で自分を見られるので、冷静でいられます。グリップに力が入っているんじゃない?」とひとりの自分が言うと、もうひとりの自分が「じゃあ、手を大きく振って、リラックスさせてみようか」と返事をする。セルフトークを交わしながら、自分自身を取り戻していくのです』


1327 2024.06.12 (宮里藍さんが見いだした「今・ココ」に自分を戻す方法)

② 身体運動

a.手をブルブル振って緊張をほどく→手首の緊張をほどくと、肩や首や全身の緊張がほぐれる。

b.両肩を上げて思いっきり緊張させてから、ストンと肩を落とし、脱力感をカラダで感じる

c.軽くジャンプする(カラダをゆする→フルベの技法)。

これらすべてが、先走る自分や、過去に引きずられている自分を、今の自分にひき戻す作業、自分を捕まえておくための動作です。

緊張したら深呼吸しましょう、とよく言います。でも私の経験では、深呼吸だけでは自分を捕まえることはできません。

「緊張なんかしていない」と言い張る自分の脳みそに、「実は緊張しているんだ」ということを自覚させるには、体を動かして「あぁ、こんなに筋肉が強ばっていたんだ」と認識させるのが一番。腕を振って、肩を上げ下げして、ジャンプして、「私はここにいるんだよ!」と、自分で自分に教えるのです。

地に足が着いている、というのは、自分を捕まえられている状態のことです。うまく自分と会話を交わしながらプレーができたとき、欲張らなくても自然と結果はついてきます。


1328 2024.06.13 (宮里藍さんの気づき)

ピアとリン(メンタルコーチ)の指導で練習しているうちに、自分がいかに固定観念や先入観にしばられていたのか(自己制約、自己制限の囲い)に気づいた。

・こうしなければいけない、というルールなどどこにもないんじゃないか?そんな当たり前のことに今さらながら気づかされました。

・雑念は一切排除。いいイメージだけを抱いて、思考を停止させ、気持ちよく振ればいい。

・頭ではなく、体で感じるゴルフに取り組み始めてから、面白いことに生活面でも集中すべきポイントがわかるようになってきました。メリハリがつけられるようになった。

「今・ココ・この身」に意識を収めると、次第にアタマでスイングを考えるのではなく、意識が指定するターゲット実現に向けて、カラダが自然に動くというスタイルに変化していった。


1329 2024.06.14(宮里藍さんの名言集4)

少し前まで私が考えていたのは筋肉を鍛えて、「強い体を作って球を飛ばさなければ」ということでした。でもいくら筋力や腕力があっても、無駄な力が入っていたら、折角の力を使えず、飛距離が伸びないことがわかってきました。でもいい感じに力が抜けてタイミングよく振れているときは、自分でも意外なほど飛距離が出ています。


1330 2024.06.15(宮里藍さんの名言集5)

精神面ではもちろん気持ちを先走らせることなく、過去を憂えることなく、今この瞬間、目の前のショットに、いかに集中できるかということが勝負。スコアは自分でコントロールできないけれど、どんなことがあっても自分のゴルフを貫くという態度は自分で制御できますから。


1331 2024.06.17(宮里藍さんの名言集6)

ジャンプする前にしゃがみ込むように、飛躍の前にはもがく時間が必要です。試練はきっと成長のチャンス。


1332 2024.06.17 (宮里藍さんの名言集7)

一流選手はオンとオフの切り替えが上手いし、普段からメリハリのある生活を送っています。


1333 2024.06.18 (宮里藍さんの名言集8)

勝とうという気持ちが強すぎると、勝てないということ。勝負にこだわりを持ち過ぎるよりも、流れに任せてチャンスを待ち、好機が来たときにそれを逃さずにつかみ取る、自分から何かアクションを起こすより、自分を信じて待つことの方が大切だ、とウェブ先生は語ってくれたのです。「これ、相当な企業秘密だから、今の話を聞いてアイが勝ったら、私のおかげよ」と茶目っ気たっぷりに笑ったウェブ先生の顔が忘れられません。


1318 2024.06.03  ネットの記事より

<科学が証明した、すぐしあわせになる16の方法>

A.すぐにしあわせになれる、ちょっとしたこと五つ

①ほほえむ ②背筋を伸ばして大股で歩く ③声をあげて笑う

④お茶の時間など、小さな瞬間を楽しむ ⑤ほかの人に親切にする

B.毎日の習慣になるとしあわせになる6つのこと

①祈る ②動物と遊ぶ ③感謝の日記をつける 

④楽しい音楽を聴きながら共同作業をする ⑤睡眠を十分にとる 

⑥公園に散歩に出かける 

C.少しがんばるとしあわせにつながる5つのこと

①運動する ②瞑想する ③セックスする 

④ボランティア活動に参加する ⑤旅行に行く


1319 2024.06.04  ~ 1322 2024.06.07

しあわせな人生を生きるためにやりたい事。

(1)坐禅行→身心のバランスが整い、あなたをふしあわせにする根本原因である<自他を分ける囲い>がほどけます。

(2)布施(ふせ)行→人のために差し出す手・運ぶ足で<自他を分ける囲い>が破れ、しあわせ感が大きくなります。

(3)随喜(ずいき)行→人も成功や悦びを見て、自分もそれを喜び、賞賛すれば、その人の悦びを自分もまた体験することになります。

(4)薫習(くんじゅう)行→しあわせな人と親しくなれば、そのしあわせの波動を受けて、自分もしあわせになれます。

(5)無為(むい)行→テレビやパソコン、携帯の電源を切り静寂の時間を持とう。

(6)スポーツ行→頭にゆくエネルギーが減り、「囲い」が弱くなります。

(7)読経(どきょう)行→特に「延命十句観音経」を唱えれば、いのちを延ばすことができます(寿命・可能性・束縛からの解放など)。

(8)祈り行→世界人類のしあわせを心から祈ることができれば、自分もしあわせになれます。

(9)許し行→人を恨めば自分が縛られてしあわせにはなれません。人を許せば自分が解放されてしあわせになれます。(完)

 

2024年6月26日水曜日

3470「涙、心の浄化」2024.6.26

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月13日の記事を紹介します。


「涙、心の浄化」


この地球、物質世界に住む人々の営みの中に

・優しい心

・美しい心

・思いやりの心 

を見た時、自然と涙が流れ、手を合わせてしまうことがあります。 

それは、その人々の言葉や、行為の中に神々の姿を見たからです。 

 

1508年、友情と感謝の心がこもった「祈りの手」 アルブレヒト・デューラー

 

神々の起こす奇跡はサーカスのように派手で、人目を惹くことではありません。 

一瞬のうちに、物事を変えてしまうことでもありません。 

神々のなさる奇跡は、隠れて見えません。 

かえって神仕組みは、私たちの気づかぬうちに私達や、取り巻く人々の、

心にちょっとした変化(方向付けのきっかけ)を起こすことで、

それがスイッチとなり起こされます。 

それはあたかも私たち自身が、自分で考え、行動したように見えて、実は神様の介入により

様々な有機的つながりの出来事をドミノのように起こしていきます。

まさに神仕組みです。 

その積み重ね、私たちがその流れに乗ることで、いつの間にか気づかぬうちに、

私たちが生まれる前に計画してきた方向へ進んでいきます。 

身近な周りの方々の心の中に

・温かな優しさ

・思いやり

そんな神様の心を見つけた時、自然と涙が流れた時、私たちの心に浄化が起こります。

今まで硬く閉ざされていた心の扉が開かれた時です。 

吉野大地 とびら

  

人々の中に神々を感じ取った自分、 

それは同時に

自分の中の神様に気づき、繋がった瞬間でもあります。

相手の中の神々と同調、共鳴し、真の自分と繋がった時です。

その時、神々は、私たちの心に奇跡が起きた・・ 

そうお思いになることでしょう。

微笑んでくださることでしょう。 

 

人々の耳目を集める 

・どんな凄いことをしようと

・どんな技や知識を身に着けようと

・どんなに地位や名声を手に入れようと

・どんなに経済的に成功しようとも

人々の心、そして自分の心の中に  

神々を見つける奇跡には かないません。 

神様は、私たちの魂を輝かせるために 

「そこで自分なりの花を咲かせるのですよ」

そう言って、今の状況に私たちを置いてくださいました。

 

どんなに辛く、苦しい状況に置かれていようとも

私たちの内なる神々は常に私たちと一緒です。 

苦しい環境こそが、かえって私たちの魂を削り、磨き 

輝きを取り戻してくれます。

苦しい環境であるからこそ

心を振り返るきっかけともなります。 

  

飢餓の中、空腹の中

一個のおにぎりが、どんなに美味しいことか。 

渇きの中で

コップ一杯の水が、どんなに美味しいことか。 

苦しみの中に在って、

ちょっとして 人々の笑顔、優しさ、声掛けが

どんなに、心を励ましてくれることか。 

身近な周りの方々の心の中に 

・温かな優しさ

・思いやり

そんな神様の心を見つけた時

自然と涙が流れた時

私たちの心に浄化が起こります。

今まで硬く閉ざされていた

心の扉が開かれた時です。 

自分の中の神々と繋がった時です。

それは、内なる神々が、ずっと待ち望んでいた瞬間でもあります。



2024年6月25日火曜日

3469「空海の優しさ」2024.6.25

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月12日の記事を紹介します。


「空海の優しさ」


人間は、この地球に魂の仲間たちと、劇を演じに来ているのだそうです。

生と死を、何度も繰り返し、役割を変えながら何度も何度も、地球に転生してきます。 

さらに、今の私たちの姿は、今演じている劇中での役割にしかすぎません。

それが、私たちの全てではありません。 

別の劇が始まれば、一瞬にして

性格も、個性も、身体の状況(健康、病気、障害、容姿)、資産の状況も変わります。 

これは多重人格の人の姿を見てもわかります。 

人格が入れ替わった途端、 

・言葉

・体つき

・顔つき

・病気/健康、ケガの治癒

・障害

・興味の対象

・性格 

全てが一瞬で変わります。 

同じ身体であるにも関わらずです。

ということは、自分の意識次第(考え方、物のとらえ方)で、意識が変わることで、物理的な事項も含め、全てを一瞬で変えることができるということです。 

以前記事にもしましたが、大竹しのぶさん 

  

あまりに全身全霊の演技派女優であるがゆえに、憑依型女優ともいわれています。

演じる時に、まさに、その人物になりきって演技するからです。 

ある日彼女が、少年の役をした日、整体に行ったそうです。 

その時、女性整体師さんに 「股間に異物がある」と言われたそうです。 

つまり、完全に役になりきった故に少年の身体になったのです。 

つまり、私たちは意識(思い)を切り替えることで、一瞬で別の人格になることができるのです。

人格が変われば、それに伴って周りの環境も、がらっと変わります。

今の性格、身体は私たちが演じている役割の姿、 

そして、それが永遠に続くものと思っています。 

昨日も、今日も、明日も、、 

それが幸せな境遇なら、まだしも、もし、人を憎み不幸であるならば、意識(思い)を変えることです。 

自分は

・優しくて、

・思いやりがあり

・愛にあふれ

・健康で

・周りの方々に感謝しており

・お互い様

・おかげ様で

・助け合って生きている 

昔も今も、実はそんな人間だった。 

と意識(思い)を変えるだけで、役割を自分で変えるだけで、その瞬間から、新たな人格を生きることができます。 

そして、心が、自然に現実を作っていってくれます。 

  

それは、まさに、神様が、私たち人間に、神様と同じ能力を与えてくださったからです。 

ただ、その真実が隠され、秘密にされてきたので、多くの人が、自分の能力に、気づかなかっただけです。 

空海は、このように仰っています。

「即身成仏」についてです。

私たち人間は、その心次第で、生きているうちに極楽に住むことができるんだよ・・

この即身成仏について、作家の佳川奈未さんの意訳をご紹介します。

<転載開始> 転載元 


人は

着の身 着のまま

ありのままの自分でいても

愛と慈悲を差し出すことで  

即 仏になることができる

仏性は つねに 人の中にあるからこそ

探し回る必要もなく

遠くに求めに行くこともない

ただ

あなたが 

優しさがなんなのかを知っており

それを 目の前の人に 

そっと 差し出すならば

あなたが

人の痛みを知っており 

それを目の前の人を癒すものとして  

あたたかい言葉をかけるなら

それこそが

仏の姿の現れだからです

愛と慈悲 すなわち 仏性は 

頭で 理屈として 理解するときではなく

わが身をもって 実践するとき

花ひらきます

<転載終了>

 

やはり、空海自身も私たちの内には、神さま(仏性)がいらっしゃると仰っています。

具体的に空海が言った仏性とは、内なる大日如来のことです。

そして空海が仰るには、

・人の痛みを知っていること

・優しさがなんなのかを知っていること

だそうです。

すなわち、私たち自身が、その痛み、苦しみ、辛さの中に一回身をおいて経験してみなければ、本当に理解できない心です。 

私たちは、とかく人生の 

・悩み、

・苦しみ、

・辛さ 

などを、避けて通ろうと、もがき苦しみます。

ですが、その経験をするからこそ、人の痛みが理解でき、 

人の優しさも、感じることができるのですね。

皆さんもぜひ、空海の教えてくださった 

「幸せになる秘密」、生きているうちに「極楽に住む方法」を実践なさって見てください。 

目の前の方に、微笑みかけ、優しさと慈しみの心を差し上げて下さいませ。

私たちは、どんな人も、 

・誰に頼らずとも、

・神仏の奇跡や不思議に頼らずとも、

私たちの心は、もう神さまと繋がっています。

自立しています。

どうぞ、内なる神さまのこと、ちょっとだけ思い出してみてください。

幸せへと繋がりますから。 




2024年6月24日月曜日

3468「陰徳と悪徳」2024.6.24

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月11日の記事を紹介します。


「陰徳と悪徳」


今日は、春日大社宮司であった葉室頼昭さんの「神道 いきいきと生きる」より

「陰徳を積む」というお話をご紹介します。

 <引用開始> 引用元


生物のいのちが続くというのは、

・伝え、

・順応し、

・待つ。

この三つで生物は進化を続け、いのちを伝えています。

この伝統を伝えるということ、そしていろいろな厳しい環境に順応し、

去っていくのを耐えて待つことが必要なのです。

しかし人間はそれだけではありません。

人間が何のためにこの地球上に生まれたのかということが重要なのです。

人間は他の生物とはまったく違った目的で誕生したのだと思います。

つまりそれは神の世界を見て、こんなに素晴らしい美の世界だということを表現するために、神様は人間というものを産み出されたのだと私は考えています。

それは人間だけが優れ、他の動物が下等というのではありません。

ただ人間は、この目的のために進化を続けているということです。

そして人間の場合、ただ進化しただけでは、いのちは伝わっていかないのです。

そこに「徳」というものが必要だと私は思っています。

とくに日本人はこの徳を積まないと、

いのちが子孫に伝わっていかない民族だと思うのです。 

しかも陰徳という徳です。

この陰徳を積んできた家が今続いているのであって、陰徳を積んでいない家は、

いのちというものが続いていないように見受けられるのです。

私は小さい頃よりおふくろから、

「陰徳、陰徳」と耳にたこが出来るくらい聞かされて育ちました。

友だちのために一生懸命にやって、友だちが何も感謝してくれないこともありました。

その話をすると、「それでいい。それが陰徳です。それが子供に伝わっていくから、

それはそれでいい。むしろ感謝されないほうがいい」と言われ、

わけもわからず、そんなものなのかなと聞いてきました。

その意味がいまこの年になってようやく分かってきたのです。

 

普通、人はこれだけ尽くし世話をしたのだから、感謝してほしいと思うことがよくあります。

しかしそうすると、もうそれは陰徳ではなくなってしまうのです。

感謝や見返りをいっさい求めない。

人の喜ぶことをしていれば、それが一番いいのです。

そういうことの積み重ねが陰徳になり、やがて子々孫々にまでその余徳が及んでいくのです。

この陰徳と関連して、大きな努力と小さな結果ということも大切なことです。

大きな努力をして小さな結果を望みなさい。

この逆をやって小さな努力で大きな結果ばかりをもらっていると、いずれ滅びてしまいます。

例えば、百万円を儲けるために、Aという努力をして百万円儲かるんだったら、

その何十倍も大きなBという努力をして、そして百万円を得るようにしなさい。

そうしたら陰徳で栄える。こういうことなんですね。

それは努力のわりに儲けが少ない。

しかし、そうしたらその分、徳を積んで、続いていくのです。

この世の中というのは、栄えるというのではなく、

続くということが一番大切なことなのです。

会社がどんなに儲かっていても、潰れてしまっては元も子もありません。

何ごとも、いかにしたら続くか、ということを第一に考えるべきなのです。

<引用終了>

  

自分で積んだ徳は、何倍にもなって自分だけではなく、子供や、孫などの子孫、 

そして時間をさかのぼって、先祖までにも良い影響を及ぼすといわれています。 

人の心は、

・時間

・空間(距離)

・次元

を全て包括するだけでなく 

・見えている世界

・見えない世界

までをも内包する偉大な世界だからです。 

これとは逆の悪徳

これは自分さえよければ、他人はどうなろうと構わない

そういった

・今だけ

・金だけ

・自分だけ

の心であり、 

俺が俺が・・・私が私が・・・ 

と感謝や見返りを求め、自分だけが特別扱いされたい意識です。 

これは陰徳とは全く逆の方向性を持っていますから、

自分や子供、孫、子孫、先祖に跳ね返ってくるものも、逆の効果を生み出します。 

明治までの日本人は、自然体として、この陰徳の心が根付いていたそうです。 

ですが、文明開化と称し西洋の物質文明、白か黒か? 

大きいことは良いことだ、自然を征服して幸せを手に入れる・・

このような思想が入ってきました。 

この時代、江戸末期から明治にかけて

古くからの日本の神々は、日本人の精神に危機感を抱きました。

ですので、この時期に沢山の神々の動きがありました。

天理教、金光教、黒住教、大本教、生長の家など、 

明治になって150年、日本は令和の時代を迎えました。 

 

陰徳の心を自然の心として持っていた日本人の精神は

もしかしたら、時代の潮流を変えられるかもしれません。 

今は隠れていても、私たちの身体には祖先のDNAが、しっかり組み込まれています。 

心を祓い清め、神々に連なる精神を復興していきたいものですね。 

そして生きとし生けるもの、皆が笑顔で幸せになりたいものですね。


 

2024年6月23日日曜日

3467「祈り」2024.6.23

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月09日の記事を紹介します。


「祈り」


今日は、渡辺和子さんのお話を通して、神さまは、どうやって人間の祈りに答えてくださるのか、考えてみたいと思います。 

<引用開始> 引用元

  

・もし私が祈ったことが全部叶えられたら、どうなるのだろう

・神様のお役目というものは、

 人間の願いを全部叶えることなのだろうか

・いくら祈っても、所詮(しょせん)神はご自分の好きなようになさるのだとしたら、

 祈っても、祈らなくても同じではないか

その上で渡辺さんはイエスの言葉を紹介します。

・求めなさい。そうすれば、与えられる。

・探しなさい。そうすれば、見つかる。

・門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

だれでも、 

・求める者は受けとり、

・探す者は見つけ、

・門をたたく者には開かれる

そして渡辺さんは続けます。

でも、この言葉には

・求めたもの、そのものが与えられると約束されていませんし、

・探したそのものが見つかるとも約束されていません。

むしろその後には、あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、

魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。

卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょうか。

してみると、あなたがたも悪い者ではあっても、

自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。

とすれば、なおのこと、天の父が求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょうか。

と続く言葉があって、求めたものの「代わりに」

何かを下さる可能性があることを示唆されています。

祈ることは大切なことです。

しかし、人々が願う前から、その必要とするものを知っておられる天の父は、人間が願ったことをそのまま叶えることをもってして、ご自分の、その人に対する愛の証、とはなさらないのです。

なぜならば、私たちはいつも、「欲しいもの」を願っているからであり、

それに対し、神様が私たちに叶えてくださるのは私たちの魂にとって「必要なもの」だからです。 

<引用終了> 

  

神さまは、私たち自身より、私たちのそば近くにおり、

例え口に出さずとも、私たち以上に、私たちの望むものを知っておられます。 

そして、私たちの望み、願いを全て聞いてくださっています。 

私たちの人生が、平和で順風で

・友達や家族の笑顔に恵まれ

・健康で金銭的な憂いが全くなく

・将来の不安など、みじんもない 

そんな時にはきっと 

・神さまに祈ることも、

・全てを用意してくださった神様に感謝することも

・人々の優しさに気づくことも 

あまりないかもしれません。 

神さまの恩寵は2段階で現れると言います。 

・まずは、不幸に見える出来事 

これを通じ、私たちは、悲しみ、苦しみのどん底に落とされます。 

嘆き、悲しみ、涙を流し、不平不満を口にして、世の中、全てを呪うかもしれません。 

自分の力ではどうしようもないと諦めかけた時、神さまを思い出すかもしれません。

人知を超えた力にすがろうとするかもしれません。 

そして「祈り」始めます。

この時、神さまは、全ての全てを見ており、私たちの心の中まで、把握しています。

なぜなら、「不幸に見える出来事」を持ってきてくださったのは、神さま自身だからです。

私たちは、早く苦しい状況から抜け出したくて、具体的に神様に「祈り」ます。

  

神さまは、その「祈り」をじっと聞いておられます。 

私たちは、苦しみ、悲しみの中で神さまに祈ることを通じ、 

心、魂が、どんどん、どんどん成熟していきます。

・周りの人々の小さな優しさに気づきだします。

・健康だったことが、どれだけ、ありがたいことだったかに気づきます。

・同じ苦しみを持つ人の、心の叫びが聞こえるようになります。 

その時です。 

私たちの心に気づきが起こります。 

どうして神様が、私たちに「悲しみ、苦しみ」を運んできてくださったのか?

物理的な状況は、全く変わらないかもしれません。 

ですが、その時 

目に見えない、私たちの魂は、美しく純粋に生まれ変わりました。

 


祈りを通じ、神様が私たちの魂を洗い、本当に私たちの永遠の生命にとって

大切なものを、くだされた瞬間です。 

祈りは、必ず聞き届けられます。