2024年6月29日土曜日

3473「現実が変わらぬなら」2024.6.29

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月16日の記事を紹介します。


「現実が変わらぬなら」

 

「置かれた場所で咲きなさい」の著書で有名な

渡辺和子さんの言葉をご紹介します。

<転載開始> 転載元

 

女子学生たちと五十年以上接していて気がつくことは、この年頃の人たちの多くが、 

愛に必要なのは、すばらしい対象に出会うことだと考えていることです。

それも決して間違いではないのですが、その対象が「すばらしさ」を失った時(病気やケガ、挫折)にも、果たして愛し続けることができるかどうか、ここに「愛の本質」が問われています。

・健康だった相手が病気になってしまった時も、

・前途を嘱望(しょくぼう)されていた相手が挫折にあった時にも、

その人を愛し続けることができるかどうかは、

私たちが自分の中に、「愛する力」を養い育てているかどうかに、かかっているのです。

ふだんからピアノの練習もせずに、立派なピアノを見つけさえすれば、上手に弾けると思ったり、

絵を描く練習もせずに、ひたすら美しい景色を探している人にも似て、

ふだんから「愛する」練習をしないで、素敵な人との出会いを待っていては、いけないのです。

愛する力を育てるためには、まず私たちが毎日の生活の中で「当たり前」と考えていることや、人、物を「有り難い」と、感謝の気持ちで受けとめることが大切です。

マイナスの価値しかないと思えることや、不幸、災難、苦しみにさえも意味を見出して、 

これまた「有り難い」と感謝できる時、私たちは愛すべきものを随所(ずいしょ)に持ち、 

愛し難い人さえも、その人の存在そのものの価値を認める、愛深く幸せな人間になれるのです。

<転載終了>

 

何か素晴らしいものさえ手に入れれば、きっと自分は幸せになれる。 

殆どの人がそう思っています。 

これは安直で、自分では何もせず、おいしい果実だけを得ようとする、依存の心です。 

自分ではほとんど何もせず、何も変えようとせず、お医者さまや、薬、ご祈祷、スピリチュアルリ-ダーに頼れば、幸せになれる。

これも全く同じです。 

これは、生きていく姿勢そのものに直結しています。

・子供の成績が良ければ、愛する

・子供が不登校になったから、愛さない

・何か手に入れたら、感謝する

・何かしてもらったら、仲良くする

・運が良くなったら、感謝する

・病気が治ったら、感謝する

全部が、

・自分の思い通りに人が動けば、愛する

・自分の思い通りに動かなければ、嫌う

・先に何かを得たら、何かする

・自分から、親切や優しさを出すと損をする

そのような意識です。

まるで、いつも「クレクレ」と言っている、地獄の亡者のようですね。

 

そこには、

・自分は礼儀正しく

・言葉きれいで、

・正義の側に立ち

・悪を糾弾しており

・自分は報われるべき存在で

・その権利がある

・大事にされて、あたりまえ

そのような心が底流にあります。

・自分自身が変わるのは怖い、めんどくさい

・他人に何とかして欲しい 

ですがこの地球は、そのようにできてはいません。 

生老病死、四苦八苦。 

まさに思うようにならないのが、この世の中です。 

希望を持って結婚しても、就職しても、子育てをしても、

「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。

病気や不運に見舞われる時も、必ずあります。

「何か素晴らしいものさえ手に入れれば、自分は幸せになれる。」

そのように、他に依存するように考えていた人たちは、そこで挫折し、苦しみにとらわれることでしょう。

家族が自分の思う通り動かなければ、自分の理想にそぐわなければ

愛する家族に対する熱も冷め、もしかしたら苦痛や憎しみの対象に変わるかもしれません。

これらは、自分では何も動こうとせず、

自分自身の心を顧みようとしない人の特徴かもしれません。

全ての出来事、自分に降りかかってくる出来事は、他人のせいではありません。

他人がどうこうできることではありません。

全ての全てが、私たちの心の中に、その種があったから、現象として目の前に起こっています。 

 

身近な方に降りかかってくる災難、苦難も 

(見ている私たちは、可愛そう、何とかしてあげたいと思うのは当たり前ですが・・) 

その出来事(実際は人生劇)もその人自身の魂(本体)が許しているから、計画して生まれて来たから起こっている出来事です。 

その経験を通して、魂の成長を図るために、神様とともに決めてきたことです。 

その方(身近な方)にも神様が付いていらっしゃいます。

縁の深いご先祖が守っていらっしゃいます。 

私たち生きている人間には、その深い深い縁の流れ、神仕組みが見えません。 

ただ見守り、信じてあげる事だけです。

その方の生まれて来た目的が成就することを一緒に祈ってあげる事だけです。

渡辺和子さんは仰います。 

「こんなはずじゃなかった」と思うこと(不幸)が、次から次に出てきても、そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をして欲しいのです。

どうしても咲けない時もあります。

雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。

その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。

次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。

現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。

いい出会いにするためには、自分が出会いを大切にして育てなければなりません。

思い通りにならないことを経験した時、心にポッカリ開いた穴から、

これまで見えなかったものが見えてくることがあります。

希望には叶わないものもありますが、大切なのは心に希望を持ち続けること。

相手を信頼するのは98%にし、

あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておくこと。

「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練に感謝すること。

私たちは、神さまが置いて下さったこの場所で、たとえ辛く苦しくとも、幸せを見つけることが出来ます。 

神さまは、「その場所で幸せを見つけるのですよ」と、私たちを、今の場所に置いて下さいました。

辛い日々は、必ず笑える日につながっています。 

目の前の現実は変えられません。

ですが、その起きている現象には、本当は「良い」も「悪い」もないのです。

全てニュートラルの形で現象は起こっています。 

そこに「良いこと」とか「悪いこと」と色を付けるのは、私たちの心の捉え方だけです。

そして実際は起きている現象全て、私たちの魂の成長のために、目の前に現れてくれています。 

私たちが、それに気付き感謝して受け入れた途端、その現象は、もはや役割を終えたわけですから、目の前から消え、記憶のかなたに忘れ去られてしまうでしょう。 

私たちの人生はその事の繰り返しです。 

ですから、どんなことが目の前に起きても、心配せず、しっかり受け入れて、 

感謝しニコニコ笑っていれば、それで良いのです。 

それがブッダが教えてくださった「般若心経」の真髄です。  

ご縁のある方に届きますように。