今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年05月23日の記事を紹介します。
「神さまの教える諦めの心」
今日は、聖なる諦め、諦めることがゴールであり、スタートであるというお話です。
このテーマでは、以前から何度も何度も書いていますが、このテーマも、日本神界 高位の魂である山幸彦の魂を持つ、小学生のトキ君の情報とピッタリと一致しているため、このことが、神様の真実であることが推認できます。
私のブログでは、ブッダやイエス、そして日本人の心に伝わる古の神道を情報ソースとして書いていますが、この6歳の子供が、いくら神様の魂を持つとは言え、同じ内容を語っていることに驚きます。
既に、沢山の神様の魂が、この日本に転生を始めているそうです。
本当に「精神性復活の時代」夜明けが近づいて来た様です。
トキ君の情報は以下です。
約2分くらいから「諦める」についてです。
6歳と幼く語彙が少ないため、5分30秒くらいから違いを身体で表現してくれています。
トキ君は以下のように話しています。
・諦めるは、ゴールでありスタート
・諦めると、また新たなスタートに立てる
・「諦めない」と言う言葉は、ゴールを自ら遠くへと設定してしまうこと
・諦めた瞬間に心が解放される
・本当に自分がやりたいことであれば、あきらめなくても良いけれど
少しでも嫌な気持ちがあるなら、諦めて新たなスタートに立った方が良い
・諦めると楽になって心が明るくなる
・諦めた瞬間に、どんなことでも出来るようになる
・諦めるということは「それでいいんだよ」って言うこと
・諦めないは「それじゃ、ダメ」って言うこと
・諦めるとは 認めるっていう意味
・出来ない自分を諦める
・出来ない相手を諦める
また同じようにブッダと神道のエッセンスより
「諦め」について以前書いた記事がありますので、加筆修正して載せたいと思います。
小林正観さんのお話から、
ブッダの悟りと、日本に昔からある神道が驚いたことに全く同じ到達点にたどり着いている、について書こうと思います。
ブッダは2,500年前に、この世の苦しみ、悲しみの原因は、自分の思いどおりにならないこと、と悟りました。
自分の思いどおりにならないことに対して、
それに逆らって、なんとかしようと するからこそ、人は悩み・苦しむのです。
人の苦しみや悲しみは、外から与えられるものではありません。
苦しい・悲しいと思う心、つまり、人の内(心)から
苦しみや悲しみが発生しているのです。
だから、お釈迦様は、こうおっしゃっています。
「すべて、受け入れなさい」と。
それは、頑張る生き方ではなく、楽に生きる生き方です。
・人に頼って
・人に甘えて
・あるいは人に頼られて
・時には人から甘えられて
自分の思いどおりに、世の中を変えようとしないで、それを受け入れて
こころを楽にして生きてゆくこと。
そして、最高の形は、
「ありがとう」と、感謝することだったのです。
・水を飲めることに「 ありがとう 」
・息ができることに「 ありがとう 」
・食事できることに「 ありがとう 」
・仕事があることに「 ありがとう 」
・家族がいることに「 ありがとう 」
・友達がいることに「 ありがとう 」
・話ができることに「 ありがとう 」
・歩けることに 「 ありがとう 」
・病気でないことに「 ありがとう 」
・生きていることに「 ありがとう 」
これは、日本に古くから存在していた古神道と同じ結論です。
感謝の心が神々の恩寵の表れる場となる・・
ということです。
日本の神道には
・教義も
・教祖
もいません。
だから宗教とは呼ばれません。
全てのもの、全ての自然現象に神々の意吹きが宿るとして、尊重し、敬う心です。
このブッダの悟りの神髄に対して、きっと反論のある方もいるかもしれません
だって実際に
・貧困でお金がなく
・病気で、毎日が苦しい
・友人に裏切られた
・職場にいじめが存在する
・世の中には許せない犯罪者がいる
・憎い
・苦しい
・辛い
自分が辛いのは
・あいつのせい
・世の中のせい
でもきっとご本人もわかっているはずです。
自分が辛く、苦しいのは
・憎しみの心があるから
・人のせいにしているから
ブッダは仰いました。
「すべて、受け入れなさい」(そのことを諦めなさい、許しなさい)
自分の心の状態が現実を作ります。
憎しみの心を抱いていては、次から次へと 憎しみの対象が目の前に現れてくることでしょう。
「これがない、あれもない」と、常に足りない部分ばかりを見ていては、
地獄の餓鬼と同じ心になってしまいます。
そもそも神様は私たちが生きていくうえで、必要なものは全部、準備してくださいました。
そのうえで、私たちを、その場所に置いてくださいました。
「置かれた場所で、咲きなさい」と。
神さまが準備してくださったものは
・健康や
・お金
・幸運
それだけではありません。
・苦しみ
・悲しみ
・貧困
・病気
も一緒に置いてくださいます。
それは、その状況が、私たちの魂を磨いて、輝かせてくれるからです。
本人が超えられないものは、置かれません。
人よりもつらく、悲しく、苦しい状況は神様に見込まれているからです。
私たちは、足りないことばかり見つめることをやめ、ゆっくりと、澄んだ心で周りを見渡せば、きっと、本当の幸せを見つけることができるでしょう。
なぜなら、誠の幸せこそ、神様が私たちに一番、渡したいと願っているものだからです。
幸せは向こうから勝手にやってくる、ものではありません。
すでに自分を、山ほど取り囲んでいるものです。
神様が準備してくれていたものです。
それに、気がつけるかどうか。
ただそれだけの違いのようです。
そうブッダは、般若心経で教えてくださいました。
・憎しみの心
・人を蔑む心
が消えて、お幸せになられますように。