2021年2月9日火曜日

2238「死はすぐそこに」2021.2.9

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月04日の記事を紹介します。


死はすぐそこに

ここ数年、地球の波動が上がっているためか、 

・覚醒した・・という方

・地球に来た目的を思い出した方

が急激に増えているようです。

出来れば、その思い出した英知を自分のためだけではなく、人々の幸せのために使っていただけたら、世の中は、もっと幸せになれるかもしれません。

2500年前の梵天勧請(ぼんてんかんじょう)と同じです。2500年前、ブッダが悟りを開いた時、自分が覚った真理を説いても、欲望に支配された人々は理解できないだろうと、一人安楽な悟りの世界に安住してしまおうと、ブッダが思っていた時、梵天(ブラフマン)が現れて、人々の幸せのために、悟った法を説くよう要請しました。この梵天の要請を「梵天勧請」といいます。

  

梵天勧請 左:梵天(ブラフマン)中:ブッダ 右:帝釈天(インドラ)

 

さて今日は、27歳でガンで亡くなった若い女性の手紙をご紹介します。死が目前に迫った時、私たちは何を思うのか?死は、私たちに平等に必ずやってきます。そしてそれはいつ来るのか誰にも分かりません。健康で、朝「行ってきます」と笑顔で出かけた人が、突然帰らぬ人となるかもしれません。

では、ご紹介します。

<転載開始> 転載元 


26歳という若さで、死と向き合い始めるというのは少し珍しいことかもしれません。多くの人はこのことに目を背けて生きているからです。

毎日は、当たり前のように過ぎていきます。まるでそれがずっと続くかのように。私もいつか歳を重ね、シワができ、白髪になることを想像していました。たくさんの子どもに囲まれ、愛に溢れた家庭を築くことをいつも考えていました。でも人生は儚く、貴重で、予想できないものです。毎日を生きることは、与えられた権利ではなく、贈り物なのです。

私は27歳です。まだこの人生を終わらせたくない。私は今とても幸せだからです。でも、もう私にはコントロールすることはできません。私はただみんなに、些細なことを、あまり心配しないで欲しいのです。

 そして覚えておいて下さい。最後にはみんな同じ運命が待っているということを。

だからあなたの時間を、価値のある素晴らしいと感じることに使って欲しいのです。

嫌だと思うことはしなくていいのです。

些細なことには寛大な心でいてください。

もちろんイライラすることはあると思いますが、ずっと引きずらないでください。

そのようなことで、周り人々の人生に悪い影響を与えないようにしてください。

イライラしてしまう時は外に出て深呼吸をして、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで下さい。

そして空の青さを、木々の緑を見てください。それはとても美しいものです。

考えてみてください。呼吸ができること、その素晴らしさを。

もしかしたら今日、渋滞につかまってしまったかもしれませんね。

あなたの愛おしい赤ちゃんが泣きわめくせいで、よく眠れなかったかもしれません。

美容師があなたの髪を短く切りすぎたかもしれないし、変えたばかりのネイルが欠けていたかもしれません。

自分の容姿が気に入らない人もいるかもしれません。

でもそれらのことは些細なことです。

あなたが人生の終わりを迎える時、そんなことは考えないでしょう。

人生全体で見れば、それらのことは本当にどうでもいいことです。

私の身体は日を追うごとに、どんどん痩せ細っていきますが、私の願いは、

・もう一度だけ、家族と誕生日を過ごしたい

・もう一度だけ、クリスマスを迎えたい

・もう一度だけ、パートナーと過ごしたい

それだけです。たったもう一度だけでいいから。

 仕事がどれだけ大変だったかなどの不満を訴える人がいますが、まずは身体が満足に動くことに感謝してください。

たとえ理想の体型でなかったとしても、健康でいられること、身体が機能すること、それだけで素晴らしいことなのです。

 食べ過ぎに注意して、適度に運動をし、新鮮な食事で十分な栄養を与えてください。

そして、お互いを助け合いましょう。与えて、与えて、与えるのです。

他者に与えることで得られる幸せは、この上ないものです。私ももっとそれをしたかった。

病気になってから、多くの人が私をサポートしてくれました。とても返しきれるものではありません。そのことを私は一生忘れないでしょう。


あなたが死ぬときに、お金を持っていてもなんの意味もありません。自分の服を買う代わりに、誰かのためにそのお金を使いましょう。あなたが同じ服を着ていても、誰も気にしません。何より大切な人を食事に連れていったり、贈り物をすることは気持ちの良いことです。その際に、大切に想っているという気持ちを伝えましょう。

 自分のためにお金を使う際は、モノではなく経験に使いましょう。ビーチに行って足を水につけ、つま先で砂を掘り、顔を海水につけてください。自然を感じてください。携帯の画面ばかり見るのではなく、ただその瞬間を楽しむようにしてください。

 人生とは画面を通して生きることではないし、完璧な写真を撮ることでもありません。

大切な人との、血の通う時間を大切にしてください。

早起きをして、鳥のさえずりに耳をすまし、朝日の美しい色を眺めるのです。

音楽を聴いてください。音楽はセラピーです。

犬を抱きしめてください。

携帯を置いて、友達と話をしましょう。

旅をしたいならしましょう。

生きるために働いてください、働くために生きてはいけません。

心が幸せに感じることをしてください。

ケーキだって食べていいのです。 何の罪悪感も要りません。

やりたくないことには、やりたくないと言いましょう。

他の人が考える理想の人生にプレッシャーを感じなくても大丈夫です。

平凡な人生を望んでも全く構いません。

愛する人に、毎日愛を込めて、愛していると伝えましょう。

そして覚えていてください。もし何かが、あなたを不幸にさせたとしても、あなたにはそ

れを愛など他のパワーに変える力を持っています。

この地球であとどれくらい生きられるか分からないのだから、そのようなことで時間を無駄にしてはいけません。

多くの人が同じことを言っていますが、これ以上の真実はないと思います。

これは一人の若い女性からの人生のアドバイスです。覚えていてくれても、忘れても構い

ません。それでは、また会う日まで。

<転載終了>

  

今目の前に居る人、配偶者(パートナー)、子供、友人彼らとも、いつか「さよなら」する時が来ます。この地球では、永遠に続く関係性は無いからです。

もしかしたら、何か些細なことで、わだかまりを持っているかもしれません。ですが、死と言う別れを前にした時、そんな些細なことが、

・心を通い合わせること

・感謝すること

に何の支障があるでしょうか?

出会ってくれてありがとう。喜びも悲しみも、苦しみも、沢山の経験をありがとう。そう伝えたくなるのではないでしょうか?

もう直接、肉体のあるその方に、伝えるチャンスは永遠にないのですから。

この亡くなった彼女の最後の願いは

・もう一度だけ、家族と誕生日を過ごしたい

・もう一度だけ、クリスマスを迎えたい

・もう一度だけ、パートナーと過ごしたい

でした。

これら全ての願いは、物ではありませんでした。身を飾る、肩書、地位、名誉、プライドではありませんでした。

全てが、大切な人との、思いやり溢れる魂の交わり、経験を望んでいたのです。

別れは、突然にやってきます。私たちの目の前の人たちは、私たちにとって一番大切な人々です。ですから神さまの采配で、近くに置かれたのです。 

いつ死が私たちを引き裂いても悔いのないように、どうか目の前の方を愛し、大切になさってください。出会ってくれたことに感謝してください。

 そのように心を合わせることのできた人とのご縁は、きっと死を超えて、永遠の絆となるからです。

2021年2月8日月曜日

2237「お蔭様、大切な人」2021.2.8

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年01月20日と2021年02月01日の2つの記事を紹介します。


おかげさま

今日も心のお話です。

私たちの心は強力で、広大です。見える世界、見えない世界を包み込んでいます。例え、神様・仏様、能力者の方が一瞬にして私たちの境遇を引き上げたとしても私たちの心が変わらなければまたすぐに同じ世界に戻ってしまうことでしょう。

それに引き換え、心の中に感謝の気持ちを持つことができれば私たちの境遇は一瞬にして変わってしまうことでしょう。空海が仰るように生きながら天国に住むものとなります。

さて今日は、お陰様に付いてご紹介します。謙虚で優しい気持ちです。前ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さんの言葉です。

<引用開始>


 小さなお子さんの手を引いて、一人のお母さまが水道工事の現場の傍(そば)を通りかかりました。暑い夏の昼下がりのことでした。

 お母さまは坊やに向かって、「おじさんたちが、汗を流して働いてくださるから、坊やは、おいしいお水が飲めるのよ。ありがとうと言いましょうね」と話してやりました。

 やがてもう一人、同じように幼い子の手を引いて、別の母親が通りかかりました。

「坊や、坊やもいまから一生懸命にお勉強しないと、こういうお仕事をするようになりますよ」と言ったというのです。

 同じ仕事に対して、こうも違った考えがもてるものでしょうか。最初の母親は、この日、子どもの心に労働に対しての、尊敬と感謝の気持ちを育てました。

 二番目の母親は、(手をよごす仕事、汗まみれの労働)に対しての、恐ろしいまでに誤った差別観念を、我が子に植えつけたことになります。

 私たちがいま、子どもと一緒にこの場にいたとしたら、どんな会話を交わすことでしょうか。会話以上に大切なのは、どんな思いを抱いて、働いている人たちの傍を通るかということなのです。

 人は、自分がもっていないものを、相手に与えることは出来ません。感謝の気持ちを子どもたちの心の中に育てたいならば、まず親がふだんから「ありがとう」という言葉を生活の中で発していることが大切なのです。

 例えば、「お元気ですか」と尋ねると、「はい、元気です」という答えは返ってきても、「おかげさまで元気です」という返事のできる学生が、以前と比べて少なくなりました。

 遅刻して教室に入ってきた学生が、授業の後で、「遅刻しました」と、名前を届けにはきても、「すみません、遅刻しました」という枕詞がつかないのです。

「お話し中、すませんが」とか、「夜分(やぶん)、失礼します」という挨拶のできる学生も少なくなりました。いずれにしても、言葉が貧しくなっています。

そして、それは取りも直さず、心が貧しくなっている証拠なのです。せめて、「おかげさまで」という言葉と心を、生活の中に復活させましょう。理屈っぽい人は、「何のおかげですか」と言うかも知れません。何のおかげでも良いのです。

 この表現は、私たちが実は、一人では生きられないこと、たくさんの〈おかげ〉を受けて生きていることを忘れない心の表れなのです。見えないものへの感謝なのです。ところで、本当にありがたいこと、何でもない時に「おかげさまで」と言うのは比較的に易しいのですが、不幸や災難に遭った時はどうしましょう。

 そんな時にも、「おかげさまで」と言える自分でありたいと思っています。ごまかすのではなく、不幸、災難、苦しみをしっかりと受け止めながら、「いつか、きっとこの苦しみの〈おかげさまで〉と言える自分になりたい、ならせてください」と祈る気持ちをもっていたいのです。

<引用終了>


 子どもは親や教師の「いう通り」にはならないが、「する通り」になる。そう渡辺さんは仰います。このたとえ話では、親の価値観が、子どもの価値観を作る・・ということが良く描かれています。

 私たちの日々の何気ない一言、行動を子どもたちは本当によく見ています。そして、ものすごい早さで吸収していきます。親だからといって、100%完璧な人間になることは不可能ですが、「お手本」になるために、少しだけ意識してみることはできるかもしれませんね。


一番大切な人

今日は「今、目の前にいる人、目の前にあることが一番重要」ということで、小林正観さんのお話をご紹介します。

<転載開始> 転載元


 私たちの周りで起きているすべての現象、人生のあらゆる出来事に、

・重要なこと、重要でないこと

・大きいこと、小さなこと

の区別は、実はありません。というのは「小さいこと」の定義を言ってくださいと言われても、誰も答えられないからです。何らかの現象について、そのときは、小さいこと、些細なことと思っていても、 それがなければ、今の自分はなかった、ということを考えたら、(大きいこと・小さいこと)の区別は、つきません。

 このことを、実際にあった状況を取り上げて説明しましょう。


 私が出た高校の同級生の一人が、大学にも行かず、就職もしないで、とりあえずアルバイ トとして晴海のイベント会場でコーラの販売をしていました。そのとき、コーラ売り場の前をアメリカ人の夫婦が通りかかり、70歳ぐらいの歳のご主人が足を滑らせて倒れてしまいました。

 彼は自分の売り場の前ですから、走り寄って助け起こし、ケガの手当てをしたりとかいろいろ世話してあげたそうです。そしたら、「あなたのような親切な人に、初めて会った」と、

その夫婦は大変感激し、「実は、私たちは結婚して40年も経ちますが、子どもがいないのです。あなたさえよければ、 私たちの養子になりませんか」と言われました。

 彼としては、別にほかにすることもなかったから「わかりました。いいですよ」ということで、アメリカに渡り、その夫婦の養子になりました。彼はそこで英語を覚え、大学にも行かせてもらい、卒業してからは企業買収の専門家になりました。今は日本に戻り、その分野で大手の外資系企業の社長をやっています。

 コーラの販売をしていた、その前で人が滑った、その人を助けてあげた、これらはすべて小さいことのように見えますが、結果としては小さいことではありません。

 因果関係がわかったときには、一つひとつがものすごく重要で大変な出来事だったと、気 がつくでしょう。優先順位とか、出来事の大きい小さい、とかの区別がないことを、さらにわかりやすく説明します。人生はドミノ倒しだと思ってください。

 ドミノ倒しの如く、人は連続した瞬間を生き、最後の一個がパタッと倒れて、人生を終えます。これらのドミノは、すべて同じ材質で、同じ厚さで、同じ形状です。大きい小さいは ありません。重さも全部一緒。それが一個ずつ、ただ淡々と倒れていくだけです。

 自分の目の前に現れる人が、小学生であろうが、中学生であろうが、大人であろうが、大会社の社長であろうが、出会う人は全部一緒です。それを一緒だと思えるかどうかに、その人の人間性が表れます。

 社会的な地位や権力といったものを背負ってるかいないかで人を見るのは、まだ自分の中で本質的なものが形成されていないからです。出会うすべての人、どんなに些細に見える行為も、人生を成り立たせるうえでは、どれも 必要不可欠なことであり、ドミノの一個一個が同じ価値だということに気がつくと、何も怖くなくなります。

 人生で最も大事なのは、今、目の前にいる人です。一人ひとりをきちんと受けとめていくことで、その後の人生を組み立てていける、ということです。

この一個一個のドミノ、それ自体が結果であり、次のドミノを倒す原因になっています。

倒れた「私」が、また次のドミノを倒していく。今、目の前にいる人を大事にすることが、

私の未来をつくっていくのです。人生は、その繰り返しのように思えます。

<転載終了>


 仕事などだと、よく優先順位を付けて仕事をテキパキこなすのが優秀なビジネスマンなどと言われ、もてはやされたりします。ビジネス書なども飛ぶように売れているようです。

また、私たちはよく人を

・みなり

・地位、肩書

・所有している資産(お金、家、車)

・健康か病弱か

・頭の回転が速いか遅いか

・器量が良いか悪いか

など、見た目だけで判断して、態度を変えがちです。 

ですが正観さんが仰るには、どんなに些細に見えることであっても、自分の身に起こってきたことは、大きい、小さいの区別は存在せず、必ず次のステップへの礎(いしずえ)となってくれるものだと言うことです。優先順位が無いのですから、来た順番に対処していくことになります。 

また目の前の人が一番大事なのですから、誰彼と区別せず、例え子供であっても、丁寧に誠意を持って、愛を込めてお付き合いしたいものです。

結局、その時の私たちの取った態度が、次のステップが来る時に、

・良きものか、悪しきものか

・楽しいものか、苦しいものか

・心を明るくするものか、暗くするものか

を決めるからです。

ですから私たちは、将来のことを心配したりせず、過去をクヨクヨと、いつまでも悩んでいず、何か判断を間違えて、不幸な人生を選んでしまうのではないかと取り越し苦労などせずに。今、目の間に居る人やコトだけに集中し、良心に恥ずかしくない行動さえしているだけで、ずいぶんと楽に、そして楽しい人生を送れるようです。後は、神さまが良きにはからって下さいます。


2021年2月7日日曜日

2236「偽物」2021.2.7

 コロナ感染が世の中を席巻して1年以上になります。色々な知見、情報が出てきています。最近目にした記事を3つ紹介します。

 最初は「Jのあっちもこっちも」さんの2021年2月2日の記事「ひとり言 今日のニュース(4つ)」の一部抜粋です。


私は臨床検査科学者です、Covid-19は偽物です

WAKE UP AMERICA投稿者:リメリック 日付:2021年2月1日 11:40:40 

www.rumormill.news

 私は臨床検査室の科学者です。私はウイルス学と免疫学の博士号を取得しています。私は臨床検査室の科学者であり、ここカリフォルニア州で収集された1500の「想定される」陽性のCovid19サンプルを テストしました 。

 私のラボ(研究所)チームと私がコッホの条件(病原微生物である証明に必要な4か条)とSEM(走査型電子顕微鏡)での観察を通じてテストを 行ったところ、1500のサンプルのいずれにもCovidウィルスは見つかり ませんでした。 

 私たちが見つけたのは、1500のサンプルすべてがほとんどインフルエンザAであり、一部はインフルエンザBでしたが、Covidウィルスの単一の症例ではなく、PCRテストを使用しませんでした 。

 次に、残りのサンプルをスタンフォード大学、コーネル大学、およびカリフォルニア大学のいくつかの研究所に送信し ましたが、同じ結果が得られました。

 COVIDウィルスは存在しません。彼らはインフルエンザAとBを発見しました。

 それから私たち全員がCDC(アメリカ疾病予防管理センター/ジョージア州アトランタ)に話しかけ、COVIDウィルスの実行可能なサンプルを求めましたが、CDC はサンプルがなかったため提供できないと述べました。

 私たちは今、すべての研究と実験室での作業を通じて、COVID19は「架空のものである」という確固たる結論に達しました。 

【私的解説】

 架空のウィルス、実態がないウィルス、何を基にして作ったワクチンなんでしょうか? インフルエンザ・ワクチンで良かったはずです。

 結論を言うと、このフェイク(架空)のパンデミックという大芝居で、世界中の人々に「ワクチン」を打たせたいだけなのです。何故?

 その答えは今まで、何度も話してきましたよ。打つか打たないか、すべては個々の選択になります。

https://ameblo.jp/j-out-sider-zzz/entry-12654111175.html


 次は「シャンティ・フーラ」さんの2021年2月4日の記事2件です。

スティーブン・キー博士が「新型コロナウイルスが実験室由来である可能性は99.8%」とする論文を発表! ~結論「SARS-CoV-2は、研究室から流出した」

 世界のトップクラスにランキングされるスティーブン・キー博士が、「新型コロナウイルスが実験室由来である可能性は99.8%」とする論文を発表したとのことです。In Deepさんが論文を紹介してくれているのですが、“さまざまな観測や解析のデータを重ねるごとに…実験室からの起源の方だけが数値が大きくなっていく…分析の性質上、どこまで行っても、100%だとか 0%などの数値が出ることはない …99.8%の数値は「実質的に確定」…「 SARS-CoV-2 は、研究室から流出した」”という結論になるようです。

 「新型コロナウイルスが実験室由来である可能性」は、あべぴょんのモリ・カケ・サクラよりもずっと黒いのですよ。死者の数も全然違います。この問題を無視している感染症専門家というのは何なのか?

 実験室由来が確定となると、次の問題は「故意か過失か」です。米大統領選挙での不正の規模、ヒドロキシクロロキン、イベルメクチンをめぐる欧米諸国の異常な対応を見れば、“意図して、ばら撒いた”としか考えられないのです。

 これほど明確な一連の経過を把握できないなら、ワクチンの危険性を把握できるはずがない。多くの医療従事者が、自分自身はワクチン接種を避けたいと思いながら、感染症対策としてワクチンに期待しています。“頭はいいはずなんだが、勘が悪いんだよな”と思ってしまいます。(竹下雅敏)

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世界のトップクラスにランキングされる米医学博士が「新型コロナウイルスが実験室由来である可能性は99.8%」とする193ページにのぼるベイズ分析を発表

転載元)In Deep 21/2/3 (前略) 

アメリカでトップクラスの医学的研究開発の実績を持つとされている医学博士が、1月29日、これまでで最も詳細で執拗ともいえる分析により、新型コロナウイルスの自然起源の発生は「ほぼない」ことを突き止め、

研究室由来の可能性は 99.8%」 と結論付けた論文を発表しました。(中略) 

発表したのは、スティーブン・キー博士、医学博士 (Steven Quay, MD, PhD)という人で、以下のような人のようです。 

スティーブン・キー(MD, PhD)

スティーブン・キー博士は、 360以上の医学研究を公開し、これまでに 10,000回以上引用されており、世界の科学者の上位 1%にランクインしている。

彼は 87個のアメリカの特許を保有しており、8000万人以上を救ってきた 7つの FDA 承認医薬品を開発した。また、博士は、乳がんと COVID-19 を治療するための新しい治療法を開発しているナスダック上場のバイオ医薬品企業アトッサ・セラペウティクス社(Atossa Therapeutics Inc.)の CEO でもある。 (rnewswire.com)(中略) 

キー博士は「ベイズ分析」という最近になって実用化が進む分析手法を用いました。これ

は、今では Google 検索とか、AI の機械学習とか、車の自動運転などに応用されている概念だそうで、説明としては以下のようになります。

ベイズ分析とは 

18世紀のイギリスの数学者、トーマス・ベイズが考案した「ベイズの定理」をもとに、統計学を応用した分析手法をいう。

 一般的な統計学は、集めたデータそのものを分析するが、ベイズ統計学は集めたデータに物事が起こる確率とデータ同士の関連性を加味して分析する。

 そのため、データが不十分でも、「ある事態が発生する確率」を最初に主観で設定し(事前確率)、その後、実際の観測データで補正していく。この結果を「事後確率」という。これによって、本来起こるであろう事象の確率(主観確率)を導き出すことができる。

 ベイズ定理を応用するには、高度な積分計算が必要になるため、コンピューターの処理能力が低い時代にはあまり現実的とはいえず実用に至らなかったが、IT技術が飛躍的に進化した現代では、ベイズ定理を応用できる環境がようやく整ってきたといえる。

 現在、ベイズ統計が応用されているサービスには、検索エンジンや、ネットショッピングやクレーム処理、AI(人工知能)における機械学習、迷惑メール判別、アプリケーション開発、自動運転、スマートフォンの音声解析などが挙げられる。 (IT用語辞典)(中略) 

 この論文でも、「ある事態が発生する確率」を最初に主観で設定しています。

その「ある事態」は、ここでは、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミックが、

・人獣共通感染症としての自然での事象 とする確率と、

・実験室由来での事象 という確率を最初に設定してから始めているのですが、その「開始確率」は、

・人獣共通感染症としての自然での事象 98.8%

・実験室由来での事象 1.2%

としています。(中略) 

 最初はこのように、「自然発生の可能性」が高い数値となっていて、さまざまな観測や解析のデータを重ねるごとに数字の割合は変化していくのですが、面白いのは、その後、「どのようなデータを積み重ねても、実験室からの起源の方だけが数値が大きくなっていく」のです。

 分析論文の81ページ目


(現在の可能性:人獣共通感染症の起源 30.8%、実験室からの起源 69.2%) 

そして、93ページ目では、早くも「自然由来の可能性は 0.2%」と、自然発生の可能性がほぼ否定される数値となります。 

分析論文の93ページ目

 (現在の可能性:人獣共通感染症の起源 0.2%、実験室からの起源 99.8%)

 このまま、あと 100ページ、ずっと数値は動きません。

 なお、この実験室からの起源が 99.8%となったページの直前では、SARS や新型コロナウイルスについての複数の学術論文の内容の分析を行っており、そこには、中国でのコウモリのコロナウイルス研究についての論文も含まれます。

 その後もデータの解析は続きますが、その後はこの「人獣共通感染症の起源の確率 0.2%、実験室からの起源の確率 99.8%」は変化しません。

 分析の性質上、どこまで行っても、100%だとか 0%などの数値が出ることはないですが、それだけに、99.8%の数値は「実質的に確定」だと言えます。結論として、キー博士は以下のように結論付けました。「 SARS-CoV-2は、研究室から流出した」(以下略) 

https://shanti-phula.net/ja/social/blog/


 保健所の対応を見る限り「不幸にして熱が出たら2週間寝てれば治ります」というのが基本的な国の対応 ~病院側のコロナ対応の負担が軽減し、病院側が患者を受け入れ易くなる 

 冒頭の動画の26分18秒~27分5秒で江崎よしひで氏は、“今回感染した人、ほとんど発症しません。不幸にして熱が出たら2週間寝てれば治ります。その人にとっては、これから出るどんなワクチンを打つよりもちゃんと免疫ができる。その事はですね、伝えられない。これ、国が言うとですね、大炎上する。なのでそれは言えない。まぁ今回、岐阜に戻って来る時にですね、西村大臣から頼まれました。「江崎くん、岐阜に帰るのだったら、フェイストゥフェイスで向かい合った時だけ伝えられると思うんだけれども、正しい情報を伝えて欲しい。その事が分かるだけで、相当安心はできる。ただ、恐くないわけではない、そこもまぁ伝えて欲しい」。その事をですね、ちゃんとこうやってお伝えしたいと思ってます”と言っています。

 江崎氏は、西村大臣から「丁寧に分かりやすくコロナウイルスの情報を伝えてほしい」と言われただけと釈明しているのですが、講演でこのような話し方をすれば、「今回感染した人、ほとんど発症しません。不幸にして熱が出たら2週間寝てれば治ります。その人にとっては、これから出るどんなワクチンを打つよりもちゃんと免疫ができる」という部分が核心で、“フェイストゥフェイスで向かい合った時だけ伝えられる”情報というのは、この部分だと思ってしまいます。

 この部分が西村大臣の見解ではない(?)としても、1月6日に微熱が出て、8日にコロナ陽性、自宅療養終了になる1月16日まで放っておかれ、「せめてCT検査だけでもさせてくれ」と頼んでも、保健所からは「CT検査は入院が前提になるので簡単に受けられない。入院はそもそも受け入れ先が少なくて難しい」と言われた男性が、“基本、入院は「呼吸器系に異常がある」「自ら水分を補給できない」場合に初めて検討されるようです”と記しているのですが、保健所の対応を見る限り「不幸にして熱が出たら2週間寝てれば治ります」というのが基本的な国の対応だとしか考えられない。

 発症して10日間が自宅療養の期間だというのも、10日たてばコロナが感染力を失うからでしょう。要は病院側のコロナ対応の負担が軽減し、病院側が患者を受け入れ易くなるわけです。このことは、“続きはこちらから”の一連のツイート「今の時期、救急患者の搬送を断られるいくつか理由」を見ると良く分かります。 

 昨日の記事「コロナ病棟はスタッフの過剰な人数に加えて、9割程度の期間、常に空床あり」も考慮すると、“「医者はいいよな。こんな時でも仕事普通にやって金もらって。アコギな商売だよな。俺たちがきて金もらえて」とコロナの患者に言われました”というのが、半分は正しいと思えるのです。(竹下雅敏)


「人生100年時代の幸せのかたち」を求めて 〜コロナの先にある岐阜県の未来を創る〜

配信元)YouTube 20/12/20 

江崎禎英 本人より(2021年1月20日)  

 西村経済再生担当大臣から「今回感染した人、ほとんど発症しません。不幸にして熱が出たら2週間寝ていれば治ります。その人にとっては、これから出るどんなワクチン打つよりもちゃんとした免疫ができるんです」と私に伝えるよう頼まれたとする一部報道が昨日ありましたが、以下、事実関係を説明させて頂きます。 

西村大臣は私の経済産業省の先輩であるとともに内閣府時代の上司であり、私が今回の岐阜県知事選挙への出馬意思を固め、11/20に辞職する旨をお伝えした際にお時間をとってくださり、「もし県に行くなら、国よりも現場に近いところにいるので、丁寧に分かりやすくコロナウイルスの情報を伝えてほしい」旨のお言葉を頂きました。これ以外は西村大臣の発言ではありません。 記事は、私の講演内容の一部と西村大臣の発言とが一体となり「新型コロナは2週間寝れば治る、感染すればワクチンよりもきちんとした免疫ができる」旨を伝えて欲しいと依頼したと捉えられるものですが、実際は上記の通りです。混乱を招いたことを関係各位にお詫びします。

https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=267745



2021年2月6日土曜日

2235「メッセージ」2021.2.6

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月02日の記事を紹介します。


あずさからのメッセージ


今日はダウン症のお子様を持つお母様で、学校の先生でもあります、是松いづみ先生の随想をご紹介します。 

私のブログを読んでくださる皆様の中にも、

・お子様を早くに亡くされたり

・お子様が不登校だったり、

・いじめにあわれていたり

・病気でいられたり

する方が多いです。そんな方たちにとって、勇気が湧いてくるお話かもしれません。

<引用開始> 引用元


 十数年前、障がいのある子がいじめに遭い、多数の子から殴ったり蹴られたりして亡くなるという痛ましい事件が起きました。それを知った時、私は障がい児を持った親として、また一人の教員として伝えていかなくてはならないことがあると強く感じました。

 そして平成十四年に、担任する小学五年生の学級で初めて行ったのが「あずさからのメッセージ」という授業です。

梓は私の第三子でダウン症児として生まれました。梓が大きくなっていくまでの過程を子供たちへの質問も交えながら話していったところ、ぜひ自分たちにも見せてほしいと保護者から授業参観の要望がありました。以降、他の学級や学校などにもどんどん広まっていき、現在までに福岡市内六十校以上で出前授業や講演会をする機会をいただきました。


 梓が生まれたのは平成八年のことです。私たち夫婦はもともと障がい児施設でボランティアをしていたことから、我が子がダウン症であるという現実も割に早く受け止めることができました。

 迷ったのは上の二人の子たちにどう、このことを知らせるかということです。私は梓と息子、娘と四人でお風呂に入りながら

「梓はダウン症で、これから先もずっと自分の名前も書けないかもしれない」と伝えました。

息子は黙って梓の顔を見つめていましたが、しばらくしてこんなことを言いました。

さあ、なんと言ったでしょう?という私の質問に、子供たちは

「僕が代わりに書いてあげる」

「私が教えてあげるから大丈夫」

と口々に答えます。

この問いかけによって、一人ひとりの持つ優しさがグッと引き出されるように感じます。

実際に息子が言ったのは次の言葉でした。

「こんなに可愛いっちゃもん。いてくれるだけでいいやん。なんもできんでいい」

 この言葉を紹介した瞬間、子供たちの障がいに対する認識が少し変化するように思います。自分が何かをしてあげなくちゃ、と考えていたのが、いや ここにいてくれるだけでいいのだと価値観が揺さぶられるのでしょう。

 

さて次は 上の娘の話です。彼女が「将来はたくさんの子供が欲しい。もしかすると私も障がいのある子を産むかもしれないね」と言ってきたことがありました。

 私は「もしそうだとしたらどうする?」と尋ねました。ここで再び子供たちに質問です。さて娘はなんと答えたでしょう?

「どうしよう……私に育てられるかなぁ。お母さん助けてね」

 子供たちの不安はどれも深刻です。

しかし当の娘が言ったのは思いも掛けない言葉でした。

「そうだとしたら面白いね。だっていろいろな子がいたほうが楽しいから」

 子供たちは一瞬「えっ?」と息を呑むような表情を見せます。そうか、障がい児って面白いんだ──。いままでマイナスにばかり捉えていたものをプラスの存在として見られるようになるのです。

 逆に私自身が子供たちから教わることもたくさんあります。

 授業の中で、梓が成長していくことに伴う「親としての喜びと不安」にはどんなものがあるかを挙げてもらうくだりがあります。

 黒板を上下半分に分けて横線を引き、

・上半分に喜びを、

・下半分に不安に思われることを

書き出していきます。

中学生になれば勉強が分からなくなって困るのではないか。やんちゃな子たちからいじめられるのではないか……。

将来に対する不安が次々と挙げられる中、こんなことを口にした子がいました。

「先生、真ん中の線はいらないんじゃない?」

理由を尋ねると

「だって勉強が分からなくても周りの人に教えてもらい、分かるようになればそれが喜びになる。意地悪をされても、その人の優しい面に触れれば喜びに変わるから」

これまで二つの感情を分けて考えていたことは果たしてよかったのだろうかと自分自身の教育観を大きく揺さぶられた出来事でした。

子供たちのほうでも授業を通して、それぞれに何かを感じてくれているようです。

「もし将来僕に障がいのある子が生まれたら、きょうの授業を思い出して、しっかり育てていきます」と言った子。

「町で障がいのある人に出会ったら 自分にできることはないか考えてみたい」と言う子。

「私の妹は実は障がい児学級に通っています。凄くわがままな妹で、喧嘩ばかりしていました。でもきょう家に帰ったら一緒に遊ぼうと思います」と打ち明けてくれた子。

その日の晩、ご家族の方から学校へ電話がありました。

「“お母さん、なんでこの子を産んだの?”と私はいつも責められてばかりでした。でもきょう、“梓ちゃんの授業を聞いて気持ちが変わったけん、ちょっとは優しくできるかもしれんよ”と、あの子が言ってくれたんです……」。

涙ながらに話してくださるお母さんの声を聞きながら私も思わず胸がいっぱいになりました。


 授業の最後に、私は決まって次の自作の詩を朗読します。

「あなたの息子は あなたの娘は、あなたの子どもになりたくて生まれてきました。

 生意気な僕をしっかり叱ってくれるから

 無視した私を諭してくれるから

 泣いている僕をじっと待っていてくれるから

 怒っている私の話を最後まで聞いてくれるから

 失敗したって 平気、平気と笑ってくれるから

 そして一緒に泣いてくれるから 一緒に笑ってくれるから

 おかあさん ぼくのおかあさんになる準備をしてくれていたんだね

 私のおかあさんになることがきまっていたんだね

 だから、ぼくは、私は、あなたの子どもになりたくて生まれてきました。」


上の娘から夫との馴初めを尋ねられ、お互いに学生時代、障がい児施設でボランティアをしていたからと答えたところ

「あぁ、お母さんはずっと梓のお母さんになる 準備をしていたんだね」と言ってくれたことがきっかけで生まれた詩でした。

 昨年より私は特別支援学級の担任となりましたが、梓を育ててくる中で得た多くの学びが、いままさにここで生かされているように思います。

「お母さん、準備をしていたんだね」という娘の言葉が、より深く私の心に響いてきます。

<引用終了>


 私たちがこういうお話を聞く時、子供のお話として聞くことが多いのですが、この子たちは、学校を卒業してからも、大人になっても

・親との関係、

・社会との関係

は ずっと続いていきます。この子たちが大人になっても、ずっとずっと 明るく伸び伸び生きていけるようご家族が、肩身の狭い思いをしなくても済むように、そんな世の中にしていきたいですね。 

 そして親御さんたちも、孤独にならないように、していきたいですね。そのためには、私たち周りの者たち、一人一人の優しさが必要です。受容と、愛が必要です。 

私たちの住む宇宙の法則に「与えたものが受け取るもの」という法則があります。

・優しくして欲しければ、先に人に優しくし

・笑顔が欲しければ、先に人を笑顔を向け

・助けて欲しければ、先に人を助け

・信じて欲しければ、先に人を信じ

・与えて欲しければ、先に人に与え

・意地悪すれば、人からも意地悪され

・不平不満愚痴を言えば、人からも不平不満愚痴を言われ

・悪口を言えば、人からも悪口を言われ

・憎めば、人からも憎まれ

限りがありません。。 

私たちが投げかけた優しさは、宇宙に「優しさ」を振りまきながら、巡り巡って自分に帰ってきます。

私たちの住むこの世界を優しさの溢れた世界にしていきたいですね。そういう世界に住むものになりましょう。

空海が教えてくださったように、心の中に天国を築きましょう。そこに住みましょう。


2021年2月5日金曜日

2234「立春」2021.2.5

 2021年の立春は2月3日でした。いつも立春は2月4日と思っていましたが、二十四節季が124年振りに変わったことによるそうです。

「2021年の「立春」、黄経角度315度になる瞬間は、2月3日の23時58分。ぎりぎり2月3日が「立春」ということになりました。大きくは、昨年2020年が「閏年(うるうどし)」だったことに起因しています。」

 2021年は1日得した感じですね。今日は新年にちなんで2つの記事を紹介します。

 最初は「いっぷくからありがとう」さんの2021年2月3日の記事です。


立春、年の初め

今日は立春。宇宙カレンダーの年の初め。地球のエネルギーが大きく変化する時でもあります。変化の行く先は、私たちの心の状態が、初動のエネルギーを与えることで決まります。

・優しい心

・思いやりの心

・どんな状態であろうと、受け入れ、認めてあげる心

・笑顔

・勇気の出る言葉かけ

・そして感謝の心 

など、一つでも実行したいものですね。

私たちの心には、私たちが思う以上に大きな力があります。私たちの心が決断しなければ

神々さえも手出しできません。私たちの心の深い部分の許し、同意が無ければ何事も起こりません。

私たちが幸せになるのも

病気になるのも

事故に遭うのも

リストラに会うのも

貧困の時を過ごすことも

死ぬのも

みんな大本の私たちの心が生まれる前に決めています。

失敗するのも

いこじな行動をとってしまうのも

その考え方、行動では上手くいかない、失敗するそのことを、学ぶため。 

だから一概に「そんなことしてちゃだめだよ」と自分の価値観で矯正させようとするのも

良くないことかもしれません。

その人(子供)は、その経験を自らすることで、学ぼうとしているかもしれないからです。

何故なら、私たちの大本の心(魂、ハイヤーセルフ)は、その考え、行動を許しその結果もわかったうえで、私たちに、その計画して生まれて来たことをさせようとするからです。

全ては魂の学びのために・・・

皆様の心が穏やかで、感謝の心に満ちて、幸せになれますように、その結果、ご家族の皆様もお幸せになれますように。皆様が行くところに、笑顔と幸せが、あふれますように。。


 次は立花大敬さんの「しあわせ通信237号 2021年1月」の1部を紹介します。


今年は「旅」の卦 

さて、恒例となりましたが、今年も新年を迎えるにあたって、易をたててみました。今年は『火山(かざん)旅(りょ)』が出ました。 

上の卦けが「離(り)」で、これは「火」や「太陽」や 「明智」などを意味します。 

下の卦は「艮(ごん)」で、「静止・不動」や「山」 などを意味します。 

私たちは、「旅」に出たのです。もう二度と出発地点に戻ることが出来ない旅です。『昔はよかった』などと後を振り返ってもしょうがないのです。もう前に進むしかないのです。 

この旅のゴールはどこにあるのでしょう。 

それは、新しい政治・経済・社会システムが完成されて、地球にやさしい生活様式が機能し出した時がゴールなのです。 

なぜコロナ禍が発生したのでしょうか。それは「人類」が、神のカラダである「地球環境」を破壊する「ウィルス」と化してしまって、このままでゆくと、「地球環境」を破壊して死滅させてしまうことになるからなのです。 

それで、神さまのカラダである「地球環境」を死なせてしまう恐れがある「人ウィルス」の暴走を抑えるために、「地球環境」の免疫反応が発動して、「コロナウィルス」などを発生させて、「人ウィルス」の暴走にブレーキをかけようとしているのです。 


私たちのモノの見方は逆さまなのです。 

私たちは、コロナが私たちを脅おびやかしていると見て、それを絶滅させようと懸命ですが、「地球環境」から見ると、私たちこそが地球環境を苦しめている「ウィルス」で、その暴走を我慢しきれなくなった地球環境が、免疫作用として、集中豪雨や洪水や地震の頻発や台風の強力化や火山噴火や…を起こしているのですが、それでも人類は反省せず、自らが犯してきた罪に気づきもしないのです。 

それでついに最後の手段として、人の体を内側から攻撃するコロナウィルスを生み出して、それによって人類の暴走を食い止めようとされているわけです。 

それなのに、人類は慣れ親しんだ快適な生活を享受し続けようとしています。しかし、その人類が当たり前に感じている生活様式こそが、実は「地球環境」を滅びのゴールに突き進めている張本人なのです。 

ですから、コロナ禍が終息して、もとの生活に戻れたとしても、それで「ああ、よかった。これで大丈夫」ということには決してなりません。 

「地球環境」のイノチがかかっているのですから、人類を攻撃する、さらに強力な病原体群を「地球環境」は次々と発生させるでしょう。 

もうモトの生活様式や政治・経済システムには決して戻れないのです。 


人類が地球環境生命の一員として、節度ある、地球にやさしい生活様式や政治・経済システムを採用するにいたるまで、「地球環境生命体」の外からの、また内からの免疫攻撃は止むことがないでしょう。 

ですから、私たちは「地球にやさしい新しい生活様式」を手に入れるために旅に出たのです。 

易の神様は、「君たちは今、旅路にいることを自覚して生きなさい」と諭としてくださっています。 

「旅路」では、私たちは不便、不安定、孤独などのつらい思いをすることになります。 

しかし、そんな場合でも『昔はよかった』などと愚痴を言ってみたり、悪あがきしてモトに戻ろうとしたり、人のせいにして非難攻撃したりしないで、ジッと我慢して動かず(下の卦は、不動静止の「山」でしたね)、そして、天から差し込んでくる、あるいはイノチの内側からあふれ出してくる「明智」(上の卦は「離(明智)」でしたね)を待って行動すべきなのです。また、自分の明智に自信がなれけば、「明智」を宿した師に頼るべき時です。 

時代の混乱がいい方に転がって、お金や権力や地位が手に入ったりする場合もあるでしょう。そんな時も「今は旅の途中なのだ」ということを忘れないことです。今の繁栄がいつまでも続くと思い、威張ったり、人を虐しいたげたりしてはいけません。 


以上は、人類全体に対する易の神様からのメッセージですが、特に私たちの仲間に対しては、次のようにアドバイスしてくださっています(これは孔子さんが得たアドバイスでもあります)。 

「旅の途中にいても、<今・ココ・私>という、我がイノチの重心の据え処を間違えずに生きるようにしなさい。そうすれば、財も得られるし、必要な智慧や能力や人材も授かるだろう。 

しかし、そういう宝が手に入ったとしても、それで安心して、これがゴール地点だなどと誤解して、高慢になったり、守勢にまわってはならない。 

必要ならば、得たものすべてを投げうって、身一つになっても『地球にやさしい新しいシステムの完成』というゴール目指し、歩み続けるんだという覚悟を持ち続けなさい。 

明智をしっかり働かせて、神の意志が君に向かわせようとしている方向を見失わず、その神流(しんる)に運んでいただくように。 

けっして神の意志の潮流に逆らって、自分だけの利益を守るために動こうとしないように。 

誠実に、謙虚に、そして「地峡環境と人類の調和融合一体化」を目指すという「志」をしっかり持って生きてゆきなさい」 

時代は動揺し、紛争の飛び火が世界各地に燃え盛るでしょう。 

しかし、そんな現象面の混乱にも関わらず(いや、そんな厳しい時代だからこそ)、第4世代(第1話参照)の後輩たちは、その霊的な悟りの自覚を一気に深めてゆくことになるでしょう。 

「旅人」は不便で不安定で孤独ですが、そんな厳しい環境だからこそ、「旅人」は、これまで見えなかったものが見えるようになり、聞けなかったものが聞こえるようになり、ワクワクするような新発見の連続で、第3世代の私たちには想像も付かなかったような、大きくて深い、霊的な目覚め(悟り)を体験することになるでしょう。 


マンスリー・メッセージ 

才を愛し 

力量をほめたたえ 

心の底から感謝できる 

そんな人のまわりに 


2021年2月4日木曜日

2233「神様からのメッセージ」2021.2.4

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年01月28日の記事を紹介します。


神様からのメッセージ

今日は28日、毎月28日はお不動様の縁日です。縁日(えんにち)とは、神仏とこの世の人々が縁を結ぶ日のこと。特別に霊験があらたかな神仏が目の前に現れて、この世に対して縁をもつ、有縁の日でもあり、特定の神仏と人々が縁を結ぶ、結縁の日と言われます。

本日、普通の日ですが、昼休みを少しずらして護摩焚き(縁日)に行って来ました。

区長さん曰く、ここのお不動様の縁日は、28日がたとえ、土日、祝日でなくて、平日で、人が集まりにくかろうと、決して日を変えたことがなかったのだそうです。

土日や祝日に変えれば、

・人が沢山来てくれるだろう

・お布施も沢山集まるだろうと、

このような人間側の都合では、決して変えなかったのだそうです。

神様を敬い、大切にする心。素晴らしいです。

 

さて、今日のお話です。どんな方にも、心の内に神様がいらっしゃいます。

そして常に神様は、私たちとともに歩み、喜び悲しみを、共に分かち合ってくださっています。今日は、どんな方にも神様はちゃんとメッセージを下さっているんだよと言うことで、

ひとつの例をご紹介します。

<転載開始> 転載元


 作家の佳川奈未さんは作家デビューする前、離婚して3人の子供を育てていくために、雑誌ライターのほか、3つの仕事を掛け持ちしながら朝から晩まで働いていた。そんなハードな生活が数ヶ月過ぎたある日、身体と心のバランスを保っていたネジがポンと音を立ててはじけ飛び、生きることをどうしても続けられなくなってしまい死を選ぶことを決心する。

 ひとり死ぬためにまだ日の昇る前の早朝の海へと向かう。ところが死ぬことができない。

怖いわけではなく、誰よりも早くいったつもりが自分よりも早く来ている人がその日に限っていて邪魔をするからだ。

「神様はこんなに生きづらくしておきながら、成功するチャンスどころか、死ぬチャンスも与えてくれないのか」と佳川さんは悲観にくれる。

 海では死ねないので、佳川さんは電車に飛び込んで死ぬことにして、海辺から駅へと歩いて向かう。

 駅にたどり着くと、駅前には大きな本屋があった。「自分はとうとう作家になる夢も叶わないまま死んでいくんだなぁ」と,心でつぶやきながら、なぜか、死ぬ前にもう一度、自分の一番好きな場所だった本屋に立ち寄りたいと思い、中に入っていく。                                    

 ぼーっとしながら、一番近くの棚のそばに立ち、そこに並ぶ本になにげなく目を向けると、一冊の本から『ぜったい守ってあげるから!』というタイトルの文字が、バーンと佳川さんの目に飛び込んできた。その文字を見て、佳川さんは呆然とする。

 なぜなら、自分が守ってあげたいと思うものを守れず、そして自分自身も誰にも守ってもらえずひとりもがき苦しんでいた。そして死を覚悟した。 

『ぜったい守ってあげるから!』なんて 優しく温かなこんな言葉を誰からも言われたことなどなかったからだ。

 なのに、その本がそうやって訴えかけている。そのことが衝撃だった。

 佳川さんは、すぐにその本を手に取り、開き、読んで、その中にあるメッセージに涙がボロボロ流れてきて、止まらなかったそうだ。

そして、“私もこんなふうに誰かを救えるものを書きたい!やっぱり書きたい!”と

死のうとして冷え切った佳川さんの心に熱い思いが込み上げてきた。

結局、それがきっかけとなり、死ぬことを踏みとどまった佳川さんは出版社に書いたものを持ち込み、デビュー作が生まれる。佳川さん自身、もう一度生まれ変わったのである。


 死を覚悟してなにげなく書店に立ち寄った時、目の前にあった本のタイトルという形に姿を変えた「天からのメッセージ」を佳川さんは受け取ることができた。

 メッセージはそれ以前にもたえず投げかけられていたのだと思う。でも、佳川さんにとってはその日、その時が受け取る“時”だったのかもしれない。

 佳川さんは「いま思えば、その言葉は、その本からのメッセージでもあるのですが、まぎれもなく、天が私を守ってくれているという尊いメッセージでもあったのです」と述べている。

<転載終了>


 神様からのメッセージは、実はいたるところにあります。それに気付くかどうか。偶然として片づけてしまうかどうか。

特に今回ご紹介した佳川さんのように生死にかかわる時には、強いメッセージがもたらされます。

 神様からのメッセージというと、とかく頭の中に厳粛な声で響いてくるもの。。と思っている人が多いかもしれませんが、神様はあまり、あからさまな方法を取らないことが多いようです。

 人を通して語られる言葉とか、偶然目にした本のページとか。。

 心の内なる神様を信じ、心を研ぎ澄ませていれば、必ず気付くと思います。

 佳川奈未さんは「感性」とは、ある印象を受け入れる力だといいます。

 感じたものを育む能力が、実は良いものを引き寄せるためには必要なのです。

 感性が鈍いと、今自分に必要なものを見つけられないのです。

と仰っています。


皆さんにも、同じように神様は、何時もメッセージを下さっています。例外はありません。

 


ですが、普段から不平、不満、愚痴が多く、人や、世の中に文句ばかり言っている方は、受け取りにくいかもしれません。

ご自分の心が、そのような黒いもので一杯で神様の恩寵が入ってくる隙間がないからです。

素直に吸収する余地がないからです。

私たちは、亡くなるときの心の状態が、死後の行先を決めてしまいます。厳然とした波長の法則つまり、類は友を呼ぶ の法則が働くからです。

不平不満、悪口で人生を閉じる人は眉間にしわを寄せ、鬼のような顔をしているかもしれません。死後は、同じような人が、待ち受けるところに行くことでしょう。

人々に感謝し、笑顔でありがとうと言っていた人のお顔はきっと仏様のようなお顔で、行くことになるでしょう。

その先には、同じような、優しく、心暖かな人が待っていてくださることでしょう。

奈良で生まれ、比叡山で修行した源信が「往生要集」で、その様子を描いています。

神様の声、恩寵は、差別なく、万人に届いています。

皆さんもぜひ、内なる神様の声に耳を澄まして聴いてみてくださいね。



2021年2月3日水曜日

2232「愛とは」2021.2.3

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年01月29日の記事を紹介します。


愛とはなんですか?

現在進行中の、神々による世界の建て替え。今までの矛盾と、不正、不平等、差別、残酷な仕打ち陰に隠れ、悪徳の限りを尽くしていた人々もあぶり出されようとしています。 

大きな抵抗もありますが、神々が動かそうとしている「時の重力」 →時の重力にかなうはずがありません。 

更に建て替えによって、私たちの生活スタイルも大きな変化を余儀なくされていますが、それは、良き変化なので抵抗せず、自分自身、大きなうねりに身を任せ変化していくことが大切だと思います。

建て替えの時期が落ち着き、人々の力による「立て直し」が始まるまでは、今までの経済システム、貨幣経済、信用経済も一旦リセットされる気配が濃厚ですが、そうなった時、大切なのが、身近な周りの人々との助け合いの精神です。

今後、建て替えの時代から、建て直しの時代への移行期間に何が起き、どのように処して行ったらよいか、、折々に、少しづつ書いていきたいと思っています。

そして、そうした中においても、変わらず大切な心、神々のなさり方、方法論について、今日は書きたいと思います。

毎年、1回は載せようと思っている記事です。この内容は、まさに神々の、なさり方を教えてくれるからです。私たちの心を、神さまの方に向けることができるからです。

その結果、ご自分が幸せになるだけでなく身近な周りの方々も真の幸せ、笑顔を手にできるからです。もう読んだよって方は、どうぞ、遠慮せずスルーされてください。

 

では始めます。

私たちはきっと、漠然とですが、神々の奇跡について以下のようなイメージを持っているかもしれません。

・目を見張るような、ビックリするようなこと

・目に見えない、魔法のような不思議な力

・一瞬で世の中が変わってしまうようなこと

・今のつまらない人生が一瞬で変わり、幸せになれるようなこと

ですが、きっと神さまはそのような安直なことは なさらないと思うのです。

また神様に頼り切り、高いお布施を払ってご祈祷さえしてもらえば幸せにしてもらえる。  そのような物ではないと思うのです。

神さまは、主に人間の中の、心の動きとして現れます。そして御心のままに、人を動かし、世の中を動かしていきます。それは、注意してみなければ気付かない本当に些細な変化から始まります。ですが、その変化は、まさに神様のミワザです。 

着実に変化を起こし、長い目で見た時、その時の変化が、きっかけで今の状況に至った・・

そんな変化のターニングポイントになっています。

それほどまでに 神さまのミワザ、やり方は計り知れない力を持っています。そして、人々に気付かれないように、なさります。

まさに知らずに、人々の心に入り込みご自分の仕業と、気付かせないようにヒラメキを与え 

・心を動かし、

・言葉を発しさせ、

・身体を動かします。

それが、必要な様々な人を介し、有機的に繋がり、変化を起こしていきます。 

それでは、神さまの流儀、やり方を書きたいと思います。 

「1本のホウキが生んだ奇跡」のお話です。

<転載開始> 転載元 


 何も見えず、何も聞こえず、何も話せない。完全な闇・・・

 三重苦という重障害をもちながら、アニー・サリバンという最高の教師の力を得て、目覚め、成長し、世界中の福祉に貢献した、誰もが知る偉人。彼女の名は ヘレンケラー。

彼女の存在が、どれほど世界中の人に愛の力をおよぼしたか、どれほど多くの人々を救ったか、ですが、このお話は、そのヘレンケラーのことではなく、ニュー・イングランドにある精神病院で働く名も知れぬ、普通のお掃除のおばさんのお話なのです。


 彼女の働く病院の地下室には、「緊張型精神分裂病」と診断された10歳の少女の患者がいました。

 何に対しても、反応を示さず、ただ暗い地下室のベットに、うずくまっているだけ。

少女は、もう回復の見込みはないと考えられていました。世界から見放され、一言も話すことなく、胎児のように、丸まったまま、決して動こうとはしなかったのです。

 以前はとても可愛らしい少女だったのですが、いまや、日々やせ衰えていくばかり。

彼女は、そんな少女の個室のまわりを、毎日掃除をしに、やってきました。そして、ドアの下のすきまから、食事をホウキの柄で、中に押し込みます。

彼女にも同じくらいの歳の娘がいたせいか、少女を不憫に思いますが・・ 

そこはただの掃除婦、何もしてあげることはできません。

そこで彼女は、せめてそこを去る前に、うずくまる少女の肩をホウキの先で、そっとつついてあげることにしました。

「ねえ、あなたは一人じゃないんだよ! 少なくとも、ここにあなたを気にかけている人間がいるんだよ」そういう思いを、伝えたかったのです。

 掃除のおばさんには、この程度のことしかできませんでした。


ほんの小さな愛の実践です。ホウキの先ほどの・・・そんなことしかできませんでした。

でも、その程度のことしかできなくても、ただただ、伝えたかったのです。

 だから、くる日もくる日も、彼女はホウキの先で、その少女を、優しくつつき続けました。

そして、何週間か経ったある日のこと、小さな変化が起こりました。

ただ死を待つばかりだった少女が、なんと自分の手で食事を受け取るようになったのです。さらに時が経つにつれ、少女は座ることもできるようになり、掃除婦のおばさんと話をすることまで、できるようになったのです!こんなことって、ありえるのでしょうか?

 偉いお医者たちでも、完全にお手上げだったのに?

 こうして少女は、やがて奇蹟ともいえる回復をとげることができたのです。

 それから何年か経った、あるうららかな春の日。その精神病院の院長は、アラバマ州のひとりの紳士から、ある依頼を受けました。

 その紳士のお子さんが重度の障害児で、世話をしてくれる人を探しているというのです。

その頃、あの奇跡的な回復をとげた少女は、20歳を過ぎていました。

院長は、自信をもって、その彼女を、紳士に紹介しました。 

彼女の名は、アニー・サリバン。そう、ヘレン・ケラーの偉業を生みだした教師です!

地下室で、ただ死を待つしかなかった、あの少女です。

それは 小さな種だけど、小さきものが、種となりて、多くの豊かな愛の花を咲かせている。その有名な人の、その元の元になるお方が、名も無きお人が、きっといる。 

ヘレン・ケラーを世に出さしめたアニー・サリバン女史。

そのアニーサリバン女史を世に送ったのは、なんと一本のほうきで愛を伝えた、掃除のおばさんでした。

<転載終了>


 今あなたは、目の前の人に関心を持って接していますか?

「ねえ、あなたは一人じゃないんだよ! 少なくとも、ここに、あなたを気にかけている人間がいるんだよ」そんな思いを伝えていますか?

 ほんの小さなことでも、自分の出来る愛を尽くしていらっしゃいますか?

 三重苦を克服したヘレンケラーは世界中の人に、愛の力を及ぼしました。そして、苦しみの中に泣いている多くの人を救いました。そして、そのヘレンケラーにつきっきりで愛を注いだ人がサリバン先生でした。

サリバン先生の大きな愛により、ヘレンは、症状は改善することがなくとも、人生に希望を見出し、自分の中に、神様を見つけたのでした。

 そして、そのサリバン先生が、「緊張型精神分裂病」という病気で、暗い地下室で一人隔離されていた時に、愛を届けてくれたのが一人の掃除のおばさんだったのです。

 まさに、これが神様のやり方です。

 小さな小さな身近な思いやり。愛が、大きな大きな愛に育ちました。その結果、沢山の方が光に包まれました。神様に触れることができました。

 もちろんヘレンやサリバン先生の、強い精神の力もあったことでしょう。ですが彼女たちは、一時は見捨てられ、絶望の淵、死の間際に居たのです。そこに神様の息吹を吹き込んだのは、1本のホウキによる小さな、小さな愛でした。

 私たちは、自分が当事者で、苦労の渦中にあると、どうしても自分のことしか見えません。

その苦しい現象しか見えません。ですが「ピンチはチャンス」と言う通り、神様は、その苦労の後ろにこそ、大きな大きなプレゼントを用意して待っています。

 それは苦しい環境に対する、不平、不満、愚痴、呪いの言葉ではありません。

 そのような状況下であっても、

他人に対する

優しさ、

思いやり、

感謝の気持ち、

「ありがとう」の気持ちです。

それに気付いた時、苦労が大きかった分、きっと大きな大きな愛と幸せに包まれることでしょう。それが神様のやり方です。


<エピローグ>

サリバン先生が幼いヘレン・ケラ-をひざの上に乗せて、「愛とは何ですか?」と質問し

ました。

三重苦の彼女にとって抽象的な概念を理解するのは難しいことでしたが、その時ヘレン

はこう答えたそうです。

「サリバン先生が初めて私の家に来てくださった時、私の頭の上に何か温かいものが流れ落ちました。それが愛です。」

 サリバン先生が、ヘレンの上に流した涙は、石のように頑なになっていたヘレンの心を砕き、氷のように冷え切っていた彼女の心をとかしたのです。どんな力や権威でも、また、どんな知識や能力、医学や技術でも、どうすることもできなかったヘレンの心の戸を開いたのは愛でした。