2021年7月22日木曜日

2401「許し 幸せになるために」2021.7.22

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年07月18日の記事を紹介します。


「許し 幸せになるために」

今日のテーマは「許し」です。 

以前書いたことがあったのですが、大変重要なことですので、加筆して掲載します。

 

本当の、心からの幸せを得るために何が邪魔をしているのか?

特に、理不尽とも思える辛い出来事を経験した人に何故、幸せになれない人が多いのか?

それは、憎しみの心が、幸せが来るのを邪魔をしているのかもしれません。

誰かを許すこと、それは神さまから、自分が許されること

誰かを何時までも許さないこと

それは、いつまでも、自分で自分を許さないこと

神さまから、自分が許してもらえないこと

人を許さない限り、自分を許さない限り 幸せになるのは、難しいようです。

さて、愛媛県西条市に「のらねこ学かん」という知的障碍者のための通所施設があります。 

ここを自費で運営し、ハンディのある人たちの人生の花を開かせている塩見志満子さんという方が居られます。今日は塩見さんのお話です。

 

<引用開始> 引用元


塩見さんの人生は、まさに試練に次ぐ試練の連続でした。壮絶かつ感動的な人生体験、そこから掴まれた信条を学ぼうと、いま全国各地から講演の依頼が舞い込んでいます。 

塩見さんが語った

「降りかかる逆境と試練が、私の人生の花を咲かせた」とは──。

──そこから学かんの立ち上げまでは、どのように進むのですか。

1つのきっかけとなったのは私が38歳の時に、小学2年生の長男を白血病で失ったことです。白血病というのは大変な痛みが伴うんですよ。「痛い、痛い」と叫ぶと脊髄から髄液を抜く。そうすると痛みが少し和らぐ。それを繰り返すわけですよ。

ある時、長男はあまりの痛さに耐えかねて、そんなこと言う子じゃないんですが

「痛いが(痛いぞ)、ボロ医者」と大声で叫んだんです。 

主治医の先生は30代のとても立派な方で「ごめんよ、ボク、ごめんよ」と手を震わせておられた。

長男はその2か月半後に亡くなりました。 

49日が済んだ後、主人と2人、お世話をかけたその主治医の先生に御礼を言うために病院に行きました。ところが、いらっしゃらないんです。

聞いてみたら、長男が死んだ後、「僕は小児がんの研究をするためにアメリカに渡る」と 

すぐにその病院を辞められたと。

私たちは「ボロ医者」という長男の一言が、この先生をいたく傷つけたかもしれないと思うと申し訳なさでいっぱいでした。

後で知ったのには、その先生は10年間アメリカで小児がんの研究をした後、小児がんの権威となり日本の国立小児病院に帰ってこられたそうです。

いま思い出しても本当に素敵な先生でしたね。


──そうでしたか。

長男が小学2年生で亡くなりましたので、4人兄弟姉妹の末っ子の二男が3年生になった時、私たちは「ああこの子は大丈夫じゃ。お兄ちゃんのように死んだりはしない」と喜んでいたんです。

ところが、その二男もその年の夏にプールの時間に沈んで亡くなってしまった。

長男が亡くなって8年後の同じ7月でした。


──プールの事故で突然。

近くの高校に勤めていた私のもとに「はよう来てください」と連絡があって、タクシーで駆けつけたらもう亡くなっていました。

子供たちが集まってきて「ごめんよ、おばちゃん、ごめんよ」と。

「どうしたんや」と聞いたら10分の休み時間に誰かに背中を押されてコンクリートに頭をぶつけて、沈んでしまったと話してくれました。


母親は馬鹿ですね。

「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは、学校も友達も絶対に許さんぞ」

という怒りが込み上げてくるんです。

新聞社が来て、テレビ局が来て大騒ぎになった時、同じく高校の教師だった主人が

大泣きしながら駆けつけてきました。

そして、私を裏の倉庫に連れていって、こう話したんです。

「これは辛く悲しいことや。だけど見方を変えてみろ。 

犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、過ちとはいえ自分の子は友達を殺してしまった、という罪を背負って生きてかないかん。

わしらは死んだ子を、いつかは忘れることがあるけん、わしら2人が我慢しようや。

うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、校医の先生に心臓麻痺で死んだ という診断書さえ書いてもろうたら、学校も友達も許してやれるやないか。そうしようや。そうしようや」

私はビックリしてしもうて、この人は何を言うんやろかと。

だけど、主人が何度も強くそう言うものだから、仕方がないと思いました。

それで許したんです。友達も学校も。


 ──普通の人にはできないことだと思います。

こんな時、男性は強いと思いましたね。でも、いま考えたらお父さんの言うとおりでした。 

争うてお金をもろうたり、裁判して勝ってそれが何になる。

許してあげてよかったなぁと思うのは、命日の7月2日に墓前に花がない年が1年もないんです。

30年も前の話なのに、毎年友達が花を手向けてタワシで墓を磨いてくれている。

もし、私があの時学校を訴えていたら、お金はもらえても こんな優しい人を育てることはできなかった。そういう人が生活する町には できなかった。心からそう思います。

<引用終了>


さて、子供が夭逝(ようせい)=早く亡くなる  と言うのには、大きな大きな意味があるそうです。両親や、周りの人に気付きを与えるため・・・。

塩見志満子さんのお子様たちの場合には、小児がんの研究者。

そしてご両親の「許し」という崇高な行為と、その後、ご自身の「知的障碍者のための通所施設」の自主運営に続いて行きました。

お子様2人も早くに無くされることは、大変な悲しみだと思います。

子を持つ親として十分察しできます。ですが、その悲しみを悲しみのまま、憎しみを残すことなく、許し、ご自分の心の中の黒い霧を払われ、世の中に尽くす所まで進められたのは

素晴らしいことだと思います。

 私達は、とかく、人を憎んだり、恨んだり、仕返ししようとしたりします。 

「同じ苦しみを味あわせてやる」また社会全体を憎しみの対象とします。

ですが、仕返しは、私達がやることではありません。それは神様の領域のお話です。 

「復讐するは我にあり」の 我とは 神様のことです。 

人を許すこと 自分自身も許すこと 人を愛すること

大変 難しいことかもしれませんが、それは私達のハートの中に居らっしゃる神さまの特性です。 

私達も、今はできなくとも、その神さまのようにいつか、いつか振る舞うことが出来るはずです。

ひこうき雲 子供の夭逝を書いた曲です。


あなたには、許せない人はいますか?憎しみをたぎらせている相手はいますか?

それとも、特定の人ではなく世の中を、憎んでいらっしゃいますか? 

誰かのことを許せれば、それは、神さまの前において自分自身を許すことになります。

自分自身を愛することに繋がります。 

自分自身を愛することができたなら、私たちは、また一つ、

心の世界において、神さまに近付くことになります。

何時までも憎しみに、しがみついた 暗黒の世界そしてもう一方は、愛と許しの 光の世界。

心の分かれ道です。

どちらに進まれますか。

 

先に亡くなった家族や、ご先祖の方々は、残された私たちに、どちらを望んでいらっしゃるでしょうか。

そして、あえて理不尽に見える逆境を準備された神さまは何を望んで、そうされたのでしょうか。




2021年7月21日水曜日

2400「悲しみの底で見つけた真実」2021.7.21

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年07月16日の記事を紹介します。


[悲しみの底で見つけた真実]


東京家庭教育研究所を創設した小林謙策氏(故人)という方の手記があります。

小林さんが、家庭における子どもの教育がいかに大切かを、身にしみて感じたのは 

昭和30年6月ただ一人の娘に突然、自殺された時からだそうです。

小林さんは長野で中学校の校長をしていました。

人さまの大切な子どもをあずかって教育しなければならないという立場の者が、自分の娘の教育さえ満足にできなかったのはなぜか。

19年間の娘に対する教育のどこが間違っていたのか。

平和で楽しかったはずの家庭に突然襲った悲しみ、苦しみが厳しく、小林さんは自問自答しました。

「私は家庭における子どもの育て方に 大変な間違いを犯しておりました」

と小林さんは言います。

自身が、勝気で負けず嫌いだったので、娘に対しても、小さい時から「えらくなれ」といって育ててきました。大きくなると、さらにその上に「人よりえらくなれ」と言いました。

「娘は小学校、中学校、高等学校までは、 自分の思い通りに伸びていったが、 東京の大学に行ってからは、そうはいきませんでした。

あらゆる努力をしても、自分よりすぐれているものが幾多あることを知ったとき、もはやわが人生はこれまでと、生きる望みを失い、新宿発小田原行の急行電車に投身自殺をしてしまったのです」


遺された手紙には

「両親の期待に沿うことができなくなりました。人生を逃避することは卑怯ですが、

いまの私にはこれよりほかに道はありません」

と書かれ、さらに、

「お母さん、ほんとうにお世話さまでした。いま私はお母さんに一目会いたい。

お母さんの胸に飛びつきたい。お母さん、さようなら」

と書いてありました。

「それを読んだ妻は気も狂わんばかりに子どもの名前を呼び続け、たとえ1時間でもよい、

この手で看病してやりたかった と泣きわめくのでした」


小林さんは言います。

考えてみれば、子どもは順調に成長してゆけば、誰でも「先に進みたい」と思うもの。

這えば立ちたくなり、立てば歩きたくなり、歩けば飛びたくなる。

これが子どもの自然の姿。子どもは無限の可能性を持って伸びよう伸びようとしている。

「それなのに自分は愚かにも娘に『人よりえらくなれ』といい続けてきた。

『自分の最善をつくしなさい』だけで、娘は十分伸びることができたはず。

私は娘の死によって、家庭教育の重要性を痛感しました」

以後の人生を小林さんは家庭教育の探究と普及に捧げる人生を生きられ、平成元年に亡くなられました。

自分に出来ることでいい、自分の最善をつくせば、それでいい


坂村真民さんという詩人の詩があります。


「小さい花でいいのだ

人に褒められるような大きな美しい花ではなく、

誰からも足をとめて見られなくてもいい

本当の自分自身の花を咲かせたらいいのだ

それを神さま仏さまに見てもらえればいいのだ」 


・勉強しなさい

・あれはダメ、これもダメ

・あれをしなさい、これをしなさい

・貴方にはムりだから止めときなさい

お子さんに、そんな言葉、掛けていませんか?

 

産婦人科医の 池川明医師は、子供たちに対する大規模な調査を行い、その1/3もの子供たちが、中間世記憶を持つことが分かりました。

彼らが 教えてくれた生まれて来た目的とは・・・

ほとんどのお子さんが、こう答えたそうです。

・お母さんを助けるため

・人の役に立つため

・魂を磨くため

そんな優しい心を持って生まれて来てくれた子供たち

・詰め込みの教育

・本人の希望や適性を無視した親の引いたレール

・人をけ落としてでも、競争に勝ち抜いて生きろ

は必要でしょうか? そんなことを言えるでしょうか?

勉強が出来ない子供は不幸でしょうか?

学校はそれほど大切な所でしょうか?

人と同じでいる必要はあるのでしょうか?

子供たちには一人一人個性があります。得意分野も異なるでしょう。

興味や志向も異なることでしょう。

親の一方的な思い。教師たちの一律的な対応そんなものは、もしかしたらこの優しい子供たちには糞くらへかもしれないですね。


彼らは、

・お母さんを助けるため

・人の役に立つため

・魂を磨くため

この世に生まれてきました。 

姿かたちが子供だからと言って、魂までも子供ではありません。 

私達大人たちよりもはるかに愛に溢れた存在かもしれません。

お母さんを助けるために生まれてきました。

決して、お父さんや、お母さんの思い通りに生きるために生まれて来たわけではありません。

それでも、子供を自分の思い通りにしたいと思う親御さん。

お子様の心や体がボロボロになって、自分の元に戻って来た時、きっと気付きます。

生きていてくれてるだけで良かった。 

そのままで愛しているよ。 私の元に生まれて来てくれてありがとうって・・・ 

子供が、美しい「スミレの花」を咲かせようと、この世に生まれて来たのに、


華やかな「バラの花」になれと、無理強いはしていませんか?   

子供の心を、生きながら殺してはいませんか?




2021年7月20日火曜日

2398「声なき声を聞く」2021.7.20

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2020年10月2日「愛語」と2021年07月14日「声なき声を聞く」の2つの記事を紹介します。



「声なき声を聞く」

臨死体験をきっかけに、神さまを見て、声を聞き、正しく人生の目的を知り、 

そしてその後の人生で、多くの方の精神性の向上(心の浄化)のために

働いていらっしゃる方が沢山いらっしゃいます。 

今日はその中のお一人である、鈴木秀子さんのお話をご紹介します。

鈴木さんは、日本近代文学を専攻する聖心女子大学の教授で、聖心会のシスターでもあります。「死にゆく者からの言葉」など沢山のご著書もあります。 

『自分の花を精いっぱい咲かせる生き方』(致知出版社)が出版された直後のインタビューです。 

<転載開始> 転載元

 

インドにある「死を待つ人の家」を訪れたある神父が、現地でマザーテレサに出会った時のお話です。

神父はボランティアとしてインドの現地に赴き、風呂に入れた病人をバスタオルで受け止める役目を担いました。

しかし当初は、やせ細った病人の体に触れることはおろか、怖(お)じ気づいて後ずさりしてしまったのです。その様子を見かねたマザーは、彼の代わりに病人を受け止め、優しくその病人に語り掛けました。

「あなたは大切な人です。あなたは神様から許されて、愛し抜かれています」

死人同然の彼は、うっすらと目を開いてほほ笑んだそうです。

鈴木秀子さんは、このストーリーをこう締めくくっています。


「マザーが死にゆく男性に施したのは、何も特別なことではありません。

一人の人間として敬い、神様から愛されていることを祝福した、それだけのことです。

しかし、そのひと言は、苦しみと絶望の間をさまよっていた男性には、何よりの喜びであり、

力となるものでした」

小さな良いことが、やがて良い人生につながるのです。周りの人々と小さな心の交流を重ね、

人を敬って生きていくことに大きな喜びを感じる人生こそ「良い人生」なのだと、マザーの行いを例に鈴木秀子さんは仰います。

また、マザー・テレサが1984年に来日し、シスターが教鞭(きょうべん)をとっている

聖心女子大学を訪れた時のあいさつについても触れられています。


「日本では路上で生き倒れて死んでいく人、膿(うみ)にまみれてハエにたかられている人はいません。しかし日本を歩きながら、大変なショックを受けました。

街はとてもきれいだし、とても賑(にぎ)わっているのに、その街を歩く人たちの顔に笑顔がないのです。皆さんの悲しそうな顔が心に焼き付けられました。

寂しい思いをしている日本人たちには、ちょっとした言葉をかけてあげてください。

温かい笑顔を見せてあげてください。それは私がインドで貧しい人々にしているのと同じことなのです」

こう話すマザーに、日本への思いの深さと、愛に満ちた生き方、信仰を貫く姿勢を鈴木秀子さんは見て、改めて感動したと記しています。 

<転載終了>

 

日本は先進国と言われ、豊かな国であるのに、 

・人々の顔に笑顔が無い

・悲しそうな顔をしている

・寂しい思いをしている人が沢山いる

まさにそれはインドの貧しい人たちが、誰にも顧みられることもなく、寂しさの内に、 

人生と神を呪い死んでいく姿と同じではないか? そう、仰ったのです。

それは自分以外の者への関心の薄さ、無関心に寄るものです。愛が欠如しているからです。 

その結果が、インドのスラムで孤独の内に、人と神を呪い死んでいく貧しい人と、日本人の心を同じものにさせてしまったのです。

皆さんはどうでしょうか?

カルカッタのように生死に関わることはめったにないかもしれませんが、こんな小さな声、叫びを聞いたことはありませんか?

「寂しい」「助けて」 

これは声なき声、単なる小さな波動かもしれません。

ですが、いま確実に世の中に、この小さな叫びが増えています。

生活やお金に追われ、必死に生きている私たちにも、最初は聞こえていたかもしれません。

でも、いつしかそれは、忙しく動き回る私たちにとって社会の中で、単なる生活音でしかなくなり、気にも留めず、気付くことすらなくなってしまったのかもしれません。

そしてその小さな叫びを発した人達は、誰にも顧みられず、孤独の内に生き、エネルギーのある者は、やるせない気持ちを爆発させ、エネルギーの無い者は、ひっそりと命を閉じるのかもしれません。 

でも、私たちにも耳を澄ませば、「寂しい」「助けて」と言う声が、家族や友人、目の前に居る人、そんなすぐそばからも、聞こえてくるかもしれません。

その声が聞こえたら、どうしますか?

 

マザーはこう仰いました。

ちょっとした言葉をかけてあげてください。温かい笑顔を見せてあげてください。

まずは、自分の目の前に居る人に対し、笑顔で、優しい思いやりのある言葉を

かけて差し上げたいものです。

その笑顔と優しさは、今度は受け取った人を介して、またそこを拠点に広がって行きます。

どんどん笑顔と優しさの連鎖が、あなたの最初の行動をきっかけにして始まります。

そしてその愛のエネルギーは循環を繰り返し、必ず何倍にもなって自分に帰ってきます。  

どうか目の前の方に笑顔で、優しい思いやりのある言葉をかけて差し上げてください。



「愛語」

見える世界、見えない世界を含めその世界のありさまを決めるのは、私たちの心です。 

今日は、その心を美しくするために簡単にできる、「愛語」について書きたいと思います。

きっと、この愛語の精神でいる限り宇宙からのサポートがふんだんに降り注ぎ、私たちの所属する銀河が、今通過している大きな潮流に乗り、ご自分も、そしてご家族も幸せになれることでしょう。

 <転載開始> 転載元 小林正観さんの記事より

「愛語(あいご)」という言葉は、良寛和尚が好んで使っていたと言われています。良寛和尚の「愛語の心」とは、こういうものだと聞きました。

「自分は貧しいひとりの修行僧なので、人に与えるもの、あげるものが何もない。だからせめて、心をあたたかくするような、心を安らげるような『言葉』をあげたい。それならいくらでもあげることができるから」 

良寛さんは、自分の口から出てくる言葉を 

・あたたかい言葉

・やさしい言葉

・思いやりに満ちた言葉

にしたいと思っていたようです。

日本の神道には「言霊(ことだま)」という概念があります。 

「言葉には神が宿っている」という考え方ですが、私たちは、普段、使っている言葉のひとつ一つに、相手に大きな影響を与える力(神)が宿っていることを、忘れていたのかもしれません。

京都に、空也上人(くうやしょうにん)の木像があります。木像の口から細い板が出ていて、その上に、小さな仏様が何人も立っています。


説明によると、「空也上人の口から発せられるひと言ひと言が、すべての人を救いに導く『仏』であった」というのです。私はこれまで、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言うことは、「悪臭を放つ花の種を蒔(ま)くこと」と同じだと考えていいましたが、

一歩進んで、自分の口から発せられる言葉をすべて、

・あたたかいもの

・勇気づけるもの

・安らげるもの

・幸せを感じさせるもの

・喜びを与えるもの

にできたらと思います。そうすれば、「芳香(ほうこう)を放つ花の種を蒔く」ことにもなるでしょう。

「悪臭」の中で生きるか、それとも「芳香」の中で生きるか…

芳香の中で生きるほうが、楽しそうです。

 「言葉には『神』が宿っている」という考えは、「言葉には『気』が込められている」という考えでもあります。だとすれば、人の心を明るくする気を込めたいものです。

人に対して「愛語」を考えるだけでも、生活が変わってくるような気がします。

<転載終了>

 

自分の口から出る言葉に少し気をつけて、良寛さんのように、

・あたたかい言葉

・やさしい言葉

・思いやりに満ちた言葉 

を口にしたいものですね。そうすると、その発せられた言葉は、神さまの波動を帯びていますから、必ず相手のハートの神さまも共鳴します。その結果、お互いの間に目に見えない良き共鳴現象が起き、美しいハーモニーを奏で、幸せになることができます。

私たちは、自分の心の中に在るものを、自分を取り巻く外の世界に見ます。また、自分の心の中のものが、口から出ます。ですから、自分の心に取り込むもの(見たり、聞いたりするもの)も

・美しい心の表現

・信じる心の表現

・優しい心の表現

・思いやり、助けいあいの心の表現

を見て、そして聞きたいものですね。そうすれば、同じもので、私たちの心は満たされます。

 

逆に、興味本位で(面白いからと) 

・人をけなすもの、おとしいれるもの

・人を疑う、疑心暗鬼のもの

・人を差別するもの、排除するもの

・怒りと憎しみに満ちたもの

からは遠ざかり、心に入れないようにしたいものです。それらのことを、もし面白いと感じたのなら、静かに心を振り返ってみてください。そこに邪悪なものは潜んでいないでしょうか? そうすれば私たちの心のバケツは美しいもので満たされることでしょう。美しいもので満たされた心は、それを表現しようとし、周りを幸せにすることでしょう。

そしてご自分自身も、世の中に美しい心の世界しか、見なくなることでしょう。




2021年7月19日月曜日

2397「大敬青空ひろば」2021.7.19

 今回は立花大敬さんの「青空ひろば」のワンデイ・メッセージを紹介します。


383 2021.07.15

苦しい状態を解消する一番副作用が起きにくい方法は、<時に身を任せる>方法です。

<時に身を任せる>とは、<解きに身を任せる>ことです。

現われた世界は、本当はもう過去で、ナイのですが、私たちが苦しい、つらいと<認めて>、つまり<見停めて>、そんな苦しい状態を持続させてしまっているのです。

だから、もうナイんだと信じて、心配せず、あせらず、自然な<解き(時)の流れ>に身を任せていれば、いつの間にか事態が好転していて気が付いて驚くことになります。

一気に好転というわけにはいきませんが、少々時間がかかっても、これが一番副作用がすくない「運命転換法」です。


382 2021.07.14

私が若い頃、松居桃楼(まつい とおる)先生に大きな影響を受けました。

松居先生のお父さんは松居松翁という有名な劇作家で、合気道の植芝盛平先生のお友達でした。それで桃楼先生は、幼い頃、植芝先生に入門させられたのです。

植芝先生はなぜか桃楼少年が気に入られて、一人だけ特別に指導されました。

どんな指導であったかというと、桃楼少年を正座させ、上から植芝先生が真剣をふりおろされるのです。それを避ける練習をくりかえすのです。はじめはおそろしいものだから、大きく身を避けますが、そのうち太刀筋が見えてきて、わずかな動きだけで避けられるようになるのだそうです。

盛平先生はなぜか、桃楼少年には合気道のわざを教えず、身を避ける練習だけをさせられました。

桃楼少年も子供心に不審に思ったのですね。それで盛平先生に『どうして、ワザを教えて下さらないのですか』とたずねたのだそうです。

盛平先生は次のように答えられました。

「わしは、小さい頃から人に勝ちたくて、勝ちたくてしょうがなかった。じゃから、世界一の武道家になろうと志を立てて修行したのだよ。

そうすると、ある日、天地合一して光いっぱいになって、自分と宇宙が一体となるという素晴らしい体験をした。その時に武道の極意が手に入って、それから何を思わないでも自由自在に技が湧き出してきて、それからは無敵なんだよ。

しかし、わしも、今にして思えば道をあやまったと思う。志の立て方がまちがっていた。

わしは、世界一の武道家になろうという志しかなかったから、あの天地合一の体験の時、その志は現実となったけれど、それ以上のものは手に入らなかった。

もし、若い時に、今思い続けているように、世を救いたい、人を救いたいという志を立てておれば、あの体験の時に、その力が手に入ったにちがいないのだよ。

だから君は合気道のわざを覚える必要はない。危険を事前に察知し、数ミリの差で身を避ける能力は必要だから教えておく。あとは、心の修行、精神的、宗教的修行をしなさい」とおっしゃったそうです。


381 2021.07.12 

教育者として一番大切なことは、学生(青年・若者・生徒)の志を養い育てること、大事にすることです。

<志(こころざし)>は<心指し>で、その若者の心が、僕はこの方向に行くんだよと指し示しているのです。

「心」が万物、万事の創造主なんだということは、もうご存知ですね。ですから、「心」がこの方向に行くよと指し示しているんですから、必ずそれは実現するのです。けなされたり、笑われたりして、思いくじけてしまわなければね!

ある人が高い志を持って、それを表明したら、その人の外見や、身分、資格、能力などから判断して、その志を否定したり、おさえたり、けなしたり、嘲笑したりしてはいけません。

純粋に、その志に感動し、感激して、その志に手を添え、力を添えてあげたという気持になれるのが本当の教育者です。学生の志をしっかり養い、育ててゆくのが教育者の第一番の仕事です。


380 2021.07.11 

私はいっぱい欠点を持った人間ですけれど、どうやら、欠点、欠点とずっと思ってきた心の傾向が役立ってきたから不思議です。

そんな欠点と思ってきた心の傾向があったからこそ、こんなに皆さんに共鳴してもらえる文章も書けるし、教育もできるのです。

今となっては、この欠点こそ財産で、これだけは欲しいとおっしゃっても、おゆずりするわけにはまいりません。


379 2021.07.10 

教え子のR君が発明した「過去のつらい思い出(トラウマ)を消す方法」です。

① 過去のつらい経験を思い浮かべます。

② その経験に対して、こんな風に語りかけます。

「ありがとう、君のおかげで僕はとってもいい経験を積むことができました。

君のおかげで、僕という人間は深みを増したようです。

他の人たちの失敗や悩みを許したり、思いやったりできるようになりました。

それらはすべて君のおかげなんです。とっても感謝しています。」

これから去ってゆく君に対して、ありがとう、そして、さようなら」

このように、過去の経験に対して感謝する心になると、過去のつらい思い出が解消して消えてゆきます。

一気には消えない場合もあるので、何度も繰り返してください。

法華経の末尾の文章は「作礼而去(さらい に こ)」です。意味は「礼をなして去る」です。

過去のつらい思い出に対してしっかり感謝礼拝すれば、心にあった「重荷」が解消して去ってくれるのです。「心の重荷」が居座ってなかなか去ってくれない時は、「作礼而去(さらい に こ)」と呪文のように繰り返して下さい。


378 2021.07.09 

どうやら私の場合は、二つのポイントを押さえておけば、目標地点まで飛べる(目標を達成できる)ようです。

一つ目は、自分の腕、能力を信じない。

もし、自分に力量があれば、もうとっくに世に出てバリバリ活躍しているはずです。

四十すぎまで、世の片隅でウロウロ、オロオロ何とか生きてきただけなんですから、自分には才能も、力量もないのです。その事だけは徹底的に信じられます。

ですから、自分の力で目標点まで行こうなんて、これっぽっちも思いません。

二つ目は、「大自然(神仏)」は善意でできていて、私の人生の歩みは、「大自然」の愛につつまれながらゆく歩みであると、心の底から信じられます。

そのように素直に信じられる自分がとてもうれしいです。これも「大自然」のおかげ、感謝しなくちゃ。

「大自然」にいつでも、何のためらいもなく身を任せられるのです。幼い子供がすこし高い処に立っていて、下のお父さん、お母さんの胸の中へ、何のためらいもなく、スーッと身を任せて倒れこんでくることがありますね。そんな感じで身を放ってゆけます。

つまり、私の場合は、① 自分の力量に断念して、② 大自然の愛に身を放って、そして目的地に飛ぶのです。だから、私の姓は「立花氏」なのでしょう。つまり「断ち・放し」ですね。


377 2021.07.08

私が大好きな黒住忠公は次のように語っておられます。

『ひとくちに申せば、<常祓(じょうばらい)>という事をお忘れなく、これを生かしてお使いになるより外に道はないと思います。寝ても覚めても「御心のはらい」一筋です』

そして<常祓>を説明しておられますが、それによりますと、心にくもり(怒りや恐れや自分には出来そうもないという弱気の思いや…)が生じたら、その瞬間に息をフッと強くふき出して、そのひと吹きで心のくもりを吹きはらってしまう方法です。

これはなかなか有効な方法です。

何か人生の目標があって、そこに向うのを妨げるような自己制約の不安な心がわいてくれば、思い切りよく、フッとひと吹きして、その雲霧をはらってしまえばよいのです。

ついでに、この『フッ』をロケット噴射に見立てて、目標まで一気に飛んでしまいましょう。


375 2021.07.05

すべて物事は、まず<心の世界>で先に出来上がり、やがてそれが<形の世界>に現われてきます。

「原因」は「心」にあり、「形」は「結果」にすぎません。

「形」となって現われたものは、時の流れとともに、やがて「消え去って」ゆきます。

現在、日本はとても「厳しい冬の時代」を迎えていますが、それは「形」の上の事、「結果」にすぎません。おのずと「流れ去ってゆく結果」にすぎません。

「形」の上の事に、一喜一憂することなく、「心の豊かさ」をしっかり養いましょう。

<心の世界>に、<原因の世界>に、まず「春を呼び込む」ことにしましょう。


374 2021.07.04 

「生命」には本来、時間も、空間も、数量も、大小も、上下もないのです。

それを「差取り(さとり)」といいます。

ですから、「生命」は本来悟っているわけです。

そんな自由で変幻自在な「生命」が、自らの演技を楽しむため、その舞台装置として、時間、空間、数量、大小、上下、自他などをつくり出したのです。

そんな自らがつくり出した装置なのに、それを忘れてしまって、自ら引っかかってしまって、自己制約(自らを幻想の鎖で縛ること)の足かせにしてしまっている人が多いのです。

自己制約の幻想にだまされているなと気が付いたら、『時間なし、空間なし、数量なし、大小なし、上下なし、自他なし、我はイノチなり、光なり、大自在者なり』と、堂々と宣言しましょう。


373 2021.07.03

キリスト教やユダヤ教やイスラム教では、神と悪魔・魔物は相容れない存在ですね。神側と悪魔側でヤルカ・ヤラレルカの戦いになるでしょう。

でも、日本神道では、禍やケガレや罪でさえ、その存在を受け入れ、許し、神としてお祀りしてしまうんですよ。フトコロが深いんです。

そして、お祀りした「厄病神」様に心を込めて日々奉仕していると、やがてその祟り神様も御心を和らげてくださり、ついに味方になって下さるようになるんだと日本人は自然に思えるんです。人に祟るほどの強い神様なのだから、いざ味方になっていただければきっと強力な守護神となっていただけるはずだと自然に思えるのが日本人なのです。

つまり、「禍津日(まがつひ)」を、受容と許しと誠意によって「真輝集霊力(まがつひ)」に変えることが出来るのです。日本人には本能的にそんな高等なワザが使えるのです。

これは船井幸雄先生の「包み込み」の発想ですね。船井幸雄記念館のホームページには「包み込み」を以下のように説明しておられます。

「船井流の『包み込み』とは、善も悪もひっくるめてすべてを受け入れてしまおうという発想です。好きな人やよい物を受け入れるのは簡単ですが、嫌いな人やよくないものも肯定して自分の内に取り込むことで、毒をも薬に変えることができます。この発想で、人生も経営もうまくいくようになります」


371 2021.07.01 

始めは、いろんな神社に参拝して、自分にふさわしい神様を捜してください。

しかし、いったんこの神様を信じると決めたら、もうフラフラしないで、その神様にあなたの人生のすべてを相談し、お願いしてゆきましょう。

あなたがお願いしたことが、その神様の手に負えないものだったら、必ずその願いにふさわしい神様を紹介してくださいます。家庭医が専門医を紹介してくれるようなものなので心配いりません。とにかくこの神様と決めたら、その神様にとことんついてゆきましょう。

こんな神様についていっていいのだろうか、ちっともおかげがないなどと不満タラタラで、あっちの神様、こっちの神様と渡り歩いていたら、ちっとも開運なんて出来ません。「スピリチュアル難民」などというコトバもあるそうですね。そうならないように…。

禅の方でも、あっちの師匠、こっちの師匠と道場を渡り歩いて、あの師匠はどうで、あの師匠はこうで…とすっかり情報通になっている雲水さん(禅では修行僧を雲水という)がいますが、そんな雲水さんは決して大成出来ません。

ある師匠に従うといったん決めたらその師の言われるままに(人間ですから完璧な師匠なんていません。妙なクセや欠点を持っておられたりします。神様だって同様です)、それでも文句を言わずに師の指導に従って行じてゆくというような、地に足が着いた、コツコツ実践してゆく地味めな雲水さんが大成するのです。


369 2021.06.29 

龍神さまは、「気」の循環の調節を司ります。

その役割の対象は、自然界の海流、大気、風、四季の循環などや、大地の中の「気」の循環(龍脈)、小さいところでは人体の中の経絡中での「気」の循環などもそのお役目の対象となります。それから、動物界の食物連鎖や人間界のお金の流通なども対象に入っています。

 正常な「気」の循環を促し、どこかで流れが滞った場合は、その通路を切開するという思い切った手術もされます。

ですから、龍神さまの気に入ってもらうには、「気」を滞らせるような行為は慎まねばなりません。

エゴで利益を独占したら(罪=積み)、その下流の人たちにお金が届かなくなって、その人たちに「穢れ=気枯れ」を発生させてしまいます。

そうなると、龍神さんは、「気」の流れを止めてしまっているエゴの人を罰して排除しなければならなくなります。


368 2021.06.28 

やさしく肌をなでる風、激しく荒ぶる風にしっかり注意を向けて全身で受け入れる気になると、いつの間にか「変化」を察知する能力が身に付きます。

これから日本や世界の「風」はどの向きに吹いてゆくのか本能的に分かり、その方向を先取りして動けるようになります。危険を察知したり、成功の道を知ったりできるようになります。

激しい風にあえて身をさらすと、運命を一気に転換できる場合もあるのです。杉尾常聖先生の『ツキの呼び込み方』(主婦の友社)にその実例が紹介されています。


367 2021.06.26 

たまには、ハダシになってじかに大地に触れる機会も持ちましょう。

また、大地上に(芝生の上でもよい)身を横たえたり、坐禅したり、ゴロンゴロン転がってみるのもいいと思います。

ゴロンゴロンと大地上で転がると、「ウツ病」が改善する場合があると何かの本に書かれていました。

このようにして「大地神」と親しくなると、「場所」や「方向」に関する感覚が磨かれます。『この「場所」は自分にとって危険で、生命力を消耗させる所だ、ここに留まるのはやめよう。ここは自分の生命力が自然と充電される、元気が出る「癒しの場所」だ。しばらくここで休むことにしよう』などということが本能的に分かるようになります。この大地のセンサーを磨いて、大地の底の水脈や温泉脈などがその上で歩くだけで分かるようになった人もいます。

また、危険な道(進路)、安全な道(進路)が本能的に分かるようになって、事故や破滅から救われるということも起こるようになります。


366 2021.06.25 

日本は不思議な国で、世界中のすべての気が、人が、神が、神話が集まって来るところなんです(地球全体の龍穴にあたる)。

たとえば、現人類はアフリカで発生したことが遺伝子の研究で判明しているそうなのですが、現在ではさらに研究が進んで、アフリカでは3通りの人類が別々に誕生して世界中に広がっていったんだと分かってきたそうです。

そして世界中の各地域の現在の人類の遺伝子を調べたところ、どの地域の人もそのアフリカ起源の3通りの人類のうち、1種類か2種類がその地域まで移動してきたということが分かるけれど、日本人の遺伝子を調べると、3種類すべての遺伝子を保有しているのだそうです。

つまり、日本にはどの系統のアフリカ起源の人類もたどり着いている。人がやってきたということは、その人たちが信仰していた神々も日本にやって来て祀られているということですね。

そして、多様なものを一つに融合・一体化して、その調和の精神や仕組みを世界に発信するのが日本(大和)という国の使命なのです。


364 2021.06.23

松下幸之助先生の逸話です。

先生がナショナル(今のパナソニック)の本社を新しく建設したいと、易学の大家に相談されたのです。

すると、その易学の先生は、「その方角は鬼門で、そこに建てると苦労するからやめなさい」と助言したそうです。

先生は一晩寝て考え、「苦労するぞと言われたんだったら、自分はひとつ、その苦労をしてみようじゃないか」と決心して、結局本社を、その地に建設することにしたそうです。それが、現在の門真にある松下電器(パナソニック)の本社です。

だいたい、大阪から京都の方角は鬼門とされてきました。

ですから、その方向に路線を持つ京阪電車の沿線は発展が遅れたのです。門真はこの京阪沿線にあるのです。

鬼門を嫌うのではなく、「鬼門だから一生懸命やろう」と覚悟を決めれば、必ず鬼門の神さま(金神さん)が愛してくれ、援助してくれるようになるのです。


363 2021.06.22

神事を熱心に行ったり、私の本を克明に読み込んで実践していらっしゃるのになぜかうまく人生は歩めていないという人も中にはいらっしゃいます。

そんな方の話をよく聞いてみると、自分や家族か親戚か職場の上司などを憎んだり、あるいは否定したりされている場合が多いのです。

ある対象への憎しみなどに心を固着させていると、心のゴムひもは絶えずあなたをその「憎悪地点」に引き戻そうとするので、あなたは希望に満ち、可能性に溢れた未来へ、思うまま自由に進むことができなくなってしまいます。

ですから、開運するためには、開運のためのテクニックを実践する前に、まず自分を許し、人を許し、世界を許すことが大切なのです。

それで、聖書(「マタイ福音書」)には、「もしあなたが祭壇に供え物をして祈ろうとしたとき、兄弟との間にわだかまりがあると思い出したならば、供え物は祭壇に置いておき、まずその兄弟のところに行って和解し、それから帰って来て供え物を奉げよ(そうすれば、祈りは神に届く)」とあります。



2021年7月18日日曜日

2396「長編映画の主人公」2021.7.18

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2020年11月12日「神の手のひらの地球劇場」と2021年07月12日「長編映画の主人公」の2つの記事を紹介します。


「長編映画の主人公」


宇宙の「理」の一つである、人生はシナリオどおりは、深刻な問題を抱えていらしたり、

思い悩んだり、苦しんでいらっしゃる方にとっては、本当に優しい神さまの計らいだと思います。 

小林正観さんの分かりやすい説明を転載します。

「人生」=「自分が主人公の映画」と思えれば、どんな事件も楽しめる というお話です。

<転載開始> 転載元


テレビがなかった時代につくられた映画より、現代の映画は、よりスペクタクルに、よりスリリングに、よりドラマチックになっている気がします。

ところが、私たちの身近には、「もっと楽しく、ドラマチックで、スリリングで、ダイナミックな映画」が存在しています。

その映画は、ストーリーが波瀾万丈で、次から次に事件や出来事が起きて、ラストシーンの予測がつきません。

登場人物は、一人ひとりがじつに個性的で、おもしろく、楽しい人たちばかりです。

さらに、その映画は、フルカラーの「立体映画」です。

湯気の立ったおいしそうなコーヒーを飲むこともできるし、みずみずしいフルーツを手に取って食べることもできる。美しい山を登ることも、美しい海を泳ぐこともできます。

映画の主演も、監督も、シナリオ(脚本)も、すべて「自分」です。

映画のタイトルは『わが人生』。鑑賞料金は、「無料」です。

この映画は、長編映画で、「自分」の寿命が尽きるまで展開します。

もし、寿命が90歳だとするならば、30歳の人はあと60年、40歳の人はあと50年、50歳の人はあと40年続きます。眠るとき、「今日の分」の上映が終わります。 

目を閉じると「続く」と出て、翌朝、目を覚ますと「続き」がはじまります。

(注:眠っている間は、覚えていませんが、人生舞台から離れ、神さまのもとを訪れたりしているようです)

この刺激的で楽しい映画を、さらに楽しくする方法があります。

その方法は、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言わないこと」です。

「偶然」の出来事も、じつは偶然ではないらしい。

自分が生まれる前に、「自分でシナリオを書いてきている」ようです。

目の前の出来事に納得できなくても、「自分の書いたシナリオ」である以上、誰かを恨んだり、呪ったり、感情的になるのは筋違いだとわかります。

「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の5つを、私は「5つの戒め」として「五戒(ごかい)」と呼んでいますが、「五戒」を口にしないで3ヵ月から6ヵ月すると(個人差があるようです)、宇宙から「これをしてください」という提示(人からの頼みごと)が届くようです。

この宇宙の提示を素直に受け入れるようにすると、映画『わが人生』は、これまで以上にダイナミックに、楽しく、急展開をはじめるらしいのです。

今までの自分の映画には登場していなかった、不思議で、魅力的で、ミステリアスな人たちが次々とあらわれるようです(急展開もじつはシナリオ通りなのですが……)。

この急展開を拒否しないで受け入れていくと、肉体的にはきつく、忙しくなるのですが、

悩んだり苦しんだり迷ったりすることがほとんどないため、毎日がワクワクの連続です。

そして、「今日はどんな人が現れるだろう」「今日はどんな事件が起きるだろう」と楽しんでいるうちに、いつの間にか、社会の中で、ある種の「役割」をこなしはじめている自分に気づくようになります。

優秀なシナリオライターであれば、後半の人生は、もっと劇的でもっとおもしろいストーリーを用意しているはずです。

物事を「好きだ」「嫌いだ」で判断しないで「宇宙の提示」に乗るようにすると、楽しくて素晴らしい「40年映画」「50年映画」「60年映画」が展開しはじめるようです。 

<転載終了>

 

正観さんが仰るには、

未来は、 すべて自分のプログラムの中にあって、もともと決まっている。どうも私たちは、自分の頭のなかに 一生涯分のデータが入っていて、自分の日々の暮らし振りがインプットされている。日々の暮らしは、それを単に読み取っているのが”今” らしいのです。

と言われます。

そしてこんなことも仰います。 

「達成目標や夢や希望も どうも 無くていいようです。

“持ってはいけない”と言ってるのではなくて、それに執着してしまうと、とても辛いものになるということです。

夢や希望というものは“どうしても叶えたい”というよりも、“叶わなくても それはそれでよし”と思う方が、楽に生きられますよ ということなんです。

人がどんな時に、達成目標を持つかというと、

・今の自分じゃいけない

・このままじゃダメだ

・さらにもっと 

と感じているときではないでしょうか。

ですが、それは 今の自分を否定していることになりませんか?

人間は何のために生まれてきたのでしょう。

それは 幸せを感じるためなんです。

幸せを感じるために高い達成目標が必要なんでしょうか?」 

確かにそうですね。

今の自分を否定すると言うことは、自分の書いたシナリオを否定すると言うこと。 

相談に乗ってくださった神さまを否定すると言うこと。。

つまり宇宙の流れに逆行する生き方です。

夢や目標に執着してしまうと、とても辛い人生になってしまいます。

人生の流れに任せ・・つまり自分の書いたシナリオを信用し何が来ても、全てをおおらかな心で受け入れて、不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句など口にせず、感謝の心でいたら、

どんなに素晴らしい人生が開けて行くでしょうか? 

自分で書いてきたシナリオのストーリーは何の滞りもなくスムーズに流れ、 

宇宙と神さまの援護射撃の基に素晴らしい人生を送ることができるでしょう。


「神の手のひらの地球劇場」


私たちは、様々な経験をするために自ら希望して地球に生まれてきました。

自らが希望する人生を送れるように、両親を決め、将来で会う方々と配役を打ち合わせ、

神さまの承諾のもと生まれてきました。

勝手に親が生んだわけでは決してありません。悩みや、苦しみ、心の中のトゲは誰にでもあることです。ブッダにさえ、強力な敵役がいていつも悩ませてきました。 

悩みや苦しみを通じ、私たちは考え、いろんな行動を起こします。

時には、悲しみ、苦しみの涙を流し、人知れず布団の中でのたうち回るかもしれません。

ですが、そのような心を削るような経験があるからこそ、私たちは、魂を輝かすことができるようになっています。何の悩みの無い、平々凡々の生活からは魂の向上は望めません。

私たちに、悩みや苦しみをもたらす者、状態 

それらは、確実に、私たち本人に対し、まっすぐに向かってきています。

どこかの他人のとばっちりを、たまたま受けているわけではありません。

歓喜の魂を持つ人たちです。


神々に許されて、生を受け、私たちに対し、そのような役割

悩み苦しみをもたらす存在としての役を負って生まれてくださいました。

本来の神々しい性格に戻れることでしょう。

悪そのものである魂は神さまから転生を許されていないからです。

心にまとった鎧を脱ごう。どんどんどんそげ落とし、最後に残ったものが、本当の私達の心

もう身を守ろうとする必要もない

自分を高く見せつける必要もない

自分の弱みを見せても構わない

自分に足らない所は人に頼れば良い

寂しさを紛らわすために、無理して友達ごっこをする必要もない

会いたくない人とは会わなければ良い。

誰かの行為に文句を言う必要はない、そっと離れればよい

気分が悪いからと、嫌みを言う必要もない。

昔の恨み事など、もうすっかり忘れよう

楽しかったことだけを思えておこう、

笑顔だけを覚えておこう。

要らない虚飾を全て落としてしまった私達の心は、ピュアで希望に満ち、

生まれたての赤ちゃんのように光り輝いているに違いない。

何故なら私たちは、そういった場所から地球にやって来たのだから。

ただ忘れているだけ。魂はしっかりと覚えている。

この不自由な「忍耐の星」と言われる地球に適合しようと、知らず知らずに身に付けた鎧たち。もう脱いでも良い頃かもしれない。

2万6千年も続いた このカリユガの時代は終わろうとしているのだから。

時代の大きなうねりが、心の鎧を脱ぐのを強力に後押ししてくれている。

ブラフマー、ビシュヌ、シヴァ、それぞれが象徴する、創造、維持、破壊

ブラフマーが活躍するにはシヴァの破壊が必要である、でもそれは夜明けが近い証拠。

私たちの心は巨大で宇宙さえも、その中に内包している。 

だからこの世界でどのような破壊が起ころうと、それを乗り越えることはたやすいこと。

地球で宇宙劇を一所懸命演じている最中は解らないけれど、この劇の脚本を書き、演出し、出演しているのは私たち自身。

希望こそが、闇を照らす一筋の光、どんな闇夜であっても、希望だけはなくさないでいよう。

全ては 大丈夫。ラストOKなストーリを、自分で書いて生まれて来たのだから。

出口王仁三郎が予言をした通り、2010年からの30年、人間の精神性に関する立替え・立直しの時が始まっています。神々による「人間の精神性の復活」のための破壊(建て替え)は既に終わりました。今は、人々の「心の復活」 による立て直しの時期です。

神々の計画通り、私たち人間の心が持つ偉大な力に、気付く人たちが増えてきました。

私たちの幸せは、 

・他の人によってもたらされるものではなく、

・不思議な力によって外からもたらされるものではなく、

・何かの物によってもたらされるものではなく、

私たち自身の心の在り方を変えること、自分の心によってのみ、得ることができるのだと、気付く人たちが増えてきました。 

それには何か特別な力を必要としません。誰かに依存し、頼る必要もありません。

お金も必要ありません。ただ私たちの内側に居らっしゃる、神さまの声に耳をすませるだけです。心の中の真心を信じるだけです。 

皆様が内なる神さまに気づき、お幸せになられますように。

 


 

2021年7月17日土曜日

2395「神道のこころ」2021.7.17

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年07月13日の記事を紹介します。


「神道のこころ」


日本神道の最上位「浄階」まで行かれた元春日大社宮司、そして形成外科の草分けだった

葉室頼昭さんが仰るには・・・

日本に古くから存在した神道は、宗教ではありません。


葉室さんの著書では心や、徳、縄文から続く文明の観点から、キリスト教や仏教と言っても、神道は「神教」とは言わない・・と言う意味で書かれています。


確かに明治時代の神仏分離をきっかけに出来た数多くの教派神道は、大きなくくりとしては神道。ですが組織・団体としては固有の名前が必要ですから〇〇教を使用しています。

  

とのこと。その理由は仏教やキリスト教、スラム教のように神道は「教」と言う字が付きません。茶道や柔道、華道、弓道などと同じように「道」という字が付けられています。 

これは、神道が宗教ではなく、「道」すなわち、日常生活の中で、心や、徳と言うものを重んじ実践の中で身に着けていくものだからです。 

従って、教祖も教義もなく、自然の中に、自分をはるかに超える神聖なものを見出そうとするものです。

神道の考え方に、「全てのものに神が宿る」という前提があります。山だろうと川だろうと、食べ物だろうと、道具だろうと、すべてに神が宿っているという考え方です。

そして、一番重要なことは、「自分の中に神さまがいる」ということです。 

日本における縄文時代は、1万5千年も続いた、世界に例を見ない、幸福な時代でした。 

縄文時代の遺跡には紛争の形跡がないそうです。

どうして縄文人は争いをしなかったのか、それは、縄文人は自分の外に「神」を作らなかったからです。

「神さま」は人それぞれの「自分の中にある」と信じ、お互いの「神さま」を尊重しあったからです。

自分の「神さま」が尊重されるには、相手の「神さま」を尊重しないといけません。

このように、すべての対象のうちにある「神」を尊重し、さらに自分のうちにある「神」に感謝するのが、神道の基本的な考え方です。

 

レインボーチルドレンのそうた君が言うには 

私たちの住んでいるこの宇宙では、日本と、もう1つ別の惑星が「宇宙の天国」と言われているのだそうです。

日本は、宇宙中で、たった2つしかない「宇宙の天国」の1つなのだそうです。 

日本人だけをピックアップして別の星に連れて行き日本人だけの星にしたら、目覚ましく成長する惑星になるのだそうです。逆に地球から、日本人をごっそり抜いてしまったら、地球は「愛の星」ではなくなるのだそうです。 

それほど日本人と言うのは、「和をもって尊しとする」神々に近い愛の国でもあります。


「私は無神論です」と公言することが、 

・かっこ良いこと

・私は何物にも頼らない自立した人間

だとと勘違いし、自分の中に神様を認めなければ、決して相手の心の内の神様も認めず、 

尊重も、敬うこともせず、思いやりも持たず殺伐とした人間関係が構築されることでしょう。

これは、ブッダやイエスが生まれるはるか以前のお話です。 

ビッグバンによって今回の宇宙が誕生したのが150億年前。35億年前に地球に生命体が生まれ、その情報は全ての生物に受け継がれていると言われています。

それらは神様が作ってくださったDNAを介して行われます。

元春日大社の宮司、葉室さんは、こう仰っています。

<転載開始> 転載元

 

日本人の祖先とは、日本人の共生という、自然と一つになるという生き方を始めた人たち。

そして日本語という言葉を通して、お互いこころが通じ合うようになった人たち。

我々と共通の生活習慣を始めた人を日本人の祖先というのではないでしょうか。

遺伝子学的では、そういう祖先の記憶が我々の遺伝子にも入っているのです。

それをフルに活用していくということがいのちを伝えるということであって、 これが民族が栄えていく本当の道ではないかと思います。世界広といえども、日本人のように祖先の祀りを常に行う民族というのは、数少ないようです。

その一つの理由として、この日本列島というところに長年住んでいるうちに生まれた

自然と共生するという生き方からきたようです。 

この共生というのは、一緒に生きようというのではなく、一つになろうという生き方です。

これが原点になって、そこから神様や祖先に生かされていることに感謝するという生活が育まれてきたと思うのです。 

また、神社にはいろいろな神様がお祀りされています。

過去に実在していた方もおられるし、また高天原におられた天の神様もいらっしゃる。

こういう神々も全て繋がっている。

医学的に見れば、祖先からの遺伝子というものが我々の体の中に入っています。

何もしなくても働く遺伝子もありますが、中にはこちらから一生懸命働きかけなければ活動しない遺伝子もあります。

つまり、祖先に感謝するとか、そういうことをしないと働かない遺伝子もあるわけです。

常に祖先の祀りをすれば、祖先から受け継いだ遺伝子が目覚め、その働きによって我々も健康で幸せな生活を送ることができるのです。

遺伝子学的な観点から見れば、祖先のお蔭で生かされているということは事実です。

この恩に感謝するということは当たり前のことなのです。

<転載終了>

 

・自分や、他人の中に神様を見ること、

・神々や、祖先に感謝し、受け継がれたDNAを開花させて生きること 

ともに重要なことですね。 

病気を治したいなら、この身体を延々と受け継いでくださった祖先に感謝することが大切と言われています。私たちの身体の、各部分は、それぞれ個別に、ある特定の祖先の方に繋がっていると言われます。

それがどなたか? 素人では知ることができないので、やはり、母方、父方それぞれの祖先全体に感謝することが大切のようです。

神さまは、どこにでもいらっしゃいます。

特に私たちのハートの中に居らっしゃいますので、私たち人間の営みの中で、 

・愛、

・優しさ、

・いたわり

・共感

・真心 

それが発揮された時、そこに神さまの働きが必ずあります。

人々の中に、その姿を見た時、その時こそ、私たちが、神さまの姿を見た時です。 

神さまは何も、キラビヤカな格好で現れるわけではありません。光り輝く姿で現れるわけではありません。羽の生えた天使の姿で現れるわけではありません。 

むしろ、平凡な人々の日常の営みの中にこそ現われてくださいます。

・私は神さまと繋がっている

・神さまからパワーを頂いている

・前世は人のために尽くした偉い人だった

そんな人の所には現われません。 

平凡な私たちの日々の暮らしの中にこそ神さまは、姿を現してくださいます。 

・その感受性を磨くこと、

・人に依存したり、頼らないこと

・感謝の気持ち、

・お互い様、おかげ様の気持ちで生きること

そんな生き方こそ、神さまが望んでいらっしゃる、私たち人間の生き方ではないでしょうか。

その道こそが、平凡な毎日の中で、平凡に暮らす、何も持たない私たちが神さまと繋がり、幸せになれる道かもしれません。


 



 

2021年7月16日金曜日

2394「神々が望むもの」2021.7.16

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年07月11日の記事を紹介します。


「神々が望むもの」


私たちは、肉体が自分自身だと思っていますが、同時に本体である魂は、多次元に住んでいます。

多次元とは、肉体の無い世界、物質世界を包括している

非物質の世界(黄泉の国)でも、同時に存在しているということです。

就寝してしまえば、意識は肉体の縛りから離れ、非物質の世界にフォーカスを移すことができますから、黄泉の国と言うよりも、非物質世界を自由に行き来しています。

目覚めると、再び物質次元にフォーカスされますからその時の記憶はありません。

記憶とは、ステート・スペシフィック・メモリー。

つまり「状態特有の記憶」だからです。(心身が同じ状態の時に思い出される記憶)

私たちは、どの次元に意識をフォーカスさせるかによって繋がる次元が異なります。 

高い波動(意識)状態であれば、神々の世界に繋がるでしょう。

また意識の状態によっては、僧、源信の『往生要集(おうじょうようしゅう)』の描いたような地獄霊たちの世界や、修羅の世界に繋がることでしょう。 

・人を憎んだり、恨んだり

・嫉妬したり

・悪口、告げ口、揚げ足をとったり

そのような心でいては生きていても死後も、心と同じ世界に繋がることでしょう。  

私たち人間は生きている間は、見えない世界はわからないために、

自分と繋がっている世界が、唯一で、かつ真実なものとみなしてしまいます。 

ですが、一人一人の波動が異なるように、繋がる世界も千差万別です。

私たちが繋がる世界、つまり私たちの波動を決めるのは、私たちの心の状態です。

心を澄ませ、日本固有の素晴らしい文化、DNAに刻み込まれた性質である、共生と感謝の心 

を取り戻せれば、きっと、高い波動領域にフォ-カスすることができることでしょう。

この美しい日本の文化を作り上げるために神々は何億年もの歳月をかけました。 

最初のビッグバンから数えれば150億年かかりました。

私たち日本人は、生まれながらにして縄文の先祖たちから受け継いだ、この素晴らしきものを持っています。

ブッダが2,500年前に悟った時、一番最初に気づいた宇宙の法則は縁起の法則であったそうです。 

この縁起の法則こそ、私たち日本人が縄文の昔から、既に持っていた心(共生と感謝の心)なのでした。

宇宙にちらばる生命体は、地球にあこがれ、転生を望みます。

地球転生が約束された魂は、日本への転生を熱望します。

まさに、日本人のDNAの奥底に、この神々に直結する美しい心があるからです。 

私たちは、何度も何度も転生を繰り返し、外国に生まれもし、そして今はこの日本に生まれました。ですので私たちだけが偉いわけではありません。

私たち日本人は、ずっと何万年もみんなで仲良く、助け合い生きてきました。 

共生してきたのは、

・人間同士だけではなく

・自然

・黄泉の国に帰った人

・そして神々でした

こんな民族が地球上にいるでしょうか?

3万年前の氷河期、この時今よりは海面は100mの下にありました。 

このため、日本は大陸と陸続き、色んな民族が混ざり合いました。 

そして、2万年前、地球の温暖化が始まると氷が解け、海面が100mも上昇し、日本は大陸から分断されました。

その結果、島国となり、大陸で頻繁に起こった侵略戦争などは無縁のものとなりました。

平和な時代が1万年以上続きました。 

また、日本は4つのプレートが交わる地域にあります。

(神々が、世界の中に日本と言う文化を作り上げるために、あえてそうしたからです)


 ・北米プレート

・ユーラシアプレート

・太平洋プレート

・フィリピン海プレート 

そのため、その沈み込む圧力で沢山の山脈ができました。

その結果、川が出来、清浄な水が豊富な国になりました。 

また緯度の関係で、日本には美しい四季が生まれました。 

自然の緑の美しさ 秋の虫の音色 私たち日本人は、これらを愛でる心が生まれました。

外国には無い物です。

(単なる雑音に聞こえるそうです)

(自然や動物は、共生ではなく、支配するものとされました)

まさに、多くの転生の中で、日本人に生まれることは当たり前ではなく、有り得ないほど、ありがたいことです。 

今、ここ日本に誕生させていただいたことに感謝いたします。 

そんな神々に、私たち人間が恩返しできることはないでしょうか? 

神々は、何を喜ばれるでしょうか?

・お酒でしょうか?

・卵でしょうか?

・お金でしょうか?

それは、私たちの自分自身の波長によって繋がる神さまも様々ですから様々あるかもしれません。

ですが、神々の中の神様、大神様はどうでしょうか?

地球創世の神、国常立大神は何に喜ばれるでしょうか? 

きっと神さまが望むことは、私たち人間たちが

・素直な心で

・互いを思いやり、助けいあい、

・お互いさま、お陰さまの気持ちで

仲良く笑顔で暮らしていく そんなことではないかと思うのです。 

それこそが、神々が私たち人間に、一番望んでいらっしゃる心ではないかと思うのです。 

そして、その心こそが、神々のエネルギーの源泉であり、

神さまと人間たちが、共に幸せになる道だと思うのです。

・神さまから一方的に何かを頂いたり、

・不思議な現象を見せて頂き、好奇心を満たしたり、

・それを自慢し、人に羨ましがられたり、尊敬されたいと言う欲を満たしたり

・私は神さまと繋がっている特別な人と、周りの人を支配しようとしたり 

神さまは決して、そのようなことを良しとなさる方とは思えないのです。

神社に行くと必ず、神殿の中に鏡が置いてあります。

鏡は、私たち自身の ありのままの姿を映し出すものです。

神道の本質は「鏡」にあるとも言われています。

神社の社殿の鏡は、参拝する人自身の姿を映し出すとともに、

その人の自分の中にある神さま 

つまり、自分の本質、本当の姿を思い出し、自覚する場所でもあるからです。

鏡に映るのは、自分の中に居らっしゃる神さまの姿です。

この鏡の前に座り、敬虔な気持ちで手を合わせ、祈る時、神さまと私たちは繋がります。

そして、神さまの前に素直になった心そのもので自分の周りに居てくれた人たち

家族、友人、同僚 そんな人たちに感謝と、祈りにも似た気持ちで接することができれば、 

神々は喜び、今度はそこで、その場において私たちと神々のエネルギー交換がなされることでしょう。


 その時、私たちはきっと気付くはずです。  

・私が好きな人も

・私が嫌いな人も 

・私を好きな人も

・私を嫌いな人も

みんな、みんな大切な人だったと。かけがえのない人だったと。

溢れる感謝の気持ちと共に。 

私たちは、人の 嫉妬、やっかみ、悪意には鈍感でも構いません。

ですが、人の優しさ、温かさ、思いやり、愛情には敏感でありたいものです。

なぜなら、そこには、人間の心の中に神さまがいらっしゃるからです。

その心のことを 神さまと呼びます。 

あなたの繋がる世界は、どんな世界ですか? 

今のあなたの心は、どんな色をしていますか?