2023年1月19日木曜日

2946「神々が望むもの」2023.1.19

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年01月12日「神々が望むもの」と

2023年01月13日「神さまの作った仕組み」の2つの記事を紹介します。


「神々が望むもの」


新しい希望の世界に向けて、現在戦争やパンデミック、その他もろもろの悪しき現象が世界中で起こっています。 

まさに夜明け前の一番暗い闇の中ですが、明けない夜はありません。 

その全てが終わった後、地球の希望の灯として残されているのが、私たち日本人の大和心(やまとごころ)古き良き日本の縄文の心です。 

・例え武力はなくとも

・経済力は弱くとも 

私達には胸に秘めた大和心が存在します。

諦めずに、その心を呼び覚ますことこそが、美しき新たな地球の姿に繋がります。 

それでは今日も、その大和心を思い出すために、心のことを書きたいと思います。

 

古事記によれば、宇宙で一番はじめに現れる神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。 

ですが、すぐにお隠れになりました。

その後まもなく高御産巣日神(たかみむすひのかみ)が現れ、続けて、神産巣日神(かみむすひのかみ)が現れましたが、やはり同じようにすぐに姿を隠してしまいました。

この3柱の神を造化三神(ぞうけさんしん)と呼びます。

ちなみに斎藤一人さんについていらっしゃるのは

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)だそうです。 

天照大神や月読の尊、スサノオなどは、もう少し時代を下ってから生まれます。 

これら宇宙規模の大本の神々は何を望んでいるでしょうか? 

神道では、願い事は、神々を喜ばすのが先。 

喜んで頂けば、自然と願いをかなえてくださる。。 

そのような考え方をします。 

今流行りのパワースポット巡りのように 

・あれをしてくれ

・これをしてくれ

・お金を儲けさせてくれ

・病気を治してくれ

などの自分の欲が先・・という考え方とは正反対です。 


この喜んでいただくとは・・・ 

・神様にお酒を奉納することなのか?

・卵を奉納することなのか?

・美味しい肴を奉納することなのか?

もちろん、そういった形あるもので表現することも大切なことでしょう。 

ですが、神々の系譜の先頭の大本の神々(宇宙神)は、

・俺は龍神だから卵を持ってこい

・お酒を持ってこい、但し辛口が良いぞ

・ビックリするような不思議な現象を見せてやるぞ

・欲まみれのどんな願いもかなえてやるぞ

そんなことは決して言わないし、望んでもいないと思うのです。 

神さまが望むことは、私たち人間たちが

・素直な心で

・互いを思いやり、助けいあい、

・お互いさま、お陰さまの気持ちで 

仲良く笑顔で暮らしていく  そんなことではないかと思うのです。 

それこそが、神々が私たち人間に、一番望んでいらっしゃる心ではないかと思うのです。

だからこそ、宇宙神は、私たちの心の浄化を一番の喜びとされるのではないかと思います。

私たちの心の霧が晴れ、神々しい光が差し込んだ時、宇宙神は、小躍りして喜んでくださると思うのです。 

 

そして、その心こそが、神々のエネルギーの源泉であり、神さまと人間たちが、共に幸せになる道だと思うのです。 

・神さまから一方的に何かを頂いたり、

・不思議な現象を見せて頂き、好奇心を満たしたり、

・それを自慢し、人に羨ましがられたり、尊敬されたいと言う欲を満たしたり

・自分は神さまと繋がっている特別な人間と、周りの人を支配しようとしたり 

神さまは決して、そのようなことを良しとなさる方とは思えないのです。

神社に行くと必ず、神殿の中に鏡が置いてあります。 

鏡は、私たち自身の ありのままの姿を映し出すものです。

神道の本質は「鏡」にあるとも言われています。

神社の社殿の鏡は、参拝する人自身の姿を映し出すとともに、その人の自分の中にある神さま、つまり、自分の本質、本当の姿を思い出し、自覚する場所でもあるからです。 

鏡に映るのは、自分の中に居らっしゃる神さまの姿です。 

この鏡の前に座り、敬虔な気持ちで手を合わせ、祈る時、神さまと私たちは繋がります。 

そして、神さまの前に素直になった心そのもので、自分の周りに居てくれた人たち、家族、友人、同僚、そんな人たちに感謝と、祈りにも似た気持ちで接することができれば、神々は喜び、今度はそこで、その場において、私たちと神々のエネルギー交換がなされることでしょう。 

その時、私たちはきっと気付くはずです。 

・私が好きな人も

・私が嫌いな人も 

・私を好きな人も

・私を嫌いな人も 

みんな、みんな大切な人だったと。

かけがえのない人だったと。

溢れる感謝の気持ちと共に。 

私たちは、人の 嫉妬、やっかみ、悪意には鈍感でも構いません。 

ですが、人の優しさ、温かさ、思いやり、愛情には敏感でありたいものです。 

なぜなら、そこには神さまがいらっしゃるからです。

 

心の浄化が始まった時、神々の喜びとともに、大いなる幸せも続々と現れることでしょう。 

何故なら、人の心の浄化こそが、神々のなさる最大の奇跡だからです。



「神さまの作った仕組み」

私たち生きている人間にとって、

・美味しいもの食べたり

・高級な洋服着たり

・外車に乗ったり

・大きな家に住んだり 

・人の上に立って命令したり

・地位や名誉を得たり

・有り余るお金を得たり

それも楽しいことかもしれません。

 

ですが、その何万倍もの楽しいことがあります。

それは、誰かと一緒に笑いあえること。

それと比べたら、心の喜びと比べたら、物質的な喜びなど、たかが知れています。

そして、さらに・・・

・自分が存在することで

・自分の行いで、

・自分の言葉で

誰かが  

・元気付けられ

・喜び

・共に笑ってくれたなら

それは、何ものにも変えることができない、宝石のような、至上の喜びとなります。 

それが人間、生きとし生けるもの全ての生命体、神々が創造した者たち、全ての本性だからです。

自分の存在が、誰かの喜びとなる。

これ以上の喜びはありません。

人はだれでも、

・意地悪をする人も

・陰口をたたく人も

本当は、本当の心はみんな優しい・・・

 

そんな人でも、自分の心の中の良き部分、仏心を見つめられたら、

仏心が必ず顔を出します。 

きっかけは、感謝の「ありがとう」の言葉。

本当は、みんな優しくしたいんです。

それが人の本性だから。

・意地悪をする人、

・陰口をたたく人 

のどこかに小さな小さな感謝の種を見つけ、「ありがとう」と言ってみてください。 

みんな一瞬で、優しい人に戻ります。

これと同じことが宇宙空間や、人体中の小宇宙で起こっています。 

・全ての臓器

・器官

・メッセージ物質

・リンパ

・神経伝達物質などは

自分が自分がと自己主張することなく、

自分の個性を発揮し、自分の役割を果たすことで、

全て、周囲のために調和して働き、人体全体を維持します。

私たち個人は、みんなの幸せのために存在しています。

みんなで調和して、協力して、進化発展しています。

これが、神様が作った仕組みの根本です。 

 

大宇宙のマクロの中にも、人体の中のミクロの中にも同じ仕組みが、働いています。

私たち人間も、素直に、その流れに身を任せれば、宇宙の一員として、

宇宙の進化発展に貢献する者となります。


2023年1月18日水曜日

2945「生きていていいんだよ」2023.1.18

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年01月11日「生きていていいんだよ」と2023年01月15日「障害を持って生まれた訳」の」2つの記事を紹介します。


「生きていていいんだよ」

今日は「愛語」について実際にあったお話をご紹介します。

愛語と言うのはブッダの言葉です。

ブッダは、私たちが幸せな人生を歩む6つの道(善)を教えられています。

それは六度万行(ろくどまんぎょう)といわれます。

この6つの善いことのうち、どれか一つでも徹底して実行すれば、幸せになれる、 

と説かれているのです。

そして六度万行の一番目に挙げられているのが『布施』です。

その布施行の一つに

『和言愛語(わげんあいご)』があります。

和言愛語とは、和やかな笑顔【和顔】と、優しい言葉【愛語】とを施すことです。

さて、それでは実際にあったお話です。

曹洞宗長徳寺の住職 酒井大岳山さんのお話です。

<引用開始> 引用元

 

ある書道の時間のことです。

教壇から見ていると、筆の持ち方がおかしい女子生徒がいました。

傍に寄って「その持ち方は違うよ」と言おうとした私は、咄嗟にその言葉を呑み込みました。

彼女の右手は義手だったのです。

「大変だろうけど頑張ってね」と自然に言葉を変えた私に

「はい、ありがどうございます」と明るく爽やかな答えを返してくれました。

彼女は湯島今日子(仮名)といいます。 

ハンディがあることを感じさせないくらい勉強もスポーツも掃除も見事にこなす子でした。

もちろん、書道の腕前もなかなかのものでした。

三年生の時の運動会で、彼女は皆と一緒にダンスに出場していました。

1mほどの青い布を、左右の手に巧みに持ち替えながら、音楽に合わせて踊る姿に 

感動を抑えられなかった私は、彼女に手紙を書きました。

「きょうのダンスは一際見事だった。校長先生もいたく感動していた。

私たちが知らないところでどんな苦労があったのか、あの布捌きの秘密を私たちに教えてほしい」という内容です。

四日後、彼女から便箋十七枚にも及ぶ手紙が届きました。 

ダンスの布については義手の親指と人差し指の間に両面テープを張って持ち替えていたとのことで、「先生のところまでは届かなかったかもしれませんが、テープから布が離れる時、

ジュッという音がしていました。その音は私にしか聞こえない寂しい音です」と書かれてありました。

「寂しい音」。

この言葉に私は、心の奥に秘めた人に言えない彼女の苦しみを見た思いがしました。

十七枚の便箋に書かれてあったのはそれだけではありません。

そこには生まれてから今日まで彼女が生きてきた道が、綿々と綴られていました。

 

彼女が右手を失ったのは三歳の時でした。

家族が目を離した隙に囲炉裏に落ちて、手が焼けてしまったのです。

切断手術をする度に腕が短くなり、最後に肘と肩の中間の位置くらいから義手を取り付けなくてはならなくなりました。

彼女は、小学校入学までの三年間、事故や病気で体が不自由になった子供たちの施設に預けられることになりました。

「友達と仲良くするんだよ」と言って去った両親の後ろ姿をニコニコと笑顔で見送った後、

施設の中で三日間、泣き通したといいます。

しかし、それ以降は一度も泣くことなく、仲間とともに三年間を過ごすのです。

そして、いよいよ施設を出る時、庭の隅にある大きな銀杏の木にぽっかり空いた洞の中で、 

園長先生が彼女を膝に乗せてこのような話をされました。

「今日子ちゃんが、ここに来てからもう三年になるね。

明日家に帰るけれども、帰って少しすると今度は小学に入学する。

でも今日子ちゃんは三年もここに来ていたから、知らないお友達ばかりだと思うの。

そうするとね、同じ年の子供たちが周りに集まってきて、今日子ちゃんの手は一つしかないの?

なにその手?と不思議がるかもしれない。

だけどその時に怒ったり、泣いたり、隠れたりしては駄目。

その時は辛いだろうけど、笑顔でお手々を見せてあげてちょうだい。

そして『小さい時に火傷してしまったの。

お父ちゃんは私を抱っこしてねんねする時、この短い手を丸ちゃん可愛い、丸ちゃん可愛いとなでてくれるの』と話しなさい。いい?」

彼女が「はい」と元気な明るい返事をすると、園長先生は彼女をぎゅっと抱きしめて、声をころして泣きました。

彼女も園長先生の大きな懐に飛び込んで、三年ぶりに、声を限りに泣いたそうです。

故郷に帰って小学校に入った彼女を待っていたのは案の定「その手、気持ち悪い」

という子供たちの反応でした。

しかし、彼女は園長先生との約束どおり、

腕を見せては「これは丸ちゃんという名前なの」と明るく笑いました。

すると皆うつむき、それから誰もいじめる子はいなくなったといいます。

私が教室で愛語について話した時、

彼女は酒井先生は愛語という言葉があると黒板に書いて教えてくれたけど、

園長先生が私にしてくれたお話がまさに愛語だったのだと思います 

と感想を語ってくれました。

彼女はその後、大学を出て「辛い思いをしている子供たちのために一生を捧げたい」と千葉県にある肢体不自由児の施設に就職。 

いまでも時々、写真や手紙などを送ってくれています。

<引用終了>

 

私達の周りには色んな人が居ます。

いろんな個性の人もいます。

身体の強い人、弱い人もいます。

そして時々人は、他の人が、自分と違う。

何か違和感があると言うだけで、 

・差別し、

・排除し、

・時にはいじめまですることもあります。

これは悲しいことですが、厳然たる事実です。

その結果、傷つき、涙を流している人もいます。

そして、それを行った本人も、実は同じだけ傷ついています。

ご自分の良心に反する事をしたのですから、自分自身の神様の心が、それを良しとしないのです。

ですので、それを繰り返すと、自分自身の心がすさみ、結局、自分が不幸な道を歩むことになります。

そして、その不幸な道と言うのは自分だけでなく、身近な人にまで影響を及ぼします。

ですから、良心に反する行為と言うのは、あまり軽く考えていると、大きな落とし穴にはまってしまいます。

もちろん、それに気付いた時に、反省し、方向転換すれば、いつでも許され、元に戻れるでしょう。

神様は裁きませんし、愛そのものだからです。

私達は色んな個性が居る世界に生きています。

自分がそうして欲しいように、他人に対しても、その個性を認め、ブッダが言うように 

いつも、笑顔で、愛のある、思いやりのある言葉を使いたいものですね。 

みんなが そのままの、ありのままの自分でも、

生きていていいんだよって 

そう思える、優しい社会にしたいものですね。

 


「障害を持って生まれた訳」


今日は、障害を持って生まれた意味についてのお話です。

レインボーチルドレン、クラリオン星人の小学生の久松奏拓(ひさまつ・そうた)君のお話です。

以前レインボーチルドレンのまりなちゃんのお話を書きましたが、そうたくんも、まりなちゃんと同じく、まさにこの過渡期の地球を救うために神様から送り込まれたような子供です。

小学生とは思えないほど、知性が高く、まりなちゃんと同じように

宇宙の真理、神々の意思を語っています。

大切な部分かいつまんでピックアップしてみます。

・障害を持って生まれてくる。将来の障害を計画して生まれてくること

・それは凄い幸運なこと、喜ばしいこと

・障害を持って生まれてくる確率の方が大分低い

・障害という大変な経験をすることで、物事をいろんな角度から見れるようになったり

・他の人にはできない学びが一杯ある

・その苦労を分かっていて、その苦労自体を魂的に楽しむために生まれて来た

・いつも同じアイスだけど、今度は違う味に挑戦してみようかなど、結構軽いノリで選択してくる。

・でも、誰でもが、障害のある人生を選べるわけではない

・何度も人間を経験してきた魂だけ

・特別な契約をして、その予約が取れた時だけ、この人生を選べる

・この特別な状態を、何億人もが行列待ちをしている。

・障害を持って生まれてくること、将来の障害を計画して生まれてくることは、

 宝くじ1等に当たるくらいの確立しかなく、相当に喜ばしいこと

・それだけレベルの高い経験である

・だから、その状態を「かわいそうだな」と思わなくともよい

・障害を経験する計画を持って生まれてくる人は、

・他の人と比べて自分の力でいろんな経験ができる人

・その経験ができる人は、神様が選んでいる

・そして自分で納得し、特別な契約を交わし、生まれてくる

・その子の親となる人も、大変な倍率の中から選ばれた人

・その親になる人も、神様に選ばれてきた人

・何も知らない親は、自分を責めている人が多いけれど、

・その自分を責めてしまう経験でさえ、魂はわかっていて、求めて親になることを承諾してきた

・お母さんも、その経験をしたくて、予約して、やっと選ばれて生まれて来た

・その経験をお互いがすることで、魂の経験値が一気に上昇する

・親も、当事者の子供も、普通の人にはできない大きな「感情」を経験できる

・生きている間は、障害を選んで生まれて来た記憶はないけれど

・それが分かっていたら、最初から正解が分かっていたら、何の経験値も得られないから。

・でも、死んだ後、肉体を去って天国に帰った時に、そのすべての崇高な計画が理解できる

・生きている間、いろんな感情を味わいながら、

・泣いたり笑ったりしながら人生を歩んでいくことこそが、魂にとって、

・大切な経験値となる

・悩んでいること、チャレンジしていることが、魂にとっては楽しい経験となる

・魂にとって、その境遇を

・苦しむことも、楽しむことも、とっても大切な経験となる

・生きている間、私たちはこれらのことを全て忘れているため

・障害を楽しむという概念がないけれど、

・本当は、自分で望み、何億人もの行列を待って掴んだ大切な人生経験

・もう少し、その経験を楽しんでも良いのかもしれない

今度は違う味に挑戦してみようかなど、結構軽いノリ・・

 

私たちは、少し人生を重く考えすぎているのかもしれませんね。

・こう、あらねばならない

・そこから外れたら、負け、破滅

・物質的に豊かでなければならない

・高級なものを沢山持ち、ぜいたくな暮らし

・人の世話には絶対なってはいけない 

などなど。

ですが宇宙的な視点、神様から見ると少し違うようです。

人生で起こることに、良いも悪いもない

全ては、魂の経験 

地球でしか味わえない「感情」を通して、魂の経験値を上げていく、

ワクワクするような地球での経験

そんな経験がしたくて、私たちは地球にやってきた。 

ここ地球で起こる全ての経験は、自分と神さまで相談して決めてきたこと。 

神様は、私たちが生まれてくるときに

「楽しんでくるんだよ」って送り出してくれたこと。 

私たちは、生まれてから、肉体を脱ぐときまでずっと、守られていること。。

地球意識がそれを許してくれていること・・ 

私達に 大切な経験を与えてくれる、この地球で出会う、家族、友達 

・私が好きな人

・私を好きな人 

・私が嫌いな人

・私を嫌いな人 

みんなに感謝ですね。 

  

どうぞ、勇気をお持ちください。

神様に選ばれたのですから。

 

2023年1月17日火曜日

2944「神さまにお任せ」2013.1.17

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの 2023年01月10日の記事を紹介します。


「神さまにお任せ」

いま世界中で蔓延している、コロナウイルス。 

これによって引き起こされた現象は、不安で悲惨な物であっても、全ては神々の手による、世の中の建て替えです。 

その先の未来には、明るく美しい景色が広がっています。 

全て、神々のなさるに任せ、私たちにできることは笑顔で感謝の心で、周りの身近な方々と

助け合って生きていく・・ それだけです。 

さて、ブログで、よく 「神さまにお任せ」すると書きますが、

その具体的な意味を小林正観さんが書いていますのでご紹介します。

<転載開始> 転載元 


■ 宇宙に自分の運命を委ねる

私は

・事故に遭うこと、

・病気になること、

・死ぬこと、

・仕事に関すること、

・財産に関すること 

など全て 

・宇宙任せ

・神任せ

にしています。

「好きにしてください」という状態なのです。

あるところで、ある示唆や、暗示的偶然の重なりが必ずあります。

その示唆に対し抵抗しない。

「こうしてみたら」という宇宙的示唆を感じたらその通りにする。

生き方、仕事、全て、私はそういう「流れ」が感じられたとき、それが宇宙からの示唆だと思い、その示唆を指針としてきました。

宇宙からの「示唆」を素直に受け、自分の好き・嫌いなどという感情や価値基準は二の次にします。

「偶然」的なことが二つ以上重なったなら、きっとそこには何か宇宙的意志があるに違いない、それに素直に従う。

シンクロニティ、意味のある偶然、流れに乗り、そのままイカダで下って行くのです。

「宇宙的意志」が感じられたらそう動く。

「引っ張られる」という感覚でもあります。

宇宙に自分の運命や運勢を委ねてしまう。

宇宙的流れがどちらを示唆しているかだけを考える。

そしてそれに従って動く。

私はイカダを浮かべているだけです。

 


■ 災難を避ける方法

良寛和尚がある人から「災難を避ける方法」を尋ねられたとき、こう書き送ったと言われています。

・災難に遭うときは遠慮なく災難に遭いなさい

・病気になるときは遠慮なく病気になりなさい

・死ぬときは、遠慮なく死になさい 

それが災難を避ける最良の方法

災難も病気も死も、宇宙が色濃く関っているに違いないのです。

そういう分野のことは、「宇宙」や「神」にお任せしてしまう。

委ねてしまおうというわけです。

生きることが間違いなく楽になります。


■ 宇宙の声を聞く

今の職場をやめたいとか、今の人との結婚をどうしようとか、

そうした問題に苦しんでいるときは、よく耳を澄まし、よく目を見開くと、 

いくつかの現象が同じ方向を示しているものです。

その「宇宙の声」が分かり始めると楽しい。

さらに、素直に受け入れるほど、宇宙はどんどん「示唆」をくれるようになります。

自分の運命や運勢は「宇宙」に委ねてしまう。 

・生きること、

・死ぬこと、

・老いること、

・病気すること(生老病死の「四苦」 

・愛別離苦、

・怨憎会苦、

・求不得苦、

・五陰盛苦(この四つを加え「八苦」)

についての全てです。

実は、「宇宙」に委ねるとは言っても、その宇宙が示してくれる環境は

全て、自分が生まれる前に設計し、用意していたものなのです。

ですから、自分にとって悪いようにはなっていないのです。


■ 病気に感謝

ある合宿で、難病の人六人を含む十八人が集まりました。

その合宿は、結果的にその六人を中心とした「難病者合宿会」のようになりました。

私が感動したのは、六人が六人とも「病気になったことに感謝している」ということでした。

「感謝」は観念論ではなく、非常に具体的なものです。

世の中に、

・人のことを親身に考え、

・徹底的に親切で温かく、

・思いやりがあり、

・限りなく優しい、

・そういう人たちがたくさん居て、

・自分たちを待っている

ことに気が付かせてもらったというのです。

それらの人に会いに行き、知りあいになり、仲良く付き合い、 

さらに人間を取り巻いている「精神世界」や「宇宙」の奥深さ、面白さ、楽しさもを知ることができたのだそうです。

「もし病気にならなければ、一生こういう素晴らしい世界や人が存在することを、知らなかっただろう」と口を揃えて言うのです。

 

挫折や困難や障害や病気を持つ人、直面する人、問題を抱えている人は、 もしかしたらそのおかげで普通の人生だったら簡単には出会えないような素晴らしいものに、たくさん接することができるのかもしれません。

死に至る病気にさえ「感謝」する心境に、人間はなれるのです。

・優しいまなざし

・思いやりある言葉

・温かい笑顔 

のお陰で。

<転載終了>


宇宙の仕組みや、

神さまの行動の原則などが分かってくると、楽しくなってきます。 

ありとあらゆるところに、神さまの働きを感じることができるからです。 

いつも傍に居ることが分かるからです。

また、偶然が起きた場合も、「どうせ偶然でしょ」と冷たくあしらわず、「まぁ凄い、面白いね」と素直に喜んでいれば、神さまはなおさら沢山の偶然を見せてくださいます。 

また神さまの声は、誰かの口を通してくることもあります。

・小川のせせらぎの音や、

・子供たちの笑い声、

・そよ風なども、 

神さまが私たちにプレゼントしてくださっているものです。 

そのように繊細な心で、神さまの働きを感じられるようになると、もう全てのもの、事に感謝しかありません。 

神さまの働きに気付き、人が感謝すればするほど、神さまは私たちの身近で、良きことを起こしてくださいます。 

自分で、頑張って努力して、どうこうしようとか、人をどうにかしてやろうとか、そんなこと、もうどうでもよくなります。

今、現在、自分の居る場所で、全ては調和し、全ては充足し、満たされているのですから、 

何かが足りないとか、これが無いからとか、そんなことは一切ありません。 

神さまは、私たちの置かれている状況を熟知していらっしゃいますから、必要なものは全て、

既に周りに用意されています。

それに不足を感じたり、不満を感じるのは、私たちの我がままです。 

今居る場所、環境、状態で満足し、感謝していれば、全てはうまく回るようにできています。

それこそが、「置かれた場所で咲きなさい」と仰る神さまに、感謝をこめて報いる方法です。

私たちは、一人一人生まれて来た目的があります。 

その目的は、生きているうちに明かされることはありませんが、 

「神さまの流れに任せ」ていれば、自然に達成されるようになっています。

・素直で、

・優しい気持ち、

・お互いさまの気持ちで、

・ニコニコ生きていれば、 

きっと素晴らしい人生になることでしょう。


2023年1月16日月曜日

2943「青空ひろば」2023.1.16 

今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最近の記事を紹介します。


841 2022.12.25 ~ 846 2022.12.30

無門関(むもんかん)の第42則は『女子出定』という公案(禅の問題)です。

それは次のような内容のものです。

文殊さんがお釈迦様と会うためにやってきました。すると、侍者が、「今、世界中の仏様が集まって会議中なのでもう少しお待ちください」といいます。

そこで、文殊さんは待機していました。

しばらくして、また侍者が現れて、「只今、会合が終わり仏様方は本国にお帰りになりました。どうぞお入り下さい」と言って、文殊さんをお釈迦様の部屋まで案内しました。 

文殊さんが部屋に入ると、お釈迦様の前に見知らぬ女性がいてサマーディ(三昧のこと=忘我の状態)に入って座っていました。

文殊さんは不思議に思って、お釈迦様に訊ねます。「この女性はなぜここにいるのですか?なぜお釈迦様の間近でサマーディに入っているのですか?」

お釈迦様は答えます。「君が彼女に直接聞けばいい」

そこで、文殊さんはこの女性を三昧の状態から目覚めさせようと、いろんな手を尽くしますが、なぜか目覚めてくれません。何万回もの転生修行の末に獲得したあらゆる秘術を尽くすのですが、この女性はどうしても目覚めてくれないのです。

お釈迦様は言います。「文殊が何百人も集まって知恵と力を尽くしたとしても、この女性を目覚めさせることはできないよ。地中の底の底(地獄界)に罔明(もうみょう)という名の者がいるんだが、彼ならこの女性を目覚めさせることが出来る」

お釈迦様がそうおっしゃった途端、大地がグラグラ揺れて、地の底から罔明が浮き上がってきて、お釈迦様を礼拝します。

お釈迦様が「この女性を目覚めさせなさい」と命じると、罔明は弾指(指をパチンとはじくこと)しました。その途端、この女性は目覚めたということです。

さて、以上のような『諸仏要集経』というお経に載っている物語をもとにして、この公案は次のように問います。

「文殊はなぜこの女性を目覚めさせることが出来なかったのか。罔明はなぜこの女性を目覚めさせることができたのか?」


文殊さんは「過去七仏の師」であったとされています。

お釈迦様も含めて過去に次々七人の仏様が出現されたのですが、文殊さんはそのいずれの仏様の修行時代においても、その仏様を指導する先生であったとされています。そんな仏を指導するほど高い境地にある大菩薩さまなのですが、それでもこの女性を目覚めさせることが出来なかったのです。

罔明は地獄界の住人で、その名の「罔明」は「明るさがない、ドヨーンと根暗(ネクラ)」という意味です。そんな人がなぜこの女性を目覚めさせることが出来たのでしょうか。

この公案の答えは実に簡単です。驚かないで下さいよ!

文殊には「出来なかった」、罔明には「出来た」、ただそれだけのことです。  


先日、家内が膝を悪くして、私が家事を分担したり、買い物に出かけたりしなければならなくなりました。

ある日、家内が「コンビニでコーヒーを2杯買ってきて」と言いました。

私はドキッとしました。コンビニの百円コーヒーなんて買ったことがなかったからです。

それで家内に買い方など教えてもらってハラハラドキドキしながら何とかクリアーして持ち帰ることが出来ました。ただし途中で半分ほどこぼしてしまいましたが…。持ち帰り容器を用意してもらうのと、フタが外れやすいことに気が付かなかったのです。

2回目からは何とか無事に持ち帰れるようになりましたが、ある日、家内が「暑くなったからアイスコーヒーにして」と言いました。

私はまたドキッとして、『おい、氷はどうするんや!』とうろたえましたが、家内に手順を説明してもらって、これもウロウロオロオロ戸惑いながら、なんとかやれるようになりました。ただし、初めての時はストローを持ち帰るのを忘れましたが…。


私は、自分で言うのもなんですが、禅の難しい公案を解いたり、経典や神典の、何百年ものあいだ、誰も気づかなかった解釈を引き出したり「出来ます」。でも、コンビニコーヒーを買うことは「出来なかった」のです。私はそういう人間なのです。

家内は、新しいものにドンドンチャレンジして、すぐ我がモノにしてしまう人です。でも道元さんの正法眼蔵は解釈「出来ません」。彼女はそういう人間なのです。

このように、すべての人間は「出来ること」、「出来ないこと」の束(たば)、集合体です。誰が上、誰が下なんていうことは出来ません。そう生まれついたというだけのことなのです。

しかし、人はこんな事態に遭遇すると、原因理由を追求しがちです。どうして「出来ない」のか知ろうとします。

もちろん、過去や過去世からの無数の因果が絡んでそういう「いのちのクセ(業)」が生じてしまっているというのは確かなのですが、その原因が分かったからといって、それで只今直面している事態が、即メデタシ、メデタシと解決するというわけではありません。

たとえ話をします。


あなたが戦闘に参加している兵士であったとします。手元には数種類の武器がありますが、目の前の敵をやっつけるために一番有効な武器が残念ながら手元にはないとします。その有効な武器がないと、敵を撃破することが「出来そうもない」のです。

そんな時、あなたのアタマはその有効な武器が手元にない原因について考え始めます。

『ああ、あの時、ボクはこうしておればよかったんだ。そうしておればあの武器が手元にあったんだがなあ』などと考えて自分を責めたりします。

また、『あの時、あいつがあんなことしなければあの武器をここで使えたのに』と、人を責めたりします。

そういう自責の念や、人に対する非難、恨みの念は当座の戦いに役に立つでしょうか。そんなことありませんね。逆にそんな下らない頭の堂々巡りをしていたら、全力で敵に立ち向かう妨げになるだけでしょうね。

いま、直面している課題は、この危機をうまく乗り切ることですね。 そのためには、人にバカにされるような旧式で性能が悪い武器であっても、自分が今使うことが「出来る」武器のすべてを総動員して、全身全霊で工夫して戦ってゆかねばなりませんね。

大切なことは、アタマがやりがちなミス、過去を詮索して、自分を責めたり、人を責めたりする、そういうエネルギーの無駄遣いをまずストップすることです。

理由の詮索は結局「出来ない」言い訳を捜しているだけのことになってしまい、つらい現実に直面して思い切りぶつかっていくことの妨げになってしまうだけのことなのですから。


この公案のねらいはそこにあって、そういう「出来ない」ことがたくさんある私の現状を、人に笑われようが、バカにされようが、まずそのままそうであるということを認めること、受け入れ許すことだよ。

それさえしっかり出来たら、自分の持ち駒(「出来ること」)を用いて、次に必要な最高の一手を思いついて、ビシッと打ち出せるのだよと教えているのです。

私だって、ヒトからはおバカさんのように見られても、笑われても、ウロウロオロオロ、不器用な失敗の多い振る舞いばかりしていても、現状の持ち駒の自分で精一杯難局(コンビニコーヒーを獲得するミッション)に立ち向かっていったから、見事に難関を突破出来たのです。 

人から見たら、「何だ大げさな」と笑われるかも知れませんが、私にとってはそれは禅の公案を解くこと以上に難しい関門だったのです。なぜか私はそういう「いのちのクセ(業)」を持って生まれついているのです。

でも、この体験でまた一つ、「出来ないこと」を減らすことができました。ずいぶん自信が付きました。

「出来ないこと」を認め、そんな無力な自分であることを許すと、なぜか「出来る」ようになるのです。面白いものですね。


この公案のお話しを京都の禅の会でした時に、私はキューブラー・ロスさんの「私はOKじゃない、あなたもOKじゃない。でもそれでOKなの!」という素晴らしいコトバを引用しました。

そして、「なぜOKじゃないのに(「出来ない」ことがたくさんあるのに)、それでOK(それでもそのまま許されている)のですか?」と皆さんにたずねました。

すると、ある青年が、「それは『ひとついのち』だからじゃないでしょうか。ボクに出来なくても、他の人にそれを出来たら、その人も実はボクの分身なんだからそれでいいわけです(それもボクが出来たということなんだから)。そのかわり、他の人が出来ないこと、ボクにしか出来ないことはボクが担当して他の人のカバーが出来たらそれでいいのだと思います」と答えました。

すばらしい解答ですね。若い人がこのようにどんどん育っています。 

ボクも「七十の手習い」、頑張らなくっちゃあ。(完)



837 2022.12.21  ~ 840 2022.12.24 (前日の続き)

自分や人をジャッジしないこと

いのちの能力への信頼をしっかり保持すること

ヒーラーは3年たつとヒーリング能力が消えてしまうことがある

なぜなら、経験をつむと病気や患者をジャッジするようになるからだ


CDで自分の音声を聴いていて分かったのですが、とても能弁とは言えませんね。ボソボソ、トツトツと、たどたどしい語り口ですね。

でも、それがいい。「先生のお話しを聞いているとなんだかとてもホッと安心できます」という人もいらっしゃるんですね。不思議だなあと思います。

ある若い弟子が友達の運転でどこかに向っていて、弟子がある精神世界の有名な先生のお話しを録音したものを流したのだそうです。

すると、その友達は「やめて!それを聴いていると運転に集中出来なくなる」と言ったのだそうです。

それで、ストップして、しばらくして大敬の話を録音したものを流したのだそうです。すると、その友達は「ああ、これなら大丈夫。運転の邪魔にならない」と言ったそうです。

面白いですね。何が違うのでしょう。

恐らく、この有名な精神世界の先生のお話が入るアタマの場所と、運転に使うアタマの場所が一緒なので、お互いに邪魔をするのでしょう。

大敬の話は、アタマには入らないようです。アタマを素通りして、イノチの内側にそのまま届くので、アタマの邪魔はしないのだと思います。 

ということは、大敬の話はアタマの肥やし(勉強)にはならないということかも知れません。でも不思議ですね。大敬が学校の先生をやっていた時は、大敬が教えると生徒の成績がとても上がったものなのです。

だから、大敬は教科書の内容だけを教えていたのではなく、「安心」も一緒に教えていたのだと思います。「安心」さえ出来たら、人は勝手に伸びてゆくように出来ているのだと思います。


坐禅会でお話しすると、よくコクリコクリしている方がいます。そんな方は頑なで人の話が素直に聞けないという人であったり、アタマが働きすぎて、大敬の話をアタマで処理しようとしてしまう人だったりするので、神様がそんな方はいったん眠らせて、アタマが過剰に働かないようにして、イノチの奥底まで大敬のコトバの響きを届かせようとしておられるのだと思います。だから僕は居眠りされている人がいらっしゃると、シメシメと思います。

「立花大敬オーディオ・ライブラリー」(パンローリング社)を池田光さんや西端努斗夢さんの尽力で第1巻から50巻まで出してくださっているのですが、「先生のCDを夜眠りながら聴くことにしています。そうするとよく眠れるのです」とおっしゃる方も結構いらっしゃいます。睡眠薬に頼られるより、大敬のCDで眠れるんだったらその方がいいし、本人のアタマは意識がなくても、大敬の「安心の響き」はイノチの奥まで届いていて、そこにしっかり種子として植え込まれるので、いざ必要な時にしっかり発動してくれるのですから、こんな睡眠学習もなかなか有効なのです。(完)



2023年1月15日日曜日

2942「般若心経の神髄」2023.1.15

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年01月09日の記事を紹介します。


「般若心経の神髄」


今日は「宇宙にお任せ」というテーマで小林正観さんさんのお話をご紹介します。 

これはブッダの説いた般若心経と、全く同じことを教えてくださっています。 

悩み多き私たちの、悩みを取り去り、一気に感謝と幸せの人生にしてしまう方法です。

<引用開始> 引用元 


「自分の子供が不登校になってしまった。どうしたらいいのだろうか?」

という相談を受けたという話を書きました。

結局、不登校になった子供を受け容れれば、受け容れた瞬間に、その問題は何も生じなくなってしまうのです。

問題が解決してしまうというよりは、問題そのものがなかったということに気がつきます。

「問題だ、問題だ」と言っていた自分自身の問題であって、もともと不登校そのものが問題なのではなくて、それを「問題だ、問題だ」と言っている自分の心の問題として、それが悩み・苦しみになってしまったということでした。

子供が不登校になった、学校に行かなくなった。

ただそれを淡々とした事実として受け容れた瞬間に、

・子供にとっても

・自分にとっても、

何の悩みも苦しみもなくなってしまうのです。

思いどおりにしようとしないこと。

それはイコール、その目の前の現象を受け容れるということでもあります。

生老病死(しょうろうびょうし)、

・生まれること、

・老いること、

・病むこと、

・死ぬことも、

そのまま受け容れる。

そうすると、悩み・苦しみから遠ざかることができます。

悩み・苦しみを持たなくても済むことができます。

・病気をしたら病気をしたでよし。

・死ぬようになったら死ぬようになってそれでよし。

・愛している人と別れなければいけない状況になたらそれもよし。

それについて評価・評論をしない。

感想もいちいち言わない。

「ああ、そういうふうになりましたか」というふうに

受け容れることが、自分にとっていちばん楽なのです。

そんなに簡単に受け容れられるわけがないではないかと言う人がいるかもしれません。

私は受け容れる「べき」だという理論を展開しようとは思っていません。

受け容れることでいちばん得をするのは、いちばん楽になるのは、受け容れた本人なのですから。

私は、こうするべきだ、ああするべきだというような「べき論」として話をしているのではありません。

悩み・苦しみが多い人は、実は自分の思いがたくさんあり、それを想いどおりにしなければいけない。

思いどおりにならなければ、嫌だと思う「思い」がたくさんある

という宇宙の構造や事実に気がついてしまったのです。

  

悩み・苦しみが多い人は、「思い」が強い。

あるいは「思い」をたくさん持っている人にほかなりません。

宇宙に、地球に、すべてを委ねている人、

自分の思いや我儘(わがまま)をほとんど言わないで、

静かに穏やかに穏やかに淡々と暮らしている人ほど、悩み・苦しみは少ないのです。

ほとんど悩んでいなくて、

苦しんでいなくて、

いつも笑顔で静かに穏やかに暮らしている人を私はたくさん知っています。

そういう人はほとんどの人が「思い」を持っていません。

思いどおりにしようという心が著しく少ない人ほど、

楽に静かに楽しく生きることができるように思います。

<引用終了>


大愚、良寛さんもこう仰っています。

・災難にあう時節には、災難にてあうがよく候。

・死ぬる時節には、死ぬがよく候。 

是はこれ、災難をのがるる妙法にて候 

小林正観さんは、前世において、ブッダ、そして空海の弟子だったそうです。 

その正観さんが、幸せになるための「3秒」の方法をこう述べています。

● 1秒目…過去のすべての出来事を受け入れること

● 2秒目…現在のすべての出来事を受け入れること

● 3秒目…未来のすべての出来事を受け入れること

※受け入れるとは、それでよかったのだ。

 その出来事があったからこそ、今の私が生きていると 

 全て肯定して感謝して受け入れる事 

 どれ一つ欠けても、今の私にはなれなかった。。 

これで終わりです。  

自分に起きたことや、これから起きることは、すべて自分が成長するために、 

必要なことだったと、思うこと、感じること。

そのように目の前の状況を受け入れれば、感謝できれば、 

悩みも苦しみもなくなって、ラクに生きることができるでしょう。

実際に、目の前の苦労、悲しみは、全て、私たちの魂を輝かせるために

神さまが起こしてくださっていることだからです。 

不幸の後には、必ず幸運が来ることになっています。

宇宙はバランスを取ろうと、常にエネルギーが動いているからです。 

 

隣の芝生は青く見えると言います。

今、現在、幸せそうに笑っている人を見ると自分と比べてしまって、 

自分だけどうして・・・ 

と、気持ちが沈んだり、嫉妬の心が芽生えてくるかもしれません。 

ですが、今笑って暮らしている人は、人生に勝ち抜き、成功を手に入れ、

幸せを満喫している人ではなく、もしかしたら、

・辛い出来事も

・悲しい出来事も、 

一時は抵抗したかもしれませんが、最後には、受け入れて、 

それを自分の運命と、受け入れ、そこから、その場所で、その環境の中で

小さな幸せを見つけ、

今与えられているものに、感謝の心を芽生えさせた人かもしれません。 

自分を運命の流れに任せ、今までの自分を、変えることのできた人かもしれません。

他人を許すとは・・・

・他人の言葉、行動を気にしない

・さらに進んで、他人の言葉、行動が気にならない

・もっと進んで他人の言葉、行動に気づかない 

こと。 

自分を許すとは・・・ 

・今までの自分の全ての行動と、判断、言葉は

・失敗に見えても、今の自分を作り上げるために、全て必要で大切な事だった

と気づくこと(後悔は必要ありません)

 


2023年1月14日土曜日

2914「生かされている命」2023.1.14

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年01月08日の記事を紹介します。


「生かされている命」


レインボーの子供たちは、神様に近い所から地球に転生してきています。 

現在大量に、神々の意思によって、レインボーチルドレンや、神々自身が地球、日本に生まれて来ているそうです。 

レインボーの小学生のまりなちゃんのお話は、

2,500年前にブッダが悟った「縁起の法則」と同じことを語っています。 

今日は、胎内記憶研究の第一人者、産婦人科医の池川明先生との対談から少しご紹介します。

・宇宙では良いも悪いもない(ジャッジしない)

・ただそうなだけ

・地球に来た途端、良い悪いという基準が存在し始める

・神々はそれは必要ない・・そうみんなで相談し判断して

・良い悪いの判断をしない、そういった覚醒した子供たちを大量に地球に送り出した

・好き、嫌いがあるのはもちろんOKだけれど、

・それは良い、悪いという概念ではない

・嫌いだから、相手はダメな魂と言うことはない

・ただ自分と波長が合わないだけ 

・生きて学ぶことで魂に磨きがかかる

・そのために地球に生まれて来た

・また、ただ単に地球に遊びに来ている人もいる

・人を殺すこと、殺されること

・そうすることで魂が曇ることはない

・生まれる前に、その状況を経験したいために

・自分自身で選んで生まれて来たのだから 

・それは、ただの体験に過ぎない

・殺し、殺される人。二人は合意のもとに生まれて来た

・そこに良い悪いはない

・人を殺す、という体験も、魂を磨くための一つの経験に過ぎない

・それが学びだから 

つまり、この地球上での経験は、 

・どんなに嬉しいこと

・どんなに悲しいこと

・どんなに辛いこと

・どんなに悲惨に見える病気、出来事、境遇

であっても、全ては、良い悪いはなく単なる経験に過ぎない。

全て生まれる前に、そうなることを自分で決めて、選んできたのだから。  

今、辛いこと、悩み事はありませんか?

家族や友人、会社のことで心配なこと、困っていることはありませんか? 

それらは全て、そうなること、前提で生まれてきているのだそうです。

それを経験してみたかったから、、その経験を地球でしてみたくて、地球に生まれる前に、当事者同士、 その役回りをお願いして、神さまの了解も得て生まれて来た。 

例えそれが、殺す、殺されるという、、極端な経験であっても。。 

仲の悪い家族,非常に自分本位な極端な性格そんな状態も同じです。

単にその状況を経験したかっただけ。

では、どれだけまりなちゃんのお話が、ブッダの「縁起の法則」と同じであるか、ブッダのお話をします。 

ブッダが初めて悟りを開いたとき、悟った宇宙の真理が縁起の法則だそうです。 

縁起の法則では、私たちの生まれてから死ぬまでに起こってくる全ての出来事は、 

生きている私たちの意思や努力で変えられるものではなく、

既に生まれてくる前に決めたストーリーの通り、決まっている。 

そしてこの人生ストーリーは私たち自身と、神様で相談して決めてくるのだそうです。

生命ある物、全ては、生きているのではなく、生かされているのだと言います。

  

宇宙を司る原理、(大日如来、憤怒相である不動明王)神さまによって生かされています。 

私たち、一人一人の心の中にも,神さまはいらっしゃいます。 

語りかければ、答えてくださいます。 

自分の中に神様を認めることができた時、初めて、周りの全ての中に存在する神様に気づきます。  

私たちは、勝手に生きているわけではないので 

・生まれる時期、場所、家族も神さまが準備してくれました。 

・死ぬ時もそうです。

 神さまが「そろそろ、戻っておいで」と言うまでは

 死ぬに死ねません。 

・人との出会いもそうです。

 いつ、誰と、何処で出会うか?

 何時分かれるか? 

 みんな前世の因縁なども加味されて、神さまが段取りを組んで下さいました。

・特に「運命は人が運んでくる」

 そう言われるように、人との出会いは重要です。

 どんな人であろうと・・・ 

・病気や事故もそうです

 私たちが、ある時期、自分自身を見つめ直す必要があり、お陰さま、お互いさまの心を知るために、神さまは頃あいを見て、病気や事故を授けてくださいます。 

・貧乏な時期、経済的に困窮する時もそうです。

 心を強くするために、お金のより良い使い方を理解するために、何もないところに、愛や思いやりを見つけるために、物では無く、心に、幸せを感じられるように、神さまは、貧乏の時期を与えてくれました。

今まで生きて来た人生を振り返って見れば、いくつも思い当たる節が、あると思います。

あの出会いがあって、今の私の人生の方向性が変わった。 

あの時、別れがあったから、新たな出会いが訪れた。

あの病気をしたお陰で、人の心の温かさが身に染みた。

何気ない毎日の幸せが、理解できた。

これらは、全部、神さまが計画した、順番通り、計画した時間、場所に寸分の狂いもなく

起こされたことです。

 


また、この働きは、

宇宙空間の中でも、私たちの体の中でも、同じように起こっています。

寸分の狂いもなく、体内の様々な、微生物、細胞、血液、リンパなどが調和して働いています。

こんな壮大で、有機的に調和された働きを、神さま以外の誰ができるでしょうか? 

生きているではなく、生かされている。。 

その事実に気付いた時、私たちは、どんなに安心し、幸せを感じることができるでしょうか? 

私たちは、神さまのOKが無ければ

病気にもならないし、事故にも会わないし死にもしません。 

神さまのOKが無ければ

リストラにも会わないし、ハラスメントにも会いません。 

神さまのOKが無ければ、あの人と出会わなかったし、あの人との別れもありませんでした。 

神さまのOKが無ければ、今の私たち自身の、人格は形成されていませんでした。 

全てを、お陰さまと、受け入れた時・・・ 

同じく、全ての人が平等に、神さまに愛され、許されていると知った時、 

私たちも、神さまと同じように、周りの方々を受入、許し、

愛することができるのかもしれませんね。 

病気も事故も、いじわるする人も、心ない言葉をかける人も、嫉妬してくる人も 、

全部が全部、神さまのOKを頂いて、そうしています。 

神さまが関知していないことは一つもありません。 

仲の悪い親子関係も、重い病気も、貧困も、全て神様の承諾があるから起こります。

  

木の葉一枚散ることさえ、神さまはご存知です。 

自分にとって都合の悪く見えること、できれば、逃げ出したいことそんなことも、神さまは、私たちが耐えられる時期を選び、私たちの前に、表してくれました。 

その全ての目的は、たったの一つしかありません。 

その出来事が、砥石の役割をして、私たちの魂を、ますます輝かせるためです。 

私たちの心が、まだそれに耐えられない時は

神さまは、その出来事を、決して私たちに与えません。 

私たちの心の準備ができた時、機が熟した時、それが与えられます。

大きな試練が与えられる人は、それだけ、強く、気高い魂をお持ちなのでしょう。

ですから、どうぞ、ご自分の中の神さまを信じてみてください。 

どんどん、話しかけてみてください。 

神様なら、どんな判断をされるかな? と考えてみてください。 

もう、昔とは違います。 

今は、誰もが、ご自分の中の神さまと、自分自身で、しっかりと繋がる時代です。 

自分の中に、神さまを見つける時代です。 

時代は変わりました。

  

憎しみではなく、感謝の心がある所、神さまの恩寵がふんだんに降り注ぎます。



2023年1月13日金曜日

2940「優しい世界に」2023.1.13

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年01月07日の記事を紹介します。


「優しい世界に」


水面下の戦いが一気に噴き出したかのような世界情勢や、コロナの影響も、もう少し続きそうですが、それでも、その先に、

「一人一人の心が大切にされる優しい社会」が待っているとなれば、

何とか希望の灯を消さず、耐え忍べます。 

その後の社会では、アメリカでも中国でもEUでもなく、

日本がリーダシップをとるのではないかと言われています。 

それは、日本人の中に眠っているDNAです。 

・法的な禁止措置を取らず、都市封鎖を行わないまでも外出の自粛に従う国民性

・東日本大震災(今回の予行演習)の悲惨な状況の中、規律を守り、助け合い、譲り合う多くの人々 

また19世紀後半に、日本を訪れ帰化した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、

いずれ西洋の近代文明が行き詰った時、それを救うのは日本人であると予言しました。 

なぜなら日本人は先祖の命(霊)とともに生きているから・・ 

まさに和をもって尊しとする、争わず、敵対するものでさえ、包み込もうとする

大きな大きな心を持つ日本人の特性が注目されています。 

世界的なパンデミックという大きな災害が通り過ぎた世界で、世界中が、その優しい心を求めるのではないか? 

何だかほっとして、生まれて来た目的をやっと少し思い出すのではないか? 

そんな気がします。 

まさに日本人冥利に尽きますね(笑) 


さて今日は「優しい世界に」というテーマです。 

マザーテレサが、よく引用していた聖書の中のイエスの言葉を紹介します。 

あなたたちは、 

・わたしが飢えていたときに食べさせ、

・のどが渇いていたときに飲ませ、

・旅をしていたときに宿を貸し、 

・裸のときに着せ、

・病気のときに見舞い、

・牢にいたときに訪ねてくれた

すると義人たちは答えて、

主よ、いつ 私たちはあなたの

・飢えているときに食べさせ、

・渇いているときに飲ませ、

・旅のときに宿らせ、

・裸だったときに服をあげ、

・病気のときや牢に入られたときに見舞ったでしょうか? 

主は答えました 

まことに私は言う。

あなたたちが私の兄弟である、これらの小さな人々の一人にしたことは、

つまり私にしてくれたことである。 

私たちが、小さな人々に行った優しく、愛のこもった 善意の行為は、 

全て、神さまに対して行った行為である 

とイエスは言われたのです。 

小さき人とは、社会的に立場の弱い人のことです。 

・心身や精神の病気の人

・飢えている人

・苦しんでいる人

・貧しい人

・泣いている人

・困っている人

・孤独な人 

などのことです。

さて、ここで山元加津子先生(元 石川県立小松瀬領養護学校教諭)とその教え子の きいちゃんのお話をご紹介します。

 

きいちゃんという女の子は、手足が不自由でした。

そして、いつもうつむきがちの、どちらかというと、暗い感じのするお子さんでした。

そのきいちゃんが、ある日とてもうれしそうな顔で、 

「山元先生」と言って職員室に飛び込んできてくれたのです。

「お姉さんが結婚するのよ、今度私、結婚式出るのよ。 ねえ、結婚式ってどんななの、私どんな洋服着ようかな」

と、とてもうれしそうでした。

「そう、良かったね」と、私もうれしくなりました。

ところが、それから一週間もしないころ、今度はきいちゃんが教室で泣いている姿を見つけたのです。

「きいちゃんどうして泣いているの」と聞くと、

「お母さんが、結婚式に出ないでって言うの。私のことが恥ずかしいのよ。 

お姉ちゃんばっかり可愛いんだわ。私なんか産まなきゃ良かったのに」 

とそう言って泣いているのです。

きいちゃんのお母さんは、お姉さんのことばかり可愛がるような方ではありません。

どちらかというと、かえってきいちゃんのことをいつも可愛がっておられて、

目の中に入れても痛くないと思っておられるような方でした。

 

けれど、もしかしたら、きいちゃんが結婚式に出ることで、 

例えば障害のある子が生まれるんじゃないかと思われたり、 

お姉さんが肩身の狭い思いをするんじゃないかというようなことを 

お母さんが考えられたのかなと、私は思ったりしていました。

きいちゃんに何と言ってあげていいかわかりませんでしたが、 

ただ、結婚式のプレゼントを一緒に作ろうかと言ったのです。

お金がなかったので、安い晒(さら)しの生地を買ってきて、

きいちゃんと一緒にそれを夕日の色に染めたのです。 

それでお姉さんに浴衣を縫ってあげようと提案しました。

でもきいちゃんは手が不自由なので、きっとうまく縫えないだろうなと思っていました。

けれど一針でも二針でもいいし、ミシンもあるし、私もお手伝いしてもいいからと思っていました。

けれどきいちゃんは頑張りました。

最初は手に血豆をいっぱい作って、血をたくさん流しながら練習しました。 

一所懸命に、ほとんど一人で仕上げたのです。

とても素敵な浴衣になったので、お姉さんのところに急いで送りました。

するとお姉さんから電話がかかってきて、きいちゃんだけでなく、私も結婚式に出てくださいと言うのです。

お母さんの気持ちを考えてどうしようかと思いましたが、お母さんに伺うと、 

「それがあの子の気持ちですから出てやってください」 

とおっしゃるので、出ることにしました。

お姉さんはとても綺麗で、幸せそうでした。 

でも、きいちゃんの姿を見て、何かひそひそお話をする方がおられるので、 

私は、きいちゃんはどう思っているだろう、来ないほうが良かったんだろうかと思っていました。

 

そんなときにお色直しから扉を開けて出てこられたお姉さんは、驚いたことに、きいちゃんが縫った あの浴衣を着ていました。

一生に一度、あれも着たいこれも着たいと思う披露宴に、きいちゃんの浴衣を着てくださったのです。

そして、お姉さんは旦那さんとなられる方とマイクの前に立たれ、私ときいちゃんをそばに呼んで、次のようなお話をされたのです。

「この浴衣は私の妹が縫ってくれました。私の妹は小さいときに高い熱が出て、手足が不自由です。でもこんなに素敵な浴衣を縫ってくれたんです。

高校生でこんな素敵な浴衣が縫える人は、いったい何人いるでしょうか。 

妹は小さいときに病気になって、家族から離れて生活しなければなりませんでした。 

私のことを恨んでるんじゃないかと思ったこともありました。

でもそうじゃなくて、私のためにこんなに素敵な浴衣を縫ってくれたんです。

私はこれから妹のことを、大切に、誇りに思って生きていこうと思います」

会場から大きな大きな拍手が沸きました。 

きいちゃんもとてもうれしそうでした。

お姉さんは、それまで何もできない子という思いできいちゃんを見ていたそうです。

でもそうじゃないとわかったときに、きいちゃんはきいちゃんとして生まれて、きいちゃんとして生きてきた。

これからもきいちゃんとして生きていくのに、

もしここで隠すようなことがあったら、きいちゃんの人生はどんなに淋しいものになるんだろう。

この子はこの子でいいんだ、それが素敵なんだということを皆さんの前で話されたのです。

きいちゃんはそのことがあってから、とても明るくなりました。

そして「私は和裁を習いたい」と言って、和裁を一生の仕事に選んだのです。

<引用終了>

 

お姉さん、そして旦那様、 みんな素敵な方ですね。

きっと心から信頼しあえるご家庭を築いていくことでしょう。

きいちゃん。

優しい家族のもとに生まれて来てよかったね。

昔は、よくありました。 

障害がある子どもが生まれると、家の恥とし、ずっと座敷牢なようなところに隔離し、

死ぬまで人前に出さない。 

存在そのものを なかったことにすることが。。

なんて悲しいことでしょうか。

障害を持って生まれてきたことは、恥ずかしいことなのでしょうか?

人に隠さなければならないことでしょうか?

障害を持って生まれたからと、一生 外にも出さず、 

狭い部屋で、飼い殺しのように過ごさせてよいものでしょうか?

私たちはどうでしょうか?

障害を持つ人や、弱き人、貧しい人に偏見は無いでしょうか?

避けたり、見なかったことにしてはいないでしょうか?

普通と違う、自分と違うと言う理由で、無視しては いないでしょうか?

マザーは、愛の反対は、憎しみではなく無関心ですと言いました。

イエスは言いました。 

あなたたちが私の兄弟である、これらの小さな人々の一人にしたことは、 

私にしてくれたことである。

心の中に、温かな愛はありますか? 

お互いさま、お陰さまの、神さまの心は曇ってはいませんか? 

皆さんは優しいお気持ちを、持っていらっしゃいますか?

人を許す、広い心を、持っていらっしゃいますか? 

全てのもの、ヒトを幸福に導く、ありがとうという、感謝の心を、持っていらっしゃいますか?