2025年9月19日金曜日

4020「障害を持って生まれた訳」2025.9.19

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年09月06日の記事を紹介します。


「障害を持って生まれた訳」


今日は、障害を持って生まれた意味についてのお話です。

レインボーチルドレン

クラリオン星人の久松奏拓(ひさまつ・そうた)君のお話です。

以前レインボーチルドレンのまりなちゃんのお話を書きましたが、

そうたくんも、まりなちゃんと同じく、

まさにこの過渡期の地球を救うために神様から送り込まれたような子供です。

小学生とは思えないほど、知性が高く、まりなちゃんと同じように

宇宙の真理、神々の意思を語っています。

映像も是非ご覧ください

大切な部分かいつまんでピックアップしてみます。

・障害を持って生まれてくる。将来の障害を計画して生まれてくること

・それは凄い幸運なこと、喜ばしいこと

・障害を持って生まれてくる確率の方が大分低い

・障害という大変な経験をすることで、物事をいろんな角度から見れるようになったり

・他の人にはできない学びが一杯ある

・その苦労を分かっていて、その苦労自体を魂的に楽しむために生まれて来た

・いつも同じアイスだけど、今度は違う味に挑戦してみようかなど、結構軽いノリで選択してくる。

・でも、誰でもが、障害のある人生を選べるわけではない

・何度も人間を経験してきた魂だけ

・特別な契約をして、その予約が取れた時だけ、この人生を選べる

・この特別な状態を、何億人もが行列待ちをしている。

・障害を持って生まれてくること、将来の障害を計画して生まれてくることは、

 宝くじ1等に当たるくらいの確立しかなく、相当に喜ばしいこと

・それだけレベルの高い経験である

・だから、その状態を「かわいそうだな」と思わなくともよい

・障害を経験する計画を持って生まれてくる人は、

・他の人と比べて自分の力でいろんな経験ができる人

・その経験ができる人は、神様が選んでいる

・そして自分で納得し、特別な契約を交わし、生まれてくる

・その子の親となる人も、大変な倍率の中から選ばれた人

・その親になる人も、神様に選ばれてきた人 

・何も知らない親は、自分を責めている人が多いけれど、

・その自分を責めてしまう経験でさえ、魂はわかっていて、求めて親になることを承諾してきた

・お母さんも、その経験をしたくて、予約して、やっと選ばれて生まれて来た

・その経験をお互いがすることで、魂の経験値が一気に上昇する

・親も、当事者の子供も、普通の人にはできない大きな「感情」を経験できる

・生きている間は、障害を選んで生まれて来た記憶はないけれど

・それが分かっていたら、最初から正解が分かっていたら、何の経験値も得られないから。

・でも、死んだ後、肉体を去って天国に帰った時に、そのすべての崇高な計画が理解できる

・生きている間、いろんな感情を味わいながら、

・泣いたり笑ったりしながら人生を歩んでいくことこそが、魂にとって、

・大切な経験値となる

・悩んでいること、チャレンジしていることが、魂にとっては楽しい経験となる

・魂にとって、その境遇を

・苦しむことも、楽しむことも、とっても大切な経験となる

・生きている間、私たちはこれらのことを全て忘れているため

・障害を楽しむという概念がないけれど、

・本当は、自分で望み、何億人もの行列を待って掴んだ大切な人生経験

・もう少し、その経験を楽しんでも良いのかもしれない

今度は違う味に挑戦してみようかなど、結構軽いノリ・・

私たちは、少し人生を重く考えすぎているのかもしれませんね。 

・こう、あらねばならない

・そこから外れたら、負け、破滅

・物質的に豊かでなければならない

・高級なものを沢山持ち、ぜいたくな暮らし

・人の世話には絶対なってはいけない

などなど。 

ですが宇宙的な視点、神様から見ると少し違うようです。

人生で起こることに、良いも悪いもない 

全ては、魂の経験 

地球でしか味わえない「感情」を通して、

魂の経験値を上げていく、

ワクワクするような地球での経験

そんな経験がしたくて、私たちは地球にやってきた。 

ここ地球で起こる全ての経験は、

自分と神さまで相談して決めてきたこと。

神様は、私たちが生まれてくるときに 

「楽しんでくるんだよ」って送り出してくれたこと。 

私たちは、生まれてから、肉体を脱ぐときまで

ずっと、守られていること。。

地球意識がそれを許してくれていること・・ 

私達に 大切な経験を与えてくれる、

この地球で出会う、家族、友達 

・私が好きな人

・私を好きな人

・私が嫌いな人

・私を嫌いな人

みんなに感謝ですね。

 どうぞ、勇気をお持ちください。 

神様に選ばれたのですから。


2025年9月18日木曜日

4019「幸運は不運の顔をしてやって来る」2025.9.18

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年09月05日の記事を紹介します。


「幸運は不運の顔をしてやって来る」


欽ちゃんのお話です。 

今大変理不尽な目に遭っておられる方、どうぞ参考になさってみてくださいね。

今日は、「ひどい目に遭った時は、運がたまっている」というテーマで、

「心に響く言葉」よりご紹介します。 

<引用開始>

■僕の書いた運の本に、女の子から手紙が来たの。

新入社員でいつも上司に怒られて

会社に行くのが嫌になっていたそのとき、たまたま僕の本を読んだんだって。

そこに「怒られるごとに、運がたまっている」とあって、

今は運をためてる時期なんだと思ったら、会社が楽しくなってきたって言うの。


■僕は、ひどい目に遭ったとき、

「次、でっかい運がやってくるかな」と思うんです。

現にテレビでコマーシャルの生放送を19回トチる大失敗をして、

ションボリして熱海に行っていたときがそうでした。

2ヵ月たって、やり直そうと浅草の下宿に帰って来たら、

その日に(坂上)二郎さんから電話があったの。

それがコント55号の結成につながったのね。奇跡だね。

1日遅れて帰って来てたら二郎さんとコンビになってないんだもんね。

負けは負けのまま終わらない。人生ってうまくできているね。

■ダメなヤツは俺の仲間だと思うから、ダメなヤツほど応援したくなるね。

小堺一機は最初にテレビに出た時、ガタガタ震えていたからね。

後になって小堺が、「(欽ちゃんから)

『あがるヤツ、好きなんだよ』と言われたのが励みになった」って言ってたけど、違うの。

俺と互角のあがり症のヤツがいるんだ、スゲーッて、バカにうれしかったの。

この子がもし有名になったら、この子も俺もすごい幸せに思うだろうなあって。

だから師匠でも何でもないの。

教えたこと1回もないんだもの。

テレビに出るきっかけをつくってあげただけでね。

でも面白いよね。僕を師匠みたいに言うんだもんね。

 

■子どもたちに僕が言ったのは、

「みんなが右を向いていたら、とにかく1回は左を見ろ。 

左にいいことがある。

たくさん人が集まっているところには運がない」とね。

それと「嫌だ」と思ったことも、とりあえずやってみた。

8年前、24時間テレビでチャリティマラソンのランナーになってくれ、

と言われたときも、本当はすごい嫌だったの。

66歳という年齢ではキツイよ。でも嫌なことには運がある。

『人生の流儀』新日本出版社より

<引用終了>

欽ちゃんは、「損から入ると運が貯まる」と言います。

人とつき合うときは、率先して損な役回りをすると、

だれかが幸運を持ってきてくれるからだと言います。

「運は遠いところからやってくる」という欽ちゃんの言葉も同じで、

まわり道が一番近かったりします。

怒られたり、ひどい目に遭ったときも、 

一見すると「損」のように思えるし、「まわり道」でもあります。 

でも実はそういう時が一番運がたまる時。

大事なことは、怒られたり、ひどい目に遭ったときに、どんな対応をするのか。

そこで、グチや文句や泣き言を言うのか、

逆に感謝したり、ありがたいと感じるのかどうか。

神様は、そういう所をよく見ていらっしゃいます。

嫌なことには運があり、ひどい目に遭ったときに運が貯まっています。 

神さまは、幸運を与える前に、まず不運と見える境遇を準備してくださるようです。

この欽ちゃんの言っていることは、沢山の方が同じことを仰っています。 

美輪明宏さんも「正負の法則」、小林正観さんも。。。

今、理不尽なこと、ひどいことに巻き込まれている皆さん。

どうか勇気を持って下さい。

寒くて厳しい冬の次には、必ず、温かで穏やかな春が訪れます。

世の中は毎瞬毎瞬、変化を続けています。

そういう苦しい時こそ、

くさらず 焦らずじっくりと、地中に根っ子を張るチャンスです。

そして、希望を持ってください。 

そういう時は、もう目の前まで、春が来ているのですから。 

私たちの人生は、苦しく辛く、耐えられないと思うようなものでも、

必ず大丈夫なようにできています。 

不運があれば、

必ず同じだけの幸運が、

例外なく巡ってくるようにできているのですから。 

明けない夜など、ありません。


2025年9月17日水曜日

4018「青空ひろば」2025.9.17

今回は立花大敬さんの「大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」から最新の記事を紹介します。


1542 2025.08.24

<パウロ『コリントの信徒への手紙』(新約聖書)-カラダの喩え->

「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成りたっています。 

足が『私は手ではないから、体の一部ではない』といったところで、体の一部でなくなるでしょうか。

耳が『私は目ではないから、体の一部ではない』と言ったところで、体の一部ではなくなるでしょうか。

もし、体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし体全体が耳だったら、どこで匂いをかぎますか。 

そこで、神は、ご自身の望みのままに、体に一つ、一つの部分を置かれたのです。すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるのでしょう。

だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。 

目が手に向かって『お前は要らない』とはいえず、また、頭が足に向かって『お前は要らない』とも言えません。

それどころか、体の中で、ほかより弱く見える部分が、かえって必要なのです。

神は、見劣りのする部分を、いっそう引き立たせて、体を組み立てられました。

それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮しあっています。

一つの部分が苦しめば、すべての部分が苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」


1541 2025.08.21 

私は、「私」を離れて別物になる必要はなかった。

私は「私」の置かれた場に落ち着き、根ざして、

精一杯「私」していればよかった。

ああ、この決して途絶えることがない落ち着きと安らぎ。

そんな「私」から、たくさんの善きモノが

次々あふれ出して、世界全体を覆い尽くす。

しかし、これは私がやったことではない。

「私」から出たのだが、私はただの傍観者にすぎないのだ。


1540 2025.08.19 

・<イノチの大地(神)>は、あなたが今置かれた環境で、精一杯生き切って欲しいと望んでいる。

・<イノチの大地(神)>は、大きな仕事をやってくれとも、人に注目され、賞賛されるような成果をあげてくれとも望んでいない。

・<イノチの大地(神)>は、あなたが与えられた場所(石ころいっぱいで根が張りにくいといったような、制限・制約がいっぱいある環境)で、最後の最後まで生き切ってほしいと望んでいる。

・<イノチの大地(神)>は、あなたの現状を否定して、別物になりなさいとは望んでいない。

・<イノチの大地(神)>が、どうしても「あなた」が必要だからと「あなた」を生み出して、養って、導いてきた。<イノチの大地(神)>が「あなた」が期待されているのは、「あなた」が「あなた」として、「あなた」だけが歩める道を精一杯歩み切って欲しいということ。その歩みの道に上下や大小や尊卑などはありはしない。


1539 2025.08.18 

<サイコロのたとえ>

・サイコロがコロコロ転がって前進している。

・「1(成功)」の目が出たり、「6(失敗)」の目が出たりする。

・しかし、実は、あなたは「目」じゃなく、サイコロの本体。

「どっちへどう転んでもあなたはあなた」

・では、なぜ人生で「1」や、「6」を経験しなければならないのか?

・いろんな「目」に出会うから、コロコロ転がって進んで(成長して)ゆける。喜びの時も、悲しみの時も、あなたは決して「成長の根源意志を離れたことはない。


1538 2025.08.17 

<趙州(じょうしゅう)柏樹子(はくじゅし)の公案>

趙州禅師に僧が質問した。「達摩大師はどういう意志を持って、はるばるインドから中国までやって来られたのでしょうか?」

師は答えた。「庭の柏樹をごらん」

(解説)

達摩さんの中国渡来と庭の柏樹、なにが共通?

<イノチの大地>から湧き上がってくる「より高く、より広く成長してゆこうという根本意志」が共有されている。発現はそれぞれ違うが、「成長の根源意志」は共有されている。


1537 2025.08.16 

「イノチの大地(神)」は、「あなた」というイノチの独自性を尊重し、大切に育てている。なぜならば、あなたがいらっしゃるその時と場所に根ざして成長してゆけるのはあなただけだから。

誰もあなたの換わりが出来ない。

だから、「イノチの大地(神)」は、あなたを生かし、育て、導いて止まない。なぜなら、神(「イノチの大地」)の成長はあなたの成長に掛かっているのだから。


1535 2025.08.14  ~ 1536 2025.08.15 

<香厳上樹(きょうげん じょうじゅ)の公案>

・香厳禅師は弟子たちに問題を提出した。

・「たとえば、崖の上に樹は生えていて、枝が張り出している。ある僧がその枝を口でくわえてぶら下がっている。その時、崖の下にいる人が真理について質問をした。僧の本分としては、その人の質問に答えてあげねばならない。しかし、もし口を開いて答えてあげたら、僧は崖から落下してしまうだろう。さあ、この僧はどう対処すればいいのだろうか?」

(解説)

「捨て身(アタマを手放す)」になって、対象のしあわせのために、思い切って跳びだしてゆく→かならずその人は生かされる。思い切ったから(アタマを手放したから)、その瞬間から「イキモノ」が発動するからだ。そして、そのパフォーマンスは必ず最高のものになる。 

アタマ(自分)を捨て、対象のしあわせのために思い切って跳びこんでゆけば、これまで気付かなかった自分の新たな能力が発掘されてきて、素晴らしい働きとなる。


1534 2025.08.13 

<「キズ」のたとえ>

「キズ」を直すのは、自分(アタマ)の力ではない。

「キズ」は、「イノチの大地」の発動(「イキモノ」)が直す。

「アタマ」に出来ることは、「イキモノの発動(自然治癒力)」の邪魔をしないこと。「イノチ」に心静かにお任せすること。協力すること(坐禅やお経によって、自然治癒力が高まる)。「心のキズ」も「体のキズ」の癒やしと同様。


1533 2025.08.11

「君(感情、動揺の激しい波)はそこ(心の中)に居ていいんだよ」と言って、抱きしめてあげよう。

→<百丈野狐(ひゃくじょう やこ)」の公案>:『人に戻ろうとあがくのではなく、キツネであることを受け入れよう』と、覚悟を決めた途端、キツネの境遇から離脱して人に復帰できた。


2025年9月16日火曜日

4017「観音様の涙」2025.9.16

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年09月04日の記事を紹介します。


「観音様の涙」


神様は優しすぎる故、縋ってくる人々を

・助けてあげたい

・願いをかなえてあげたい

と思うのだそうです。

そして、参拝に来られた方々の願いを叶えます。 

但し、叶えて下さるその願いとは、 

その方の肉体の願いではなく、魂の方の真の願いです。

ですので、魂の願いを知らず、肉体から発する願いにしか気づかなければ

神様が叶えて下さった願い事にも気づかないことでしょう。

魂の願いとは、生まれてくる前に計画してきた

この人生での目的。やってみたいこと、経験したいことです。

瀬織津姫

ですから、神社でお願いしたことと違っていることも多いです。 

ふつうは、魂と肉体の願いを一致させるのは難しいですから。

このブログを通じ、仕事や、お金儲けのためではなく

・神さまのこと

・神様と人間

・人間として生まれて来た目的

・苦しみや悲しみ、涙の意味

・永遠の魂としての真実の幸せになる方法

などを毎日書いています。 

きっとこの記事を読んでいらっしゃる方の大半が

「神さまが好き」な人だと思います。 

またここに書かれたことを実際に実践してくださって

幸せになられた方も沢山報告くださいます。 

その真実に気づけば、ご本人だけでなく、

ご家族も、そして、既に黄泉の国へ帰られたご先祖さえも幸せにします。 

※下記の「観音様」という言葉を「神さま」と置き換えてみると、分かりやすいかもしれません。

今日は、苦しみの淵で涙されている方のために書きます。

元気いっぱいで、ご興味のない方は

スルーなさってくださいね。重いですから(笑)

今日は「観音さま」のお話です。

「哀切かんのん」のお話です。

哀切かんのん


人生に三十三の難所があるとか

だれでも苦悩の路を通る

哀しい事だけれど

人となるための定めなのか

泣いて叫んで救いを求めると

哀切の声で「ここまで早くおいで」と

涯(がけ)の上から身をのり出して

白い両手をさしのべられる

けれど恐れてその手を信じない

ふれたら突き離されるかと 信じる事を失った習性

観世音のあなたは

唯、哀しき瞳もて立ち給う


観音さまは、苦しむ私達に 

「ここまで早くおいで。私の言葉をお聞き、私の顔をみなさい。 

私はこうしてあなたを助けようと語りかけているのですよ」と言って両手を差しのべていても、そんな観音さまが信じられない、

といって、苦しみのなかでもがいているのが私達。

(本当は信じたいのです。縋りたいのです。でもそれが出来ないのです)

そんな私達の様子を観音さまがご覧になって、

哀しい瞳で私たちを見つめていらっしゃるという、そんな詩です。

こんな優しい心で私たちを見ていらっしゃるのが、観音さまの心です。

観音さまがせっかく手を差し伸べてくださるのに、

その手を握り、救われるか? 握らないか?

の最終判断をするのは私たち自身です。

悩みや苦しみがある間は、

人を信じることができないかもしれません。

また自分は動かず、何もしなくても、ある日、さっと自分を救い上げてくれる、

何者かが来るのを待っているのかもしれませんね。

病気になった時でも、助けてくれるのはお医者様ではありません。

自分は何もせず他人に依存して、全てを任せておけば、

お医者様が勝手に直してくれるのではありません。

まず、そこから私たちは、自分の意識を改めなければならないのかもしれません。

自分の人生です。

誰かが代わって生きてくれるわけではありません。

代わりに苦しんでくれるわけではありません。

面倒くさいからと、自分のことなのに、他人や神様に丸投げして、依存し続け、

自分は何もしなければ、誰も助けてくれません。 

「哀切かんのん」でさえできないのです。

その今している経験こそが、

生まれる前に計画してきたことだからです。

病気だったら、

せっかく身体が(生き方の方向性が違うと)教えてくれているのですから、

「どうして病気になったの?」と

自分の生き方を振り返り、見直してみなければなりません。

苦しみ、悲しみを助けて欲しいのであれば、

まずは、その苦しみ・悲しみに執着することから離れなければなりません。

執着などしていない!! と仰るかもしれませんが、

そこから、逃れたい、楽になりたいと、 

いつまでも、その「苦しみ、悲しみ」の現象ばかり考えていては、

べったりと執着していることと同じです。

「苦しみ、悲しみ」に執着している心を、

そこから一旦離さなければ、観音様といえど救えません。

せっかく手を差し出してくださっても、

私たちの執着の心がそれを拒否するからです。

そんな、私たちの執着の心を見て、「哀切かんのん」は 

「哀しき瞳もて立ち給う」と涙したのですね。

誰にでも、苦しみや悲しみ、悩みはありますが、

そこから一旦、執着した心を離さなければ、

どんな救いも手にすることができません。

心を離すとは・・どうしたらよいのでしょうか?

どうしたら執着から離れ、救いを手にすることができるのでしょうか? 

それはブッダが「般若心経」の中で教えてくださいました。

どんな出来事も、自分の周りに起こって来ることに、無駄、不要なものはありません。

苦しみも悲しみさえも・・それらは全てが自分にとって必要であり、必然的にベストなタイミングで起こってきます。

その目的は、私たちの魂を成長させるためです。

ですから、その出来事が、どんなに辛く見えようと、目の前に起きている現象に対して 

・感謝ができ、

・喜びを見出すことができ、

・そこに幸せを感じられるようになると、 

自分自身がラクで楽しくなる、ということです。

そして更に、地球と宇宙が味方になってくれると言うことです。

そう「般若心経」の中に書かれています。

・「ありがとう」という言葉を使うこと、

・感謝すること、

・不平不満、愚痴、悪口を言わないこと・・

それこそが、「哀切かんのん」の差し伸べた手を、

自ら力強く握る方法ではないかと思います。

まずは、辛くとも毎日「ありがとう」と、 

口に出してみることから始めてみませんか?

きっと幸せになれますよ。


2025年9月15日月曜日

4016「まるごと受け入れる」2025.9.15

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年09月03日の記事を紹介します。


「まるごと受け入れる」


今日のお話は昨日までの「光の子」にも深く通じる内容です。 

2,500年前にブッダが悟った宇宙の真理と同じことを、たった16歳に女の子が、

別の切り口で、同じことを言っていることは驚きです。

彼女は地球のアセンションを助けるために生まれてくる、

地球よりはるかに進んだ愛の星の

レインボーチルドレンたちの先駆となるために、7年早く生まれて来たのだそうです。 

では今日のお話です。

悩みや苦しみから解放されて、心から笑って頂くために、

そのヒントとなればと、ブッダのお話からご紹介します。

ブッダは2500年前に、人間の生というものは「苦」に満ちていると悟りました。

ブッダが悟った「苦」とは、

世の中は自分の思いどおりにならない、 

という意味でした。 

災難の中に居ることが「苦」ではありません。

「この世は『苦』に満ちている」という言葉の本当の意味は、

結局は自分だけの問題だということになります。 

何故なら、ブッダが般若心経で教えてくださったように、 

どなたも自分の思い通りにならない現実に対して、

自分の心が苦痛を感じているからです。

外からやってくる不幸や悲劇は存在しません。

それらには良いこと・悪いことという色が全くついていません。

全てが内側、つまり自分の心・思い、受け取り方の問題だったとブッダは気付きました。

ブッダは思いどおりにしたいという「執着」を持たなければ、

人間は全ての「苦」から解放されることに気づいたのでした。

そしてブッダは全ての煩悩から自由になり、悟りを開きました。

私たちの悩みの多くは、実は自分自身のことではなくて、

他人が自分(=私)の思う通りに動いてくれないことから発生していると言われます。

多くの人は自分の価値観の中に、相手を連れてこようとして苦しみます。

でも、その人の良いところも悪いところも全部踏まえた上で、

そのまま全て、まるごと受け入れてしまえば何の問題・悩みも無くなります。

自分の価値観を、人にまで押しつけようとした時に、

実は自分自身が一番苦しみます。

人や物事・起こっている現実を、自分の思う通りに変えようとせず、

・お金と仕事の問題は、「掃除」をしていれば無くなってしまう。

・体と健康の問題は、「笑って」いればいい。

・人間関係は、感謝、「ありがとう」を言っていればいい。

それだけで私たちは幸せに暮らしていけるように

神さまが、この世の中を作ってくださっています。

神さまが好む人間の行為ベスト3は、

・掃除

・笑い

・感謝

の3つなのだそうです。

神さまは掃除をする人が好き、笑顔や笑い声が好き、感謝する人が好きらしいのです。

「掃除」と「感謝」は、いわゆる善行。

ここに「笑い」が入ってくるのは、実は「笑い」は「肯定」を意味しているからです。

「笑い」とは、目の前に起きている現象に対する肯定であり、受け入れることです。

それは目の前の現象(嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと)を起こしてくださっている地球や宇宙や神さまに対し、

「ありがとう」と肯定したという意味になります。

神さまにとって「肯定された」ということは、

自分のしたことを「喜ばれた」ということになります。

小林正観さんが仰るには、 

神さまは喜ばれると嬉しくてやる気になって、応援支援をしようと思うみたいなので、

肯定的な人には、どんどん味方をしてくれるようになるそうです。

私たちは子供のころから、 

「手に入っていないもの」を挙げ、

「それを手に入れることが幸せ」という風に教えこまれて来ました。 

またビジネス社会でもそうですね。

売り上げ目標を高く掲げ、ムダを極力省き全てのエネルギーをそこに注ぎ込みます。

また「努力しなければダメ」「頑張らないとクズ」と教えられても来ました。

一方、 

・既に沢山のものをいただいている

・既に充分恵まれている 

との考え方に至った人たちもいます。

これは現状(嬉しいことも、苦しいことも、悲しいことも)を肯定して、

「喜びながら」「幸せを感じながら」「感謝しながら」生きるという生き方です。

神さまや宇宙に、今既に十分与えられていると言う小欲知足の生き方です。  

強く願えば叶う、努力すれば必ず現実を変えられる。 

宣伝や営業努力の結果でものが売れる・・  

そのような方法論はもう古いのかもしれません。

神さまの意思や働きを否定した傲慢な考え方かもしれません。

神々の計画では、21世紀は「精神性の復活の時代」、「心の時代」になって来ています。 

21世紀は、いかに宇宙を味方にするか? 周りと調和していくのか?

そう考える方が時代の潮流のようです。 

・人に喜ばれるように生きていくこと。

・「頼まれごと」をひたすら実直な、愚直な、誠実な心で行っていくこと。

・目の前の現象をまるごと感謝して受け入れること。

・自分が社会的に成功するとか、

・お金持ちになるとか、

・商品が売れるとか、広まるとかということは、 

ブッダが言うように、全て本人の力ではありません。

すべて神さまや、宇宙、そして周囲の人・ご縁のおかげです。 →縁起の法則と言います。 

ブッダは般若心経でそう教えてくださいました。 

自分の努力や力ではなく、

全てが目に見えない神さまや、

宇宙、人様のご縁のおかげということがわかったら、

あとはただ感謝、「ありがとう」と言うだけですね。 

何故なら、その現象は、

私たちの魂を磨き、美しく輝かせるために起きていることだからです。 

それが、ブッダは2500年前に悟った人間の生というものは「苦」に満ちている・・

その苦しみの世界において、真の幸せを掴む道なのかもしれません。 

泥の中から咲くハスの花ように、私たちも、この世界において、 

置かれた場所で、美しい花を咲かすことが、きっと誰にでもできるのです。



2025年9月14日日曜日

4015「光の子 その4」2025.9.14

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年09月02日の記事を紹介します。


「光の子 その4」


今日も引き続き16歳の光の子(レインボーチルドレン)

ほのかちゃんのお話を紹介します。 

今日の記事で、このシリーズ一旦終わりです。  

神様たちは、私たち人間に「自立」して欲しいと願っています。

「昼の時代の自立」です。

これは、自分で自分のやりたいことを掴んでいくという意味

今まで「夜の時代」は、親や上司の言いなりになってきたかもしれないけれど

これからの「昼の時代」には、

自分で自分のやりたいことをやっていこう!!

と言う自立です。

これからの時代、大人たちより子供たちの方が圧倒的に自立している。

この意味で、大人たちの方が「昼の時代」の自立をしなければならない。

子供たちは放っておいても自分の好きなことが分かっているけれど

大人たちは、ずっとそれを我慢してしまっています。

溜め込んでしまっています。

ただ自分で「楽しい」と思うことをやるだけ。 

昼の時代とは

・調和の時代

・平和の時代

・みんなが平等の時代

・みんなで助け合っていく時代

この「助け合い」は、一人一人が自立した状態でないと、持続しない。

自立しないまま「助け合い」を行えば、

それは

・依存になり

・支配になったりする

「自立」した状態で「助け合い」を行えば素晴らしいものが生まれる

「愛」がどんどん広がって行く 

だから「昼の時代」の自立・・・

・自分自身でやりたいことをしっかり見つけ

・それを行っていく

・自分の魂が望むまま、我慢せず、しっかりやっていく

ことはとても大切なこと。

これからの「昼の時代」の「愛」は、与えていく時代

今までの「夜の時代」の「愛」は、求めていた時代

昼の時代の愛は「与える愛」であるため、

どんどん循環して行く

今までの地球の輪廻転生のシステムの中では、

自分の人生全てを選んで来ている

・顔

・スタイル

・性格

・出会う人

・家族

・結婚する人

・生まれてくる子供

・生まれる時代(過去も未来も選べるため)

生まれる前に約束してきた。

嫌な出来事を選んできたのは

それを乗り越える経験をしたかったから。

今の転換期、「夜の時代」 → 「昼の時代」

は非常に難しい時代。  

だけれど、

ここを乗り越え移行ができれば、魂のレベルが上がる。

私たちは、この難しい移行の時期をわざわざ選んで生まれて来た。

自分の魂のレベルにあった出来事を

地上で、あるタイミングで起こるように決めてきました。

魂のレベルが上がるほど

大きな課題を設定して生まれてきます。

肉体を持って地球上で屈らしている時は

「嫌な奴」と思っていても、

宇宙的な視点で見たら、「素晴らしい応援者」

「悪役」を引き受けてくれる魂は、

過去世を通じ、闇と言う闇を経験しつくしてきた魂。

「悪役」を演じてくれる魂は、闇を知っていると同時に、

光も知っていないと演じきれない。

とんでもなく深い愛を持った魂です。


2025年9月13日土曜日

4014「光の子 その3」2025.9.13

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年09月01日の記事を紹介します。


「光の子 その3」


今日も引き続き16歳の光の子(レインボーチルドレン)

ほのかちゃんのお話を紹介します。 

「夜の時代」から「昼の時代」への移行期において、

・お金への執着を手放す

・仕事を手放す

ことは、かなり怖いことかもしれない。

でも、その覚悟を持つことはどうしても必要。

それから。去りゆく「夜の時代」への感謝を忘れないこと。

私たちは、昭和の時代のような「夜の時代」を生きてきました。 

「努力をしなさい」と、叱られ、怒られ、時には暴力さえあったかもしれません。

ですが、その背後にあったのは「愛情」です。

何故なら、その親の世代は、もっともっと苦しい思いをしてきました。

もっと凄まじい「夜の時代」を生きてきました。

私たちを護るために、苦労し、苦しみながらお金を稼ぎ、

家族を守って来てくれたのです。

こういった世代の人々は、「夜の時代」、

苦しんでこそ、幸せを掴める・・そういう時代を生きて来ました。

それを私達にも教えてくれたからこそ、私たちも「夜の時代」を生きて来ました。

私たちに幸せになって欲しいからこそ、その時代の生き方を教えてくれました。

幸せになって欲しいからこそ

・暴力的になったかもしれない

・安心して暮らせるように

・いい仕事に就けるように

・一生、食べるのに困らないように

そう思って、苦しい夜の時代の生き方を教えてくれたのです。 

それは、本当に凄い「愛情」です。

だから親を憎むのではなく、「感謝」することが必要。

感謝と言うのは素晴らしいエネルギーを持っています。

例えば、昔

・嫌なことを言われた

・嫌なことをされた

人に対して、あのことがあったから今がある。

そう思え、「ありがとう」と感謝した時、その出来事、人は癒されて光に戻ります。

だから同じように「夜の時代」に対し感謝の気持ちを持てた時、

その時代は、役割を全うし、本来の「愛」、光に戻ります。

「夜の時代」でも、沢山の見えない存在達のサポートがありました。

例えば地震。

一気に大きな地震で甚大な被害が無いように、

小さく小出しで災害を小難にするとか・・

自分の身が傷つきながらも、地球をサポートしてくれていました。

このように夜の時代にも、様々な愛のカタチがありました。

それを知ること、感謝することは、とても大切なことです。

これは、凄く強い愛、自分が苦しんでも他人を護ろうとする愛でした。

夜の時代の神様と、昼の時代の神様のエネルギーは全く違います。

でも両方の根本は「愛」です。

今まで私たちを支えて下さった夜の時代の神様、

もう交代で天に帰る時期が来ています。

どうか、皆さん、

神様の前に自立を宣言し、感謝と愛で見送ってください。

私もこの週末、

神様の所へ行って、帰っていく神様に、感謝の心を述べて来たいと思います。

自立を宣言して来たいと思います。

考えてみるに、今までの時代、

神社の神々に対し、

そのお働き、

自分は苦しくとも人間のために、

真っすぐな愛で、

働いてくださった神様に対し、

その苦労を想像し、

自分の身になって感じ、 

ねぎらい、

感謝の想い、

その深い愛に、心を共鳴させ、

祈った方は少なかったかもしれません。