今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年09月04日の記事を紹介します。
「観音様の涙」
神様は優しすぎる故、縋ってくる人々を
・助けてあげたい
・願いをかなえてあげたい
と思うのだそうです。
そして、参拝に来られた方々の願いを叶えます。
但し、叶えて下さるその願いとは、
その方の肉体の願いではなく、魂の方の真の願いです。
ですので、魂の願いを知らず、肉体から発する願いにしか気づかなければ
神様が叶えて下さった願い事にも気づかないことでしょう。
魂の願いとは、生まれてくる前に計画してきた
この人生での目的。やってみたいこと、経験したいことです。
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瀬織津姫 |
ですから、神社でお願いしたことと違っていることも多いです。
ふつうは、魂と肉体の願いを一致させるのは難しいですから。
このブログを通じ、仕事や、お金儲けのためではなく
・神さまのこと
・神様と人間
・人間として生まれて来た目的
・苦しみや悲しみ、涙の意味
・永遠の魂としての真実の幸せになる方法
などを毎日書いています。
きっとこの記事を読んでいらっしゃる方の大半が
「神さまが好き」な人だと思います。
またここに書かれたことを実際に実践してくださって
幸せになられた方も沢山報告くださいます。
その真実に気づけば、ご本人だけでなく、
ご家族も、そして、既に黄泉の国へ帰られたご先祖さえも幸せにします。
※下記の「観音様」という言葉を「神さま」と置き換えてみると、分かりやすいかもしれません。
今日は、苦しみの淵で涙されている方のために書きます。
元気いっぱいで、ご興味のない方は
スルーなさってくださいね。重いですから(笑)
今日は「観音さま」のお話です。
「哀切かんのん」のお話です。
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哀切かんのん |
人生に三十三の難所があるとか
だれでも苦悩の路を通る
哀しい事だけれど
人となるための定めなのか
泣いて叫んで救いを求めると
哀切の声で「ここまで早くおいで」と
涯(がけ)の上から身をのり出して
白い両手をさしのべられる
けれど恐れてその手を信じない
ふれたら突き離されるかと 信じる事を失った習性
観世音のあなたは
唯、哀しき瞳もて立ち給う
観音さまは、苦しむ私達に
「ここまで早くおいで。私の言葉をお聞き、私の顔をみなさい。
私はこうしてあなたを助けようと語りかけているのですよ」と言って両手を差しのべていても、そんな観音さまが信じられない、
といって、苦しみのなかでもがいているのが私達。
(本当は信じたいのです。縋りたいのです。でもそれが出来ないのです)
そんな私達の様子を観音さまがご覧になって、
哀しい瞳で私たちを見つめていらっしゃるという、そんな詩です。
こんな優しい心で私たちを見ていらっしゃるのが、観音さまの心です。
観音さまがせっかく手を差し伸べてくださるのに、
その手を握り、救われるか? 握らないか?
の最終判断をするのは私たち自身です。
悩みや苦しみがある間は、
人を信じることができないかもしれません。
また自分は動かず、何もしなくても、ある日、さっと自分を救い上げてくれる、
何者かが来るのを待っているのかもしれませんね。
病気になった時でも、助けてくれるのはお医者様ではありません。
自分は何もせず他人に依存して、全てを任せておけば、
お医者様が勝手に直してくれるのではありません。
まず、そこから私たちは、自分の意識を改めなければならないのかもしれません。
自分の人生です。
誰かが代わって生きてくれるわけではありません。
代わりに苦しんでくれるわけではありません。
面倒くさいからと、自分のことなのに、他人や神様に丸投げして、依存し続け、
自分は何もしなければ、誰も助けてくれません。
「哀切かんのん」でさえできないのです。
その今している経験こそが、
生まれる前に計画してきたことだからです。
病気だったら、
せっかく身体が(生き方の方向性が違うと)教えてくれているのですから、
「どうして病気になったの?」と
自分の生き方を振り返り、見直してみなければなりません。
苦しみ、悲しみを助けて欲しいのであれば、
まずは、その苦しみ・悲しみに執着することから離れなければなりません。
執着などしていない!! と仰るかもしれませんが、
そこから、逃れたい、楽になりたいと、
いつまでも、その「苦しみ、悲しみ」の現象ばかり考えていては、
べったりと執着していることと同じです。
「苦しみ、悲しみ」に執着している心を、
そこから一旦離さなければ、観音様といえど救えません。
せっかく手を差し出してくださっても、
私たちの執着の心がそれを拒否するからです。
そんな、私たちの執着の心を見て、「哀切かんのん」は
「哀しき瞳もて立ち給う」と涙したのですね。
誰にでも、苦しみや悲しみ、悩みはありますが、
そこから一旦、執着した心を離さなければ、
どんな救いも手にすることができません。
心を離すとは・・どうしたらよいのでしょうか?
どうしたら執着から離れ、救いを手にすることができるのでしょうか?
それはブッダが「般若心経」の中で教えてくださいました。
どんな出来事も、自分の周りに起こって来ることに、無駄、不要なものはありません。
苦しみも悲しみさえも・・それらは全てが自分にとって必要であり、必然的にベストなタイミングで起こってきます。
その目的は、私たちの魂を成長させるためです。
ですから、その出来事が、どんなに辛く見えようと、目の前に起きている現象に対して
・感謝ができ、
・喜びを見出すことができ、
・そこに幸せを感じられるようになると、
自分自身がラクで楽しくなる、ということです。
そして更に、地球と宇宙が味方になってくれると言うことです。
そう「般若心経」の中に書かれています。
・「ありがとう」という言葉を使うこと、
・感謝すること、
・不平不満、愚痴、悪口を言わないこと・・
それこそが、「哀切かんのん」の差し伸べた手を、
自ら力強く握る方法ではないかと思います。
まずは、辛くとも毎日「ありがとう」と、
口に出してみることから始めてみませんか?
きっと幸せになれますよ。