今回は立花大敬さんの「大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」から最新の記事を紹介します。
1542 2025.08.24
<パウロ『コリントの信徒への手紙』(新約聖書)-カラダの喩え->
「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成りたっています。
足が『私は手ではないから、体の一部ではない』といったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
耳が『私は目ではないから、体の一部ではない』と言ったところで、体の一部ではなくなるでしょうか。
もし、体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし体全体が耳だったら、どこで匂いをかぎますか。
そこで、神は、ご自身の望みのままに、体に一つ、一つの部分を置かれたのです。すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるのでしょう。
だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。
目が手に向かって『お前は要らない』とはいえず、また、頭が足に向かって『お前は要らない』とも言えません。
それどころか、体の中で、ほかより弱く見える部分が、かえって必要なのです。
神は、見劣りのする部分を、いっそう引き立たせて、体を組み立てられました。
それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮しあっています。
一つの部分が苦しめば、すべての部分が苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」
1541 2025.08.21
私は、「私」を離れて別物になる必要はなかった。
私は「私」の置かれた場に落ち着き、根ざして、
精一杯「私」していればよかった。
ああ、この決して途絶えることがない落ち着きと安らぎ。
そんな「私」から、たくさんの善きモノが
次々あふれ出して、世界全体を覆い尽くす。
しかし、これは私がやったことではない。
「私」から出たのだが、私はただの傍観者にすぎないのだ。
1540 2025.08.19
・<イノチの大地(神)>は、あなたが今置かれた環境で、精一杯生き切って欲しいと望んでいる。
・<イノチの大地(神)>は、大きな仕事をやってくれとも、人に注目され、賞賛されるような成果をあげてくれとも望んでいない。
・<イノチの大地(神)>は、あなたが与えられた場所(石ころいっぱいで根が張りにくいといったような、制限・制約がいっぱいある環境)で、最後の最後まで生き切ってほしいと望んでいる。
・<イノチの大地(神)>は、あなたの現状を否定して、別物になりなさいとは望んでいない。
・<イノチの大地(神)>が、どうしても「あなた」が必要だからと「あなた」を生み出して、養って、導いてきた。<イノチの大地(神)>が「あなた」が期待されているのは、「あなた」が「あなた」として、「あなた」だけが歩める道を精一杯歩み切って欲しいということ。その歩みの道に上下や大小や尊卑などはありはしない。
1539 2025.08.18
<サイコロのたとえ>
・サイコロがコロコロ転がって前進している。
・「1(成功)」の目が出たり、「6(失敗)」の目が出たりする。
・しかし、実は、あなたは「目」じゃなく、サイコロの本体。
「どっちへどう転んでもあなたはあなた」
・では、なぜ人生で「1」や、「6」を経験しなければならないのか?
・いろんな「目」に出会うから、コロコロ転がって進んで(成長して)ゆける。喜びの時も、悲しみの時も、あなたは決して「成長の根源意志を離れたことはない。
1538 2025.08.17
<趙州(じょうしゅう)柏樹子(はくじゅし)の公案>
趙州禅師に僧が質問した。「達摩大師はどういう意志を持って、はるばるインドから中国までやって来られたのでしょうか?」
師は答えた。「庭の柏樹をごらん」
(解説)
達摩さんの中国渡来と庭の柏樹、なにが共通?
<イノチの大地>から湧き上がってくる「より高く、より広く成長してゆこうという根本意志」が共有されている。発現はそれぞれ違うが、「成長の根源意志」は共有されている。
1537 2025.08.16
「イノチの大地(神)」は、「あなた」というイノチの独自性を尊重し、大切に育てている。なぜならば、あなたがいらっしゃるその時と場所に根ざして成長してゆけるのはあなただけだから。
誰もあなたの換わりが出来ない。
だから、「イノチの大地(神)」は、あなたを生かし、育て、導いて止まない。なぜなら、神(「イノチの大地」)の成長はあなたの成長に掛かっているのだから。
1535 2025.08.14 ~ 1536 2025.08.15
<香厳上樹(きょうげん じょうじゅ)の公案>
・香厳禅師は弟子たちに問題を提出した。
・「たとえば、崖の上に樹は生えていて、枝が張り出している。ある僧がその枝を口でくわえてぶら下がっている。その時、崖の下にいる人が真理について質問をした。僧の本分としては、その人の質問に答えてあげねばならない。しかし、もし口を開いて答えてあげたら、僧は崖から落下してしまうだろう。さあ、この僧はどう対処すればいいのだろうか?」
(解説)
「捨て身(アタマを手放す)」になって、対象のしあわせのために、思い切って跳びだしてゆく→かならずその人は生かされる。思い切ったから(アタマを手放したから)、その瞬間から「イキモノ」が発動するからだ。そして、そのパフォーマンスは必ず最高のものになる。
アタマ(自分)を捨て、対象のしあわせのために思い切って跳びこんでゆけば、これまで気付かなかった自分の新たな能力が発掘されてきて、素晴らしい働きとなる。
1534 2025.08.13
<「キズ」のたとえ>
「キズ」を直すのは、自分(アタマ)の力ではない。
「キズ」は、「イノチの大地」の発動(「イキモノ」)が直す。
「アタマ」に出来ることは、「イキモノの発動(自然治癒力)」の邪魔をしないこと。「イノチ」に心静かにお任せすること。協力すること(坐禅やお経によって、自然治癒力が高まる)。「心のキズ」も「体のキズ」の癒やしと同様。
1533 2025.08.11
「君(感情、動揺の激しい波)はそこ(心の中)に居ていいんだよ」と言って、抱きしめてあげよう。
→<百丈野狐(ひゃくじょう やこ)」の公案>:『人に戻ろうとあがくのではなく、キツネであることを受け入れよう』と、覚悟を決めた途端、キツネの境遇から離脱して人に復帰できた。