2015年1月1日木曜日

389「変換点5」2015,1,1

・中山さんの波動、宇宙からの振動を受け切れていない、足りない、と言われているが、一瞬で出来るのか?
「(中山さんが)歌い始めた頃、今の状況とは波動が異なっていたから、歌っていい範囲が限定されていた。今は状況が変わった。波動も、受ける側も変わった。今は飛び越えた状況から始められるのでは。だから、ある日突然、そのレベルができるかも。
 次第にそういうものが受け入れられる身体になっていると実感している。環境が変わって来ているので慣れていく時間、期間は必要だ。
 私(中山さん)の中で出来なければ渡せないが、私が変わっていく事に応じて皆も変わっていく。今後、またその段階、システム変わっていく。歌い方も、次々と、変わると言われている。今までみたいに何十年もかかるのではないだろう。今年の1月は10日間、11月は5日間で短縮され新しい歌い方に変わった。」

・光とは何?ひかり、明確になっていない。あえて平仮名。単なる光線ではないと思う。
「光について、今、私達が認識しているものを光と呼んでいる。明るいもの。
一度メッセージで言われた。真っ暗闇にある光が有る。黒いのも光で、私達は見えている範囲で言っている。だから、見えなくて当然だよ。見えないところは光と認識出来ないが、いろんなところで光の写真が撮れている。見えなかった範囲が拡がる。今すでに光は受け取っている。体の分子、小さきところは受け取っている。身体には振動で入っている。皆が光に憧れて、分かりやすいから使っている。これだと言えないところがある。振動だからどの部分かだけ。」

・あわ歌の最後に、あいうえお、歌うのは何故?
「歌うことにより、強調できる。長い48音とは別に、強調しておこうという事か。
それにより何が起こるかとは、私は分かっていない。」

・ルーツを知りたい。あわ歌を歌うことによりその気持ちが強くなった。
「元のところに帰るよう、盛んに言われているから、歌うことにより、真にかえる、古いことに立ち返るという思いが出るのだろう。まこと、に帰ってほしいという思い。」

・光の柱、立った状態とは?
「人それぞれ。映像、暖かい感じ、別のところに立った感じ。何もなくてもいい気持ちで充分だ、気が満ちる、それを喜んで、光が通った状況繰り返す」

・「仕切り直し、あわ歌をもっと響かせることだなと。何もないな、嬉しい楽しい、後は何もなしてでいい。」

・自然、鉱物達とコミュニケーション起きる。感動はあるが、どうしてかが分からない。
「石、中々会話できない。会話できたとき、それは妄想が多い。何故か考えるよりは、いい感じ、の方が余程真実なのでは?龍が見える、等は、既に知識としてあったものに反応している。」

・憑依体質に成るのは<
「不安、心配、恐れ、真面目が揃っていると起きやすい」

・あわ歌、簡単に人に説明するには?
「その場で歌うこと。静かに聞いてみて頂く。先に説明しないこと。」

・光とは?可視光線以外の見えないところを利用して、いろんな情報を送っているが、
「チューニングは意識に応じて変わる。意識を高める。その高めるというものも具体的に高低はわからない。綺麗事で言うと、低いレベルのいろんな波動もあり、それが底を支えている面もあるが嫌いなレベル。嫌っていてもだめだが、想いと生活の差がある。在るということを認識し、覚えておく。それがあるからなりたつ。闇にも入る光なので、闇をあぶり出すということ、浄化もしている。光りの明るい綺麗事の世界に住んでいるだけではない。闇も在ると認識して、それが無い世界を作って行く事を。その思いで歌う。」

・光について。歌って響かせるとは?
「光と響きの話しは非常に難しい。理解不能。我々が分かることでない。我々の世界に成立していなかったもの。言葉で説明不可能。ただただ歌う、ということを先行させて。分かっていない同士の言葉を繋げている。結局分からない。分からない楽しさを理解してやって頂くのがいい。」

・「あわ歌をされてから軽くなった。おそるべしあわ歌。毎月のお伝えと現実と閃きがシンクロして、自分が定まってきた。今の土地に住んでいることに意味がある。
 琵琶湖の振動を上げる。思考に囚われずにただただ。
 振動、周波数、話し響きと光が一体となっているとは?具体的に。今答えた。同じ振動、光のレベルの振動、あまり、考えないで、というのが私の意見。」

・これからの金融経済はどうなるか?
「皆さんの、欲、知恵絞り、どこまでいけるかというのは、違うと思う。
 ガツンときてからの対処しか出来ない。一秒前まで同じ。そこから抜けなければ。」

・カタカムナの文字について
お伝え
「あーー、伝え行く。
 この地は幾たび作られ壊れ、形を変え行き、ここに至りたり。
 その中で 生まれ出たるこの地の支え、要となりたる。
 大きなる地より、形変え行き、生まれて、只今、分からぬ事となりておる。
 カタカムナの元なる形は、その場を表す、大きなる手掛かりの一つなり。
 この国にその物示す場が、幾つかあります。
 これよりの日々に伝え行くなり。
 あわ歌響かせて、確かめませ。
 大きなるこの地球の守りとなりましょう。
 まず一番の指し示す場所へ。」


 ほぼ全員の質問にお応えして、最後にあわ歌を歌い、あいうえおを発しました。
その時のお言葉です。
「晴れて この時、皆々様へ参りて、
 共々これより歩くは真に嬉しき。
 参りましょうぞ、新しきへ。
 これよりこの身は発し行きて、
 共に参りて、変り行く。
 どうぞ皆々様にても、変りて参られませ。
 この今を大切に、しっかり歩みて、参られませ。」15:53



 予定の16時少し前に研修が終了しました。今回の様なあわ歌の集いは初めての試みであり、全国各地、南は九州、北は青森から60数名の方々が参集しで無事に終わりました。


  大いなる計らいの中で必要な事が伝えられ、伝授が成されました。終わりの始め、各自がそれぞれの地で如何に成すか、嬉しき、新しきへと共に変わり行くのか、次なる歩みが始まります。
これからの事、全ては今のこの変換点、変化の時に進むか、留まるか、戻るか、自らの意に係っています。分かれ目であり、篩いでもあるようです。