普回向は以下です。
願わくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし(ねがわくはこのくどくをもってあまねくいっさいにおよばし)
我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを (われらとしゅうじょうとみなもとにぶつどうをじょうぜんことを)
略三宝
十方三世一切仏。(じーほーさんしーいーしーふー)
諸尊菩薩摩訶薩。(しーそんぶーさーもーこーさー)
摩訶般若波羅蜜。(もーこーほーじゃーほーろーみー)
十方は四方八方の八と上下を合わせて十方で全てという意味で、三世は過去・現在・未
来の一切の仏様。諸々の菩薩行を行っている仏様。そして、摩訶般若波羅蜜は、摩訶=大いなる、般若=智慧、波羅蜜=至彼岸(悟り)で、偉大なる仏教的智慧の完成。
延命十句観音経はいのちを伸ばすお経です。病気や精神的な悩みが解放される成功体験を得られます。このお経は白隠禅師が広められました。
これによって、形体形成場が出来るので、人生を生きて行く武器として有効です。
印としては合掌が一番良いです。両手が一体化して、目標と今を一体化出来る形です。次には、法界定印ですが、この印は宇宙全体を安定させるものです。ゆりかごに居るようなイメージでこの2つの印で良いです。
常楽我浄のところですが、
常とは、いのちは永遠で、楽とは、いのちは本当に楽しいものだ。我、大我、アートマン、本当の私は永遠、無限だ。そして浄ということは、いのちは清らかだ、ということです。
空、無、無常で、汚穢がこの世です。ですから小乗仏教では早くこの世を去る為に修行をします。しかし大乗仏教は、この地上は素晴らしい、永遠の喜びと捉えます。私がアートマンで清らかで、楽しいと言っているのです。
私はこんな人生で良いのか、を繰り返してきたのですが、42歳から一気に変わりました。人生には皆、時機がありますので、兎に角、今やれることをしっかりすること。常に心にイメージしていると良いです。
ここにいるとホッとしますが、日常でイライラすることを繰り返していても良いです。兎に角、自分を信じることです。自分の中に無限に向上して行く意志があるので、それに任せてすることです。つまらない事や、怒こられる事があっても、そこを進んで行くのです。
人生は綺麗ごとと違います。喜怒哀楽の世界の繰り返しです。それで良いです。なにしろ私が目指しているのは35世紀です。何度も生まれ変わり、繰り返し、繰り返しして会うのです。
そして自分を責めない事です。現在の心境を認めて、受け入れることです。しかし良心的な人ほど自分を責めるのです。少し反省したら、直ぐに自分を受け入れ、抱きしめて、良し、良しをすると良いです。
自分を愛し、許し、受け入れることが出来たら、相手を愛し、許し受け入れることができます。相手に敵を作り、イライラしている自分のここを治す、という考え方は間違っています。否定形は心には受け付けられません。
禅の公案で有名なものがあります。百丈さんのところに夜に白髪の老人、昔の住職が現れました。間違った指導をして、「悟った人は因果の世界に落ちない」と言ってしまい、間違っていたのでキツネになってしまった。そして500回生まれ変わったがまだキツネだ。どう答えたらこの世界に落ちなくて済んだか、と百丈さんに聞きます。
「不昧因果で、因果をくらます事が出来ない」と答えます。それを聞いて気づいて、「ならばキツネとして生きて行こう」、と決めたら人間に生まれ変わることができた。と言う内容です。
嫌な事を捉えると、否定的なことを再生産するのでそこから出られません。嫌な事を心にいつも描くので、形の世界にそれを作り、それを見て又、嫌な、否定的なものを作り、悪循環に入っていきます。嫌な人の中に良いところを見つけるのです。すると嫌な人だけど、ちょっと良い人が現れて、だんだん良い人になるのです。僕の出来ること、「ちょっと良いところ見れるか」で人生が変わるものです。
この世界は、引き寄せで自分に相応しい人が来ています。全部を自分が引き寄せているのです。ここの会場には極めて正常な人が来ています。禅の会では最初は変な人が来ていたのですが、直ぐに止めて行きます。師が全てを語っているのではなく、聞いている人の波動と共鳴して言葉が出るのです。ですから今日のお話は皆さんが引き出してくれているのです。
若いころ、師匠に会って質問して答えてもらっていました。すると先輩が、その答えは初めて聞いたと言っていました。私がその答えを引き出していたのです。師と弟子の共鳴で出ています。
私は殻に囲まれた自分から殻が空けた自分になるのに、自分に絶望して、ダメと思って自己崩壊してなりました。自分で守る殻では守れないと分かるとその殻が取れます。取れた瞬間に皆がひとつと思います。そして自分の殻がとれたら周りの人の殻も取れるのです。
倒産したり、病気になると辛いです。絶望して殻を取るのは大変です。坐禅をしていると殻に隙間が出来るのです。しかし難しい坐禅はダメです。ふんわり、おっとりしたやすらぎ、養いの坐禅が良いのです。そうしていると必要に応じて殻が破れるのです。
そして必要に応じて殻を作れないとダメです。それぞれの場で自分の殻を作り、自由奔放に出来ないとダメなのです。
坐禅と延命十句観音経でいのちの殻の制限を取ると伸ばす事が出来ます。道場の坐禅はダメです。自然の中に静かに坐っている姿が自然です。殻が破れ、緊張が取れた時に、身体が自由自在に動くのです。」
良い会場の雰囲気、エネルギーが充ち満ちて、あっという間に終わりに成りました。大敬さんにサインを頂き、記念撮影をして、今日の出逢いをありがたく、感謝で喜びにお別れしました。会場から直ぐに仙台空港に向かわれる大敬さん達を多くの方々がお見送りして下さいました。
次回の講演会はいつになるか分かりませんが、座禅の指導もして頂けたら良いなと思っています。
今朝にあわの里天命舎から講演会場への歩く時に大敬さんとの会話の中で、仙台天命塾に付いて、「これまで17年、続けて来られている事は、なによりも素晴らしいことですよ。」と頂きました。仙台天命塾の原点の近藤ジミーさんと大敬さんに仙台にお越し頂きこのような会を開催できたことはありがたいことです。
「ひとついのち」を響き合う仲間と培い、喜びに生きる場として、これからも仙台天命塾がお役立ち出来れば嬉しい限りです。これからもご支援協力宜しくお願いします。
このブログで444回です。良い良い良いです。ありがとうございます。