2015年5月7日木曜日

427「プラーナ4」2015,5,6

 続いてディスカッションでの秋山さんのお話も紹介します。

 何も決めないし、計画を立てません。全てはベストなタイミングで事が起きます。今のこの瞬間に心地良く、楽しくいたい。その選択が今にあります。集合意識で話が出来ていて、私が代表してスピーカーしています。腸内細菌は善玉菌20%、日和見菌、悪玉菌いますが、悪玉が少いないと困ります。善だけでも行けることは分かっていますが具体的にどうするのか。それは宇宙エネルギーをどうとるかがコツです。

 ジャスムヒーンさんは食べる、食べないはたいした問題でなく、魂の計画を立ててこの地に来ていることがあり、食べることが目的でないと言います。何をこの地球にしに来たのかが大事で、食べることでエネルギー使わずに、時間も食べると減るので、計画実行できるかもしれません。 
 リラックスすること。競争的、緊張状態は脳波はベータ波でプラーナは入りませし、共鳴しません。リラックスする感覚の時にプラーナは入ります。副交感神経優位のものです。食べている時は交感神経優位です。
 交感神経が強い時に食べ、たばこで緩める意識状態は、たばこをくわえるのはおっぱいをくわえている事を想いださせます。たばこはダメとすると追い詰める事になります。裁く事はダメで、善悪の二元性の学びは止める事です。
 食べたくない時は食べないことです。いのちのエネルギーを頂いている感謝と祈りで手を合わせることです。仕事を一休みして手を合わせ感謝する祈り。食べるのはいのちを頂くことで、食べたい時に、食べたいものを、食べたいだけ食べるのが良いです。朝食は身体に一番負担です。日本では江戸時代まで2食で元気で過ごしていました。
 私は面倒くさいので、食べない、飲まない、もっと楽しいことにフォーカスして生きています。人と会う事を通して満たされる想いでいっぱいで、神々の食べ物を選んで生きて行きます。プラーナで生きる事は、愛そのものだと自覚する生き方が深い喜びで、そのことを一度知るともう離れられないし、そこにどんどん引き込まれていってしまいます。それは神々にハグされている気持ちです。
 私達は地上に遊びに来ています。地上を整えて、この遊園地を素晴らしいものにして子供たちに引き渡したいと思っています。食べるのも楽しみ、食べ飽きたら愛のエネルギー食を共有できたら良いと思います。
 ライフスタイルとしては喜んで出来る事をすることです。食べないとお腹空かないので時間が出来ます。喜び、楽しみで自分の時間で物事に取り組んだ時の対応で、思い通りに成らないのが当たり前です。そういかないことが計画で善い事です。なんか悪いことに成ると、次に良いことであやしてくれます。その神様のプレゼントが楽しみで、慰めてくれます。何倍も楽しいことを用意してくれます。そんな時こそチャンスで次が楽しみです。全て自分の気持ちがハッピーならOK。変な顔をしているとダメです。真心が自分の中で渇望しているがあれば大丈夫で、全ては気持ちの問題です。

 壁にあたったら方向を変える事です。突き破るのはエネルギーが必要です。私が空手をやっていた時はぶつかっていましたが、今は避けます。横向きでなく、上を歩いている。そのように意識の視点を変えて、他人からどのように思われているかまったく関心がありません。気持ち良い場だな、自分の中で楽しい場だな、という想いです。
 悪口を言う人もいますが、どうしてかな、と意識を向けるとその事が分かります。そうすると腹が立ちません。理不尽だと思うと腹が立ちますが、相手の立場で見ると分かります。 
 一時、視点を写して直ぐに自分に戻すことです。無、ニュートラルにいつもいることで落ち込むことがありません。地獄は落ち込み切ったところで希望は少しも無いのですが、だんだん慣れてきます。そこに居る時間が決まっていれば対応が出来ます。開き直り、自分でここより落ちるところが無いと、安定感を持つとそれでもう大丈夫になります。ここより落ち込むことが無い安定感です。そうなるとどんなものも素晴らしいものに見えます。そう思ったらゲートが開いたのでそこから出られます。
 何事も体験です。そして全ての答えはあなたの中にあります。思い通りにいかないと思うと、その思い通りに、思い通りいかない世界になっています。全てが裏目に出るのなら、その裏を選べば良いのです。Aから見る景色、Bから見える景色、それぞれを楽しめば良いのです。正しい道を選ぼうと立ち止まると何も見えません。全てを良い加減でする事が良いです。

 期待が大きいと、不満や残念の気持ちが起きます。自分の中に期待はありません。地球を綺麗にしたいという気持ちはありますが、人の期待に応えたいというのはありません。しっくりくることが自分のやりたいことです。違和感があることは断ります。それは相手のする事と祈って断ります。
 自我意識の表面でのぶつかり合いでなく、本当の分け御魂通りのぶっちゃけのコミュニケーションで合致します。もし離れてもたいしたことではありません。共に1つに繋がった信頼した関係で祈る事です。私は助けないがサポートがあり、そう祈っていると断ります。
 我々はチャンスをもらっていますが、自分でバリアーを張っているだけです。自分流で発揮して行くと大丈夫です。あまり健康を考えずに、心にゆとりがあると人生を全うできます。

 瞑想は重要です。共通のレシピとして、瞑想、祈り、自然に触れる生活、運動、食を軽くすることがあります。人間は多層で、魂、肉体、エーテル体、アストラル体、コーザル体などで構成されています。視点の違いでそれらが現れます。肉体は良く出来ています。それが作られる歴史がありました。アメーバ―から原腸動物になり消化管が出来て、鰓で酸素を取り、鰓腸が出来、食べ物と酸素で燃焼し、更に肺と胃腸に分化して工夫されて出来て来ています。
 しかし今の科学は単細胞1つ作れません。いのちは神秘の世界です。人間は万物の霊長と言われますが、我々はスピリットに本質があります。肉体は転生し、着替えますが魂は変わりません。本質は変わらないのです。
 魂はたましいで、しいは感情を表すもので良く変わり、本質ではありません。たまが本質で光、穢れず、傷つかず、光、愛そのものの存在です。
 廻りの感情は自分が思い込めば絶望に成りますが、たまは何ら変わりません。瞑想は中へ向けるもので意識状態でしかありません。外へ向けて放射するのではなく、自分が光そのもの、愛そのものと、自分の意識で見出すことです。
 貴さ、素晴らしさを味わった後に、魂の色、音を表現すること、放射することで、宇宙への新しい感謝の最高の祭典となります。

 あっというまの講演会でした。3人のプラーナ食の先人のお話は興味深い世界でした。参加の皆さんに麻を1枚下さいました。会場から出ても暫く空腹の無い、プラーナで満たされている肉体が継続しています。食べなくても生きていける時代に人間も進化して行くような気がします。食べる為に生きる事を止めた社会はどの様に変わるでしょうか。今ある多くの問題は無くなります。食べない楽しみを少しずつ見出して準備するのも楽しいかもしれません。