「節分(せつぶん/せちぶん)は、雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことも意味している。
江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。この場合、節切月日の大晦日にあたる。本項目では、立春の前日、およびその日に行われる伝統的な行事について述べる。
一般的には「鬼は外、福は内」と声を出しながら福豆(煎り大豆)を撒いて、年齢の数だけ(もしくは1つ多く)豆を食べる厄除けを行う。また、邪気除けの柊鰯などを飾る。これらは、地方や神社などによって異なってくる。」
各所でこの節分、大晦日にちなんでの行事が行なわれます。私はNGO仙台テンメイの発足の頃にご縁があった仙台市青葉区秋保にある慈眼寺塩沼亮潤大阿闍梨の節分祭のご祈祷願いは毎年させていただいています。
慈眼寺は塩沼亮潤大阿闍梨が修験道発祥の地、奈良県大峯山において一日四十八キロを歩く『大峯千日回峰行』を1999年に大峯山1300年の歴史で2人目となる満行をし、翌年には九日間飲まず・食べず・寝ず・横にならずの『四無行』を満行し、 開山されたお寺です。
私がご縁を頂いたのは11年程前です。塩沼亮潤大阿闍梨も慈眼寺を開山して直ぐで、最初の著書を出版された時でしたので、今ほどに有名でありませんでした。友人の紹介で面談させて頂く機会を得て、何度かお話をさせて頂きました。丁度、私たちが仙台テンメイを発足するに当たり記念講演をお願いした所、快諾頂いたのです。そして平成19年9月9日に本堂で50名ほどの面々が集い、お話を伺いその後祝賀の宴を催しました。十年一昔、発足当時のメンバーも少なくなってきた今日この頃ですが、記念すべきスタートでした。
以下、大峯千日回峰行、四無行、八千枚大護摩供の事を紹介します。
・大峯千日回峰行
「大峯千日回峰行」とは、奈良県吉野山にある金峯山寺蔵王堂(354m)から24㎞先にある山上ヶ岳(1719m)頂上にある大峯山寺本堂まで、標高差1355mある山道を往復48㎞、1000日間歩き続ける修行です。年間4ヵ月を行の期間と定めるので、9年の歳月がかかります。
行に入ると毎日19時に就寝、23時30分の起床と共に滝行で身を清め、装束を整えて午前0時30分に出発。
道中にある118か所の神社や祠で般若心経を唱え、勤行をしながらひたすら歩き続けます。 持参するものはおにぎり2つと500mlの水。これを食べ繋ぎながら山頂到着8時30分。帰山するのは15時30分です。
1日16時間歩き続け下山してから掃除洗濯、次の日の用意など身の回りのことを全て行者自身がするため、約4時間半の睡眠で行に臨む生活が続きます。
このような生活が続くと1ヶ月で栄養不足のため爪がぼろぼろと割れ、3ヶ月目に入ると血尿がでるほど衰弱していきます。しかし、どんな状況になっても1度この行に入ると途中でやめることは決して許されません。万が一途中で行をやめざるを得ないと判断したならば、所持している短刀でもって自ら腹を切り、行を終えるという厳しい掟があります。
千日回峰行者の衣装は「死出装束」といい、紐を含め全てが真っ白です。 肉体的にも精神的にも限界に近い非常に追い込まれた極限の中での行は、一瞬一瞬が命がけです。
塩沼大阿闍梨は祈りの心で行に臨まれ、1991年5月3日より述べ4万8000キロを歩き、1999年9月3日に大峯千日回峰行を成満されました。
・四無行
四無行とは、断食、断水、不眠、不臥を九日間続ける修行です。 これは、食べず、飲まず、寝ず、横にならずこの4つがないということで四無行といいます。
四無行は大変危険な行で、無事生きて行を終える確率が50%といわれています。それ故、行に入る前に浄斎の儀という通称生き葬式を行い、縁のある人達と最後の食事を共にし、別れを告げます。その際、行者は実際には食さず、食べる動作のみ行います。
行に入ると、食べない、飲まない、寝ない、横にならないだけでなく、毎日午前2時に仏さまにお供えするお水を片道200メートルほど先の閼伽井戸まで汲みに行きます。そして一日3回、本尊様の前で密教を修法し読経します。その他の時間は、不動明王のご真言を10万遍、さらに蔵王権現のご真言を10万遍、計20万遍のご真言を数珠と石を使い数えながら唱え続けます。
入堂して三日目過ぎぐらいから、行者の足は紫色になり身体から死臭が漂いはじめます。
見えるはずのない離れたところにいる人の体臭を感じたり、線香の灰が落ちる微かな音も鮮明に聴こえ、灰が落ちる瞬間はスローモーションのように見えるほど五感が研ぎ澄まされます。
五日目からは一日1回のうがいが許されますが、決して飲んではいけません。1つにはなみなみと水が入り、もう1つは何も入っていない同じ大きさの天目茶碗が2つ用意されます。口に含みうがいをして空の茶碗に吐き出します。うがいが終わった後、何も入っていなかった茶碗に最初と同じ量の水が入っていないとそこで行は失敗とみなされるため慎重に行われます。
行中、体重は毎日1キロずつ減り、水分不足のため血液がどろどろになります。脈拍は坐っているだけで90を超え、少し歩くと120ぐらいに脈を打ち動悸が激しくなります。
身心共に危険な状態の中、行は九日間続きます。
四無行が始まってから九日目の午前2時に出堂を迎えます。本堂に移り、本尊様が祀られている大きな壇の周りを三遍回り、その次に「朴の湯」という朴の葉のお茶を飲む儀式を終えてから、法要を行い出堂作法となります。最後に天満宮の天満社というお宮さんの前に筵を敷き松明を置いて、食事をする儀式をします。しかし、この時も食べる動作のみです。
大峯千日回峰行を成満された翌年の2000年9月28日から10月6日にかけて四無行を成満されました。
・八千枚大護摩供
八千枚大護供とは、100日間五穀(米、大麦、小麦、小豆、大豆)と塩を断つ前行の後、24時間一昼夜飲まず、食べず、寝ず、横にならずで八千枚の護摩を焚き続ける行を2006年に満行されました。